2021年12月31日金曜日

はたらかないで、たらふく食べたい

はたらかないで、たらふく食べたい/栗原康 


 植本さんとポッドキャストでお話させていただいたときにレコメンドしてもらったので読んだ。タイトルにあるとおり、いかにはたらかないか、そもそもお前ら資本主義社会、消費社会に迎合しすぎではないか?繰り返し説かれることで自分の当たり前が音をたてて崩れていくような感覚で新鮮な読書体験だった。

 冒頭のアリとキリギリスの反転させた話が本著を象徴していて、(キリギリスがアリを食べてしまう…!)「働かざる者食うべからず」という価値観をぐらぐら揺さぶってくる。グローバリズムの浸透で自己責任論がますます幅を聞かせる世の中で「自分の生を負債化」させて好きでもない労働に従事する人生に意味があるのか?と聞かれると確かに…と思うことがいくらかあった。著者自身は実家暮らしで非常勤講師、親の年金で暮らしていることを宣言していて「結局親にパラサイトしてるだけ」というクソリプが飛んでくることなんてつゆ知らず、ひたすら働かないで生きていくための思考を展開していくのがオモシロかった。以下興味深かったところの引用。

犠牲と交換のロジックがうまれたからこそ、自分の行為に見返りをもとめることが一般化してしまったのである。

人間は物ごとを区別して。そこに善悪優劣の価値判断をはさみこんでいる。そうやって、不変の秩序をつくりだし、ほんらい渾沌とした世界を、有限で管理可能なものにしたてあげているのである。

 一番驚いたのは歴史の紹介。自分の主張とからめながら過去の偉人たちについて比較的ファニーに紹介してくれるのだけど、めちゃくちゃ分かりやすかった。こんなに徳川家の話がすっと頭に入ってきたのは初めてかもしれない。(自分が歳をとって歴史に対して関心が増しているのも影響しているかもしれない)引用もオモシロいのだけど、ひらがなの多用と詩のようなラインが織り交ぜられた独特のグルーヴを持つ文体も読んでいて楽しかった。本著でも引用されていた伊藤野枝の自伝がかなりオモシロそうなので次はそれを読みたい。 

2021年12月29日水曜日

2021 KOREAN HIPHOP BEST 100

  今年リリースの韓国のヒップホップで100曲選んだ。一部R&Bが数曲だけ入っているのだけど、そこはもうどうしても…という感じ。日本と同じでスタイルの細分化は進んでいて、その中でも自分の琴線に触れる100曲を選び、DJとして並び順も真剣に考えた。





  今年は韓国のヒップホップの新譜をリアルタイムでチェックした初めての1年だった。とにかくリリース量がとても多くアップカミングなかっこいいラッパーを探すところまでは手が回らない…けれど若手もベテランもとにかく曲をリリースしてシーンにおける自分のプレゼンスを担保していくところは健全でリスナーとしてはとにかく楽しい!ラップの中身が分からないことも多いけど、ビート、ラップのフロウ、声質を含めたボーカルのかっこよさ、気持ちよさで音楽的な魅力が溢れているのは間違いなくてそこに夢中になっている。(geniusにかなり高い確率で歌詞が載っているので、それをChromeの拡張機能で翻訳して歌詞を確認することも多い)歌詞の点でいうとラップスタア誕生2021で一躍名を馳せたSkaaiのGaekoバースの解説が非常に分かりやすくてめちゃくちゃオモシロいので少しでも韓国のヒップホップに興味ある人は見てみてほしい。

 あと今年はShow Me The Money(SMTM)をほぼリアルタイムで楽しめたのも良かった。完全にお祭りで賛否含めて皆でワイワイ言いながら楽しめるまさに今の時代のコンテンツだと思う。終わったあとのOne WayでのREMIX合戦も最高でいろんなラッパーが自分のスタイルで同じトラックに様々なアプローチしていく。これもまた皆でワイワイ言える要素になっていて、ヒップホップの要素をなるべく薄めることなく、かつバラエティとしてオモシロい、本当にギリギリのバランスの番組だなと思う。実際100曲を選ぶ際にも、番組によって愛着をもっているゆえに10%くらいSMTMの曲になってしまった…
 上にあげたとおり歌詞のおもしろさをもっとダイレクトに理解できるようになりたい欲が出てきているので来年は韓国語を真剣に勉強したい!(願望)

2021年12月28日火曜日

きみは赤ちゃん

きみは赤ちゃん/川上未映子

 子どもが産まれるにあたり身体の変化がなく自分の親としての無自覚さが怖くなって読んだ。女性の視点で出産に対してどのような思いでいたのか、妊娠や出産にまつわる性別間の差異やそれに伴う怒り、憂鬱な感情がときに冗談めかして、ときにストレートに書かれている点がオモシロかった。特にネガティブ寄りの自分としては著書の意見は参考になることが多かった。

 比較的序盤で「すべての出産は、親のエゴだから」というパンチラインでいきなりぶん殴られて、まさしくそのとおりだよなと心底思う。親が子どもを自分の所有物のように振る舞うことにエゴを感じていたけど、そもそもこの世に産み落とした、そのエゴと向き合うことも必要なのか…と自分の覚悟を問われた気がした。

 著者の出産や育児の環境が自分のパートナーと近いこともあり、こんなに大変なのかという思いと同時に夫にまつわる不快事案を知ることができてケーススタディの役目も果たしてくれて助かっている。この本に書かれていることを前提にして行動できるので男性こそ読むべきだと思う。

 子どもが産まれるまでは他人と違うことをユニークと捉えて、むしろ誇りにして生きてきた人生だったが、著者のいうとおり育児に関しては全くそういかない。乳幼児の発育については誰とも比べてはならないのが鉄則らしいのだが、「普通」から逸脱していないか気になってしまう。その違いが生命に直結しているので一概に比較はできないのだけど、自分がこんな気持ちになるとは想像もしていなかった。

 あと一番刺さったのはこのライン。ぐうの音も出ないクリティカルヒットだったので積極的に育児に関与しようと思った。

あれだけ日々ネットにつながっていてときにはしょうもない情報を読んだりしているはずなのに、その時間はたんまりあるはずなのに、われわれの一大事であるはずの妊娠、ひいてはわたしのおなかの赤ちゃんについてただの一度も検索をしたことがない、ということに、わたしはまじで腹が立ったのである。

 著者が繰り返し主張しているように男女間の出産、育児に対する認識の違いは常に意識しておきたいと思うことが多かった。出産や育児が女性の身体に依存するファクターが多いとはいえ男性がコミットできない理由はない。子育ては妻の仕事みたいな役割分担にならないように本著を自分への戒めとしたい。 

2021年12月25日土曜日

ヤクザと原発 福島第一潜入記

 

ヤクザと原発 福島第一潜入記/鈴木 智彦

 サカナとヤクザがオモシロかったので読んでみた。2011年の東日本大地震により起こった原発事故からここにヤクザ利権があるはず!と潜入調査するルポでオモシロかった。原発事故からもう10年が経ち、あの当時本当にどうなるか分からなかった放射能の恐怖を思い出させるだけの情報が詰まっていてもっと早くに読んでいれば良かったなと思う。一方であのとき当事者たちがどんな思いでどんな作業をしていたのか記録に残っていて、それを知ることができる本、読書の尊さも感じた。

 タイトルにもあるとおり原発とヤクザの関係を探っていくのだけども産業構造からしてヤクザが入り込んでいるのは自明に近いという話が衝撃。今に比べて暴力団やヤクザへのアレルギー反応が牧歌的だとはいえ、あれだけ注目されていた原発事故の収束に暴力団がコミットしている。そもそも原発建設する際に田舎の村社会に入り込んでいく必要があり、揉め事の仲介人である暴力団が必ずそこにいたという話や社会の矛盾に寄生していくのが暴力団という論旨は納得できた。

万が一の事故の際、被害を最小限にとどめるだけではない。地縁・血縁でがっちりと結ばれた村社会なら、情報を隠蔽するのが容易である。建設場所は、村八分が効力を発揮する田舎でなければならないのだ。

 ヤクザとは関係なく原発作業の潜入ルポとして抜群にオモシロい。全く知らない世界に対して筆者が必死にくらいついていく。マスコミである身分を偽っているので常にスリリングな展開も最高。当然放射能は怖いものだけど、防護服による熱中症が一番危ないという現場取材してないと分からない話もあり興味深かった。暴力団ダメ絶対!と抑止していくのはいいけど、結局それが表面上だけのアンダーコントロールなのであれば、それこそ原発とうりふたつ。原発、ヤクザとどう向き合っていくのかは誰かではなく自分の話でもあるなと感じた。

2021年12月12日日曜日

武器としてのヒップホップ

武器としてのヒップホップ/ダースレイダー

 ヒップホップ関連の本はなるべく読むようにしているのと帯コメの豪華さもあいまって読んでみた。ヒップホップを見立てとして人生を、社会を因数分解して著者なりの解釈をいろんな角度から提示してくれていてオモシロかった。

 ヒップホップの楽曲やアーティストを題材にしながら、言葉遊びをふんだんに含みながら朗朗と語っていくスタイルは新鮮でグイグイ読めた。(特に社会をレコードのA面とB面で例えていくくだりはめちゃくちゃ分かりやすかった)ゆえに強調したいところを太字にするのは本当にもったいないと思った。この太字が編集者の意思なのか、著者の意思なのかも分からないし、それこそ著者がいうところの「フロウ」が読んでいる中で失われしまうように感じた。ヒップホップをベースにした自己啓発の要素も高いので流し読みする人向けに太字にしたくなる気持ちも分かるのだけど…

 僕が一番好きだったのは「Feel」 という章。ヒップホップとは何か?というのはヒップホップファンのあいだで、事あるごとに議題になる。そして、人それぞれ答えが違う。言葉の定義としてはラップ、DJ、ダンス、グラフィティの4要素のカルチャーをまとめて呼ぶが、今はラップミュージックが大きく台頭しているのでラップ=ヒップホップになっているように思う。ただ個人的にラップミュージックが好きという逃げはしたくなくて、すべてを包含するヒップホップというカルチャーが好きなので今年はモヤモヤ案件が山ほどあった。著者の提示しているヒップホップの価値観は自分と比較的近いのですんなり腹落ちした。またこういったヒップホップ論議に対する著者の大人な態度も参考にしたい…以下引用。

「これこそヒップホップだ!」という称賛も「お前はヒップホップを知らない!」といったマウンティングもあちこちで発生する。全体を知らないにもかかわらず、みんながその話が出来る。それが言葉の面白さでもある。これは果たして空虚なのか?と言えば、それも違う。それぞれにヒップホップの話をするときにはその人なりの実感は存在するだろう。なんなら初めてヒップホップを体験した人がこの感じが好きだ!と言ったときにも、そこに実感としてのヒップホップは存在していると思う。

あの一瞬、たしかに全体としてのヒップホップを感じたのでは?と思える感性を持つこと、それがヒップホップ(カルチャー)に属しているということだと思う。

 また著者が他のラッパーと大きく異なるのは大病をしていること。本著全体を通底する著者の死生観とヒップホップの価値観のマリアージュに何度も首を振った。「病人」というイメージをヒップホップ使ってフリップしていこうとするのはかっこいい。刹那的な考えで生活できるかどうか分からないけど少しでも意識して生活したい。 

2021年12月11日土曜日

2021 JAPANESE HIPHOP BEST 100

 今年は日記を途中でやめてしまったので、音楽に関する記録がほとんどなくて、自分がどういう気持ちで聞いていたのか思い出せない。テキストベースで何かを残すことは大切だと思い、断片的だけど記録しておきたい。
 毎月のプレイリストは欠かさず作っていたので、それをベースに今年好きだった曲を100曲選んだ。DJしていた頃のように順番にもこだわったので、もし聞く人がいるのであれば順番に聞いてみてほしい。再生履歴のデータをさらして振り返るのは味気ないし、やっぱり自分が好きな音楽は自分で選びたい。
 日本のヒップホップは裾野が広がりながら、細分化も進んでいるので安易にブームバップとトラップみたいな分け方はできなくなっている。そういった状況で自分にとって何がかっこよいのか?について向き合う。プレイリストを作ることは振り返る手段としてベストだったし、自分の好みが100曲並べることでうっすらと浮かび上がった気もする。5年後とかに聞き返して、どんな気持ちになるのか?それが今から楽しみ。


2021年12月8日水曜日

どうやら僕の日常生活はまちがっている

 

どうやら僕の日常生活はまちがっている/ 岩井勇気

 ハライチ岩井によるエッセイ2作目。1作目は本屋で山積みなっているの見たし相当売れただろうから続編出すのも当然。と思いきや、いきなりそんな読者および出版社に冷や水をぶっかけるスタイルなのが斬新。そして今回もなんてことない日常の話だぞ、と釘を刺すのが著者らしい。

 1人暮らしの男性の日常が忌憚なく書かれていてそれだけでオモシロい。何気ない日常といえばそれまでなんだけど、読みやすい文体とボケの心地よさでぐいぐい読める。関西のお笑い芸人の「すべらない話」に代表されるテンションとは違うのが好きなところ。とにかく理屈をコネ倒す。そのコネ方が独特かつ角度がエグい。ニヤニヤしながら読んでたら急に自分が刺されるときもあり気が抜けない。その一方で驚くほどに母親依存なんだけど、そこを臆面もなく書いているところにはびっくりした。こういうスキを用意しているからあんだけ詰めても憎まれないのかもしれない。

 今回は過去の話もいくつかあって、それらもオモシロい。オンラインゲームの話は何ともいえない抒情さがあって好きだったし幼少期の団地の話では似たような経験を思い出し記憶の蓋が刺激された。最後は過去エピソードを引用した小説だったので次は長編小説とか読んでみたい。てか裏のピーコック、完全にFORTNITE Chapter3とシンクロ!

2021年12月6日月曜日

コンヴァージェンス・カルチャー: ファンとメディアがつくる参加型文化

コンヴァージェンス・カルチャー: ファンとメディアがつくる参加型文化/ヘンリー・ジェンキンズ 

 ポップカルチャーとファンダムの話を知りたいなと思ってググったときに出てきて読んでみた。2008年に出版された本なのでiPhone、TwitterやFacebookといったSNSが登場する前の話なんだけど、著者の先見の明が炸裂していて興味深かった。映画やリアリティショーなど今でも人気のコンテンツに対して消費者がどう接してカルチャーを構築していくのか示唆に富んだ話が多く今でも通じる話になっている。(以下長々と書いたのだけど500ページ超の専門書になると理解が追いついていない部分が大多い…)

 convergenceは日本語だと「収斂・収束」を意味する。なじみのない英単語だけど本著内では以下の定義となっていた。これだと分かりにくいけど、3のオーディエンスによる積極的コミットメントの話がメイン。

1. 多数のメディア・プラットフォームにわたってコンテンツが流通すること

2. 多数のメディア業界が協力すること

3. オーディエンスが自分の求めるエンタメ体験を求めてほとんどどこにでも渡り歩くこと

 1、2章はリアリティショーと視聴者の関係性について考察していて、ここが一番オモシロかった。具体的には「サバイバー」「アメリカンアイドル」なんだけど、これが今のリアリティショーの土台になっているのだなとよくわかった。リアリティショーはコンテンツそのものだけでは到底成立しなくて、視聴者による積極的参加が大事であり、そのためにはさまざまな仕掛けを用意して常に飽きさせることなく議論となる話題を提供し続けなければならない。ボケとツッコミの関係に似てるなと思うし、番組のファンになった場合、そのロイヤリティの高さは他の番組とは異なるのでプロダクトリプレイスメントが積極的に行われるという話はなるほどなーと勉強になった。(実際Show Me The Money内でスプライト何回も出てきて飲みたくなった自分がいた)

  3、4、5章はマトリックス、スターウォーズ、ハリーポッターというポップカルチャーとファンの関係について考察していて、これが一番読みたかった内容。マトリックス公開当時はまだまだ子どもでアクセスできていなかった事実の数々を知って、こんなに複雑な構造になっていたのかと驚いた。具体的には、映画だけではなくゲームやアニメなどで別の世界を用意して、それらと映画を連結させていく。映画だけだとわからない世界観を作り上げていくスタイルと、どうにでも取れる考察しがいのある要素を散りばめまくったことでカルト的人気を産んだことを細かく知ることができて勉強になった。今年はまさかの4作目の公開も控えているので見直したい。この章を踏まえるとDisneyがMCU、スターウォーズを傘下に収めて、自らのストリーミングサイトを運営し始めたのは著者の言うところのコンヴァージェンスそのものだと思えた。

 スターウォーズ、ハリーポッターでは二次創作の話がメイン。スターウォーズは比較的優しい方で、ある程度の範囲で二次創作を認めることでファンダム形成を促し権利を手放すことで得ることのできる利益を見通していた。その一方でハリーポッターは当初著作権の侵犯とみなして厳しい対応を取ってしまい、大きなハレーションを生んだという対比が興味深い。二次利用と著作権の関係はとても難しいなと感じる。(日本はコミケでの販売含めて相当ゆるい方なんだという気づきがあった)今の時代はさらに加速して企業側が二次利用を促し、それをSNSで拡散するスタイルだと思うので時代はここ10年で大きく変化したと思う。ハリーポッターの章でオモシロかったのは子どもたちがカルチャーに参加することで集合知的の学びを得ることができるという話。学校ではあくまで独学で学ぶことを教えることを中心としているけど、実際社会に出てから必要とされるのは協業して集合知を形成していく力なんだから大事や!とい論調が新鮮だった。

 そしてこういったカルチャーへの参加と政治への参加を結びつけていくのが終盤。選挙におけるインターネットの活用についてはトランプが当選した大統領選挙でかなりネガティブサイドへの注目が集まっていると思うけど、2000年代後半は権威主義ではなく市民の手に政治を取り戻す可能性がまだまだ残っていたのかもしれないと感じた。ただ著者はインターネットがもたらした自由、つまり多様性の尊重は無秩序を産むかもしれないと懸念もしているところが先見の明。そういった変化の狭間にいることに自覚的な状態でいろんな角度から論じている点を未来人観点で読めるのが楽しかった。同じテーマで今のテクノロジーについて書いている本があれば読みたい。

2021年12月1日水曜日

日本移民日記

 

日本移民日記 /MOMENT JOON

 ウェブ連載が書籍化したので読んだ。他のウェブ記事と同じように流し読むのはもったいないと思って取っておいたので書籍化は大変嬉しい。昨年リリースされたアルバムの製作ノートのようなエッセイでめちゃくちゃオモシロかった。

 10章+αという構成で彼が日本で11年間暮らして感じた違和感、苦しみなどが様々な形で表現されている。ウィットとアイロニーてんこ盛りで、ですますかつ読者に語りかける文体なので読み手にぐいぐい迫ってくる。一番強く感じたのは自分自身が持っている日本人としての権利に対して無自覚なんだなということ。国家の政策として移民を制限していることもあり、周りには日本国籍を持った人がほとんどでその特権が相対化される機会がなかなかない中、彼の言葉で綴られる「外国人」が日本で暮らす苦労・苦しみは正直分かっていないことばかり。何となく社会がスルーしていることを仔細に言葉を尽くして説明している。これはアルバムも同様で彼の提起していることや意見していることは露骨な差別主義者だけではなくて、無関心な人やなんなら「リベラル」を自称する人の心に巣食う無意識な差別の意識の話であり誰も他人事ではないのだと、どの章を読んでも感じた。

 中盤に彼が修論で取り組んでいる楽曲におけるカースワード使用に関する研究もオモシロい。これだけ言葉を定性的・定量的に研究している人がラッパーで、しかもその研究内容を自ら実践しているだなんて!優れたラッパーは他人のラップを貪欲に吸収する姿勢を持っていると思っているので、彼はまさしくそれをガチでやっていて興味深かった。

 あと「在日」に関する考察も自分の理解を深める一助になった。恥ずかしながら昨年「パチンコ」という小説を読んで初めて在日の実態を知った。本著ではある程度成長した大学生として日本へやってきた彼の視点から「在日」を再定義するような論考になっており、またその何重もの複雑な構造は日本社会が構築してしまっていることも知り、うーん…という気持ちになった。そして、ここまで述べてきた読者の気持ちをまるで察するかのようなパンチラインがぶち込まれており、これを言えるラッパーがMOMENT JOONという日本を代表するラッパーだ。

あなたが「何となく分かっている」と思っているものを「それって実はこうなんですよ」とさらに明快に答えるのは、政治家、またはプロバガンダの仕事です。あなたが「何となく分かっている」ものは、実はあなたが想像するよりもっと複雑で敏感です、と理解させるのが芸術家の仕事です。

2021年11月20日土曜日

Weapon of Math destruction

 

あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠 / キャシー・オニール

 原題が「Weapon of Math destruction」直訳すれば数学破壊兵器。機械学習、AIのアルゴリズムやモデルを皆さん盲目的に信じすぎやしてませんか?そこにはこれだけのリスクがありますよ、と警告する内容でオモシロかった。2年ほどデータアナリストの端くれとして小売業のビッグデータ解析に基づく最適化みたいな仕事をしていたので著者の主張に納得する点が多かった。当然データをあげた分、ポイント等で見返りはあるのだけど、そのデータと見合っているか?みたいなことはよく考えてしまう。本文にもあるが「プライバシーの保護は裕福な人にだけに許される贅沢になっていく」のだろう。(まさか政府まで似た手口で個人情報を入手しようとする時代が来るとは思わなかったけど)全く情報を出さないで生活するのは不可能だから、ときにこういった本を読み立ち止まって考えたいと思う。

 本著は啓発というよりはビッグデータ解析にまつわる現状の解説になっている。彼女自身がデータアナリストで金融業界で見た手口の話から始まり、その手口が教育、就職、仕事、身体、政治など身の回りに侵食してきている。そして、それを正のフィードバックループが機能することなく公平性を欠いて効率だけを追い求めた数学破壊兵器と本著では呼んでいた。大量の過去のデータから傾向を読み取って機械的に判断しているので人間よりも公平なのでは?と思うものの、その入力データがどういったものかですべては変わってくる。目的が志の高いものであれば良いが「人件費削減のために優秀ではない教師を手早くリストラしたい」のように「優秀ではない」の定義が非常に曖昧で定量評価できないものにAIというブラックボックスをかまして公平のような顔で選別する。公平よりも効率(=利益)を優先する社会全体の空気はこういったテクノロジーの発展と無縁ではないのかもしれない。

 さらにこういったモデルによる評価は富裕層に適用されるケースは少なく貧困層に適用されることが多く、アルゴリズムによって貧富の差が広がっていくことの解説もあり、その視点は持っていなかった。結局どんなツールも使う側の目的が一番大事だけど使われる側もリテラシー発揮していかないとテクノロジーユートピアな現代では生き残れないだろう。過去のデータからは未来は生まれないことを肝に銘じたい。

2021年11月14日日曜日

万事快調〈オール・グリーンズ〉

 

万事快調〈オール・グリーンズ〉/波木 銅

 Riverside Reading Clubのポッドキャストで紹介されていてオモシロそうだったので読んだ。映画、音楽、文学といった自分の大好きなカルチャーの固有名詞がこれでもかとぶち込まれてる上にエンタメとしてオモシロかったのでめちゃくちゃ最高だった。日本の作家でこんな小説書ける人がいて、しかも21歳だっていうんだから「未来は暗くない」

 地方鬱屈系小説としては「ここは退屈迎えに来て」が近年では代表的だと思うけど本作は登場人物が積極的に打破していく。その方法が工業高校の女子生徒が園芸同好会で大麻を育てるっていう…このプロット聞いただけでヒップホップが好きな身としてはときめきしかないわけだけど、さらに冒頭で登場人物が読んでいるのは「侍女の物語」これだけでもう並の小説ではない気配がある。

 そんな冒頭のかましをはじめとして、つるべ打ちのごとく場面場面でさまざまなカルチャーが言及される。それと物語が剥離していないところが良い。つまり置物としての引用ではなくて、そこにちゃんと愛がある。設定のど真ん中にあるのがヒップホップというのが特に最高。フリースタイルの歌詞は若干こそばゆくなるものの登場人物がまだアマチュアでサイファーしてるだけなので逆にリアルだと思える。物語の要素として必ず出てきておかしくないだろうブレイキングバッド、舐達麻、タランティーノなどは直接触れないというのも品がある。(これ見よがしなことをしないのは簡単なようで難しいと思う)あとは主人公達が女子高生ということも影響してるのか犯罪小説だけど重たすぎず抜けが良い。そんな中でも今の日本社会における女性搾取の話をきっちり織り込んでそれに対するカウンターまで盛り込んでいるから痛快でオモシロい。このあと本当にどんな作家になるのか楽しみだし、絶対次の作品も読む。

2021年11月13日土曜日

家族と社会が壊れるとき

家族と社会が壊れるとき/是枝 裕和, ケン ローチ

 2人とも好きな映画監督だったので読んでみた。対談とそれぞれの書き下ろしは興味深い話の連続でオモシロかった。2人とも「社会派」と呼ばれる映画監督だと思うけれど、その背景にある映画への思想は異なっている。けれど、お互いへのリスペクトを欠くことはない雰囲気が対談からは伝わってきた。

 ケン・ローチは義父からレコメンドされた「家族をおもうとき」があまりにもオモシロくて、すぐに「わたしはダニエルブレイク」も見た。本作は主にその二作にフォーカスがあたっており映画の内容を補完できるので、そういう意味でも興味深かった。何よりもオモシロいのはケン・ローチがゴリゴリの社会主義者であること。特にコロナ禍においては公的サービスの脆弱さがモロに露呈することが多かったと思うけど、それはイギリスも日本と変わらないようで国や企業といった支配階級への怒りを滔々と書いたり話したりしている。自分自身はここまで振り切った社会主義に賛同するわけではないけど、環境問題をはじめとしてひたすら成長を追い求めた結果のツケがコロナ禍もあいまって今露呈しているのは間違いないと思う。ゆえに彼の主張になるほどなと思うことが多かった。

 一方の是枝氏はある意味日本人ぽいというかノンポリに近いスタンス。けれど今の日本は右と左といった議論以前に民主主義の土台の部分がめちゃくちゃになっている点を厳しく指摘していてそれに同意した。2人の映画は自分の主義や主張が先行しているのではなく、あくまで社会の風景を彼の視点で描写することで、それらが浮き上がってくると説明されていた。ゆえに映画においてはカメラを置く位置を大事にしているという話もあり、誰かに寄り添う気持ちを2人が持っているからこその合致なんだろうなと感じた。ケン・ローチの作品は2つしか見れてないので他のも見たい。

2021年11月10日水曜日

ウォーターダンサー


 世界と僕のあいだにを予習してばっちりの状態で拝読。地下鉄道をモチーフにした小説でオモシロかった。地下鉄道と聞くとコルソン・ホワイトヘッドの小説を想起する。それよりは叙情的な印象だった。また同じ「奴隷制からの脱出」というテーマだとしてもファンタジー要素のベクトルが異なっていてオモシロかった。

 あとがきにも書かれていたけど、これが小説1作目とは到底思えない。冒頭かなりファジーな描写続くのでしんどいのだけど、ある強烈にバッドな事態が発生してからはページをめくる手が止まらないほどスリリングな展開が続く。エンタメ性を確保しつつ奴隷制の残酷さをめぐる本人の言論および実在した逃亡者の取材エピソードを盛り込んでおり読み応え十分。なおかつ脚色した小説だからこそ世界観に入り込むことができて奴隷制の理不尽さを少しでも追体験できる。そのような語り口になっているから心痛むシーンがたくさんあった。(特に奴隷を使った狩猟ゲームのくだり)そしてこの時代の話が現在にまで繋がっている恐怖もあった。一方で囚われの女性を男性が救い出すという古典スタイルを明確に拒絶している点は良い意味で今の物語っぽいなと感じた。

 テレポーテーション的なファンタジー要素が組み込まれておりモチーフとしての水と母をめぐる描写がとても美しいし、物語がキーとなっている点も含めて好きだった。この描写の巧みさに加えて、とにかくパンチラインが多いので、そこも読みどころだと思う。同じHIPHOP好きとしてアガったラインを引用しておく。

自分がこれとあれと、どちらをより愛しているか。すべてを愛するのかー美しいものも醜いものも、目の前にあることすべてを愛するのかーそれとも、自分の怒りや自尊心に屈してしまうのか。そして僕はこの世の一切合切を選ぶよ、ソフィア。僕はすべてを選ぶ。

僕はこちらで、失ったものたちとともに生きていく。その汚物や混乱とともに。そのほうが、自分の汚物とともに生きていながら、そのために目が見えず、自分たちが純粋だと思っている連中のなかで生きるよりはずっといい。純粋なんてものはないんだ、ロバート。清潔なんてものはない

 ブラックパンサーの新シリーズの原作も手がけているらしく、そのシリーズが映画化されて欲しい。

2021年11月6日土曜日

常識のない喫茶店

常識のない喫茶店/ 僕のマリ
 

 喫茶店勤務している著者から見た顧客の話がおもしろおかしく綴られていて楽しく読んだ。接客業で当たり前になっている「顧客至上主義」の常識に対して争っている喫茶店で迷惑な顧客に対しては毅然と接し決して下手にでない。自分たちが嫌だと感じたことをそのままズバリ顧客に伝えて場合によっては出禁にすることもあるそう。世の中には想像以上に理不尽な人が多いよな〜と学生時代のバイトや前の仕事で顧客と接点があったころをレミニスした。

 接客において過剰なサービスを求めすぎている気がするし、店員にタメ口聞くやつの気もしれない。お客だから何をやってもいいわけではない。著者の主張には同意することしかないのだけど、「こんな顧客をさばいたった」という武勇伝に聞こえてきて終盤になると正直飽きてしまった。政治家など権力ある人に対してカウンターを決めていくなら純粋に楽しめるけど、どんだけクソなやつでも市井の人たちなので引いてしまった。(顧客と店員の非対称性が前提にあるのだとはと思うし、実際にどのくらいやばいやつなのか、そこまで細かく描写されていないので、似たような経験のある人しか想像しにくい。)ラストに書かれていた著者の苦しい過去を踏まえると抑圧からの解放という観点では理解することはできるのだけど…もっとウィット成分が高ければマイルドになって楽しめたのかもしれない。

2021年10月29日金曜日

夜が明ける


 西加奈子が本の表紙の装画を手がけている場合、それはクラシックになるというのが定石なので当然読んだ。やはり今回も弩級の作品であり、相当覚悟をもって書かれたのだろうなということがビシバシ伝わってきてオモシロかった。と同時に著者にこのようなテーマで物語を書かせる今の日本の状況が来るところまで来てしまっているなとも感じた。(カナダへ移住したことで相対的に見えてきたこともあるのだろうか。)

 メインテーマは貧困。主人公とその友人アキ、それぞれの貧しく苦しい生活を描きながら日本の貧困の現状を浮き彫りにしていく。読んでいる間、ほぼフジテレビの「ザ・ノンフィクション」を見ているかのような感覚で実在感が強烈にあった。巻末に参考文献がたくさん載っていたので相当取材して書いているのだと思う。

 著者は自分が書くべきなのか葛藤があったとインタビューで答えていたように、インターネットを探せば実際の当事者の声を見つけ出すことが比較的容易な世の中において著者が小説家として書くことの意味はどこにあるのか?それは構成と描写の巧みさにあると思う。全然違うタイプの2人を並行して描きながら貧困に苦しむ過程でそれぞれが見る社会の風景は異なり、そこに今の日本における問題を入れていく。それこそ「82年生まれ、キムジヨン」を彷彿とさせる作り。ただあそこまで派手な感じではなくて登場人物を真綿で首を絞めるかのごとく、ひたひたと忍び寄っていく感じで余計にキツく感じた。そして、「すべては自己責任で我慢しなければならない」「逃げたら負け」という信念で生きる辛さがめちゃくちゃ伝わってきた。

 また単純な事実ではなく小説だからこそできる脚色があると感じた。特にカッターナイフで腕に傷をつける自傷行為の描写。死にたいというよりも生きることを実感するため、というニュアンスと著者の筆力としかいいようがない表現があいまって単純に事実を知るときよりも何倍も膨らんで自分の中に入ってくる。これぞ小説の醍醐味だと思う。

 終盤、主人公の加害性と冷笑姿勢に対して真っ当な意見・主張をぶつける場面があり主人公の事態は好転していくきっかけになるのだけど、ここでの主人公の後輩の長台詞はめちゃくちゃ刺さった。物語全体を通じて展開された今の日本の問題に対するカウンターだから。一方で現実社会でこんなに他人に目を掛けられる人がどれだけいるのだろうか、と遠い目にもなってしまった。1つの希望であり、これから目指していきたい世界のメタファーだとは思うのだけど、何か問題が顕在化しても自浄できない政治をもう10年近く見てきているからかもしれない。著者も同じ感覚を持っているようで、なんだかんだいつも綺麗に物語的なカタルシスに昇華して終えることが多いと思うけど本作はそんな終わり方ではなかった。たとえ自分と関係なくても、いつ自分が当事者になるか分からない。おかしいことにおかしいと言える大人になりたいと強く思った。選挙行こう。

2021年10月26日火曜日

アメリカの〈周縁〉をあるく: 旅する人類学

アメリカの〈周縁〉をあるく: 旅する人類学/中村 寛, 松尾 眞

 旅行に行けない世界線になって久しい中、旅行欲を満たしてくれるかと思って読んだ。結果、かなり満たされてオモシロかった。アメリカの中でもメジャーではないところ(つまりは周縁)をロードトリップして、その際に感じたことが綴られている。エッセイ的な要素が強いのだけど、著者は文化人類学者であり、それぞれの旅がネイティブアメリカンという軸でアメリカを見ており、知らないことが多くて人文書としても興味深かった。

 読んでいて一番強く感じたのは、野村訓市がJ-Waveで毎週放送している「Traveling without moving」というラジオ番組との近似性。リスナーから届く旅行にまつわる思い出メールが番組内で読まれるのだけど、バックパッカー談が読まれることが多い。本著もアメリカの周縁で当てもなくふらふらと流れに任せて旅行する、というのはバックパッカーっぽいし、観光地ではない場所で立ち上がる思いが率直に書かれている点が似ていると思う。(ときににじみ出るポエジーも含めて)また街で出会った初対面の人との様々な会話が収録されており、これが旅の醍醐味だよなーとコロナ禍の今だととても贅沢に見える。すぐに会議したがったり、出社を要求する人を「大事なことはface to faceでしか伝わらないよな」と言って揶揄したりするけど、face to faceのオモシロさが存分に詰まっていた。

 アメリカは自由と民主主義の国であり、思い通り生きることができるというのは事実なんだけども、それを達成できているのは既に住んでいたネイティブアメリカン(インディアン)を排除した結果であることを改めて認識した。特にドラッグやアルコール、貧困の問題を抱えているリザベーションを訪れた際の何とも言えない、略奪された後の残滓のような虚無感が印象的だった。またトランプが大統領へ立候補した選挙の頃に、いわゆる「真っ赤」なエリアを旅していて、そこでの風景や人物描写、それにまつわる論考もかなり興味深かった。印象的なライン。何か解決したり、断定しているわけではないが、この逡巡こそが今必要な時間な気がる。

「分断」と報じられ受け容れられた現象をそのまま分断として語ることに、どれほどの意味があるのだろうか。そう語ることで得をするのは誰なのだろうか。しかしその逆に、二分化した両極は、結局のところ相互補完的であると哲学者を気取ってみても、なにかうすら寒いものが残るのだった。

2021年10月19日火曜日

MCバトル史から読み解く 日本語ラップ入門

MCバトル史から読み解く 日本語ラップ入門/DARTHREIDER

 Kindleでたたき売りされていたので読んだ。フリースタイルダンジョンに端を発してMCバトルが大流行し、1つのカルチャーとして成立した今読むと隔世の感があった。著者の主観とはいうもののど真ん中にいた人なので相当網羅されていて勉強になった。特にUMB初期の情報はインターネット黎明期でアーカイブされている情報はかなり少ない中、このように書籍化されたことは大変ありがたい。

 KREVAマニアックスとしては、MCバトルにおける彼のスタイルの栄枯盛衰についてかなり詳細に語られているだけで読む価値十分にあると思う。音楽としてのスタイルとMCバトルのスタイルの比較でなぜ彼がフリースタイルバトルを辞めたのか、今もやらない理由がよく分かった。

 その後のMCバトルの発展を担った般若と漢の存在の大きさもよく理解できた。彼らはラッパーとしてのアティチュードにこだわりながらバトルに挑んでいるので音源と地続きにいることができた。しかし、バトルシーンが大きくなるにつれて、そこにGAPのあるラッパーが登場して、バトル自体が単なる勝ち負けの競技化していくし、バトルで何を言ってもよい空気になっていく。こういう変化があったことを頭で理解できていたけど、史実ベースで丁寧に解説してくれているのがありがたかった。(ところどころ紫煙ならぬ私怨を燃やしているところがダースレイダーっぽい)

 何よりも最高だったのは表紙にも使われているISSUGI vs T-Pablowのバトル解説。MCバトルそんなに追っかけていないけど、このバトルだけは事あるごとに見返す最高のバトル。何が最高かってお互いのヒップホップイズムを賭けた戦いだから。単純に韻の数、フロウの巧みさだけでは評価できない空気が醸成されていて、どちらも間違っていないし、それぞれかっこいい。2人とも身の丈に合わないハンパなことは言わないし、えぐいラインが両方からバンバン出てくる。こういうバトルが見れるなら、まだまだMCバトルは見たいと思える。

 タイトルが肝であくまでMCバトル史は補助輪であり、直結している日本のヒップホップとの関係性に各章で必ず目配せしている。MCバトルが巨大産業となり音源で構成されるシーンとは別のファンダムが形成されるのに対して筆者がなんとかしてヒップホップという1つのファンダムにしたい意思を強く感じた。(実際、著者がコミットしていたKing of kingsという大会は、その分断に橋をかけようとする試みの1つ)なんだかんだ言ってているものの、やっぱりフリースタイルバトルは新しいラッパーの登竜門であることを歴史が証明しているので、今後もなるべくウォッチしたいなと思えた1冊。 

2021年10月16日土曜日

ラップは何を映しているのか ――「日本語ラップ」から「トランプ後の世界」まで

 

ラップは何を映しているのか――「日本語ラップ」から「トランプ後の世界」まで

 ヒップホップ好きとして大変遅ればせながら読んだ。3章構成になっており前半2章はUSのヒップホップ、後半1章は「日本語ラップ」に関する論考がふんだんに盛り込まれていて刺激的でオモシロかった。延々とヒップホップの話を横滑りしながら展開しているので、読んだあと誰かとヒップホップ、ラップの話をしたくなった。

 政治や社会との関係性がこれだけトピックになる音楽はヒップホップだけだろう。主体制の強い音楽で1人称で主張しやすいから90年代にポリティカル、コンシャスなヒップホップが流行ったと思ってたけど、政治・社会について歌うのが売れ線だったからという話は驚いた。要するに商業主義がポリティカルやコンシャスを駆動していたという視点。近年、音楽的な強度と政治や社会に関する強いメッセージを両立させた成功したのはKendrick Lamarであり、それが2010年代の1つの指標となったのは間違いないと思う。僕自身もKendrick Lamarは大好きだけど、ヒップホップにおいて彼だけを特別視してるメディアなどをみるとげんなりすることには共感した。多くのUSのヒップホップは基本享楽的なものだとしても、そこからでさえ政治性が滲み出てくる。それがヒップホップのオモシロいところだなと思うし本著でも言及されていた。

 日本のヒップホップにおける歴史的な成り立ちのところ、特に1998年頃の話がめちゃくちゃオモシロかった。いとうせいこう・近田春夫を祖とするか、もっとオーセンティシティを確保してきたB-FRESH、DJ KRUSH、クレイジーAなどを祖とするか、その歴史観形成にかなり積極的にコミットしてきた佐々木士郎(宇多丸)の話などは知らなかったことが多く勉強になった。日本のハードコアラップの右傾化の話も言及されており今では牧歌的とも思える。なぜなら現在はさらに荒廃しているから。例えば鬼のレイシズム丸出しっぷりやKダブのQアノンっぷりなど、右とか左とか関係ない差別的言動が目立っていて辛い。(一方でLEXのような若い世代が自分を正せる感覚を持っているのは希望の光。)

 人のことをどうこう言うときに自分の態度を棚にあげるのは批評の観点ではしょうがないのだけど、こういう雑談形式だとファクトよりもどう思っているのかを知りたいなと感じた。(実質は雑談みたいに書いているので厳密には雑談ではないとはいえ)こんなふうに無い物ねだりしたくなるくらいオモシロかったので、ヒップホップ論考したい人にオススメ。

2021年10月14日木曜日

世界と僕のあいだに

 

世界と僕のあいだに/タナハシ・コーツ 

 「いつか読むリスト」に入れていて、今回著者の初めての小説が翻訳されて出版されることになったので予習としてついに読んでみた。Black lives matter以降、アフリカ系アメリカンに対するUSでの差別について、色んなメディアで見たり聞いたり読んだりしてきたけど、その中でもベスト級にオモシロいかつ勉強になった。

 最大の特徴は語り口。彼のUSでの差別に関する考え方について、自分の息子に語りかけるスタイルなのが新鮮だった。それによってファクトとエモーションが入り混じることになり、事態の切実さがダイレクトに読者に伝わってくる。また著者はヒップホップに傾倒していることもありリリカルな表現も多く皮肉たっぷりのパンチラインの雨あられで読み手の心をグサグサ刺してくる。

 とにかくアフリカ系アメリカンとして生きる難しさを延々と自分の過去や歴史を通じて延々と説いている。常に命の危機が迫っている環境で少しずつ精神が摩耗している様が辛い。白人/黒人という議論から始まることが多いけど、その前提条件を疑うところからスタートしているのも勉強になった。

人種は人種主義の子どもであって、その父親ではないんだ。

 「ドリーム」と作中では表現されている言葉がなんともニヒリスティック。アメリカンドリームというのは「白人」にとっては憧れの意味かもしれないが、「黒人」にとっては幻想であり悪夢である。夢見心地でいるんじゃねーぞという怒りの気持ちをひしひしと感じた。著者はキリスト教を信仰していないことも大きな特徴で良い意味でも悪い意味でも神にすがることなく、ひたすら理論やファクトに基づいて主張しているところが強いなと感じた。そして 「闘争でしか君を救えない」と息子に告げている。そのラディカルさは全て読み終わると溜飲を下げた。(暴力に非暴力で挑むことの困難さを含めて)

 また旅行、引っ越しなど場所を移動することの意味がこんなにみずみずしく伝わってくる本を読んだことがない!ってくらい良かった。具体的には著者が初めてパリへ行くシーンが最高。パリにも移民/難民のレイヤーはあるだろうけど、少なくともUSで感じる「黒人」としての閉塞感がなく、自分のままでいられる尊さ、世界は広いと言えばバカみたいだけど、それを体感する大事さが子どもに諭すスタイルだからこそ伝わってくる。初めて何かをするときの感情を書き記すことの重要さが身に染みた。

 USでの人種差別がどういう問題なのか、彼の人生を通じて伝わってくるところに大きなエネルギーを感じたし、それゆえに特別な1冊になっていると思う。彼自身の言葉ではないけれどこの直球の言葉が刺さったので引用。Be yourself.

あなたは生きている。あなたは大事な人間よ。あなたには価値がある。パーカーを着る権利も、好きな音楽を好きな音量でかける権利もちゃんと持っている。あなたはあなたでいる権利をちゃんと持っている。そして、あなたがあなたでいることは誰にも邪魔できない。あなたはあなたでいなくちゃだめよ。そうよ、あなたは、あなた自身でいることを怖がってはだめよ

2021年10月1日金曜日

悪と全体主義 ハンナ・アーレントから考える

悪と全体主義 ハンナ・アーレントから考える/仲正 昌樹

 Kindleでセールしてたので読んでみた。本来であればハンナ・アーレントの原著を読んでから読むべきなのかもしれないが入門編としてオモシロかった。ナチスのユダヤ人迫害を取り上げて、そこから全体主義とはなんぞや?という説明・論考をしてくれていて大まかな全体像を知ることができた。そして単純な昔話ではないことも…

 ナチスはユダヤ人を強制収容施設に押し込んで機械的に虐殺した、この事実のインパクトがデカすぎて、どういう経緯でそうなったのかがあまり知られていないように思う。極悪!ナチス!っていうだけなら事態は簡単だけど、そんな簡単な話でもない。当時のドイツ人に蔓延していた陰謀論、周到に設計されたナチスの組織とプロバガンダなどが全体主義という考え方を育んできた経緯がある。その結果、道徳的人格(自由な意思を持った、自分と同等の存在として尊重し合う根拠となるもの)を破壊して、当事者たちが何も感じずに迫害できる状態まで持っていった。こういう細かい経緯を知れて勉強になった。また自分の歴史に対する勉強不足も痛感…世界史の授業とか意味ないなーと寝ていたあの頃の自分に真面目に聞いておけと言いたい。すべては過去から脈々と繋がっており、いきなり起こるわけではない。

 著者のまとめ方も意図的だとは思うけれど、最近の社会情勢と既視感があるのが怖かった。「ダイバーシティ」と口ではいくらでも言うけど日本の社会制度としてはほとんど変わっていないし、一方で特定の国家や民族に対して露骨なヘイトをぶちまける。分かりやすい敵を用意して、その敵へのヘイトで団結する場面はしょっちゅう見るので、それが全体主義の萌芽なのだとしたらそれはもう始まっている。だから麻生氏のナチスへの憧憬はもしかするとしっかり勉強した上での本心なのでは?と思ったりもした。

 終盤には悪法に対してどのように対応すべきか?というさらに哲学めいた話は出てきて興味深かった。虐殺を主導したアイヒマンは裁判で「自分はあくまで法律に従っただけでユダヤ人への憎悪など無かった」と答弁しており、その盲目な遵法主義に対してアーレントは疑問を呈している。人間にとって法とは何か?政治とは何か?理性的に考えて自発的に従っていることが自由であると著者は説明していた。またアーレントのこのパンチラインもイケてる。

政治は子どもの遊び場ではないからだ。政治において服従と支持は同じだ。

 あと刺さったのは考えることの大事さ。人間どうしても分かりやすいものや同じ意見の人に惹かれるけど、自分が間違っていた場合に素直に正せる力が必要だと感じる。著者のこのラインは自戒の念をこめて日々反芻していきたい。

私たちが普段「考えている」と思っていることのほとんどは「思想」ではなく、機械的処理。無思想性に陥っているのは、アイヒマンだけではないのです。

2021年9月26日日曜日

猫のゆりかご

 

猫のゆりかご/カート・ヴォネガット・ジュニア

 古本屋で 「ヴォネガット、大いに語る」をゲトったはいいものの、本著を読んでいる前提だったので読んだ。世界が終末する過程をいつもの厭世観とウィット、パンチラインでのらりくらり描いている小説でオモシロかった。原子爆弾の発明者の家族について取材するところから始まり、その周辺にいる人たちのトンチキっぷりに身を任せていると、いつのまにかカリブ海の謎の島へ行って…と目まぐるしく展開していく。その中でもオモシロいのは登場人物たちの会話だった。今でも十分に通じるパンチラインがそこかしこにあり、物語がはちゃめちゃな展開でSFらしさがありつつも会話で現実にグッと引き戻される。そんな感覚だった。以下引用。

真実は民衆の敵だ。真実ほど見るにたえぬものはないんだから。

成熟とは苦い失望だ。治す薬はない。治せるものを強いてあげるとすれば、笑いだろう。

人はだれでも休憩がとれる。だが、それがどれくらい長くなるかはだれにもわからない。

 ボコノン教なる新興宗教を軸に話が進んでいくのだけど、キリスト教へのアンチテーゼなのは間違いないだろう。ただベースのキリスト教に明るくないので、どこまで皮肉たっぷりなのかは分からなかった。世界が終わるときのあっけなさとしょうもなさがヴォネガットっぽいなと思う。アイス・ナインという物質が世界を終わらせるトリガーなんだけど、それは水の分子配列を変えることで一気にすべてを凍結してしまう。とんでもない威力の核爆弾ではなくて、身の回りにある水が兵器となって人々を殲滅する。些細なことで世界の価値観はガラリと変わっていく、つまり今あることも絶対ではないというメッセージなのか。「ヴォネガット、大いに語る」はもちろん時間をかけて他の著作も読んでいきたい作家。

2021年9月22日水曜日

サカナとヤクザ ~暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う~

サカナとヤクザ ~暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う~/鈴木智彦

 Session22の特集回を随分前に聞いてからいつか読もうと思って早数年。最近文庫化されたらしく読んだ。今や暴力団やヤクザは社会的に抹殺されたも同然の時代の中で「君が美味しい美味しいゆうて食べてるその海産物は暴力団の資金源でっせ?」ということを懇切丁寧に教えてくれている1冊でめちゃくちゃオモシロかった。見かけ上、イリーガルなものをキレイにしたつもりでも、バリバリ社会に食い込んでいるというのは日本でよくあるダブルスタンダードだと思うけど、それが自分の食べている海産物だなんて…

 単価の高い海産物が密猟の対象であり本著ではアワビ、ナマコ、シラス(うなぎの稚魚)の密猟が取り上げられている。それぞれ場所も密猟の仕組みも異なっていて、それらの解説だけでも相当興味深い。実際に海で密猟する人だけではお金に変えることはできないので、そこに仲買人、卸、市場の小売業の人など一般人も巻き込んでいる。海産物にラベルはついておらず、正規品と密猟品がそこでミックスされた結果、我々が密猟品を食べている可能性があるという仕組み。そこに著者が果敢に突入していって実態を明らかにしようと四苦八苦格闘しており、超絶オモシロいノンフィクションのドキュメンタリーを見ている感覚でひたすらページをめくる手が止まらなかった。(築地に四ヶ月潜入取材するだなんて!)密猟が第一次産業の中でも特に苦しい漁業を生業にしている人たちの蜘蛛の糸になっているように感じた。

 後半は歴史を紐解きながら海産物の密猟とヤクザ、暴力団がどのような関係を構築してきたか、またどれだけ近い存在だったか、丁寧に資料にあたりながら解説してくれている。前述の取材も然り、文献調査も相当徹底されていて前半のページターナーっぷりをいい意味でクールダウンさせてくれながら歴史をじっくりと知ることができて勉強になった。特にオモシロかったのはカニの密猟。冷戦下においてソ連のスパイをする代わりにロシア海域のカニを捕らせてもらうディールを結んでいたらしく、もはやこれは映画にすべき!というレベル。根室はいつの日か行ってみたい街になった。

 本著で取り上げられている中で一番身近なのはウナギ。ニホンウナギが絶滅危惧種に指定されて一時ウナギが食べられなくなるかも?みたいな話題もあったけど、今やそんな話を聞くこともなく普通に土曜の丑の日はやっぱりウナギだよね!という社会のコンセンサスはまだまだ根強い。その需要を支える台湾、中国経由の闇ルートがあるという衝撃。暴力団は良くない!とキレイごとを言っていても、実はウナギ経由で支えているかもしれないのが本著の核の部分だろう。文庫版では映画監督の大根仁が後書きを務めておりズバリで締めていた。That's right.

魚に限らず、飽食・拝金・快楽・利便・マーケット至上の世界にどっぷり浸かって生きてきた我々は、生活をしているだけで何かの犯罪に加担している共犯者なのだ。何を食べても、何を着ても、何を買っても、世界のどこかで誰かが苦しんでいる。

2021年9月20日月曜日

世界SF作家会議

世界SF作家会議

 フジテレビで放送された番組の書籍化。国内外問わずSF作家が参加していて、コロナ禍をふまえつつ未来について話していて興味深かった。コロナ自体もSFチックな事態でいつ終わるか先も見通せない中で、SF作家だからこそ持っている時間スケールの相対的な長さを知ると、目の前のコロナも小さく思えてきて精神的に楽になる作用があった。

 司会はいとうせいこうと翻訳家の大森望。お題が出てそれに対して各作家が持ち寄った考えを広げつつ、いい意味で茶茶を入れていくスタイルなのがオモシロい。単純に作家だけが集められて話すよりも交通整理されることで議論がまとまっていく。あとは大森望のSF読んでいる力の偉大さ。0→1を生み出す作家ももちろん偉大なのだけど、膨大な量を読んでいる翻訳家、批評家はやっぱすごいなと改めて感じた。

 合計3回分が収められていていずれもアフターコロナで世界がどうなっていくのか?という議論がメインになっている。第2回の最後の晩餐トーク(米か麺か?)の各人の答えの変化球っぷりがめちゃくちゃオモシロかった。最後の晩餐トークは誰もが話したことある内容だと思うけどSF作家にかかると、ここまで複雑怪奇になるのかという驚き。何か対象を設定して深く考えるときの作家の底力を感じた。第1回と第3回は真面目な話でコロナがもたらした価値観の変化、そこから予見される人類の未来という話で、こちらも同様に作家たちのエッジの効いた見立ての数々になるほどなーと思ったり、そんなことあるか?などと自分も参加している様な気持ちで読むことができて楽しかった。

 国内外問わずZOOMで会議に参加しているのも時代を象徴している。海外からは今話題の「三体」の作者である劉慈欣、中華SFを世に広めたケン・リュウ、中華SFの新星チェン・チウファン、韓国SFの新星キム・チョヨプ。日本の作家陣は同じ社会に生きているので、なんとなく言いたいことが感覚的に理解できるのだけど、海外の作家はその前提条件が違うのでやっぱり刺激的でオモシロかった。特に劉慈欣のメーターの振り切り具合は、こういう人でないと「三体」は書けないよなぁと感じた。逆に国内SFはほとんど読んだことがないので、本著をきっかけにチビチビ読み進めたい。 

2021年9月17日金曜日

「日韓」のモヤモヤと大学生のわたし

「日韓」のモヤモヤと大学生のわたし

 友人のツイートで見かけてこれは?!と思って読んでみた。なぜならまさにモヤモヤしていたから。具体的には「DNA REMIX」 という曲がきっかけだった。元々は高等ラッパー4という韓国のヒップホップオーディション番組でYLN ForeginとJAY PARKが披露した曲で、めちゃくちゃかっこよくて好きな曲。

その曲で色んなラッパーを召喚したREMIX verのMVが公開されたのだけど、USからカルチュラル・アプロプリエーション(文化的盗用)だと叩かれてしまい公開中止に追い込まれてしまった。(JAY PARKの発言も問題視された模様)で普通ならこれで終わりなんだけど、ビデオ内容を変更して再アップロードするというあまり例のない展開に。そして韓国を思いっきりレップするMVに生まれ変わり8月15日に公開された。Liberation dayを祈念して…私がモヤモヤしてしまったのはLiberation dayという言葉だった。

 日本で歴史教育を受ける中で、8月15日は戦争被害について思いを馳せる日であり、自分たちの加害性など1㎜も顧みていないのが現状だと思う。それを自分の好きなヒップホップから思いっきり全力でぶつけられたからモヤモヤというか動揺してしまった。自分自身、歴史修正主義者でもないし、慰安婦をはじめとする戦争時の加害性について「良くないよね」と思っているつもりだったのに、内なる自分の無知さというか、首根っこをつかまれた気がしたのである。

 本著は学生たちが日韓の歴史と向き合った内容がまとまっていて、各学生の思う疑問をそれぞれが調べて説明したり、座談会で話したりしている。興味深いのは専門家ではなく学生たちが歴史とどう向き合ったか?その過程を収めているところ。慰安婦、マリーモンド、在日朝鮮人、少女像、軍艦島など日韓関係でわだかまりが存在していると思われるところを平易な文体で説明してくれている。これによって日韓関係についてオーバービューできるのが助かった。(がっつり説明して欲しい人は専門書を読めばよい。)数々の問題の土台にあるのが「朝鮮半島を植民地支配していた」ということ。この認識は社会的に全然共有されていないと思う。なので、どの問題でもすれ違いが発生してしまうのだろう。なるほどと思えたラインを引用する。

日本が朝鮮を植民地支配したこと自体知られているのか疑問です。学校で絶対習うはずなんだけど,「ただ領土が拡大した」みたいな感覚しかなくて,植民地支配したという切実な感覚がないんじゃないかなと感じます。

「そういう時代だった」と言うときの「そういう時代」って,だれの時代感覚なんだろうって疑問に思います。(中略)だから,「そういう時代だった」と言っているときは,自分たちもまさにマジョリティ側,支配する側の時代感覚で言っているんだって思います。

 過去に先人が犯した罪と現代に生きる我々がどのように考えるべきか?という点については「連累」という概念が興味深かった。それは以下のとおり。

現代人は過去の過ちを直接犯してはいないから直接的な責任はないけれど,その過ちが生んだ社会に生き,歴史の風化のプロセスには直接関わっている。そのため過去と無関係ではいられない

 同じ過ちを繰り返さないための伝達責務があり、そのためには知る努力とか勉強が不可欠だなと感じた。学生の頃は理系だったし、歴史とか学んでなんの意味があるのか、全く理解できていなかった。しかし自分のアイデンティティや生活と密接に関係あるのだなと今回やっと肌感覚で理解できたかもしれない。ネット上に転がっているような上辺の情報ではなく質の高い情報で学んでいきたい。



2021年9月15日水曜日

ジェネレーション・レフト

ジェネレーション・レフト/キア・ミルバーン
 狙いすまして読みたい本を読むのもいいのだけど、セレンディピティを期待してブクログ徘徊してたときにジャケとタイトルにピンときて読んでみた。世界の若者が「左傾化」している背景と経緯を丁寧に説明してくれていて興味深かった。年齢で区切るのはそれは多様性の否定なのか?という疑問もあるけども、現状やはり世代間格差は1つの大きなイシューであり、どうしてこうなった?という点がクリアになった。きちんと文献に基づいた議論がされているので大丈夫だとは思うものの、納得できたのは自分が比較的左寄り志向だからなのかもしれない。タイトルを見たときには世代のデモグラを分析しているような内容なのかなと思っていたけれど、それよりも今の社会が歴史を踏まえてどういう状態なのか、解きほぐしたのちに見えてくる世代の議論という話が多くて何よりもそれが勉強になった。世界全体の潮流に日本も巻き込まれていて、自分が日々感じている政治や社会に対する違和感をズバリ言い当てられたような感覚。

 資産を持っている老人たちはその収益率を最大化したいが、若者たちは手元のお金がないのでまず目の前の所得の向上させたい。こうした物質的利害の相違からして世代で物事を考える妥当性を著者は主張している。そして2008年の金融危機をきっかけとして2011年に各地で若者によるデモが発生、それが左傾化の波であった。なぜ左傾化するのか?その原因としては新自由主義が社会の隅々までに浸透したことに対するカウンターだという見立てだった。この新自由主義への論考が目から鱗の連発だった。以下引用。

単なる経済体制ではなく、社会的および政治的な可能性を収縮させることによって人々の生き方を支配する統治モデルなのである。

 自己責任論によってすべては各人の責任とされることで、意識がデフレ化されて社会的な連帯がうまれにくい、つまり政治家たちにとってはコントロールしやすく都合がよい状況が続いているというのはドンズバで今の日本だなと思った。(さらにその各人が右傾化しているのだが。)

 2011年に起こった左寄りのデモの数々が、実際に選挙結果にも影響を与えた例が紹介されていて勉強になった。USだとAOCの台頭はNETFLIXでドキュメンタリーを見て知っていたけどギリシャやスペインでの左派躍進は全然知らなくて希望を持てた。日本でもSEALDSなどの活動が同様に社会を変える結果を出せれば、もう少し事態はマシになっていたのかと思うと切ない気持ちにはなるけど…

 またアセンブリーの概念が興味深かった。効率的な意思決定を目指してコンセンサスを取るというよりも1人1人が現状を持ち寄り体験を語ることで社会の課題を浮き彫りにしていくスタイル。USの映画とかで見る互助会に近い感覚だろうか。全員が同じ方向をむくのは難しい時代なのは間違いないからこの概念には納得できたし、「アヴェンジャーズ エンドゲーム」の決定的なシーンでも使われていたので時代を象徴する言葉なのかも。

 最終章は若者と大人のギャップに関する全体的な考察でかなりオモシロかった。歳をとると保守的になるのは自分自身の意識と社会全体の意識との相対的なものであり、何も気にしないでそのままいると置いてかれてしまう。これは最近骨身に沁みてきたので気をつけたいところ。またインターネット、デジタルテクノロジーがデフォルトの若者にとっては所有の概念が低いし、そもそも所有できるだけの所得がない。それに対して大人たちが培ってきた、私有財産を持つことが成人の証という古い価値観を打破していかねばならないというラディカルな主張も興味深かった。(会社で人に情報をまったく出さないタイプの人いるけど、シェアの概念が受け入れられないのは資産保有してきた世代だから当たり前なのか?)

 点と点が線でつながり脳内でスパークする感じはブルシット・ジョブを読んだときの感覚と近い。忙しいと抽象的なことを考えるのを後回しにしてしまいがちだけども、こういう本を読んで刺激を受けつつ自分の考えや意見を持ち、思考し続けたい。

2021年9月5日日曜日

失われた賃金を求めて

失われた賃金を求めて/イ・ミンギョン

 友人のレコメンドで読んでみた。いわゆるフェミニズム関連の書籍を読んだことがなく、今回初めて読んでみて知らないことが多く勉強になった。と同時に自分が既得権側なので責め立てられているような気持ちになり終盤しんどい部分もあった。「テメエのしんどいレベルじゃないレベルで、女性は虐げられているのだ」と言われればそれまでなんだけども…
 著者は韓国の方で本著で取り扱っている話も韓国の女性差別の状況について解説されている。しかし、あとがきにもあるように日本と韓国はほぼ同じ状況なので既視感のあることばかり。テーマはズバリ賃金で「韓国でもっと女性が受け取れるはずだった賃金の金額を求めよ」をベースに据えて色んな切り口でいかに女性の賃金が男性に比べて失われているか?データ、文献を駆使して想定される男性側からの反論を1つ1つ論破していく。前述のとおりしんどい気持ちになるのは「男の考えは間違っている」という話の連続だから。自分自身が女性差別的ではないと思っていても、心の中に巣食っている無意識の差別意識をグリグリほじくり返されている感じがした。つまり「それは思い込みなのでは?」とか「被害妄想なのでは?」と思ってしまう瞬間があったということ。実際、本著の中でも男性の無意識のバイアスにまつわる実験結果も紹介されており、相当気にしていないと自分がセクシズムな振る舞いを取りかねないなと思う。そもそも歴史的に男性偏重社会が続いてきたので、どこかで相当程度思い切り舵をふらないと本当の意味での平等を達成し、性差別が無くなることはないと痛感した。
 また生きていく上で必須である家事を含むケア労働を女性が負担することへの対価について、社会全体が安く見積もり過ぎているという話はまさしくその通りだと思う。つまり制度だけ変更したとしても解決するのは表面上のことだけで、やはり男性を含む社会全体で共通の課題だと認識しないと前に進まない。今もたくさんの女性が何かをあきらめているかもしれないけれど、その瞬間を減らしていく、ゼロにしていくことをあきらめないために少しでも自分の意識を更新することに気をつけたい。最後に特にグサっときたこと、Little Simzのめちゃくちゃかっこいい曲を引用しておく。

特定のポジションをめざした女性がせざるをえなかった努力、身につけざるをえなかった能力は、女性でなくても必要だったろうか?それだけの力量やガッツのある女性がセクシズムに対抗するためにエネルギーをさかなくてすんだら、他になにか別なこと、あるいはもっと多くのことを実現できなかっただろうか?そして、そのポジションにつく女性の数はどれほど多かっただろうか?

進入路が遮断されているのを見てそれ以上進むのをあきらめた女性の決断を、完璧に個人の選択だとする態度には相当な欺瞞がある。

2021年9月1日水曜日

わたしたちが光の速さで進めないなら

わたしたちが光の速さで進めないなら/キム・チョヨプ

 前から気になっていた1冊で早川のセールで半額でゲトって積んでいたのを読了。韓国SFという個人的には完全な新しいジャンルの小説だったけど新鮮でめちゃくちゃオモシロかった。USのケン・リュウ、テッド・チャンの系譜にありながら、今の社会に存在する構造的問題を大胆に取り込んでいるところが良かった。物語としてのオモシロさは担保しつつ読者に思考を促していくスタイル。
 短編集でどれもオモシロいのだけど1つめの「巡礼者たちはなぜ帰らない」からしてぶっ飛ばされた。欠陥のない完璧な社会では愛が生まれないのでは?という問題提起の話。すべてを肯定し、愛する力強さをこんな形で感じさせてくれることに驚いた。データに基づいて多様性の重要さを伝えるのもいいけど、小説にしかできない役割もあるなと思える。
 「スペクトラム」はエイリアンミーツな定番の話もあるのだけど、同じようなテーマから一捻りした「共生仮説」が好きだった。赤ちゃんの記憶とエイリアンをかけあわせつつ、人間の懐かしいと感じる感覚はエイリアン由来なのでは?エイリアンはそこにいるし、ずっといたみたいな。SFは基本未来の話が多いけど、現在をSFで捉え直す視点がフレッシュ。そしてタイトル作は会いたくても会えない切ない話で、その中で好きだったラインを引用。

「わたしたちは宇宙に存在する孤独の総量をどんどん増やしていくだけなんじゃないか。」

 そして本作を特徴づける「わたしのスペースヒーローについて」「館内紛失」これらは女性のキャリアに関する社会の構造的問題とSFをかけあわせた短編。「82年生まれ、キム・ジヨン」ほどダイレクトではないのだけども、女性であること、母親であることが産む苦しみやプレッシャーに想像を巡らして、それをSFへと昇華させていく。女性の視点だからこそ描ける小説だと思う。個人的には「館内紛失」の方が近い未来な気がして好きだった。ここ数年で韓国文学が大量に輸入されているけれど、その中でもおすすめしたい1冊。(確かラッパーのC.O.S.Aもおすすめしてた) 

2021年8月24日火曜日

次の東京オリンピックが来てしまう前に

次の東京オリンピックが来てしまう前に/菊地成孔

 タイトルにある「次の東京オリンピック」はTOKYO2020のことであり、本当はオリンピック前に読むべきだったろうけど遅まきながら読んだ。粋な夜電波が無くなった今、菊地成孔的な成分を定期的に摂取したくなるのだが、その気持ちを満たすだけの冗長性、過剰さはいつもどおりそこにあって満足した。一方で「ポリコレ」的な方向で言えば、さすがにちょっとToo muchかも…という気持ちになった。
 究極のニヒリストゆえに常に逆張りをかましていく姿勢、しかもそのかまし方がユニーク。本作では手を替え品を替え、ひたすらSNSひいてはスマホに対してブチ切れていてオモシロかった。デジタルミニマリズムとかスマホ脳とかデータ主義のアプローチとは全然異なる屁理屈をひたすら並べていてそれを読むのが楽しい。もはやSNSやスマホがない世界は1mmも想像できないわけで、そんな中で彼がいかに抗っていたのか、戦いの記録でもあると思う。なんでも事前に検索してしまう癖に関する指摘はその通りだなと思う。どこに行くにせよ、食べるにせよ、どんなものか事前に検索してしまう。裏切られることも少ないが、期待を超えることも少ない。予定調和を自ら生んでいることに気付かされた。
 オリンピックがうまくいかないだろうという逆張りを2017年から始め、他にも予言めいたこと(オールドジャニーズの退所ラッシュ、嫌煙→嫌咳への流れなど)がいくつか当たっているところが怖い。ニヒリストの逆張りが現実に出現してるのだから。
 特にSNSは使用者が幼児化/退行することやアディクションという意味で酔っているのと同じ状態だと主張していたのだけど、実際にTwitterに降臨してしまった今年の2月、著者は自らを持ってそれらを実証してしまっていた。木澤氏は冗談めかしてパフォーマンスなのでは?と言っていたが、その少ない可能性に同じくすがりたい1人の読者である。自分の声が公共の電波に乗らなくなり、SNSアンチを標榜していたがゆえに世間とコネクトする手段を失ってしまった。それがあのズレた一連の対応の大きな原因なのではと思う。(ラジオ番組が無くなったことは本当に誰も得していない…)公の番組とかに戻ってくるのは難しそうだし相性の良さそうなYoutubeも中指立てるだろうから、まだ読んでない書籍を細々と読んでいきたい。最後にオリンピックに捧ぐ鎮魂のライン。

   私はオリンピックに有意義さがあるとすれば、期待するだけしてコケる、という経験が何かを奮い立たせる効果、にしかないと思っている。勝利を!その前に壮大な期待はずれと痛みを!(Vサイン)

2021年8月18日水曜日

日本の名随筆 古書

日本の名随筆 古書

 金沢へ旅行に行った際に古書店でサルベージした1冊。過去に同シリーズの「毒薬」というのを読んだことがあり、今回も買ってみたところ本作もオモシロかった。時代も場所もバラバラで、古書について語ったエッセイを集めてきているのだけど、皆の古書、古本に対する愛憎が溢れる文書ばかり。60-80年代は本が娯楽だったり情報源を担っていたことを実感した。今ではなかなか考え辛いけど。
 驚いたのは「レアなものをいかに安くゲトれるか?」という古本カルチャーが昔からあって、先人たちも古書店に日々通い審美眼を磨いていたこと。今はネットがあるし中古品だとメルカリも普及しているので、相場とかすぐに分かる時代になってしまったけど、たまにブックオフや街の古本屋とかで「これがこの値段で?」みたいなことがあるとブチ上がるタイプなので首を縦に振りながら読んでいた。ただ、この本に出てくる人たちは本気の蒐集家なので配偶者からの冷たい目に逡巡しつつリミッター解除して爆買いしているのも気持ちよい。
 新刊ではなく古本を愛するのはセレンディピティが大きい。本屋は新刊が均質に並んでいるわけだけど、古本屋は入荷状況によってカメレオンのように棚が変わっていく。その本との出会いが一期一会である確率が高いからこそ愛しい気持ちが沸くし通うことで自分の見識が広まっていく感覚も楽しい。以前に友人と正月に酔っ払ってブックオフでノリで本を買う遊びをしていたけど、その頃を思い出したりした。こんな感じで人の数だけある古本の思い出が詰まっているので、ブックオフ大学ぶらぶら学部と合わせて読むのがおすすめ。

2021年8月12日木曜日

長い一日

長い一日/滝口悠生

 日本人の作家をチェックする感度が鈍っており、発売日に即買いする作家はもう著者だけになってしまった。昨年読んだアイオワ日記がかなり好きだったので今回も楽しみにして読んだら、当然めちゃくちゃオモシロくて最高が更新されていた。物語で描かれるのは実質2日のことで劇的な展開もない。けれど、そこには誰もが経験する生活、人生の豊かさや苦悩が詰まっている。
 ある夫婦がメインの登場人物で彼らを中心に話は進んでいく。夫の職業が小説家であるゆえに私小説の印象を強く受けた。2人が引っ越しに至るまでと、友人たちとのホームパーティーに起因する出来事の数々。前者では夫婦の家に対する価値観の違いや引っ越しすることになるまでの感情の揺れ動きが信じられないく細かく描かれていて、それがめっぽうオモシロい。特に階下に住む大家さんとの関係はなんとも言えない切なさがあった。日々は同じことの繰り返しだとしても、それが生活を構築しているのであり、一度それが終わっていく方向に振れるとあっけなく終わる。残されるのは一抹の寂寞…みたいな。ちょうど自分自身も引っ越しをしたばかりで、しかも前に住んでいた部屋が大家のはおばあさんの家のちょうど真上で、みたいな個人的記憶がビンビン刺激された。あと家周辺のスーパーは大切、という人生で大事なことだけど、そこまで語られないことを延々と話しているところも最高だった。
 タイトルになっている「長い一日」という章を読むと、一見淡白に見える日々だとしても脳内はそうとも限らないわけで妄想なども含めると毎日とてつもなく長い時間を過ごしているのかもしれない。そんなことを考えさせてくれるのがオモシロいし、その一日の伸縮性を機能性の高いズボンと重ね合わせているところにニヤリとさせられた。大きなテーマとして時間(特に過去)の揺らぎ、不確かさがあると思っていて、そういったことに関するパンチラインが何発も放たれていた。あとは得意な人称チェンジも健在でもはや名人芸と言えるだろう。芥川賞を受賞した「死んでいないもの」を読んだときのあのシームレスなワンカットを見たような感動を久しぶりに体験できて嬉しかった。かなり分厚いのだけども、サイズはコンパクトで手に馴染みやすいし、クーラー効いた部屋でダラダラ読むのにピッタリな1冊。

2021年8月7日土曜日

きれはし

 

きれはし/ヒコロヒー

 本屋でたまたま見かけてヒコロヒーのエッセイなら当然読むでしょということで買った。そしてやっぱりオモシロかった。(ele-king booksからのリリースというのもクソかっこいい。)もともとnoteに掲載されていたものと書き下ろしからなるエッセイ集で、「夏が嫌いだ」という本当に他愛もないこともあれば、彼女なりの芸人論、芸人としてのあり方のような芯をくった話もあったり。幕の内弁当のように硬軟織り交ぜているので読みやすい。芸人のエッセイは玉石混交なのでハズレのときの絶望感たるやなんだけども、文体からビシバシ伝わってくる「文の人」のオーラに飲み込まれて気づいたら読み終わっていた。
 僕が感じる魅力は独特の言語センスや強めのツッコミ。テレビやラジオでは後者がフィーチャーされている一方で、この著作では前者が思う存分に発揮されている。世間では「面倒くさい」といわれる類の人かもしれないが、その思考回路を楽しめるのがエッセイであり魅力がフルに発揮されている。まわりくどい言い回しが多くて最初は戸惑うかもしれないけど、その過剰さがクセになる感じだった。特に各エッセイが「〜ないのである」で締めるルーティンのようなものがあり、違う言葉だと「こーへんのかい!」と大きな声で言いたくなる。
 エッセイの良し悪しはパンチラインの質と数に裏打ちされるという自説を持っているのだけども、その点でもこのエッセイは最&高。いくつか引用しておく。

お金持ちのおもしろくない、何かがすごいやつと値段の高い飯を食うよりも、貧乏でもちょうどのユーモアがあるやつと腐りかけの野菜をどうやって食べるかを話し合うことの方が、比にならないほど楽しく思う。

些細な希望というもの、あるいは希望のようなもの、を、自分でせっせと見つけ出し掬い上げてはまた檻へと苦行をしに舞い戻っていく。希望さえなければこの人生はどれほど簡単だったのだろうかと考えることは、絶望することにもよく似ていた。

 色々と考え込んでしまう人間を「こじらせ」とか「メンヘラ」とか何かと簡単な言葉で片付けようとするクソな世界に中指を立てながら、自分の身の周りについて、いつまでも考える人生こそが豊かであると言っても過言ではないのである。

2021年7月31日土曜日

二〇二〇年フェイスブック生存記録

2020フェイスブック生存記録/中原昌也

 昨年、作業日誌2004-2007 を読んだので続編的な立ち位置かと思って読んだ。タイトルにもあるとおりフェイスブックに載っていた日記をkindle限定で発行した模様。15,6年前とあまりにも何も変わらず、ひたすらに映画と音楽へ身を焦がしていて驚いた。コロナになって映画や音楽など、これまでのテンションでチェックできなくなる話とかよく聞くけど、そんなの関係なく貪るように見て聞いているのが圧倒的。以前との違いで言えばアマプラやネットフリックスなどのストリーミングサービスの存在がある。映画についてはそれらでフォローしていて、見たくなる作品がいくつか紹介されていて参考になった。
音楽はいまだにCD、LP、テープといったハードコピーで聞くというストロングスタイル。自身がアナログ楽器の音楽家であることも影響しているのかも。その一方でMacのソフトの便利さに感動するシーンもあった。
 著者はどちらかと言えば右翼ヘイターで「アベシネ」的なことも日記で繰り返し述べているのだけど、その界隈の日本の保守論客の動画を嫌々ながら見て、その人たちに好感を持ってしまっているという話何あってオモシロかった。絶対自分が胸くそ悪くなることが分かっているのに、あえて覗きに行ってしまう習性、この現象って「シャーデンフロイデ」みたいに名前があったりしないのだろうか。駅員とのトラブルのことが書いてあって、なんとなく優しい人だと思ってたから悲しかった…著者が気兼ねなく生きれるような世の中になりますように。 

旅する練習

旅する練習/乗代雄介

 前作の「最高の任務」が好きだったので読んでみた。読んでいる途中は牧歌的だな、いやなんなら少し退屈だなと思ってたけど、最後まで読み終わると信じられないくらい心に残る作品になっていた。しばらく「なんでなんだ…?」という気持ちになり、この小説のことをしばらく考えてしまうくらいに。あとタランティーノの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」思い出した。
 叔父とサッカーを愛する少女がコロナ禍において茨城県を旅するロードムービーならぬロード小説。物語の緩急の付け方がオモシロくて鳥の観察日記や風景描写のところは時間が異常に停滞する一方で会話のテンポはとても軽やか。この対比が小説にリズムを産み、自分が妻や友人と旅に出ていた頃を思い出す。コロナでなかなか行けなくなったけど、人とどこか見知らぬ場所に行くのは豊かな体験だったのだなと思い出させてくれた。また会話の中で「食べよーよ」とか「いーよね」とか「ー」が生むまったり感が好きだった。「食べようよ」「いいよね」だとは伝わらない、駄弁っているニュアンスが出ていて、人が駄弁っているのを聞くのが好きなので良かった。
 親子物語ではないので過剰にウェットにならないところも設定として良い。また第三者である大学生が登場してから物語は大きく展開していくのだけど、そこも主体的に人生を生きるというテーマがあり、何か自分で目標を用意して生きないとなと襟を正すような気持ちになった。
 全体に冗長というか、旅行の記録としては振りかぶった文章が目につくなと思ったら、それらは最後に全て回収されて「うわー」と思わず声が出てしまった。自分が当事者にならないと何気ない日常の尊さは気づけない。コロナ禍で亡くなった人への鎮魂歌として捉えることもできるかもしれない。練習ではなく皆が好きなだけ旅に出れる日が戻ってきて欲しい。 

2021年7月23日金曜日

MPC IMPACT! テクノロジーから読み解くヒップホップ

MPC IMPACT! テクノロジーから読み解くヒップホップ /大島 純

 Kindleのセールで半額になっていたので読んでみた。タイトルどおりの内容でAKAIのサンプラー(MPC・SPシリーズ)の歴史を下敷きにしてヒップホップの歴史が解説されていて興味深かった。ヒップホップの誕生から急激に発展していく流れを描いた本は何冊か読んでいるけど、日本人の方が書いていることもあり、とても読みやすくて頭が整理できた。また新譜ばかりに目が行くけども、温故知新でこういったヒップホップのレガシーを見つめ直すことができて、自分がどうしてヒップホップに魅了されているのか?丁寧に解きほぐしてもらった感覚がある。世代論は展開したくないが、やはりヒップホップの最大の魅力はサンプリングサウンドだなと思えた。(今年出た新譜でもJ.ColeとTyler The Creatorの2人のアルバムが圧倒的に好きだったのはそのパワーを伴っているからだし) そのサンプリングを可能にしたのはMPCとSPシリーズだ。
 AKAIの当時のエンジニアやリンドラムの生みの親であるロジャー・リンといったマシンの開発に関するインタビューと、実際の使用者、つまりUSのレジェンド級のプロデューサーのインタビューの両方が掲載されていることでAKAIのサンプラーがどのようにヒップホップに組み込まれていくのか、立体的に浮かび上がっている。知ったようでいて知らないことが山ほどあり、それだけで興奮しまくりだった。特に盲目のスティービー・ワンダーでも直感的に使えるように入力パッドが大きくなりクリック音も付いたという背景は驚愕…まさにそのとき歴史が動いた状態。またMPCがAKAIの日本的な調整型ものづくりとアメリカ的な個人の英知を集結させたモジュラー型ものづくりのハイブリッドであり、その結果素晴らしいモノができたという話はプロジェクトXのよう。またテクノロジーの進歩=サウンドの進歩であることもよく分かる。今も同じ状況だけども、できる範囲が少しずつ広がっていく中でプロデューサー、ビートメイカーの職人たちが試行錯誤しサウンドが拡張していく。特にピートロックが大好きなので、彼のインタビューが多く載っているのが嬉しかった。
 ピートロックもプレミアもディラも楽器は演奏できたけどあえてサンプリングにこだわったのはレコードに含まれる空気(イビルディーいわくFUNK…かっけーな、おい!)が含まれているからという話が興味深かった。あとはサンプリングの美学問題…借りるならリスペクトが大事なのでは?という論調はよく分かるけれど、始まりがパクリの音楽だし、この音楽の持つ乱暴さがときに革命を起こすので頭硬くなるのは避けたいなと個人的には思う。とはいえ今のようにソフト音源もほとんどない中でサンプリングであれだけかっこいい音楽を作った先人たちには本当にリスペクトしかないし、自分の人生が変わったきっかけの1つであることは間違いない。AKAIの機材の歴史を通じて、そのサウンドのプリミティブなところを知ることができる個人的良書。

2021年7月22日木曜日

ニッケル・ボーイズ

ニッケル・ボーイズ/コルソン・ホワイトヘッド

 以前に「地下鉄道」を読んでファンになったコルソン・ホワイトヘッドの新作。本作も前作同様にアフリカ系アメリカ人の人種差別がテーマで重たいけれどもエンタメとしても楽しめてオモシロかった。表紙がめっちゃかっこいいのでモノとしても最高。
 優秀で勤労勤勉なアフリカ系アメリカンの若者が大学へ行こうとした矢先、半ば冤罪のような形で少年院(ニッケル)へ投獄され、そこでの生活が中心に描かれる。入所前に公民権運動の最前線を目撃したりマーティン・ルーサー・キング牧師の演説をレコードで繰り返し聞いたり。単純にかしこくて真面目というだけではなく志が高い。そんな若者が自らの正義を貫いたにも関わらず少年院の管理者からの暴力に苦しむ姿が辛かった…さらにその不条理の世界へと順応していくのも辛い。キング牧師が非暴力での抵抗、敵を愛せと説いた言葉が、圧倒的な理不尽と暴力の前では子どもにとっては空虚なものでしかないのが痛烈だった。このラインとか特に。

彼らには平凡であるという単純な喜びすら与えられなかった。レースが始まる前から、すでに足を引きずってハンデを背負わされ、どうすれば普通になれるかわからずじまいだ。

 ところどころニッケル時代を回想する大人になった主人公の視点も入ってくるので、主人公がなんとか生きて脱出できたことは分かる作りになっている。したがって、読んでいるうちはこの地獄もいつか終わるものと思って読んでいた。しかし、思いもしない展開が用意されており終盤はページターナーっぷりが加速していった。序盤の伏線をめちゃくちゃ鮮やかに回収するラストの描写が圧巻だった。「来ないと思っていた未来が今ここに!」という感動が静かに立ち上がる。その時代を生きていない人間でもそれを体験できるのはフィクションだからこそ。本作は実際の少年院での虐待事件をベースに描いているので、それを広く知らしめるノンフィクションとしての機能も持ち合わせている。さらにはエンタメとしての魅力もバッチリなので非の打ち所なしの傑作!

2021年7月17日土曜日

ele-king vol.27 ハイプじゃないんだー日本ラップ現状レポート

ele-king vol.27

 日本のヒップホップ特集で表紙がISSUGIなら読むしかないということで読んだ。自分の好きなヒップホップが何なのか?改めて考えられるような1冊になっていてオモシロかった。(「日本ラップ」という表現には馴染めないけども)
 自分自身は日本のヒップホップをどちらかといえば「文脈魔(©︎R指定)」的な楽しみ方をしていて、音の魅力はやはりUS(最近では韓国)にどうしても惹かれる。その中でもやはり異質なのはISSUGIを中心としたDogearr周りのサウンド。彼らが出てきた頃は90sオマージュの1つの表現だったけど、それを15年近く貫き通した結果、日本独自のブーンバップのサウンドができあがってきた。さらにここ数年はリリックの円熟味が加速度的に増しており無双だなと個人的には思っている。そんな中でのインタビューでパンチライン連発で痺れまくり…自分のこと信じてやり抜いた人だからこそ見えるビューがあるのだなと思った。細分化が毎年のように進む中でこのラインが一番芯を食ってた。

ヒップホップはかっこいいか、ダサいかのふたつしかないんで。

 ついこねくり回してベラベラ語ってしまう病気に罹患している身からすると恥ずかしい。話はもっとシンプルだったことを思い出させてくれる、そんなラッパーISSUGI。これからも付いていきます!と言いたくなった。
 今回の特集はサウンド面からのアプローチが多くて、歌詞の意味やアルバムのテーマについてそこまで深堀りしないという今までの日本のヒップホップ特集では見かけないタイプなのが読みどころ。ralph&Double Clapperz、Seihoあたりのインタビューはサウンドとラップの在り方に着眼してて、いわゆる「村」のインタビューなら絶対言及されないだろう話があってオモシロかった。特にSeihoの後半の話が攻めに攻めていて、ネットでわちゃわちゃなりそうな大胆な議論だったので好事家の方は読んで考えてみるのがオススメ。
 インタビュー以外はコラムとディスクレビューとなっていて、これからヒップホップを聞きたい人にはうってつけな仕上がり。(QRコードが貼ってあって時代を感じた)そして、もう1つ今回の特集が偉大なのは書き手が新鮮な面々であること。もう見飽きたぜ!っていうくらい同じ人たちに牛耳られている世界だけど、こういうトライがあってこそより評論文化は豊かになると思うし、それに呼応する作品が生まれてくるはず。好きだったのは吉田雅文、荘子itのコラム。吉田雅文が特定のビートメイカーたちを「音響をディグする」という観点で捉え直しているのが最高に刺激的だし、荘子itは完全に菊地成孔のフローなので、その1点で好きになった。
 このカルチャーが大好きで15年近く狂ったように聞き続けているけど未だ飽きないし、これからがますます楽しみなのでシンプルにかっこいいラッパーがたくさん出てくる未来を期待している。

2021年7月15日木曜日

黒沢清の映画術

 

黒沢清の映画術/黒沢清

 古本屋でたまたま見かけて調べたら絶版していたので何かの縁と思って買って読んだ。キャリア初期から2005年までの作品をインタビューとともに紐解いていてめちゃくちゃオモシロかった。(そして数年前に初期作品が NETFLIXで開放されていたのに見逃してしまったことを後悔…)
 冒頭からびっくりしたのは蓮實重彦の薫陶を受けまくった映画好きだということ。立教大学出身で蓮實重彦が現在ほど権威化する前から彼の授業を受けていて、それが礎になっているそう。どういうポリシーで作品作りをしているか、そのショットがどういう意図なのか?まで、一作品ごとにかなり細かく語っていて、黒沢清の映画に対する認識が知れて興味深い。また彼の映画製作の歴史が彼の人生そのもので、日本の映画界をサバイブしてきた過程を説明していて厳しい世界だとよく分かる。さらにオモシロいのは登場人物が
日本の映画産業の中心人物たちだということ。そういった仲間、先輩、後輩、ライバルへの思いをかなり赤裸々に語っている。中でも伊丹十三との複雑な関係は全く知らず、人間同士だから色々あるのだなと遠い目になった。
 黒沢清の映画のオモシロさはホラーとしてのストーリーや設定の魅力もあるけれど、やはりショット、カットに対する強烈な美意識を堪能できるところだと思う。映画というメディアでカットを割ることに相当意識的で可能な限り割らない。なぜならカットを割る=嘘をつく行為だから。それこそフィクションなんだけど追体験装置としての映画の機能を最大限に発揮しようとしていることが分かって勉強になった。こういった職人気質があり芸術としての映画を極める人なのかと思いきや、分かる人だけ分かればいいというスタンスではないところもオモシロかった。つまりピンク映画、Vシネを経ているからこそだと思うけど、職業監督としての責も引き受けていく姿勢がかっこいい。この本を読んだ上でフィルモグラフィーを再見するのはかなりオモシロそうなので時間かけてじっくり映画を堪能したい。

2021年7月11日日曜日

二重のまち/交代地のうた

二重のまち/交代地のうた 瀬尾夏美

 ネットで本を買うことも多いけれど、やはり本屋でのセレンディピティは欠かせないということで行った本屋で遭遇した1冊。表紙の絵が印象的だったのと、以前に読んだ「あいたくてききたくて旅にでる」の著者である小野和子さんの帯コメントで買ってみた。とても興味深い1冊に出会えてよかった。
 まず構成からして特殊。最初に色鮮やかな挿絵がたくさんある詩があり、次は小説、最後に歩行録という三部構成。抽象度が高い順番に並べられていて、なんとなく津波や東日本大震災のことなんだろうなと察しはつきながら読み進めていくと、最後には著者や著者が話を聞いた各個人の超ミクロな視点にまで到達する仕掛けになっている。同じテーマについて異なるアプローチで表現、思考、伝達していく過程を逆再生しているようでオモシロかった。抽象度が後半にかけて上がっていくと逆に冷めてしまいそうなので、個人的にはこの順番が良かった。一通り読んでもう一度、詩と小説を読んでさらに噛み締めることができる。
 この本のテーマである「二重のまち」は決して東日本大地震で被害を被った人だけの話だけではない。災害が後を絶たない日本では全員が当事者になる可能性を秘めている。災害が起こったあとの復興の過程の話であり、その過程で失われていくものに注目しているところがとても勉強になった。(最近の熱海で問題になっていることは日本のどこでも起こりうることを強く感じた)メディアは自分たちの思い描いたストーリーを語っていくが、そこに生きているのは生身の人間であり各人のストーリーが存在する。復興と一口に言っても何をゴールとするのか?元通りにするのか?新しく街を作るのか?正論だけでは片付かない。人間としての逡巡が3つのフォーマットすべてから伝わってきた。考えることをやめたら終わりだなと思う。
 やはり最後の歩行録が日記好きとしては好きだった。陸前高田を中心に津波被害にあった方々の生活が見えてくるから。記録の期間は2018-2020の3年間なんだけど、2011年のボランティアから著者は10年間寄り添ってきていて、その視点からの論考もかなり興味深くパンチライン連発だった。

都市にいると、誰のどんなエピソードにも、あーわかる!といった感じで共感は可能なのだけど、お互いのライフスタイルや思想が異なることが前提となり過ぎていて、他者と何か(感情でも環境でも)を共有している感覚は持ちにくい

"当事者"は、さまざまな状況要因や情報によって、いろんなことを諦めながら生活を続けていく。それが、生き抜くための技術だから。でも。そういう"当事者"の諦めを集積していくだけでは、次の災害の"当事者"も同じ諦めを強いられることになってしまうかもしれない。

 被災者の認識に関する話は繰り返し登場しているのも印象的だった。自分自身も阪神大震災の被災者で、以前以後では人生が180度変わったといっても過言ではない。当時何も我慢していた意識はないけれど、子どもながらに尋常ならざることに巻き込まれている感覚はあって、そのことを思い出したりもした。誰もが被災者になるかもしれないし、被災者と話をすることもあるだろう日本において必読の1冊。

2021年7月3日土曜日

パンデミック日記

パンデミック日記

 新潮に掲載された日記特集号を改めて別冊にした1冊。好きな作家やミュージシャンが寄稿していて、彼らがこのパンデミック下でどのような生活をしていたのか知れて興味深かった。各作家1週間、合計52週で一年の日記になっているところが本作最大の特徴。食べたものやどこに行ったかまで細かくログする人から、取り組んでいる仕事に対する考えのあれこれ書いている人もいて粒度は様々。1年間を通じて場所、境遇、季節の組み合わせが無限にあって全く飽きずにひたすらページをめくる手が止まらなかった。感染拡大の程度が時期によって異なるし、コロナ禍といえども人それぞれの距離感があり、特に日本は強いロックダウンが行われていないので、この頃は確かにまだ外出できたなーとか、あの頃は本当にずっと家にいたなーとか、当時の自分の挙動が思い出された。各人のリスクとベネフィットの考え方に触れるという意味で日記はとてもわかりやすい指針なのは間違いない。日記を細かく書いておくと後で見返すのがオモシロい。今は中断してしまったけど再開したい気持ちになった。
 書く順番は編集部から指定しているようで完全に編集の妙が出ている。(石原慎太郎→植本一子の飛距離が一番笑った)またもともと新潮に掲載されていたものゆえに執筆者は小説家が多い。生活に執筆が組み込まれていてとても生々しく感じる。当たり前のことなんだけど、人によって書く時間や書き方が全然違う。自分が読んでいるものがこのように創作物として生み出されているのかと工場見学したような気持ち。パンデミック下で行動が制限されたとしても小説家のクリエイティビティに陰りはなく、抑制された生活しながら物語を紡いでいるのかという畏敬の念も抱いた。新作を読めてない作家の人もいたのでこれを機に読もうと思えたのも収穫、日記最高!

2021年6月22日火曜日

生まれ変わり

生まれ変わり/ケン・リュウ

 中華系SFを世界に流布した張本人であるケン・リュウの短編集3作目。当然のことながらクオリティの高い短編が揃っていてオモシロかった。印象的だったのは神々シリーズ三部作で人間の意識をサーバー上にアップロードする技術ができた後の世界を描いている。近年のSci-fiでよくあるタイプの話だと思うけど、戦争と絡めた一大スペクタクルに仕上がっていてページを捲る手が止まらなかった。(あとがきによると、これらは著者から三作まとめて掲載すべきというコメントがあったらしい)その前談の「カルタゴの薔薇」も載っていて、それがデビュー作であることから意識をアップロードするというのは著者の大きなテーマの1つなのかもしれない。
 一番好きだったのは「介護士」という話。介護をロボットが行うようになる未来と移民がになっている現在を対比させて、それらを繋ぐキーとなるのがCAPTCHAという普段接している技術なのがオモシロい。オチも落語のよう。エンディングがぶつ切りタイプの短編も好きだけどSci-fiは上手いこと言っているタイプが好き。「ランニング・シューズ」も似たような話でこれ読むと本当にスニーカー履くの心苦しくなる。ラストの「ビザンチン・エンパシー」はブロックチェーンによる中間搾取の排除の話で、慈善事業とスナッフVRを絡めて皆が言わないことをSci-fiという物語だからこそ語れるのだなと思えた。(現実の話になってしまえば生々しすぎて目も当てられない)作中で引用されていた荘子の言葉が混迷する日々に刺さったので引用。

もし人が百年生きられるなら、それはとても長い人生だ。だが、人生は病と死と悲しみと喪失に充ちており、一ヶ月のうち、大笑いできるのは、ほんの四日か五日かもしれない。時空は無限だが、われわれの命は有限だ。有限をもって無限を経験するためには、われわれはそうした突出した瞬間を、喜びの瞬間を、数えた方がいい。 

2021年6月19日土曜日

個人的な三ヶ月 にぎやかな季節

 

個人的な三ヶ月 にぎやかな季節/植本一子

  新刊出れば必ず読んでいる著者の日記。今回は2021年1-3月の日記で毎度のことながらとてもオモシロかった。自分とは全く異なる生活範囲の人がコロナ禍でどのような生活をしているのか?フルテレワークで家を出ず、基本人と会わない生活を続けている身からすると著者はとてもアクティブに思える。それを決してジャッジしたいわけではなく、アクティブに動いた結果、友人や仕事仲間など著者を含めた周りの人の生活を伺い知れるのが過去作になかったオモシロいところだと思う。仕事の種類によってインパクトは全然違うことが生々しく伝わってくるし、行動を拘束される息苦しさを打破するために友人と会い話をする。コロナ前では当たり前にあったことの重要さが伝わってきてこちらの心も晴れる気持ちだった。
 過去作からずっと読んでいる身からすると、やはり長女のスマートさに驚かされた。大人がなんとなく誤魔化しているところを一閃。それが芯をついていて全然嫌味がない。当然日記に書かれている彼女は断片的な存在で、著者の巻末の言葉を借りると「いない」のかもしれないけれど、どんな大人になっていくのだろうかと気になる。またこんな彼女が大人になって著者の作品を読んだときにどう思うのか。(もうすでに読んでいるのかもしれないが)あとはコロナ禍の小学生の生活のリアルがしこたま書かれていて、子どもたちがこれだけ我慢させられているのに「大人の運動会は盛大に開催したい」というのは死んでも受け入れたくないなと思えた。
 そして最大のテーマと言って過言ではないパートナーとの関係について。結婚制度自体に疑問を呈す著者と結婚したいパートナーのせめぎ合いとお互いの意見を交換していく過程がとてもスリリングだった。制度としての結婚だけがゴールではない、と口でいうのは簡単だけど、その実践は相当難しいことなんだなと感じた。でもなぜ難しいのかと言えば、それは社会の構造だったり周りの同調圧力なんだよなーという思考の無限ループに突入する。このループから連れ出してくれたのは卒業式の風景だった。日記で読んで、NHKの映像で見て、皆が自由に生きたらええねん!となった。
 自分との関係についてこれだけストレートに書かれた日記をパートナーが事前に読むことを拒むのは素直な反応だなと思った。しかしラストのあとがきで全てが昇華されながら本の装丁の物理的な仕掛けと連動していて心をグッともっていかれた。やっぱり日記は最高!

2021年6月15日火曜日

三体 死神永生

三体 死神永生

 中国SFの大きなうねりの中心に位置する三体三部作の最終巻。前作がハッピーエンドと取れなくもない終わり方だったので、どんな話になるか想像つかなかったけど超絶怒涛で最高にオモシロかった。スペースオペラという言葉がふさわしい作品。
 前作で描かれた面壁人作戦の裏で走っていたもう1つの作戦から物語は始まる。本作は合間合間に別視点をいくつか挟むものの、基本は程心という女性の主人公の視点で進んでいく。前回は楽観的なボンクラのルオ・ジーが面壁人として活躍したが、今回は悲観的なボンクラの雲天明が登場。安楽死というセンシティブなテーマにリーチしつつ儚い恋物語、まるで織姫と彦星のような関係で物語の最後まで駆け抜けていくところがオモシロい。序盤も序盤で雲天明が悲しすぎる形で宇宙へ射出されて、まー当然伏線回収あるんでしょうねと思いながら、いつくる?!と期待しながら読んでしまう。その理由としては前作の後半よりもキツい絶望があるから。水滴の暴力性は三体から直接もたらされたけど、今回は被支配下で起こる人間同士の嫌な部分が出てるから。しかもオーストラリアの中心部の砂漠エリアでキャンプしたことがあるので、その頃のことを思い出して何とも言えない気持ちにもなった。
 安楽死やジェンダー論といった現在進行形で議論が続いているテーマへの言及、配慮があるのも興味深かった。SF作家が未来を提示する仕事だとすれば著者は見事に仕事をまっとうしていると思う。さらにコロナ禍という平時ではない今、刺さるのは全体主義の話。地球外生命体が登場したときに全体主義が簡単に蔓延すると語られているのだけど、それはまさにコロナという人類共通の敵との戦いにおいて何度も見かけたので実感を伴って理解できた。
 結果的に進歩を諦める心が人類を危機に追い込んでいくわけで、向上心は大事だし未知の何かにトライする姿勢を忘れてはならない。過去作に比べて何度もこの点が強調される点が印象的だった。ただテクノロジー無敵!と言い切らない良さもあり、よくこんなこと思いつくな〜という著者の想像力の果てしなさにただ脱帽するしかなかった…エンジニアに出自があるにせよ、どういう脳みそしてたらこんなことを思いつくのか?
 あとエンタメ好きとしてアガったのは物語のアナロジーが世界を救う鍵となっているところ。何かを見たり読んだり聞いたりしたときに作者の意図を読み解く。これはエンタメの楽しみ方の1つだと思うけどガッツリ物語内の物語のメタファーを登場人物たちと一緒に考えるという仕掛けがユニークでオモシロかった。そこから二重三重の仕掛けと展開が用意されていてマジでスケールがデカ過ぎて上巻含めて過去二作も置いていかねない勢いだった。リアルタイムに読めたことが何よりも嬉しく数十年後に「三体で言ってたことが現実に!」と言える時代がくるのか。ここから著者の過去作のリリースも続くそうなので他のも読んでみたい。 

2021年5月23日日曜日

旅をする裸の眼

旅をする裸の眼/多和田葉子

 セールになっていたので読んでみた多和田葉子作品。映画に人生を狂わされた人の話でオモシロかった。ただ読書筋をかなり要する作品で読むの時間かかった…というのも主人公と映画の登場人物の人生をクロスオーバーして描いていくから夢か現か幻かといった塩梅で今どこの誰の話?となる場面がしばしば。題材となっている女優、映画の知識があれば高い解像度で読むことができて、さらに深いゾーンに辿り着けるのかもしれない。
 とはいえ本作がすごいのは主人公はベトナム人で舞台はドイツ、フランスだということ。ドイツ在住とはいえ日本人の小説でこんな作品を読めるのか、という新鮮さがあった。言葉も通じない頼れる人もいない、ほぼ難民のような主人公が映画に没入して役を演じる女優へ祈るかのごとく言葉を寄せる。周りに誰もいなくても映画さえあれば救われる。この気持ちは映画に人生を揺るがされたことがあればビシバシ伝わってくると思う。また序盤で冷戦の背景も時代性を感じることができた点も興味深かった。近過去だからあまり題材になっていない気がするけど、ドイツにとっては西と東で分断していたからかなり大きな出来事だったんだなと改めて。今年は多和田葉子を読んでいくことにする。 

2021年5月9日日曜日

正欲

正欲/朝井リョウ

 周りの信頼できる友人たちが読んでいたので読んだ。著者の作品は節目で読んでいて、それは大体いわゆる彼のダークサイドが存分に発揮されたもので、具体的に言えば「桐島、部活辞めるってよ」、「何者」。どちらも心の深いところをグリッとエグってくる作品だと思う。そして本作もこれらと並ぶ著者のダークサイド系の代表作になるだろう作品で相当オモシロかった。
 キーワードは「多様性」近年広く社会に浸透しつつあるが、この言葉の暴力性についてひたすら因数分解するような話。今、多様性の話をした場合にそこで否定的な議論が出ることはまずない。なぜなら十把一絡げに雑にまとめるのではなく1人1人の個性を尊重することが重要であり、みんな違ってみんないい時代だから。しかし本作では、個性の尊重というそれこそ十把一絡げな議論で良いのか?と延々と問い詰めてくる。しかも絶対的な社会悪とされているペドフェリアっぽい要素も交えていてギリギリのラインをついてきているので読者の価値観がぐらぐら揺らしてくる。つまり簡単にダメとも言い切れないし、いやいや完全にアウトでしょ!とも言える。「世の中で多様性が喧伝されていますが、それは何をどこまで包含する言葉なんですか?」と読んでいるあいだ、著者に胸ぐら掴まれている感じがした。
 本作では正直言って理解が難しい特徴をフィーチャーしてるものの違和感なく読み進められたのは著者が群像劇の名手であるからだろう。複数の人物を異常な解像度で書き分けて、それぞれの立場のディテールにこだわり、どの人物もすぐそこにいそうな実在感を強烈に放っている。そして特定の人物に安易に感情移入させない。常に読者を不安定な状態に置いて思考させてくるのが怖くてオモシロくてクセになる。
 マジョリティに身を置きたい、つまり普通でありたいという欲望があるとは限らない。マイノリティが感じる絶望を丁寧に書いている点が好きなところだった。誰しもなんらかの場面でマイノリティになることが必ず存在する。そのときに向けられる憐れみにも似た寛容のふりをした視線、態度には見覚えがある。それを「正欲」という言葉で表現してるのが言い得て妙だと思う。(そしてこの言葉は作品中には登場しないところもニクい)パンチラインだらけでマーカーしまくりだったのだけど、2021年5月の今こそ引用しておきたいラインをここに置いておく。

人間は思考を放棄したときによく「こんなときだからこそ」と言うんだよなと思った。

2021年5月4日火曜日

2021年4月 第5週

4月26日
 4月から担当になった仕事で久しぶりにヤバいやつに遭遇した。メールの文中で名前の漢字を1文字間違えてしまったんだけど、それをわざわざ修正して赤字下線で指摘された。この時点で相当キテるなと思ってたけど、13時ジャストで知らない番号から電話かかってきて、基本知らない番号は出ないのでスルーして電話帳で調べると、そのヤバいやつだった。で折り返したら、開口一番「なぜ電話に出られなかったのですか?」と詰めてきた。怖すぎる。若造のくせに俺に指示してくるとは何事や的な雰囲気ビンビンで電話でプレッシャーかけてきたけど、どうにかこうにかして説明して乗り切る…こいつは絶対パワハラしてると思う。
 その後、ずっと会議。人数の多い会議は発散していくので、とても難しいですね。このようにささくれだった心を癒すべく、マービン・ゲイのライブアルバムとKieferの新譜を聞いていた。癒し〜



4月27日
 連日の歯医者。良くなっているのか?あと1回行って終わり。そしてついにブルシット・
ジョブ読了。膨大なページ数をちまちまと心を痛めながら読んだ。これ読んだ上で何するねん、ということは働く上で重要だと思っている。
 夜は最近OPENしたらしいバインミー屋で夕飯。フォーもあったので、バインミーと一緒にいただいた。激ウマで引っ越すのが心惜しい…さまざまな国の人が住んでいるダイバーシティは飯が旨いということを気付かされた3年間だった。

4月28日
 会議で司会するという謎の仕事。絶対今やらなくてよくね?しかもやっても良い結果出えへんやん、ということを適当な言葉並べてやらせるスキルを垣間見た。
 ブルシットジョブで読書筋肉を鍛えられまくった結果、犬婿入りを光の速さで読了。多和田葉子ハンパじゃないことを味わった。他の作品も読んでいきたい。

4月29日
 GW突入。どこに行く予定もないので引越し準備をしたりテレビを見てだらだらしていた。買い物で街に出るとそこそこ人はいる。夜、ベトナム料理を食べ納め。この日はBGMが5lackの最新アルバムでそれだけでもぶち上がる。 稼がな稼がな〜なんとなくタピオカミルクティー飲んで帰宅。

4月30日
 今日でこの街も最後。歯医者前にATM並んでいるとおセンチな気持ちにもなる。そしてラスト歯医者。あとは被せて終わりらしい。このヤブ医者とも最後かと思うとおセンチ…にはならない。やっと終わったという気持ち。引越し先では良い歯医者でありますように。昼は餃子、夜はタンメンでという中華三昧で締め。明日は引っ越しなので早めに就寝。 

2021年5月2日日曜日

犬婿入り

犬婿入り/多和田 葉子

 献灯使以来の多和田葉子の小説。Kindleでセールされてたのと去年読んだエッセイがめちゃくちゃ おもしろかったので今年積極的に読みたい作家。まずはこの芥川賞受賞作から読んでみた。当人がドイツに住んでいることもあるかと思うけど、規格外、小説界のメジャーリーガーという風格を感じた。芥川賞を受賞したのはタイトル作。切れ目のない長い文が産むうねうねとうねっていくリズムがオモシロかった。そのリズムと現代版にアップデートした民話という組み合わせの相性も良い。
 芥川賞にどうしても気をとられるが、本著に収められているもう1つの「ペルソナ」という作品がめちゃくちゃオモシロかった。90年代にリリースされているので当時の話をモチーフにしていると思うのだけど今読んでもかなり興味深かった。人種差別がテーマになっていて大きく言えばドイツで生きる日本人の意識のありようの話。十把一絡げに「ドイツ在住日本人」と言っても考え方はさまざまで、そのギャップに苦しむ主人公の話がとてもナマナマしかった。エンタメの要素を強めてドラマティックにし過ぎることなく、ただそこにある風景として描いているところがストイックでかっこいい。文章がとても乾いているとでも言えばいいのか。ここが日本人離れしたメジャーリーガー感だと思う。自分も含め終盤にかけて、たたみかけるようなウェットさ(それは涙だろう)をありがたがる風潮がある中でこのストロングスタイルよ。個人的に一番うまいなと思ったのは変圧器の話。当時日本の家電を使う際には変圧器で電圧を変化させる必要があった。その電圧を変化させることが環境の変化、自分の態度の変化のメタファーになっている。不安定な電圧と自分の周りの環境の危うさ。まだまだ読んでない作品があるので楽しみたい。

2021年4月27日火曜日

ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論

ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論/デヴィッド・グレーバー

 もうタイトルを見たときにこれは読まねばならないと覚悟を決めつつも超分厚い上に電子書籍なしのストロングスタイルだった。しかし気づくと電子書籍が発売されており即購入してチビチビ読んで遂に読了。日々著者が言うところのブルシットジョブに直面しながら、ブルシットジョブに関する話を延々と読まねばならないのは苦痛を伴いつつ読んで良かった。
 そもそも本になる前に小論を発表していて、それが反響を読んだことから本になったらしい。この本のすごいところは皆が心のどこかで思っていたけど、相対的な視点で考えられたことがなかった点を練り練りに練りまくった論考が提示されていて興味深かった。ブルシットジョブの定義から始まり、ブルシットジョブの種類、ブルシットジョブがなぜ増えているのか?、ブルシットジョブと政治の関係など。そもそもブルシットジョブとは何か?本文の定義を引用する。

ブルシットジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。

 単純に嫌な仕事やしんどい仕事ということではなく、仕事のための仕事や完全に無意味な仕事をさせられることを意味している。自分の仕事も広い視点で見れば社会に貢献しているが、目の前の仕事は完全にブルシット!と言いたくなることが多い。官僚システムに巻き取られれば巻き取られるほどブルシットに遭遇する確率が上がっていくのは自分の仕事人生に照らしてみて実感を持って理解できた。市場原理と仕事のあり方の話が一番興味深かった。「そんなブルシットジョブを市場が許すはずがない」という反論が著者の元に来るらしいが、それに対してオバマケアなどを引き合いに出しつつむしろ市場維持のために存在しているのであるとカウンターを決めるのは鮮やか。またもし市場原理がはたらいているのであればエッセンシャルワーカー(本著でいうところのケアラー)の給料が高くならないとおかしいという議論も確かにと思えた。そういったケアラーは仕事自体の満足度、充実度は高くて社会に貢献している実感が強い。そういった充実感と給料は両立しないのだから給料安くて当たり前。こんな議論は刺激的すぎるけど、事実として眼前に存在するからぐうの音も出ない。さらにそれをサドマゾヒズムと結びつけてみたり。議論の展開がアクロバティックで最後辿り着くのはベーシックインカムというのも興味深かった。読んでいる間にメンタル削られるけど、読む前と読む後で自分の仕事との付き合い方を見つめ直せる良書。 

2021年4月26日月曜日

2021年4月 第4週

4月19日
 午後ほぼ全部会議で疲弊…昨年度にはなかった疲労感。やってる感出したいなら一人でやってろや案件だった。cold_brew_us聞いて朝井リョウの最新刊がめっちゃオモシロそうなので読まないとなーと思う。相当クラシックっぽいので本でいくか電子書籍でいくか。。。
 引っ越しで物を詰めているのでデスク周りが簡素になっているのだけど、ちょうどイイ気がする。普段物多すぎて汚すぎるのだなと反省。
 AJ Tracyの新譜がテンションぶち上げ系で最高。UKは本当に独特のヒップホップカルチャーが形成されているのだなと思う。一聴して「これUKっしょ?」と分かる感じ。こないだのchipも然り。ダンスビートとの融合が本当に素敵。



 ポッドキャストをリリース。学びに関して色々教えてもらったので勉強へのモチベーションに困っている人は是非。Shownotes/Apple podcast/Spotify
 夜、ホタルイカを食す。春の味覚。あと奥さんがコウケンテツのテバニラを作ってくれてとても美味しかった。

4月20日
 5億年ぶりの出社。契約関係の書面はなかなか電子化が進まないので出社せざるを得ない。今年度初めてでの出社で、ついにフリーアドレス制になっていた。隔世の感。昼食は近くの公園で弁当を食べる。気分転換には最高だった。また家で仕事するよりもプロダクティビティが何倍にも向上したので、たまに行くのはいいのかもしれない。
 仕事終わりに寿司へ。せっかく出社するので久しぶりに行ったらとても美味しかった。お酒頼むときに「まん防でお酒は19時半ラストオーダーなんですよ」と言われた。「まん防」が日常に侵入してきている。

4月21日
 会議がめっちゃ多くてイヤホンで耳が痛くて骨伝導イヤホンを遂に導入。これはもっと早く買っておけば良かった。買ったのは2020 OpenMove AfterShokzで一番エントリーモデル。マイク内蔵はされているので、これで十分だった。
 Rudebwoy FaceのJAM DOWNというアルバムがChillくてめちゃくちゃ良かった。ローファイなビートとレゲエの組み合わせが想像を超える組み合わせでかっこいい。こうなるとGreen Assassin Dollarとのコンビネーション見てみたい。



 夜、職場の送別オンライン飲み会。(オンライン飲み会とか死語ですね。)こういうときは自分の話したがるおじさんの存在が大変ありがたい。ただし、なんとなくやり過ごすには2時間は長すぎた。

4月22日
 友人から色々と音楽を教えてもらう。J'KyunのEPがめちゃくちゃかっこよかった。タイトルは Cats, Coffee & Synthesizerというタイトルがおもろいなーと思ってたけど超グッドミュージック。今の季節にぴったりの音楽で無限リピートしながら仕事してた。
 Moment Joonが出演したいとうせいこうと渋谷陽一のポッドキャストを聞く。この3人で話しているのが信じられない。紙、映像の媒体では編集されてしまうだろう部分がボロッと生で出てるのがかなりオモシロかった。ゲートキーバーという言い方をしていたけど、そういうリアクションが少ないのは同じことを思っていたので、やっぱそうよなーという感じ。Jポップ化しているわけではなく、ストリクトにヒップホップを追求したら無視するんかい!という。

4月23日
 ハンコを押せる人が出社していると聞きつけてスクランブル出社してハンコだけもらう。出社すると道中で音楽や本に集中できるのがよい。今日はPENOMECOという韓国のシンガーのアルバム。めちゃくちゃイイ…昨日のJ'Kyun然り韓国におけるアーバン路線のR&B、ポップスの成熟度はもう日本の音楽とは天と地の差があり、毎回どの曲を聞いてもどれもハイクオリティで驚く。

 仕事帰りに歯医者。あと1週間で引っ越すと伝えたからか治療長めだった。来週で最終回。友人、家族の皆からヤブと言われているのでヤブにしか思えなくなっているプラシーボありつつ若干痛いんだけど!

4月24日
 引っ越しまでちょうど1週間なので準備もろもろ。部屋が段ボールで埋め尽くされていく感じからして寂しさ出てくる。夜、蕎麦屋へ。緊急事態宣言が明日から発令され酒が禁止になる。それもあって駆け込み需要で店はいっぱい。静かな店なのでギリギリセーフという感じ。道中のお店でマジか?的な賑わいと密なお店もあり。明日からは20時に消灯です。

4月25日
 朝食で台湾料理を食べに自転車でサイクリング。ここも見つけてから二度目でもっと来ておけば良かったなーと思う店の1つ。一昨年行った台湾へ思いをはせつつ、鹹豆漿、魯肉飯、豆花で大満足。その近くにあるスペシャリティコーヒーの店でchill.横で老婆のグータンヌーボが繰り広げられていて、なまなましい金の話と噂話をしていた。
 一旦帰宅して引っ越し準備を昨日に引き続きもろもろ。東京に来たときに買った机を手放すことにして今日粗大ゴミとして出した。DJセットを置いていた机を仕事デスクにしてオーディオはDJセットではなくアナログ聞くように設定する予定なので処分した。長い間使っていたので感慨深かった。
 夜、日比谷野音でGrapevineのライブへ。緊急事態宣言中なのでどうなることか思ったけど開催された。前のZORNのときよりは野外だし年齢層もだいぶ上なので大丈夫かと判断して行ったら、3/4ぐらいの客入れで見た目にはほぼ満員の状態。野外でデカい音で音楽を聞くのがこれだけ楽しいことだったのかーと思えるライブだった。雨の予報だったけど降ることなくちょうど良い気温で最高だった。先週Apple musicにある隠れた名曲のプレイリストを聞いていたのだけど、そこからの曲が多かったらしい。好きな曲はあるけどロックになると曲名と曲内容が紐づかない。これも年齢なのかもしれない。新曲も3曲ほどあってかなりギターバリバリ系で個人的には最近の三作くらいのオルタナ感が好きだったので、新作どうなのか。不安半分期待半分。というかこれだけ何に影響を受けてこうなったか分かりにくいバンドがいるのだろうか。メンバー各人が何を聞いているのかめちゃくちゃ知りたい。で深夜に出た新曲がとんでもなかった…隙間のファンク。UserのGood Kisserとか思い出した。アルバムが死ぬほど楽しみになりつつ就寝。