2016年5月31日火曜日

ヒメアノ〜ル



<あらすじ>
平凡な毎日に焦りを感じながら、
ビルの清掃のパートタイマーとして働いている岡田は、
同僚の安藤から思いを寄せるカフェの店員ユカとの
恋のキューピッド役を頼まれる。
ユカが働くカフェで、高校時代に過酷ないじめに
遭っていた同級生の森田正一と再会する岡田だったが、
ユカから彼女が森田にストーキングをされている
事実を知らされる。
映画.comより)

森田剛が殺人鬼役?!ということで見てきました。
古谷実の原作も事前に読んで、
とても楽しみにしていたんですが、
これは…!な作品で最高でございました。
原作の設定や大まかな事態は残しつつ、
映画版オリジナルな部分も多く、
原作を読んでいても楽しめる作りになっていました。
とにかく森田剛!この一点突破です。
アイアムアヒーロー然り、
今年はバイオレンス系の邦画が豊作な年かもしれませんね。

※ここから盛大にネタバレして書きます。

監督である吉田恵輔は大好きな監督の1人。
もともとコメディとか日常系は抜群で、
さんかくやばしゃ馬さんとビッグマウスはおすすめです。
前半はそんな彼の持ち味を発揮しまくりで、
濱田岳演じる岡田と会社の先輩でムロツヨシが演じる安藤が
1人の女の子(ユカ)を巡ってテンヤワンヤするラブストーリー。
後半は森田剛が本格的に登場し、
猟奇的殺人がしこたま繰り広げられるサスペンス。
極めてアンバランスなんだけど、
実際原作もこのバランスだし
そのギャップが笑っちゃう。
まず前半ですが、とにかく岡田と安藤の
しょうもないやり取りが延々続きます。
正直、ムロツヨシのあのしゃべり方は、
記号としてのオタクのデフォルメが強過ぎて、
はじめは苦手だったんですが、
コメディに振り切ったときは良かったです。
とくに岡田と安藤とユカの三角関係が
決定的になる公園のシーン。
絶叫の見事なカットバックの乱れ打ちは、
めちゃめちゃ笑いましたねー劇場も超盛り上がってました。
前半の段階で森田剛演じるシリアルキラー森田は
登場していて不穏な空気を醸し出しています。
岡田と森田は高校時代の同級生で、
森田は高校でひどいイジメに遭っていたことも示されます。
ユカを前から殺そうと狙っていた森田は、
彼氏になった岡田が邪魔でしょうがなくなり、
彼を殺すことを決意します。
この時点から後半に移っていくんですが、
やっと物語が始まったと言わんばかりに
タイトルやキャストのクレジットがここで登場!
予告編も似たような作りでしたが、
本編も全く同じ流れなのにはビックリしました。
まるで「お遊びはここまでだ」と森田が宣言したかのよう。
後半の始まりから殺人が加速度的に増えていく訳ですが、
最初に同級生でいじめっ子をともに殺した共犯の、
和草とその彼女を殺す場面があります。
森田が和草を殺すシーンと、
岡田がユカとセックスするシーンを
交互に展開していくんですが、
つまり森田には殺人欲なるものが存在し、
それは性欲と似たようなものってことを 画で見せてくれます。
シリアルキラーって本当に無動機だと乗りにくし、
かといって、心情を自ら吐露されることほど
冷めるものはないですよね。
原作では森田のこの心情が文字で書かれているんですが、
映画ならではの見せ方で素晴らしかったと思います。
(和草コンビがサイタマノラッパー1,2な配役なのもナイス!)
後半は森田の逃避行と躊躇なく人を殺すシーンが
矢継ぎ早に展開され完全なる森田剛無双!!
ジャニーズのタレントがここまでやれんのか、、
と漢気を感じざるを得ない展開の連続に息を呑みました。。
死体を前にマスターベーションしたり、
女性をレイプしようとして使用済み生理用品投げたり…
基本の武器は包丁なんですが、
その刺し方の狂気っぷりが全然笑えないレベル。
刺すシーンの見せ方がすごくて、
手持ちカメラでワチャワチャするシーンもありつつ、
カメラを引いた状態で刺しまくる様子を
モロに見せるというのも結構フレッシュでした。
引いた画のほうがエグ味が伝わってくるというね。。
原作と最も異なるのは森田と岡田の関係性です。
本作ではいわゆる「元友達」という扱いになっていて、
物語が収束する先も、その設定を生かしたものになっていました。
僕が疑問に思ったのは学生の回顧シークエンスで、
本人たちが学生役をそのまま演じていたこと。
さすがに厳しくないですか?30歳近くの人が学生役なの。
本人が学生役を演じることで、
森田のルサンチマンへの共感は増幅したんですけど違和感大。
森田の人間性をギリのところで残したのは、
吉田監督の優しさなんだろうなと思いました。
タレントの人が刺された事件が起こったりしましたが、
アイドルだろうが、シンガーソングライターだろうが、
そんな肩書きなんて関係なく危険は平等に存在することを
教えてくれる皮肉なタイムリー性を孕んでいるので、
森田剛の勇姿をスクリーンで拝むべし。

2016年5月28日土曜日

海よりもまだ深く



<あらすじ>
15年前に文学賞を一度受賞したものの、
その後は売れず、作家として成功する
夢を追い続けている中年男性・良多。
現在は生活費のため探偵事務所で働いているが、
周囲にも自分にも「小説のための取材」だと言い訳していた。
別れた妻・響子への未練を引きずっている良多は、
彼女を「張り込み」して新しい恋人がいることを知り
ショックを受ける。ある日、団地で一人暮らしをしている
母・淑子の家に集まった良多と響子と11歳の息子・真悟は、
台風で帰れなくなり、ひと晩を共に過ごすことになる。
映画.comより)

是枝監督最新作ということで見てきました。
近年のドライブ具合はハンパじゃなくて、
どの作品もとにかくオモシロい!!
ということは皆さんご存知の通りです。
そして今回も最高最高な作品でした!
これまでの作品とかなり毛色が異なっいて、
めちゃめちゃ笑わせてくれる作品で、
こんなのもイケるのか…と引き出しの広さに驚いた次第です。
理想とは程遠い人生を送り、
何者にもなれない大人は不幸なのか?
不確かな人生にもある幸せ、豊かさを教えてくれた気がします。

※ここからは盛大にネタバレして書きます。

本作のメインの舞台となるのは団地。
是枝監督は以前から団地を舞台にした
映画を撮りたいと考えていたものが実現した形。
冒頭は当然団地内でのショットから始まります。
ここで登場するのが樹木希林と小林聡美。
2人は親子で他愛もない会話をする、
日常がそこで繰り広げられます。
2人とカメラの距離感やベランダが見えるショットから、
セットじゃなくて本物の団地で撮影していることが
よく分かる作りになっていました。
とにかく本作の魅力は役者陣の魅力と
断言できるくらい出演者全員が
スクリーンで躍動しているんですよね。
役者の奏でるアンサンブルとはまさにこのこと。
適材適所で皆がピッタリはまっているし、
団地という舞台、「日常」の作り込みの丁寧さも伴い、
それぞれが超有名俳優にも関わらず、
恐ろしいまでに「すぐそこにいる」感じがしました。
今回の樹木希林は見たことがないくらいの無双状態。
主人公の阿部寛の母親役で最近旦那を亡くしたばかり。
(小林聡美は阿部寛の姉役)
お節介と言うべきか、世話焼きと言うべきか、
母親、祖母あるあるを軽やかに演じていて、
それがめちゃめちゃオモシロくて最高最高!
最初に阿部寛が母親の元を訪ねた際に、
カルピスで作ったシャーベットを出すんですが、
その器がモロゾフのプリンの器っていうところに、
個人的にグッときてしまいました。
(おばあちゃんの家には必ずモロゾフのグラスがあるから)
そして本作の主人公である阿部寛。
僕が本作で一番好きなキャラクターです。
小説家として一度日の目を見たゆえに
プライド(意地)が高くて口だけは達者で、
弱いものには強く出るけど、強いものには丸くなる。
母親の過干渉をめざとく感じていないし、それを甘受している。
前半で樹木希林が放つ、
実がならないけれどひたすら大きくなっていくだけの
みかんの木の例えを実でいく男。
かつて、ここまでダメなやつはいただろうか?
というくらい世間基準で見れば徹底的なダメンズ。
(したのか/していないのか?からの強襲は爆笑した)
そんなダメンズ見てられるか!自業自得だ!
と思う人もいるかもしれませんが、
そのダメダメっぷりを徹底的に笑いへと
変換していくがゆえにイライラしないで、
ずっと見ていられるのかなーと思いました。
楽天主義なんだけど過去に生きてしまう男の性。
確かに懐古主義な話って女性から、
あまり聞いたことがないかもなーと思ったりしました。
(対比としての油絵の例えは秀逸)
僕がとくに好きだったのは
池松壮亮と阿部寛のじゃれ合い、年の差バディ感。
どうしよもない先輩とは思っているけれど、
その姿を温かく見守っている感じが好感大。
ハナレグミが歌う本作の主題歌のPVの主人公を
池松壮亮が演じていましたが、
映画見た後だと 泣いてしまうんやで…
会いたくなったら会いに行く。。。



また、本作は無数のパンチラインが
埋め込まれているのも特徴的な作りだと思います。
物語と呼応しながら嫌味なく、
観客の胸に言葉が突き刺さってくる。
これは主人公が作家であり、
彼もまた言葉を探す職業であるという
物語的な必然性も伴っているところに関心しました。
「あきらめなければ必ず夢は叶う!」みたいな、
紋切型のヘドが出る自己を啓発する美辞麗句をつまみ食いして、
アホみたいな顔してるやつに煎じて吐くまで飲ませたい。
タイトルにもなっている「海よりもまだ深く」は
樹木希林が放つセリフの一部なんですが、
照れ隠しを後で入れることで、
物語全体の軽やかさを担保する象徴的な場面。
この幸福論にひたすら共感していました。
現在放映中のNHK朝ドラのとと姉ちゃんでも
同じようなテーマが扱われています。
他人のことばかり気にするのではなく、
日常の中にささいな幸せを見つけることや、
求めてばかりではなく自分の身を犠牲にしなければ、
幸せは手に入らないかもしれないという利他性が大事であると。
軽やかさという点でいえば、
劇伴が非常に重要な役割を果たしています。
担当しているのはハナレグミ。
詳しくはインタビューを読んでいただければと思いますが、
小気味いいんですよねぇ常に。
ダメかもしれないけれど、それもまた人生じゃん。
って音楽からも伝わってきました。
終盤は台風という非日常がもたらす家族の時間が描かれます。
僕は皆でカレーうどんを作るところで、
このまま皆で幸せに暮らしたいいじゃない!と泣いてしまいました。
ZIPロックの作り置きのカレーなのも最高。
あとは団地ならではの視点の配置。
阿部寛は椅子で、真木よう子&子どもは床に座っているし、
団地は広くないから、それぞれ別の部屋にいる。
絶対にこの3人が同じ方向に向かう、
つまり一緒に過ごすことはないんだなぁと
画面で直感的に分からせる是枝監督の技量に感服。
だから真木よう子vs樹木希林はとても切ない。
戻らないとわかっているけれど、
同じ部屋に布団を準備するという
下世話な伏線だけれども。
一縷の希望にかけたくなる樹木希林の気持ちが
痛いほど伝わってくるんですよねー
綺麗事だけでは幸せになれない世界。
そんな中でも一瞬なら向き合えることを示すのが、
夜の団地の公園での家族水入らず。
ここでの「何者論」もとても興味深かったです。
ラストの硯のくだりはぐっときたし、
あれがなければ本当のクズ野郎になってしまうところ。
タイトルが筆字なのはそれゆえだし、
文字が人を表すということも示唆しているし、
オープニングとも繋がるしで鳥肌立ちました。
ボンクラ男子必見の映画。

2016年5月23日月曜日

下品こそ、この世の花

下品こそ、この世の花: 映画・堕落論 (単行本)



映画監督である鈴木則文氏のエッセイ集。
以前に東映ゲリラ戦記という作品を読み、
とてもオモシロかったので読んでみました。
東映ゲリラ戦記は作品の舞台裏が中心だったのに対して、
本作は鈴木監督の映画を含めた物事に対する
考え方が書かれていて、本作も興味深かったです。
70年〜80年代に様々な雑誌に掲載されていたエッセイを
章ごとにテーマ立てて再編集しているんですが、
彼やその周辺人物のパンチライナーっぷりが秀逸。
なかでも内田吐夢監督の
「感覚の爪を研ぎ、論理の牙を磨け」はたまらない!
映画は稼げてナンボという
商魂のたくましさを感じる文章があれば、
繊細な「戦後」に対するまなざしがあったり。
自らを「カツドウヤ」と呼び、映画作りはサービス業であると
気持ちが良いほど割り切っているのは、
名作「トラック野郎」を生み出した原点と
言えるかもしれません。
結局1作目しか見てないから、今年中に全部見たる!!
と本作を読んで決意を新たにしました。
最後に一番好きだった「にっぽんヤクザ映画論」から、
土曜日のレイトショーでなぜ映画を見るのか語っている、
一節を引用して締めたいと思います。

土曜日の夜といえば、日曜の休日を前にした
のびやかで楽しかるべき団欒の夜である。
その夜をー深夜映画でわずかに慰める人々。
日曜日の半分以上を寝なかった夜のために
泥のように眠る人々。
日曜日なんかどうでもいい人々。
貧しい木造のアパートの一室に、下宿に、
家族がひしめく小さな家に、繁栄の擬制から
こぼれ落ちてどうしようもない脱落感と孤独と、
何かふと叫び出したいようなうっ積 ……そして殺意!

2016年5月21日土曜日

ヘイル、シーザー!



<あらすじ>
1950年代のハリウッド。あるメジャースタジオの命運を賭けた
超大作映画「ヘイル、シーザー!」の撮影中、
主演俳優で世界的大スターのウィットロックが
何者かに誘拐されてしまう。撮影スタジオは混乱し、
事態の収拾を任された何でも屋が、
セクシー若手女優やミュージカルスター、
演技がヘタなアクション俳優ら個性あふれる俳優たちを巻き込み、
事件解決に向けて動いていく。
映画.comより)

コーエン兄弟監督最新作ということで見ました。
前作のインサイド・ルーウィン・デイビスが
とてもオモシロかったので期待してました。
本作は良い意味でいえば読み解きがいがある、
悪い意味でいえば分りにくい、コーエン兄弟っぽい作品。
僕は1回見ただけだと全部咀嚼しきれていないと感じました。
映画にまつわる話なので、映画好きにはオススメしたいです。
僕が見た回ではおじいさんが途中退場していましたが…

※ここからは盛大にネタバレして書きます。

ジョシュ・ブローリンが主演で、
彼が演じるのは映画スタジオのプロデューサー。
様々な作品を自らがコントールしています。
そんな彼のスタジオでの仕事がメインプロットに据え、
試写室、事務所、撮影現場を訪れて、
作品の進捗状況をチェックする様子が描かれます。
前半の段階で彼の担当している複数の作品について、
結構な情報量が前置きなくブッ込まれるので、
そこに付いていくのが結構大変でしたし、
一応「誘拐」という起伏のありそうな展開があるんですが、
基本的に淡々と仕事する様子を描いているだけなので、
退屈と感じてしまうかもしれません。
本作が取り扱っているテーマが主に
宗教(キリスト教)、映画、資本主義(共産主義)の3つ。
まず宗教なんですが、この点は知識が無くて、
ルックの部分でしか理解しきれず…
キリスト像のショット、教会での懺悔から始まる点や、
タイトルとなっている、Hail, Caesal!は本作内で作られている
キリストを描いた作品という点が挙げられます。
僕が好きだったのは時代考証として、
カトリックやユダヤといった様々な人を呼んで、
「一番皆に受け入れられるキリスト像にしたい」
というジョシュのリクエストを皆で議論するシーン。
ここで描かれているのは公平公正なんて存在しないということ。
誰かにとって都合の良いことは誰かにとって都合が悪い、
当たり前といえば当たり前なんですが、
エンタメでも政治でもそれが共通理解されていない
状況を鑑みると、とてもオモシロいシーンだなと思いました。
上記内容も関わってきますが、
メインテーマとなるのが映画を作るということ。
映画に関する映画というメタ構造を生かしたタイトルから始まり、
それぞれ特色のある様々な現場を観れるのが楽しい。
僕が一番好きだったのはロデオ俳優のシークエンス。
はじめに馬を使ったとんでもないアクションを見せてから、
繊細な芝居を要求される現場へ移動してからが最高最高!
彼の大根っぷりは当然のことながら、
何よりもローレンス・ローレンツ監督ですよね。
何回やんねんっていうしつこいボケがたまんなかったな〜
このロデオ俳優は悲しい気持ちになるシーンもあって、
彼女と自らの映画を試写会で見るんですが、
感動的と本人は思っているシーンで、
会場では爆笑が巻き起こる。
彼が苦笑いするだけなんですが、
作り手の意図と観客が受け取るものは
必ずしも一致しないということを見せてくれます。
また、彼女との食事でスパゲッティを使った、
超くだらないシーンがあるんですが、
「これがホンマのスパゲッティ・ウエスタンや!」
というくだらなさも良かったです。(1)
主演のジョシュ・ブローリンの葛藤は心に刺さるもので、
彼はロッキードからリクルートされていて、
今よりも楽な生活で高給取りになれるけれど、
本当にそれでいいのかと悩んでしまう。
好きなものと 現実を天秤にかけて、
一体どちらを選択するのかという点は興味深かったです。
スカーレット・ヨハンソンのやさぐっぷりも笑えたんですが、
ジョナ・ヒルの使い方がもったいなかった。。。
そして21ジャンプストリートシリーズで、
そのジョナ・ヒルの相方であったチャニング・テイタムは
超美味しい役どころでした。
セーラー服でダンスを踊りまくるし、
共産主義への転がり方が超くだらない!
ここでドルフ・ラングレンが出ていた事実も驚愕。(2)
資本主義と共産主義というのも大きなテーマ。
ジョージ・クルーニー演じる俳優が
共産主義者に誘拐されてしまいます。
これが全くシリアスでないのが笑えるし、
なんならジョージは洗脳されて、
身代金の分け前を貰おうとまでする。
この共産主義者の面々は映画関係者で、
いかに彼らの作品がヒットしようが、
スタジオが儲かるだけで、俺らは搾取されている!
という思想がベースにあって。
これはエンターテイメントをメジャーでやることに
伴う積年の恨みなのかなーと穿ったりしました。
(スタジオ名はCapital Studio)
 共産主義者に脳を洗われたジョージが、
その浅〜い理論をジョシュにぶつけるところが良くて、
「映画でメシ食ってるテメエが
ゴチャゴチャ言ってんじゃねえ!」
と本気で往復ビンタするシーンが映画愛に満ちてて最高。
この後、ジョージが迫真の演技を
見せることからも分かるように、
システムに文句言う前に自分の役割を必死でこなすこと、
その大切さを説かれたような気がしました。
コーエン兄弟作品は未見の作品が多いので、
他にも色々見ていきたいと思います。

64 ロクヨン 前編


<あらすじ>
わずか1週間の昭和64年に発生した
少女誘拐殺人事件・通称「ロクヨン」。
事件は未解決のまま14年の時が流れ、
平成14年、時効が目前に迫っていた。
かつて刑事部の刑事としてロクヨンの
捜査にもあたった三上義信は、
現在は警務部の広報官として働き、
記者クラブとの確執や、刑事部と警務部の対立などに
神経をすり減らす日々を送っていた。
そんなある日、ロクヨンを模したかのような新たな誘拐事件が発生する。

数年前に友人から原作を猛プッシュされて、
そのまま放置したままドラマ化され、
そして 現状日本最高峰の俳優を集結させて、
前後編でついに映画化ということで見てきました。
原作未読ということもありますし。
ミステリーですから後編も見なければ、
なんとも言えないということもありますが、
相当キツかったです…
豪華俳優共演!な見所もあるにはあるんですが、
それでリカバーできないほどに
お話、演出に問題があると感じました。

※ここからは盛大にネタバレして書きます。

冒頭で本作の中心となる、
昭和64年に起こった少女誘拐事件の
シークエンスから始まります。
この時点で主演級の俳優が
つるべ打ちで出てくるので期待は高まりまくり。
とくに佐藤浩市×三浦友和の刑事コンビは
出てきた瞬間にウォー!と興奮。
あとは何といっても永瀬正敏。
本作で彼が一番好きでした。
誘拐された女の子の父親役なんですが、
橋に向かって車で折り返すときの顔が
とにかく最高最高!マッドネス!
この事件は身代金が犯人に取られて、
娘は殺されるという最悪の結果に終わり、
タイトルが出て物語が本格的にスタート。
前編でひたすら語られるのは
1. 記者クラブとの対話を通じた犯罪報道の倫理と
2. 64回りで起こる警察内部のいざこざ。
事件の核心に迫るサスペンス要素は
ほとんど言っていいほどありません。
上記に述べた内容が後編の伏線だと信じているんですが、
それにしても超ツマんないんですよねぇ。。
まず、こんだけ豪華な俳優を用意しといて、
俳優配置のバランスが悪過ぎると思います。
メインとなるのは坂口健太と瑛太で、
2人とも超嫌〜な感じの記者で素晴らしかったです。
しかし、人数集めというかルックとして
記者クラブという集団を担保するための
あくまで書き割りであって然るべき残りの俳優が
結構前に出てきて物語を進めていく役割を担う。
演出が下手くそなのか、彼らが話し始めると
「TVドラマの再現ドラマかよ!」
って言いたくなってしまうですね。
だって他が超豪華だから。
しかも、この記者クラブ絡みの話は
全体の半分くらいを占めているわけだからキツい。
またここで議論されている容疑者の実名報道のあり方ですが、
僕は不勉強でその背景や実状について知らないから
必ず実名報道であるべきだ!という記者クラブ側の主張も
警察広報部が示す譲歩に対しても賛成も反対もできず、
非常に感情移入しにくいことになっていました。
これは終盤に明らかにされるんですが、
64事件は昭和天皇崩御のニュースによって、
事件自体がほとんど報道されなかったという
報道と事件の因果関係が存在します。
せめて、それを最初に提示しておけば、
少しは乗っていけたかなーと思います。
演技という話でいえば、
豪華な男性俳優の中で紅一点の女性が榮倉奈々。
本作の監督である瀬々敬久監督が、
過去に撮ったアントキノイノチを彷彿とさせる地獄。
あくまで個人的な感想なんですが、
綺麗事野郎としての言動が逐一イライラさせられました。
もう1つの要素である警察内部のいざこざは
パワーゲームとしてオモシロかったです。
奥田瑛二、三浦友和の風格がたまらなかったし、
とにかく主演の佐藤浩市があまりにも不憫過ぎる!
こんなに追い込まれている中で、
自分のためではなく他人のために生きようとする、
その心意気や良しなんですが、少し演技が冗長過ぎたかな。。
後編の予告編が最後に流れたんですが、
どこまで期待できるのか、、、と不安を覚えましたが、
とりあえず先に原作を読んでしまってから
後編を見ようと思っているところです。

2016年5月17日火曜日

カルテル・ランド



<あらすじ>
メキシコ、ミチョアカン州の小さな町の内科医ホセ・ミレレスは、
地域を苦しめる凶悪な麻薬カルテル「テンプル騎士団」に
対抗するべく、市民たちと蜂起する。
一方、コカイン通りとして知られるアリゾナ砂漠の
オルター・バレーでは、アメリカの退役軍人ティム・フォーリーが、
メキシコからの麻薬密輸を阻止する自警団
「アリゾナ国境偵察隊」を結成。
2つの組織は勢力を拡大していくが、
やがて麻薬組織との癒着や賄賂が横行するようになってしまう。
映画.comより)

メキシコ麻薬戦争ブーム到来か!
と言わんばかりに立て続けに関連作が
公開されている最近ですが、そのうちの1つ。
(こないだクレイジージャーニーというテレビでも
潜入レポが放送されていましたね。)
ハート・ロッカー、ゼロ・ダークサーティーの
キャスリン・ビグローが総指揮を務めた
ドキュメンタリーということで見てきました。
メキシコ麻薬カルテルのドキュメンタリーといえば、
皆殺しのバラッドがありましたが、
それよりも事態ははるかに複雑だし、
これはドキュメンタリーなのか?
と言いたくなるレベルの話、映像の数々に
頭がクラクラしました。
この問題がどうやって終結するのか、
そもそも終結しないかもだけど …
定期的に関連作を見ていきたく思いました。

※ここからは盛大にネタバレして書きます。

すげー悪そうな人たちのインタビューから始まり、
彼らが暗闇の中でもぞもぞ作業をしています。
そこで作られているのがメタンフェタミン。
彼らは化学を学んだアメリカ人親子から
製法を教えてもらって自分たちで
作ることができるようになったと
意気揚々とカメラに向かって語ります。
これはメキシコ麻薬カルテルも描いた
ブレイキング・バッドと似たような
シチュエーションということで度肝を抜かれました。
フィクションでも何でもなくて、
現実で起こった、起こっている話なんだと。
また彼らの化学物質を取り扱っているとは思えない、
まるで野外料理のような作り方もillness全開で最高。
本作はカルテル側の視点ではなく、
麻薬カルテルの被害者であるアメリカ、メキシコ両国の
それぞれの自警団について描いた作品です。
前半はいかに麻薬カルテルが残忍か、
そして、いかに市民が蜂起して自警団として
立ち向かっていったかを描いています。
アメリカ側はアリゾナ州の国境で
カルテルの斥候隊を駆逐しようと自警団が活動しています。
トランプが「万里の長城作ったるわ!」と言ってたり
先日見たボーダーラインでも国境付近での
緊迫した戦闘シーンが描かれていたとおり、
アメリカとメキシコの麻薬をつなぐパイプライン。
国境警備隊はいるものの、それだけではダメだと言い、
自らパトロールして何とか密輸を阻止しようとします。
正直、このアメリカのシークエンスは
大したことがないというか、
メキシコで起こっている過激な事態と比べれば、
牧歌的にさえ見えてしまう。。。
そのぐらいメキシコのシークエンスが強烈!
(という意味で良い比較対象にはなってるかも)
まず政府、警察はろくに機能していない状態で、
女性、子どもとか関係なく、
刃向かったやつは残虐な形でぶっ殺す、
それがメキシコ麻薬カルテルスタイル。
もはや自分たちで身を守るしかなくなった
市民は自警団を結成し、
カルテルに奪われた街を徐々に取り戻してきました。
その中心人物が自警団のリーダーである、
町医者のミレレスという人物。
この人は非常にカリスマ性があるというか、
人の心を掌握するのに長けているのが
よく伝わってきました。
本作がぶっちぎりで特別な作品であるのは、
果敢にカルテルと自警団が実際に戦っているところに
潜入しまくりな点です。リアルガチPOV!
カルテルの残酷行為は事後の結果として
写真やインタビュー等で提示されるんですが、
自警団に密着しているため、
彼らの行動は基本的に生の映像で迫力が凄まじい!
酒場で飲んでいたカルテルのメンバーを
捕まえるシーンがあるんですが、
編集なしの撮って出しゆえの生々しさ!
自分自身や家族が被害に遭っているんだから、
ボコボコにするのは当然なんですが、
暴力 vs 暴力の不毛さが徐々に漂い始める後半。
ミレレスが飛行機事故で大怪我してしまい、
リーダー不在の自警団は徐々に空中分解し始めます。
もともとはカルテルから市民を守ることを
大義としていたんですが、
自分たちの暴力に陶酔するかのごとく、
その行使先が一般市民に向けられてしまいます。
濡れ衣着せられて、拉致られて、
「てめぇカルテルの人間じゃねーの?!!」と
因縁を延々つけられるという地獄。
あれ?自警団とカルテルの違いって …?
となってからは、もう何が本当で何が嘘か分からない、
人間同士の駆け引きが繰り広げられます。
証言ベースで証拠がないから完全に都市伝説の部類。
結局のところ、こないだ見たシビルウォーと
同じような展開になるのが、
オモシロいなーと思っていたのも束の間、
ラストにボムが仕込まれていました。
ビグロー節というべきか、何も解決してないし、
何が問題なのか分からなくなる悪夢。
ミイラ取りがミイラになるとはこのこと。
貴重な映像になると思うので
大きなスクリーンで見た方がいいかもね!

2016年5月14日土曜日

灼熱の魂



ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作品。
複製された男、プリズナーズ、
そして最新作のボーダーラインと
どれもオモシロい作品ばかりなので、
フィルモグラフィーを追う流れで見ました。
レバノン内戦を題材にしているため、
過去に見たどの作品よりもハードでした。
本作は驚天動地のラストが待ち受けているので、
それを体感するためには事前情報もなしに見て欲しいです。
ストーリーとしては母親が亡くなり、
双子の息子/娘が遺言にしたがって、
今まで存在を知らなかった父親と兄を探す中で、
母親の過去を知っていくというお話。
母親の過去と捜索する息子/娘を交互に描いていくんですが、
母親の人生のあまりの過酷さは言葉を失う他ありません。
そして、その母親を探しに母親の故郷を訪れると、
彼女の評判の悪さを聞かされる娘の姿も痛々しい。
どこの国の話であるか作品中では明示されておらず、
そこには普遍性を高めたい、
他人事ではないのであるというスタンスを感じました。
また、人の死がもたらす刻印というべきか、
死によって終わりを告げるものもあれば、
そこから始まっていくこともあると思っていて。
本人から直接聞かなかったことを、
死後に他人から知るケースは意外にあるよなーと
本作を見て感じたりしました。
やっぱヴィルヌーヴ好きだわ!

パージ



2年くらい前から某先輩に会うたびに、
パージをもの凄い勧められていて、
やっと見ることができました。
(天邪鬼体質が治りつつあると信じたい)
お話の外見だけ見るとイロモノに見えるかもですが、
銃社会のアメリカという背景や、
サスペンスをホラーの見せ方で見せるといった
フレッシュさもあって楽しかったです。
近未来ディストピアのアメリカでは、
「パージ」を設けたことで、
犯罪がほとんどなくなりましたと。
そのパージというのは1年に1回、
放火、泥棒、殺人の犯罪は何でもありな一晩。
そこで地獄絵図を見せつけずに、
主人公の家の中で話が完結するタイトさが良かったです。
また前述したとおり、見せ方がホラーのようで、
真っ暗な部屋の中でパージの名の下、
誰が敵になるか分からない状況は怖かったなー
嫌なやつをパージして気持ちよくなるというのは、
今の時代に考えさせられる部分がありますし、
その対象がアフリカ系アメリカンとなっていることからも
何をか言わんやということです。
続編のアナーキーも見ないと!

徘徊タクシー

徘徊タクシー


1年くらい積読していたんですが、
やっと読むことができました。
そのぶっ飛んだラジカルな思想について、
賛否両論あるとは思いますが、
僕はとても好きで著書を結構読んでいます。
本作は坂口恭平イズムというべきか、
今見ている世界がすべてではないという考えを
認知症の老人にあてはめてみようという話。
読み進めると主人公が坂口恭平にしか思えない
という点でいえば私小説になるのかな?
私小説と聞くとイメージで内省的な感情に溢れたものを
イメージされる人もいるかもしれませんが、
それよりも彼の思考をトレースしていく感じ。
彼の唱えるところのレイヤーという考えは
生きていく上で重要なことだと思っていて、
不都合だったり、好きではないもの、
興味のないものも別の見方をすれば、
豊かな世界が広がっていることに
気づくことができるからです。
本作の対象となっているのは認知症の老人ですが、
不可解と思われている彼らの行動にも
しっかりと理由があって、
それに対して認知症ではない人が
歩み寄ろうとしないから、
もっと面倒なことになってしまうのかなと思いました。
現実と正面から向き合って生きていければいいけど、
ときにエスケープしないと息が詰まっちゃう人もいる。
そういうときに坂口恭平の著作を読むといいかもしれません。

2016年5月12日木曜日

逝きし世の面影

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

もう10年近く前に先輩からレコメンドされたものの、
その重厚さから敬遠してしまっていたんですが、
この年になってようやく読むことができました。
僕はそこまで歴史が好きではなくて、
近現代史はオモシロいと感じるんですが、
鎌倉〜江戸あたりって現実味がなくて。
本当にそんなことあったのか?
と懐疑的な態度を取ってしまっていました。
そんな歴史弱者の僕でも興味深く読むことができた作品。
本作は江戸末期に日本を訪れた
外国人が残していた記録を基に
当時の日本人の生活の様子を浮き彫りにしたものです。
オモシロいと思ったのは、
日本人自らの記録ではなく外国人という点で、
文化人類学のアプローチで江戸の様子を明らかにしてます。
外国人の客観的な視点の重要性を丸々1章割いているところに
「ケンカならいつでも買うで」という著者の漢気を見ました。
なるほどなーと思ったのは、
外国人にとって日本は異文化というだけではなく、
異時間でもあったという指摘。
つまり、すでに近代化が完了し産業化した外国人にとって、
江戸時代の日本は100年くらい前の自分の国の様子を
直で見るようなものだったということです。
ゆえに外国人の記述は過去を懐かしむ気持ち込みで、
日本をバラ色に描写しがちだから、
全然信用できるものではないという
半分自虐的な価値観に対して、
著者は真っ向から対立する立場を取っています。
確かに外国人は日本をバラ色に
書いているかもしれないけれど、
それもまた歴史上の1つの事実なんだと。
それこそ客観的な事実だといわんばかりに
大量の外国人の記述が本作では引用されています。
外交のためにやってきた人だけではなく、
宣教師や技術者など様々なタイプの外国人による、
日本に対する印象、それも市井の人々の様子が
克明に語られていて目から鱗の話ばかりでした。
家具をほとんど置かないミニマリストっぷり、
江戸における労働細分化の話、
江戸という街の自然の取り入れ方と雑多性、
「ゆたかさ」の定義、信仰への考え方などなど。
遠い昔の話ではあるけれど、
マテリアルワールド化している今読むと、
なるほどなーと思わされる点が多いし、
なんて牧歌的な社会なんだ!と思ってしまいました。
ただ本著の性格上、右曲がりのダンディーたちが
「美しき日本」として過去を美化する
材料にしそうーとか思っていたら、
石原慎太郎が大絶賛していたと、
あとがきに書いてあって、やっぱりかと。笑
「よかったね、昔は」ってダセーと僕も思いますが、
年をとればとるほど昔話しちゃうのは
人間の習性かなと思います。
(バブルの話するおっさんだけは全員泡になって消えて欲しい)
インバウンドも盛んな最近なので、
バカみたいに再開発ばっかりしたり、
地方都市の風景を全部似たようなものにするのではなく、
それぞれの土地の特色に合わせたものを作れば、
クールな街、国になるのかもとボンヤリと考えながら、
東京で今日も生きています。

2016年5月10日火曜日

ファインディング・ニモ



何を今さら感は否めませんが見ました。
ピクサー作品の魚の話。
お話の中身を全く知らなかったんですが、
親子物語としてオモシロかったです。
はぐれた親子が再会するだけでも
十分ドラマチックな訳ですが、
それだけではなく親と子における、
ある種ドライな関係の大切さを説いているという、
一歩先を行く提示がピクサーらしいなと思いました。
大ざっぱに言えば「カワイイ子には旅をさせよ」ということ。
ニモが過酷な状況に置かれるのは当然なんですが、
親も同じように過酷な旅をさせられるんですね。
ハードな世界を前にすれば、大人と子どもも
フラットな存在であるというねー
確かに大人は子どもの保護者ではあるけれど、
そこにリスペクト(信用)の関係がなければ、
上手くいかないし、子どもが成長できないと感じました。
すべてのモンスターペアレンツに捧ぐ!
a

2016年5月8日日曜日

ヴィクトリア



<あらすじ>
3カ月前に母国スペインからドイツにやって来たビクトリアは、
クラブで踊り疲れて帰宅する途中、
地元の若者4人組に声をかけられる。
まだドイツ語が喋れず寂しい思いをしていた彼女は
4人と楽しい時間を過ごすが、
実は彼らは裏社会の人物への借りを返すため、
ある仕事を命じられていた。
映画.comより)

全編ワンカット!という予告編を見て
気になったので見てきました。
映画始まってしばらくは
「これワンカットの必要性ある?」
という気持ちで見ていたんですが、
後半の強烈なドライブのかかり方に驚愕。
サスペンスとして無茶苦茶オモシロかったです。
ネタバレ厳禁系なので見た人だけ読んでください。

※ここからは盛大にネタバレして書きます。

映画はタイトルクレジットのあと、
強烈なフラッシュライトが展開し、
その中で主人公のヴィクトリアが踊っているという、
非常にスタイリッシュな映像で始まります。
前半はあらすじに書かれているように、
若者たちとの戯れをひたすら描いていきます。
前述したとおり、ここがめちゃくちゃ長いんです。
長い理由としては2つあるのかなと。
1つ目は本作の脚本にあります。
台本として用意されているのは12ページのみで、
あとは役者のアドリブの演技で埋められています。(1)
さらに本作はガチのワンテイクで撮影されており、
3回目のテイクが採用され、現在の上映版となっています。(2)
ゆえに場面展開も役者任せの部分があるがゆえに、
間延びしてしまっているのかなと。
2つ目は臨場感の増幅という効果。
見終わってから思いましたが、
この前半部分のたわいもない会話が長ければ長いほど、
観客が共犯者として作品に没入することが可能となり、
後半の惨劇に対する当事者性が増す作りになっていました。
ただ、前半を見ている段階では、
その後の出来事を予期できないがゆえに退屈に感じちゃう。
甘酸視点で見れば、見知らぬ外国人同士が話しながら、
親近感を増していくという意味で、
ビフォアシリーズを想起するんですが、
映画全体に不穏な空気が充満していて、それどころじゃない。笑
前半で大切なのは、主人公のヴィクトリアが
なぜ彼らの悪行に加わるのか?という動機の部分。
言葉で説明することなく彼女の言動や背景から描かれていました。
例えば、クラブでウォッカのショットを1人で飲んだり、
危ないって注意されたことを止めなかったり。
故郷のスペインでピアニストを志すも挫折し、
心機一転ドイツへやってきた彼女にとって、
初めてできた友達との連帯感は、
悪いこと(万引きとか)だとしても楽しかったりするんですよね〜
背徳感の共有で仲良くなることに共感しました。
そして、後半はいよいよ銀行強盗のシークエンス。
若者の1人がムショ暮らしの際に
世話になった先輩に脅されて強盗を行うことになります。
ワンカットゆえの魅力というべきか、
強盗の予習させるというのがフレッシュでオモシロかったです。
そしていざ強盗!となるんですが、
カメラは強盗シーンを追わずに、
ドライバーとして待機するヴィクトリアを映し出す。
通常であれば銀行強盗の方がショッキングで、
映画としてのルックが派手になると思います。
しかし、本作の主役はヴィクトリアであり、
巻き込まれた彼女からカメラが離れることはない。
そして、ここでのエンジンかからないパニックは
めちゃくちゃハラハラしました!フレッシュ!
無事に金をゲットしてエスケープするんですが、
ヴィクトリアがエンジンのパニックから抜け出せず、
道が分からなくなってしまいます。
この場面もワンカットならではというべきシーンで、
実は彼女は本気でどこに向かうか忘れてしまっているんです。
ゆえに演技と現実が入り混じった、
非常に緊迫したシーンになっていました。(3)
一旦逃げてしまえば、こっちのものと言わんばかりに、
冒頭で訪れたクラブへ戻っていきます。
若者たちは金がなくて入れなかったけど、
今度は金があるからやりたい放題!
この強盗の打ち上げシーンは、
仲間のいなかったヴィクトリアが仲間を連れて凱旋!
といった多幸感満載で良かったです。
楽しい時間は束の間で、警察に見つかってしまい、
逃亡シーンが始まります。
まるで逃亡犯のドキュメンタリーを見ているかのような、
その臨場感は銃撃シーンで爆発!とにかくスリリング!
さらに変装してタクシーで
エスケープするシーンで緊張感はマックス!!
無事に逃げ切ったあとはホテルへ身を隠します。
このシーンでヴィクトリアが1人で逃げるチャンスや、
警察に通報することさえできたように見えました。
しかし、彼女はやっと得た仲間のことを、
極限状態でも大切に思って全力を尽くします。
目的は金ではなくて、かけがいのない仲間であるという
スタンスにグッときました。
ラストショットでは再び1人になった彼女を
初めてカメラが引きで撮るわけですが、その背中は雄弁。
1人ということに昨日と変わりないけれど、
生きることへの決意を彼女から感じました。
ワンカットから生まれる奇跡に愛された作品!

2016年5月5日木曜日

Soundcloud 2016 April



4月のプレイリスト。
PrinceのTributeは別記事で書きます。

ズートピア



<あらすじ>
どんな動物も快適な暮らしができる環境が整えられた世界。
各々の動物たちには決められた役割があり、
農場でニンジン作りに従事するのがウサギの務めだったが、
ウサギの女の子ジュディは、サイやゾウ、カバといった
大きくて強い動物だけがなれる警察官に憧れていた。
警察学校をトップの成績で卒業し、
史上初のウサギの警察官として希望に胸を膨らませて
大都会ズートピアにやってきたジュディだったが、
スイギュウの署長ボゴは、そんなジュディの能力を認めてくれない。
なんとかして認められようと奮闘するジュディは、
キツネの詐欺師ニックと出会い、ひょんなことから
ニックとともにカワウソの行方不明事件を追うことになるのだが……。
映画.comより)

その異常なまでの評判の高さから、
とても楽しみにしていたディズニー最新作。
ディズニーはスターウォーズ、MARVELを吸収し、
最強のエンターテイメント企業となっている訳で、
横綱相撲を取れるにも関わらず、
十両ばりの果敢な攻めの相撲を取るという偉業。
と言っていいと思います。
お話として子どもが十分楽しめるぐらい、
オモシロいのは大前提として、
その中に含まれたメッセージに完全にロックされてしまいました。
様々な映画が上映されていますし玉石混合ですが、
本作はホントに皆見た方がいいです。
時間がかかるかもしれないけれど、
本作がきっかけで世界が変わるかもしれないから。

※ここからは盛大にネタバレして書きます。

物語のレベルの説明として、
動物の子どもたちの劇から映画は始まっていきます。
もともと動物たちは草食と肉食が存在し、
肉食動物が草食動物を捕食するという関係から、
共存する関係に変化しズートピアという理想郷が形成され、
出自に関係なく自分のなりたい道を選べる世界。
これはアメリカ合衆国の理想形の形であり、
冒頭にこれを見せておいて、
その理想との乖離を物語を通じて描いていきます。
田舎で育ったジュディという
女の子のウサギが主人公なんですが、
ズートピアで警察官として働く夢を持っています。
その夢を叶えるために頑張ろうとするんだけど、
理想郷とは異なる田舎の空気が描かれていてビックリ。
アメリカって開放的なイメージがあるけれど、
彼女の村は日本でいうところの村社会。
「頑張ってもしょうがないよ」
「自分の与えられた役割をこなしとけばいいんだよ」
と親がちゃちゃ入れてくるんですね。
ジュディはそんな空気にも負けず、
警察官になるという夢を叶えます。
そして憧れのズートピアに着任することに。
この前半の短い間に狭い部屋を使った都市論や
警察という職業を使って性差別の話を
スムーズに詰め込んでいるのが見事過ぎる!
しかも、アナ雪を逆手に取ったシーンがあって共感。
「ありのままで」というフレーズだけが切り取られて、
ここ日本でも流布されまくりましたが、
あれは抑圧されていたエルサが開放するという意味での
"Let It Go"であり現状肯定を促進するものではありません。
本作内ではそれを逆手に取って、
そのまま現状に留まっとけやの意味で使われていて、
ブラックジョーク効いてるなぁと思いました。


そして物語の核心となるのは動物の種類によって差別する社会。
相棒となる狐のニックの登場シーンは、
1970年代にアメリカに存在した、
アフリカ系アメリカンへの差別を単的に戯画化したもの。
(ここでは狐というレイヤーでの差別)
狐は嘘つき、ウサギに力はないという
それぞれに対するレッテル貼りを打破していく。
そのきっかけとなるのが肉食動物行方不明事件。
捜査を進めていく中で彼らは理性がなくなり、
野生動物へと変貌し暴れた結果行方不明となったことが判明。
この捜査の過程がサスペンスとして抜群に面白いし、
ここでもユーモアたっぷりで楽しかったです。
特に役所の人間がナマケモノのくだりは
エッジが効いたジョークで最高最高だったなー
結局、凶暴化した肉食動物たちは市長が
施設に監禁していることをジュディたちは突き止めて、
事件は無事解決したかのように見えたものの、
野生化の謎は残されたままで、
記者会見でのジュディの言葉がさらなる混乱を引き起こします。
ジュディは決して差別主義者でもないし、
何なら自らもウサギということで様々な偏見にも晒されています。
そんな彼女がちょっとした思いつきで話す優生学、
これはナチスがユダヤを迫害したときと同様の思想ですが、
それが思いがけず口から出てしまうというねー
ここに差別の根深さがあるというか、
悪意はなくとも人のことを出自で差別してしまう気持ちは、
誰しも持ってしまうことがあるというバランスが
素晴らしいと思ったんですね。誰だって間違うことがあるんだと。
そして間違った時には素直に謝って、
お互いの理解を深めればいいんだよという、
極めて真っ当なメッセージに心底ロックされました。
また、ジュディが警察官を辞めるとき、
危険な可能性を持つ肉食動物がいなくなれば
「清く正しい社会」となる排外思想への
アレルギー反応にもとても共感しました。
Black Lives Matterとして人種差別問題が
表面化している最近のアメリカの状況を踏まえると、
このメッセージは当然のことなんですけど、
ディズニーがモロに描くことで、
これを見た子どもたちが言われなき差別のない
社会を作ってくれるかも。。
という希望を抱かずにはいられませんでした。
(お前もな!という声が聞こえそうですが、、)
というメッセージ性の高さもさることながら、
バディサスペンスものとしても超オモシロい!
個人的には夜の遠吠えにおける、
ブレイキング・バッドオマージュに痺れました。
追いかけてくる羊はウォルターとジェシーだし。
ファンアートでこんなものも。。


とにかく出自、見た目と中身は一致しませんというスタンスが、
サスペンスの結末とラストのオチまで徹底。
理想主義と言われるかもしれないけれど、
その理想を掲げなければ、何も変わらないということを
とてもオモシロい話で教えてくれる
教科書みたいな最高最高の映画でした!