2016年6月30日木曜日

夜を乗り越える

夜を乗り越える(小学館よしもと新書)


でたで。という広告を見かけまして、
ほんなら買いますわ、ぐらいの勢いで読みました。
又吉直樹さんの新書。
昨年読んだ火花は大切な小説になりましたし、
その前に出された東京百景は、
1つの上京論でもあり、東京エッセイとして
抜群の切れ味がありました。
東京で新たに街を訪れた際には、
取り上げられてないかなーと再読しています。
本作は彼の語り下ろしを構成、編集したもので、
本人の加筆・修正があるにせよ、
彼自身が書いた文章ではないのが残念でしたが、
内容はとてもオモシロかったですし、
共感することが多かったです。
6つの章から構成されていて、
自身の生い立ちから始まり、本との出会い、
創作にまつわる考え、なぜ本を読むのか、
近代、現代文学のレコメンドなどなど幅広く書かれています。
僕が好きだったのは創作にまつわる考えと、
なぜ本を読むのかについて書いている章です。
創作に関しては、非常にシビアな視点が見えました。
とくに芥川賞受賞で話題をさらったこともあり、
作品の親である彼自身の葛藤と少しの怒りを見ました。
(怒りといってもかなりマイルドなものですけど)
文学の可能性を信じているからこその思いが強く、
火花を巡る言論に対する意見はなるほどなーと思いました。
「芸人」が書いた「小説」というフレームで、
文学に愛の無い人から、あーでもない、こーでもないと
言われたのは辛かったことが推察できましたし、
文学の内容の議論にならないのが悲しいというのはもっとも。
甘噛みするだけして、味しなくなったら捨てる、
みたいなことやってたら文化なんて育ちませんで。と思います。
本作の主題とも言える、なぜ本を読むのか?
というテーマは心にグサりと刺さりました。
「共感」「有用」という物差しで必要/不必要を簡単に判別して、
共感できないものは排除していく。
そんな最近の風潮に抗うのが小説であると彼は言います。
共感できないということは新しい感覚であり、
自分が新たな視座を獲得したということである。
要するに他者の気持ちを理解できる素地が広がったということです。
パンチラインだなと思ったのは以下の文。
「二択の間で迷っている状態を優柔不断と呼ばないで欲しい。」
選択の結果、自分がどう見られるかを含めて、
精一杯自分で考えることが小説を読むことで可能になる。
そもそも小説を読む行為って効率の観点から考えれば、
かなり無駄が多い行為ですよね。
情報は文字だけ。1冊に含まれる情報を取得するのに、
音、映像よりもはるかに時間かかる。
能動的な「読む」という行為が必要ですし、
内容がオモシロいかどうかは最後の最後まで分からない。
そんな無駄な行為に耽溺したくなるのは人間の性でしょう。
同じ言葉でも文脈によって感じ方は変わるし、
何回も読み直すことで、これまで気付かなかった魅力に気付いたり。
読書の魅力が多いに語られています。
個人的に一番しっくりきたのは、
作家が何かを獲得している瞬間を目撃する醍醐味かな。
また等に関する話もとても興味深くて。
答えがあることを前提にしている自己啓発書よりも
悩みに悩んでいる小説の主人公の姿を見ることで、
他人から教えてもらうのではなく、
自分の中から答えを引きずり出すという
表現がめちゃめちゃカッコいいなと思いました。
どうしようもなく孤独の夜があっても、
本があれば乗り越えられると思いながら、
遠藤周作の沈黙を読んでいます。

2016年6月29日水曜日

数学者たちの楽園 「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち

数学者たちの楽園: 「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち


サイモン・シンの最新作がシンプソンズ?!
という混乱と興奮の中で読みました。
超オモシロかったです!
もともとシンプソンズが好きで結構見てたんですが、
まさかそんな数学の要素が盛り込まれているだなんて
思いもしませんでした。
フェルマーの最終定理、暗号解読といった彼の著作では、
テクノロジー、数学力の大河ドラマのような、
オモシロさを携えていましたが、本作は少なめになっています。
その分、シンプソンズで取り上げられた数学の題材を
丁寧に解説してくれているし、
数学のレベルも安易になっているので、
サイモン・シン入門としてはオススメです。
数学好きはシンプソンズ見たくなるだろうし、
シンプソンズ好きは数学が学びたくなる、
まさしくwin-winな関係だと思います。
なぜシンプソンズに数学の要素が入っているかといえば、
数学、物理学の修士号、博士号を持った
脚本家が多く在籍しているからです。
ハーバード・ランプーンと呼ばれる、
ハーバード大学内の雑誌があって、
シンプソンズの脚本家の多くがここで育ったそうです。
シンプソンズといえば、
ポップカルチャー、ブラック・ジョーク、
有名スターのカメオ出演といった要素が
パブリックイメージにある中で、
それらと数学という組み合わせが真逆で良いなーと思います。
オモシロかったのは、
脚本家であるジーンが語る数学とアニメの相性の良さです。
役者やセットなど物理的な制約がある
実写ドラマは実験科学である一方、
徹底的にコントロール可能なアニメーションは、
数学の宇宙であると言っていて心底納得しました。
また、リサとバートの考え方の違いを
ファインマンの言葉を引用して説明するところが
かっこいいし、その文言もカッコイイ!
背景を多く知っていればいるほど、
世界はさらに豊かに広がるという、
直感・感情至上主義に対する
華麗なカウンターが決まっています。
サイモンが過去作で描いてきた、
フェルマーの最終定理、暗号解読の要素にも
フォーカスしていて、概論レベルで
把握する分には十分だと思います。
フェルマーの最終定理の近似解が出てくるんですが、
そこに数学の厳密さの深淵を見ました。
コマ止めギャグの中でサブリミナル的に
数学ネタを放り込んでいるので、
込み入った話は少なく数字ネタが多いです。
とくに素数の魅力はたまらないものがありました。
何それ?!っていう知らない数字がたくさんあって、
グイグイ楽しく読み進めることができました。
僕は統計学にまつわる仕事をしていて、
「シンプソンのパラドックス」を説明する機会がありました。
その現象に名前が付いていて、
しかも「シンプソン」っていうところに
勝手に運命を感じてしまいましたとさ。D'Oh!!

2016年6月28日火曜日

日本で一番悪い奴ら



<あらすじ>
綾野剛が演じる北海道警の刑事・諸星要一が、
捜査協力者で「S」と呼ばれる裏社会の
スパイとともに悪事に手を染めていく様を描く。
大学時代に鍛えた柔道の腕前を買われて
道警の刑事となった諸星は、
強い正義感を持ち合わせているが、
なかなかうだつが上がらない。
やがて、敏腕刑事の村井から
「裏社会に飛び込み『S』(スパイ)を作れ」
と教えられた諸星は、その言葉の通りに「S」を率いて
危険な捜査に踏み込んでいくが……。

凶悪が強烈にオモシロかった白石監督の第2作!
ということで見てきました。
予告編のピエール瀧を見るだけで
ヨダレ垂らしそうになるくらいオモシロそうだったので、
かなり期待していたんですが、
それにバッチリと応える圧巻の内容でした。
Fuck コンプラ!!と言わんばかりに、
SEX!チャカ! シャブ!の景気の良さがハンパないし、
善悪の境目がトロけていく瞬間がたまらなかったです。

※ここから盛大にネタバレして書きます。

柔道するシーンから映画が始まるんですが、
本作のファーストショットを飾るのは、
まさかの高坂剛 a.k.a 世界のTK!
柔道部の監督役なんですけどハマり役でブチ上がり。
主人公の綾野剛演じる諸星は、めちゃめちゃ柔道強くて、
その力を見込まれて道警に入り活躍。
機動隊に異動してから本格的に話が始まるんですが、
最初の捜査からニクい演出が。
車で犯人を追っていて、
一度降りて犯人を捕まえようとするんだけど、
車で逃げられてしまいます。
再び車で逃げるときに諸星がシートベルトをしようとすると、
上司が「シートベルトしてる暇ねぇだろ!」と。
これは千原ジュニアがちょくちょく揶揄している、
あまりにも過剰な「正しさ」への要求に対して、
本作は「逸脱する」という宣言だと思うんです。
はじめは芋くさい、ただの柔道野郎だった諸星が
徐々に非合法な捜査に手を染めて
道警内でのし上がっていく姿がワクワクしました。
その指南役を担うのはピエール瀧演じる村井です。
隙あらばケツ触るとかでやりたい放題だし、
何よりもめちゃめちゃ悪そうな顔よ!
しかもアップが多いから余計に際立つ仕掛け。
良い意味でも悪い意味でもクソ真面目な諸星は
その言葉を真に受けてヤクザに自分の名前を
売り込み自分のスパイを探し求めます。
その結果、シャブとチャカを挙げることに成功し、
成果主義の警察内でメキメキと頭角を現します。
しかし、その捜査にヤクザからイチャモンがついて、
彼の警察人生を大きく変えるヤクザとの出会いがあります。
それが中村獅童演じるヤクザ。
ここでの2人のやり取りで一線を超える瞬間があるんですが、
それが痰を諸星が無理やり吐くという演出。
彼が少しずつ背伸びしていって悪の道に染まっていく過程は
中学生がヤンキーになるみたいなレベルから
始まる点がオモシロイし、はじめは慣れていないことも
それが習慣となれば大したことじゃなくなってしまう。
痰、タバコ、シャブと対象が変わっていくだけで、
本質の部分では同じっていう見せ方が良かったです。
諸星がマル暴に移ってからは見た目も完全にヤクザ化。
街のチンピラや裏稼業で生きる者たちは
彼のことを畏怖と尊敬の眼差しで見つめるようになります。
増長しまくりの諸星はイケイケドンドンで
女は抱きまくりだし、当時の村井と完全に同化。
物語がさらに加速するのは諸星が銃対策課に異動してから。
その頃に仲良くなるのがラッパーのYOUNG DAIS演じる山名と、
お笑いコンビのデニスの植野の2人で、
彼がコメディリリーフとしてとても良い塩梅でした。
植野さんはパキスタン人役なんですけど、
見た目と片言の日本語は少しやり過ぎ感ありましたが、
周りのパキスタン人をまとめる姿が怖かったし、
インド人と間違われてキレるくだりが好きでした。
そしてTOKYO TRIBEから役者として
本格的に活動しているYOUNG DAISは
何かしらの助演男優賞イケるんじゃないか?!
というぐらい抜群の演技でした。
人懐っこい舎弟っぷりがすごく好きだったし、
後半にかけて諸星が崩壊していくときも
彼だけでは常に兄貴である諸星のことを考えて、
なんとかしようと画策する愚直な姿にグッときました。
(ハルシオンをずっと服用しているところと、
諸星のシャブ打ちを心配するシーンが超好き)
この蓄積があるからこそ終盤はとても切なくなりました。
本作を特別なものにしているのは、
間違いなく綾野剛の存在感、それに尽きると思います。
アクション、セックス、シャブ、
何でもござれのこれこそ体当たり演技と言っていいでしょう。
純朴な警官からの豹変っぷりが本当に見事でした。
道警の拳銃捜査の一線超えて、
皆が麻痺した状態にある中で、
彼は1丁数万円で調達して道警の検挙率に協力していく。
これが実話ベースっていうのは頭が痛くなるし、
わずか十数年前に起こっていたと考えると
頭が痛くなってきます。
拳銃200丁を検挙できるんだから、
シャブ20kg密輸はOKでしょ?!っていうロジックや
拳銃買って検挙するための資金調達で
シャブを売りますっていうロジックは
不謹慎かもしれなけいけれど笑っちゃう。
どんどん善悪の境目があいまいになっていき、
仲間にも裏切られ自暴自棄となった諸星が
あれだけ舎弟にも注意していたシャブに
自ら手を出してしまってからは地獄絵図。
夕張異動後のボロボロ具合が特に凄まじかった!
原作も読んで見たいなーと思います。

2016年6月27日月曜日

裸足の季節



<あらすじ>
10年前に事故で両親を亡くし、
祖母の家で叔父たちと暮らしている5人姉妹。
厳格なしつけや封建的な思想のもとで
育てられた彼女たちは自由を手に入れようと奮闘するが、
やがて家族が決めた結婚相手にひとりずつ嫁がされていく。
映画.comより)

だいぶ前にライターの小林雅明さんが、
アップしていた女の子5人が肩組んでいる、
印象的なショットが忘れられず見てきました。
本当に映画館で見てよかった〜と思う大傑作!
失われていく青春と「この支配からの卒業」
法律で決まっているわけではない、
宗教という名の下の強烈な同調圧力の中でも、
主体的に精一杯生きようとする女の子たちの姿を見て、
心が動かないことがあろうか、否。
未来は自分の力で奪い取れ!

※ここからは盛大にネタバレして書きます。

閉塞した村社会を描いたものは大体面白い。

制服を着た女の子が先生との別れを惜しみ、
それを遠巻きに見るお姉さんたちという構図で映画は始まります。
車で帰ろうとするところ、「海で遊んでいこうぜ~」となり、
男女混合で海の中で戯れる。
このシーンのキラキラした眩しさに心をグッと掴まれてしまいました。
本作は甘酸っぱさ100%の素晴らしい物語であろうと。
しかし、結果的にその期待は
大きな間違いであることが徐々に明らかになり、
本作がリーチする内容に驚くことになります。
前半はこの家が持つ封建的な状況、空気が
少しずつ彼女たちを侵食する中でも、
失われない底抜けな明るさ、キュートさに心惹かれます。
舞台はトルコで5人姉妹の両親はすでに亡くなっていて、
おばあちゃんとおじさんが彼女たちを育てています。
トルコということでイスラム教を信仰している彼らは、
姉妹5人にイスラムの教えを徹底的に叩き込んでいきます。
大人の考え、目標としては、イスラムの女性らしく、
純潔の状態の娘たちをいち早くお嫁に送り込むこと。
その結婚は基本的に親同士が見合いで決めることであり、
当人の意思が反映されることはほとんどありません。
(長姉のみ彼氏と結婚することになる)
こういった抑圧された状況に押し込められた彼女たちは、
海での遊びをきっかけに学校へ行くこと、PC、電話を禁じられ、
5人で日々を過ごし「良妻育成工場」と化した我が家で、
クソ色の服を着て毎日伝統料理を作ることばかりさせられる、
思春期の若者にとって地獄のような生活。
しかも貞操を守っているかの検査までさせられる始末。
姉妹の皆がそんな生活に飽き飽きしている中で、
一度目のエスケープとしてサッカー観戦があります。
彼女たちが見に行く試合は男性観客の素行が
あまりにも悪いことから、
女性のみが観戦を許された試合。
僕らからすれば大したことではないように思えるけれど、
彼女たちにとっては命をかけた大冒険。
それが何とか成功しサッカーの試合で歓喜する姿は
生きている喜びが爆発!といった見せ方でとてもカッコ良かったです。
また彼女たちの姿をTV中継で見た村のおばさんたちの奮闘は笑いました。
後半からは娘たちが年齢順に嫁として家を出て行きます。
本作はナレーション含め末っ子の視点で語られているため、
大好きなお姉さんたちが大人の都合で
自分から奪われてしまう感覚となる作りになっています。
2人の姉が同時に嫁入りするんですが対照的な設定になっています。
1人はおばあちゃんがまとめてきた縁談による結婚で、
もう1人は前述の通り、元々付き合っていた彼が求婚する形で相成る結婚。
同じ結婚とはいえその色合いは非常に異なります。
結婚パーティーでの言動が象徴的で、
旦那と楽しそうに踊る嫁と飲みさしの酒を煽るように飲む嫁。
そんな2人を含めて姉妹の絆を象徴するのが、
ポスターにも使われている円陣のショット。
これが5人で集まった最後となることを知るとグッときますよね。
結婚後の初夜での貞操を巡る話も対照的で、
もともと彼氏のいた姉はアナルファックで逃れたのに対して、
縁談でまとめられた姉は貞操を守っていなかったことが発覚します。
シーツに血痕が認められなかったことから
病院へ駆け込んで検査するんですが、
受付での旦那の父親の銃にさりげなく
フォーカスが合うのが怖過ぎでした。。
また血痕が認められなかったときの旦那のリアクションが、
「どうしてくれるんだよ、恥をかくことになるじゃないか!」
っていうのも驚きました。
結婚での貞操概念はイスラム教に限らず、
キリスト教にもある戒律ですが、
現代の日本に生きる僕たちには共感しにくい考えかと思います。
けれど、よく分からない習慣・儀式の中で生きることを考えれば、
日本でも当てはまることはあるんじゃないかなーと。
ただ、「宗教上の理由だから!」と言われてしまえば、
そこで話し合いにならないし、思考停止になってしまうのが難しいところですよね。
抜本的に変えることは難しいとしても、
少しずつその時代に生きる人々で
片寄せ合って考えるしかないんでしょうね。
といった真面目なことを考えたりしました。
上2人の姉に留まらず、どんどん縁談をまとめてくるおばあちゃんから
何とか逃げたいと思う末っ子は
車で逃げることを計画するようになります。
車のキーを見つけ出してエンジンかけるところまではできるんだけど、
サイドブレーキがかかってるから前に進むことはありません。
ほんのちょっとのことで、自分の未来は変えられるけれど、
それに気づかなければ変わること、変えることができない
っていうメタファーとして非常に秀逸だなーと感じました。
末っ子にきっかけを与えてくれるのは、
唯一の外の世界の人である配達の兄ちゃん。
最初は面倒だと思っていた彼が次第に打ち解けて、
車の運転を教えてくれるし、最大のピンチで現れる救世主となる。
(バス停で2人が別れるシーンは泣いてしまった。。)
3番目の姉が辿る末路も衝撃的で見合いが決まってから、
自ら貞操を破る行為を行った挙句、自ら命を断ってしまう。
しかも、その手前にはおじさんの良からぬ
手癖の気配まで見せつけられているので、
こちらとしては憤りしか感じないわけです。
残り2人となった末っ子と姉は結婚式の日に脱走を決行!
このシーンは脱走アクションとしてオモシロかった!
これまで娘たちの勝手な行動を防止するために、
柵や鉄格子を家のあちこちに付け加えたことが
逆に自分たちを苦しめることになる展開や、
見つかる/見つからないの見せ方がとても良かったです。
(脱走時にピックアップする靴下とバンズの靴の雄弁さよ!)
子ども2人で車で逃げるので
今年見たコップ・カーを思い出しましたね。
僕は本作のぎこちなさの方が好きでした。
ラストは失った自由を再び抱きしめるという
エンディングにサムアップ!
入口では想像もしなかった世界へ誘われて、
見終わった前後で世界が変わって見える素晴らしい映画でした。

2016年6月26日日曜日

レジェンド 狂気の美学


<あらすじ>
1960年代初頭のロンドン。貧しい家庭で生まれ育った
レジーとロニーのクレイ兄弟は、
手段を選ばないやり方で裏社会をのしあがり、
アメリカのマフィアとの結託や有力者たちとの
交流を深めることでイギリス社会に絶大な影響力を及ぼしていく。
そんな中、部下の妹フランシスと結婚したレジーは
彼女のために足を洗うことを決意し、
ナイトクラブの経営に力を注ぐようになるが……。
(映画.comより)

トム・ハーディー主演ということで見てきました。
しかも、双子のギャングスターを1人2役でこなすという荒技!
期待度高めで見に行ったわけですが、
トム・ハーディーを堪能するという上では優れた作品。
残酷なギャングの話なんだけど、
全体にポップな仕上がりだったのが意外なところでした。

※ここからは盛大にネタバレして書きます。

舞台は1960年代のイギリス。
そこにクレイ兄弟という双子のがギャングスターがいまして…
という昔話よろしくなナレーションによる状況説明から映画が始まります。
前述したとおり、このクレイ兄弟を
トム・ハーディーが1人2役で演じているわけですが、
この演じ分けがとにかくハンパじゃないレベルでした。
兄のレジーはスーツをバリッと決めた超男前の男、
ある種トムそのものであるのに対して、
弟のロンは身体が大きく全体にファットで声色も違う。
はじめは演じ分けているの凄いなーと感動していたんですが、
物語が進むに連れて当たり前のように別人だなと思っている自分がいました。
2人が同じ画面に収まっているのはキメのシーンに限定され、
カットバックを多用することで2人が
同じ空間でいることに説得力を持たせることに成功していました。
また同じシーンで彼の身代わりを担ったのは、
マッドマックス、レヴェナントでスタントを務めた
Jacob Tomuriという人らしい。(1)
多くのギャング映画と同様に栄子盛衰がテーマで、
前半は彼らの栄光と繁栄について、後半は衰退を描いていきます。
やっぱり前半の勢いがあるときが好きでした。
とくに縄張り争いをきっかけに起こるバイオレンスは大きな見どころ。
レジーがいきなり車で轢かれてからの、ダイナーへのトラック突撃、
そしてパブでのどつき合いまでがスムーズでかっこいい。
大勢に囲まれてから兄弟2人が鬼のように暴れまわる姿は超興奮しました。
トム・ハーディーは殴る姿がとにかくかっこいいですよね。
ボクシング仕込みの暴力が素人に降りかかる悪夢を見ているような気持ち。
理性のレジー、狂気のロンという描き分けになっていて、
ロンの狂気は怖かったです。
最初の登場シーンは彼が収容されていた精神病院へ、
レジーとトムが迎えに行くシーン。
ロンの語る話が何を言っているか分からない恐怖がある一方で、
物語を見ていくと実はズル賢さを持っていることが分かってきます。
また、自分が同性愛者であることを公言するところもぶっ飛んでいる。
現代であれば当然あり得る話ですが、
当時のイギリスの同性愛者差別はひどいものだったでしょうから。
(実在のロンはひた隠しにしていたようでした。)
そしてロンの舎弟がキングスマンで主役を務めた
Taron Egertonなのもイギリス!って感じでアガりました。
一方のレジーは理性の人と思いきや怒らせたら容赦ない人。
売上をちょろまかしていていたプッシャーをど突くシーンがまさにそれなんですが、
このプッシャーとの距離感は、レジーの理性が崩壊していく
バロメーターのような役割を担っているのもオモシロい仕掛けでした。
理性のレジーと狂気のロンがタイマンで殴り合う、
カジノでのシーンは本作のハイライト!
タマは反則だろう~っていうセリフと、
あくまで兄妹喧嘩だと割り切る子分たちの姿が笑えました。
本作の大きな軸を担うのはナレーションを務めた
レジーと彼の奥さんとなるフランシスの関係です。
雇っていた運転手の妹だった彼女と初めて出会うシーンが好きでした。
彼女が舐めていた飴を舐めるというエロ味のある行為から、
レジーは飴を噛み砕きます。
「待っていてもしょうがない。欲しいものは取りに行く」
というセリフが最高にイケてました。
そして、彼女と約束を取り決めた後にかかるのはMetersのCissy Strut!
本作がギャングスターを描きながらも、どこかポップな要素があるのは、
音楽が大きな役割を担っていると思いました。
(irrational Manに続き、ここでもRamsey Lewis Trioが!)
フランシスはレジーに惚れ込むんだけど、
何度も服役を重ねるレジーとの結婚に踏み切れません。
結局、彼女はレジーにカタギとして生きること、
刑務所に入らないことを約束して結婚することになります。
結婚式のシーンが強烈で、ギャングとの結婚に反対する
フランシスの母親が喪服で結婚式に参列。
新しい結婚反対の形で笑ってしまいました。
カタギとして生きることを約束したレジーですが、
そんな簡単にシノギを捨てることはできず、
彼はロンドンでの勢力を拡大していきます。
それと反比例するかのようにフランシスとの関係は悪化し、
最終的に最悪の結果を招く。
彼女がナレーションを担っている意味がそこで明らかになり、
少しメタ構造な部分もあって、切ない気持ちになりました。
自暴自棄になったレジーの憎しみの炸裂っぷりが、
本当に強烈で「刺す」アクションが
今年は1つのトレンドなのかなーと思ったり。
今、銀座のギャラリーでロニーの絵が見れるそうなので、
それを見に行きたいと思う次第です。

2016年6月24日金曜日

葛城事件



親が始めた金物屋を継いだ葛城清は、

美しい妻・伸子と共に2人の息子を育て、
念願のマイホームも建てて理想の家庭を築き上げたはずだった。
しかし、清の強い思いは知らず知らずのうちに家族を抑圧し、
支配するようになっていた。長男の保は従順だが対人関係に悩み、
会社をリストラされたことも言い出せない。
そして、アルバイトが長続きしないことを清に責められ、
理不尽な思いを募らせてきた次男の稔は、
ある日突然、8人を殺傷する無差別殺人事件を起こす。
死刑判決を受けた稔は、死刑制度反対を訴える女・星野と
獄中結婚することになるが……。

赤堀雅秋監督最新作。
その夜の侍がわりかし好きっだったので見てきました。
舞台作品の映画化らしいんですが、
日本のかつての象徴である旧態然した父性が
ガラガラと音を立てて崩れていく様子を
まざまざと見せつけられる、
容赦ない内容でオモシロかったです。

※ここからは盛大にネタバレして書きます。

本作は葛城家という家族にまつわる話で、
家族は父、母、息子 ×2という構成です。
あらすじにもあるように次男が無差別殺人を行い、
死刑判決を受けたところから物語が始まり、
その判決以前/以後を交互に描いていきます。
冒頭は三浦友和演じる父が 自宅の壁に描かれた
落書きを消しているところから始まります。
また、庭で何気なく水やりしているんですが、
これはラストで強烈なインパクトを残すことに …
判決以後のシークエンスの中心となるのは、
稔と獄中結婚する田中麗奈演じる星野です。
彼女は稔に愛する人がいれば人として更生できるんだ!
その役目を担うのは私なのである!そして死刑反対!
と声高に訴えて稔の元に通い続けます。
いきなり、偽善色強めのキャラクターが登場して、
ちょっと乗れないなぁと思っていたんですが、
彼女がいないとあまりにも酷い現実に
直面せざるを得なくなるため、
ある種のバッファーの役目を担っていました。
理想を掲げなければ、人間は生きられないとでも言わんばかり。
最初の面会で星野が差し入れで
ベーグル持ってくるんですが甘い菓子は食べないとたしなめる。
しかし、缶コーヒーは砂糖入りしか飲まないと伝える。
矛盾した嗜好をブチ切れて叫びまくる。
このトバしっぷりでツカミは抜群でした。
この稔を演じているのが若葉竜也という人で、
今回初めて見たんですが素晴らしかったです。
類型的なオタクっぽい人といえば、それまでなんですが、
自分がうまくいかないのは他人、環境のせいと考えている一方で、
何かを成し遂げて一発逆転してやるという気概を併せ持つ。
この2つが間違った方向に結実したことで
無差別殺人を起こしてしまったように感じました。
終盤にその殺人シーンが用意されていたんですが、
ニュースのインタビューに答えることになるだろう、
目撃者の視点はフレッシュでオモシロかったです。
刺す場面はヒメアノールと比べると見劣りする感じでした。
(そこが主題の映画ではないので無問題)
何と言っても最大の見所は三浦友和!!
先日見た64ではどっしり構えた安定感のある、
警察の父のような役目を担っていました。
本作では父親を演じているんですが、
いわゆる保守おじさんで事態の深刻さに気づいていません。
グラグラで不安定な状況において
家長制度に代表される旧態然とした
父の役割を果たそうとするんだけど、
それを果たすことができず、
結果的に家族が崩壊していく様は
露悪的かもしれませんが痛快でした。
自分の価値観を絶対として、
家族がそれにフィットしなければ間違い、
っていう考え方は本当に嫌なものだと感じました。
また、様々な小言を含めた、その傲慢に見える態度が
家族を支えていると彼は信じているけれど、
実際には崩壊へのアクセルをベタ踏みしている、
そのことに気づかないのは裸の王様っぷりは切なかったです。
古〜い家族観を押し付けてくる、
選挙が近いどこかの国の与党の人に見て欲しいものです。
家族の崩壊の象徴としての食べ物演出が、
超徹底されていた点がオモシロかったです。
彼らの食卓には一切自分たちで調理したものが登場せず、
ピザ、寿司、コンビニの弁当など、
出来合いの食べ物しか食べていませんでした。
また、一緒にご飯を食べることもほとんどありません。
主人公の家族が1人でご飯を食べるシーンが
明らかに多いんですよね。
これらの演出は福田里香さんが唱えるフード理論でいえば、
この家族が上手くいかない、互いを理解する姿勢さえ、
持っていないことを示していす。
(伸子と稔で交わされる最後の晩餐の選択肢までも!)
稔と父はとても仲が悪いんですが、
2人はどうしたって家族だということを
冷蔵庫にある牛乳パックの直飲みで見せるあたりも好きでした。
落ちこぼれの稔を諦めた中で期待を一身に背負うのが長男の保。
新井浩文が演じています。
僕は自分が長男なので彼に一番感情移入して見てました。
彼は家を出ていて家族を養う父でもあります。
必要以上にパリッとしたスーツと
リストラされた状況のギャップがとても辛かったです…
繰り返される公園での引きのショットがもの悲しさを誘う。
そして彼は自殺するという最悪の結果になります。
ここでの母と 保の奥さんの直接対決シーンが良くて、
リストラされていたことに気づかなかった奥さんを
母が「家族なのになんで分かんなかったの?」と攻め立てる。
これが息子の無差別殺人という、
とんでもないブーメランとして
自らに跳ね返って来るんだから、
そら精神崩壊するわなーと思いました。
家族は多くの場合、血が繋がっているし、
同じ屋根の下で長い時間を過ごしているので、
お互いを理解しやすい環境にあります。
しかし、家族はあくまで自分ではない他人です。
この割り切りがときには必要なのかなとも思いました。
つまり、家族を同人格とは見なさない
ということが必要なんじゃないかと。
判決後の父には変化があって、
一度は洗濯物で絞め殺そうとした息子でも、
やっぱり死刑にはして欲しくないという気持ちが芽生える。
そこから 死刑が執行されてからの、
父親の荒れっぷりが最高最高!
とくに星野を抱こうとして拒否されたときに、
何としても「家族」を続けたい一心で放つセリフが、
切ないと同時に偽善者を正論で追い込むというねー
その前にインサートされる家を購入した当時の懐古シーン、
稔からのメッセージを期待するところなどが
事前に展開されるので、むちゃくちゃズーンときました。
からの〜家を派手にブチ壊す荒れっぷり、
大事なみかんの木と掃除機のコードを使った自殺。
けれど彼は生きなければならない、
それは食べることであるというエンディングも
前述のフード演出のフリが効いていて良かったです。
もしかしたら2016年の邦画は新たなフェーズに突入しているかも
と思わされる作品でした。

2016年6月23日木曜日

10クローバーフィールド・レーン



<あらすじ>
ある日、見知らぬシェルターの中で
目を覚ました若い女性ミシェル。
そこには「君を救うためにここへ連れてきた」
と話す見知らぬ男がおり、
ミシェルと男の共同生活が始まるが……。

大胆な予告編を見てから楽しみにしていた作品。
前作のクローバーフィールドからは
未知の外敵が襲ってくるという設定のみを拝借し、
全く新しい映画に生まれ変わっていました。
僕は本作の方が断然好きです!最高最高!
SF要素は半分おまけでしかなくて、
サスペンススリラーとして抜群の出来だと思います。
Outside The Flameなテーマも響きました。

※ここからは盛大にネタバレして書きます。

タイトルが出るまでのオープニングシーンが
本当に素晴らしくて、この時点でもうビンビンでした。
主人公のミシェルが部屋から出て行くため、
支度をしているところから始まるんですが、
彼女の人物像と伏線となる設定を、
セリフは一切なく淡々と映し出していきます。
そこから車で走っていて、旦那から電話かかってくるけど、
適当にあしらってたところで、
いきなりど迫力のカークラッシュ!で
クレジットを挟みながらのタイトルどーん!100点!
ド派手なオープニングから前半から中盤にかけては、
シェルター内での密室サスペンスが展開されていきます。
登場するのはミシェルを助けたハワードと
シェルターを作ったエメット。
SAWを彷彿とさせる密室で固定されたミシェルは、
監禁されたと思いDIY精神全開で
なんとかエスケープしようとします。
彼女のタフネスは物語内で一貫していて、
このDIY精神が常に彼女を支えていることに好感を持ちました。
助けたと主張する割に 彼女の自由を拘束するハワードに
違和感を持ったミシェルは外に逃げようとします。
予告編で使われていたシーンなんですが、
その手前のハワードの喝からの鍵盗みが最高にハラハラするし、
ビール瓶殴打で机の上を滑っていくのがカッコよかった!
結局ミシェルは自分の目で外の現実を知ることになるんですが、
「外敵は存在するのか?存在しないのか?」
というのが密室内での懸念事項になります。
ここが何度もぐらつき、常にグレイである点が、
物語の推進力になっているのがオモシロかったです。
形は違いますが、ドキュメンタリーのFAKEと構造は同じで、
情報の断片から自分で考えなければならない状況は、
ときとして面倒だけど思考停止のままじゃダメだぜ!
というメッセージを受け取りました。
ハワードは終末論者であるがゆえに
シェルターを用意していた訳で、
そのシェルターが無ければ、
2人とも生きていない前提があるため、
一概にハワードを切り捨てられないバランスも絶妙。
また、3人がルールを守って生活していれば、
何の問題もないように見せるのも良くて、
居心地の良いところから、
自分の主義主張で抜け出すことの難しさは、
社会に出て転職も経た僕にとっては響くものでした。
ミシェルとエメットはハワードは信用できないと判断し、
外に出るための準備を内密に始めます。
ここのDIYがたまらなくてシャワーカーテンの防護服、
ペットボトルのガスマスクのルックが可愛かったなー
そんなコソコソした行動をハワードが見逃す訳もなく、
彼の狂気が一気に加速していきます。
次亜塩素酸を使った演出は
ブレイキング・バッドでもありましたが本作でも大活躍。
2人がくすねたものを目の前で溶かし、
エメットを容赦なく始末してから、
髭剃ってアイス持ってくるまで狂気が炸裂しまくりで、
一生忘れられないキャラクターになりました。
シェルターのエスケープシーンでの、
ダクトを使ったアクション然り、鍵の壊し方然り、
前半の伏線が鮮やかに回収されていくのが、
見ていて気持ち良かったです。
いざ外に出てみたら、ハワードの言っていた話は
やっぱり嘘じゃん!と思いきや、
嘘じゃないこともあって、その部分と対峙する終盤。
話のリアリティーラインが一気に緩くなるんですが、
ファウンドフッテージ形式だった前作を想起する、
手持ちカメラでミシェルの逃げ惑う姿を抑えていることで
緊張感を持続させることに成功していました。
終盤は閉鎖空間の演出が効果的で、
車、納屋、ペットボトルのガスマスクと、
様々な空間に身を置き何とか生き延びようとする、
彼女のアグレッシブな姿勢に目が奪われましたねー
ラストの彼女の選択にサムアップし、
霧の中、深夜で人の少ない街を颯爽と
自転車で駆け抜けて僕は家路につきました。

2016年6月21日火曜日

クリーピー 偽りの隣人



<あらすじ>
元刑事の犯罪心理学者・高倉は、
刑事時代の同僚である野上から、
6年前に起きた一家失踪事件の分析を依頼され、
唯一の生き残りである長女の記憶を探るが
真相にたどり着けずにいた。
そんな折、新居に引っ越した高倉と妻の康子は、
隣人の西野一家にどこか違和感を抱いていた。
ある日、高倉夫妻の家に西野の娘・澪が駆け込んできて、
実は西野が父親ではなく全くの他人であるという
驚くべき事実を打ち明ける。

黒沢清監督最新作ということで見てきました。
前作の岸辺の旅がとても好きな作品だったので、
期待度高めで見たんですが、とてもオモシロかったです!
森田芳光監督のサイコパス・クラシックの黒い家、
ウシジマくんの「洗脳くん」というエピソードを
思い出したりしました。
単純に猟奇的なサイコパスが登場する映画というものではなく、
黒沢節というべきなんとも言えない不穏さが
スクリーンから溢れ出ていて、
新たな日本サイコパスクラシックの誕生!だと思います。

※ここからは盛大にネタバレして書きます。

映画はいきなりサイコパスと対峙するシーンから始まります。
ぐーっと引きで取調室にいる犯人の様子を映し、
クレジットがさーっと出て
タイトルもほんの一瞬しか表示されない。
西島秀俊演じる犯罪心理学者の高倉と、
あるサイコパスが対峙し彼に聴取をしていたところ、
犯人は脱走、高倉含め被害者が出てしまいます。
冒頭のシーンは彼が警察を辞めて大学教授となる
きっかけを描いているんですが、
それだけではなく彼のサイコパスとの
距離感を示す場面でもある。
彼はサイコパスに対して理解者として振る舞うんですが、
結果的に自分は刺されるし人質も亡くなってしまう。
分かってるようで実は何にも分かっていない人、
というのが終盤にかけて効いてくる作りになっていました。
引っ越した先の隣の家に住むのが香川照之演じるサイコパス西野。
ファーストコンタクトの段階で、
全然話が噛み合わなくて、今その話する?!という
いわゆる空気が読めない感がビンビン。
そんな彼が徐々に竹内結子演じる高倉の奥さんである康子に
少しずつ付け入っていくのが怖いんですよね〜
黒沢監督の作品はカメラの位置と光の扱い方が
とにかく不穏で効果的なのが特徴だと思います。
カメラの位置という点で印象に残っているのは、
西野の娘に康子が料理を教えて皆でご飯を食べるシーン。
高倉の疎外感がグッと引き立つ、
あのカメラ位置はたまらないものがありました。
岸辺の旅と部屋の構図が似ていて、
ダイニングの奥に暗めの部屋が用意されていて、
その2つの光の濃淡によるあっち側とこっち側の演出。
(康子がどうにもならなくなって以降は、
ダイニングにいることはほとんどなくなる)
光の演出という点では別事件として捜査していた
一家失踪事件で生き残った娘へのインタビューシーン。
ガラス張りの部屋で初めは非常に見通しがいいんだけど、
彼女が蓋をしたかもしれない当時の暗い記憶を
高倉が引き出そうとすると途端に画面が暗くなる。
こういった細かい演出の工夫が幾重にも施されていてて、
潜在的に恐怖が蓄積していく感じが楽しかったです。
また、本作は役者の演技が適材適所で、
それぞれが持ち味を大いに発揮しています。
僕が好きだったのは西島秀俊と東出昌大。
この2人の演技がドライで、感情が露呈するシーンが
前半はほとんどと言っていいほどありません。
明らかにおかしく見えるのは当然西野なんですけど、
実は2人もおかしいよね、、、っていう。
実在感が欠如したキャラクターというか、
話をしても通じないことがある点では、
西野と共通する部分さえあるように思えてしまう。
(インタビューにおける娘との距離感とか)
後半は一家失踪事件と隣人西野が徐々に繋がっていき、
彼の悪事が明らかになっていきます。
彼の手口としては自分の手は汚さずに、
薬物とマインドコントロールによって、
殺し合いさせてしまうという手口。
その助手となっているのが西野の娘で、
演じるのはソロモンの偽証において
最高の演技を見せてくれた藤野涼子。
彼女の業務的な死体処理の様がもう …って感じで。
あの掃除機のルックスよ!
何回かエスケープできそうな瞬間があるんですけど、
そのときに見せる子どもの顔とのギャップが
切なさを煽るんですなー
と同時に前半の馴れ馴れしい西野とのじゃれ合いが
フラッシュバックしてくる仕掛け。
西野の犯行に気づいた高倉は警察を呼んで、
捜索させようとするんですけど、
逆に高倉が警察に捕まってしまう。
そして取調室は冒頭で示された部屋と同じ部屋で、
今度は容疑者なので座る向きが逆になる。
さて、狂っているのは誰なんでしょうか?
と聞かれている気がしました。
繰り返しになりますが、間違いなく西野なんだけど、
ここまでの悲劇を迎えてしまうのは、
それなりに理由があるのだと言わんばかり。
終盤の直接対決も冒頭のシーンを踏まえていて、
以前はサイコパスと対話しようとしていた彼ですが、
奥さんを手ごめにされたことから、
感情的になってしまった結果が辿る末路、
そしてエンディングまでの流れが好きでした。
原作との比較も含めて、もう1回見れたら見たいところです。

2016年6月18日土曜日

あの素晴らしき七年

あの素晴らしき七年 (新潮クレスト・ブックス)

最近よく読んでいるBookbangという
書評まとめサイトがあって、
書評家の豊崎由美さん、西加奈子さんのレビューと、
表紙の可愛さに惹かれて読んでみました。
(西さんは本の裏表紙にもコメントを寄せています)
本作はエッセイなんですが無類にオモシロかったです!
今年ベスト級かもしれません。。
海外の方のエッセイを読むのは初めてだし、
生まれや生活圏の異なる人の話に共感できるのかなー
と不安に思っていた面もあったんですが、
それは杞憂でしかありませんでした。
作者はイスラエルのテルアビブ在住の小説家。
彼の子どもが生まれて父親が亡くなるまでの
7年間に起こった身の回りの話をまとめたものです。
ホンマの話?!と思わず言いたくなるほど、
落語みたいなよくできた話ばかりで、
くすりとさせられたり、考えさせられたり。
イスラエルはここ十数年常に戦時下にあり、
生死に対する距離感が僕とは明らかに異なるんですが、
そこで絶望する訳ではなく、
能動的に考えたり、そんな生活の中でも存在する
楽しい瞬間を鮮やかに切り取っています。
家族というのが1つの大きなテーマになっていて、
子どもの成長記録でもありつつ、
父親の死を迎えるお話でもあるという、
その対比がまた素晴らしいんですよね。
新たに世界と対じするときの新鮮味と、
世界をすでに熟知してるがゆえに分かることの対比。
また彼には姉と兄がいるんですが、
それぞれが特殊な事情を抱えています。
姉は正統派ユダヤ教を信仰していて、
いわゆる一般的な社会とは、
かなり異なる価値観で生きています。
また兄は旧態然としたイスラエル社会に
正面から立ち向かった人でタイ在住。
彼らについてそれぞれエピソードがあるんですが、
父の葬式が終わった後に訪れる、
姉、兄との水入らずの時間を迎える彼の言葉が
どうしたったグッと来てしまうんだよ!
どのエピソードも大好きなんですが、
とくに好きだったし考えさせられたのが、
「見知らぬ同衾者(Strange Bedfellows)」
イスラエル人である著者がバリに滞在することは、
非常に危険なことだったんですが、
その滞在時に遭遇した元ホテルマンの
スイス人のエピソードを引用して、
自分の目で「見る」「聞く」ことの大切さ、
それを怠ることで蔓延する差別意識について、
これ以上ないほど鮮やかに描き出していて、
本当に素晴らしい話だと思いました。
基本的に屁理屈ばかりこねていたとしても、
それは世界と真正面から向き合っているということなんだ!
という、よく分からない形の勇気をもらいました。

64 後編



<あらすじ>
昭和64年に発生し、犯人が捕まらないまま
迷宮入りした少女誘拐殺人事件・通称「ロクヨン」。
事件から14年が過ぎた平成14年、新たな誘拐事件が発生。
犯人は「サトウ」と名乗り、身代金2000万円を用意して
スーツケースに入れ、父親に車で運ばせるなど、
事件は「ロクヨン」をなぞっていたが……。

後編始まるのが待てずに原作を一気読みして、
結末まで分かった状態で見てきました。
前編よりもサスペンス性が高くなっていたので、
オモシロくなっていたと思います。
映画オリジナルの部分が色々あるんですが、
好きなところもあれば、
蛇足かなーと思うところもあったり。
役者の演技の迫力は鬼気迫るものばかりなので、
スクリーンいっぱいで見ると楽しかったです。

※ここからは盛大にネタバレして書きます。

前編のダイジェスト内容から始まり、
前編の最後に起こったロクヨン事件の模倣犯と
思われる誘拐事件から物語はスタートします。
ぐーっと佐藤浩市の顔にズームして、
タイトル出るところが抜群に良くて期待が高まりました。
前編でしこたま議論し倒した匿名/実名報道の問題が、
この誘拐事件でも浮上。
刑事部によって誘拐事件の被害者を匿名としてしまい、
再びメディアとバトルすることになってしまいます。
さらに誘拐事件ということもあり、
東京の記者たちも記者会見に登場し、
会見場は荒れに荒れまくる。
ここで見えてくるのは地方vs東京という構造。
県警の刑事部長が警察庁マターとなることは
前編で描かれていた話ですが、
その構造は警察に限らずメディアにも存在することを示し、
より普遍的な話であることが伝わってきます。
記者会見でスケープゴートとなるのは、
柄本佑演じる刑事部の二課長。
本来であれば部長もしくは一課長が会見に臨むべきところを、
二課長を持ってきたことで記者たちがボコボコにする。
この柄本佑にアップになったときの
耳のピアス跡がすげー気になりました。
キャリア職という設定なので、
あそこまでボコボコ穴あいてると現実味がなくて、
細かい話ですけど冷めてしまいました。。
その冷めた気持ちを取り戻させてくれるのは、
永瀬正敏、佐藤浩市、三浦友和の演技でした。
永瀬正敏は被害者の雨宮を演じていて、
原作以上に登場頻度が高く、
映画オリジナルの展開でも迫真の演技を披露。
とくに誘拐未遂のシーンでのエズキ泣きは
健気な子どもとの対比でたまんないものがありました。
(鼻水たら〜も最高最高!)
そして何と言っても三浦友和!!
彼は誘拐事件の陣頭指揮をとる一課長なんですが、
原作のキャラクターがそのまま現れたかのよう。
安定感と目力の強さ。
模倣誘拐の被害者宅で初めて被害者と会った時の目は
結末を知った上で見ると抑えられたクールな怒りが
伝わってきて超グッときました!
佐藤浩市は上記2人とのシーンで輝きを放っていました。
広報部の仕事は泥臭いものとして描かれているんですけど、
それと佐藤浩市の相性の悪さはあるのかなと。
年を重ねた男たちが奏でるアンサンブルは
間違いなくオモシロい部分だし、
映画館で見ると顔に刻まれた皺が見えて、
その説得力も大きいように感じました。
模倣誘拐のネタばらしが原作よりも早いし、
解決に至るまではあっという間でした。
(吉岡正隆演じる幸田がヘリウムガス切れて取る、
代替案はちょっと笑ってしまった)
犯人の目崎を演じるのは緒形直人。
僕が原作で一番好きだったシーンを
見事にやり切ってくれて嬉しかったです。
絶望から救われ、事の経緯を理解した途端の顔よ!
この後に映画オリジナル展開がある訳ですが、
賛否両論ありそうな内容でした。
僕も原作読んだときに、
「あーこいつは結局野放しになるのか。。」
とは思ったんですが、そこに踏み込んでいます。
佐藤浩市が取る行動は青臭い刑事ごっこに
初めは見えるんだけど、結果的に起こる事態が
子どもの心に傷をつけるという鬼畜の所業。
その後の佐藤浩市の表情が最高だったなー
結局自分で全部説明しちゃんですけど、
自らも子を失った状態にも関わらず、
矛盾した行動を取るというのが
人間の性というべき部分と思えて好きでした。
終盤に全部回収していくシーンは
本当に蛇足でどうでもいいと思いました。
キレ味悪いと見た後のあと味悪いので、
その辺は考えて欲しいところです。
とにかく小説を読んで欲しいと思います。

2016年6月17日金曜日

ノック・ノック



<あらすじ>
仕事のため、家族と離れ、
1人留守番をすることとなったエヴァン。
その夜、ノックの音に玄関のドアを開けると、
そこには2人の若い女性が立っていた。
道に迷ったという2人を親切心から家の中へ
招き入れたエヴァンは誘惑に負け、
彼女たちと一夜をともにしてしまう。
それはエヴァンの地獄への第一歩だった。

イーライ・ロス監督最新作!
ということで見てきました。
前作のグリーン・インフェルノも最高でしたが、
本作は彼の代表作のホステルの系譜にある
調子乗った男は滅法ヒドい目に合う!
といった話で最高に胸くそ悪くて楽しかったです!
浮気、不倫しちゃう人に見せたい作品。

※ここからは盛大にネタバレして書きます。

グリーンインフェルノと同様、空撮から始まり、
ワンカットで彼らの部屋の中をぐるりと周り、
家族の肖像画が映るところでタイトルが出ます。
これが最後に効いてくるショットになってました。
エヴァンが建築家、奥さんが芸術家として働き、
2人の子どもが居て豊かな生活を送る、
ハイソなザ・アメリカン家族。
彼らの生活の状況説明の中に、
ささっと前フリを入れ込むあたりの手際の良さは
さすがのイーライ・ロスといった感じでした。
休日を返上して働くエヴァンの元に
雨でずぶぬれになった2人の女の子が登場します。
エヴァンは初め家に入れないで追い返そうとしたんだけど、
電話だけ貸してと言われ、断りきれず、
彼女達を家の中に入れてしまいます。
これがあらすじにもある「地獄への第一歩」
彼女たちはさりげなく要求をエスカレートさせていき、
エヴァンとの距離を詰めていく。
この距離の詰め方と何とか理性でエスケープする、
男女の攻防が見ててハラハラ!
バスローブを着た若くてエロくてカワイイ女子2人に囲まれて、
家族は旅行中で不在で自分1人。
こんな状況の中で誘惑に耐えきれる男は
この広い世界にいるのでしょうか、否いません。
したがって悪い方向に転ぶのは当然として、
一体どのタイミングでエヴァンの心が折れるのか、
というのが見るポイント。
片方の女の子と一緒になった瞬間に
エヴァンが自らのDJテクニックを披露し出すのとか、
下心丸見えで最高最高!(アナログへのこだわりを語るドヤ顔)
Uberが到着し彼は我慢したで、、、と思って、
彼女たちを風呂場まで呼びに行くと、
あらわな姿で2人の女性が迫ってきて、
2人がかりのブロウジョブでついに陥落。。。
そこからパーティーターーイム!!
セックスの見せ方がエロくて、
バスルームの半透明の窓を使った演出が最高だったなー
(ビーチクの婉曲表現)
夢のような時間から目覚めると、2人はひたすら悪態をつきまくります。
エヴァンが怒って警察を呼ぼうとすると、
「うん、呼んでもいいよ。あんたは未成年淫行で捕まるだけだから」
と言い放つ。この後、彼女たちは自分の家まで一旦帰るんだけど、
弱みを握られた男はとても弱い存在であることが、
後半にかけてまざまざと見せつけられます。
ホステルも調子乗った男が痛い目に合う話という意味で、
プロットは似ていますが、
ホステルは非日常空間だったことに対して本作は自宅で起こる悲劇。
いつ誰にでも起こり得ると思えるため、
感情移入度がホステルよりも高い作りになっていました。
彼女たちが本性を現すのが訪問翌日。
危機は去ったかと思いきや、
エヴァンは彼女たちに襲われて本当の地獄が始まります。
フレッシュだったのはターンテーブルを活用したクイズ型拷問。
女の子たちがクイズ番組風にエヴァンの罪を断罪していくんですが、
そのBGMはレコードだし、
拷問として彼にヘッドホンをかけさせて、
爆音でノイズを聞かせて痛めつける!
エヴァンには何回か脱出できるチャンスが何度か訪れるんですが、
どれも寸前のところで上手くいかないのが見ていて辛かったです。
前作のグリーン・インフェルノと似た点でいえば、
自分のことは棚に上げて品行方正を気取っているやつは
地獄に堕ちろ!というところですかね。
何不自由ないエヴァンの生活に、
ヤンキーたちが少し知恵を絞ったことで、
不条理、理不尽が押し寄せて、すべてを根こそぎ奪っていく。
人間としてたくましいのはどちらでしょうか?
という問いかけにも見えました。
主人公のエヴァンを演じるのはキアヌ・リーブス。
去年見たジョン・ウィックでは無敵の殺し屋でしたが、
本作は打って変わって弱い男子を見事に体現。
キアヌ×犬というコンビネーションが
引き続き本作でも展開されている点にはニヤリとさせらました。
キャリア的にシリアス路線多めだったキアヌですが、
それゆえのコメディで発生するギャップが良い味を出しています。
本作の最大の見せ場が彼が正直な気持ちを叫ぶシーン。
「君たちが僕を誘惑してきた訳で、僕は悪くない!
ピザの1枚無料と本質的に一緒じゃないか!」
と堰を切ったように叫ぶ姿は情けなくて笑ってしまいました。
すべてが夢だったらいいのに。と本作を見た誰もが思うわけですが、
終盤で彼女が着ているTシャツに書かれた、
意図したかは別として「It all was a dream」という
BiggieのJuicyの出だしを思わせる演出もニクい。
(鏡に書かれた文字は夢じゃないという
逆の意味になっているのもナイス!)



本作の問題点であり魅力でもあるという
矛盾した言い方にもなるんですが、
彼女たちが物語内で一切懲らしめられない点があると思います。
一般的な映画であれば、彼女たちも割りを食う部分が
少なからずあると思うんですけど、
一方的にエヴァンを痛めつけて終わります。
ここで胸クソ悪いと思う人もいると思います。
とくに全く無関係のルイスが死ぬ必要があったのか、
åという点は疑問に思います。後処理は笑っちゃいましたが。
その一方で、せめて映画内では持たざるものに復讐したい!
というある種の露悪性も僕は嫌いに慣れないなと思いました。
終盤のSNSを使った地獄絵図は最高最高!
LikeとDeleteが並列になるUIは現実に存在しませんが、
なんでもかんでもイイね!押してんじゃねーぞ!
というイーライ・ロスのスタンスを感じました。
ラストは冒頭と同じワンカットで部屋を見せていくんですが、
そこに加えられるのは罵詈雑言。
1つの過ちが巻き起こす地獄を見事に表現していたと思います。
すべての男性は本作を見て自戒の念を強めましょう!