2022年4月29日金曜日

僕は僕のままで

僕は僕のままで/タン・フランス
 

 NETFLIXの人気リアリティショー「クィア・アイ」のメンター役として出演中の著者によるエッセイ。「クィア・アイ」は人生レベルで影響を受けた番組の1つでファッション担当の著者がいかにこれまでストラグルしてきたかの自伝のようなエッセイでオモシロかった。

 番組を見て彼に抱いていたイメージはとにかくポジティブ。見た目がイケてなくてファッションに興味を持っていない人や、変なこだわりを持つ人にTPOもしくは自分に似合ったスタイルを見つけてもらうために、口八丁手八丁で前向きに説得していく姿勢が印象的だった。しかし、それは番組に合わせてのことであり、本著では彼のより繊細な部分を知ることができる。イギリスで育ち、ゲイかつ南インド系というダブルマイノリティで生きてきた苦労に関する話が多く占めており、自分が見ていたタンは本当に一部なんだと思い知った。

 もともとショウビズの世界とは無縁の人で自分のファッションブランドを立ち上げてUSへ移住してきた苦労人だということも今回初めて知った。仕事で苦しんだ話もたくさん書かれていて、これも同じくポジティブなイメージしかなかった彼からは想像持つかない話の連続だった。USで成功するのは並大抵のことではなく難しいのだなと感じた。

 こういった苦労話を単純に「しんどかった」とだけ書くのではなく「こうして乗り切った」とか「こうしておくべきだった」とか人生訓になっているので自分ごととして考えて読みやすいのも良い点。そしてUKスタイルでどれも皮肉たっぷりで書いているので個人的には好きだった。特にインスタで彼に届いたクソDMへの返信を書籍内で行うという見たことない取り組みが最高だった。「クィア・アイ」では超紳士的な姿勢を貫いている彼だって一人の人間なのである。

 「クィア・アイ」ファンとしてはエミー賞受賞の日のエピソードは相当グッとくるものがあった。名も無いマイノリティとしてのゲイ5人がそのプロフェッショナル性と多様性を駆使して世界を変えていこうという姿勢が世間に評価された瞬間なのだということがありありと伝わってきた。現在S6まで公開されており若干マンネリ感あるものの見るたびに自分を律せねば…という気持ちにしてくれる数少ない番組なので末長く続いてほしい。

2022年4月24日日曜日

あるノルウェーの大工の日記

あるノルウェーの大工の日記/オーレ・トシュテンセン

 「ノルウェー 大工 日記」と絶対にGoogleで検索することはないだろう。そういう意味で本著のような本を読むとやっぱり誰かが企画、編集、執筆する本の素晴らしさを感じる。何の変哲もないただの仕事の記録なので人によっては退屈かもしれないが個人的にはとてもオモシロかった。

 著者はこの道25年以上の経験を持つ大工で、ある一家の屋根裏をリノベする仕事について書いている。彼の業務日誌であり、具体的な作業工程、一家との関係性、仕事に対するスタンスなど、徒然なるままに書かれていてグイグイ読めた。そもそも大工の仕事もよく知らない上に、舞台はノルウェーなので知らないことの二乗だけども、それを超越して伝わってくる仕事に対するパッションが最高でとても刺激になった。自分の仕事に対して真摯に向き合い、誇りを持つ。そして計画的にプロジェクトを遂行する。これができれば人生しめたものよ、と思えた。それが簡単なことではないから人生は楽しくて苦しいのかもしれない。

 本著の最大のポイントは大工仕事のディテールについて非常に細かく書いている点だと思う。(相見積から受注、納品まで!)もし仮に仕事に対するスタンスだけ書かれていたとすれば、一歩間違えると安っぽい自己啓発本になってしまうかもしれない。しかし著者は自分の仕事の進め方を丁寧に説明する中でシチュエーションごとに自分の考えを書いているので納得度が高いし、読者側は自らの仕事のシチュエーションと比較して考えることもできる。好きだったラインをいくつか引用。

互いに協力しあう仕事のやり方を学ぶチャンスがなければ、自分に何が足りないのかを知ることもできない。役割が細分化され、それぞれが専門の仕事だけをすることに、皆慣れきってしまっている。

自分の掲げた理想どおりにできないのは、理想が悪いからではない。

経験が教える最も役に立つことは、自分には何ができないか、を知ることである。

 真面目な仕事の話も興味深いのだけど合間に挟まれるノルウェー大工の仕事の風景もオモシロかった。特に食事のシーンでベトナムの人が熱々の昼食を用意するのに対してノルウェーの人は簡単に済ませるといった対比が好きだった。知らない世界はいつも楽しいなと思わされる読書体験。 

2022年4月18日月曜日

LIFE SHIFT

 

LIFE SHIFT/Andrew J Scott and Lynda Gratton

 友人からレコメンドされたので読んだ。定年が65歳に延長されたり、見た目と実年齢が以前よりも一致しない(つまり若く見えることが多い)ことなど、何となく思っていた印象が長寿化によるものだと言語化されている1冊で興味深かった。

 65歳で仕事やめて年金暮らしが今の社会で想定されていたとしても「そうは問屋が卸しまへんで」と過去のデータや予測に基づいて説明されている。教育/仕事/引退という3ステージで生きることができるのは今のお年寄りまで、今後は教育や仕事の初期に身につけたスキルだけで生きていくことが難しいというのは身につまされる話。

 人間は楽観的で短期的な視点しか持てないので社会全体が変わっていくのは非常にゆっくりだけど、個人としては長寿化する社会に備えなければまずいよと繰り返し警告されるので何かせねば!といういい意味での焦燥感、やる気を促してくれた。

 本著の中で一番多く説明されているのはお金のこと。当然先立つ物がなければどうにもならないので当然といえば当然なんだけど、自分が考えている以上にシビアで痺れる。長く生きる=お金が必要、考えてみれば自明ではあるものの、働く期間と余生の期間のバランスの取り方で年間どれだけの金額を貯蓄していく必要があるのか?3人の世代が異なる架空の人物を設定してモデルケースとして説明されるので説得力があった。

 お金や不動産のような有形資産も大切だけど、それと同じくらい無形資産も重要だというのが本著の肝となる主張。「お金だけで幸せにはなれない」といったポエジーではなくスキル、友人関係など目に見えないものが人生に思った以上に寄与しているのだと論理的に主張している。本著内で何度も出てくるrecreationではなくre-creationというフレーズがわかりやすい。余暇を受動的に過ごすのではなく能動的に何か学んだり作ったりして自分の人生/キャリアに変化をもたらさないと長い人生をやっていけないと。完全に受動的余暇でしか生きてないことにうっすら気づいてたものの放置してきた人生なので少しでも自己研鑽したいと思う。

 長寿化で要求されることが様々列挙される中、新しいものを受け入れる柔軟さ、相性のいいものを選択する能力、この2つが本当に必要だなと実感できた。こういった能力が自分の中にあるのか、内省することも合わせて必要だと言われており他人の事を気にする暇あるならDo my thingだよなという結論に落ち着いた。

2022年4月8日金曜日

木になった亜沙

木になった亜沙/今村夏子

 今村夏子作品を読んでいこう!の流れで読んだ。今の自分のモードと合っていることもあるのだけど、こんなに毎回心の奥底をギュッとさせられるのは本当にすごい作家なんだなという感想しかない。

 本作は短編集で「承認」にまつわる物語が収録されている。SNSの隆盛により現代社会において「承認」は可視化が進み、人生の大きなファクターに最近は躍り出ているわけだけど、著者は徹底的に「承認」されない側の切ない視点を描いていてオモシロかった。表題作では主人公が自分の手でギブするものがテイクされない辛さ、もう1つ収録されている「的になった七未」ではさらに進んで存在の希薄さにまで迫っている。いずれの主人公も自分の存在を社会・世界に知らしめるべくあきらめずにストラグルし小さい子どもが生を全うしようとする姿勢には心打たれる。ドライな文体で辛さの局地まで登場人物を追い込むがゆえに物へと擬態化していくところが切なく感じた。しかもその擬態化がさらっとしているところも乙。あとは芥川賞作品を残すのみ! 

2022年4月4日月曜日

十七八より

 

十七八より/乗代雄介

 favoriteな作家の1人である著者のデビュー作ということで読んだ。こんなにヒネりまくっているのがデビュー作だということに驚きつつ楽しく読んだ。この分かりそうで分からない要素こそが著者の大きな魅力なんだと気づくこともできた。

 三人称視点で高校生の少女が過ごした数日を描いていて単純な三人称視点ではなく語り手(著者なのか?)の考察も多分に含まれていてオモシロい。少女の身に起こることは日本のどこかでも今起こっているだろう他愛もないことなんだけども、それを文字を使って文学として再構築している、そんな印象だった。

 本著の最大の魅力は会話の描写。メインは亡くなった叔母との対話で叔母と少女のあー言えばこー言う、その掛け合いの中でバシバシ出てくるパンチラインがとにかく良い。この会話は日常というよりも先述のとおり文学における会話であり、引用を多く含んだ様式美が好きだったし、こういうの読みたくて本を読んでいるなと思った。本著には会話かどうか問わず本当に好きなラインがたくさんあるのだけど一番好きなやつを引用しておく。

注意深く、あまりに弱い光をもらって過ごすあまり、彼らの目は退化し、あるいは研ぎ澄まされ、ある時には心地よく視界に入れていたものすら、いつしか差異を失い、捉え難くなってしまう。こうしてますます卑小な生に、嬉々として閉じ込められていくのだ。

 並の作家であれば、1冊の中で1つのパターンに終始すると思うのだけど、本著ではまた別の会話の魅力も含まれている。それが家族4人で焼き肉を食べに行くシーン。それは小説、ドラマ、映画、もしくは実際の生活で何度も繰り返し見た風景でしかない。なんだけどもその風景における会話描写の圧倒的なリアリティに本当に驚嘆した…焼き肉を家族で食べに行く、これも文学なんだと気付かされる。このシーンを読むだけでも本著の価値があるだろう。(電車で読んでて「トレペ」のくだりでツボに入って笑い過ぎて不審者と化した)で異常なまでの高い粒度で描写したあとの締めの言葉がまた最高だったので引用。

家族の会話というものはどんなにでたらめに配列しようとも、さしあたり電球がつかいないということはないらしい。

 過去読んだ著者のどの作品にも叔父もしくは叔母が登場している。肉親ではないが他人でもない存在が子どもに与える影響について非常に意識的なのだろう。その一方でロクでもない大人は世の中に跋扈していることも描かれている。自分の子どもの頃を思い出しても確かに従兄弟や叔父の言動で強く覚えていること多いし、ロクでもなかった学校の先生のことをレミニスしたりした。