2016年1月31日日曜日

ブラック・スキャンダル



1970年代、サウス・ボストン。

FBI捜査官コナリーはアイルランド系マフィアの
ボスであるホワイティ(バルジャー)に、共通の敵である
イタリア系マフィアを協力して排除しようと持ちかける。
しかし歯止めのきかなくなったホワイティは
法の網をかいくぐって絶大な権力を握るようになり、
ボストンで最も危険なギャングへとのし上がっていく。
映画.comより)

ジョニー・デップの衝撃的なヴィジュアルに
惹かれて見てきました。
実際にあった事件とは思えない、
悪人と警察の癒着っぷりが愉快で楽しい映画でした。
見方を変えれば何歳になっても昔の関係性、掟に従順となり、
ロイヤリティを示す美しい物語と言えるかもしれません。
一方的に断罪されるべき所業の数々が行われるんですが、
悪党にも悪党なりの背景がある訳で。。。
といった内容なのも好きなバランスでした。

※ここからは盛大にネタバレして書きます。

冒頭、警官に尋問される若者のシーンから始まり、
司法取引を行っていて、
彼はあるボスに仕えていたことが明らかにされます。
それがジョニー・デップ演じるバルジャー。
はっきり言ってしまえば、本作は彼を見るためにだけ
存在していると言っても過言じゃないと思います。
見た目、中身のどれを取っても強烈でした。。
登場シーンは仲間とバーで酒を飲んでいるシーンで、
酒のつまみを食べるたびに指を舐めて、
その指でつまみを触りまくる仲間を叱責します。
この時点で「こいつはキレさせたらヤバイ」
ということがビシビシ伝わってきます。
目を含めた表情のMadnessとでも言いましょうか。
前半の段階では本当の悪人になるゴロツキの段階なので、
いい人の側面も残っているんですが、
身内の不幸という分かりやすい形で、
悪者としてのギアが徐々に上がっていきます。
このバルジャーの兄が
ベネディクト・カンバーバッジ演じるビルで
彼は上院議員を務めています。
2人は互いの立場を考慮して深入りしないんですが、
幼馴染のFBI捜査官であるコナリーが入り、
3人の新たな関係が構築されていきます。
3人の立場が善悪入り乱れている感じは、
ミスティックリバーに近いものがありますが、
本作は主にコナリーとバルジャーの物語になっています。
2人はイタリアンマフィアを壊滅するという
共通の目的を持つことで結託し、
FBIがバルジャーに手を出さない代わりに、
イタリアンマフィアの情報を提供するという密約を交わします。
天下のFBIが街のゴロツキに頼りきっていたなんて、
滑稽な話ではありますが、
実話なんだから恐ろしい話です。
バルジャーはとにかく自分のことを裏切ったやつ、
裏切りそうなやつを片っ端から
容赦なく殺していくのが怖いところ。
子どもに教訓として、
「周りに人がいるときに暴力を振るったらダメだ」
と説いているのを見て笑ってたんですが、
その後、徹頭徹尾その教訓を貫くんだから一切笑えません。
一方でFBI側のコナリーは情報提供により、
マフィアを逮捕しウハウハ状態で
バルジャーとの蜜月関係を深めていきます。
僕が本作で一番好きだったのは、
コナリー家での食事シーンです。
ステーキの味の秘密のくだりは
完全にフォックス・キャッチャー
デュポンを思い出さずにはいられなかったし、
コナリーの奥さんとのやり取りの
ネトーっとした気持ち悪さが最悪で最高でした。
悪事も未来永劫続く訳はなく、
マフィアが壊滅したあとに幅を利かせた
バルジャーの一味がFBIの目の敵となります。
コナリーも守りきれなくなり、
ビルに助けを求めに行くシーンがあるんですが、
「法律とかの前に大事な関係ってあるやん?」
とほざくコナリーを一蹴するビルがカッコ良かったです。
実話系ってエンドロールに、
登場人物のその後が文字で示されることが多いと思います。
前情報なしで見に行ったのもあるんですが、
バルジャーに関する衝撃的なその後の話が…!
ルポが角川文庫から出ているようなので、
時間ができたときに読みたいところです。

ファーナス/訣別の朝



ブラック・スキャンダルを見る前に、
同じ監督の前作をチェックするために見ました。
(監督の名前はスコット・クーパー)
公開当時、なんで見逃してたんだろうと思うくらいに、
素晴らしい作品でした。
クリスチャン・ベイルが主人公で、
彼が飲酒運転でひき逃げ事故を起こしてから、
何もかもが破綻していき最後は復讐の鬼と化す話。
昨年、冬の兵士という本を読んだこともあり、
イラク戦争に派遣された兵士のillなmind描写は
興味深く見れましたし、敵キャラの最悪っぷりが最高。
ゆえに後半の復讐シークエンスが映えるんですなぁ。
もう1つ前の作品のクレイジーハートも見たいと思います。
Hulu→リンク

2016年1月30日土曜日

ザ・ウォーク


1974年8月7日、当時世界一の高さを誇った
ワールドトレードセンター。
フランス人の大道芸人フィリップ・プティは、
地上から高さ411メートル、110階の最上階で、
そびえたつツインタワー間をワイヤーロープ1本でつなぎ、
命綱なしの空中かっ歩に挑む。
映画.comより)

ジョゼフ・ゴードン・レヴィット主演ということで
IMAX3Dにて見てきました。
もともと予告編を3Dで見たときから、
このスリリングさは何事!と思っていたので楽しみにしていました。
映像は凄まじい臨場感でVFXでここまでできるのか…
と畏怖の念を抱きました。
言ってしまえば、ただの綱渡りなんだけど、
シンプルであるがゆえに怖かったです。
ストーリーに関しては実話ベースということで、
どこまで本当か分からない部分がありますが、
想定していなかった形で物語が終わったのも好きでしたね。
手作り感満載の作戦と皆で協力して1つの目的を達成する姿を見て、
TVシリーズのスパイ大作戦を思い出したりもしました。

※ここからは盛大にネタバレして書きます。

映画はフィリップが観客に語りかけてくる形で始まります。
そして彼が狂言回しとして、当時を回顧するという
本で語る方法と同じ形式になっています。
前半はなぜ綱渡りを始めたのかを含めた、
彼の生い立ちを描いていきます。
パリ出身の彼は子どもの頃に見たサーカスに惹かれ、
大道芸で生計を立てている青年です。
パリのシーンはモノクロで始まるんですが、
彼が綱渡りをすることになる世界貿易センタービルの記事に出会ったところで
初めて映像がカラーへと変化します。
のちの彼女となる女性と出会ったところでカラーになるのではなく、
あくまで本作の主役は「ビル」だと言わんばかり。
また、フィリップがフランス人ということもあり、
言語設定が映画内で極めて厳格なことにも驚きました。
確かにフランス→アメリカへ移動して実行するので、
ずっと英語をベラベラ話していてもおかしいんですが、
ジョゼフ・ゴードン・レヴィットが
フランス語を話しているのには俳優魂を感じました。
また、この言語の違いを作戦内でも生かしていて良かったと思います。
フィリップの夢を実現するために、
仲間集め、準備、練習を進めていくんですが、
退屈な人は退屈かもしれません。
なぜなら予告で期待した刺激の強い映像までたどり着くまでに
結構な時間がかかるからです。
でも、このDIY丸出しの過程があるからこそ、
クライマックスで手に汗を握る量は変わってくる訳です。
(もし、これが完全にお膳立てされた綱渡りであれば、
たとえ同じビルでもドキドキは半減してたかも)
後半はNYへ移動して本格的な準備といよいよ本番となります。
今では考えられない牧歌的なセキュリティの中、
フィリップやその仲間たちがビルにワイヤーをかけるという
どう考えてもMADなことにマジになってるのが好きでした。
そして決行日が近づくにつれて
フィリップのナーバスさが増していくんですが、
ジョゼフがいい感じに狂っていて楽しかったです。
(とくに夜中の釘打ち→皆に感謝を伝えるシーンが最高)
そしてついに当日!夜中に準備→夜明けとともに
綱渡りというスケジュールな訳ですが、予定どおりにいかないことだらけ。
仕事をしていても、そういったことは多分にあるので、
次元は違うけれど「あるよね~そういうこと!」と共感していました。
準備のシークエンスはオモシロ要素が多い作りになっていて、
僕は皮膚の方が感度高いからといって、
全裸でビルの屋上で踊るのがベストシーンだと思います。
ボロボロの状態ながらもいざ!ということで綱渡りスタート。
まるで自分が綱渡りをしているような臨場感に加えて、
神々しさも携えたようなショットの連続でした。
パニック映画のような展開かなと思っていたので、
そこは意外でビックリしましたね。
息を呑み、キンタマ縮めながらフィリップの曲芸を見守っていました。
最終的に彼は捕まってしまうけれど、
その後は偉大な大道芸人として世間から迎えられ、
彼とビルとのSWEETな関係性も明らかになります。
けれど、そのビルはもう存在しないということを
僕たち観客は当然知っているがゆえに、
とても切ない気持ちにさせられるんですね。さながらビルへの鎮魂歌。
このビルに飛行機が突っ込んで倒壊するなんてことが
全く想像できないと思うけど、それが現実に起こったんだから怖い話です。
911を直接描かなくても、そのことを思い出させ、
忘れないというメッセージを担っている点も興味深い映画でした。

エージェント・ウルトラ



日々をのらりくらりと過ごしてきたダメ男のマイクは、

恋人フィービーに最高のプロポーズをしようと決心するが、
なかなかうまくいかない。
そんなある日、アルバイト先のコンビニで店番をしていたところ、
謎の暗号を聞かされたマイクは、眠っていた能力が覚醒。
スプーン1本で2人の暴漢を倒してしまう。
実はマイクは、CIAが極秘計画でトレーニングされたエージェントだった。
マイクは、計画の封印を目論むCIAに命を狙われることになるが……。
映画.comより)

人生TOP10に入るくらい大好きな、
アドベンチャーランドへようこそのコンビである
クリステン・スチュワート×ジェシー・アイゼンバーグが再び!
ということで見てきました。
コメディ・スパイものと事前に知っていたんですが、
思ったよりもバイオレンス性が高くビックリしました。
画の見せ方は好きな部分がたくさんあったんですが、
ストーリーがイマイチというか、見せたい画があるから、
そのためにストーリーが存在するといった印象です。
これがもしミュージックビデオであれば、
最高に素晴らしいものになるのかも。。。

※ここからは盛大にネタバレして書きます。

オープニングがかなり好きで、
取調室に拘束されたマイクの顔以外のショットから始まり、
取調官が一言、「何から始めようか?」と問うたところで、
ボコボコに脹れまくったマイクの顔のアップになります。
そして一言「どこから始まったのか?」と言い放ち、
ストーリーが高速で巻き戻っていってタイトルどーん!かっこいい!
と期待に胸を躍らせながら見始めました。
前半は彼の日常~その破綻を描いていきます。
アメリカの片田舎に住む彼には過去の記憶がなく、
結婚を考えるくらいラブラブな彼女と同棲中。
コンビニで品出し、レジのバイトをこなしているんですが、
街を出ようとすると猛烈な吐き気に襲われて街を出ることができません。
なぜなら彼はCIAが極秘に開発した人間兵器で、
CIAにコントロールされていたからであった~という話で、
危険な存在である彼をCIAが抹殺しようとするのがメインで、
ボーン・アイデンティティな展開となっています。
本作の見所としては異形表現だと思います。
マイクが人間ではないということを暴力表現で徐々に見せてくれます。
結果的にマイクの顔はボコボコになるんですが、
少しずつ変形していくのが妙にリアルでよかったです。
特にオモシロかったのはブラックライトを使った演出。
ゾンビのように見えるんですよねー
マイクの不安定さを示すものとして、
マリファナ描写が多いことも特徴の1つだと思います。
彼にマリファナを売っている売人を演じるのが、
シェフに出演していたジョン・レグイザモ。
ザ・ヒップホップ!なデフォルメの効いた役が良かったです。
マイクがはじめて力を発揮してからは
バイオレンスアクションとして加速。
送られてくる刺客を次々倒していくんですが、
警察署のシーンが一番オモシロくて、
とくに敵2人の頭のボルトが何本も抜けた感じがたまんなかったです。
ここが良かったゆえに後半の展開が尻すぼみというか、
ストーリーのスケールが不明瞭だしアラが目立ってきて、
そこに少しイライラしました。
(画のかっこ良さとヴァイオレンスで
なんだかんだ楽しくは見ることができたんですが…)
全般に言えることなのですが、
物語内での戦闘能力レベルが曖昧なままなので、
すげー強い!最高!なのか、弱い…けど頑張れ!
っていうスタンスで見るべきなのかが
最後まで理解することができなかったのが、
乗り切れなかった最大の要因だと思っています。
ラストのホームセンターでのバトルはイコライザーまんまで、
あの作品を超えるのは難しいにせよ、
2人の対決の中で同じ境遇同士という展開はグッときました。
僕が一番好きだったのは美女と野獣的なラストです。
人は見た目じゃないんだと警察を前に高らかに
愛を誓い合う2人がとてもカッコよく見えました。
エンドロールのアニメーションも可愛らしくて好きでした。
このタッグでウディアレンのプロジェクトが決まってるらしいので、
そちらを楽しみに待ちたいところです。(1)

2016年1月26日火曜日

炎上する君

炎上する君 (角川文庫)



西加奈子作品。
昨年、食わず嫌いからの「サラバ!」で
完全にノックアウトされてしまい、
著作を色々読んでいくことにしています。
今となっては本作は中身よりも
文庫版に寄せた又吉直樹の解説が有名かと思います。
帯コメの「絶望するな。僕たちには西加奈子がいる」は
どこかで聞いた方も多いかと思います。
彼の解説はどこの文学評論家やねん!
というくらい小説を深く理解し、
さらに読んだ感情を伝える文章が
本当に巧みだなーと感じました。
それはさておき、肝心の中身はというと、
とてもオモシロかったです!
想像力のロイター板のバネの部分がたくましいと言いましょうか。
SFとまではいかないけれど、
設定のオモシロさが勝負になっているので、
そこに乗ることができれば楽しめると思います、
本作は8つの短編で構成されており、
僕が好きだったのは「甘い果実」、「炎上する君」、
「ある風船の落下」です。
「甘い果実」では実在する作家の
山崎ナオコーラに憧れる作家ワナビーの話なんですが、
この「ナオコーラ」という名前の
イイ意味でのバカバカしさが心地良かったです。
タイトルにもなっている「炎上する君」は、
足が燃えている男という突飛なところから、
燃えているのはお前だー!という飛躍が
かっこよいなーと思いましたね。
一番好きだったのは「ある風船の落下」
風船病という感染病の流行から、
人との距離感の話へと転換していく鮮やかさは
本当に素晴らしかったです。
友人から勧められる西加奈子作品は
本作以降の作品が多いので、これから読む作品も楽しみです。

YELLOW VOYAGE LIVE TOUR 2016



たまたまチケットを譲ってもらい、
さいたまスーパーアリーナにて星野源のライブを見てきました。
昨年リリースされた アルバムの
「YELLOW DANCER」のツアー、
その名も「YELLOW VOYAGE」
僕は天邪鬼な部分があり、
色々な人に勧められていたにも関わらずスルーしてました。
その価値観をひっくり返されたのが前作のSTRANGER。
普遍的なGOOD MUSICっぷりに
完全にノックアウトされLPも買いました。
そこから著書も読みましたし、
地獄でなぜ悪いはとてもFAVORITEな映画です。
からの「YELLOW DANCER」
このアルバムは普遍的な楽曲の良さに
僕の好きなブラックミュージックの要素を足した、
本当に素晴らしいアルバムで昨年末から狂ったように聞いています。
アルバムの白眉な点は以下のリンクを参照してもらうとして、
ここではライブについて書き記そうと思います。

星野源と宇多丸『YELLOW DANCER』のスケべな魅力を語る
高橋芳朗 星野源『YELLOW DANCER』と現行ブラックミュージックを語る

セットリストは以下の通りでした。(参照先→リンク)

1.地獄でなぜ悪い
2.化物
3.湯気
4.Downtown
5.ステップ
6.Miss You
7.Soul
8.夢の外へ
9.Crazy Crazy
10.クセのうた 
11.口づけ 
12.スーダラ節 
13.くだらないの中に 
14.Nerd Strut 
15.桜の森 
16.Snow Man 
17.SUN 
18.Week End 
19.時よ 
20.君は薔薇より美しい
21.Friend Ship

まず客入れのBGMがGeorge DukeのDon't Let Go
という渋めのチョイスな時点で、
今日はナイスなライブに違いない!と思いました。
ライブには行くもののヒップホップが好きなので、
ターンテーブル2台での編成が多く、
バンドセットを見る機会が少ない僕にとっては、
目ん玉飛び出るくらい豪華なバンド編成でした。
ホーン隊、ストリングス隊、打楽器隊と
アルバムの音源を完全に生で再現するために集結。
ベースはハマオカモトではありませんでしたが、
ギターはペトロールズの長岡亮介!
(ペトロールズの新しいアルバムも超名盤ゆえに必聴!)
こんな面々かつ最高の音響で届けられる音楽は、
ライブという点でいえば人生最高レベルのものでした。
自分が好きなものにお金がかかっているということは、
こんなに幸せなことなのか!と思いましたし、
曲から放たれる圧倒的な多幸感が最高最高!
今回のアルバムはSUNをはじめとして、
ディスコ調の曲が多くライブで聴くと楽しい曲ばかりですし、
緩急として挟まれる
Miss You、Soul、Snow menがまた沁みるんですわ…
10〜13曲目はステージを移動し、
アリーナ中央でギター1本の弾き語り。
真ん中辺りのアリーナの席だったので、
弾き語りする星野源との距離は10mもないくらいで興奮。
ライブならではという点でいうとNerd Strutが良かったです。
収録曲よりも長くなっていてジャムりまくってからの、
星野源自身によるマリンバ演奏!
その圧倒的な音楽強度にただただ歓喜し唸るしかない訳です。
さらにエンターテイナーとしての魅力もふんだんに詰まっていて、
転換中のVTRは彼にしか頼めない人たちが担当していましたし、
セグウェイ、宙吊りでの移動とやりたい放題!
このアルバムで約4万人の人が来て、
皆で楽しい時間を共有できるだなんて。。。
最近読んだ1998年の宇多田ヒカルに記載されていた、
未来を悲観する内容に対する回答として、
「絶望するな。僕達には星野源がいる」と言いたい。
彼が「J-POP」のGame Changerになった瞬間に
立ち会ったのかもしれないと喜びを反芻しつつ、
赤羽で飲んで帰った最高の土曜日でした。

2016年1月25日月曜日

黒い家



森田芳光監督作品。
今年中に全部見れたらなーと思っています。
いわゆるサイコパスものなんですが超怖かったです …
ゾンビとか露骨なヴァイオレンスとかは
「ふぅー!」って楽しめるんですけど、
何考えてるか分からない動機不明の暴力ほど
怖いものはないなぁと思いました。
保険金を巡る人殺しの話で、
サイコな夫婦を西村和彦と大竹しのぶが演じています。
2人が出てる映画はこれまで色々見ていますが、
個人的には間違いなくキャリアハイ!
海外の映画だと遠い世界のように思えますが、
日本が舞台でこんなに狂った世界を
見せてくれるなんて最高最高!
また、サイコパスな世界観と森田監督の
編集、演出の相性がよろしゅうございました。
(とくに音と色の使い方)
Hulu→リンク

2016年1月23日土曜日

の・ようなもの のようなもの



東京の下町。落語家一門の出船亭に入門した
志ん田(しんでん)は、師匠の志ん米(しんこめ)から、
かつて一門に在籍していた志ん魚(しんとと)を
探してほしいと頼まれる。
志ん米は、一門のスポンサー的存在で、
志ん魚を贔屓にしている女性会長のご機嫌をとるため、
もう一度志ん魚を高座に引っ張り出そうと考えていた。
志ん田は、師匠の弟弟子である志ん水(しんすい)や
昔の門下生を訪ね歩いて手がかりを集めようとするが、
なかなかうまくいかず……。

しっかり予習完了したので見てきました。
ホント見といて良かったー!
と心底思うくらい前作の流れの上にあり、
その流れの引用の仕方が愛に満ちあふれたもので、
続編とはかくあるべし!という仕上がりで最高でした。
時間が経ったあとの続編って、
ノスタルジーひたりまくりのものが多かったりするんですが、
「またあいつらに会える!」という喜びを残しつつ、
世代交代な要素もきっちりあって素晴らしかったです。
もし見に行くつもりの方がいれば、
絶対に前作を見てから見に行った方がイイと思います。

※ここから盛大にネタバレして書きます。

本作は前作から同じ時間が経過したという設定になっています。
冒頭、カップルの2ショットに割り込むところを
引きのワンショットで映し出す、
前作と同じ方法で映画が始まります。
ただし、そこに現れるのは志ん魚ではなく、
松山ケンイチ演じる志ん田。
彼もまた真打ちを目指す落語家のようなもので、
内弟子として師匠に尽くす日々を送り、
先の見えない中、毎日を過ごしています。
志ん田は一度プログラマーとして働いたあとに、
落語家となったため、スタートは遅い部類に入ります。
自分は30歳で、兄弟子は23歳。
師匠の娘のことが好きなんですが、
具体的に行動を取る訳ではありません。
師匠は落語の稽古を付けてくれる訳でもありません。
そんな何者にもなれない若者が、
夢 a.k.a 呪いを追いかけることとは?が
テーマとしてあると考えています。
前作は若者にフォーカスした作品だった訳ですが、
本作は夢をあきらめ年老いた志ん魚が入ることで
その点に関する、ある意味残酷な現実も映し出されます。
この対比によって前作よりも深みが出ていると感じました。
そんなに世界は甘いものではないし、
それ相応の覚悟を持って生きねばならないと。
ただ、そこを重たく描く訳ではなく、
そんな先の見えない状況の中でも、
目の前のことに必至で取り組むことが大事だし、
自分が楽しむことが必要であることが
よく分かる作りになっている点が好きでした。
(志ん魚の仕事が便利屋というのは、まさにそれを体現)
あらすじにもあるように、
志ん魚を高座に引っ張りだすため、
志ん田は彼と距離を縮めていき、
僕らが前作で知った志ん魚の人間的魅力に惹かれていきます。
別になんてことない日常なんだけど、
2人がお互いを支え合う姿の多幸感たるや…
志ん田がキレイ好きという設定が効いていると思います。
(丁寧に暮らす男子はア(↑)コガレの対象)
僕が好きだったのは、
前作オマージュの天ぷらそばのシークエンス。
あぁ、なんかそういう楽しさあるよなーと共感しました。
個人的には、志ん米師匠からもらったエビ天を
志ん魚が今度は志ん田にあげれば良かったなーとは思いました。
(奢るという形で間接的に実現しているんですが、、)
胸が痛くなるのは後半で志ん魚が久々に落語を披露するシーン。
彼の十八番とされる「親孝行」を
一席打つんですが、鬼スベリする訳です。
年を取った大人が恥をかく姿を見ていると
自分も将来こういうことあったらどうしよう…
と思ってしまうので辛かったです。。。
ここでの内海桂子師匠の前フリの演出は最高だったし、
ラストの展開でもきっちり活かされているのが良かったです。
志ん魚の醜態を見た師匠、兄弟子は彼に大役を任せられないとして、
志ん魚に高座を頼むことをヤメてしまいます。
これを伝えるのが、でんでんなんですが、
近年ハードな役が多過ぎて借金取りにしか見えませんでした…!
終盤は志ん田が自分のために道を選ぶか、
落語で人間味をさらけ出すことの大切さを
教えてくれた志ん魚への恩義を選ぶか、
という究極の選択を迫られます。
このラストにかけては最高なシーンのつるべ打ち!
結局志ん魚が舞台に立つことになるのですが、
ここで彼は会長が所望する創作ネタの「デメキン」ではなく、
古典である「黄金餅」を選択します。
この「黄金餅」の中には東京を南下する様子を
口上する場面があるんですが、
それは前作の終盤で志ん魚が女の子にフラれたあと、
歩いて帰る道中で唱えていたものなんです!
あの未来の行く末が見えなかった青年が、
拙いながらも、「黄金餅」で観客をロックする…
最高に決まってんだろう!と胸を熱くした次第です。
また、志ん田は志ん魚からデメキンを授かり、
師匠の墓の前で1人で落語を始めます。
この2人の落語している姿が交互に描かれていくんですが、
口頭伝承文化としての落語の側面、
そして世代交代という2つの側面を
表現していて本当に素晴らしかったです。
そして、本作で触れなきゃいけないのは
最近話題の北川景子の魅力です。
天真爛漫っぷりが炸裂していて鬼キュート!
僕が一番好きだったのは終盤で、
木の陰からひょこっと出てきて、
「ヘタクソ!」と志ん田に放つシーン。
なんや!可愛さが度を超してるやろ!
取り乱しましたが、他にも森田監督の過去作に
出ていた豪華俳優の方々がキャメオ出演で出ているのも
見ていて「おっ!」となるし楽しかったです。
また、前作が固定の引きのワンショットが多かったですが、
本作はそれも踏襲しつつ、
手持ちカメラで躍動感のある画も撮っていて、
それが志ん田と志ん魚が過ごす谷中の狭い街並みと
マッチしていて上手く機能しているように思いました。
最後は 尾藤イサオによる
シー・ユー・アゲイン雰囲気 がかかって
完全にサムズアップ!
とりあえず前作であるの・ようなものを見て気に入れば、
本作を見て、その世界観にどっぷりハマれると思います!

2016年1月20日水曜日

1998年の宇多田ヒカル


1998年の宇多田ヒカル (新潮新書)

このキャッチーなタイトルに惹かれたのと
色んな方がプッシュしていたので読みました。
予想を遥かに超えてオモシロかったです!
多くの20代〜30代にとって
宇多田ヒカルは思春期真っ只中の音楽であり、
いわゆる「J-POP」の中でも
特別な存在と考えている人も多いことでしょう。
本作は宇多田ヒカルがデビューした1998年の状況から、
彼女自身がどういった足跡を残したか、
というタイトルどおりの内容があります。
そこも当然オモシロかったんですが、
本作をスペシャルな存在たらしめているのは見立ての見事さ。
同時代のアーティスト、環境といった横軸の見立てが
奇跡か!と言いたくなるくらいのレベルでした。
本作内でもグレートな見立て職人として登場する西寺豪太氏の
「マイケル・ジャクソン、小沢一郎同一人物説」を
初めて聞いた時のワクワク感に近かったです。
はっきり言って1アーティストの縦軸の情報は、
インターネットを使えばかなり細部まで入手できる時代です。
海外の音楽を紹介する方は別として
日本国内の音楽を語るライター、ジャーナリストが
この時代にできる語るべきことは何か?
ってことを証明した1冊かなと思います。
宇多田ヒカルの比較軸として配置されるのが、
椎名林檎、aiko、浜崎あゆみといったメンツなんだから、
たまんないものがありましたね〜
椎名林檎のシークエンスでは
宇多田ヒカルと彼女の蜜月関係にビックリしましたし、
2人の音楽家としての違いも興味深かったです。
つまり、完全自己完結型である
ラップトップ型ミュージシャンである宇多田ヒカル。
バンドのメンバーをことあるごとに変えてきた
セッション型ミュージシャンである椎名林檎。
そんな2人を繋いだCarpentersの
I Won't Last A Day Without You までの
鮮やかさには身震いしました。



またカバー集である「宇多田ヒカルのうた」における
浜崎あゆみの「Movin' on without you」に関する論考も超興味深かったです。
2016年になってあゆのことがこんなに気になるだなんて、
ブレイク当時の自分には全く考えられないことですから、
本を読むのは楽しいなーと改めて思いました。



縦軸の部分でいうと宇多田ヒカルの
ソングライティングおよび編曲への取り組みの変遷が
目から鱗な話ばかりで興奮しながら読み進めてました。
(PUNPEEが宇多田好きなのはその辺りが背景にあるのかなと。)
ただ、本作の中で違和感を感じたのは
これからのJ-POPへのスタンスです。
本作内で紹介されている2014年のCD売上枚数を見ると、
確かにどこのディストピアだよ!という点で
筆者と意見は一致しますが、
「もう何も期待していない」と書き切ってしまうのは
いささか早計のように感じます。
なぜなら本作内で紹介されているようなシンガーたちが
また誕生するかもしれない、いや誕生すると信じたい!
と多くの音楽ファンが思っているからです。
アイドルもいいんですが、他の豊かな音楽が
日本でもっと鳴り響くことを切に願います。

2016年1月18日月曜日

殺されたミンジュ



<あらすじ>
5月のある晩、ソウル市内の市場で女子高生ミンジュが
屈強な男たちに殺害された。
しかし事件は誰にも知られないまま
闇に葬り去られてしまう。
それから1年後、事件に関わった7人の容疑者のうちの1人が、
謎の武装集団に拉致される。
武装集団は容疑者を拷問して自白を強要。
その後も武装集団は変装を繰り返しながら、
容疑者たちを1人また1人と拉致していく。
そして容疑者たちの証言により、
事件の裏に潜んでいた闇が徐々に浮かび上がっていく。
映画.comより)

キム・ギドク監督最新作ということで見てきました。
今の韓国映画 においてキム・ギドク監督は
非常に重要なキーパーソンなんですが、
恥ずかしながら純粋な監督作品を見るのは今回が初めてでした。
噂には聞いてたけど、ここまでか …
というくらい見た目も中身もウルトラヘビー級でした。
監督、脚本、撮影、編集のすべてを
キム・ギドクが担当しているがゆえに
純度100%混じりっけなし!な仕上がり。
日本も韓国も中国も異なる国だけれど、
罪の手ざわり恋人たちといった作品に近いと感じました。
これらに共通するのは近年の社会の鬱屈性に
フォーカスしたものなんですが、
一筋縄でいかないキム・ギドクの角度が
そこに詰め込まれてるので辛いけど最高!と思いました。

※ここからは盛大にネタバレして書きます。

あらすじにもあるように女子中学生を拉致って
殺すところから始まる訳なんですが、
テープをあんな使い方して殺すのか …という
そのドライさからして恐ろしかったです。
しかし、そんなものは序の口でしかないってことが、
物語が進むにつれて明らかになります。
その中心となるのが女子中学生を殺した犯人たちが
謎の武装組織に報復される姿です。
そこそこ暴力がエゲツない映画は見ているんですが、
ギドクのエゲツなさは群を抜いていると思います。
釘付バットで頭殴ったり、
ハンマーで手を殴ったりするんですが、
その棒的なものを振る速度がまったく笑えないレベルで、
痛い!ってことが脳にダイレクトに伝わってきました。
前半はひたすら報復が続くんですが、
徐々にこの武装組織がどういった集団なのかが
明らかになっていきます。
彼らは自警団のようなもので、
社会的に抑圧されていたり、
セーフティネットから漏れてしまった人々で組織され、
お互いの私生活には干渉しないというルールに基づいた集団。
何者でもない彼らは軍隊や国家警察のコスプレをして、
「世直し」という形で日頃の憂さを晴らすかのように
中学生を殺した集団をいたぶりまくります。
普段は社会的な弱者である彼らが権威に変装して、
エゲつない暴力をふるうことは
強烈な悲劇が喜劇となっているかのような矛盾を感じました。
本作の凄いところは、
各メンバーが日々の生活でウザいと思っている人間を
1人の人間に演じさせているということです。
つまり、それぞれ異なる問題は抱えているけれど、
自分の思い通りにいかないのは他人のせいという考えは
すべて同じであると露骨にヴィジュアルで見せてくるんですね。
少なくとも僕はこんな演出を見たことがなく、
新たな発明なのでは?と思っています。
また、この1人を使って物語の因果関係を
完結させる構造にもなっていて驚きました。
さらに中学生殺しの犯人たちが口を揃えて言うのが、
「上からの指示で言われたとおりやっただけ」というセリフ。
悪の実体はどこにあるのかよく分からないことを示す訳ですが、
その被害者をヤクザ絡みの悪いやつではなく、
何の罪もない中学生に設定することで、
こちらの倫理観は激しく揺さぶられます。
また本作では韓国の現在の社会問題にフォーカスしています。
韓国の社会問題に詳しくありませんが、
本作の中ではそれらが群像劇の中で描かれ、
すべてを結びつけるのが暴力による発散になっていると。
何が正しくて、何が間違っていて、
何が良くて、何が悪くてということの結論を示す訳ではなく、
「考えてみてくださいよ」という論考促進型なのが
僕の好みではありました。
そして、どこの国でも起こっている問題は近いのかな、
と先日見たバーバリアンズを思い出したりもしました。
見てから1日経っているんですが、
様々な要素がぶち込まれていて、
なおかつ象徴主義のような描き方の部分が多いため、
言葉で上手く消化できないのが正直なところです。
とにかくキム・ギドグの映画を今年は本気でたくさん見なきゃ!
と心底思わされた素晴らしい作品でした。

2016年1月17日日曜日

君が生きた証



昨年見逃した作品で、
人の心を失っている先輩のオススメということで見ました。
邦題と予告編を見るだけだと、
子どもを失った父親が、子どもの作った音楽で再生していく
といったハートフルなものを想起すると思います。
しかし!本作はそんなあまっちょろい作品ではなく、
「立場の逆転」という恐ろしい展開が待っていました…
(この点において邦題のミスリードは100点の効果!)
前半のかっこ良い音楽が形成されていく多幸感と
後半からの禅問答のような答えのない苦悩、
この対比がオモシロかったです。
ネタバレ超厳禁映画なので、
これから見ようと思っている人は
まっさらの状態で見ることをオススメします。

2016年1月16日土曜日

バーバリアンズ セルビアの若きまなざし


<あらすじ>
仕事も目標も持たず退屈な日々を送っていた仮釈放中の青年ルカは、
仲間たちと地元のサッカーチームを応援しながら
飲み騒ぐことだけが唯一の楽しみだった。
ある日、自宅に来た社会福祉士により、
コソボ紛争で失踪した父が生きていることを知る。
しかし、母はそのことを隠し続けていた。
やがて首都ベオグラードでコソボ独立反対デモに参加したルカは、
ただ暴れるだけの仲間たちの姿に違和感を覚え、
父に会うためバスに飛び乗る。
映画.comより)


ポスターに映る若者の荒々しさに惹かれて見てきました。
セルビアが舞台ってことで相当ヒリヒリしたもの、
と思っていたんですが、見た目は割とソフトな感じでした。
しかし、主人公の行き場のなさ、追い込まれ具合は、
観客の心を掴んで離さないものがあります。
セルビアと聞くと遠い海外の話と考えがちですが、
日本でも全然起こりそうな話ですし、
閉塞した村社会の若者物語として、
極めてサウダーヂに近い構造になっています。
セルビアの社会事情も少し入っていて、
知らないことだらけなので勉強したいなとも思いました。

※ここから盛大にネタバレして書きます。

本作は映画の始まり方がとても好きでした。
明らかに不良と分かる格好とヒップホップな握手が映り、
主人公ルカの親友が銃の取引を行い、
廃墟のようなところで銃の試し撃ちを始めます。
そこからサッカーの試合を見に行く若者が
横並びで歌いながら行進する姿が超かっこ良かったです!
銃の取引のシーンで分かるんですが、
ルカは面倒なことに関わりたくない様子で、
限りなくトラブルを避けたい人間のように見えます。
しかし、ここから彼はどんどん退路を断たれて、
追い込まれていくのを見ていくという作り。
僕が見た回には「孤高の遠吠え」の監督である、
小林勇貴さんのトークショーが聞けたんですが、
彼いわく「不良の背中は怖い、何を起こすか分からないから」
本作では長いカットで背中を追うショットが多く、
その点を指摘されていてなるほどなーと。
(孤高の遠吠え未見なのが心底悔やまれます…)
前述したとおり社会との関わりを徐々に断たれていく姿が
物語を通じて描かれていきます。
ルカはサッカーが好きでその試合観戦シーンで、
親友が黒人選手に対して人種差別的な発言をしてしまいます。
この結果、ルカとその親友はペナルティーとして、
黒人選手の送り迎えを任されます。
この黒人選手はセルビア語を話すことができず、
チーム内でも孤立している様子で、
後半で孤立したもの同士が
お互いに寄り添うような関係が形成されていて、
見ていて微笑ましく思いました。
(ウイイレでズルするシーンが最高!)
ルカは学校で思いを寄せる女の子がいるんだけど、
その子の彼氏は地元のサッカーチームのエース。
何とか彼女の気を引きたいと思って努力するんだけど、
全く振り向いてくれません。
そこで彼が取る行動がエースを轢き逃げするっていうね〜
この轢き逃げのあっさり感とルカの顔が
妙に生々しくて、実際に事故や事件が起こった瞬間って
意外にこのぐらいドライなんだろうなと思いました。
サッカーチームのボスは街の有力者で、
この事件をきっかけに彼は孤立を深めていきます。
(彼を拉致しようとするシーンめっちゃ怖かった…)
また、彼は家族との関係もあまりよくありません。
あらすじにもあるように父親がいなくて、
母親からは父親と会うことを固く禁じられている状態。
この家族の演出も素晴らしくイイ感じに腐っているというか、
とくに母親がタバコ吸いながら、
延々TV見てるのがたまんなかったです。
日本のどこかの家庭でも全然ありそうな感じで、
地方の閉塞感は世界共通なのかなと思いました。
家族も恋も学校も上手くいかないし、
社会に怒りをぶつけたる!ということで、
ルカはデモに参加することになります。
これがセルビアを舞台にしたならではの部分でしょう。
映画内では2008年のコソボ独立にあたって、
それを援助したアメリカ大使館を襲うという
恐ろしい展開になっているんですが実話です。
友人たちと参加するものの、
彼らはスニーカーを強盗することに精を出していて、
社会に対して怒っていない訳です。
そんな状況の中、1人で大使館前へ行き、
たしなめられる姿の切なさは見てて辛かったです。
これで本当に1人になってしまったやないかと。
彼は意を決して父親に会うことを決意し、
バス運転手である父親のバスに乗り込みます。
もともと父親は息子のことを心配していると
聞いていたルカは会いにいけば、
自分のことを気にかけてくれるだろう
という最後の頼みの綱という訳です。
しかし、実際には息子のことを認識できない父親が
そこにいるだけという辛い現実が横たわっていました。
ここまで追い込まれると見ている側も
軽く嘔吐きそうになりました。
そして、この鬱屈した気持ちをどこに向けるのか、
ということが最後の山場となります。
舞台は地元のサッカーチームの昇格試合。
ルカが応援に行ったところ、
そこで待っていたのは恐ろしい報復で
ボコボコにされてしまいます。
僕はてっきりザ・トライブのような
鬱屈の爆発が待っていると思っていたんですが、
彼はなりふりかまわずサッカーチームを応援するっていう、
なんて健気な男なんだ!と感動しました。
と同時に「今のオレにはこれしかねぇ!」
という悲しさも同時に伝わってくる
素晴らしいエンディングでした。
すべてはこのためにあったと言っても過言じゃないと思います。
個人的にはザ・トライブのような、
暴発も見たかったところですが。。。
見たこと無い遠い世界が実は身近なものかもしれないという
映画ならではの体験ができて楽しかったです。

2016年1月15日金曜日

365日のシンプルライフ


劇場で見たいと思っていたけど見逃した作品。
「もの」が無い生活から見えてくること、
みたいな予告編を見て興味を持った次第です。
日本でもミニマリストという言葉とともに、
非マテリアル主義な論調が流行ってますが、
僕は全然ものへの執着が捨てられず、
レコード、本、DVD等に囲まれて生活しています。
そんな僕には耳が痛い作品でした…
本作は監督自身が自分の荷物を
一旦倉庫にすべて預けて、
「毎日1つだけ家に持って帰れる」というルールのもと、
1年間生活してみたというドキュメンタリーです。
おそらく人は「もの」で幸せになれないという展開だろうな
と見る前から薄々分かっていたものの、
体を張って「要るもの」「要らないもの」の
境界線を提示してくれた部分は興味深かったです。
つまり、「もの」をたくさん持っていること事体を
一方的に否定するのではなく、
生活に必要なレベルと生活を彩るものという線引きが
なるほど!と納得しました。
個人的にはどんなミニマリストも想定しないだろう
ミニマっぷりで始まるところが最高沸点。
断捨離への意識が少し高まったので、
レコードあたりから整理してきたいです。

の・ようなもの



「の・ようなもの の のようなもの」という映画が
明日から公開されるので予習として見ました。
森田芳光監督のデビュー作品。
すでに亡くなってしまいましたが、
遺作となった僕達急行-A列車で行こう-を見てから、
家族ゲーム39 刑法三十九条などを見たんですが、
どれも興味深く楽しみました。
しかし、その後は全く見れていません。。
本作は森田監督作品を
もっと見ていきたいなと思わされる作品でした。
どの作品を見ても違和感が残るのは、
映画的な生理に基づいていないからなのでは?と思います。
(見た後の感触としては大林宣彦作品に近いと感じました。)
場面の転換や「今そこ重要?」といった視点、話の進め方が
他の監督には見られないし、
それがデビュー作の時点で溢れ出していることに驚きました。
売れっ子落語家を目指す青年が主人公で、
「何者」でも無い、「落語家のようなもの」である時期の、
とりとめのない日常を描いたものなんですが、
多幸感が画面から溢れ出ています。
とくに落語一門でキャッキャしているシーンは、
自分もそこにいたい!と思わされるくらい。
ポイントポイントで最高にくだらないシーンも
たくさんあって何度も笑わされました。
そのフリがあっての終盤、
志ん魚と志ん菜の2人の会話がグッと来るし、
宴の後なエンドロールも後味抜群。
横道世之介が好きな人は絶対好きだと思います。
あと劇中の志ん菜(大野貴保さん)が
完全に僕のドッベルゲンガーでした。(写真左)


2016年1月13日水曜日

母と暮せば



<あらすじ>
1948年8月9日、長崎で助産婦をして暮らす伸子(吉永小百合)の前に、
3年前に原爆で死んだはずの息子・浩二(二宮和也)が現れる。
2人は浩二の恋人・町子(黒木華)の幸せを気にかけながら、
たくさんの話をする。その幸せな時間は永遠に続くと思われたが…
映画.comより)

DVDながらも東京家族小さいおうちと、
近年の作品は見ている山田洋次監督作品
ということで昨年の映画ですが見ました。
上に記載したあらすじさえも知らず、
ニノとサユリが出てる映画でしょ〜くらいの
軽い気持ちで見たら、
ところがどっこい戦争ファンタジー物語だったので驚きました。
笑わせる部分は最高に笑わせてくれるけれど、
悲しくなる部分はしっかり悲しく辛い話でオモシロかったです。
昼間に見たからか、劇場はおじい、おばあで一杯
しかも、いちいちリアクションが最高最高だったので、
とても楽しく映画を見ることができました。
(ただ、携帯電話の電源切ってないおじい、おばあ多過ぎ!)
死者と残された人、そしてファンタジーという点で考えれば、
黒沢清監督の岸辺の旅と非常に近い構造です。
岸辺の旅は死者の描写が抜群に優れていたのに対して、
本作はそこが物足りないなーと感じました。
しかし、そこを補うのは本作が担うメッセージ。
今年公開された戦争映画の中で原爆を正面切って
描いたのは本作だけですし、
忘れること、忘れてはいけないことの
書き分けが丁寧かつ愚直という印象を持ちました。
今年は昔のクラシックをたくさん見るという目標があるので、
山田監督の映画も少しずつ見たいと思っています。

※ここから盛大にネタバレして書きます。

本作はツカミが抜群の映像から始まります。
浩二が学校へと向かうところなんですが、
1950年代頃の日本映画のような白黒の映像で始まります。
単純な白黒というものではなく、
小津、木下、成瀬などといった日本の古き良き映画の中に
二宮くんがいるという時空の歪みを感じさせるレベル。
からの原爆ドーンで浩二が死んでしまい、
3年後に幽霊となって現れ、伸子との交流が始まっていきます。
この浩二の幽霊としての登場シーンも見事で、
視点の誘導が上手くて気づいたら画面の右隅に
幽霊となって彼が現れていました。
映画で描かれる舞台は非常に限定されていて、
彼らの住む家と教会のみになっています。
そして回想シーンも少なくなっているので、
役者の力量次第で出来不出来が決まってしまう作りです。
そんな状況の中で、主演3人の演技は本当に抜群でした。
二宮くんは年末のドラマで落語家の役を演じていましたが、
(赤めだかというドラマで、これから見るところです。)
まさに落語家を思わせる、
立て板に水とはまさにこのこと!と言わんばかりに、
幽霊となって現れてはノンストップでしゃべり続けます。
密室系でひたすら説明されると
つまんないなーと思ってしまうことが多いんですが、
あそこまで朗々と語られると聞いてて楽しかったです。
一方、その話の受け手であるのが母役の吉永小百合。
僕の中では品行方正というイメージが強かったんですが、
本作ではいい感じにすっとぼけた シーンが多くて、
そこに好感を持ちました。
とくに上海のおじさんとの掛け合いは、
どの場面も素晴らしく大好きでした。
(上海のおじさんを演じているのは、加藤健一さんという人で、
映画出演27年ぶりだそうです。。もっと色んな役で見たい!)
そして、本作の影の主役である黒木華。
観客は生きている彼女に一番感情移入しやすく、
そして彼女の立場で戦争の死者と向き合うことになるため、
非常に重要な役目を担っています。
前作の小さいおうちでも良かったんですけど、
本作は数段演技のグレードが上がったというか、
山田監督の演出のたまものなのか、
この町子というキャラは彼女しか想像できない!
というほどの実在感がありました。
印象的だったのは登場シーンで吉永小百合の草履の鼻緒を
彼女が 結ぶシーンがあるんですが、その仕草の自然さに驚きました。
(長崎の街の美しさも影響してるとは思いますが …)
本作を見て僕が最も印象に残ったのは、
メンデルスゾーンのレコード(音楽)に代表される、
文化を享受できる喜びについてです。
回想シーンは限りなく少なくなっていますが、
浩二が指揮するシーンや歌うシーンは
きっちりと描いていましたし、
浅野忠信のエピソードは個人的に相当グッときました。
(ちなみに劇伴は坂本龍一が担当)
当たり前にあるものが当たり前でなくなる戦争において、
一番最初に切り捨てられる文化が、
どれほど尊くて大切なものなのか改めて考えさせられました。
また生かされた側の苦悩という話も、
今となっては分かりにくくなっていますが、
精一杯生きるしかないよなーと思ったりもしました。
エンディングが割と衝撃的な展開で、
キリスト教のプロバガンダか?!
と思わず言ってしまいそうになるけれど、
このファンタジーな世界観にはちょうどいいのかなと
自分を納得させて劇場を後にしました。