2017年10月28日土曜日

あゝ荒野 後篇



<あらすじ>

ボクシングのプロデビュー戦を終え、
トレーニングに励む毎日を送る新次とバリカン。
宿敵である裕二との対戦に闘志を燃やす新次は、
自分の父親の死にまつわる
バリカンとの宿命を知ってしまう。
一方、バリカンは図書館で出会った
京子に初めての恋をするが、
彼の孤独が満たされることはない。
やがてバリカンは自身の殻を打ち破るべく、
兄弟のように過ごしてきた
新次との日常を捨てることを決意。
戦うことでしか繋がることのできない
2人の死闘の日々がはじまる。
映画.comより)

前篇を見終わったあとに流れた予告編で

期待高まりまくりの中、見てきました。
文句をつけたくなるシーンも
いくつか散見されたのですが、
それらをすべて吹き飛ばす主演2人の演技力で、
僕は涙を流さずにはいられませんでした…

※ここからは盛大にネタバレして書きます。


後篇で描かれるのは主に2つで、

新次の復讐試合と新次と健二の試合。
復讐試合は前篇でフリがあったように、
自分の兄貴分を下半身不随に追い込んだ裕二との
因縁をリング上で清算するというもの。
憎しみを糧とし、憎んで憎んで憎み切ったものだけが
リング上の勝者なのであると考える、
新次の1つの到達点とも言えるのがこの試合。
この試合の痛みと苦みは凄まじかった。。。
あれだけの憎しみにさらされた、
僕を含め観客の多くが期待するのは
憎しみからの解放であり、明確なカタルシス、
勧善懲悪なストーリーなんだけど、
そんな簡単に解放してくれないんですね。
みっちりと作戦を練ってきた裕二が
序盤優勢なんだけども、反則行為を含めて
何度も挑発することでボクシングではない、
殴り合いへと展開していく。
裕二はボコボコにされるものの、
最後までダウンすることなく
判定で新次が勝利するんだけど、そこにカタルシスはない。
つまり、憎しみの果てには
何も待っていないということが露呈してしまうんですね。
当たり前と言われれば、それまでなんですけど、
あまりに痛々しく生々しいボクシングシーンがゆえに、
こちらの心にグサグサ刺さってきました。
そしてメインとなるのは新次と健二の試合。
そもそも前篇では2人は兄弟分として、
1つ屋根の下でトレーニングを積み、
仲良くプロボクサーになった訳ですが、
最終的には拳を交えることになる。
仲良かった2人が殴り合わざるを得ない系映画といえば、
クライング・フィストウォーリアーといった
個人的傑作が多いのですが、
それらの作品では殴り合わねばならない理由が
明快に示されていました。
ゆえに2人が争うまでの持って行き方に注目してたんですけど、
とても曖昧な形のままで、明確に示さないところが
日本の映画っぽいなーと初めは感じました。
健二の新次への愛(ラブの方ね)や
それぞれの父親が実は繋がっている因縁など、
要因として考えられることはいくつか見られました。
しかし、ラストのラストで、
そこをこれでもくらえな勢いで
ファジーであることの意味を回収していくんですよね。。
ボクシングの試合にリアリティがないという
意見があるかもしれませんが、
そんなリアリティ求めるならボクシング見とけって話で。
リアリティを超越したボクシングが描かれているからこそ、
この映画は輝いて見えるんだと思います。
そのビヨンドを可能にしたのが主演2人の演技でしょう。
後篇のヤン・イクチュンの切なさ、エモさは今年屈指。
そして、それを受け止める菅田将暉の度量。
互いが孤独を深めていった先にぶつかり合い、
すべてがパーフェクトにかみ合う最後の試合。
あの健二のモノローグで泣かないやつなんているのかよ!
腐った社会だとしても、自分がここで生きているんだ
ってあんな形で示されたら泣くに決まってるやろ!
少し熱っぽくなりましたが見てもらえれば分かると思います。
今回は前篇ほどサイドストーリーの時間がなく、
2人の時間が多くを占めていることも良かった。
そのサイドストーリーで前フリしていたことは
一応本編に絡んでくるんだけど、
結局蛇足にしか見えなかったです。
もともとU-NEXTの配信ドラマを映画化したそうで、
確かにドラマだと耐えれるけど、
映画だとあまりに冗長過ぎるなーと感じました。
(あと最後の試合で新次が意識トバしたときに
出てくる映像は本当に最悪なので消して欲しい。)
計300分5時間ある訳ですが、その時間を通過してこその
感動があると思うので見て欲しい作品です。

ゼロヴィル

ゼロヴィル

長年本を読む生活を続けていますが、
久々に震えるほどの圧倒的な読書体験でした。
主人公はシネフィルというレベルでは語りきれないほどの
映画に狂った男で帯の言葉を借りれば映画自閉症。
もし人間が生まれてからずっと映画のことだけ
考え続けていれば、こんな人間になるのかも?
という映画好きの心をくすぐる設定。
さらに彼は「陽のあたる場所」という映画に心酔するあまり、
頭の左右に主人公2人のタトゥーを左右に入れている。
(本の表紙の2人です)
彼がハリウッドにやってきて映画の仕事に携わり、
そこからどんどんステップアップしていく過程を描いています。
読んでいるときの感覚としては、
チャック・パラニュークのファイトクラブに
かなり近いものがあって。
本の世界に取り込まれるというか、
TVドラマに後ろ姿を見つけられなかったやつらの
神話を読んでいるような感覚がありました。©RHYMESTER
作品中で大量の映画が引用されていて、
それは見たことがない古典が多いんですが、
どれも無性に見たくなる作品ばかり。
しかも、ただ引用するだけではなくて、
物語内のシチュエーションに混ぜ込み、
有機的に物語と強く結びついていて、
推進力に繋がっているがゆえにスルスルと読める。
(安定の柴田元幸による翻訳)
登場する映画を知らないから読めないではなく、
知らない映画を見たくさせる力を持ちながら、
物語自体がめっちゃオモシロいというバランスの良さが
本当に最高だなーと思いました。
(巻末に映画の索引が付いているのも超便利!)
主人公はハリウッドに来て美術の仕事から始めて、
最終的に映画の編集者になります。
ここが凡百の小説だと監督のパターンが多いと思うんですが、
編集者というのが渋いし、
これもまた物語の構造と繋がっている。
本作はパラグラフが細かく別れていて番号がふられています。
それはまるでカットの断片を並べているかのようで、
つまり物語をブツ切りにして繋ぎ合わせる、
編集の仕事を表現しているんですなー
しかも、その番号がある瞬間から変化していく
仕掛けとタイトルの結びつきがもう。。最高最高!
登場する映画を見てから読み直したいし、
映画好きの友人すべてにオススメしたい1冊。

アフロ・ディズニー2 MJ没後の世界

アフロ・ディズニー2 MJ没後の世界

今年出たJAZZDOMMUNISTERSの
アルバムがとても好きなのですが、
そんな2人の大学での講義録をまとめた1冊。
ずーっと前に大学の近くで音楽イベントを
友達とやっていた頃、そこに来た年下の後輩に
「めっちゃオモシロいので是非」
と薦められてから約5年越しに読みました。
毎回講義にゲストを迎えて、
その人が専門分野を語った後に、
菊地さん、大谷さんがセッションしていく形で、
久々に脳みそ使ったー!という内容でした。
カルチャー、哲学、思想まで
あらゆるジャンルを横断しながら、
様々な論考が提示されていきます。
正直、全部理解できたとは到底いえない。。
オモシロかった見立ては、
オタクカルチャーと60年代ブラックミュージックの
構造的な類似性。マジョリティにも関わらず、
当人たちの意識および実態が
被差別対象にあるという点で結びつけてるんですが、
圧倒的な逆サイドが実は隣同士なのかも?
という話はいつもオモシロいと思ってしまう。
登場するゲストでいえば、
村上隆と松尾潔というHIPHOP、R&Bに関係する人達と
2人のセッションがオモシロかったです。
とくにファレル、カニエがどういった人物なのか?を語る、
村上さんの話はめちゃくちゃ貴重だし超オモシロい。
(カニエはとにかく巨乳。とか最高すぎ。)
2から読み始めてしまったけど、1に戻っていきたいです。

2017年10月26日木曜日

B-A-B-Y AT DINER



少し前ですがミックスを作りました。
映画ベイビー・ドライバーに捧ぐ内容で、
劇中で主人公ベイビーとヒロインのデボラとの
やり取りから着想した「BABY」縛りになっています。
本編のSOUL/FUNKな感じに寄せつつ、
HIPHOP/R&Bも多めにといった感じ。
ベイビー・ドライバーは音楽が好きな人は
必見の映画なので、まだの人は是非に。

2017年10月24日火曜日

猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)


<あらすじ>
高度な知能を得た猿と人類が
全面戦争に突入してから2年。
猿たちを率いるシーザーは森の奥深くの
砦に身を潜めていたが、
ある晩、人間たちの奇襲を受けて
妻と長男の命を奪われてしまう。
敵の冷酷非道なリーダー、大佐への復讐を誓ったシーザーは
仲間たちを新しい隠れ場所へ向かわせ、
自らは3匹の仲間を連れて大佐を倒す旅に出る。
道中で出会った口のきけない人間の少女ノバや
動物園出身のチンパンジー、バッド・エイプも加わり、
一行はついに大佐のいる人間たちの基地にたどり着くが…
映画.comより)

前作を劇場で見たこともあり、
なんとなく映画館で見てみました。
近年、色々とリブート系がたくさんありますが、
猿の惑星シリーズはクオリティが本当に高く、
本作も例に漏れずオモシロかったです。
今回は特に時代の空気をモロに反映していて、
排外主義の行き着く先は破滅でしかないことを
鮮やかに描き切っていました。

※ここから盛大にネタバレして書きます。

前作の続きからで人類はおおかた死滅し、
猿と人類の戦争が続いている世界です。
冒頭から戦闘モード炸裂でテクノロジーに
長けているにも関わらず猿に迎撃されてしまう人類。
銃 vs 槍の戦いは迫力満点でした。
前作でも提示されていたとおり、
シーザーは戦争を好まないんだけど
人類は猿を排除しようとするので戦わざるを得ない中、
あらすじにあるように妻と長男を殺されてしまう。
シリーズを通じて人類との橋渡しの可能性を
持った唯一の猿だった彼がこの事件をきっかけに
憎しみに支配されてしまう。
あゝ荒野でも憎しみがテーマになっていましたが、
時代は憎しみを巡る物語を希求しているのかもしれません。
それがグッドエンド/バッドエンドに問わず。
前作まで憎しみのパートを担っていたのは
コバという猿で前作でシーザー自身の手で倒しています。
彼のことを蔑んでいたにも関わらず、
自分があちら側へと簡単に転んでしまっていることに
葛藤しながらも大佐への憎しみは捨てきれない。
このアンビバレントな状態は終盤までずっと続き、
物語の大きな推進力となっています。
それは私たちが現実社会で抱えうる感情を映し出す。
今回の敵はアメリカ軍の残党のような軍隊なんですが、
もろにネオナチな見た目とスタンス。
猿たちは彼らに捉えられて強制労働させられることに。
このネオナチ集団は猿を倒そうとしているけれど、
同じ人類からも攻撃されそうになっているから、
壁を作ろうとしています。
その労働というのが壁の構築で、
これはおそらくメキシコとの国境に壁を作るという
トランプの施策を示していると思われます。
さらに本作がオモシロいのはノバという
女の子を含めて人間が罹患する口が聞けない病の扱い。
ネオナチ集団は口が聞けない人間を
「人間ではない」と定義していて、
猿と同様、排除する対象と見なしているんですね。
身体的特徴から排除の対象と見なす、
これも現状の人種差別問題を描いているんだと思います。
そして、もっと突っ込んで言えば、
人間を人間たらしめているのは何なのか?というテーマでもある。
このテーマに対する回答としては、自分を犠牲にしてまでも
利他的行動を取ることなのだと僕は受け取りました。
口の聞けない人間、話すことのできる猿、
難しい禅問答のような話をこんなアクション映画で見せていく、
アメリカの映画に対するスタンスがやっぱりかっこいいなと思いました。
終盤までほとんどドンパチがない分、
ラストのたたみかけるような戦いのシーンは迫力満点!
あとから考えると色々ツッコミ入れたくなったりするけど、
見ている間はあまりの火薬量にそれさえ忘れさせる。
エンディングでは約束の地に辿り着くものの、
シーザーの時代に終わりが告げられる。
次作は息子の物語になりそうで、それも見てみたいところです。

2017年10月21日土曜日

あゝ荒野 前篇



<あらすじ>
2021年の新宿。かつて親に捨てられた新次は、
兄貴分の劉輝を半身不随にした
元仲間・裕二への復讐を誓っていた。
ある日彼は、街でティッシュ配りをしていた吃音で
赤面対人恐怖症の「バリカン」こと健二と一緒に、
「片目」こと堀口からボクシングジムへ誘われる。
新次は復讐を果たすため、バリカンは内気な自分を変えるため、
それぞれの思いを胸にトレーニングに励む2人。
徐々に名を挙げていく新次に対し、
バリカンは特別な感情を抱くようになっていく。
そんな中、新次はついに裕二との戦いに臨むことになり…
映画.comより)

菅田将暉×ヤン・イクチュン!
という最高の組み合わせを
新宿ピカデリーで見かけたときから
ずっと楽しみにしていた作品。
前篇で150分、後篇で150分という
特大ボリュームの作品なんですが、
前篇の段階でもかなりオモシロかったです。
日韓を代表する2人の俳優のコンビネーションは
凡百の邦画群を蹴散らさんばかりの勢いでした。
上映終了後の後篇の予告も滾りまくりで
今から楽しみで仕方ないです。

※ここから盛大にネタバレして書きます。

もともと寺山修司の小説が原作。
未読なのでどこまで沿っているか分かりませんが、
かなり現代的にアップデートされていると思います。
舞台となるのは2021年の新宿。
2020年までに山積みする問題が
すべて解決するかの如く振る舞っている
政権与党をあざ笑うかの如く、
高齢化社会、安全保障等の現状の問題が
顕在化している社会を描いている点に好感を持ちました。
しかも、新宿を実際にロケ地としていて、
2021年になっても変わらない街並がそこにある。
(ただしラブホが老人ホームになるとか、
中身は変わっている)
菅田将暉演じる新次は殺人未遂で捕まっていて、
捕まる前までに在籍していた犯罪組織との因縁に
復讐の業火を燃やしている男。
とくに養護施設で実の兄のように慕っていた劉輝を
下半身不随に追い込み今はボクサーとなった裕二に
なんとか復讐したいがためにボクサーになることを決めます。
一方のヤン・イクチュン演じる健二は
吃音を抱えながら床屋で働いていて、
一緒に暮らしている父親からの暴力に苛まれている。
ある日、それに耐えきれなくなり家を出て、
自分を変える意味でボクシングジムにやってくる。
この2人がプロボクサーになる過程を丁寧に描いていきます。
すでに過去の出演作から明らかなのですが、
菅田将暉とバイオレンスの組み合わせは最高!
ということを本作でも決定的に示しています。
狂犬という名がふさわしい暴れっぷりは見事だし、
女性ファンには嬉しい大量のセックスシーンも圧巻だし、
本作は特に顔が。。。
公園をジョギング中に仇敵と遭遇したときに
喝破するときの目ん玉のひんむき方が漫画かよ!
というぐらいなので必見だと思います。
一方でヤン・イクチュンは
息もできないのイメージが強烈なのですが、
本作では打って変わって気弱な男を演じています。
父親の暴力に苦しみ、人を憎むことができない
心優しい青年なのですがコメディリリーフとして抜群。
笑わせてもらえるシーンがたくさんありました。
(後篇はシリアスモードっぽいのですが)
2人とも孤独といえば孤独なのですが、
彼が孤独から解放される瞬間は特別で、
こっちも泣いてしまいました。。
また、この2人を囲む脇役陣はキャスティングが抜群。
ボクシングのトレーナーに
ユースケサンタマリアとでんでんが迎えられていて、
僕が一番好きだったのは2人のリング名を決めるシーン。
ここではTVで見るユースケサンタマリア感が
いかんなく発揮されていて、周りのキャストも
それに乗っていくようなアドリブなタッチで、
とてもオモシロかったです。
(高橋和也はいわずもがないつだって最高)
この話は憎しみがメインテーマに据えられていて、
話が前に進むにつれて膨張していく憎しみ。
どれだけ人は人を憎むことができるのか?
そして憎しみが人を動かす最も強い力になりうるのか?
について考えさせられました。
2人のエピソード以外に健二の父親と
大学の自殺防止(?)サークルのエピソードも
かなりの分量で描かれているんですが、
この話は本当にいるのか?と思わざるを得ませんでした。
後篇をまだ見ていないので、
フリになっている可能性もあるんですが、
社会問題へのイッチョカミ感と
本筋に比べるとあまりに稚拙に見えてしまう展開の
数々にかなりまいってしまいました。。
(これなかったら100分くらいに短縮可能でしょう)
本作の監督は二重生活の岸善幸さんで、
二重生活のときにも見られた様々なカメラによる
ショットの連なりは興味深く思えたものの、
取ってつけたようにしか見えず、
どうせならその手法を本筋で使って欲しかったです。
時間の都合で新宿ではなく、
渋谷で見たことを激しく後悔しました。
映画の舞台となっている街で、
その映画を見る味わいの深さは
見たあとの印象が劇的に違うと思っているから。
なので後篇は新宿で見たい!

2017年10月20日金曜日

アウトレイジ 最終章



<あらすじ>
関東最大の暴力団組織・山王会と
関西の雄・花菱会との抗争後、
韓国に渡った大友は日本と韓国を牛耳るフィクサー、
張会長のもとにいた。花菱会幹部の花田は
取引のためやって来た韓国でトラブルを起こして
張会長の手下を殺してしまい、
張グループと花菱は緊張状態へと突入する。
激怒した大友は日本に戻り、
過去を清算する好期をうかがっていた。
その頃、花菱会ではトップの座をめぐる幹部たちの
暴走がはじまっていた。
映画.comより)

公開タイミングでビヨンドの再放送を見て、

やっぱりオモシロいなーと思いつつ見てきました。
ビヨンドの記憶そのままに見たので、
あまりにドライな演出にビックリしましたが、
初期作品に近い印象で楽しむことができました。
一方でアウトレイジの特徴である権力闘争は
これでもかと描かれていて、
死のダンスを踊り続けるマリオネットかの如く、
互いの命を奪い合う様がオモシロかったです。

※ここからは盛大にネタバレして書きます。

本作のメインを張るのは、
大阪の花菱組と韓国フィクサー。
ビートたけし演じる大友は韓国でビジネスしてて、
そこで花菱組の若いやつがおイタをしてしまって
抗争が勃発すると同時に会長を娘婿が次いだことによる、
花菱組の内紛が並行して描かれます。
最初にすべての元凶となるおイタのシーンで
登場する若いやつを演じるのはピエール瀧。
凶悪のときの彼の姿を思い浮かべていたので、
予告編の段階でかなり楽しみにしていたんですが、
ネイティブではない大阪弁がとても気になってしまった。。
後半の怒っていないときの大阪弁は全然OKなんだけど、
ここでのキレ方が正直物足りなかったです。
(今思いついたけど鶴瓶が適役な気がする。金稼ぎも上手そうだし)
物語の配分としては花菱組の内紛の時間が結構長くて、
権力闘争を楽しめる人は良いけど、
ドンパチ目当てで行くと肩透かしをくらうと思います。
というのも今回バイオレンスは少ない上に
味気ないシーンが多いからです。
それはソナチネに代表される北野初期作品を
彷彿とさせるものでした。暴力は突然襲って来て唐突に終わる。
僕は大好物なので久々にそのタッチを見れて、
とても嬉しかったんですが、
アウトレイジに合うのかと考えると難しいところ。
シリーズ最後ということもあって、
気合いが入っているがゆえなのか、もう老い先短いゆえなのか?
その辺は色んな媒体でインタビュー上がりまくりなので、
楽しみに読みたいところです。
俳優陣が今回も豪華で40歳くらいのベテランでさえ、
ちょい役でサクッと殺されて、生き残るのは歴戦の猛者ばかり。
(原田泰造、津田寛治のイイ意味での無駄使い最高)
色々好きなキャラクターいますが、
今回の西田敏行はシリーズの中でもかなり好きでした。
ヤクザとしての仁義を口では語るけど、
自分は極めてダーティーというスタンスと
それを体現する佇まい、言葉使い。
北野初期作品との繋がりで言えば、
大杉蓮が元証券マンの会長役で
何にも知らない癖に偉そうな態度をとって
結果的に血祭りに上げられる。
絶対死ぬんやろなと思いながら、
どんな形なのかなぁと想像していたんだけど、
北陸代理戦争オマージュなイイ感じの死に方でした。
権力闘争がかなり複雑化しているので、
少なくともビヨンドを見てからでないと、
なかなか全体像を把握できないと思うので、
予習チリバツで見て欲しいです。

2017年10月15日日曜日

ホームシック 生活 (2〜3人分)

ホームシック: 生活(2~3人分) (ちくま文庫)

ECDが癌を患い闘病している中、
過去のエッセイ集が文庫で
リリースされたので読みました。
近年はECDの奥さんの植本さんの著作から
彼の生活を見てきた訳ですが、
本作は植本さんと結婚、
1人目の娘を出産するまでをECDが書いています。
以前に読んだ半自伝的小説でも感じた、
淡々とした独特のリズムの文章と
日常を語るエッセイのバランスが素晴らし過ぎました。
劇場型とまでは言いませんが、
植本さんは感情で生きている印象を
本を読んでいる限りでは受けるのですが、
ECDはそれを達観しているような視点がオモシロかったです。
確かに年齢が上だから、
ということが理由の1つなのかもしれないけれど、
それだけじゃない2人のコンビネーションが
2人の著作を読むことで立体的に浮き彫りになる。
しかも2人ともすべて明け透けに語っているだなんて、
こんな夫婦はそうそういないでしょう。
この2人を見ていて感じるのは
必ずしも夫婦が似た者同士である必要はないということ。
お互いが他人であるということを理解して
初めて生活が回っていくのかもしれないなーと。
(結婚もしてないテメーが語んなという意見は
胸にそっとしまってください、今すぐに。)
あいまに挟まれている植本さんの写真も
生活の瞬間が切り取られていて、
エッセイを補完する材料として見事に機能していました。
僕が一番好きなのは「一日」という話。
ここ数年、一番オモシロいのは日記という
持論をことあるごとに感じるのですが、
それを体現するかのようなエッセイ。
ただただ起こったことの記録でしかないんだけど、
静謐で無駄のない文章が醸し出す、
生活することの豊かさがたまりませんでした。
とか思ってたら友人のレビューでも
「一日」が引用されていて
シンクロニシティ感じました→リンク
ECDの著作の最新作も合わせて早く読みます。

ブレードランナー ディレクターズカット



ついに今月ブレードランナーの続編が、
ゴズリング主演、ヴィルヌーヴ監督の
最強布陣と共にお届けされる訳ですが、
その前の予習ということで見ました。
しかも、丸の内ピカデリーで爆音上映が始まっており、
そのラインナップの1つ。
随分前に1度見ただけだったので全く忘れてて、
爆音とピカデリー3の巨大スクリーンのおかげで、
映画体験が更新されました。
オープニングの街の光景と音楽だけで
いわゆるご飯3杯食べれる系の素晴らしい密度。
1983年公開なので35年前の作品なんですが、
全く古びない恐ろしいほどの鮮度を保っている
ヴィジュアルの数々は眼福としが言いようがない。
ぶっちぎりに凄いものってこんな感じで
永遠に残り続けるのか?という畏怖の念を抱きました。
未だに人々を魅了し続けるのは映像の力が
最も強いんだろうなと思いますし、
セリフによる説明がかなり排除されていて、
こちらが想像する余白が残っていて、
それが楽しいなーと思いながら見てました。
爆音で見て良かったのは、
女性レプリカントがデッカードに殺されるシーン。
レプリカントは異形の有機物なんだということを
思い出させるのに十分な断末魔でした。
ちなみにユニコーンの折り紙はいつでも殺せるぜ
というメッセージだと受け取った派です。

2017年10月14日土曜日

世にも奇妙なマラソン大会

世にも奇妙なマラソン大会 (集英社文庫)

こちらもブックオフでサルベージ。
(特大ボリュームの謎の独立国家ソマリランドが
ついに文庫化されたとの報を聞き、それも早く読みたい!)
マラソン素人の高野さんが
アフリカの砂漠でのマラソン大会に
参加する過程を描いた作品です。
もはや、このレベルの話を聞いても
「へーそうなんだー」となり、
そこまで驚かなくなっている自分に驚きつつ、
毎度のことながらオモシロかったです。
初めてのことに何の抵抗もなく、
とりあえず突っ込んでいて乗り切っていく姿は人間力の塊。
舞台となる西サハラも行くまではよく知らないし、
マラソンも今まで走ったことがない。
多くの読者と同じフラットな目線から突入して、
そこで起こっている事態を理解していく、
究極の体感型ドキュメンタリーだなぁと感じました。
しかも、単純なレポートに陥ることなく、
その国の背景を解説してくれるからとても勉強になります。
本作では西サハラという難民キャンプエリアと
モロッコの関係を図らずも知ることができました。
(イスラエルとパレスチナ的な関係ね)
スポーツとナショナリズムの結びつきが
あまり好きになれないんですけど、
本作のエンディングで悪くないかも?と少し思いました。
あとマラソン大会以外に入っている短編群もかなり好きでした。
とくに「ブルガリアの岩と薔薇」がオモシロくて、
ブルガリアで親切なおじさんに付いていったら、
その人がバイセクシャルでひたすら言い寄られるのを
逃げ切るというハラハラする話。
おじさんにちやほやされる中で
高野さんが女性の気持ちを良い意味でも悪い意味でも
悟るところが最高でした。
膨大な量の著作があるので、
少しずつ読み進めていきたいです。

映画にまつわるxについて2

映画にまつわるXについて2

1作目は持っているですが、2作目が出たことを全く知らず
ブックオフでたまたま見かけてサルベージ。
西川監督の映画はもちろん大好きなんですが、
エッセイもかなり好きなので楽しみにしていました。
昨年公開の永い言い訳の製作記録といった内容で、
僕は映画も本もとても好きだったので
その舞台裏を知ることができてオモシロかったです。
永い言い訳は西川監督にとって、
これまでの定石を捨てた作品とのことで、
小説→映画という手法、スタッフの入れ替え、
主演の 本木雅之との向き合い方など、
荒波に乗り出す過程で苦労したことや
それによって得たことが書かれていました。
分かりやすくぶっ飛ばされるのは
本木雅之という男の存在ですね。
俳優としての確固たる地位を持つ、
しゅっとした大人の俳優というイメージを持っている人が
世間の大半だと思いますが、
実は過剰な自意識の塊に苛まれてる系男子。
出演交渉、打ち合わせの度に送られてくる
彼のメールの文面が掲載されているんですが、
あまりにエキセントリック過ぎてドキドキしました。
本当にこのメールを打っているのが、あの本木雅弘だなんて!
立ち読みでここだけでも読んでほしい、たぶん震えるから。
映画の製作記録は映画が好きな人にとっても
もちろんオモシロくて
何ごとも真剣に向き合って妥協せずに
生きていくことが大切だとよく分かる。
んなもん、自己啓発と同じやんけと言われればそれまでですが、
ゴリ押しではなく自分の好きなもの=映画を通すから
響くものもあるってもんですよ。
あと一瞬の切り取り方、世間の見方が本当に抜群で、
パンチラインに付箋つけてたら付箋だらけになってしまった。。
最後には映画評や書評がついていて、
そこでイ・チャンドンの小説について書かれていて
一刻も早く読みたいところです。
それよりも何よりも永い言い訳をもう1度見たい。

2017年10月13日金曜日

文学会議

文学会議 (新潮クレスト・ブックス)

海外文学を積極的に読むモードの中で、
以前に友人から薦められたことを思い出し読みました。
信頼と実績の新潮クレストブックスなので、
当然オモシロかったんですが
南米文学という新たな扉を開いたなぁ
という読書体験が楽しかったです。
2つの話が収録されていて、
1つはタイトル作の「文学会議」、
2つ目は「試練」という作品。
文学会議は文学兼科学博士が主人公。
冗談ではなく世界征服を目的として
クローンを生み出すマッドサイエンティストを自称している。
彼はベネズエラで開催される文学会議に参加し、
その参加者の細胞を採取してクローンを作る。
しかも、その対象者はなんと小説家で、
サイエンティストの思考過程と
文学会議で彼が過ごす様子が並行して描かれる構成になっています。
思考過程は半分哲学のようなもので、
延々と語り倒している内容自体が興味深かったです。
主人公も小説家なのでメタ的な部分が多々ありました。
一方で文学会議自体は作中内で言及されている通り、
常人の想像がおよばない方向へ物語が向かっていく、
そのスリリングさとくだらなさのバランスが好きでした。
人の細胞かと思ったら、衣服(絹)の細胞を
クローン化してしまって巨大蚕が街を襲うっていう。。。
モスラかよ!というツッコミしたくなった。
また、あとがきを読むと南米文学に置ける作者自身の
立ち位置にまでリーチしていると知り、
この内容でそんな奥深いことが?!と勉強にもなりました。
なんといっても僕が好きだったのは2つめの「試練」
ふくよかな女の子とパンクス女子2人が街で出会って、
スーパーへ強盗へ行くという話。ガールミーツガールもの。
前半は乙女とパンクスの相互理解のための
会話が延々と続くんですが、
理論と感覚がぶつかり合うガールズトークが
超オモシロかったです(デス・プルーフ的)
この部分を読んでいるときに、
なかなか理解が進まない場面が多く、
これが南米文学のノリなのか。。。と痛感しました。
(他の作品を読んでみないと分からないけど何となく)
タイトルの試練と愛の関係を含めた
前半のじゃれ合いのディベートを終えてからの
終盤の強盗におけるハードなバイオレンス=試練。
このギャップにやられちゃいました。
単純に内容がハードコアなだけではなく、
初期北野映画の生死との距離感を
想起させるドライな暴力表現。
すでに「ある日、突然。」
というタイトルで映画化されているようで
これだけ読み手にビジュアライズさせる内容を
どんな感じで映像化しているのか見てみたいです。

2017年10月11日水曜日

ドリーム


<あらすじ>
ソ連とアメリカの宇宙開発競争が
繰り広げられていた61年、
米バージニア州ハンプトンにある
NASAのラングレー研究所に、
ロケットの打ち上げに必要不可欠な計算を行う
黒人女性グループがいた。
なかでも天才的な数学の才能をもつキャサリンは、
宇宙特別研究本部の計算係に抜てきされるが、
白人男性ばかりのオフィス環境は、
キャサリンにとって決して心地よいものではなかった。
一方、ドロシーとメアリーもそれぞれ、
黒人であるというだけで理不尽な境遇に立たされるが、
それでも3人はひたむきに夢を追い続け、
やがてNASAの歴史的な偉業に携わることとなる。
映画.comより)

邦題問題で少し前に話題になっていましたが、
そんなことは差し置いて、ファレルが音楽担当した、
NASAで活躍したアフリカ系アメリカンの話
と聞いて楽しみにしていました。
人種差別、性差別に対する鮮やかなカウンターパンチとして、
少し類型的かなとは思ったりしたけど、
逆境に立ち向かいストラグルする人間の話はいつだって心を打たれる。
Beyonceの曲にもあるように
Who run the world? Girls!と高らかに叫びたくなりました。

※ここから盛大にネタバレして書きます。

主人公3人が勤務先のNASAに向かうシーンのあとに
タイトルが出るんですが、
初っ端から人種差別問題が出てきます。
舞台となっているのは1960年代で
マーチンルーサーキングJrが存命している時代。
エンストした彼女たちの車に警察がやってきます。
警棒に手をかけた警官は彼女たちに有無を言わさず
身分証を提示することを求めます。
そこで揉めるっていうのはよく見るシーンですが、
彼女たちのクレバーな立ち振る舞いで
白人警官のパトカーを煽りまくるアフリカ系アメリカン3人組!
という本作の立場を示すような痛快なシーンが最高でした。
映画のつくりがとても丁寧で、映像的な伏線の回収、
たとえば施設内を何度も往復すること、
黒板で計算を披露することなど、
同じ動作でもそこに込められた意味合いが異なるというのが
嫌味なく自然に差し込まれているのがよかったです。
あとは色使いも特徴的。
NASAでは極めてドライな色味な一方、
主人公たちの家や西の計算部屋は温かみがある色味になっている。
「自分の肌の色は変えられないけれど状況は変えられる」という
めちゃくちゃかっこいいセリフがありますが、
それを画面が体現しているというメタ構造が
オモシロいと思いました。(ジャネル・モネイの名演!)
メインテーマとして人種差別が
フォーカスされているんですが、
さらに女性差別までリーチしているのが本作の特徴。
ダブルマイノリティという高い壁に対してくじけないで、
愚直に自分の信念を信じられるタフさ。
自分の思う未来へと突き進む力を与えてくれます。
彼女たちが置かれる苦境が過酷であればあるほど、
心に刺さってくる訳ですが、
たった50年前でもこんな状況だったのかと
知識で知っていても映像で見ると辛かったです。
本作を見た誰もがキャサリンの職場での叫びを
忘れることはできないでしょう。
現在ではこれほどの差別はなくなったものの、
人種問題は未だに、むしろ10年代に入って
加速しているようにも思えてしまう時代にこそ、
こういった分かりやすいストーリーは必要なのかも。
理系映画でもあってキャサリンが
数式書きなぐるシーンとか、
それだけでアガる場面ではあるものの、
一番オモシロかったのは
IBMのコンピューターにまつわる物語。
向学心のあるものが世界を変える、
典型的なエピソードだし、
まさかプログラミング時代突入前夜に
NASAであんなことが起こっていただなんて!
音楽は前述したとおりファレル・ウィリアムズが
曲を書き下ろしていて抜群!
HAPPY以降のソウルマナーチューンのつるべ打ちで、
高揚感!多幸感!が満載。
主人公たちの前向きな心持ちに合っていたと思います。
夢が叶わないこともあるかもしれないけど、
夢を持たないより100倍マシなことを教えてくれる映画。

2017年10月3日火曜日

奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール



<あらすじ>
「力まないカッコいい大人」奥田民生に憧れる
編集者コーロキが、おしゃれライフスタイル
雑誌編集部に異動となった。
仕事で出会ったファッションプレスの美女、
天海あかりに一目ぼれしたコーロキは、
あかりに見合う男になるべく、
仕事に精を出し、デートにも必死になる。
しかし、やることなすことすべてが空回り。
あかりの自由すぎる言動に常に振り回され、
コーロキは身も心もボロボロになってしまう。
映画.comより)

もともと原作を読んで好きだったんですが、
妻夫木聡×水原希子の組み合わせを大根監督で
映画化となれば期待大!で楽しみにしていました。
直前に原作を読み直していたこともあり、
あまりフレッシュさのない映画体験で、
期待し過ぎたかもしれません。
ただ、大根監督意外で映画化してたら、
最悪になっているのは間違いないし、
水原希子無双が2億%発揮されていました。

※ここから盛大にネタバレして書きます。

オープニングはコーロキの歓迎会で、
おしゃれライフスタイル雑誌のメンバーと
マンションでの食事シーンから。
こんな世界が現実に存在しているのかと思うと、
頭がクラクラするんですけど、
東京でカルチャーを次々と消費していく感覚が
スクリーンに映し出されていて、
何とも言えない気持ちになりました。
(ディアンジェロ、ジ・インターネットへの言及あたりに)
あらすじにもあるように、
コーロキは奥田民生が大好きで
印象的な場面で彼の曲が大きくフィーチャーされてました。
これが諸刃の剣になっているように感じました。
奥田民生再評価の文脈で考えると
こんな曲があるのかぁと色々知れて楽しかった一方で、
大根監督の選曲の醍醐味がなくなってしまっている。
菊地さんの本を読んでから映画の中で流れる音楽が
劇判のみなのか/ありものの曲も使うのか?について
気にして映画を見るようになったので、
もう少し多様性を持った選曲が見たかったです。
(でも、タイトルに「なりたいボーイ」って入ってて
他のアーティスト流れたら変な感じになるか。。)
菊地さんと言えば、
最初に登場するリリーさん演じるライターは
明らかに菊地さん寄せな気がしました。。
(ベレーと、ある種無鉄砲な見立てを取るところ)
まーこんなつまんない話は置いておいて、
本作はなんといっても水原希子!
一点突破!行くぜヒップホッパ!©ZEEBRA
最近は人種差別騒動もありましたが、
彼女に対してしょーもないこと言っている暇あったら、
この映画を見て考え直した方が幸せになれる気がする!
僕はあまり彼女のこと詳しくなくて、
何となくクールビューティー的な感じかな
と思っていたんですけど、それは見事に裏切られ、
パーフェクトな狂わせるガールを体現してました。
これでもか!というぐらいのキスシーンの多さ/濃さ。
見てる途中で胸焼けするぐらいで、
正直飽きてくるんだけど、
あの視線で再度ロックオンされるともう逃げれない。
といったループに見ているあいだ囚われていました。
セクシーさに加えて僕が一番好きだったのは、
天海祐希の使い方と水原希子を使った回収。
まさかJBのゲロッパで繋げてくるだなんて!
終盤の無理な展開は原作通りなので、
特に気にならなかったんですけど、
コーロキが腐ってしまう描写は欲しかったです。
家で友達とDVDで見ると楽しいかも。