2022年6月30日木曜日

魂の声をあげる 現代史としてのラップ・フランセ

魂の声をあげる 現代史としてのラップ・フランセ/陣野 俊史

  blackbird booksのサイトで見かけて即買いした1冊。ヒップホップが様々な国におけるポップカルチャーになっていく中でフランスにおけるヒップホップカルチャーが丁寧に説明されていてとても勉強になった。

 シーン全体を包括的に語る切り口というより社会と地続きに存在するヒップホップのアーティストを中心に紹介されている。(いわゆる「コンシャス」なラッパー)近年のフランスで起こっている差別的・排他的な事態に対してラッパーがどういう歌詞やサウンドで応答しているのか略歴、リリック翻訳など丁寧に解説してもらいつつ著者のそのラッパーに対する見解・批評がちょうどいい。単なるディスクレビューでもないし論考だらけでもないバランスで読みやすかった。

 郊外(フランス語でバンリューと言うそう)の貧しい公営住宅で育った移民二世のアフリカ系フランス人が多く紹介されている。US同様に社会に差別は存在し、そのストラグルを歌詞にしているケースが多い。ただアフリカとの距離感がアメリカとは異なっており、植民地の宗主国と属国という歴史もあるため、USよりも距離が近い。それゆえにリリックにルーツであるアフリカの国の言語が出てきたり、音楽にもその影響が見てとれる。

 アフリカ系少年の死をきっかけに巻き起こった暴動、サルコジのひどい発言、言論の自由が脅かされたシャルリエブド事件、警官に窒息死させられたアダマ・トラオレ。これらの社会的にインパクトの大きい出来事と連動しているラッパーが多くいることに驚いた。当然ポップスあるいはダンスミュージックとしてヒップホップ(というかラップという歌唱法)が流行っているのはあると思うけど、その先には言いたいことを主張する音楽としてのヒップホップを受け入れる土壌ができあがっていくことになるんだなと思う。だからこそ社会の出来事とヒップホップが連動していくのだと。日本でもいないことはないけれど、これだけ具体性を持って何か主張しているラッパーは今ほとんどいない。それは平和だからなのか、それとも平和ボケしているからなのか?とすぐに国単位の議論をしてしまうのだけど、この本で書かれていたヒップホップネイションという考えがとても興味深かった。

国境線に分断され、現実には諸言語に分割されているかもしれないが、ラップするものは常に「ヒップホップ・ネイション」に属していて、そのかぎりにおいて、オレたちはひとつのネイションの住民なのだ、という考え方だ。

 こうやって言われると話のスケールが大きくなってヒップホップへの愛が深まりそうと思った。国関係なくかっこいいヒップホップをこれからも聞いていきたい。

2022年6月18日土曜日

兄の終い

 

兄の終い/村井 理子

 義母からレコメンドしてもらって読んだ。軽快な文体なのに起こっている事態は相当ハード、そのギャップがオモシロく超ページーターナーな1冊ですぐに読み終わった。「普通」の家族なんていうものは幻想であり、それぞれに独特な家族の風景があることを教えてもらった気がする。

 著者の兄が自宅で亡くなってしまい、その後の対応を事細かに描いている点が最大の特徴。自分自身は現時点で幸いにも近親で亡くなった人がいないので知らなかったけど、人が亡くなるとどういったタスクが発生してそれをいかにこなしていくか?が淡々と書かれておりそこが知らないことだらけで新鮮だった。この手の話はウェット方向に展開していくのが世の常だけども、そこを裏切っていく。「唯一の肉親だった兄なのにドライすぎる!」と怒る人もいるだろうなと想像つくのだけど、それが前述した家族の在り方は千差万別だということ。家族関係に杓子定規が通用しないことを気づかされた。

 兄が亡くなった結果、取り残された子どもをめぐるやり取りの数々が一番グッときた。子どもをめぐる親権のデリケートさは想像以上だし、父を亡くした子どもに対して周りの大人たちが全力でケアしている様に世の中もまだまだ捨てたものではないなと思えた。特に子どもが転校することになり小学校で開かれるお別れ会のくだりでは涙が…今の時代にこんなピュアな感情が転がっているのか?と俄に信じ難いくらいに美しい場面で、それだけでも読んで良かったなと思えた。

2022年6月16日木曜日

Coffee Fanatic 三神のスペシャリティコーヒー攻略本

Coffee Fanatic 三神のスペシャリティコーヒー攻略本/三神 亮 

 インスタでフォローしていたコーヒーロースターのポストで知って読んだ。コーヒーはQOLの大部分を占めており毎日朝夕2回ハンドドリップで入れて飲んでるし夏場はコールドブリューで作ったり。豆も近隣のお店、通販、旅先で買って、それらを家で挽いてコーヒーライフを楽しんでいるので本著はめちゃくちゃオモシロかった。

 著者はコーヒーの生豆を仕入れる商社で勤めていた経験を持ち、焙煎競技の日本代表コーチを務めていたこともあるらしい。そんな超プロフェッショナルがコーヒーを飲むに至るまでの各工程を因数分解して解説してくれている。改めてコーヒーという飲み物が持つパラメータの多さに驚いたし突き詰めがいのある飲み物だなと思う。豆の種類、豆の産地、焙煎具合、抽出方法。このどれもが奥深くて、各要素に左右されてどういう味になるのかは本当にバラバラだし、だからこそ自分が好きな味を見つけるのが楽しい。特に本著は理論体系をしっかりしましょう、というコンセプトが強くほぼ化学の実験と同じ様相を呈しており個人的には好きだった。よくあるバリスタのコーヒー解説本もいいけど、書き上げた熱量がそのままビシバシ伝わってくる文体も良かった。まさにfanatic.

 家でコントロールできるのは抽出の過程なので、そこは大いに参考にしたいし、お店で豆を買うときの前提知識を増やすこともできるのでコーヒーラーバー必読書

2022年6月13日月曜日

旅の効用:人はなぜ移動するのか

 

旅の効用: 人はなぜ移動するのか/ ペール アンデション

 Kindleのセール本で何かいいのないかな〜とディグする習慣があるのだけど、そこで見かけて読んでみた。コロナ以降、全くもって旅をすることがなくなり早2年。徐々に解禁ムードが漂う中、改めて「なんで旅行するんだっけ?」という基本的な動機を思い出させてくれた気がする。

 著者はスウェーデンの方で旅関連の著名な雑誌を立ち上げた人らしい。タイトルがだいぶ硬いので、理詰めでガチガチの議論をしているかと思いきやエッセイで読みやすい。本当にいろんな角度で旅について論考しているのだけど、大きな主張としてはツアーではなく、メジャー観光地ではなく、ゆっくり、長くといったスローライフならぬスローツアーのすすめとなっていた。自分自身は著者の考えと近くて、いわゆる観光名所よりも地元の人がどんな感じで暮らしているのかに興味を持つタイプなので主張に納得することが多かった。ただ何ヶ月も旅に出れるわけでもなく著者と比べて時間に限りがある生活ゆえに予定詰めすぎてセカセカすること多いなと思っていたので、旅慣れた場所で時間をかけてゆっくり過ごす、みたいなことが今一番したいかも。

 また著者はインドに心酔しているようで自身のインド訪問時のユニークなエピソードが色々あって興味深かった。ただ旅に対するモンド映画的な態度は若干気にかかった。つまり、あくまで自分はスウェーデンという帰る場所があり、それありきで発展途上国をたまに訪れることで楽しむ的な。それは発展途上国の発展を望まないという態度に映らないでもない。旅の結果、外貨が現地に落ちるのだからいいじゃない、という論は本著でも展開されていたけど、昔からこの手の善に関する議論にすんなりと乗れない自分がいることを再認識した。

 完全インドア派がますます加速しているので以下のラインを意識しながら書を捨てて旅に出たいものです。本著内で絶賛されていた「パタゴニア」を次は読もうと思う。

体験が人間を形成してくれるのだ。私たちは体験でできているのだ。体験の結実なのだ。体験する印象が増えれば増えるほど、私たちは人間として成長する。

2022年6月7日火曜日

往復書簡 ひとりになること 花をおくるよ

 

往復書簡 ひとりになること 花をおくるよ/植本一子,滝口悠生

 著者2人による往復書簡。ひょんなきっかけから植本さんにはPodcastのゲストで出ていただくことになり、植本さん曰くその収録きっかけで開始することになったそう。なので製作されていることは以前から聞いていて滝口悠生さんも自分の大好きな作家の1人なので期待値上がりまくりな中、そこを余裕で超えてくる素晴らしい作品だった。こんなに自然体かつ芯をくったことを平易な言葉で表現できる2人がめちゃくちゃかっこいい。

 往復書簡という形のコミュニケーションの速度・密度は現在日常には存在しないと思う。すべてが短縮され高速化される中、それぞれが伝えたいことを時間をかけて考えて文字にする。本著内でも言及されていたけど、2人のやり取りなので、一方に対するメッセージではあるものの公開されるので不特定多数が読む。このスタイルが今の時代に新鮮に映るはず。あと何気ない近況と比較的深いテーマのようなもののバランスが良くて深いテーマだとしてもすべては日常と地続きなんだなと思わされた。

 植本さんからは特に子育てに関するトピックや主張の投げかけが行われて、それに対して滝口さんの論考が展開されるパターンが多かった。自分自身、昨年末に子どもが生まれて絶賛子育て中で何となく考えていたことがことごとく滝口さんによって言語化されており、もうそれだけで自分にとっては特別な1冊となっている。特にくらったラインを引用。

この頃娘は、食事を与えていても、これが食べたい、と指さしたり、危ないものを手にしているので取り上げようとすると不服を訴えて怒ったり泣いたりするようになりました。そういうときに、おお、個人だ、と感動します。

僕はひとりで歩いているときはじめてぼんやりとながらも離れた場所から娘のことを思い出したのでした。妙な話ですが、その瞬間にはじめて、ああ自分には娘がいるんだな、と思えた気がします。

 「べき論」に終始せず各トピックに関して言葉で意見交換して互いの立場を知る。SNS全盛期で「気持ちの良い言い切り」が跋扈する中、分からなさ、曖昧さを表明することのかっこよさが二人から存分に発揮されていて勇気づけられた。また装丁のかっこよさも圧倒的。本の内容と連動しているところもグッとくるし仕掛けの多さも最高だった。

 これだけいろんな角度で魅力たっぷりに仕上がっている本もなかなかないと思うので是非読んでみてほしい。あと植本さんと本著についてpodcastで話をさせてもらったので、読んだ方はそちらも聞いてみてください→リンク

2022年6月6日月曜日

90年代のこと

 

90年代のこと―僕の修業時代/堀部 篤史

 先日読んだ火星の生活がオモシロかったので読んでみた。90年代に青春を過ごした著者が個人的な体験を振り返りながら90年代を現在の価値観で相対化していく。著者と同じくヒップホップが好きなので90年代がゴールデンエラであることに異論はないのだけど、どうしても説教臭さを感じてしまった…

テクノロジーが効率を促進してきた結果、カルチャーの周縁を駆逐してきたのは事実だし、失われてしまったものも多いと思う。それと同時に手に入れた便利さ、情報が民主化されたことなど正の側面があると思うのだけど、著者は負の側面しか見ていない気がした。お金や時間をかけて能動的に一生懸命情報を集めてきたことを否定するつもりもないし、自分もそういう時期はあったので気持ちは良くわかる。ただ厭世感が本著全体を覆っているので、そこまで悲観的になる必要があるのか?と思った。ただ実際に書店を経営していて店中の写真だけ撮って何も買わずに、もしくは記念のポストカードだけ買って出ていかれたら、こういう気持ちになるのかも。

なんだかんだ言いつつも30代のミドルチャイルド世代なので著者の気持ちも分かる部分が多い。以下一部引用。

人は常に、理解するのに時間を要さない明快さを求める。反対に非合理さの良さは説得ではなく、時間を伴う感化でしか伝播することはない。

出会ったことのない過去の音楽は等しく新しい音楽であり、どのように並べるかでその意味を定義し直すことができる。先輩のように知識も経験もない自分にとっては、上の世代に対抗すべき手段として「こういう聴き方だってありますよ」と提案する、編集行為こそが唯一の武器だった

特に二つ目の編集行為、キュレーションの可能性については情報が並列化した今こそ求められることであると思うので意識していきたい。関係ないけどジョナ・ヒルが監督した「mid90s」を早々に見たくなった。

2022年6月1日水曜日

ECDIARY

ECDIARY/ECD

 好書好日のtofubeats回で紹介されていたので読んだ。読み始めて一気に引き込まれて一日で読了…100日間の日記で自身の生活について書かれているのだけど、その生活の中で見つけたトピックから思考を展開していくような内容がとにかく刺激的で興味深かった。

 2004年の日記でアルコール中毒からは既に抜け出したあとでメジャーレーベルと縁を切り自主販売でCDやDVDを捌いていきつつ別で仕事をしている頃の話だった。このようなスタイルは今となってはストリーミングの効果もあり当たり前になりつつあるものの、この頃はCD出すのにも一苦労な時代の中で思い切って自分で全部やると決めている姿勢がストイックでかっこいい。自分の考えが強固に存在し、フェイム、フレックスに目もくれず自分の考えるヒップホップを体現する。なんで自分がヒップホップにここまで夢中なのかといえば著者のようなラッパーがいるからだと改めて思う。

 生活のディテールの細かい描写ではなく著者の思想に触れられるのが興味深かった。18年前とは思えない、2022年の今でも芯をくうパンチラインのつるべ打ちで以下一部引用。引用箇所だけ読んでもピンとこないかもしれないが、どの口が何いうかが肝心©️MACCHOな訳でECDの言葉で、彼の文脈だからこそ刺さるのだった。

“自分にしかできないこと” なんかなくて、 ”誰にでもできること”の中から”自分のやること”を選ぶだけでよいのだ。

僕は政治なんか拒否するために政治活動に参加しているのだ。ほっといてほしいからこそ、つっぱねようと行動しているのだ。

ここでいうセンスというのは、自分が「いい」と思うものを自分以外の人にも「いい」と共感してもらうために働かせる知恵のことだ。だからひとりよがりではダメだ。

 他の読んでない著作もあるし、聞いていないアルバムもあるのでこれからも読んだり聞いたりしていきたい。