2022年11月26日土曜日

むらさきのスカートの女

むらさきのスカートの女/今村夏子

 今年は著者の作品を読みまくっているのだけどもついに芥川賞受賞作品である本著を読んだ。これまでと同様に卑近な出来事が不穏に小説へと昇華されておりオモシロかった。

 清掃員の仕事場での各やりとりがすべて既視感だらけであるにも関わらず、あるあるに収束しないところがかっこいい。あとがきで筆者も述べているとおり、傍観者というクッションを一つ入れることで世界の見え方がガラッと変わり、そこに不穏さが見事に出現。その不穏さだけではなく本著では物語全体のギミックとして機能する(具体的には非正規雇用で不安定な環境での労働にスタックする女性を小説で表現しつつ物語の駆動力に寄与する)ようにもなっており、これまで読んだ作品には見なかったアプローチで興味深かった。代替可能であるというのは聞こえはいいが、誰でもいいことと同義であり社会から簡単に弾き飛ばされることを改めて感じた。

 また同調圧力は著者の作品で欠かせないテーマの一つだと思うけど、今回は無垢な女性がその場の空気に合わせていたら、その場に存在する人間の負の部分を無邪気に吸収して、最終的に皆から忌み嫌われてしまう寓話のような設定がオモシロかった。「皆がやっているから大丈夫」と「皆がやっていないからダメ」は表裏一体だし、そのラインは極めて曖昧であることを教えてもらった気がする。

 最後に著者のエッセイが付録的についているのもありがたかった。いい意味で本当にその辺にいそうな人が類稀なる観察眼を持ち日常を唯一無二の小説にしていると思うと痛快だった。とんこつQ&A読もう〜

2022年11月25日金曜日

犬のかたちをしているもの

 

犬のかたちをしているもの/高瀬隼子

 レコメンドしてもらったので読んでみた。セックス、出産、社会での立場などを通じて男女間の性差についてじわじわと炙り出していく物語でオモシロかった。

 男性の立場で読むと胸が痛いというか、子どものことについて決定権を持っているのは多くの場合女性であり、それに対して男性はあまりに無力かつ無知。また、その苦労を理解していないがゆえに身勝手な行動を取る生き物なのだということもわかる。また女性間での「子どもを産むこと」への認識の違いや子供がいる人生/いない人生、その確率の話など知らないことも多かった。これを「知らないこと」と片付けている、その姿勢へのカウンターが本著の果たす役割だと思う。仮に「子どもが欲しい」と男性が主張しても実際に生まれるまでに献身、思考しなければならないのは女性であり、社会の仕組みとしてもフォローしてもらえるようになっていない。この非対称性についてどこまで意識的でいられるのかを読んでいるあいだ延々と問われているように感じた。

 一番痛烈だなと思ったのは以下のライン。社会において「子どもを持つ親」という立場が果たす無双さとその残酷さが表現されていた。これだけ見ると何を言いたいのか分からないと思うけど読後に読むとエッセンスが凝縮されているように感じた。

わたしのほしいものは、子どもの形をしている。けど、子どもではない。子どもじゃないのに、その子の中に全部入ってる。

2022年11月22日火曜日

もう行かなくては

 

もう行かなくては/イーユン・リー

 最新作を常に読んでいる少ない作家の一人、イーユン・リー。前作が自死した長男との対話という衝撃作だったわけだけど、今作もなかなかのヘビーっぷりで圧倒された。人生がふんだんに詰まっているのはいつもどおりで「生きる」意味を考えさせる小説。

 これまで著者は自身と同じ中国人もしくは中国系アメリカ人を登場人物として描いてきたが今回はアングロサクソン系のアメリカ人、イギリス人が登場人物になっている。この点からアメリカ文学のクラシカルなムードが漂っていた。構成がまた特殊で人称の使い分けはさることながら本著は主人公の女性が若い頃に関係を持った男性の日記に対して高齢者となった主人公がコメントを入れていくスタイルとなっている。この相手の男性の子どもを主人公は出産し育てるものの、その子どもが自殺してしまったという過去がある。たいていの読者が想像する子どもを自死で先に亡くした母親像を覆し、彼女はひたすらに強気で人生を肯定している。まるで自分の子どもが間違っていたことを証明したいと思わせるくらいに。辛いことがあった場合、いつまでも考えるタイプと吹っ切っていくタイプに分かれると思うけど、主人公は後者になろうとしている前者のような感じで、微妙な揺れ動きを感じるたびに胸が締め付けられた。たとえばこんなライン。

でも人が泣かずにいると不思議なことが起こるの。その涙を堤防で全部押しとどめておけそうにないから、それを監視する警備員みたいになって人生を送ることになるのよ。昼も夜も。ひびが入っていないか、漏れていないか、あふれ出す危険がないか確認しながらね。(中略)でもその堤防を何年も見守っていたら、ある日また水を見たいと心の中で思うの。でも、どの水のことですか、奥さん、なんて堤防に言われるものだから、てっぺんに上がってみるでしょ。すると本当に、どの水のこと?向こう側は砂漠なの。

 「理由のない場所」は実際に著者が長男を自死で亡くしたあとに書かれた作品だけど、本作はその前から執筆されていたらしく自身の小説のテーマで自死を取り扱っている最中に自分の子どもを亡くすだなんて想像もできない…前作を読んだときにはまだ子どもがいなかったので、自分自身が子どもの視点しか持っていなかった。しかし今回は子どもが誕生し、親の立場となって読むことにもなったために全然違う辛さがあった。人生の終盤に死者へ思いを巡らす中に自分の娘がいること。そして彼女の決断に何があったか分からない謎に絡みとられていく辛さ。自死は本人が一番辛いのは当然かもしれないが、残された側の人生の過ごし方がまるっきり変わってしまうことを痛感させられる作品だった。

2022年11月8日火曜日

一緒に生きる 親子の風景

一緒に生きる 親子の風景/東直子

 育児本については良さそうなものを常に探しているけど、なかなか読みたいものに出会う機会が少ない。そんな中で出会った本著はとても素晴らしかった。

 著者自身は子どもから手が離れており思い出を回想しつつ現在の社会における子育ての雰囲気などについてつらつらとエッセイを記している。著者はもともと歌人としてキャリアを始めているので各エッセイに絡めて短歌が紹介されている。そのスタイルが読んでいて楽しかった。短歌や俳句は興味があるのだけども歌集や句集を買ってもただただ読み下してしまい、どのように楽しめばいいか分からず挫折することが多い。そんな身からすると各歌のどこが興味深くてオモシロいのか解説してくれているのがありがたく、また育児にまつわる短歌なので今同じ場面を過ごしていることもあり楽しめた。(グッとくる短歌は色々あったが俵万智はやはり別格だった)

 育児真っ最中の立場だと余裕が生まれにくく日々の一つ一つの出来事に思いを巡らせることは難しいことも多い。しかし本著では経験談として何が尊いか、何が楽しかったかを率直な言葉で表現している。そんな著者の言葉から、目の前で起こっていることはかけがいのない出来事の連続なのだ、という考えを得られた。文体はおおむね柔らかいのだけど、ときに本質をつくパンチラインがそこかしこにあるので読んでいてハッとすることも多かった。一番くらったラインを引用。

たくさんの偶然が重なって家族となり、さらに家族としての必然の時間を重ねて、今、ここにいる。子どもがなんども気に入ったものを繰り返すのは、偶然得た今を安心し、満喫するためなのではないかと思う。

 作品内の挿絵がめちゃくちゃかわいいし本の装丁がとても美しいので本で買うことをオススメ。

2022年11月6日日曜日

言葉が違えば、世界も違って見えるわけ

 

言葉が違えば、世界も違って見えるわけ/ガイ・ドイッチャー

 早川書房のセールで積んでおいたのを読んだ。言語と認知について、鶏が先か、卵が先かの議論を中心に展開していて興味深かった。日本語と英語の二つの言語しか読み書きできないので想像もしない議論が多く新鮮。特に言語は思考のベースであり複数の言語で相対化しづらいからこそ本著のような存在は未知の世界への扉として機能してくれる。

 本著では色の議論が半分以上を占めておりメインのトピックとなっている。紀元前のギリシャの詩人ホメロスの韻文をUKの著名な政治家グラッドストンが研究する中で、色の記述の不自然さから古代の人たちの色の認知能力が低く、人類は長い時間をかけて色の認知を進化させてきたのではないか?という話が議論の発端となっている。このとき色盲のように実際に淡い色しか見えていない可能性と、色は今の人類と同じように見えているが、それを表現する言語を持っていなかったか?のいずれかになると想像がつく。しかしどちらが正しいのかは簡単に説明できるようなことではなく本著ではユーモア、アイロニーを含めつつ丁寧に解説している。時系列+物語的な語り口なので、今流行っている漫画の「チ。」が好きな人は興奮するはず。つまり、今となっては当たり前のことも当時は大きな議論になっていて多くの人間が真実を明らかにしようとアプローチを繰り返した。その営みの尊さを感じることができた。と同時に、今この瞬間も未来人からすれば「まだその議論してんの?」となると思えば趣深い。

 日本語・英語しか使えない人間からすると、名詞に対する性別付与に関する議論が一番オモシロかった。ヨーロッパ圏の言語に多く見られる男性名詞、女性名詞の存在が人間の認知に影響を与えていることを示唆する実験結果が示されているらしく特定の対象を男っぽい、女っぽいと潜在的にイメージしながら話しているのは全く想像がつかない。明らかに合理的ではないが、芸術の観点から見れば一つの単語内に本来の意味に加えて性別の情報も乗っかっていることで表現の幅が広がっている、という話がかなり興味深かった。(特に無生物を使った隠喩による詩の解釈)そして衝撃だったのは位置を示す言語の話。右左上下ではなくすべて方角で指し示す言語があるらしく、それも幼い頃から訓練すれば当たり前になっていくところに人間の可能性を感じた。

2022年11月3日木曜日

​​ISSUGI 「366247」 RELEASE LIVE @WWWX

 ISSUGIのニューアルバム『366247』のリリースパーティーをWWWXまで見に行った。コロナ以降、何回かライブには行っているものの基本ホールのようなものにしか行っておらず久しぶりに満員のライブハウスでライブを見ることができた。ライブの尊さがめちゃくちゃ伝わってきて最高の上の上の体験だった。

 今回のアルバムは明らかに過去作とモードが異なっており、リリックの具体性がかなり顕著になっている。それは彼の思想の部分であったりアティチュードであったり。インタビューにおいても、

今までも勿論言葉を大事にしていたんですけど、もっと大事にしなくちゃ次のレベルにはいけないって思いながら作ってました。言葉の表現力とか刺さる歌詞って自分がヒップホップ聴いててカッケーってなる部分の1つなので。

と語っていて、日本のヒップホップの盛り上がりに呼応しつつ思うところが色々あるのだなとアルバムを聴きながら感じていた。

 今回のライブは盟友Scratch Nice がBack DJを担当しており、そのタッグで『366247』の収録曲を中心に過去曲も散りばめつつ1時間強ほぼノンストップでスピットし続けていた。これまで何度もISSUGIのライブを見ているけど、この日はアルバム同様、モードがこれまた今までと異なっていた。とにかくお客さんをアジテートしてライブをお客さんと作っていくグルーヴが最高に心地よかった。曲間でMCといえるほど話さないのだけど、次の曲を歌うにあたり、自分がどういう気持ちなのかを伝えたり、観客に投げかけたりすることで曲に入ったときにさらにブチ上がれる。それこそ仙人掌がFeatで参加している「Ethlogy」でスピットしているように「"誰か理解る奴が理解ればいい"ってのはナシにした」のかもしれない。

 各曲に言及していくとキリがないけれども、やはり「from Scratch」が個人的なハイライト。シングルがリリースされたときから大好きな1曲だしRhymesterの「B-BOYイズム」を塗り替えた21世紀における新たなヒップホップアンセムとさえ自分自身は思っている。それをISSUGIの生のバイブス満タンの声、それを聞いたお客さんもブチ上がり、という条件が揃ったことで泣いてしまった。ライブで泣いたことは今まで一度もなかったけれど、コロナで我慢していた音楽をライブで楽しみたい感情が心の奥底にあったことに気付かされた。

 またScratch Niceのターンテーブリズムがライブ全体のグルーブに寄与している部分が相当に大きい。曲の終わらせ方、カットインのタイミング、すべてが一級品。曲順もScracth NiceがISSUGIの曲でDJしているのかと思わされるほどで最高にかっこよかった。DJがただ曲を流すだけと思われて軽視されがちな最近、彼のライブDJおよびライブ後のDJはその雑音をかき消すに十分だったように思う。デイタイムのライブで客入れのDJはよく見るけどライブ後に客出しではなく、あくまで一つのショウケースとしてDJタイムを用意するところにもISSUGIの考えるヒップホップ観が表現されているのかと思った。あとお子の関係でクラブへ気軽に行けなくなった今、爆音でヒップホップを聞ける喜びを改めて思い知った…

 SPARTA、Kid Fresinoが欠席だったもののゲスト陣も皆かっこよく印象的だった。「俺の周りのかっこいい仲間」という等身大のスケールを持ち続ける男のかっこよさがそこにあったし、何よりゲストがバースをキックしているときの彼の充実した顔が全てを物語っていたと思う。その中でも圧倒的だったのはやはりBESだろう。ISSUGIとBESで二枚アルバムがリリースされており完全無欠のタッグなのは間違いなく本当にブチ上がった。BESはとにかくバイブスが段違い。見ている観客が彼のラップのグルーヴにぐいぐりのめり込んでいく、そんな一体感を感じることができて至福の体験だった。またMONJUのコンビネーションはもちろん間違いなくて、特にコロナを経た今聞く「In The City」は感慨深かった。

 個人的に久しぶりのライブということを差し引いても今回のライブは本当に圧倒的だったと思うし、閏年も含めて全部飲み込むISSUGIがワンマンにかけた熱量を十分に味わえて本当に楽しかった。これからも彼の音楽についていきたいと思う。