2021年6月22日火曜日

生まれ変わり

生まれ変わり/ケン・リュウ

 中華系SFを世界に流布した張本人であるケン・リュウの短編集3作目。当然のことながらクオリティの高い短編が揃っていてオモシロかった。印象的だったのは神々シリーズ三部作で人間の意識をサーバー上にアップロードする技術ができた後の世界を描いている。近年のSci-fiでよくあるタイプの話だと思うけど、戦争と絡めた一大スペクタクルに仕上がっていてページを捲る手が止まらなかった。(あとがきによると、これらは著者から三作まとめて掲載すべきというコメントがあったらしい)その前談の「カルタゴの薔薇」も載っていて、それがデビュー作であることから意識をアップロードするというのは著者の大きなテーマの1つなのかもしれない。
 一番好きだったのは「介護士」という話。介護をロボットが行うようになる未来と移民がになっている現在を対比させて、それらを繋ぐキーとなるのがCAPTCHAという普段接している技術なのがオモシロい。オチも落語のよう。エンディングがぶつ切りタイプの短編も好きだけどSci-fiは上手いこと言っているタイプが好き。「ランニング・シューズ」も似たような話でこれ読むと本当にスニーカー履くの心苦しくなる。ラストの「ビザンチン・エンパシー」はブロックチェーンによる中間搾取の排除の話で、慈善事業とスナッフVRを絡めて皆が言わないことをSci-fiという物語だからこそ語れるのだなと思えた。(現実の話になってしまえば生々しすぎて目も当てられない)作中で引用されていた荘子の言葉が混迷する日々に刺さったので引用。

もし人が百年生きられるなら、それはとても長い人生だ。だが、人生は病と死と悲しみと喪失に充ちており、一ヶ月のうち、大笑いできるのは、ほんの四日か五日かもしれない。時空は無限だが、われわれの命は有限だ。有限をもって無限を経験するためには、われわれはそうした突出した瞬間を、喜びの瞬間を、数えた方がいい。 

2021年6月19日土曜日

個人的な三ヶ月 にぎやかな季節

 

個人的な三ヶ月 にぎやかな季節/植本一子

  新刊出れば必ず読んでいる著者の日記。今回は2021年1-3月の日記で毎度のことながらとてもオモシロかった。自分とは全く異なる生活範囲の人がコロナ禍でどのような生活をしているのか?フルテレワークで家を出ず、基本人と会わない生活を続けている身からすると著者はとてもアクティブに思える。それを決してジャッジしたいわけではなく、アクティブに動いた結果、友人や仕事仲間など著者を含めた周りの人の生活を伺い知れるのが過去作になかったオモシロいところだと思う。仕事の種類によってインパクトは全然違うことが生々しく伝わってくるし、行動を拘束される息苦しさを打破するために友人と会い話をする。コロナ前では当たり前にあったことの重要さが伝わってきてこちらの心も晴れる気持ちだった。
 過去作からずっと読んでいる身からすると、やはり長女のスマートさに驚かされた。大人がなんとなく誤魔化しているところを一閃。それが芯をついていて全然嫌味がない。当然日記に書かれている彼女は断片的な存在で、著者の巻末の言葉を借りると「いない」のかもしれないけれど、どんな大人になっていくのだろうかと気になる。またこんな彼女が大人になって著者の作品を読んだときにどう思うのか。(もうすでに読んでいるのかもしれないが)あとはコロナ禍の小学生の生活のリアルがしこたま書かれていて、子どもたちがこれだけ我慢させられているのに「大人の運動会は盛大に開催したい」というのは死んでも受け入れたくないなと思えた。
 そして最大のテーマと言って過言ではないパートナーとの関係について。結婚制度自体に疑問を呈す著者と結婚したいパートナーのせめぎ合いとお互いの意見を交換していく過程がとてもスリリングだった。制度としての結婚だけがゴールではない、と口でいうのは簡単だけど、その実践は相当難しいことなんだなと感じた。でもなぜ難しいのかと言えば、それは社会の構造だったり周りの同調圧力なんだよなーという思考の無限ループに突入する。このループから連れ出してくれたのは卒業式の風景だった。日記で読んで、NHKの映像で見て、皆が自由に生きたらええねん!となった。
 自分との関係についてこれだけストレートに書かれた日記をパートナーが事前に読むことを拒むのは素直な反応だなと思った。しかしラストのあとがきで全てが昇華されながら本の装丁の物理的な仕掛けと連動していて心をグッともっていかれた。やっぱり日記は最高!

2021年6月15日火曜日

三体 死神永生

三体 死神永生

 中国SFの大きなうねりの中心に位置する三体三部作の最終巻。前作がハッピーエンドと取れなくもない終わり方だったので、どんな話になるか想像つかなかったけど超絶怒涛で最高にオモシロかった。スペースオペラという言葉がふさわしい作品。
 前作で描かれた面壁人作戦の裏で走っていたもう1つの作戦から物語は始まる。本作は合間合間に別視点をいくつか挟むものの、基本は程心という女性の主人公の視点で進んでいく。前回は楽観的なボンクラのルオ・ジーが面壁人として活躍したが、今回は悲観的なボンクラの雲天明が登場。安楽死というセンシティブなテーマにリーチしつつ儚い恋物語、まるで織姫と彦星のような関係で物語の最後まで駆け抜けていくところがオモシロい。序盤も序盤で雲天明が悲しすぎる形で宇宙へ射出されて、まー当然伏線回収あるんでしょうねと思いながら、いつくる?!と期待しながら読んでしまう。その理由としては前作の後半よりもキツい絶望があるから。水滴の暴力性は三体から直接もたらされたけど、今回は被支配下で起こる人間同士の嫌な部分が出てるから。しかもオーストラリアの中心部の砂漠エリアでキャンプしたことがあるので、その頃のことを思い出して何とも言えない気持ちにもなった。
 安楽死やジェンダー論といった現在進行形で議論が続いているテーマへの言及、配慮があるのも興味深かった。SF作家が未来を提示する仕事だとすれば著者は見事に仕事をまっとうしていると思う。さらにコロナ禍という平時ではない今、刺さるのは全体主義の話。地球外生命体が登場したときに全体主義が簡単に蔓延すると語られているのだけど、それはまさにコロナという人類共通の敵との戦いにおいて何度も見かけたので実感を伴って理解できた。
 結果的に進歩を諦める心が人類を危機に追い込んでいくわけで、向上心は大事だし未知の何かにトライする姿勢を忘れてはならない。過去作に比べて何度もこの点が強調される点が印象的だった。ただテクノロジー無敵!と言い切らない良さもあり、よくこんなこと思いつくな〜という著者の想像力の果てしなさにただ脱帽するしかなかった…エンジニアに出自があるにせよ、どういう脳みそしてたらこんなことを思いつくのか?
 あとエンタメ好きとしてアガったのは物語のアナロジーが世界を救う鍵となっているところ。何かを見たり読んだり聞いたりしたときに作者の意図を読み解く。これはエンタメの楽しみ方の1つだと思うけどガッツリ物語内の物語のメタファーを登場人物たちと一緒に考えるという仕掛けがユニークでオモシロかった。そこから二重三重の仕掛けと展開が用意されていてマジでスケールがデカ過ぎて上巻含めて過去二作も置いていかねない勢いだった。リアルタイムに読めたことが何よりも嬉しく数十年後に「三体で言ってたことが現実に!」と言える時代がくるのか。ここから著者の過去作のリリースも続くそうなので他のも読んでみたい。