2021年8月24日火曜日

次の東京オリンピックが来てしまう前に

次の東京オリンピックが来てしまう前に/菊地成孔

 タイトルにある「次の東京オリンピック」はTOKYO2020のことであり、本当はオリンピック前に読むべきだったろうけど遅まきながら読んだ。粋な夜電波が無くなった今、菊地成孔的な成分を定期的に摂取したくなるのだが、その気持ちを満たすだけの冗長性、過剰さはいつもどおりそこにあって満足した。一方で「ポリコレ」的な方向で言えば、さすがにちょっとToo muchかも…という気持ちになった。
 究極のニヒリストゆえに常に逆張りをかましていく姿勢、しかもそのかまし方がユニーク。本作では手を替え品を替え、ひたすらSNSひいてはスマホに対してブチ切れていてオモシロかった。デジタルミニマリズムとかスマホ脳とかデータ主義のアプローチとは全然異なる屁理屈をひたすら並べていてそれを読むのが楽しい。もはやSNSやスマホがない世界は1mmも想像できないわけで、そんな中で彼がいかに抗っていたのか、戦いの記録でもあると思う。なんでも事前に検索してしまう癖に関する指摘はその通りだなと思う。どこに行くにせよ、食べるにせよ、どんなものか事前に検索してしまう。裏切られることも少ないが、期待を超えることも少ない。予定調和を自ら生んでいることに気付かされた。
 オリンピックがうまくいかないだろうという逆張りを2017年から始め、他にも予言めいたこと(オールドジャニーズの退所ラッシュ、嫌煙→嫌咳への流れなど)がいくつか当たっているところが怖い。ニヒリストの逆張りが現実に出現してるのだから。
 特にSNSは使用者が幼児化/退行することやアディクションという意味で酔っているのと同じ状態だと主張していたのだけど、実際にTwitterに降臨してしまった今年の2月、著者は自らを持ってそれらを実証してしまっていた。木澤氏は冗談めかしてパフォーマンスなのでは?と言っていたが、その少ない可能性に同じくすがりたい1人の読者である。自分の声が公共の電波に乗らなくなり、SNSアンチを標榜していたがゆえに世間とコネクトする手段を失ってしまった。それがあのズレた一連の対応の大きな原因なのではと思う。(ラジオ番組が無くなったことは本当に誰も得していない…)公の番組とかに戻ってくるのは難しそうだし相性の良さそうなYoutubeも中指立てるだろうから、まだ読んでない書籍を細々と読んでいきたい。最後にオリンピックに捧ぐ鎮魂のライン。

   私はオリンピックに有意義さがあるとすれば、期待するだけしてコケる、という経験が何かを奮い立たせる効果、にしかないと思っている。勝利を!その前に壮大な期待はずれと痛みを!(Vサイン)

2021年8月18日水曜日

日本の名随筆 古書

日本の名随筆 古書

 金沢へ旅行に行った際に古書店でサルベージした1冊。過去に同シリーズの「毒薬」というのを読んだことがあり、今回も買ってみたところ本作もオモシロかった。時代も場所もバラバラで、古書について語ったエッセイを集めてきているのだけど、皆の古書、古本に対する愛憎が溢れる文書ばかり。60-80年代は本が娯楽だったり情報源を担っていたことを実感した。今ではなかなか考え辛いけど。
 驚いたのは「レアなものをいかに安くゲトれるか?」という古本カルチャーが昔からあって、先人たちも古書店に日々通い審美眼を磨いていたこと。今はネットがあるし中古品だとメルカリも普及しているので、相場とかすぐに分かる時代になってしまったけど、たまにブックオフや街の古本屋とかで「これがこの値段で?」みたいなことがあるとブチ上がるタイプなので首を縦に振りながら読んでいた。ただ、この本に出てくる人たちは本気の蒐集家なので配偶者からの冷たい目に逡巡しつつリミッター解除して爆買いしているのも気持ちよい。
 新刊ではなく古本を愛するのはセレンディピティが大きい。本屋は新刊が均質に並んでいるわけだけど、古本屋は入荷状況によってカメレオンのように棚が変わっていく。その本との出会いが一期一会である確率が高いからこそ愛しい気持ちが沸くし通うことで自分の見識が広まっていく感覚も楽しい。以前に友人と正月に酔っ払ってブックオフでノリで本を買う遊びをしていたけど、その頃を思い出したりした。こんな感じで人の数だけある古本の思い出が詰まっているので、ブックオフ大学ぶらぶら学部と合わせて読むのがおすすめ。

2021年8月12日木曜日

長い一日

長い一日/滝口悠生

 日本人の作家をチェックする感度が鈍っており、発売日に即買いする作家はもう著者だけになってしまった。昨年読んだアイオワ日記がかなり好きだったので今回も楽しみにして読んだら、当然めちゃくちゃオモシロくて最高が更新されていた。物語で描かれるのは実質2日のことで劇的な展開もない。けれど、そこには誰もが経験する生活、人生の豊かさや苦悩が詰まっている。
 ある夫婦がメインの登場人物で彼らを中心に話は進んでいく。夫の職業が小説家であるゆえに私小説の印象を強く受けた。2人が引っ越しに至るまでと、友人たちとのホームパーティーに起因する出来事の数々。前者では夫婦の家に対する価値観の違いや引っ越しすることになるまでの感情の揺れ動きが信じられないく細かく描かれていて、それがめっぽうオモシロい。特に階下に住む大家さんとの関係はなんとも言えない切なさがあった。日々は同じことの繰り返しだとしても、それが生活を構築しているのであり、一度それが終わっていく方向に振れるとあっけなく終わる。残されるのは一抹の寂寞…みたいな。ちょうど自分自身も引っ越しをしたばかりで、しかも前に住んでいた部屋が大家のはおばあさんの家のちょうど真上で、みたいな個人的記憶がビンビン刺激された。あと家周辺のスーパーは大切、という人生で大事なことだけど、そこまで語られないことを延々と話しているところも最高だった。
 タイトルになっている「長い一日」という章を読むと、一見淡白に見える日々だとしても脳内はそうとも限らないわけで妄想なども含めると毎日とてつもなく長い時間を過ごしているのかもしれない。そんなことを考えさせてくれるのがオモシロいし、その一日の伸縮性を機能性の高いズボンと重ね合わせているところにニヤリとさせられた。大きなテーマとして時間(特に過去)の揺らぎ、不確かさがあると思っていて、そういったことに関するパンチラインが何発も放たれていた。あとは得意な人称チェンジも健在でもはや名人芸と言えるだろう。芥川賞を受賞した「死んでいないもの」を読んだときのあのシームレスなワンカットを見たような感動を久しぶりに体験できて嬉しかった。かなり分厚いのだけども、サイズはコンパクトで手に馴染みやすいし、クーラー効いた部屋でダラダラ読むのにピッタリな1冊。

2021年8月7日土曜日

きれはし

 

きれはし/ヒコロヒー

 本屋でたまたま見かけてヒコロヒーのエッセイなら当然読むでしょということで買った。そしてやっぱりオモシロかった。(ele-king booksからのリリースというのもクソかっこいい。)もともとnoteに掲載されていたものと書き下ろしからなるエッセイ集で、「夏が嫌いだ」という本当に他愛もないこともあれば、彼女なりの芸人論、芸人としてのあり方のような芯をくった話もあったり。幕の内弁当のように硬軟織り交ぜているので読みやすい。芸人のエッセイは玉石混交なのでハズレのときの絶望感たるやなんだけども、文体からビシバシ伝わってくる「文の人」のオーラに飲み込まれて気づいたら読み終わっていた。
 僕が感じる魅力は独特の言語センスや強めのツッコミ。テレビやラジオでは後者がフィーチャーされている一方で、この著作では前者が思う存分に発揮されている。世間では「面倒くさい」といわれる類の人かもしれないが、その思考回路を楽しめるのがエッセイであり魅力がフルに発揮されている。まわりくどい言い回しが多くて最初は戸惑うかもしれないけど、その過剰さがクセになる感じだった。特に各エッセイが「〜ないのである」で締めるルーティンのようなものがあり、違う言葉だと「こーへんのかい!」と大きな声で言いたくなる。
 エッセイの良し悪しはパンチラインの質と数に裏打ちされるという自説を持っているのだけども、その点でもこのエッセイは最&高。いくつか引用しておく。

お金持ちのおもしろくない、何かがすごいやつと値段の高い飯を食うよりも、貧乏でもちょうどのユーモアがあるやつと腐りかけの野菜をどうやって食べるかを話し合うことの方が、比にならないほど楽しく思う。

些細な希望というもの、あるいは希望のようなもの、を、自分でせっせと見つけ出し掬い上げてはまた檻へと苦行をしに舞い戻っていく。希望さえなければこの人生はどれほど簡単だったのだろうかと考えることは、絶望することにもよく似ていた。

 色々と考え込んでしまう人間を「こじらせ」とか「メンヘラ」とか何かと簡単な言葉で片付けようとするクソな世界に中指を立てながら、自分の身の周りについて、いつまでも考える人生こそが豊かであると言っても過言ではないのである。