2021年10月26日火曜日

アメリカの〈周縁〉をあるく: 旅する人類学

アメリカの〈周縁〉をあるく: 旅する人類学/中村 寛, 松尾 眞

 旅行に行けない世界線になって久しい中、旅行欲を満たしてくれるかと思って読んだ。結果、かなり満たされてオモシロかった。アメリカの中でもメジャーではないところ(つまりは周縁)をロードトリップして、その際に感じたことが綴られている。エッセイ的な要素が強いのだけど、著者は文化人類学者であり、それぞれの旅がネイティブアメリカンという軸でアメリカを見ており、知らないことが多くて人文書としても興味深かった。

 読んでいて一番強く感じたのは、野村訓市がJ-Waveで毎週放送している「Traveling without moving」というラジオ番組との近似性。リスナーから届く旅行にまつわる思い出メールが番組内で読まれるのだけど、バックパッカー談が読まれることが多い。本著もアメリカの周縁で当てもなくふらふらと流れに任せて旅行する、というのはバックパッカーっぽいし、観光地ではない場所で立ち上がる思いが率直に書かれている点が似ていると思う。(ときににじみ出るポエジーも含めて)また街で出会った初対面の人との様々な会話が収録されており、これが旅の醍醐味だよなーとコロナ禍の今だととても贅沢に見える。すぐに会議したがったり、出社を要求する人を「大事なことはface to faceでしか伝わらないよな」と言って揶揄したりするけど、face to faceのオモシロさが存分に詰まっていた。

 アメリカは自由と民主主義の国であり、思い通り生きることができるというのは事実なんだけども、それを達成できているのは既に住んでいたネイティブアメリカン(インディアン)を排除した結果であることを改めて認識した。特にドラッグやアルコール、貧困の問題を抱えているリザベーションを訪れた際の何とも言えない、略奪された後の残滓のような虚無感が印象的だった。またトランプが大統領へ立候補した選挙の頃に、いわゆる「真っ赤」なエリアを旅していて、そこでの風景や人物描写、それにまつわる論考もかなり興味深かった。印象的なライン。何か解決したり、断定しているわけではないが、この逡巡こそが今必要な時間な気がる。

「分断」と報じられ受け容れられた現象をそのまま分断として語ることに、どれほどの意味があるのだろうか。そう語ることで得をするのは誰なのだろうか。しかしその逆に、二分化した両極は、結局のところ相互補完的であると哲学者を気取ってみても、なにかうすら寒いものが残るのだった。

2021年10月19日火曜日

MCバトル史から読み解く 日本語ラップ入門

MCバトル史から読み解く 日本語ラップ入門/DARTHREIDER

 Kindleでたたき売りされていたので読んだ。フリースタイルダンジョンに端を発してMCバトルが大流行し、1つのカルチャーとして成立した今読むと隔世の感があった。著者の主観とはいうもののど真ん中にいた人なので相当網羅されていて勉強になった。特にUMB初期の情報はインターネット黎明期でアーカイブされている情報はかなり少ない中、このように書籍化されたことは大変ありがたい。

 KREVAマニアックスとしては、MCバトルにおける彼のスタイルの栄枯盛衰についてかなり詳細に語られているだけで読む価値十分にあると思う。音楽としてのスタイルとMCバトルのスタイルの比較でなぜ彼がフリースタイルバトルを辞めたのか、今もやらない理由がよく分かった。

 その後のMCバトルの発展を担った般若と漢の存在の大きさもよく理解できた。彼らはラッパーとしてのアティチュードにこだわりながらバトルに挑んでいるので音源と地続きにいることができた。しかし、バトルシーンが大きくなるにつれて、そこにGAPのあるラッパーが登場して、バトル自体が単なる勝ち負けの競技化していくし、バトルで何を言ってもよい空気になっていく。こういう変化があったことを頭で理解できていたけど、史実ベースで丁寧に解説してくれているのがありがたかった。(ところどころ紫煙ならぬ私怨を燃やしているところがダースレイダーっぽい)

 何よりも最高だったのは表紙にも使われているISSUGI vs T-Pablowのバトル解説。MCバトルそんなに追っかけていないけど、このバトルだけは事あるごとに見返す最高のバトル。何が最高かってお互いのヒップホップイズムを賭けた戦いだから。単純に韻の数、フロウの巧みさだけでは評価できない空気が醸成されていて、どちらも間違っていないし、それぞれかっこいい。2人とも身の丈に合わないハンパなことは言わないし、えぐいラインが両方からバンバン出てくる。こういうバトルが見れるなら、まだまだMCバトルは見たいと思える。

 タイトルが肝であくまでMCバトル史は補助輪であり、直結している日本のヒップホップとの関係性に各章で必ず目配せしている。MCバトルが巨大産業となり音源で構成されるシーンとは別のファンダムが形成されるのに対して筆者がなんとかしてヒップホップという1つのファンダムにしたい意思を強く感じた。(実際、著者がコミットしていたKing of kingsという大会は、その分断に橋をかけようとする試みの1つ)なんだかんだ言ってているものの、やっぱりフリースタイルバトルは新しいラッパーの登竜門であることを歴史が証明しているので、今後もなるべくウォッチしたいなと思えた1冊。 

2021年10月16日土曜日

ラップは何を映しているのか ――「日本語ラップ」から「トランプ後の世界」まで

 

ラップは何を映しているのか――「日本語ラップ」から「トランプ後の世界」まで

 ヒップホップ好きとして大変遅ればせながら読んだ。3章構成になっており前半2章はUSのヒップホップ、後半1章は「日本語ラップ」に関する論考がふんだんに盛り込まれていて刺激的でオモシロかった。延々とヒップホップの話を横滑りしながら展開しているので、読んだあと誰かとヒップホップ、ラップの話をしたくなった。

 政治や社会との関係性がこれだけトピックになる音楽はヒップホップだけだろう。主体制の強い音楽で1人称で主張しやすいから90年代にポリティカル、コンシャスなヒップホップが流行ったと思ってたけど、政治・社会について歌うのが売れ線だったからという話は驚いた。要するに商業主義がポリティカルやコンシャスを駆動していたという視点。近年、音楽的な強度と政治や社会に関する強いメッセージを両立させた成功したのはKendrick Lamarであり、それが2010年代の1つの指標となったのは間違いないと思う。僕自身もKendrick Lamarは大好きだけど、ヒップホップにおいて彼だけを特別視してるメディアなどをみるとげんなりすることには共感した。多くのUSのヒップホップは基本享楽的なものだとしても、そこからでさえ政治性が滲み出てくる。それがヒップホップのオモシロいところだなと思うし本著でも言及されていた。

 日本のヒップホップにおける歴史的な成り立ちのところ、特に1998年頃の話がめちゃくちゃオモシロかった。いとうせいこう・近田春夫を祖とするか、もっとオーセンティシティを確保してきたB-FRESH、DJ KRUSH、クレイジーAなどを祖とするか、その歴史観形成にかなり積極的にコミットしてきた佐々木士郎(宇多丸)の話などは知らなかったことが多く勉強になった。日本のハードコアラップの右傾化の話も言及されており今では牧歌的とも思える。なぜなら現在はさらに荒廃しているから。例えば鬼のレイシズム丸出しっぷりやKダブのQアノンっぷりなど、右とか左とか関係ない差別的言動が目立っていて辛い。(一方でLEXのような若い世代が自分を正せる感覚を持っているのは希望の光。)

 人のことをどうこう言うときに自分の態度を棚にあげるのは批評の観点ではしょうがないのだけど、こういう雑談形式だとファクトよりもどう思っているのかを知りたいなと感じた。(実質は雑談みたいに書いているので厳密には雑談ではないとはいえ)こんなふうに無い物ねだりしたくなるくらいオモシロかったので、ヒップホップ論考したい人にオススメ。

2021年10月14日木曜日

世界と僕のあいだに

 

世界と僕のあいだに/タナハシ・コーツ 

 「いつか読むリスト」に入れていて、今回著者の初めての小説が翻訳されて出版されることになったので予習としてついに読んでみた。Black lives matter以降、アフリカ系アメリカンに対するUSでの差別について、色んなメディアで見たり聞いたり読んだりしてきたけど、その中でもベスト級にオモシロいかつ勉強になった。

 最大の特徴は語り口。彼のUSでの差別に関する考え方について、自分の息子に語りかけるスタイルなのが新鮮だった。それによってファクトとエモーションが入り混じることになり、事態の切実さがダイレクトに読者に伝わってくる。また著者はヒップホップに傾倒していることもありリリカルな表現も多く皮肉たっぷりのパンチラインの雨あられで読み手の心をグサグサ刺してくる。

 とにかくアフリカ系アメリカンとして生きる難しさを延々と自分の過去や歴史を通じて延々と説いている。常に命の危機が迫っている環境で少しずつ精神が摩耗している様が辛い。白人/黒人という議論から始まることが多いけど、その前提条件を疑うところからスタートしているのも勉強になった。

人種は人種主義の子どもであって、その父親ではないんだ。

 「ドリーム」と作中では表現されている言葉がなんともニヒリスティック。アメリカンドリームというのは「白人」にとっては憧れの意味かもしれないが、「黒人」にとっては幻想であり悪夢である。夢見心地でいるんじゃねーぞという怒りの気持ちをひしひしと感じた。著者はキリスト教を信仰していないことも大きな特徴で良い意味でも悪い意味でも神にすがることなく、ひたすら理論やファクトに基づいて主張しているところが強いなと感じた。そして 「闘争でしか君を救えない」と息子に告げている。そのラディカルさは全て読み終わると溜飲を下げた。(暴力に非暴力で挑むことの困難さを含めて)

 また旅行、引っ越しなど場所を移動することの意味がこんなにみずみずしく伝わってくる本を読んだことがない!ってくらい良かった。具体的には著者が初めてパリへ行くシーンが最高。パリにも移民/難民のレイヤーはあるだろうけど、少なくともUSで感じる「黒人」としての閉塞感がなく、自分のままでいられる尊さ、世界は広いと言えばバカみたいだけど、それを体感する大事さが子どもに諭すスタイルだからこそ伝わってくる。初めて何かをするときの感情を書き記すことの重要さが身に染みた。

 USでの人種差別がどういう問題なのか、彼の人生を通じて伝わってくるところに大きなエネルギーを感じたし、それゆえに特別な1冊になっていると思う。彼自身の言葉ではないけれどこの直球の言葉が刺さったので引用。Be yourself.

あなたは生きている。あなたは大事な人間よ。あなたには価値がある。パーカーを着る権利も、好きな音楽を好きな音量でかける権利もちゃんと持っている。あなたはあなたでいる権利をちゃんと持っている。そして、あなたがあなたでいることは誰にも邪魔できない。あなたはあなたでいなくちゃだめよ。そうよ、あなたは、あなた自身でいることを怖がってはだめよ

2021年10月1日金曜日

悪と全体主義 ハンナ・アーレントから考える

悪と全体主義 ハンナ・アーレントから考える/仲正 昌樹

 Kindleでセールしてたので読んでみた。本来であればハンナ・アーレントの原著を読んでから読むべきなのかもしれないが入門編としてオモシロかった。ナチスのユダヤ人迫害を取り上げて、そこから全体主義とはなんぞや?という説明・論考をしてくれていて大まかな全体像を知ることができた。そして単純な昔話ではないことも…

 ナチスはユダヤ人を強制収容施設に押し込んで機械的に虐殺した、この事実のインパクトがデカすぎて、どういう経緯でそうなったのかがあまり知られていないように思う。極悪!ナチス!っていうだけなら事態は簡単だけど、そんな簡単な話でもない。当時のドイツ人に蔓延していた陰謀論、周到に設計されたナチスの組織とプロバガンダなどが全体主義という考え方を育んできた経緯がある。その結果、道徳的人格(自由な意思を持った、自分と同等の存在として尊重し合う根拠となるもの)を破壊して、当事者たちが何も感じずに迫害できる状態まで持っていった。こういう細かい経緯を知れて勉強になった。また自分の歴史に対する勉強不足も痛感…世界史の授業とか意味ないなーと寝ていたあの頃の自分に真面目に聞いておけと言いたい。すべては過去から脈々と繋がっており、いきなり起こるわけではない。

 著者のまとめ方も意図的だとは思うけれど、最近の社会情勢と既視感があるのが怖かった。「ダイバーシティ」と口ではいくらでも言うけど日本の社会制度としてはほとんど変わっていないし、一方で特定の国家や民族に対して露骨なヘイトをぶちまける。分かりやすい敵を用意して、その敵へのヘイトで団結する場面はしょっちゅう見るので、それが全体主義の萌芽なのだとしたらそれはもう始まっている。だから麻生氏のナチスへの憧憬はもしかするとしっかり勉強した上での本心なのでは?と思ったりもした。

 終盤には悪法に対してどのように対応すべきか?というさらに哲学めいた話は出てきて興味深かった。虐殺を主導したアイヒマンは裁判で「自分はあくまで法律に従っただけでユダヤ人への憎悪など無かった」と答弁しており、その盲目な遵法主義に対してアーレントは疑問を呈している。人間にとって法とは何か?政治とは何か?理性的に考えて自発的に従っていることが自由であると著者は説明していた。またアーレントのこのパンチラインもイケてる。

政治は子どもの遊び場ではないからだ。政治において服従と支持は同じだ。

 あと刺さったのは考えることの大事さ。人間どうしても分かりやすいものや同じ意見の人に惹かれるけど、自分が間違っていた場合に素直に正せる力が必要だと感じる。著者のこのラインは自戒の念をこめて日々反芻していきたい。

私たちが普段「考えている」と思っていることのほとんどは「思想」ではなく、機械的処理。無思想性に陥っているのは、アイヒマンだけではないのです。

2021年9月26日日曜日

猫のゆりかご

 

猫のゆりかご/カート・ヴォネガット・ジュニア

 古本屋で 「ヴォネガット、大いに語る」をゲトったはいいものの、本著を読んでいる前提だったので読んだ。世界が終末する過程をいつもの厭世観とウィット、パンチラインでのらりくらり描いている小説でオモシロかった。原子爆弾の発明者の家族について取材するところから始まり、その周辺にいる人たちのトンチキっぷりに身を任せていると、いつのまにかカリブ海の謎の島へ行って…と目まぐるしく展開していく。その中でもオモシロいのは登場人物たちの会話だった。今でも十分に通じるパンチラインがそこかしこにあり、物語がはちゃめちゃな展開でSFらしさがありつつも会話で現実にグッと引き戻される。そんな感覚だった。以下引用。

真実は民衆の敵だ。真実ほど見るにたえぬものはないんだから。

成熟とは苦い失望だ。治す薬はない。治せるものを強いてあげるとすれば、笑いだろう。

人はだれでも休憩がとれる。だが、それがどれくらい長くなるかはだれにもわからない。

 ボコノン教なる新興宗教を軸に話が進んでいくのだけど、キリスト教へのアンチテーゼなのは間違いないだろう。ただベースのキリスト教に明るくないので、どこまで皮肉たっぷりなのかは分からなかった。世界が終わるときのあっけなさとしょうもなさがヴォネガットっぽいなと思う。アイス・ナインという物質が世界を終わらせるトリガーなんだけど、それは水の分子配列を変えることで一気にすべてを凍結してしまう。とんでもない威力の核爆弾ではなくて、身の回りにある水が兵器となって人々を殲滅する。些細なことで世界の価値観はガラリと変わっていく、つまり今あることも絶対ではないというメッセージなのか。「ヴォネガット、大いに語る」はもちろん時間をかけて他の著作も読んでいきたい作家。

2021年9月22日水曜日

サカナとヤクザ ~暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う~

サカナとヤクザ ~暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う~/鈴木智彦

 Session22の特集回を随分前に聞いてからいつか読もうと思って早数年。最近文庫化されたらしく読んだ。今や暴力団やヤクザは社会的に抹殺されたも同然の時代の中で「君が美味しい美味しいゆうて食べてるその海産物は暴力団の資金源でっせ?」ということを懇切丁寧に教えてくれている1冊でめちゃくちゃオモシロかった。見かけ上、イリーガルなものをキレイにしたつもりでも、バリバリ社会に食い込んでいるというのは日本でよくあるダブルスタンダードだと思うけど、それが自分の食べている海産物だなんて…

 単価の高い海産物が密猟の対象であり本著ではアワビ、ナマコ、シラス(うなぎの稚魚)の密猟が取り上げられている。それぞれ場所も密猟の仕組みも異なっていて、それらの解説だけでも相当興味深い。実際に海で密猟する人だけではお金に変えることはできないので、そこに仲買人、卸、市場の小売業の人など一般人も巻き込んでいる。海産物にラベルはついておらず、正規品と密猟品がそこでミックスされた結果、我々が密猟品を食べている可能性があるという仕組み。そこに著者が果敢に突入していって実態を明らかにしようと四苦八苦格闘しており、超絶オモシロいノンフィクションのドキュメンタリーを見ている感覚でひたすらページをめくる手が止まらなかった。(築地に四ヶ月潜入取材するだなんて!)密猟が第一次産業の中でも特に苦しい漁業を生業にしている人たちの蜘蛛の糸になっているように感じた。

 後半は歴史を紐解きながら海産物の密猟とヤクザ、暴力団がどのような関係を構築してきたか、またどれだけ近い存在だったか、丁寧に資料にあたりながら解説してくれている。前述の取材も然り、文献調査も相当徹底されていて前半のページターナーっぷりをいい意味でクールダウンさせてくれながら歴史をじっくりと知ることができて勉強になった。特にオモシロかったのはカニの密猟。冷戦下においてソ連のスパイをする代わりにロシア海域のカニを捕らせてもらうディールを結んでいたらしく、もはやこれは映画にすべき!というレベル。根室はいつの日か行ってみたい街になった。

 本著で取り上げられている中で一番身近なのはウナギ。ニホンウナギが絶滅危惧種に指定されて一時ウナギが食べられなくなるかも?みたいな話題もあったけど、今やそんな話を聞くこともなく普通に土曜の丑の日はやっぱりウナギだよね!という社会のコンセンサスはまだまだ根強い。その需要を支える台湾、中国経由の闇ルートがあるという衝撃。暴力団は良くない!とキレイごとを言っていても、実はウナギ経由で支えているかもしれないのが本著の核の部分だろう。文庫版では映画監督の大根仁が後書きを務めておりズバリで締めていた。That's right.

魚に限らず、飽食・拝金・快楽・利便・マーケット至上の世界にどっぷり浸かって生きてきた我々は、生活をしているだけで何かの犯罪に加担している共犯者なのだ。何を食べても、何を着ても、何を買っても、世界のどこかで誰かが苦しんでいる。