2024年12月5日木曜日

夏の感じ、角の店

夏の感じ、角の店/高橋 翼

 文学フリマで植本さんの隣のブースで出展されていた高橋さんのエッセイ。代田橋で土日だけオープンしている予感というお店の営業日誌という形の日記でオモシロかった。文学フリマの隙間時間や帰り道でお話しさせてもらったことも影響しているだろうが、高橋さんの人生観やポリシーが伝わってきた。

 以前から植本さんの日記に登場していて、その存在を知っている方もいるかもしれない。特に今回リリースされたそれはただの偶然において、現在の植本さんにとって大きな存在であることは推し量られたわけだが、そんな彼がどんなことを考え、日常を営んでいるのか、土日だけのお店の日誌とはいえひしひし伝わってくる。生活描写の粒度が細かく、都市で生活する男性の姿がくっきりと浮かび上がっていた。なかでも食事のシーンが好きで、サンドウィッチをこんなにカジュアルに家で食べることがないので新鮮だった。

 当たり前だが、お店を開いていると、さまざまな人がやってくる。そこでの悲喜交々が忌憚なく綴られている点にグッときた。悲しいことがあったあとに、喜ばしいことがあると自分ごとのように嬉しくなる。これは日記という時間軸があるフォーマットならではの心の動きと言える。また、書くことへの逡巡もまっすぐ書かれており、特に「書くことで明らかになる不在」という論点は哲学のようで興味深かった。個人的には「行けたら行く」で心が摩耗したというエピソードは、出不精でそのフレーズを連発する人生を歩んできた身としては本当に耳が痛かった…

 日常の様子だけではなく、お店や自身のブランドを運営していくにあたっての矜持のようなものがたくさん書かれており、そのどれもが心に刺さった。それは私自身がZINEを作ったことが大きく影響している。何かを作り、売ること、そこには自意識がそこかしこに飛び交う。少しでも他人が介在すれば、自分の責任が分散していく部分もあるが、基本的にどこまで何をやるかのライン引きをすべて自分でやらなければならない。「自分の好きなことだから、他人の関心は気にしない」とかっこつけるのは簡単だが、実際に自分のコンテンツを持てば、そんな強がりばかりも言ってられず、誰かに関心を持って欲しくなるのは自明の理だ。そんなとき「誰でも、わかりやすく、キャッチーに」と割り切ったり、かっこつけてみたり、そこで何の自意識も抵抗もなければよいが、自分の初期衝動や思いが乖離してしまう可能性を孕んでいる。お店を経営しながら、どちらかに振り切れるのではなく、その狭間で揺れ動く心の機微がお店の様子と共に丁寧に描かれており、思考と実践がシームレスに繋がっているからこその説得力があった。

 日記の合間にある旅行記もオモシロかった。青春18きっぷで場当たり的に移動、宿泊を繰り返す旅行の記録となっている。ここで発揮されるのは、歳を重ねた大人だからこそ持っている街に対する高い解像度だ。どこか小説らしさを感じる文体で、何気なくそこにあるものに愛を持ったり、感動したりすることの尊さがたくさん描かれている。旅する中で効率とは無縁の偶然を大切にする姿は、本著を読み終えて感じる高橋さんそのものだった。「行けたら行く」ではなく、お店に行ってみたい。

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