2022年12月30日金曜日

スプートニクの恋人

 

スプートニクの恋人/村上春樹

 サクッと小説読みたいときにた妻の本棚から村上春樹を借りて読むシリーズ。スノッブ性のブレなさが伝統芸能であり、その系譜にあってオモシロかった。

 主人公は小学校の先生である男性、そのメイツが小説家志望の女性すみれ。そのすみれが恋焦がれるのはミュウという女性。主人公→すみれ→ミュウという三角関係をベースに話が進んでいく。主人公が人生に対する一種の虚無感を抱いており、それを客観視しつつ恋愛模様が描かれるのおなじみの展開だと思う。著者の小説で好きな点は登場人物のディテールが細かいところ。食事とか趣味とかすべてにスノッブを感じる。落ち着いていてクールで比較的うまくいく俺という外面に対して、内面は繊細でそれなりの葛藤を抱えている。

 本著では人間の二面性がフォーカスされており、いろんな登場人物ごとにそれぞれの二面性に関する話が展開されるので興味深かった。人間は誰しも二面性を有しているが、それらをすべて理解できる他人もいなければ自分自身でもわからない部分は多い。理解されないことを孤独に抱えて生きていくしかないのである、という孤独にまつわる議論も含んでおりそこもオモシロかった。その孤独の象徴がスプートニクという人工衛星なのもスケールが大きくてまさに小説。

 また他人との違いとして、国籍の違いや同性愛といった設定を1999年という早い段階で導入しており先進性を感じた。今は「ダンス・ダンス・ダンス」が気になっているので読書に煮詰まったら読みたい。

2022年12月28日水曜日

未来をつくる言葉

 

未来をつくる言葉/ドミニク・チェン

 ずっと気になっていた1冊で文庫化のタイミングで読んでみた。著者の来歴をベースに言葉をめぐるさまざまな話が収録されており興味深かった。エッセイのようでもあるし学術的でもあるし境界は曖昧でそこがユニークな点だと思う。

 著者の半自伝的な内容で、それに加えて著者の研究対象である言語周りの研究内容がつづられている。読み進めると圧倒的に優秀な経歴に驚くが、それよりもとにかく文章がうますぎてそこに度肝を抜かれた。言葉をつうじた人の思考について研究しているからなのか、学術的で難しい内容も多いはずなのにページを捲る手が止まらなかった。また構成の妙もあり、難しい話と著者の娘さんに関する話などで硬軟織り交ぜられており、学問領域が実際の生活に落とし込むとこうなる、といったケーススタディのようで読みやすかった。(自分が稚拙な言葉で本著の感想を書くのも気が引ける…)

 個人的に一番興味深かったのは対話と共話をめぐる議論。対話は議論をスタックしていきゴールに向かっていくのに対して共話はお互いに話をしようとしていることが一致している、もしくは近いことを会話で探っていく。雑談系のポッドキャストは共話そのものであり、ネット上では文字によるギチギチの議論が多い中でポッドキャストがネット上の最後の楽園と化しているのは、こうした側面があるように思う。

 生命に関する議論もふんだんに含まれており、AI(Artifical Inteligent)とAL(Artifical Life)の違いやそれに派生する現在の進化に関する話がオモシロかった。コンピューターのバグとに生物における偶然性を同列に扱い、バグのようになんでも排除すればいいものではない、という論旨は至極納得した。個人的には「開かれた進化」というチャプターでの以下部分が目から鱗だった。

わたしたちの産業文明は、その進化の「開かれ」具合をできるだけ最小化しながら制御しようとしてきた。過去を分析し、未来予測の精度を上げることで、不確実な自然を制御し、自然進化の環から降りることで、みずからの世界を人工的に最適化してきたのだ。

特定の目的を持たない自然進化は、偶発的な環境変化への適応連鎖で脈々と起こってきたが、技術を手にした人間社会は偶発性を無化することで安全を担保しようとしている。

 表題のチャプターではそれまでの議論をふまえた上で「わかりあえない」ことへの論考が展開されており興味深かった。ここに向かうための前段の議論という感じで昇華するイメージをもったし、表紙にも採用されている箇所が実際本著のハイライトだと思う。

結局のところ、世界を「わかりあえるもの」と「わかりあえないもの」で分けようとするところに無理が生じるのだ。そもそも、コミュニケーションとは、わかりあうためのものではなく、わかりあえなさを互いに受け止め、それでもなお共に在ることを受け容れるための技法である。

 また「わかりあえない」ことはマイナスの意味で捉えられることが多いと思うけど、新たな視点が提示されていて「わかりあえない」ときには以下のラインを唱えたい。知的好奇心が満たされる読書体験だった。

いずれの関係性においても、固有の「わかりあえなさ」のパターンが生起するが、それは埋められるべき隙間ではなく、新しい意味が生じる余白である。

2022年12月23日金曜日

信仰

信仰/村田沙耶香

 リリース直後から気になっていてKindleでセールされていたので即買いして読んだ。前に読んだ生命式も相当ぶっとばされたけど、本著もいつもどおりアクセル全開でめちゃくちゃオモシロかった。誰かの当たり前は誰かの当たり前ではない、ということを改めて確認させてくれた。

 短編を中心にエッセイまで含む珍しい構成。表題作である「信仰」がとにかく最高。地元でカルトを新たに始める同級生を横目にしつつ、いわゆる地元の「イケてる」側の同級生コミュニティにも身を置く女性が主人公で彼女の価値観をメインに話が進んでいく。カルトを作って信仰させる過程が物語のプロットとしてのオモシロさを担保しつつ、信仰を広い意味で捉え直し、こちら側の当たり前を揺さぶってくる。つまり人間は宗教に限らずいろんなものを信仰して生きているし、それが人生を豊かにしているのではないか?という問題提起。たとえばカルトやマルチで高額なものを売りつける商売が存在するが、それはハイブランドの洋服などと何が違うのか?と主人公は問うてくる。この手の議論はこれまでもあったと思うが、本著ではさらに一段踏み込んで「現実主義」に対する信仰についても言及している点が白眉だと思う。インターネットを筆頭に裏側を分かった気になり、「これが現実である、それは意味がない」と指摘するムーブが最近のトレンドだと思うが、その現実至上主義は一種の信仰であり、数ある信仰の中でも一番夢がないものように見える。それを象徴する主人公の一番好きな言葉が「原価いくら?」というのも痛快すぎた。以下引用。

『現実』って、もっと夢みたいなものも含んでるんじゃないかな。夢とか、幻想とか、そういうものに払うお金がまったくなくなったら、人生の楽しみがまったくなくなっちゃうじゃない?

また「気持ちよさという罪」というエッセイも収録されており、これは「多様性」という言葉に関する深い洞察となっている。論旨としては朝井リョウの「正欲」のテーマと似ているもののエッセイゆえのダイレクトさ、著者が小説でいつも提示する観点の鋭さもあいまって震えた。日本は世界各国と比較しても多様性はかなり低い部類なので例外を考えるのは早いと個人的には思っているものの以下の2パラグラフは胸に刻んでおきたい。

「自分にとって気持ちが悪い多様性」が何なのか、ちゃんと自分の中で克明に言語化されて辿り着くまで、その言葉を使って快楽に浸るのが怖い。そして、自分にとって都合が悪く、絶望的に気持ちが悪い「多様性」のこともきちんと考えられるようになるまで、その言葉を使う権利は自分にはない、とどこかで思っている。

どうか、もっと私がついていけないくらい、私があまりの気持ち悪さに吐き気を催すくらい、世界の多様化が進んでいきますように。今、私はそう願っている。何度も嘔吐を繰り返し、考え続け、自分を裁き続けることができますように。「多様性」とは、私にとって、そんな祈りを含んだ言葉になっている。

2022年12月21日水曜日

2022年日本語ラップの旅 -Rの異常な愛情 vol.2

 

2022年日本語ラップの旅 -Rの異常な愛情 vol.2/R-指定

 R指定が日本語ラップを語るイベントが書籍化された本著。vol1もどうかしてる熱量で面白かったので期待して読んだら今回も同じような熱量でオモシロかった。

 Creepy nutsは誰もが想像していなかったところまでリーチしておりそれによるヘイトも渦巻いているが、ことR指定のラップにフォーカスを当てた場合、そこに異論はないはず。宗教上の理由でCreepy nuts の楽曲は聞けないけど、客演曲や梅田サイファーでの楽曲におけるバースを聞く限り日本最高峰のMCの1人だと思う。その裏打ちとなっているのは彼のラップに対する解析力にあると思う。

 本著はその解析力がフルスロットルで発揮されており、こんなレベルでラップを解釈してる人間は本来いるべき批評側にもいない。しかもプレイヤーだからこそ言えるフロウの概念も盛り込まれているので無敵。このラップに関する知識量でインプロビゼーション性も超高いのだから鬼に金棒。そんな彼が先人に対するリスペクトをふんだんに踏まえつつ分かりやすく興味深くラップを解説しているのがオモシロいに決まっている。特に今回は2000年代を大きく支えたZeebra、Daboのクラシック二大巨頭が含まれているのだけども、この粒度で語られた文章は見たことない。ロジカルかつウィットに富んだ説明力が圧倒的でZeebraが「しゃがんだ」という表現はクリティカル過ぎた。また彼が最も得意とする韻、ライミングに特化した地元の先輩である韻踏合組合の回では水を得た魚のごとく解析していて、これもまた韻踏の歴史を踏まえた上での解説になっており読み応えがかなりあった。

 また彼のラッパーとしてのattitudeも解説の中で見えてくるところもあり、ヒップホップのゲーム性に意識があることも分かった。ボーナストラックであるChico Calitoとの対談もその点で興味深かった。こういったアーカイブする作業は今後も末長く続けて欲しい。

2022年12月17日土曜日

サッカーと愛国

 

サッカーと愛国/清 義明 

 天邪鬼なのでW杯が盛り上がるたびに「戦争の代わりのナショナリズムの発露やん」と受け流してる最近だけど、この気持ちの源泉が何なのかを知るために読んでみた。サッカーとサポーターとナショナリズムの関係性を日本から世界にかけて広く議論していて勉強になった。

 日本代表の試合になれば沸いてくるサッカーファンをみて、これはナショナリズムを発露する入り口として一番イージーだよなと思っていたが、本著でもその点は指摘されている。特に2002年のW杯でネトウヨが跋扈する土台ができたという話に驚いた。フジテレビに対する反韓流デモあたりが起源かと思っていたけど、サッカーを起点にして悪意のある感情を肯定するムードになってしまったという。あるイギリスのジャーナリストによれば、多くのライトなサッカーファンにとってW杯の狂騒はあくまで「害のない休日用のナショナリズム」であるが、それをトリガーにして排外主義を掲揚してしまう輩が産まれてくるのを知ると虚しい気持ちになる。

 サッカーは代表チームとクラブチームのクロス表になっており、個人的にオモシロかったのはクラブチームの話だった。欧州を中心に多くのクラブチームには国という括りはなく、さまざまな国からの選手がチームを形成しローカル、フッドへサッカーで還元していく。それは国家に対するカウンターとしての「ネーション」でもあり、オシム曰く「教会」というのはしっくりきた。この自治性ゆえに悪い方向へ機能するときはとことん悪い方向へ進んでしまう点が難しいところ。本著内でも代表戦、Jリーグで起こった人種差別についてインタビュー含め詳しく解説してくれており表面上の問題だけではなく背景まで知ることができた。特に浦和レッズで起こった李忠成へのヘイトスピーチの件が興味深かった。FIFAが人種差別に対する感度が高くヘイトスピーチへ毅然とした態度を取ることを規約に盛り込んでおり、それを踏襲するJリーグが国内でどこよりもヘイトスピーチに厳しく対応した。これはサッカーのポジティブな側面だと思う。(自ら律せないが、お上の言うことだけは聞く、という典型的な日本的事例でもあるが)

 終盤にはさまざまなサッカークラブのサポーター事情が書かれており、サッカーと政治が日本以上に不可分であり市民の生活に染みこんでいることを知った。社会状況的にフィジカルな連帯が無くなっていく方向にある中でローカルに根ざしたコミュニティを持つサッカーは尊いと思う。なのでサッカーを好きになりたいかも。

2022年12月8日木曜日

イリノイ遠景近景

 

イリノイ遠景近景/藤本和子

 印象的なタイトルと表紙に惹かれて読んだ。近過去なおかつ異国における経験をつづったエッセイを読むのが久しぶりで新鮮でオモシロかった。

 タイトル通りイリノイ州シャンペーンで生活する中で感じたことを徒然とつづっている。いわゆるカントリーサイドでの生活で派手なアメリカライフというよりローカルなアメリカの当時の空気を身近に感じることができる。それはカフェやドーナツショップでの街の住人たちの会話であったり、友人との旅行であったり、シェルターでの仕事であったり。観察眼の鋭さと落ち着いた文体が読んでいて心地よかった。どのエピソードも人が生きることへの興味が尽きないように思えたし、著者の生きることへの以下ラインが刺さった。

都会の雑踏や賑わいの中にいると、のびのびした気分になったものだった。うきうきした気分になったものだった。(中略)でもうきうきしてるだけじゃ生きていけないからねえ。 わたしもいよいよ生きなければならないのかな。そのためには息をする空間も必要なのかもしれない。子供までいるのだから。そう思って駐車場を眺めわたす。するとにわかに、ふん、この荒涼たる醜さも結構なのかもしれない、という映画の台詞みたいな言葉が頭にうかんだ。

 あと著者の友人の以下ラインも生きることへの問いかけだと思う。

あたしが繋がれているのはこの街路だ。なのに、あたしは何をしている?大学院にまでいって、修士号までとって、結構な話だけど、あたしが繋がれているこの街路にとって、あたしは何者だろうか。

 後半は著者によるインタビューがいくつか収録されており、これがかなり読み応えがあった。ユダヤ人やアメリカ先住民など迫害された人々にフォーカスしている。社会的に弱い立場になったときに何が起こるのか、格式張らないトーンで友人同士のような会話形式で書かれているので読みやすいし実感をもちやすかった。今でいえばポッドキャストを聞いているような感覚。著者は翻訳家としても活躍しつつ、本著の後半部のような、アフリカンアメリカンへのインタビュー集が二作文庫で出ているようなので読んでみようと思う。

2022年12月7日水曜日

あなたの前の彼女だって、むかしはヒョードルだのミルコだの言っていた筈だ

 

あなたの前の彼女だって、むかしはヒョードルだのミルコだの言っていた筈だ/菊地成孔

 第N次格闘技ブームといっていいほど、今格闘技が流行っている。自分自身も例に漏れずその類の1人なんだけど個人的に全く見なかった期間があり、ちょうどその期間に該当する言説に触れることで禊ぎたくて読んだ。外野の意見は聞くにほとんど値しないかもしれないが、これだけアクロバティックに格闘技を語るのは一つの芸だと思うし約500ページの雑談を食い入るように読んだ。

 本著がオモシロいのはプロレスで言うアングル、すなわち見立ての新鮮さにあると思う。リング上で起こった表向きの情報をベースにして、そこから妄想含めて雑談を展開していくのは一級品。著者がここまで格闘技フリークなのは知らなかった。以前に友人と話していた時に出てきた「メタ的偏見」という言葉がぴったり。最近の格闘技は特にリング外での立ち振る舞いに物語を付与しているので「メタ的偏見」が跋扈してより夢中になる仕掛けが用意されている。また自分を含め多くの戦ったことのない人が「戦い」について言及していること自体が格闘技と「メタ的偏見」の相性の良さを物語っている。したがって本著のような形式の格闘技本は今こそ評価されるべきだし、出版されるべきだと感じた。最近、書籍ではなく格闘家のYoutubeやTwitterのハッシュタグでその需要は現在満たされていると思うが、書籍としてまとまった形になることで立ち上がってくる意味があると思っている。

 ただ時代を感じたのは秋山成勲をめぐる話。秋山は在日韓国人4世なのだけど、この辺の話は著者が町山氏に対して見せて炎上した在日差別しぐさにニアミス。当時の秋山はぬるぬる事件で厳しい立場にあったとはいえ際どい話の連発で正直しんどいな…と感じた。この認識だとああいう発言するかという答え合わせにもなった。とはいえ、この案件だけでキャンセルするには惜しいほどにこの本で繰り広げられる格闘技、その先の見立ての話はオモシロい。今の時代を予言しているかのような発言も多い。

テクノロジーによって、「実際に調査している」のか「資料だけ検索して妄想しているのか」の分離が曖昧になってるんですよ。

社会性を重視し、コスパ最高値で全員が生きることこそクールでクレバーなんだっていうことを毎日バラエティ番組で啓蒙してると思うんですよ。

「膠着」という言葉が取り沙汰されるようになりますよね。「膠着がないものがいい」と。つまりポップですが、ポップも無くてはならないものですが、僕は「膠着は退屈だ動け!」というのが嫌で。「とにかくおもしろければいい。早くおもしろくしろ。いますぐ」だけ、という風潮というのは、まあ危険ですよね。

リアルというのは、退屈な時間があって、鈍く痛い時間があって、それでだんだんといい時間が来てというのが、ある種の健全な状態だと思うんですよ。

次にこの手のタイトルの本が出るときはまた格闘技が冬の時代になっているかもしれないが、それでも自分が格闘技を好きでいたい。

2022年11月26日土曜日

むらさきのスカートの女

むらさきのスカートの女/今村夏子

 今年は著者の作品を読みまくっているのだけどもついに芥川賞受賞作品である本著を読んだ。これまでと同様に卑近な出来事が不穏に小説へと昇華されておりオモシロかった。

 清掃員の仕事場での各やりとりがすべて既視感だらけであるにも関わらず、あるあるに収束しないところがかっこいい。あとがきで筆者も述べているとおり、傍観者というクッションを一つ入れることで世界の見え方がガラッと変わり、そこに不穏さが見事に出現。その不穏さだけではなく本著では物語全体のギミックとして機能する(具体的には非正規雇用で不安定な環境での労働にスタックする女性を小説で表現しつつ物語の駆動力に寄与する)ようにもなっており、これまで読んだ作品には見なかったアプローチで興味深かった。代替可能であるというのは聞こえはいいが、誰でもいいことと同義であり社会から簡単に弾き飛ばされることを改めて感じた。

 また同調圧力は著者の作品で欠かせないテーマの一つだと思うけど、今回は無垢な女性がその場の空気に合わせていたら、その場に存在する人間の負の部分を無邪気に吸収して、最終的に皆から忌み嫌われてしまう寓話のような設定がオモシロかった。「皆がやっているから大丈夫」と「皆がやっていないからダメ」は表裏一体だし、そのラインは極めて曖昧であることを教えてもらった気がする。

 最後に著者のエッセイが付録的についているのもありがたかった。いい意味で本当にその辺にいそうな人が類稀なる観察眼を持ち日常を唯一無二の小説にしていると思うと痛快だった。とんこつQ&A読もう〜

2022年11月25日金曜日

犬のかたちをしているもの

 

犬のかたちをしているもの/高瀬隼子

 レコメンドしてもらったので読んでみた。セックス、出産、社会での立場などを通じて男女間の性差についてじわじわと炙り出していく物語でオモシロかった。

 男性の立場で読むと胸が痛いというか、子どものことについて決定権を持っているのは多くの場合女性であり、それに対して男性はあまりに無力かつ無知。また、その苦労を理解していないがゆえに身勝手な行動を取る生き物なのだということもわかる。また女性間での「子どもを産むこと」への認識の違いや子供がいる人生/いない人生、その確率の話など知らないことも多かった。これを「知らないこと」と片付けている、その姿勢へのカウンターが本著の果たす役割だと思う。仮に「子どもが欲しい」と男性が主張しても実際に生まれるまでに献身、思考しなければならないのは女性であり、社会の仕組みとしてもフォローしてもらえるようになっていない。この非対称性についてどこまで意識的でいられるのかを読んでいるあいだ延々と問われているように感じた。

 一番痛烈だなと思ったのは以下のライン。社会において「子どもを持つ親」という立場が果たす無双さとその残酷さが表現されていた。これだけ見ると何を言いたいのか分からないと思うけど読後に読むとエッセンスが凝縮されているように感じた。

わたしのほしいものは、子どもの形をしている。けど、子どもではない。子どもじゃないのに、その子の中に全部入ってる。

2022年11月22日火曜日

もう行かなくては

 

もう行かなくては/イーユン・リー

 最新作を常に読んでいる少ない作家の一人、イーユン・リー。前作が自死した長男との対話という衝撃作だったわけだけど、今作もなかなかのヘビーっぷりで圧倒された。人生がふんだんに詰まっているのはいつもどおりで「生きる」意味を考えさせる小説。

 これまで著者は自身と同じ中国人もしくは中国系アメリカ人を登場人物として描いてきたが今回はアングロサクソン系のアメリカ人、イギリス人が登場人物になっている。この点からアメリカ文学のクラシカルなムードが漂っていた。構成がまた特殊で人称の使い分けはさることながら本著は主人公の女性が若い頃に関係を持った男性の日記に対して高齢者となった主人公がコメントを入れていくスタイルとなっている。この相手の男性の子どもを主人公は出産し育てるものの、その子どもが自殺してしまったという過去がある。たいていの読者が想像する子どもを自死で先に亡くした母親像を覆し、彼女はひたすらに強気で人生を肯定している。まるで自分の子どもが間違っていたことを証明したいと思わせるくらいに。辛いことがあった場合、いつまでも考えるタイプと吹っ切っていくタイプに分かれると思うけど、主人公は後者になろうとしている前者のような感じで、微妙な揺れ動きを感じるたびに胸が締め付けられた。たとえばこんなライン。

でも人が泣かずにいると不思議なことが起こるの。その涙を堤防で全部押しとどめておけそうにないから、それを監視する警備員みたいになって人生を送ることになるのよ。昼も夜も。ひびが入っていないか、漏れていないか、あふれ出す危険がないか確認しながらね。(中略)でもその堤防を何年も見守っていたら、ある日また水を見たいと心の中で思うの。でも、どの水のことですか、奥さん、なんて堤防に言われるものだから、てっぺんに上がってみるでしょ。すると本当に、どの水のこと?向こう側は砂漠なの。

 「理由のない場所」は実際に著者が長男を自死で亡くしたあとに書かれた作品だけど、本作はその前から執筆されていたらしく自身の小説のテーマで自死を取り扱っている最中に自分の子どもを亡くすだなんて想像もできない…前作を読んだときにはまだ子どもがいなかったので、自分自身が子どもの視点しか持っていなかった。しかし今回は子どもが誕生し、親の立場となって読むことにもなったために全然違う辛さがあった。人生の終盤に死者へ思いを巡らす中に自分の娘がいること。そして彼女の決断に何があったか分からない謎に絡みとられていく辛さ。自死は本人が一番辛いのは当然かもしれないが、残された側の人生の過ごし方がまるっきり変わってしまうことを痛感させられる作品だった。

2022年11月8日火曜日

一緒に生きる 親子の風景

一緒に生きる 親子の風景/東直子

 育児本については良さそうなものを常に探しているけど、なかなか読みたいものに出会う機会が少ない。そんな中で出会った本著はとても素晴らしかった。

 著者自身は子どもから手が離れており思い出を回想しつつ現在の社会における子育ての雰囲気などについてつらつらとエッセイを記している。著者はもともと歌人としてキャリアを始めているので各エッセイに絡めて短歌が紹介されている。そのスタイルが読んでいて楽しかった。短歌や俳句は興味があるのだけども歌集や句集を買ってもただただ読み下してしまい、どのように楽しめばいいか分からず挫折することが多い。そんな身からすると各歌のどこが興味深くてオモシロいのか解説してくれているのがありがたく、また育児にまつわる短歌なので今同じ場面を過ごしていることもあり楽しめた。(グッとくる短歌は色々あったが俵万智はやはり別格だった)

 育児真っ最中の立場だと余裕が生まれにくく日々の一つ一つの出来事に思いを巡らせることは難しいことも多い。しかし本著では経験談として何が尊いか、何が楽しかったかを率直な言葉で表現している。そんな著者の言葉から、目の前で起こっていることはかけがいのない出来事の連続なのだ、という考えを得られた。文体はおおむね柔らかいのだけど、ときに本質をつくパンチラインがそこかしこにあるので読んでいてハッとすることも多かった。一番くらったラインを引用。

たくさんの偶然が重なって家族となり、さらに家族としての必然の時間を重ねて、今、ここにいる。子どもがなんども気に入ったものを繰り返すのは、偶然得た今を安心し、満喫するためなのではないかと思う。

 作品内の挿絵がめちゃくちゃかわいいし本の装丁がとても美しいので本で買うことをオススメ。

2022年11月6日日曜日

言葉が違えば、世界も違って見えるわけ

 

言葉が違えば、世界も違って見えるわけ/ガイ・ドイッチャー

 早川書房のセールで積んでおいたのを読んだ。言語と認知について、鶏が先か、卵が先かの議論を中心に展開していて興味深かった。日本語と英語の二つの言語しか読み書きできないので想像もしない議論が多く新鮮。特に言語は思考のベースであり複数の言語で相対化しづらいからこそ本著のような存在は未知の世界への扉として機能してくれる。

 本著では色の議論が半分以上を占めておりメインのトピックとなっている。紀元前のギリシャの詩人ホメロスの韻文をUKの著名な政治家グラッドストンが研究する中で、色の記述の不自然さから古代の人たちの色の認知能力が低く、人類は長い時間をかけて色の認知を進化させてきたのではないか?という話が議論の発端となっている。このとき色盲のように実際に淡い色しか見えていない可能性と、色は今の人類と同じように見えているが、それを表現する言語を持っていなかったか?のいずれかになると想像がつく。しかしどちらが正しいのかは簡単に説明できるようなことではなく本著ではユーモア、アイロニーを含めつつ丁寧に解説している。時系列+物語的な語り口なので、今流行っている漫画の「チ。」が好きな人は興奮するはず。つまり、今となっては当たり前のことも当時は大きな議論になっていて多くの人間が真実を明らかにしようとアプローチを繰り返した。その営みの尊さを感じることができた。と同時に、今この瞬間も未来人からすれば「まだその議論してんの?」となると思えば趣深い。

 日本語・英語しか使えない人間からすると、名詞に対する性別付与に関する議論が一番オモシロかった。ヨーロッパ圏の言語に多く見られる男性名詞、女性名詞の存在が人間の認知に影響を与えていることを示唆する実験結果が示されているらしく特定の対象を男っぽい、女っぽいと潜在的にイメージしながら話しているのは全く想像がつかない。明らかに合理的ではないが、芸術の観点から見れば一つの単語内に本来の意味に加えて性別の情報も乗っかっていることで表現の幅が広がっている、という話がかなり興味深かった。(特に無生物を使った隠喩による詩の解釈)そして衝撃だったのは位置を示す言語の話。右左上下ではなくすべて方角で指し示す言語があるらしく、それも幼い頃から訓練すれば当たり前になっていくところに人間の可能性を感じた。

2022年11月3日木曜日

​​ISSUGI 「366247」 RELEASE LIVE @WWWX

 ISSUGIのニューアルバム『366247』のリリースパーティーをWWWXまで見に行った。コロナ以降、何回かライブには行っているものの基本ホールのようなものにしか行っておらず久しぶりに満員のライブハウスでライブを見ることができた。ライブの尊さがめちゃくちゃ伝わってきて最高の上の上の体験だった。

 今回のアルバムは明らかに過去作とモードが異なっており、リリックの具体性がかなり顕著になっている。それは彼の思想の部分であったりアティチュードであったり。インタビューにおいても、

今までも勿論言葉を大事にしていたんですけど、もっと大事にしなくちゃ次のレベルにはいけないって思いながら作ってました。言葉の表現力とか刺さる歌詞って自分がヒップホップ聴いててカッケーってなる部分の1つなので。

と語っていて、日本のヒップホップの盛り上がりに呼応しつつ思うところが色々あるのだなとアルバムを聴きながら感じていた。

 今回のライブは盟友Scratch Nice がBack DJを担当しており、そのタッグで『366247』の収録曲を中心に過去曲も散りばめつつ1時間強ほぼノンストップでスピットし続けていた。これまで何度もISSUGIのライブを見ているけど、この日はアルバム同様、モードがこれまた今までと異なっていた。とにかくお客さんをアジテートしてライブをお客さんと作っていくグルーヴが最高に心地よかった。曲間でMCといえるほど話さないのだけど、次の曲を歌うにあたり、自分がどういう気持ちなのかを伝えたり、観客に投げかけたりすることで曲に入ったときにさらにブチ上がれる。それこそ仙人掌がFeatで参加している「Ethlogy」でスピットしているように「"誰か理解る奴が理解ればいい"ってのはナシにした」のかもしれない。

 各曲に言及していくとキリがないけれども、やはり「from Scratch」が個人的なハイライト。シングルがリリースされたときから大好きな1曲だしRhymesterの「B-BOYイズム」を塗り替えた21世紀における新たなヒップホップアンセムとさえ自分自身は思っている。それをISSUGIの生のバイブス満タンの声、それを聞いたお客さんもブチ上がり、という条件が揃ったことで泣いてしまった。ライブで泣いたことは今まで一度もなかったけれど、コロナで我慢していた音楽をライブで楽しみたい感情が心の奥底にあったことに気付かされた。

 またScratch Niceのターンテーブリズムがライブ全体のグルーブに寄与している部分が相当に大きい。曲の終わらせ方、カットインのタイミング、すべてが一級品。曲順もScracth NiceがISSUGIの曲でDJしているのかと思わされるほどで最高にかっこよかった。DJがただ曲を流すだけと思われて軽視されがちな最近、彼のライブDJおよびライブ後のDJはその雑音をかき消すに十分だったように思う。デイタイムのライブで客入れのDJはよく見るけどライブ後に客出しではなく、あくまで一つのショウケースとしてDJタイムを用意するところにもISSUGIの考えるヒップホップ観が表現されているのかと思った。あとお子の関係でクラブへ気軽に行けなくなった今、爆音でヒップホップを聞ける喜びを改めて思い知った…

 SPARTA、Kid Fresinoが欠席だったもののゲスト陣も皆かっこよく印象的だった。「俺の周りのかっこいい仲間」という等身大のスケールを持ち続ける男のかっこよさがそこにあったし、何よりゲストがバースをキックしているときの彼の充実した顔が全てを物語っていたと思う。その中でも圧倒的だったのはやはりBESだろう。ISSUGIとBESで二枚アルバムがリリースされており完全無欠のタッグなのは間違いなく本当にブチ上がった。BESはとにかくバイブスが段違い。見ている観客が彼のラップのグルーヴにぐいぐりのめり込んでいく、そんな一体感を感じることができて至福の体験だった。またMONJUのコンビネーションはもちろん間違いなくて、特にコロナを経た今聞く「In The City」は感慨深かった。

 個人的に久しぶりのライブということを差し引いても今回のライブは本当に圧倒的だったと思うし、閏年も含めて全部飲み込むISSUGIがワンマンにかけた熱量を十分に味わえて本当に楽しかった。これからも彼の音楽についていきたいと思う。


2022年10月28日金曜日

日本語ラップ名盤100

 

日本語ラップ名盤100/韻踏み夫

 日本語ラップのディスクガイドが出たということで読んでみた。20年近くある程度まんべんなく、ときに深く日本語ラップを聞いてきた人生なので90年代-2020年代までを一気に振り返ることができて楽しかった。と同時にこの手のセレクションについては個人的思い入れと反比例する部分が少なからず発生する。そこで「はぁ?」と思うのではなく「なるほど、そういう史観なんですね」とある程度冷静に見れるようになった点は少し大人になったと思う。

 本著の前に100作品を直近で選んだのはミュージックマガジン2016年7月号で冒頭にもあるように、その時のセレクションに偏りを感じた著者が筆を取ったのがことの経緯。そのミュージックマガジン内でそのガス抜きを担ったのはCreepy NutsとDOTAMAなのは隔世の感…それはともかく彼らと著者の方向性としては近く、音楽としての「JAPANESE HIPHOP」よりも「日本語ラップ」という史観で選ばれていると思われる。つまりはリリック重視。個人的にはどんだけリリックがおもしろかろうが、ビートがダサいと音楽として楽しめず好きになれないので、その点は著者と意見が違う点が多々あった。また1ラッパー1枚ルールが設けているとしても、それは選ばないなと思うことも何度かあった。とはいえ著者が繰り返し本著内で言及している通りこの音楽は一人称が全てであり、それはプレイヤーに限らずリスナーにも同じことが言える。なので意見の相違は当然であり、この違いこそが細分化したがゆえの楽しさだと思う。

 本著の優れている点は間口を広げたところにあると思う。各アーティストの概要、略歴をタイトな文章で過不足なく書かれており入門書として最適。また100となっているものの実際には1枚ごとに関連作2枚がついているので計300枚収録されており、すべて聞けば一つの日本語ラップの歴史が組み上がる点ではここ最近の盛り上がりで好きになった人には大いに役立つはず。しかも今はストリーミングでほとんどがサクッと検索できて聞ける。著者のブログや他の記事ではさまざまな観点から日本語ラップに関する批評を行なっており、その片鱗を最後の段落で見せるのはユニークな仕掛けだと思う。急にギアが変わる感じで歴戦の玄人たちもこの視点を受けてもう一度聞いてみたくなるように仕掛けられている。自分で100枚選ぶのも楽しそうなので時間を見つけて挑戦したい。

2022年10月24日月曜日

THE MARATHON DON’T STOP THE LIFE AND TIMES OF NIPSEY HUSSLE

 

THE MARATHON DON’T STOP THE LIFE AND TIMES OF NIPSEY HUSSLE

 英語の勉強の一環として、英語で本を読むということ自分に課して読み始めて読了…内容どうこうより読了できたことが素直に嬉しい。Kindleの辞書機能があってこそなので電子書籍に感謝。そして読了できたのは何よりもNipsey Hussleというラッパーの魅力が存分に発揮されているから。これは邦訳したら絶対に当たる、と自信を持って言えるほどにめちゃくちゃオモシロかった。

 いわゆる自伝もので幼少期から亡くなるそのときまでを膨大な本人素材、関係者の証言を基に描き出している。個人的なNipsey Hussleの思い出といえば、やはりmixtape。まだストリーミングサービスが始まる前、USのヒップホップシーンではmixtapeという形で無料のアルバムをリリースしてて名前を上げていくカルチャーがあった。その中でNipsey Hussleはクオリティの高い部類にあり自分としてもよく聞いていた。その後、他のラッパーに比べて熱心に追いかけないままVictory Lapを聞き、かっこいいなと思う程度の思い入れだったけど、本著を読んでめちゃくちゃ好きになった。普段USのヒップホップを聞くとき、ビートの質感やラップのフロウを楽しみ、次にリリックという感じだけど、さらにアーティストのバックグラウンド、周辺情報を踏まえて聞くだけでこんだけ響きが変わるのかと思うと最近の音楽に関する「消費」速度の速さは勿体ないことをしているのかもしれない。

 本著では表面的なキャリアを追いかけるのではなく、なぜNipesy Hussleが他のラッパーと比べても偉大な存在なのか?を丁寧に解きほぐしているところが最大の特徴。たとえば彼はギャングカルチャーの中で育ったので、LAにおけるギャングカルチャーの成り立ちを解説していたりする。そこには丹念な取材の成果があり、読み進めれば進めるほど読者がより身近に彼を感じられるようになっている。

 タイトルにもあるように彼には人生におけるコンセプトがあり、それがTHE MARATHON CONTINUES、略してTMC。とにかく続けていく、そしてパッションを失わないことが何よりも大事だと繰り返し伝えている。それを自分の人生、キャリアで証明していくのがカッコ良すぎる。よく聞くHIPHOPの成り上がりストーリーかと思いきや彼が特異なのはその時間。自分のやりたくないことや、自分のコントロール下におけないことについて一切妥協せず、ひたすらDIY、仲間およびHoodへの還元を求めて走りつづけて最後にはしっかり成功する。しかも最初のスタジオアルバム(ミックス、マスタリングを施したアルバムの意)のタイトルがVICTORY LAPなんて粋すぎる!

 「仲間、Hoodに還元する」ことはヒップホップカルチャーのベースにある考えだと思うけど、Nipseyのスタイルは規格外でビルを買ったりHoodの子どもたちがSTEM(Science, technology, engineering, and mathematics)へアクセスしやすくなる環境を用意してギャングのカルマから抜け出せる仕掛けを用意したり。ラッパーというよりアントレプレナーに近いものがあり、キャリア初期でJay-Zがfeelして彼のCDを10,000ドルで買ったのも納得できる。そして彼が示したヒップホップにおけるビジネススタイルはここ日本でもBADHOP、ZORNなどに大きく影響を与えていると思われる。

 ヒップホップの自伝ものといえば、とにかくサイドストーリーが最高に楽しい。XXLのフレッシュマンのカバー撮影で黒の衣装を着用するようお願いされるものの青を貫き通す話、Curren$y が保釈中のNipseyをステージに上げてラップさせた話、リリース前の”Rap Niggaz”を聞いたDiddyからお前のサウンドには鳴りが足りないよと”Natural Born Killaz”を聞かされる話、Straight Outta ComptonでSnoop役をオファーされるも自分は音楽で何者にもなれていないから断った話など挙げればキリない。ヒップホップを愛しヒップホップに愛された男なんだなということがビシバシ伝わってきた。実際、JAY-ZとSnoop Dogという東西両巨頭にこれだけ愛されたラッパーはいないと思う。

彼は自分の店の前で射殺されてしまうのだけど当時の状況について目撃者の証言、裁判での展開などを交えてかなりスリリングに描いていて、ここは一種のサスペンスのような迫力があったし既に亡くなっていることは分かっているものの強烈な喪失感に襲われた。全く当事者性の無い日本の読者でこの気持ちになるのだったらHoodのみんなは一体どれほどの悲しみに包まれたのだろう。曲の中で自分の葬式のときの話をしたりしているのを聞くと、そういうところでもvisionaryだったのかと。。。最後にプロデューサー・エンジニアのRalo Stylezの言葉を引用する。

It’s not even a Marathon no more. It’s a relay. Nipsey definitely passed the baton to a lot of people. He empowered a lot of people.

2022年10月17日月曜日

哲学の門前

哲学の門前/吉川 浩満

 購読しているブログやcero高城氏のインスタのポストで知って読んだ。タイトルどおり哲学の手前での議論がオモシロかった。めちゃくちゃ読みやすい文章なんだけど内容は骨太なタイプで読んでいて楽しかった。

 哲学の本なのか?と言われると難しく、取り止めのない話をきっかけとして思考を展開していくという意味で哲学的なアプローチのエッセイと言えるかと思う。(構成としてもエピソード+論考の二段構えで口語と丁寧語でスイッチしている)このスタイルだからこそ普段私たちが暮らしている中に哲学がある、という話に納得できた。普段は意識せずに色んなことが脳内をフロウしていて整理できないまま流れていくことが多いけど、こうやって立ち止まって「どういうこと?」といろんな角度から眺めてみる作業が重要だと感じた。SNS含めて他人のことばかり気にしている時間が多く、自分の人生、好きなことにコミットしていきたいと思う。

 いろんなトピックがあって就活におけるコミュニケーション能力の欺瞞、政治スタンスの右左の分け方に対する考察など興味深い話のつるべ打ちなんだけど、一番うおっと思ったのは以下二つのライン。

私が忘れていたのは、まず、議論は生活(おおげさに人生と言ってもいい)の一部であり、その逆ではないという単純な事実である。議論のテーブルについた者どうしのあいだでは、当然ナガエア議論が成り立ちうる。だが、相手にはそのテーブル自体を拒否する自由があるのだ。相手がつきたくないようなテーブルをわざわざ用意しておいて、どうしてテーブルについてくれないのかと文句を言うのは筋違いであろう。

素人にとって大事なのはむしろ、どんな時に、どんな場合に、どんな仕事を専門家に頼めばよいか知ることではないでしょうか。つまり、専門家と親しい素人になること。

 前者は身につまされる話で仕事でもプライベートでもこういう過ちを繰り返して生きているのだけど全然治らない…今回このように言語化されたことで眼前に迫ってきたのでなるべく避けていきたいと思う。後者については、専門家と素人の距離感の話で特に仕事で活用できそうな考え方だと思う。餅は餅屋だなとつくづく思いつつ、自分も何かの餅は持っておきたい。何か答えが用意されているわけではなく思考が広がっていく貴重な読書体験だった。

2022年10月6日木曜日

偶然の散歩

偶然の散歩/森田真生

 最近本屋で全然本を買っていないなと思いたち本屋へ行った際に見つけて、この自分の行動にマッチしていると感じてタイトル買いした。著者の「数学する〜」シリーズはいくつか読んでいたが、本作はエッセイで他作よりも軽やかで読みやすかった。

 お子さんとの日々の生活を軸にして、数学ひいては科学の観点から思考を展開していくところがオモシロい。特に視点とスケールの移動が楽しくて、宇宙に思いを馳せることもあれば、庭の生物を見ていたり、さらには人間の身体が幾千もの細菌で構成されていることを考えたり。硬い内容を解きほぐして行間たっぷりの朴訥な語り口で書かれているので心が浄化されるような気持ちになった。自分が生き急いでいるとは思わないものの、日々のあれこれに気を取られて何か大切なことを見失っているのかもしれないと子どもが生まれてからは特に考えるようになり、そういった雑念との付き合い方について改めて考えさせられた。

 著者が稀有な点は科学的なことをいわゆる文系の語り口に収めることができる点だと思う。この安易な二項対立はもはや機能していないとは思うものの、自分自身が理系出身で文系チックなものに惹かれがち。ゆえに著者の言葉がパンチラインとして心に響くことが多い。いくつか引用。

あっちへ走り、こっちへと駆け、ズデンところんではぎゃあと泣きながら、子どもは身体の知性を鍛える。それに比べ、ちっとも転ばなくなってしまった自分は、どこか停滞しているのかもしれないと思う。

自分が主体的に変わらなくても、便利なサービスのほうがこちらに寄り添ってきてくれる時代に、それでもあえて時間とコストを割いて主体的に自己を変容させていくこと。その意味と喜びをいつかはきちんと伝えたいと思いながら、今日も息子の手の届かない場所に、スマホをしまっておく。

知性は身体や、それを囲む社会や文脈の中で初めて生きる。個人としての知識を蓄えるだけなら、いまより効率のいい方法はいくらでもある。

自分の存在が何に依存しているかを精緻に描写していくことは、いまあることの「ありがたさ」に目覚めていくことでもある。

 あとがきにある偶然と必然、一瞬と永遠を巡る論考もとても興味深く、とにかく必然と永遠を求めるようになった社会において、偶然と一瞬を大切にするように生きていきたいと思えた。 

2022年9月11日日曜日

定本 本屋図鑑

 

定本 本屋図鑑

 夏葉社による本屋図鑑と聞いてソッコー買った。島田潤一郎「本屋さんしか行きたいところがない」が大好きな1冊なので期待値高めだったけど余裕でそれを超える1冊でオモシロかった。本の内容が興味深いかどうかが一番大事、これはごもっともな意見として頂戴しつつ、本は買うときも最高に楽しい。ネットで買うのもいいんだけどやっぱ本屋で知らない本を買うときが一番興奮する。

 本著では全国津々浦々の本屋を全都道府県漏れなく紹介しているのがベース。他に本屋に関して考察するコラムがいくつか収録されている構成となっている。「本屋さんしか行きたいところがない」と同じく今話題の新刊古書をハイブリッドで展開している独立系のイケてる書店ではなくいわゆる街の本屋にフォーカスしている点が最大のポイント。書店の大型化が進む中でも街の本屋はそれぞれ独自の色を出そうとしていることが本著からはよくわかる。本著を読むと自分の街の書店が一体どういったことを志しているのか、書店の意志を感じ取れるようになるはず。実際、今本屋に行くとザーッと全部見て何かをフィールするのにハマっている。よくすべてが画一化されていく社会を憂う場面に遭遇するけど、実際にはそこに機微が存在していて読み取れなくなっいるこちら側にも問題あるのかも?と思わされる。なんにせよ本屋に対する視点のレイヤーレベルが数段上がるのは間違いない。

 また出版や本屋など業界動向について感情論ではなくデータでどういう推移があって今に至っているのか粛々と考察しているのもデータ好きとしては勉強になった。とここまで色々書いてきたが最大のハイライトは中学生の図書館委員のエッセイである。本好きは涙なしには読めない…すべては本を愛する気持ちなのである。

歌舞伎町のミッドナイト・フットボール

 

歌舞伎町のミッドナイト・フットボール/菊地成孔

 先日コロナに感染した際の闘病日記が公開されていたのを読み、その変わらぬ文体に懐かしさを覚えて未読の本作を読んでみた。歌舞伎町の住人になる直前で、本著出版ののち実際に住人となり、ラジオでエピソードトークを聞いていた身としては元ネタを知ったようで感慨深かった。

 さまざまな原稿を集めた1冊なんだけどもオモシロいのはそれらを串刺しするかの如く全エッセイに解説をつけている点。しかもホテルで缶詰になってそれを書くといういわゆる昔の作家スタイルで解説は海外ドラマの24よろしく時系列で自身および歌舞伎町周りのあれやこれやを独特の文体で書き殴っているのを読んで「あぁこれこれ」とその過剰さを堪能できてよかった。特に歌舞伎町に関するエピソードはジェントリフィケーションが行き着いた今読むと新鮮だった。

 そういった与太話は好みの問題だと思うけど、音楽に関する原稿はどれも本当にオモシロい。特にマイルス・デイビスのディスクレビューはプレイヤー視点と批評家としての筆力があいまって著者にしかできない論評だと思う。PC的にアウトすぎる発言でキャンセルされてしまったのは本当に悲しく、著者がいつかまたラジオ番組を持ってくれないか。その日を待ち望んでいる一夜電波リスナーです。

2022年8月31日水曜日

水平線

 

水平線/滝口悠生

 滝口悠生さんの新作出たなら読むしかないでしょ!ってことで発売日に買ってすぐ読み始めてひと夏かけて読了。日本の夏の読書としてこれ以上ふさわしいものはないのでは?くらいにハマってどこへ行くでもない夏休みにゆっくり楽しむことができた。

 第二次世界大戦中に激しい戦闘地となった硫黄島をめぐる時間と場所をクロスオーバーした群像劇。戦時中、近過去、現在と悠然と行き来するし、登場人物も非常に多くて一体自分がどこにいるのかふわふわした気持ちになるのだけど、それは著者が得意とする人称を自由自在に行き来するスタイルであり、船に乗って海でふらふらしてるような感覚があった。人称の変化具合は時代の横断を伴っていることもあり過去作の比ではなくフリーキーになっている。映像作品でいうところのカメラスイッチが立て続けに起こっていくので読んでいて飽きないし楽しい。整合性という「正論」の話をすると、そのあたりは完全にビヨンドしており、それはアレだすべて海のせい、的な展開で回収されていくのも興味深かった。

 戦争に関する小説をそこまで読んだ経験がないものの、本作がスペシャルだなと思うのは膨大な量の生活描写だと思う。戦時中の生活について史料を読んだり、ドキュメンタリーを見たりすれば知識としては身につくのだろうけど、人が生きていた感覚を実感できるのはフィクションのいいところ。さらに映画ではなく小説だからこそ微細な描写、描き込みが可能となるのだなと500ページ超の本著を読んで感じた。その人がまるで生きているように感じるからこそ、戦争の理不尽さが浮き彫りになっていくのが良かった。戦争はクソだなと思う理由の一つが明確に書かれていたので引用。真剣に考えることの否定ではなく、ふざけられることの大切がよくわかる。ふざけて生きていきたい。

幻想だ。真剣さは毒だ。真剣になっているうちに、自分じゃなく誰かべつの者のよろこびが自分のよろこびであるかのように思ってしまう。他人のよろこびを俺がよろこぶのは俺の自由だが、他人から、そいつのよろこびが自分のよろこびであるかのように惑わされて騙くらかされるのは御免だ。だから俺はあれからずっと真剣さを疑っっている。なるべくふざけていたい。大事な話や、大事なものについて考えるときほど、真剣さに呑みこまわれてしまわないように。

 ポッドキャストにゲストで出演いただいた際に、エピソード後半で本著についても少し話を伺っているので興味のある方は聞いてみてください→リンク


2022年8月9日火曜日

資本主義リアリズム

 

資本主義リアリズム/マーク・フィッシャー

 高橋ヨシキ氏がインスタでポストしていたのを見て読んだ。2009年にリリースされた論考集なんだけど全く古びていなくて現在の社会の在り方について理解が進んだ。2022年の今でも事態が大筋では変わっていないことがとにかく辛い。2008年ごろに始まったことが悪い方向へさらにシフトしているのかとネガティブ思考に陥る一方で著者はカウンターの出し方を提示してくれていて少しは勇気ももらえた気がする。

 タイトルの「資本主義リアリズム」は資本主義が完全に世界をテイクオーバーし現実的には資本主義が最強でしょ?というネオリベ的世界観のことを言っている。本著では資本主義ひいては新自由主義が躍動する世界で何が起こっているのかを丁寧に紐解きながら、当たり前に受け入れている資本主義に対する懐疑的な姿勢を示すラディカルな本。こないだの参議院選しかり最近選挙に対するモチベーションが極端に落ちていて、それはあきらめの感情が渦巻いていることが原因だと思う。著者はそれを再帰的無能感と呼んでいてしっくりきた。

彼らは事態がよくないとわかっているが、それ以上に、この事態に対してなす術がないということを了解してしまっているのだ。けれども、この「了解」、この再帰性とは、既成の状況に対する受け身の認識ではない。それは、自己達成的な予言なのだ。

 著者の特徴としては語りの中にポップカルチャーを混ぜ込んでいる点だと思う。相当硬い話なんだけど、自分が知っているカルチャーが論考に混ぜ込まれていると理解が深まる。さらに著者のポップカルチャーへのそのまなざしの鋭さにうなりまくりだった。特に「ボーン」シリーズの記憶にまつわる取り扱いを引きながら、現在の社会における一種の記憶障害的事象(日本でいえば「記憶にございません」)を語っているパートは圧巻だった。

 個人的に一番辛かったのは冷笑主義に対する論考。著者は官僚主義の中で隷属している人間は冷笑主義を身につけてやり過ごしているのであると喝破していて、それがまさに自分だなと思ったから。冒頭で話したあきらめは冷笑主義に近づいている気がして、どこかで変えなきゃいけないと思っていたのだけど、そもそも人生の大半を過ごしている会社でそんな態度取ってたら政治や社会に対して建設的な対応なんてできるはずないよなと。冒頭の諦めの気持ちの由来がわかって勉強になった。

 本著で語られている内容を全部理解できたかといえばそれは難しい。けれど当たり前に受け入れているものが当たり前ではない可能性を信じる。オルタナティブがあるのでは?と模索し続ける姿勢を忘れないでいたい。

2022年8月3日水曜日

地球にちりばめられて

地球にちりばめられて/多和田葉子

 Kindleのセールで買って積んでおいたのを読んだ。著者なりのディアスポラ物語という感じでオモシロかった。毎回たくさん気づきを与えてくれる作家で、ドイツ在住だからなのか日本に対して客観的な視点をスイングしまくりの日本語で提供しているところが唯一無二だなと思う。

 物語内で明示されないものの日本が何らかの理由でなくなっておりヨーロッパ圏で難民として生きていく状況を描いている。その中で言語、出身国がバラバラの登場人物が奇妙な関係を形成していく過程がオモシロかった。日本だと移民が少ない状況なので、出身国が日本であれば十中八九、母語は日本語になるものの、移民の受け入れが進んでいるヨーロッパ圏では言語、出身国は必ずしも一致しない。事実としては知っているけど小説で読むと身近さがグッと上がった。

 登場人物が誰もが曲者で全員揃うまでは正直掴みどころがなかったけど、揃ったあたりからは会話劇としてのオモシロさが加速度的に増していき終盤はかなり読みやすくなった。あとがきにもあったけど演劇を見ているかのよう。

 毎回のごとく直喩/隠喩の使い手としてのセンスの良さが炸裂しまくり。一番好きだったのはインターネットにまつわる以下のライン。著者は世代が違えば、とんでもないラッパーになっていたかもしれないと読むたびに思う。

今日はディスプレイの放つ光を思い出しただけで嫌悪感を覚えた。人を無理矢理、明るい舞台に引き出すようなあの光。スポットライトがまぶしくて何も見えない華やかな舞台の上で僕は虚構のスターになる。

2022年7月31日日曜日

パパは脳研究者 子供を育てる脳科学

 

パパは脳研究者 子供を育てる脳科学/池谷裕二

 子どもも7ヶ月となり、そろそろ育児本でも読むかと思い見つけた1冊。脳科学のアプローチで子どもの発育、行動について解説してくれていて興味深かった。何事も理屈で生きてきた人生なので、直感的に理解が難しい子どもの行動を解説してもらえると安心できる。エッセイ的要素、学術的要素、How to的要素のバランスがちょうどいいので、どういった目的の読者でもリーチできる満足感があると思う。

 本著では4歳まで一ヶ月刻みで各月齢で何ができるようになったの半学術的、半エッセイ形式で書かれている。冒頭にエクスキューズとして赤ちゃんの発育は千差万別であり無闇に比べて一喜一憂しても意味がない旨が書かれていて安心した。これのあるないで印象はだいぶ違うと思う。

 育児をしていると大人にとって当たり前にできる一つ一つの所作ができるようになるまでに多くの時間を要することに気付かされる。今、離乳食を食べさせているのだけど、食べるのが遅いし機嫌が悪くなったりもする。ついつい自分の時間スケールで考えて「早く、元気よく、食べてほしいな」と思ってしまう。そもそも子どもに流れている時間と大人の時間が異なることを意識しないといけない。こんな当たり前のことも知識として体得していないと、気づくことができずストレスになってしまうので読んで学ぶことで各現象に対して多少おおらかに対応できるようになって助かった。

 本著の一番素晴らしいところは、赤ちゃん、子どもの行動を説明する際にほとんどすべてに参考文献が記載されている点。著者は大学教授なので当たり前なのかもしれない。しかし子育て周りの情報は迷信含めて定性的、定量的な検証結果に基づいて説明されていないことが非常に多いので、このように第三者のデータで論拠を補完してもらっていると信用できる。(文献を全部確認したわけではないので、とんでもデータの可能性もゼロではないが、感覚の暴論よりは良いはず…)子どもの行動を脳科学ベースで説明されることで人間のスペシャルさが際立ってきて、脳のその特殊さに驚くこと山の如しだった。

 著者の育児方針やHow toも書かれており、このあたりは人によって意見が異なるところだと思う。早期教育で知識を身につけさせることを否定はしないが、それよりも知恵、つまり考え方のベースを身につけさせることが重要、というのは刺さった。ちなみに文章全体に(汗)や(笑)が多用されており個人的には無くて良いのになーと感じた。とはいえ4歳までは場面場面でお世話になるだろう1冊。

2022年7月23日土曜日

プロジェクト・ヘイル・メアリー


 
プロジェクト・ヘイル・メアリー/アンディ・ウィアー

 アンディー・ウィアーの新作と聞いて読んだ。SFの中でも比較的王道な中で著者独自の設定、バイブスがふんだんに盛り込まれていてとてもオモシロい。彼の一人称スタイル、カジュアルでブログのようなストーリーテリングに今回も魅了された。

 前半は過去と現在を交差させながら描写していくのだけど、主人公が記憶喪失状態からスタートしており、過去のエピソードが紹介されると、その記憶を取り戻す設定が新鮮。起きたら謎の空間に自分がいて、そこからリバースエンジニアリングのアプローチで環境に適合していく姿は、前作「火星の人」でみた主人公と重なる部分があった。特に今回、主人公が学校の科学の先生という設定が良い。大学の専門機関で超プロフェッショナルを極めた人間ではなく、地球上の科学全体に対して総合的に理解をしているのは学校の先生なのでは?という見立てが興味深い。さらに未来そのもの、つまり子どもたちと日常的に接し彼らに対して責任を持っている人間だからこそ持つ覚悟。当然訓練されていないので弱みを見せる場面はあるものの、そこも含めて人間らしさを感じて主人公に感情移入しやすかった。また人類が滅亡するかもしれない理由として宇宙人侵略ではなく、太陽光の減衰、しかもその原因が謎の微生物。こうやって聞くと地味なんだけど、その特徴へ対処していく過程は人類が発達させた科学における実験そのもの。

 本作の最大の見どころは後半のロッキーとのバディ展開だろう。インターステラーのTARSを彷彿とさせるゴロっとした質感の異星知的生命体との邂逅、協力、別れ、再会。どのシーンも胸が躍りまくりでめちゃくちゃ楽しい。この設定に加えてアンディ・ウィアー節ともいえる宇宙でのDIY活動があいまって加速度的にオモシロくなっていた。ここまでディテールの細かい話を想像で描いていくSF作家、ひいては人間の想像力の逞しさのようなものさえ感じた。一作目未読なので次はそれを読みたい。

2022年6月30日木曜日

魂の声をあげる 現代史としてのラップ・フランセ

魂の声をあげる 現代史としてのラップ・フランセ/陣野 俊史

  blackbird booksのサイトで見かけて即買いした1冊。ヒップホップが様々な国におけるポップカルチャーになっていく中でフランスにおけるヒップホップカルチャーが丁寧に説明されていてとても勉強になった。

 シーン全体を包括的に語る切り口というより社会と地続きに存在するヒップホップのアーティストを中心に紹介されている。(いわゆる「コンシャス」なラッパー)近年のフランスで起こっている差別的・排他的な事態に対してラッパーがどういう歌詞やサウンドで応答しているのか略歴、リリック翻訳など丁寧に解説してもらいつつ著者のそのラッパーに対する見解・批評がちょうどいい。単なるディスクレビューでもないし論考だらけでもないバランスで読みやすかった。

 郊外(フランス語でバンリューと言うそう)の貧しい公営住宅で育った移民二世のアフリカ系フランス人が多く紹介されている。US同様に社会に差別は存在し、そのストラグルを歌詞にしているケースが多い。ただアフリカとの距離感がアメリカとは異なっており、植民地の宗主国と属国という歴史もあるため、USよりも距離が近い。それゆえにリリックにルーツであるアフリカの国の言語が出てきたり、音楽にもその影響が見てとれる。

 アフリカ系少年の死をきっかけに巻き起こった暴動、サルコジのひどい発言、言論の自由が脅かされたシャルリエブド事件、警官に窒息死させられたアダマ・トラオレ。これらの社会的にインパクトの大きい出来事と連動しているラッパーが多くいることに驚いた。当然ポップスあるいはダンスミュージックとしてヒップホップ(というかラップという歌唱法)が流行っているのはあると思うけど、その先には言いたいことを主張する音楽としてのヒップホップを受け入れる土壌ができあがっていくことになるんだなと思う。だからこそ社会の出来事とヒップホップが連動していくのだと。日本でもいないことはないけれど、これだけ具体性を持って何か主張しているラッパーは今ほとんどいない。それは平和だからなのか、それとも平和ボケしているからなのか?とすぐに国単位の議論をしてしまうのだけど、この本で書かれていたヒップホップネイションという考えがとても興味深かった。

国境線に分断され、現実には諸言語に分割されているかもしれないが、ラップするものは常に「ヒップホップ・ネイション」に属していて、そのかぎりにおいて、オレたちはひとつのネイションの住民なのだ、という考え方だ。

 こうやって言われると話のスケールが大きくなってヒップホップへの愛が深まりそうと思った。国関係なくかっこいいヒップホップをこれからも聞いていきたい。

2022年6月18日土曜日

兄の終い

 

兄の終い/村井 理子

 義母からレコメンドしてもらって読んだ。軽快な文体なのに起こっている事態は相当ハード、そのギャップがオモシロく超ページーターナーな1冊ですぐに読み終わった。「普通」の家族なんていうものは幻想であり、それぞれに独特な家族の風景があることを教えてもらった気がする。

 著者の兄が自宅で亡くなってしまい、その後の対応を事細かに描いている点が最大の特徴。自分自身は現時点で幸いにも近親で亡くなった人がいないので知らなかったけど、人が亡くなるとどういったタスクが発生してそれをいかにこなしていくか?が淡々と書かれておりそこが知らないことだらけで新鮮だった。この手の話はウェット方向に展開していくのが世の常だけども、そこを裏切っていく。「唯一の肉親だった兄なのにドライすぎる!」と怒る人もいるだろうなと想像つくのだけど、それが前述した家族の在り方は千差万別だということ。家族関係に杓子定規が通用しないことを気づかされた。

 兄が亡くなった結果、取り残された子どもをめぐるやり取りの数々が一番グッときた。子どもをめぐる親権のデリケートさは想像以上だし、父を亡くした子どもに対して周りの大人たちが全力でケアしている様に世の中もまだまだ捨てたものではないなと思えた。特に子どもが転校することになり小学校で開かれるお別れ会のくだりでは涙が…今の時代にこんなピュアな感情が転がっているのか?と俄に信じ難いくらいに美しい場面で、それだけでも読んで良かったなと思えた。

2022年6月16日木曜日

Coffee Fanatic 三神のスペシャリティコーヒー攻略本

Coffee Fanatic 三神のスペシャリティコーヒー攻略本/三神 亮 

 インスタでフォローしていたコーヒーロースターのポストで知って読んだ。コーヒーはQOLの大部分を占めており毎日朝夕2回ハンドドリップで入れて飲んでるし夏場はコールドブリューで作ったり。豆も近隣のお店、通販、旅先で買って、それらを家で挽いてコーヒーライフを楽しんでいるので本著はめちゃくちゃオモシロかった。

 著者はコーヒーの生豆を仕入れる商社で勤めていた経験を持ち、焙煎競技の日本代表コーチを務めていたこともあるらしい。そんな超プロフェッショナルがコーヒーを飲むに至るまでの各工程を因数分解して解説してくれている。改めてコーヒーという飲み物が持つパラメータの多さに驚いたし突き詰めがいのある飲み物だなと思う。豆の種類、豆の産地、焙煎具合、抽出方法。このどれもが奥深くて、各要素に左右されてどういう味になるのかは本当にバラバラだし、だからこそ自分が好きな味を見つけるのが楽しい。特に本著は理論体系をしっかりしましょう、というコンセプトが強くほぼ化学の実験と同じ様相を呈しており個人的には好きだった。よくあるバリスタのコーヒー解説本もいいけど、書き上げた熱量がそのままビシバシ伝わってくる文体も良かった。まさにfanatic.

 家でコントロールできるのは抽出の過程なので、そこは大いに参考にしたいし、お店で豆を買うときの前提知識を増やすこともできるのでコーヒーラーバー必読書

2022年6月13日月曜日

旅の効用:人はなぜ移動するのか

 

旅の効用: 人はなぜ移動するのか/ ペール アンデション

 Kindleのセール本で何かいいのないかな〜とディグする習慣があるのだけど、そこで見かけて読んでみた。コロナ以降、全くもって旅をすることがなくなり早2年。徐々に解禁ムードが漂う中、改めて「なんで旅行するんだっけ?」という基本的な動機を思い出させてくれた気がする。

 著者はスウェーデンの方で旅関連の著名な雑誌を立ち上げた人らしい。タイトルがだいぶ硬いので、理詰めでガチガチの議論をしているかと思いきやエッセイで読みやすい。本当にいろんな角度で旅について論考しているのだけど、大きな主張としてはツアーではなく、メジャー観光地ではなく、ゆっくり、長くといったスローライフならぬスローツアーのすすめとなっていた。自分自身は著者の考えと近くて、いわゆる観光名所よりも地元の人がどんな感じで暮らしているのかに興味を持つタイプなので主張に納得することが多かった。ただ何ヶ月も旅に出れるわけでもなく著者と比べて時間に限りがある生活ゆえに予定詰めすぎてセカセカすること多いなと思っていたので、旅慣れた場所で時間をかけてゆっくり過ごす、みたいなことが今一番したいかも。

 また著者はインドに心酔しているようで自身のインド訪問時のユニークなエピソードが色々あって興味深かった。ただ旅に対するモンド映画的な態度は若干気にかかった。つまり、あくまで自分はスウェーデンという帰る場所があり、それありきで発展途上国をたまに訪れることで楽しむ的な。それは発展途上国の発展を望まないという態度に映らないでもない。旅の結果、外貨が現地に落ちるのだからいいじゃない、という論は本著でも展開されていたけど、昔からこの手の善に関する議論にすんなりと乗れない自分がいることを再認識した。

 完全インドア派がますます加速しているので以下のラインを意識しながら書を捨てて旅に出たいものです。本著内で絶賛されていた「パタゴニア」を次は読もうと思う。

体験が人間を形成してくれるのだ。私たちは体験でできているのだ。体験の結実なのだ。体験する印象が増えれば増えるほど、私たちは人間として成長する。

2022年6月7日火曜日

往復書簡 ひとりになること 花をおくるよ

 

往復書簡 ひとりになること 花をおくるよ/植本一子,滝口悠生

 著者2人による往復書簡。ひょんなきっかけから植本さんにはPodcastのゲストで出ていただくことになり、植本さん曰くその収録きっかけで開始することになったそう。なので製作されていることは以前から聞いていて滝口悠生さんも自分の大好きな作家の1人なので期待値上がりまくりな中、そこを余裕で超えてくる素晴らしい作品だった。こんなに自然体かつ芯をくったことを平易な言葉で表現できる2人がめちゃくちゃかっこいい。

 往復書簡という形のコミュニケーションの速度・密度は現在日常には存在しないと思う。すべてが短縮され高速化される中、それぞれが伝えたいことを時間をかけて考えて文字にする。本著内でも言及されていたけど、2人のやり取りなので、一方に対するメッセージではあるものの公開されるので不特定多数が読む。このスタイルが今の時代に新鮮に映るはず。あと何気ない近況と比較的深いテーマのようなもののバランスが良くて深いテーマだとしてもすべては日常と地続きなんだなと思わされた。

 植本さんからは特に子育てに関するトピックや主張の投げかけが行われて、それに対して滝口さんの論考が展開されるパターンが多かった。自分自身、昨年末に子どもが生まれて絶賛子育て中で何となく考えていたことがことごとく滝口さんによって言語化されており、もうそれだけで自分にとっては特別な1冊となっている。特にくらったラインを引用。

この頃娘は、食事を与えていても、これが食べたい、と指さしたり、危ないものを手にしているので取り上げようとすると不服を訴えて怒ったり泣いたりするようになりました。そういうときに、おお、個人だ、と感動します。

僕はひとりで歩いているときはじめてぼんやりとながらも離れた場所から娘のことを思い出したのでした。妙な話ですが、その瞬間にはじめて、ああ自分には娘がいるんだな、と思えた気がします。

 「べき論」に終始せず各トピックに関して言葉で意見交換して互いの立場を知る。SNS全盛期で「気持ちの良い言い切り」が跋扈する中、分からなさ、曖昧さを表明することのかっこよさが二人から存分に発揮されていて勇気づけられた。また装丁のかっこよさも圧倒的。本の内容と連動しているところもグッとくるし仕掛けの多さも最高だった。

 これだけいろんな角度で魅力たっぷりに仕上がっている本もなかなかないと思うので是非読んでみてほしい。あと植本さんと本著についてpodcastで話をさせてもらったので、読んだ方はそちらも聞いてみてください→リンク

2022年6月6日月曜日

90年代のこと

 

90年代のこと―僕の修業時代/堀部 篤史

 先日読んだ火星の生活がオモシロかったので読んでみた。90年代に青春を過ごした著者が個人的な体験を振り返りながら90年代を現在の価値観で相対化していく。著者と同じくヒップホップが好きなので90年代がゴールデンエラであることに異論はないのだけど、どうしても説教臭さを感じてしまった…

テクノロジーが効率を促進してきた結果、カルチャーの周縁を駆逐してきたのは事実だし、失われてしまったものも多いと思う。それと同時に手に入れた便利さ、情報が民主化されたことなど正の側面があると思うのだけど、著者は負の側面しか見ていない気がした。お金や時間をかけて能動的に一生懸命情報を集めてきたことを否定するつもりもないし、自分もそういう時期はあったので気持ちは良くわかる。ただ厭世感が本著全体を覆っているので、そこまで悲観的になる必要があるのか?と思った。ただ実際に書店を経営していて店中の写真だけ撮って何も買わずに、もしくは記念のポストカードだけ買って出ていかれたら、こういう気持ちになるのかも。

なんだかんだ言いつつも30代のミドルチャイルド世代なので著者の気持ちも分かる部分が多い。以下一部引用。

人は常に、理解するのに時間を要さない明快さを求める。反対に非合理さの良さは説得ではなく、時間を伴う感化でしか伝播することはない。

出会ったことのない過去の音楽は等しく新しい音楽であり、どのように並べるかでその意味を定義し直すことができる。先輩のように知識も経験もない自分にとっては、上の世代に対抗すべき手段として「こういう聴き方だってありますよ」と提案する、編集行為こそが唯一の武器だった

特に二つ目の編集行為、キュレーションの可能性については情報が並列化した今こそ求められることであると思うので意識していきたい。関係ないけどジョナ・ヒルが監督した「mid90s」を早々に見たくなった。

2022年6月1日水曜日

ECDIARY

ECDIARY/ECD

 好書好日のtofubeats回で紹介されていたので読んだ。読み始めて一気に引き込まれて一日で読了…100日間の日記で自身の生活について書かれているのだけど、その生活の中で見つけたトピックから思考を展開していくような内容がとにかく刺激的で興味深かった。

 2004年の日記でアルコール中毒からは既に抜け出したあとでメジャーレーベルと縁を切り自主販売でCDやDVDを捌いていきつつ別で仕事をしている頃の話だった。このようなスタイルは今となってはストリーミングの効果もあり当たり前になりつつあるものの、この頃はCD出すのにも一苦労な時代の中で思い切って自分で全部やると決めている姿勢がストイックでかっこいい。自分の考えが強固に存在し、フェイム、フレックスに目もくれず自分の考えるヒップホップを体現する。なんで自分がヒップホップにここまで夢中なのかといえば著者のようなラッパーがいるからだと改めて思う。

 生活のディテールの細かい描写ではなく著者の思想に触れられるのが興味深かった。18年前とは思えない、2022年の今でも芯をくうパンチラインのつるべ打ちで以下一部引用。引用箇所だけ読んでもピンとこないかもしれないが、どの口が何いうかが肝心©️MACCHOな訳でECDの言葉で、彼の文脈だからこそ刺さるのだった。

“自分にしかできないこと” なんかなくて、 ”誰にでもできること”の中から”自分のやること”を選ぶだけでよいのだ。

僕は政治なんか拒否するために政治活動に参加しているのだ。ほっといてほしいからこそ、つっぱねようと行動しているのだ。

ここでいうセンスというのは、自分が「いい」と思うものを自分以外の人にも「いい」と共感してもらうために働かせる知恵のことだ。だからひとりよがりではダメだ。

 他の読んでない著作もあるし、聞いていないアルバムもあるのでこれからも読んだり聞いたりしていきたい。


2022年5月30日月曜日

トーフビーツの難聴日記

 

トーフビーツの難聴日記

 tofubeatsの新しいアルバムのリリースと共に発売された日記。2018-2022年までの音楽活動、私生活までまるっと収録したどストレートな日記でめちゃくちゃオモシロかった。法人を立ち上げて音楽活動しているのは知っていたけど、思っていた以上にガチ自営業でミュージシャン自身がここまで裏方業務をこなしている例が他にあるのだろうか…

 生活のことが細かく書かれており、それだけで読んでいるのが楽しい。神戸→東京でいわゆるシティライフを謳歌している様子も楽しいし、事務所の漏水トラブルに悪戦苦闘している様はまさに人生。さらに2020年以降はコロナ禍の音楽家の苦悩がふんだんに書かれており、クラブミュージックが出自でここまで厳しくコロナに接していることにも驚く。自分で決めたルールとカルチャーに対する思いで逡巡しているところは真摯だと感じた。

 音楽活動でリスナーが目にするのはステージ上できらびやかに歌ったり演奏したりする姿だけども、そこに到達するまでのタスクの量が想像以上。それらを文字通り1つ1つ潰してく様はプロダクティビティに対する執着を感じて愉快だった。自分も広い意味でプロダクトが世に出るまでの下準備の対応を仕事にしているので、その点では対象が異なるだけで近いものを感じた。

 この日記の一番の醍醐味は音楽業界やコンテンツに対する実直な気持ちの表現だと思う。日記の合間に挟まれる関係者の各コラムで言及される「実直さ」が存分に発揮され「そうなんや…」という話の連発で驚く。それはここまで言っていいのか?というレベルで本を読んだ人にだけが楽しめる最高のギフトとなっている。ここが変だよ音楽業界、とこれだけ言える人が今いるのだろうか。結局自分でコントロールしている領域が広いからこそ自由に物が言えるのであり自分も意識していきたい。ちなみに神戸の1003という書店で買うと特典で直近の日記がついているのだけど、そこで言及される松任谷由実の発言にまつわるDTMミュージシャンの矜持がめちゃくちゃ良かったので1003から買うべき

 今回のアルバムはむちゃくちゃかっこいいのだけど、本著を読むとアルバムがさらに肉薄してきて違った響きになって二度美味しい。次は好書好日で取り上げられていたECDIARYを読もうと思う。

2022年5月28日土曜日

クリティカル・ワード ファッションスタディーズ 私と社会と衣服の関係

 

クリティカル・ワード ファッションスタディーズ 私と社会と衣服の関係

 コロナ禍で誰とも会わなくなって久しい中、服に対するモチベーションが一向に上がらない。もともと別におしゃれなわけでもないし、特段のこだわりもないので、このままだと全身ファストファッションおじさんになりそうと危惧し本著を手に取った。そもそも服を着るとは?ファッションとは?といった超ベーシックな問いに対していろんな領域の学術分野から紐解いてくれていてめちゃくちゃオモシロかった。

 一部で理論、二部で実例、三部で文献紹介という三部構成になっていて段階的に理解を深めることができるし、深堀したくなったときに追加で文献に当たることもできる親切設計になっているのがありがたい。

 読む前からファッションや服を着ることは社会的な行為で他者がいて初めて成り立つものだよなと思っていた。その考えについて文献に基づいて丁寧にどういうことか、本当にいろんな切り口(アイデンティティ、消費などといった観点)で書いてくれているのがオモシロい。文献でしっかり補助してくれているので、書き手の私見に限らないのだなという安心感もある。

 衣服・ファッションの最近のもっぱらの話題はSNSによる情報の在り方の変化とSDGsへのコミットが要求されるサステナビリティへの考慮になっており、その二つが比較的分厚く解説されている点が良かった。前者については今となっては自明のことだけども、インターネット、SNSがなかった頃は情報格差が存在し、例えばファッションショーで紹介された衣服を見ることができる人は限られており、大衆はそこからトリクルダウンで情報が落ちてくるのを待たないといけなかった。また後者については資本主義社会である以上、常に新しい衣服を製造し売り続けなければファッション業界が成り立たないことを前提にしつつ、環境負荷を下げる方向へ各ブランドが画策していることを知れて勉強になった。職種が素材屋なので、その辺りのテクノロジーの進歩の具合にも驚いた。

 ジェンダー観点もかなり興味深くてスカート、パンツが生む男女差の弊害を筆頭にファッションが思っている以上に社会における「性別」を規定していることを思い知る。ファッションは自分のアイデンティティを主張するものでありながら、コミュニケーションツールでもありTPOでの使い分けが要求される。この相反する要求を成立させなければならないと考えるとファッション、服装って難しいものだよなーという認識を深めた。ただ結局履いているのはユニクロのウルトラストレッチアクティブジョガーパンツなので早くこのフェーズを抜け出したい。

2022年5月18日水曜日

火星の生活 誠光社の雑所得2015-2022

 

火星の生活 誠光社の雑所得2015-2022/堀部篤史

 blackbird booksのインスタのポストで見かけて気になったので読んだ。京都で本屋を営む著者が見た、聞いたカルチャーをベースにいろんな話をしていて興味深かった。

 読むきっかけになった印象的なタイトルはリドリー・スコット監督の「オデッセイ」からインスパイアされたものらしく、本屋も火星のようなもので孤独と共に商いを続けている、という見立てからしてオモシロい。一番好きだったのは「2018-2022の業務日誌」という章。ゴリゴリの本屋論考がふんだんに含まれており久しぶりにこういう強い思想に触れて楽しかった。 特に「街に本屋が無くなって悲しいね…」と物知り顔でいう前になんでそうなったか考えてみろや?という至極真っ当すぎるツッコミとそれを自分のお店のスタイルで回答していく姿勢がかっこよい。くらったラインを引用。

「おすすめの本は?」という問いに対し、「あなたは誰ですか?」という問で返す方が、文学的ではないか。個人に対しておまかせでせん諸氏、本を届けるサービスが一時話題になったが、どうしても馴染めないのはそんな理由からだ。文学や芸術はとかくビジネスと相性が悪い。

世の中に存在することすら知らないものは、検索など不可能である。その上で、検索ですべてが完結している錯覚を覚えてしまうと、現実に存在する「可能性」は不可能なものとして覆い隠されてしまう。

 著者が京都出身でお店も京都にあるということで、街をレペゼンしている内容が多い。たまたま以前に旅行で訪れた際、言及されているエリアをフラフラ歩いていたので記憶が呼び戻された。誠光社は是非行ってみたい。

2022年5月14日土曜日

掃除婦のための手引き書

 

掃除婦のための手引き書 /ルシア・ベルリン

 単行本がリリースされたときから読みたいと思っていたら文庫化されていたので駅構内のブックファーストで衝動買いした。短編集なんだけど読み応えがあってオモシロかった。自分の人生に肉薄してくるような感覚になるエピソードの連発かつ文章の巧みさに引き込まれる。装丁はクラフト・エヴィング商會、翻訳は岸本佐知子という鉄壁布陣なのも最&高。

 訳者あとがきにあるように著者はそこまで有名な作家ではなかったものの本著をキッカケに改めて評価が高まったらしい。いわゆる私小説で著者自身が経験したことをベースにしているからか、どのストーリーもディテールが細かく眼前に風景がありありと浮かんでくる。同じ登場人物が繰り返し登場するので緩やかな時間の経過も感じることができて単なる短編集ではなく本が編まれることでグルーブが生まれている。それこそDJのMIXのよう。

 これに加えて表現のかっこよさ、そこかしこに埋め込まれているパンチラインがグッとくる。なかなか最近読んでいるだけでウットリするような文に出会えてなかったけど本著はそんな場面が何度もあった。個人的に一番好きだったのは「さあ土曜日だ」という話。刑務所にまつわる話で、エンディングの虚無さも好きなのはもちろんのこと冒頭の5行くらいでブチ上がりすぎて声出た。なかなかこんなことはない。それだけじゃなくて色んな人ところに最高なラインがちりばめられているので引用。

他人の苦しみがよくわかるなどという人間はみんな阿呆だからだ。

かわいそうに。過去の因習に囚われて、他人にああしなさいこう考えなさいと命令されて、ずっとそうやってがんじがらめで生きていくのね。わたしは誰かの目を楽しませるために装うわけじゃない。

日々の習慣も記念日も、何もかもが空疎なまやかしに思えてくることだ。すべては人をあやし、なだめすかして、粛々と容赦のない時の流れに押し戻そうとするペテンなのではないかと思えてくる。

 労働、病気などにおける厳しい現実が各エピソードに散りばめられているのだけど、その厳しさを「そうはいってもこういう幸せの形もあるよね」みたいに変にごまかさないところがかっこいいと思う。辛いことも人生の一部なのだと受け入れいていく姿勢が現代の現実至上主義とフィットするところあるのかな?と邪推したり。文学の力を久しぶりに感じた1冊だった。

2022年5月3日火曜日

送別の餃子

 

送別の餃子/井口淳子

 ブクログのタイムラインで流れてきて印象的なタイトルに惹かれて読んだ。学者の著者が中国でフィールドワークしているあいだに遭遇した中国人との思い出が綴られていて興味深い。また今すぐ会いたい、会えるわけでもないけど、自分の人生の中で通り過ぎた人たちに関する思い出話は個人的にとても好き。そして本著はそれの詰め合わせであり最高なのであった。

 一番オモシロかったのは著者が1980年代に中国の農村でフィールドワークしていた頃の話。今のように中国が豊かになる前で、80年代でこんな生活レベルだったのか?と驚く話の連続だった。そんな貧しい生活の中に根付く音楽をひたむきに調査している著者と現地の人々のやりとりは心温まるものが多い。今のように世界で戦争が起こっている中だと人間不信がうっすら社会に蔓延していくよなぁと最近考えていた。しかし著者が冒頭で宣言している通り、国がどうこうというのは超えてあくまで人同士の関係なのだと思えて心の平穏を取り戻せた。(ゆえに特定の国に対して誰彼問わずヘイトを飛ばしている人間には中指を)

 知らなくて興味深かったのは、中国語では日本語における「やさしい」に該当する言葉がないということ。生存するのが厳しい環境だったからこそ曖昧な概念を許さないがゆえらしい。しかしそれは逆をかえすと中途半端な「やさしさ」は存在せず困っている人がいたらすぐに助ける、そういった直接性は健康的だし社会としては生きやすいだろうと思えた。(功利主義ゆえなのかもしれないけど)

 本の装丁や挿絵も本著の大きな特徴。絵は味があって文字だけでなかなか伝わらない中国の文化が直接伝わってきて良かった。背表紙が餃子の皮で包まれているのもかわいい。インデペンデントな出版社だからこそできるフットワークと懐の深さが産んだ本だと思うので他の本も読んでみたい。

2022年4月29日金曜日

僕は僕のままで

僕は僕のままで/タン・フランス
 

 NETFLIXの人気リアリティショー「クィア・アイ」のメンター役として出演中の著者によるエッセイ。「クィア・アイ」は人生レベルで影響を受けた番組の1つでファッション担当の著者がいかにこれまでストラグルしてきたかの自伝のようなエッセイでオモシロかった。

 番組を見て彼に抱いていたイメージはとにかくポジティブ。見た目がイケてなくてファッションに興味を持っていない人や、変なこだわりを持つ人にTPOもしくは自分に似合ったスタイルを見つけてもらうために、口八丁手八丁で前向きに説得していく姿勢が印象的だった。しかし、それは番組に合わせてのことであり、本著では彼のより繊細な部分を知ることができる。イギリスで育ち、ゲイかつ南インド系というダブルマイノリティで生きてきた苦労に関する話が多く占めており、自分が見ていたタンは本当に一部なんだと思い知った。

 もともとショウビズの世界とは無縁の人で自分のファッションブランドを立ち上げてUSへ移住してきた苦労人だということも今回初めて知った。仕事で苦しんだ話もたくさん書かれていて、これも同じくポジティブなイメージしかなかった彼からは想像持つかない話の連続だった。USで成功するのは並大抵のことではなく難しいのだなと感じた。

 こういった苦労話を単純に「しんどかった」とだけ書くのではなく「こうして乗り切った」とか「こうしておくべきだった」とか人生訓になっているので自分ごととして考えて読みやすいのも良い点。そしてUKスタイルでどれも皮肉たっぷりで書いているので個人的には好きだった。特にインスタで彼に届いたクソDMへの返信を書籍内で行うという見たことない取り組みが最高だった。「クィア・アイ」では超紳士的な姿勢を貫いている彼だって一人の人間なのである。

 「クィア・アイ」ファンとしてはエミー賞受賞の日のエピソードは相当グッとくるものがあった。名も無いマイノリティとしてのゲイ5人がそのプロフェッショナル性と多様性を駆使して世界を変えていこうという姿勢が世間に評価された瞬間なのだということがありありと伝わってきた。現在S6まで公開されており若干マンネリ感あるものの見るたびに自分を律せねば…という気持ちにしてくれる数少ない番組なので末長く続いてほしい。

2022年4月24日日曜日

あるノルウェーの大工の日記

あるノルウェーの大工の日記/オーレ・トシュテンセン

 「ノルウェー 大工 日記」と絶対にGoogleで検索することはないだろう。そういう意味で本著のような本を読むとやっぱり誰かが企画、編集、執筆する本の素晴らしさを感じる。何の変哲もないただの仕事の記録なので人によっては退屈かもしれないが個人的にはとてもオモシロかった。

 著者はこの道25年以上の経験を持つ大工で、ある一家の屋根裏をリノベする仕事について書いている。彼の業務日誌であり、具体的な作業工程、一家との関係性、仕事に対するスタンスなど、徒然なるままに書かれていてグイグイ読めた。そもそも大工の仕事もよく知らない上に、舞台はノルウェーなので知らないことの二乗だけども、それを超越して伝わってくる仕事に対するパッションが最高でとても刺激になった。自分の仕事に対して真摯に向き合い、誇りを持つ。そして計画的にプロジェクトを遂行する。これができれば人生しめたものよ、と思えた。それが簡単なことではないから人生は楽しくて苦しいのかもしれない。

 本著の最大のポイントは大工仕事のディテールについて非常に細かく書いている点だと思う。(相見積から受注、納品まで!)もし仮に仕事に対するスタンスだけ書かれていたとすれば、一歩間違えると安っぽい自己啓発本になってしまうかもしれない。しかし著者は自分の仕事の進め方を丁寧に説明する中でシチュエーションごとに自分の考えを書いているので納得度が高いし、読者側は自らの仕事のシチュエーションと比較して考えることもできる。好きだったラインをいくつか引用。

互いに協力しあう仕事のやり方を学ぶチャンスがなければ、自分に何が足りないのかを知ることもできない。役割が細分化され、それぞれが専門の仕事だけをすることに、皆慣れきってしまっている。

自分の掲げた理想どおりにできないのは、理想が悪いからではない。

経験が教える最も役に立つことは、自分には何ができないか、を知ることである。

 真面目な仕事の話も興味深いのだけど合間に挟まれるノルウェー大工の仕事の風景もオモシロかった。特に食事のシーンでベトナムの人が熱々の昼食を用意するのに対してノルウェーの人は簡単に済ませるといった対比が好きだった。知らない世界はいつも楽しいなと思わされる読書体験。 

2022年4月18日月曜日

LIFE SHIFT

 

LIFE SHIFT/Andrew J Scott and Lynda Gratton

 友人からレコメンドされたので読んだ。定年が65歳に延長されたり、見た目と実年齢が以前よりも一致しない(つまり若く見えることが多い)ことなど、何となく思っていた印象が長寿化によるものだと言語化されている1冊で興味深かった。

 65歳で仕事やめて年金暮らしが今の社会で想定されていたとしても「そうは問屋が卸しまへんで」と過去のデータや予測に基づいて説明されている。教育/仕事/引退という3ステージで生きることができるのは今のお年寄りまで、今後は教育や仕事の初期に身につけたスキルだけで生きていくことが難しいというのは身につまされる話。

 人間は楽観的で短期的な視点しか持てないので社会全体が変わっていくのは非常にゆっくりだけど、個人としては長寿化する社会に備えなければまずいよと繰り返し警告されるので何かせねば!といういい意味での焦燥感、やる気を促してくれた。

 本著の中で一番多く説明されているのはお金のこと。当然先立つ物がなければどうにもならないので当然といえば当然なんだけど、自分が考えている以上にシビアで痺れる。長く生きる=お金が必要、考えてみれば自明ではあるものの、働く期間と余生の期間のバランスの取り方で年間どれだけの金額を貯蓄していく必要があるのか?3人の世代が異なる架空の人物を設定してモデルケースとして説明されるので説得力があった。

 お金や不動産のような有形資産も大切だけど、それと同じくらい無形資産も重要だというのが本著の肝となる主張。「お金だけで幸せにはなれない」といったポエジーではなくスキル、友人関係など目に見えないものが人生に思った以上に寄与しているのだと論理的に主張している。本著内で何度も出てくるrecreationではなくre-creationというフレーズがわかりやすい。余暇を受動的に過ごすのではなく能動的に何か学んだり作ったりして自分の人生/キャリアに変化をもたらさないと長い人生をやっていけないと。完全に受動的余暇でしか生きてないことにうっすら気づいてたものの放置してきた人生なので少しでも自己研鑽したいと思う。

 長寿化で要求されることが様々列挙される中、新しいものを受け入れる柔軟さ、相性のいいものを選択する能力、この2つが本当に必要だなと実感できた。こういった能力が自分の中にあるのか、内省することも合わせて必要だと言われており他人の事を気にする暇あるならDo my thingだよなという結論に落ち着いた。

2022年4月8日金曜日

木になった亜沙

木になった亜沙/今村夏子

 今村夏子作品を読んでいこう!の流れで読んだ。今の自分のモードと合っていることもあるのだけど、こんなに毎回心の奥底をギュッとさせられるのは本当にすごい作家なんだなという感想しかない。

 本作は短編集で「承認」にまつわる物語が収録されている。SNSの隆盛により現代社会において「承認」は可視化が進み、人生の大きなファクターに最近は躍り出ているわけだけど、著者は徹底的に「承認」されない側の切ない視点を描いていてオモシロかった。表題作では主人公が自分の手でギブするものがテイクされない辛さ、もう1つ収録されている「的になった七未」ではさらに進んで存在の希薄さにまで迫っている。いずれの主人公も自分の存在を社会・世界に知らしめるべくあきらめずにストラグルし小さい子どもが生を全うしようとする姿勢には心打たれる。ドライな文体で辛さの局地まで登場人物を追い込むがゆえに物へと擬態化していくところが切なく感じた。しかもその擬態化がさらっとしているところも乙。あとは芥川賞作品を残すのみ! 

2022年4月4日月曜日

十七八より

 

十七八より/乗代雄介

 favoriteな作家の1人である著者のデビュー作ということで読んだ。こんなにヒネりまくっているのがデビュー作だということに驚きつつ楽しく読んだ。この分かりそうで分からない要素こそが著者の大きな魅力なんだと気づくこともできた。

 三人称視点で高校生の少女が過ごした数日を描いていて単純な三人称視点ではなく語り手(著者なのか?)の考察も多分に含まれていてオモシロい。少女の身に起こることは日本のどこかでも今起こっているだろう他愛もないことなんだけども、それを文字を使って文学として再構築している、そんな印象だった。

 本著の最大の魅力は会話の描写。メインは亡くなった叔母との対話で叔母と少女のあー言えばこー言う、その掛け合いの中でバシバシ出てくるパンチラインがとにかく良い。この会話は日常というよりも先述のとおり文学における会話であり、引用を多く含んだ様式美が好きだったし、こういうの読みたくて本を読んでいるなと思った。本著には会話かどうか問わず本当に好きなラインがたくさんあるのだけど一番好きなやつを引用しておく。

注意深く、あまりに弱い光をもらって過ごすあまり、彼らの目は退化し、あるいは研ぎ澄まされ、ある時には心地よく視界に入れていたものすら、いつしか差異を失い、捉え難くなってしまう。こうしてますます卑小な生に、嬉々として閉じ込められていくのだ。

 並の作家であれば、1冊の中で1つのパターンに終始すると思うのだけど、本著ではまた別の会話の魅力も含まれている。それが家族4人で焼き肉を食べに行くシーン。それは小説、ドラマ、映画、もしくは実際の生活で何度も繰り返し見た風景でしかない。なんだけどもその風景における会話描写の圧倒的なリアリティに本当に驚嘆した…焼き肉を家族で食べに行く、これも文学なんだと気付かされる。このシーンを読むだけでも本著の価値があるだろう。(電車で読んでて「トレペ」のくだりでツボに入って笑い過ぎて不審者と化した)で異常なまでの高い粒度で描写したあとの締めの言葉がまた最高だったので引用。

家族の会話というものはどんなにでたらめに配列しようとも、さしあたり電球がつかいないということはないらしい。

 過去読んだ著者のどの作品にも叔父もしくは叔母が登場している。肉親ではないが他人でもない存在が子どもに与える影響について非常に意識的なのだろう。その一方でロクでもない大人は世の中に跋扈していることも描かれている。自分の子どもの頃を思い出しても確かに従兄弟や叔父の言動で強く覚えていること多いし、ロクでもなかった学校の先生のことをレミニスしたりした。

2022年3月31日木曜日

春の庭

春の庭/柴崎友香

  日本の小説家の本を最近読んでいなかったところに今村夏子の衝撃があり、自分が知らない世界がまだまだあることを痛感して以前から気になっていた著者の作品を読もうということで読んだ。こんなに何でもない話なのに小さな機微の1つ1つにグイグイ惹かれる感覚でオモシロかった。

 街・家と人の記憶の関係性というのが大きなテーマとしてあり、縦軸の時間、横軸の場所を変数として登場人物たちの思考が展開していくところがオモシロい。同じアパートの住人同士で交流があるのは非現実的に感じつつも、程よくドライな上で1つの目的に向かって最後収束していく点が好きなポイントだった。

 本著を読むと自分が過去に住んでいた街・家を思い出し、その頃をレミニスする時間が必ず生まれる。しかも自分がすっかり忘れていたような些細なことを。これは小説にしかできないマジックだなと感じた。

 また東京の街の記憶としての話でもある。世田谷区を舞台として貧富の差がある中で共生しているのが徐々に瓦解して再開発で均一化していく、その前段の空気みたいなものがパックされている。表題作が発表された2014年はここまで世界が様々なレイヤーで「分断」するだなんて想像もつかなかった。

 文庫版は堀江敏幸氏による解説がついている。久しぶりに「小説を読む」という行為の奥深さを突きつけられて、ここまで散々書いてきたものの結局何も分かっていないのかもしれないと気持ちを引き締めることになる最強すぎる解説だった。それはともかく他の作品も読んでいきたい。

2022年3月26日土曜日

アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した

 

アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した/ジェームズ・ブラッドワース 

 高橋源一郎の新刊で紹介されていたらしく、その宣伝で見たこのラノベのようなタイトルに惹かれて読んだ。イギリス出身の著者が実際の労働現場に潜入取材して表面上では分からない実態を深堀していてとても興味深かった。

 冒頭にエクスキューズが用意されており、中流階級で実際に貧しい環境にいるわけではない著者が潜入取材する意味が語られている。本来であれば当事者の言葉で語られるべきだが、彼・彼女らにはそんな余裕はない。だからこそ自分が最前線に立ち、格差で分断され見えなくなってしまった社会の現状を伝える必要性を訴えていた。語り手が単純な興味本位で覗いただけ、ちょっとしたバズ狙いなどではないことが説明されていて読者としてモヤる部分は減った。

 タイトルにあるアマゾン、ウーバーは大手のテック企業であり何となく企業倫理もちゃんとしているだろうと思いきやテクノロジーを媒介とした搾取システムがそこにはある。難しいのは多くの人がそのテクノロジーの恩恵を受けて今までより便利な生活を手に入れているため、一概に否定できないところ。また雇用を産んでいることも事実。ただしその雇用の中身があまりにも残酷すぎることを生々しい筆致で本著は読者にレポートしてくれている。アマゾンのピッカーの仕事は映画「ノマド」でも描かれていたが、現実はもっとハードだった。日本でも技能実習生制度で海外からの労働者を酷使しているがイギリスでも同様の状況は存在する。本著内の言い方を借りれば「弱い人の時間を盗む」といったところ。結局資本主義の蔓延による国家間の格差が過酷な状況を生んでいるのだなと思った。社会的弱者(イギリスの場合は移民)の立場を利用して利益を得る。そしてその人たちが団結しないように孤立させておく。こういう環境がシステマティックに用意されていることが怖いなと思う。

 この本の優れているところはテック企業による新しい仕事と介護・コールセンターのような昔からの仕事を対比させている点だと思う。前者ではテクノロジーが支配する過酷さ、人間味のない非情さがある一方で、後者は人間が介在することによる感情労働の辛さがある。テクノロジーは公平だというイメージを持ちがちだが、企業の利益を最大化する前提での「公平」なんだという当たり前の事実を改めて気付かされた。これは2つの対比があるからこそ余計に伝わってきた。無邪気に使っているサービス、製品が搾取で成り立っていることが増える世の中で自分が何をできるのか考えなければならないと心底思う1冊だった。

2022年3月16日水曜日

インターネットは言葉をどう変えたか デジタル時代の<言語>地図

 

インターネットは言葉をどう変えたか/グレッチェン・マカロック

 インターネットと言語学の組み合わせとか絶対おもしろいやんと思って読んだら想像の何倍も上の面白さだった。インターネットのことって授業などで体形的に学ぶというよりも、そこにあるので自分の肌感覚で知る情報が多いと思うけど学術的な観点で解説してくれていて興味深かった。

 8章から構成されており「言語と社会」という形で丁寧な議論から始まる。社会においてどのように言語が根を張っているか調べることは昔だと膨大な労力がかかっていたが今や TwiiterのTweetを中心に解析することで良質なサンプルを簡単に取得できるようになっている。(ジオタグ付きのTweetの解析で方言エリアマップまで作れる!)それが可能となっているのは、今がもっとも言葉を綴ることにコミットしている時代だから。その生活を送っているので当たり前になっているけどチャットツールとSNSだけでめっちゃ文字打ってるなと思う。日々、我々がネット上で放っている言語がどう変遷してきたかをがとにかくオモシロい。

 まずインターネットを使う人を「インターネット人」と呼び、使用開始のタイミングで分類。 それぞれのインターネットに対するアティチュード、前提条件が異なる。(初期から使用している人たちがインターネットを信仰する気持ちがあるがゆえに見知らぬ人との交流を望む一方で、後から参加した人は実社会の関係をインターネットに落とし込んでいくなど)これらが見えない状態でSNSを見ているからこそ、良い意味ではフラットだし、悪い意味ではストレスかかる部分があるのだなと再認識した。個人的には仕事とかで「この人は〇〇インターネット人だな」と心の中で分類すると楽になる部分もありそうに思えた。

 で結局何がオモシロいかといえば、インターネット上におけるタイポグラフィ、絵文字などを通じた書き言葉による感情表現の考察。メール、SNS、チャットツールなどを用いて人に書き言葉で何かを伝える場面が圧倒的に増加する中、表現がどのように変遷してきたか?またその表現が口頭の会話では何に該当するのか?など、言語学者である著者が懇切丁寧に説明してくれている。大文字、小文字、波線 (〜)、三点リーダ、顔文字、絵文字をいかに駆使してニュアンスや感情を伝えるのか?テレワーク下でメール、チャットカルチャーとなった今、一番要求されているスキルだと思う。日々感覚で書いていたものをこうやって言語化してもらえると客観視できるし、年配の方のperiodスタイルから感じる若干の怒気にも理由があると分かって良かった。特に絵文字のくだりが興味深くて感情をダイレクトに表現していると思っていたけど絵文字はジェスチャーだという主張が興味深かった。

 ハッとする例えもいくつかあり、固定電話の導入されたときとチャットツール導入はインターラプトの観点でみれば同じとか。家でもない、職場でもないサードプレイス(カフェやバー)とSNSを重ね合わせて他の客の迷惑になっている人を追い出す妥当性を説いていたり。インターネットとリアルライフが切り分けて語られることに異論を唱えていて、もはやインターネットは実生活の一部なのだという主張も上記内容からして納得できた。

 本著の最後にも書かれている、著者が一貫して言語が権威化すること、つまり辞書に載るものだけが正しいという価値観に疑問を呈している点がかっこいい。言語とインターネットの相性がいいのは言語も常に変化していくものであるからだと主張している。最高に体重が乗った文章があったので長いけど引用。

口調のタイポグラフィへの注目が集まった結果、標準的な句読記号の使い方が廃れるとしても、わたしはもともと独善的でエリート主義的な人々がつくった標準の衰退を喜んで受け入れるだろう。そして、仲間たちがもっと深くつながれるほうを選ぶと思う。第一、赤ペンはわたしを愛し返してくれない。句読記号の打ち方の規則に完璧に従えば、ある種の権力は手にできるかもしれないけれど、愛は手に入らない。愛は、規則のリストから生まれるわけではない。私たちがお互いに注目し合い、相手に及ぼす影響を心から気にかけたとき。規則を習得するのではなく、自分の口調を伝えられるような方法でものを書けるようになったとき。権力のためではなく、愛のためにものを書くことを覚えたとき。そんなとき、どこからともなく、新しい愛が生まれる。

2022年3月6日日曜日

父と私の桜尾通り商店街

父と私の桜尾通り商店街/今村夏子

 個人的に盛り上がりが止まらない今村夏子作品。本著も楽しんで読むことができた。人生の何とも言えない場面を切り出して物語化する才能が溢れているのは健在。過去作品と打って変わってかなりファンタジー寄せな「ひょうたんの精」「せとのママの誕生日」という変化球も収録されておりさながら幕の内弁当だった。

 とはいえ、やはりメインとなるのは子どもの素直さとそれに対する大人の欺瞞。「白いセーター」「モグラハウス」「父と私の桜尾通り商店街」この3作品はどれも後味が「今村夏子〜」と言いたくなるような話でめちゃくちゃオモシロかった。全部微妙にテーマが違うのだけど既視感のある場面できっちりドラマを用意してくれているのが毎度ながら最高。難しい言葉で難しいことを書くことよりも平易な言葉で簡単なことを書くことの方が難しい。これはよく言われることだと思うけど著者の作品を読んでいると特に感じる。表題作は新規軸だった。商店街で村八分にあっているパン屋の娘が主人公で、父が店をたたもうとする中で起こる逆転。既存の価値観は放り投げて新しい価値観へ進み始める表現としてこんな物語が書けるなんて。。。村社会はクソと誰でも言えるが、そのクソとどう共に生きるのか?その未来の一歩手前で終わる物語の切れ味に鳥肌がたった。 

2022年3月5日土曜日

ケアの倫理とエンパワメント

 

ケアの倫理とエンパワメント/小川公代

 「ケア」という言葉を意識したのはブルシットジョブを読んだとき。コロナ禍の今、エッセンシャルワーカーによるケアが話題になっている中で広い意味を含むケアを知りたくて読んでみた。こちらの意図を十分満たす本だったのは当然のこと、優れたブックガイドの側面が強く読んでみたい本が増えた。

 タイトルにある「ケアの倫理」はキャロル・ギリガンというイギリスの社会学者が唱えた言葉で、著者が彼女に影響を受けながらも社会学から文学研究へとシフトしていく話が序章として用意されている。フェミニズムの観点だとケアというより自立した個を目指すべき、という主張が強いと思うけど、その対義の存在となりがちなケアする立場の人について思いを巡らす必要性を説いている。

 知らない言葉がたくさん出てきて、そのどれもが使いたくなる。ネガティブ・ケイパビリティ、クロノス的時間、カイロス的時間、緩衝材に覆われた自己、多孔的な自己など。こういった知らない概念を丁寧に説明してくれながら文学作品を読み解いていくので知的好奇心がとても刺激された。紹介される文学作品の多くは読んだことなかったけど、本著で提供されえう作品の立て付けを前提とすることで「ケア」の概念に関する理解を深めることができるだろう。唯一読んでいた多和田葉子の「献灯使」だけでもその視点の鋭さに唸りまくりだったし、ヴァージニア・ウルフ、三島由紀夫、平野啓一郎など興味あるものの個人的には未読系作家の話がどれも興味深かったのでそれらを読んで本著を再読したい。

 文学を読みながらここまで深くメタファーや社会背景をふまえて理解していく姿勢はすべてが加速していく今の時代に立ち止まって思考することの大事さを教えてもらった。著者が文学に可能性を見出しているラインが好きだったので以下引用。文学によるエンパワメント!

文学は読者のなかに新しい他者性の意識を芽生えさせる驚異的な営為なのだ。

他者の言葉を聴こう、他者の気持ちを理解しようとすることは忍耐力が必要であるという点で、文学の営為にも通じる。物語を創作すること、あるいは読むことは、誰かの経験に裏打ちされた想像世界に向き合い、じっくり考えて耐え抜くプロセスでもある。

2022年3月1日火曜日

あひる


あひる/今村夏子

 最近立て続けに今村夏子を読んでおり、その流れで読んだ。「星の子」「こちらあみ子」と読んできたけど本著も間違いなくオモシロかった。毎回心の奥深くをサクっと刺してくるところが本当にかっこいいと思うし間違いなくテン年代を代表する日本の作家の1人だなと三作読んで感じた。(マジで今更だと思いますが…)

 表題作がとにかくパンチ効いててめちゃくちゃ好きだった。庭にあひるを飼い始めた三人家族の娘の視点で物語が展開、学校帰りの子どもとあひるが楽しく戯れる微笑ましい展開から一転して、あひるの体調が悪くなり、いつのまにか別のあひるになっている。けれど、子どもたちには病院で治療してきたと伝える。このギミック1つでここまで不穏な物語にできるのが著者の筆力としかいいようがなくて圧倒された。大人のちょっとした欺瞞に対して子どもの視点をぶつけて、その矛盾をジリジリ炙り出すことに関して右に出る者がいないと思う。しかも、それをやだみなくカラッとしたエンタメにしてくれているのだからたまらない。このバランス感覚が著者がスペシャルな理由だと思う。

 また3作品読んで「貧困」が大きなメインテーマとして著者の中にあることも分かった。日本における総中流社会は終わりを告げていて格差社会真っ只中の今、貧困下にある子どもの視点で物語を綴ることで時代を反映していると言えるだろう。また大人視点ではなく子ども視点で貧困へのある種の屈託のなさを描いているのも白眉。単純なかわいそうな不幸話に回収するケースが多いと思うけど、貧困はある種当たり前のものとして眼前に存在する視点で語りながら、読者が想像を膨らませることのできる絶妙な余白があることで物語が豊かになっている。まだ読めてない作品があることが嬉しくなる感覚が久しぶりで本当に出会うことができて良かった。

2022年2月23日水曜日

こちらあみ子

 

こちらあみ子/今村夏子

 今村夏子作品を順番に読んでいく中で、映画「花束みたいな恋をした」で印象的に使われていた本著を読んだ。劇中で引用されていた「ピクニック」もオモシロかったのだけど個人的には圧倒的に「こちらあみ子」が好きだった。暖かそうな雰囲気なのにめちゃくちゃドライ、このギャップに終始魅了され続けてあっという間に読み終えた。

 主人公のあみ子がひたすら孤独なところが魅力だと思う。孤独であるにも関わらず、それを特に気にしない純粋さに心を強く揺さぶられる。社会に適合しようとすると、どうしても自分と社会の間にある齟齬に折り合いをつけて生きていくことになるけど彼女は周りの目を気にせず自分の思うがままに行動する。継母の流産をきっかけに家族が瓦解するところからすべてが始まっていき、それに対するあみ子のリアクションは間違っているけど間違っていない。こういった大人が忘れてしまった、あえて忘れた心の柔らかい部分だけを取り出して人間にした、みたいな。そういった存在を著者の絶妙にリアルな子ども描写(自分が子どもだった頃とどうしても重ね合わせてしまう)もあいまって物語にグイグイのめり込んだ。また方言による会話も新鮮で方言ならではのニュアンスやグルーブがあり読んでいて心地よかった。あと辛い場面だとしても方言で何となく緩和される効果もあったと思う。

 関係性の表現としてトランシーバーが登場するのも意味深。ニコイチで機能する道具が1つしかないことで孤立をさらに深める表現になっていると思う。またあみ子が世界に対して素直な疑問を投げかけたとしても誰も応答しない、という遠い隠喩になっているようにも感じた。そして既存の家族観を暗に全部ぶっ壊していく最後の展開も痛快だった。これも間違っているけど間違っていない。

 文庫版のあとがきには町田康、穂村弘の二大御大が顔を揃えて絶賛、特に町田康のあとがきは人生で読んだあとがきの中でもベストオブベストだったので読み終えた後は最高の気分だった。

2022年2月20日日曜日

ウィトゲンシュタインの愛人

 

ウィトゲンシュタインの愛人/デイヴィッド・マークソン

 印象的なカバーが前から気になっていたところ図書館で見かけたので借りて読んだ。完全に新しい感覚…途中何回か心が折れそうになるものの終盤にかけて加速度的にオモシロかった。新進気鋭の作家かと思いきや1988年に発表された、しかも著者のデビュー作品らしく、そこにもびっくりした。世界にはまだまだ知らない本がたくさんある、その豊かさを享受できた。

 あらすじとしては、ある女性が世界最後の1人の人間で終末の世界をサバイブしているというもの。このあらすじであればさまざまな場所へ冒険に行ったりして物語の起承転結を付けていくと思うけど、本著は主人公が日々の生活、彼女の思考をタイプライターでタイピングしたドキュメントを読んでいるという設定。移動する描写は多少あるものの読者は主人公の思考のフローをひたすらトレースしているような感覚になる。しかもそこで展開されるのは中世の美術、哲学、音楽に関する膨大な固有名詞にまつわる論考。マジで一体何を読んでいるんだ…という瞬間が幾度となく訪れるのだけど、何となく読み流していくとそこにグルーブが徐々に生まれていくのが新鮮な体験だった。タイプライターというのがミソで文章が一方通行で修正されないがゆえに、ひたすら垂れ流しになっている。これは完全にTwitterにおけるツイートだ!と気づいてからかなり読みやすくなった。

 あとがきにもあったけど固有名詞について真剣に一個一個調べても物語内では適当言っているケースも多い。それ自体が著者の態度というか世界の不確かさの表現の一つなのかもと思った。世界で最後の1人になったら?という妄想は皆一度はしたことあると思うけど、美術館でめちゃくちゃするという発想はなくて、そのシーンが特に好きだった。あと終盤に第四の壁を破るような展開が用意されていて、それもタイプライターの設定が効いてきて興味深かった。自分のコンフォートゾーンを打破する読書体験!