2022年3月16日水曜日

インターネットは言葉をどう変えたか デジタル時代の<言語>地図

 

インターネットは言葉をどう変えたか/グレッチェン・マカロック

 インターネットと言語学の組み合わせとか絶対おもしろいやんと思って読んだら想像の何倍も上の面白さだった。インターネットのことって授業などで体形的に学ぶというよりも、そこにあるので自分の肌感覚で知る情報が多いと思うけど学術的な観点で解説してくれていて興味深かった。

 8章から構成されており「言語と社会」という形で丁寧な議論から始まる。社会においてどのように言語が根を張っているか調べることは昔だと膨大な労力がかかっていたが今や TwiiterのTweetを中心に解析することで良質なサンプルを簡単に取得できるようになっている。(ジオタグ付きのTweetの解析で方言エリアマップまで作れる!)それが可能となっているのは、今がもっとも言葉を綴ることにコミットしている時代だから。その生活を送っているので当たり前になっているけどチャットツールとSNSだけでめっちゃ文字打ってるなと思う。日々、我々がネット上で放っている言語がどう変遷してきたかをがとにかくオモシロい。

 まずインターネットを使う人を「インターネット人」と呼び、使用開始のタイミングで分類。 それぞれのインターネットに対するアティチュード、前提条件が異なる。(初期から使用している人たちがインターネットを信仰する気持ちがあるがゆえに見知らぬ人との交流を望む一方で、後から参加した人は実社会の関係をインターネットに落とし込んでいくなど)これらが見えない状態でSNSを見ているからこそ、良い意味ではフラットだし、悪い意味ではストレスかかる部分があるのだなと再認識した。個人的には仕事とかで「この人は〇〇インターネット人だな」と心の中で分類すると楽になる部分もありそうに思えた。

 で結局何がオモシロいかといえば、インターネット上におけるタイポグラフィ、絵文字などを通じた書き言葉による感情表現の考察。メール、SNS、チャットツールなどを用いて人に書き言葉で何かを伝える場面が圧倒的に増加する中、表現がどのように変遷してきたか?またその表現が口頭の会話では何に該当するのか?など、言語学者である著者が懇切丁寧に説明してくれている。大文字、小文字、波線 (〜)、三点リーダ、顔文字、絵文字をいかに駆使してニュアンスや感情を伝えるのか?テレワーク下でメール、チャットカルチャーとなった今、一番要求されているスキルだと思う。日々感覚で書いていたものをこうやって言語化してもらえると客観視できるし、年配の方のperiodスタイルから感じる若干の怒気にも理由があると分かって良かった。特に絵文字のくだりが興味深くて感情をダイレクトに表現していると思っていたけど絵文字はジェスチャーだという主張が興味深かった。

 ハッとする例えもいくつかあり、固定電話の導入されたときとチャットツール導入はインターラプトの観点でみれば同じとか。家でもない、職場でもないサードプレイス(カフェやバー)とSNSを重ね合わせて他の客の迷惑になっている人を追い出す妥当性を説いていたり。インターネットとリアルライフが切り分けて語られることに異論を唱えていて、もはやインターネットは実生活の一部なのだという主張も上記内容からして納得できた。

 本著の最後にも書かれている、著者が一貫して言語が権威化すること、つまり辞書に載るものだけが正しいという価値観に疑問を呈している点がかっこいい。言語とインターネットの相性がいいのは言語も常に変化していくものであるからだと主張している。最高に体重が乗った文章があったので長いけど引用。

口調のタイポグラフィへの注目が集まった結果、標準的な句読記号の使い方が廃れるとしても、わたしはもともと独善的でエリート主義的な人々がつくった標準の衰退を喜んで受け入れるだろう。そして、仲間たちがもっと深くつながれるほうを選ぶと思う。第一、赤ペンはわたしを愛し返してくれない。句読記号の打ち方の規則に完璧に従えば、ある種の権力は手にできるかもしれないけれど、愛は手に入らない。愛は、規則のリストから生まれるわけではない。私たちがお互いに注目し合い、相手に及ぼす影響を心から気にかけたとき。規則を習得するのではなく、自分の口調を伝えられるような方法でものを書けるようになったとき。権力のためではなく、愛のためにものを書くことを覚えたとき。そんなとき、どこからともなく、新しい愛が生まれる。

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