![]() |
| 本と偶然/キム・チョヨプ |
フェイバリットなSF作家であるキム・チョヨプの初エッセイ。去年読んだ『サイボーグになる』が興味深かったので楽しみにしていたが、その期待を上回る素晴らしいSFエッセイだった。SFを読むのも好きなのだが、他人の語るSF論も好きなのでドンズバな内容だった。
エッセイ集ではあるものの、生活の話というより著者の読書遍歴と作家論が中心となっている。これまでの作品を読んできた読者からすれば、作品や彼女自身の背景を知ることができる最高のビハインド・ザ・ストーリーものである。
『サイボーグになる』もノンフィクションという点では共通しているが、内容もあいまって文章が硬かった。それに比べて本著は柔らかく読みやすい。自然体で自身のことを語っており、著者の誠実さが文章からヒシヒシと伝わってくるエッセイらしいエッセイだ。
著者の小説はSFではあるが、いわゆるハードSFではなく、現代社会とどこかしら地続きなものが多い。ゆえに私を含めてコアなSFファンに限らず、広い読者層に届いているのだろう。意図的に柔らかいSFを書いているのかと思いきや、実際には結果としてそうなっているようで、本人は思いのほかSFというジャンルにこだわりを持っている。自分の作品評価や業界での相対的なポジションについて極めて自覚的で、その視点の鋭さに唸った。
前述のとおり、制作裏話がところどころに挟まれており、ファンにとってはありがたい。なかでも『サイボーグになる』は執筆における苦労に関してかなりの分量で書かれており個人的に嬉しかった。そもそも著者が「SF作家によるエッセイ」を愛読してきており、その系譜を自覚的に引き受けているのだろう。
SF作家のエッセイは作家の日常をのぞき見できるばかりか、当人のジャンルと作法に関する話までたっぷり聞けてしまう、作家仲間としてはまことにありがたい秘蔵の玉手箱なのである。
興味深いのは、著者が必ずしも熱心なSF読者として作家になったわけではないという点だ。作家になってから、どうやってキャッチアップしていったか、読書遍歴と共に語られる。とにかく科学ノンフィクションの素養がハンパない。玉石混合の割に分量が多く、本屋では取扱いも少なく単価も高い科学ノンフィクション。こういったいくつものハードルがあるにも関わらず、著者のアンテナはバリサン。タイトルだけで読みたくなる本がわんさか登場する。さらに著者の柔和で真摯な語り口も読みたくなる気にさせてくれる。
著者は、自身の創作を「内面から湧き出る想像力」だけでなく、「外部から集めた素材を積み上げていく営み」に近いと語る。その比喩は料理や建築に例えられていたが、私にはサンプリングから始まったヒップホップの方法論とも重なって見えた。ラッパーのC.O.S.A、プロデューサーのKMなど、著者の作品が局地的にヒップホップ業界で人気があるのは、こういった背景も影響しているのかもしれない。
また、大学院で研究に挫折した経験も率直に語られている。著者の言うとおり、科学的なものが好きなことと、実際の科学の現場、特に研究業務には大きなギャップがある。レベル感は違うが、私も高校で理系科目が他より得意だったから大学で専攻したものの、まったく好きになれなかった。結果的に現在の仕事が研究職ではない自分に負い目がある。そんな負い目について著者も繰り返し吐露しており、そんな葛藤を乗り越えて、作家として確固たる地位を確立しているのだからかっこいい。
書評に関するチャプターは踏み込んでいる印象を受けた。本の評価に対するアンビバレントな感情を結構な分量で書いており、小説家がここまで踏み込んで書いているものを読むのが初めてだった。書評が単純な感想に閉じずに脈絡を構築し、誰かの読書に貢献する可能性についてはまったくもって同意で、その気持ちでこのブログを延々と書いている。(著者が書評集を出そうとして、友人から「黒歴史になるからやめとめけ」と止められた話は、個人で書評ZINEを作った身としては耳が痛かった…)
本を通じた作者と読者のコミュニケーションへの言及が最も興味深かった。そもそも小説を通じてメッセージを伝え、それを読者が受け取るという手段は、効率だけを基準にすれば信じられないほど非効率である。しかも今は、作者の意図から逸脱する読解が許されにくい「考察の時代」でもある。そんな中で、著者がコミュニケーションの失敗にこそ可能性があると言っている点に、安易な逆張りではない本への愛を感じたのだった。
作家が読者に意味を伝えつくすことに失敗し、読者が作家の意図を把握しつくすことに失敗することで、本は本来より拡張した存在となる。(中略)読むことを試み、読むことに失敗し、時に誤読が拡張の可能性へと変貌する個然の瞬間を期待しつつ、誤解と理解のあいだを行きつ戻りつしながら本に無数の意味を盛り重ねていくその作業を、わたしは喜ばしい気持ちで追いかけたい。
最後に語られている現代社会における科学の立ち位置についての視座も新鮮だった。陰謀論や疑似科学はくだらないものだと科学の合理的な価値観から説明することは可能だが、結局は科学も人間の営みだからこそ、どこまでいっても非合理性からは抜け出せない。そんな悲観的な視点から、正直さ、誠実さ、明確さ、開放性といった「科学的価値」を選び取る姿勢を示しており、今の時代に必要な態度だと感じた。
巻末には本著で紹介されたブックリストがついていて、日本語への翻訳状況も含めて一覧で見れるのは本好きにとって貴重な資料である。そんな本への愛に溢れた最高の一冊だった。






