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| 理系の読み方:ガチガチの理系出身作家が小説のことを本気で考えてみた/大滝瓶太 |
去年の友人のベスト10に入っていたので読んだ。人生において理系、文系の選択は大きなものであり、結果的に理系を選択して良かったなと思うこともあれば、別の可能性を想像してしまうこともある。本著では、そんな異教同士を接続させ、新たな小説の捉え方を提示している刺激的な1冊だった。
小説を読むこと・書くことについて、理系視点から講義のように解きほぐしていく構成になっている。一口に理系といっても幅広いが、著者の専攻は「熱力学」「統計力学」。つまり、物理化学的な思考がベースにある。その視点で小説と科学という全く異なるものを重ね合わせて、鮮やかなアナロジーで小説について語っていく。論理的な思考回路で具体的に作品を分析し、そこで得た知見をさらに「読み方」として定式化していく手つきは理系そのものだ。小説と科学を以下のような解釈で接続し、本著の語りの必然性を見出していく点にグッときた。
「わかる」を積み重ねていたはずなのに「わからない」という全体が生成されていて、そういう経験を与えてくれる本に出会うたび、小説と複雑系の自然科学はかなり近い位置にあると思わされます。
特にオモシロかったのは、ミステリーを理系的に読み解くパート。読書に対してわかりやすい答えを求めていないので、正直進んでは読まないジャンルだが、そのゲーム性の高さゆえに表現方法の進化が言語化できるオモシロさに気付かされた。同じジャンル小説のSFに対する視点も鮮やかで、SFを読んでいて苦労するのも小説体験の一部として機能していることがわかったので、これからは挫けることなく読み切れそう。
SFは「理解できない」という感覚が作品の底力となりえるのです。この感覚を使いたいとき、複雑かつ詳細にわたる説明をあえて改行なしに長く続けたりすると「読みにくさ」が「スケールの大きさ」として表れます。
一番ハッとさせられたのは、読書習慣がもたらす功罪に関する指摘だった。長い間、本を大量に読む生活を続けている中で知識や思考の幅は広がった一方で、読んだ本の内容が以前ほど記憶に残らないことに薄々気づいていた。著者も同様の状況だと書かれていた。
慣れによって文章のパターンを知っていき、長く読書をする体力がついたのと同時に、簡単に読み流せるようにもなってしまった。効率良くたくさん読むための技術を知らず知らずのうちに身につけてしまっていて、この読み方こそまさに前回に述べた「『ノイズ』を削ぎ落とす」という行為です。
ノイズを得るために本を読んでいると思っていたが、ノイズと感じるセンサーが死んでしまっているのかもしれない。ただ読書していて、頭に残る数少ない本は、どこかしらノイズがあるものだなと逆説的に気付かされた。
「小説の技巧」をエンターテイメントとして楽しめていないから本が売れていないのでは?という問題意識で本著は書かれている。最後のパートで具体的な作家を取り上げて、その技巧を分析しているのだが、それがなんと滝口悠生!日本の小説家でトップクラスに好きな作家について、理系的なアプローチで読み解かれており興味深かった。
滝口作品に関して言及する際、誰もが人称について触れることになるが、本著は他の追随を許さない圧倒的解像度を誇っている。小説を読んでいるあいだにボヤッと頭に浮かんだことが逐一言語化されており、さらに作品構造を図示して「私」のあり方を整理していく試みも興味深かった。滝口作品の技術的アプローチについて「メゾスコピックな領域で世界を捉える方法」と位置付けており、これぞ理系的な視点だなと感じた。しかも『長い一日』の一文で締め括られる構成も鮮やかだった。小説の読み方に関する示唆を得たい人には理系、文系問わずおすすめしたい。





