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| レコード店の文化史 |
ディスクユニオンに立ち寄った際に見かけて気になったので読んだ。ストリーミングサービスのおかげで月額1000円程度で膨大なカタログにアクセスできる時代において、レコードを含めてフィジカルなものを買う場所の意味を改めて考えさせてくれる一冊だった。
本著には、学者やジャーナリストを中心に、レコード店という場所をめぐるさまざまな論考が掲載されている。対象は欧米諸国だけではなく、日本を含む世界各国に及んでおり、たとえばルーマニアやナイジェリアは、社会情勢に応じてレコード販売の形態が変化しており、政治と生活が直結している様がありありと描かれていた。
レコード店とコミュニティについて非常にたくさんの事例が載っている。それらを読んでいると、大阪に住んでいた頃、アメリカ村のレコード屋に足繁く通っていたことを思い出した。当時はSERATO登場前夜で、レコードでDJしていた。お店にはクールな大人たちがたくさんいて、そこに置いてある未知の音楽を持ち帰り、家で針を落として聞く瞬間は独特の高揚感があった。
SNSで知った音楽をストリーミングで聴く現在のスタイルも、本質的には同じようなプロセスである。しかし、両者の違いがあるとすれば、コミュニケーションの濃度だろう。こういうことを言っていると老害扱いされそうな上に、ストリーミングサービスの恩恵を受けまくっているので、今の状況を否定するつもりはない。それでも、音楽にまつわるフィジカルな体験は失われて欲しくない文化だと本著を通じて再認識した。
全体としてロックミュージックについて書かれている論考が多いものの、ニューオリンズのヒップホップレコード店やロンドンのレゲエレコード店など、ブラックミュージックに関する章は個人的な興味の範囲なので特にオモシロかった。
ニューオリンズの章では、ヒップホップのローカルなスタイル(バウンス)を下支えしているショップの役割やハリケーン・カトリーナが地域文化に与えたインパクトの大きさなどが多角的に描かれていた。一方、ロンドンのレゲエレコード店を扱った章は、移民と音楽をめぐる論考となっている。社会的に抑圧される人々にとって、レコード店や音楽がコミュニティを支える装置として機能していたことが示されており、音楽が連帯を生み出す力をあらためて感じた。
レコードの製造についても知らないことが多かった。日本やニュージーランドがそれぞれの事情で国内プレスを行っていた背景は興味深い。日本では海外アーティストの国内プレス盤はオリジナルではないから価値が低いとされてきたようだが、今や日本のレコード帯カルチャーは海外に逆輸入されていて価値の転換が起こっている。また、ニュージーランドについては過去に関税の影響から自国プレスが発展した歴史が興味深く、最近の関税をめぐる混乱を想起した。このように歴史を踏まえると現在の状況も解像度高く理解できるので、本著のような視点は貴重である。
学術的な論考が多い中でも、いくつか収録されているエッセイも興味深い。特に印象的だったのは、イランで西洋音楽を聞く方法について書かれたエッセイだった。イラン革命後の抑圧的な状況が音楽を通じて語られており、政治や社会の変化を肌感覚で理解できる。現在はある程度状況が改善しているようだが、ヒップホップだけは依然として警戒されているという。その事実は、逆説的にヒップホップの持つ影響力の大きさを示しているように思えた。
レコード店を巡る物語といえば『ハイ・フィデリティ』は外せない。映画ではレコード屋の店員が特定の音楽の趣味に応じた立ち振る舞いを繰り広げていたことが記憶に残っている。(『ブラスト公論』で知ったのも懐かしい話だ。)そんな『ハイ・フィデリティ』が2020年にドラマ版としてリメイクされており、小説、映画、ドラマと時代を通じて変遷したきた内容を考察していた。ドラマ版が現在はストリーミングで配信されていないようだが、どこかで見れたらいいな…また、『ハイ・フィデリティ』に象徴されるレコード店のボーイズクラブ的なノリに対して女性店員から提示されている視点は、男性として理解が及んでいないことだった。
最近は子どもの習い事の待ち時間にディスクユニオンでサクッと見るレベルのディグしかできていない。そんな短い時間の中でも思わぬ出会いがあり、アドレナリンが出まくるからレコード蒐集はやめられない。せっかく東京に出やすい環境にいるので、インディペンデントなレコード店にも足を運びたいと思わせられた。







