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| 学歴狂の詩/佐川恭一 |
トランスジェンダーの若者たちの抱える重い現実に気持ちがズーンとなったので、気晴らしで読んだ。本屋で一瞬立ち読みしたときもヤバいと思っていたが、実際に読むと、その何倍もヤバく、久しぶりに本を読んで笑い死ぬかと思った。と同時に受験と学歴をに真面目考察するエッセイ、というバランスの良さが光っていた。
著者は京大文学部卒の小説家。京大合格までの道のりと入学後の日々を含め、自身の勉強人生を振り返るエッセイ集となっている。著者はほぼ同世代で、舞台も関西の中学、高校なので、どこかで聞いたことのあるような話が多いが、著者の筆力で無類にオモシロい学歴駄話へと昇華していた。
もはや章タイトルだけでニヤニヤしてしまうし、実際に読んでみると、それが何倍にも膨らんだ数々の神童エピソードにくらった。たとえば、「こんなんもう手の運動やん」とつぶやいた<天才>濱慎平…おもろすぎる!
私が笑いすぎて死ぬかと思ったのは、英語教師、宮坂の章だ。今はどうか分からないが、当時の予備校にはイカれた先生がいくらかいて、今の倫理観では到底許されないことを平気で口にしていた。しかし、そういった先生ほど教え方がうまく、人気もあった。それをずばり言い切っている著者のラインに納得した。
「カリスマ教師」と呼ばれる教師の真の価値は、その授業内容や表現力そのものよりも、強烈な言仰をもたらしてくれるという点にあるとすら言える。
総合格闘技になぞらえた受験解説も最高。斎藤裕 vs 平本蓮を使って「東大・京大・国公立医学部」と「阪大・神大受験」を退避させるくだりは、筆者の主観だと注意書きがあるものの、似たような現場に立ち会った身からすれば、よくわかる感覚だった。同じくアナロジーの観点だと「学歴高野山」にも笑った。
高校時代、大学時代の学友のエピソードをおもしろおかしく紹介するのが本著のメインなのだが、その合間に挟まれる受験、学歴に対する真面目な考察の数々が興味深い。ふざけっぱなしかと思いきや、芯のくった人生論が忍ばせてあるから油断ならない。京大卒業後、大企業に就職するも1年で退職し、今は小説家として自立している著者だが、そんな人生の艱難辛苦が文章の端々から滲み出ていた。
本著を読むと記憶の蓋が色々開いてくる。私が人並み以上に勉強するようになった理由としては、学力にさほど差のなかった友人が中学受験で大学附属の私立中学へ進んだことだった。まるで勝ち逃げされたように感じて「絶対負けない」という気持ちで勉強していた気がする。(本著に登場する内山ほどの熱量はなかったが。)結果的に目標が大きくストレッチされ、身の丈に合わない高校、大学に入ったから大いに苦労したものの、あの頃に頑張った経験が今の自分をいくらか形成していることを読んでいて改めて感じた。
今の私は受験や学歴と遠いところで生きているものの、子どもがいると、その魔の手が忍び寄ってきているのを感じる。私やパートナーの経験はそれぞれn=1で、足してn=2にすぎない。さらに時代も場所も異なる状況で、子どもに勉強してもらう環境やモチベーションをどう用意するか、その難しさを感じる。
社会に出て働いていれば、学歴と仕事の出来不出来に明確な相関がないことは自明である。(むしろ、学歴の話をしたがる人ほど仕事ができない気さえする)一方で、社会における記号としての学歴の強さも厳然として存在する。そんなアンビバレントな「学歴」というものを、改めて考えるいいきっかけになった。






