2026年4月11日土曜日

jellyy 『Forever』 Release Live


  jellyyのワンマンライブに行ってきた。圧倒的に若者だらけだろうなとは思いつつ、今見ておきたい気持ちが勝って平均年齢爆上げスティーロで馳せ参じたのだった。結果として1時間ものライブを見ることができて大満足。彼の楽曲の特色がライブでうまく機能していて1時間があっという間の素晴らしいショウケースだった。

 仕事で会場に遅れて着いたのだが、そのタイミングでSieroがライブをやっていて「ニコニコ」でフロアは大爆発していた。こういったヤンガンのライブに行くのはSkippaのリリパ以来。あのときはWWWだったので逃げ場があったが、今回はCircusでフロアとステージの一体感がハンパなく日本語ラップの今の勢いを肌で感じた。

 その後、この日jellyyのバックDJを務めたchex2によるDJタイムになったのだが、ここでもひと昔前にはまったく想像つかない風景が広がっていた。転換DJ時、フロアに人がいなくなる風景をヒップホップのライブ現場で長らく見ていたが、若い子たちはDJタイムでもライブと同じくらい盛り上がっているのだ。1曲目がLEX, Only U, Yung sticky wom「Team」でフロア前方が爆発。さらにSad Kid Yaz「ロンドン」でモッシュまで起こっていた。当然ライブの方が盛り上がるのだろうけど、DJだとしても「好きな曲なら上がるっしょ?」というピュアな音楽への愛が伝わってきた。chex2が最後にかけた曲がSEEDA「Slick back」のCCG12収録の新しいREMIXヴァージョンでアガった。jellyyのバースがあるからかけたのだろうけど、PUNPEEやNORIKIYOのバースまで聞けて大変ありがたかった。

 満を持して始まったjellyyのライブ。今回は先日リリースされた『Forever』のリリパということでアルバム曲中心のセットリスト。アルバムの構成と同様にアッパーモードで始まり、聞かせるメロウなパートを経て、終盤はアンセム系といった構成となっていた。「日本語ラップバブル」と言われて久しいが、ワンマンライブで60分もライブをやれるラッパーがどれだけいるだろうか。若干19歳だが、音楽でやっていくんだという気概をそれだけでも感じる。

 ライブは「Forever(Intro)」からバイブス満タンでスタート。とにかくフロアが盛り上がる曲が立て続けに投下されていく。「Never ever lose」の1stバースの音抜き&刻みのフロウが、照明もあいまって、あまりにもかっこよすぎてフロアもバウンスしていた。「Naked」への流れは、ライブならではのカットインで入っていく仕様で最高。さらに1stアルバム『Most hated』から「Togari」が投下。たった1年でバンガーをこれだけ作り出していることに驚く。

 そして、Sieroがぬるっと登場して二人のジョイントアルバムから「WWW」が披露されて、この日1番くらいに大爆発。昨年のリリパに行けなかったので、二人が揃ってラップする姿が見ることができてよかった。もう1曲はサンクラにある「Remember」という曲で二人の絆を感じさせるステージングだった。これに限らず、アルバム以外のシングルやサンクラ曲も惜しげもなく披露されており「Drank night」はリリース時に「こっちもいけるのか!」と驚いたウェッサイチューンで今回聞けて嬉しかった。「動き」「不器用」で前半パートが締めくくり。ここで激しいモッシュが発生しており今の現場のリアルが詰まっていた。トラップが登場して約10年経ち、身体的な意味でも根付いたのだなと改めて感じた。

 「What You See(19)」から比較的落ち着いたトーンの後半がスタート。アルバムでも同様だが、ライブでもこのパートに彼らしさが表れていた。大抵のヤンガンたちは同じトーンの曲がたくさんある状況でライブのメリハリがつきづらいだろう。しかし、jellyyの場合はハードもメロウも、どんなモードでもラップできるがゆえ、ライブに緩急がついて1時間という長い尺でも全くダレることがなかった。ここに彼がスペシャルである理由が詰まっている。

 『Most hated』からの客演曲も立て続けに披露され、客演ではTiea Creator、Kamui、Lisa lil vinciが軒並み勢揃い。Kamuiのバイブスの高さはキャリアを感じさせるものでかなり盛り上げていた。彼が「3、2、1 let’s go!」というトラップ以降の定番フレーズを放った瞬間に、逆説的にjellyy がその手の煽りをここまで一切していないことに気付かされた。<やりたくない事やらない日本語ラップテンプレート>と曲でも言及しているので、自分のスタイルを確立しようと模索していることが伺えた。

 終盤は彼のディスコグラフィの中でもポジティブサイドである「Alright」「Living In The Dream」とアンセム系が続いて「良い未来」で大団円。自身の弱さを見せたあとに、ビートの派手なトーンにあったエンパワメント性に溢れた曲を聞くとより深く心に刺さった。

 曲間のMCでは、繰り返しリスナーに対する感謝を伝えていることが印象的だった。また、楽曲からも感じられる自己肯定感の低さはMCでも吐露されていたが、そこを乗り越えていくためにヒップホップがある。ライブを通じて観客含めた全員がその感覚を共有できていることに、セラピーとしてのヒップホップの側面を垣間見たのであった。

 ボーカルのキーの低さや声量など、ライブの技術的に気になるところがないわけではない。しかし、等身大の自分をさらけ出し、自分らしく生きていくことをステージで体現しているからこそ、そこには技術を超えた何かが表出していた。これは若いラッパーにしか出せないものであり、彼がリリックとして昇華した感情の機微は、多くの若者たちが抱える感情の結晶であることが、その盛り上がりから伝わってきた。

 地元が大阪の若手ラッパーが、東京でこれだけ支持されていることは、ヒップホップの従来のフッドの価値観を覆すものであるし、jellyyのラップはcold cityである東京だからこそ刺さりやすいのかもしれない。CCGにも抜擢されたことだし、夏にはアルバムが予定されてるそうなので、z2026年がjellyyの年になってほしい。

2026年4月10日金曜日

ヒップホップ名盤100

ヒップホップ名盤100/小林雅明

 大阪帰省時にblackbird booksで遭遇してゲトって読んだ。このタイトルに求められる、ある種の普遍性をかなぐり捨てて、著者独自のセレクションと視点で単なるディスクガイドを超越した読み物として圧倒的にオモシロかった。

 日本でもヒップホップが爆発的人気を獲得する中、「一体何から聞けばいいのか」と途方に暮れている人も多いだろう。そうした場面でディスクガイドは機能するわけだが、とりわけ月1000円で音楽が聞き放題のストリーミング時代においては、その効力がかつてより増している。なぜなら、掲載作品を即座に再生できるから。本著を読みながら、クラシックや隠れた名作を聞き返す時間は最高だった。

 アメリカのヒップホップのアルバムから著者が100枚を選び、紹介している本著はディスクガイドと言える。ただし、本著がヒップホップをこれから聞くビギナー向けかといえば、正直なところ難しいかもしれない。というのも、王道は一応抑えてあるものの、玄人志向なチョイスが散見されるからだ。なぜこんなチョイスなのかといえば、定番の名盤情報は今やインターネット上に溢れており、本に頼る必要はないからだろう。それこそ生成AIに細かくプロンプトを与えて、各自のリスニング歴や環境に応じたリストを作ることなんて造作もない。

 となるとディスクガイドをリリースする意義がどこにあるか。それは、アルバムのチョイスとそれに対する視点のユニークさに他ならない。同じラッパーやグループでもどのアルバムを選ぶかで、選者の個性が如実に現れるわけで、本著はその点で雄弁である。DJが「人が作った曲を選んで、かけているだけ」と揶揄されることがあるが、AI時代においては「選ぶこと」自体が大きな意味を持つ。その人固有のコンテキストが重要だからだ。「定番ではない方」を選び、それに対して情報を肉付けしている本著は独自のコンテキストを持ち、日本語圏におけるアメリカのヒップホップに対する理解の促進に大きく貢献している。

 英語が堪能ではないため、リリックや各ラッパーたちの背景について、そこまで知らず、音楽としてかっこいいかどうかの次元でしか聞けていないことを痛感させられた。100枚のうち7割くらいは聞いたことのある作品だったものの、本当の意味で聞けているかと言われれば、言葉を濁さざるを得ないほど、本著に詰まっている情報の密度が高い。

 日本でアメリカのヒップホップが紹介される際、アルバム概略やサウンドデザインが中心で、リリックが深堀りされるケースはそれほど多くない。しかし、本著ではリリックについてライミングまで含めたスタイル、内容が丁寧に紹介されており、各ラッパーの新たな側面を知ることができた。ヒップホップの発祥地であるアメリカには千差万別のスタイルが存在することを、改めて思い知らされた。

 冒頭に「2025年に選ぶのであれば」というエクスキューズがあるが、本著は各アルバムを2025年の視点から捉え直すアーカイブとしても貴重だ。ラッパーの女性に対する視点や陰謀史観は特に顕著で、なかでもLil Kimの早過ぎたフェミニズムのくだりは笑った。 他にもリリース当時の時代背景が紹介されているケースも多い。ネット上の情報を後追いして「当時の空気を知っている」ように振る舞うスタンスが個人的に苦手なのだが、著者は筋金入りのラップ好きであり、その点でも信頼できる。年の功がなせるリアルがあった。

 100枚のセレクションの合間に挟まれたコラムも読み応えがあった。特に2010年代に関するコラムで紹介されていたChief Kief「I Don’t Like」がもたらした、数文字の脚韻のみで押し切るスタイルは、近年の日本語ラップでも顕著になっており、その源流について知ることができて勉強になった。『ミックステープ文化論』を執筆した著者だからこその視点が光るコラムも興味深い。実際、ミックステープが多く選ばれていることは本著の大きな特徴と言えるだろう。2000〜2010年代にインターネット上で無料ダウンロードできたミックステープ文化はモロに世代なのだが、2000年代前半の作品は聞いたことのない作品が多かった。なおかつ最近はミックステープがストリーミングで解放されているし、去年のMetro Boominによるミクステなど、環境やタイミングが整っていることもあいまって今ミックステープを取り上げるのはベストタイミングと言えるだろう。これを機にディグってみたい。

 ここまで刺激的なディスクガイドはなかなかネット上では出会えないと思うので、ヒップホップ大好きな人たちには超推奨な一冊だし、『ミックステープ文化論』も読んでみたい。

2026年3月31日火曜日

菜食主義者

菜食主義者/ハン・ガン

 ノーベル文学賞受賞も記憶に新しいハン・ガン。以前に『すべての、白いものたちの』を読んだことはあったが、少しトリッキーな作品だったので、小説ど真ん中の作品を読むのは今回が初めて。あまりの面白さと重厚さに「そらノーベル文学賞取るか」と心底納得させられた。

 本著は、中編が3つ収録されており、1つずつ独立した話ではあるものの、すべて繋がっており連作長編といった構成になっている。最初の話はタイトルどおりで、ある男性の妻ヨンヒが肉を食べなくなるところから始まる。この一つの変化からバタフライエフェクトのように壮大な物語が広がっていく点にハン・ガンの筆力が詰まっていた。

 「多様性」が叫ばれる現在、菜食主義(ベジタリアン)は何も特別なことではない。しかし、本著が書かれた2000年代初頭の韓国においては、それが社会のルールから大きく外れるようなことなのだと周囲のリアクションから伺える。なおかつ、それが女性という点が話のキーとなっている。なぜなら、家父長制が色濃く残り、女性が家のことをすべて担い、性別役割分担が露骨に決まっている時代背景を「肉を食べない」というトリガーで浮き彫りにしているからだ。「妻が肉を食べなくなった→夫も肉を食べることができない(夫が自分で料理しない)」という論旨が当然になっているし、ヨンヒの父親を中心に、家族全員で無理くり肉を食べさせるシーンは読んでいて心がエグられた。社会や家族が定めた「普通」から少しでもズレた人間を矯正しようとする暴力。それが最終的には精神病院にまで到達する展開は「精神に病を抱える人を、無理くり社会に適合させる必要はあるのか?」という問いさえ突きつけてくるものだった。

 近年の韓国文学では、主張が目的化しているケースもあるが、本著はそういった要素だけではなく、小説としての面白さ、凄みも伴っている。それは残り二つの中編で顕著だ。

 「蒙古斑」では、アーティストであるヨンヒの義兄がアートを通じてヨンヒと関係を構築し、自身の作品へと昇華していく。といえば聞こえはいいが、結局は性欲の犠牲になっていくおぞましさ。どんどん膨張していく義兄のリビドーと、それをいい意味でも悪い意味でも森のように受け止めてしまうヨンヒの儚さ。その対比が見事で、ページをめくる手が止まらなかった。

 最後の「木の花火」はヨンヒの姉が、実質精神崩壊してしまった妹であるヨンヒを救うために悪戦苦闘する。ヨンヒは肉どころか食事自体を拒絶し、命の危機に瀕している状況。なんとか生きていてほしいと懸命に手を伸ばす姉もまた、徐々にすり減っていく。その様子は、読んでいるだけなのにグッタリするレベルだった。家族だからわかりあえる、といった綺麗事がない点にリアルを感じた。

許したり、許されたりする必要さえない。私はあなたを知らないから。

 この話が素晴らしいのは、終盤のポエティックな描写である。タイトルの「木の花火」はパッとタイトルだけ読んでもわからないだろう。最後の最後で著者が姉の視点を通じて隠喩と共に語るわけだが、不眠症を患い、明け方に見るその光景の儚さと美しさに人生を感じるのであった。

 本著に通底するのは「人間はどこまでいっても他人の心のうちは理解できない」という、当たり前の現実である。では、他者のことがわからない前提のうえで人間はどうやって生きていくべきなのか?暴力を介在させ、自分と他者を同化させることに果たして意味があるのか?そんなことを考えさせられる一冊だった。他の作品もどんどん読んでいきたい。

2026年3月27日金曜日

創造性はどこからやってくるか―天然表現の世界

創造性はどこからやってくるか―天然表現の世界/郡司ペギオ幸夫

 著者の名前を知ったのは、OGRE YOU ASS HOLEのリリースタイミングのウェブ記事がきっかけだった。それからずっと読みたいと思っていたところでKindleでセールされていたので読んだ。新書とは思えない情報量とパーソナルな内容に驚きつつ、著者が繰り返し提示する「天然表現」という概念があらゆる領域に転用可能な理論で興味深かった。

 新書というと一般的な概念を体系立てて解説するイメージがあるが、本著では独特の理論とその実践が記録されている一冊となっている。中身としては、最初に著者が構築した理論の解説があり、その理論を適用した作品批評、さらに実践としての創作という構成になっている。

 著者はもともと学者であり、理論を考案することは自身の得意領域だ。前半では存分に、自身の持論を開陳し、その勢いのまま後半はコンフォートゾーンを飛び出し、自らの理論を実践する創作に挑んでいく。その過程がスリリングだった。理論を語るものは創作しないし、理論を語らないものは創作するというイメージを持つが、著者はその壁を乗り越えていく。大谷さながらの二刀流挑戦ドキュメンタリーとして抜群に面白い。

 特に興味深いのは、通常であれば、作品が理論の適用対象となるのに対し、本著では理論が先行し、それを体現する作品を後から創作するという逆転現象が起きている点だ。理論ベースの作品は頭でっかちでクリエイティブに欠けるのではないか?とつい思ってしまう。しかし、著者は自身の作品のエッジの鋭さをもって、そんな通説に対して鮮やかにカウンターを決めている。特に実家でのインスタレーション制作は、写真付きの制作日誌とあいまって、現代アートらしい理論ベースの制作プロセスが伝わってきて、読みごたえがあった。

では、そんな理論とは何か?読み終えた今も明確には捉えきれていないものの、一番端的でわかりやすいと思えた部分を引用する。

創造とは外部を召喚することだ。相反する二つの概念を共に受け入れる肯定的矛盾と、共に脱色し否定する否定的矛盾を共立させ、トラウマ構造を開くとき、そこに二つの概念を想定し、両者をどう関係づけるかと思案していたときには思いもよらなかった、その思考の外部が召喚される。それこそが創造であり、絶えず創造するシステム、生命の構えである。

 「外部が召喚されることが創造」という主張は直感に反するかもしれない。創作においては、作家の主体性がすべてのように考えがちだが、能動的なアプローチだけではなく、受動的に何かが起こるように能動的に手配しておくことも必要だということだろう。これはPUNPEE(ひいてはRHYMESTERも)がたびたび唱えているヒップホップにおける「事故」の重要性と重なる話で個人的には腑に落ちた。閉鎖系の中では要素が少なく何も起こらないが、開放系にして受け入れることで、予期せぬ何かが生まれる。こういった態度は年を重ねるほど難しくなるからこそ、自戒の意味を込めて開放系でいたいと思う。

 最初に理論の話から始まるので取っ付きづらさはあるが、これほど深いアート論が実践と共に語られていることが貴重である。たくさんの金言があったのですが、作家最強論に対するカウンターとして、アナロジー含めて「こんな視点があるのか!」と驚いた。

作品が、作家の描き切ったもので、もはやそれ以上、何もそこに関与する外部がないなら、作品は、どこでも、誰が鑑賞しても、作家が意図した通りのものとなる。ビルに入るための電子入構カードを、誰が使っても同じ機能を果たすように、作品は誰が鑑賞しても同じ理解を立ち上げるものとなる。電子入構カードを誰が作ったのか気にしないように、そのような作品は、誰が制作したかの意味を失う。誰が制作しようがそれを忘れても、作品の理解に影響しない。

 作家が何かを完成まで作り切るのではなく「完全な不完全体」として作品を提供した結果、多義的な解釈が生まれて、作品としての完成が初めて日の目をみる。鑑賞者の役割や視点についてここまで深い論考はなかなか読めないから貴重である。書籍や日本語ラップのレビューを書く中で、つい当事者の意図に寄せたくなることがあるわけだが、そこに寄せるばかりでは何も生まれない。鑑賞者という立場だからこそ感じるものを、改めて追い求めていきたいと思った。

 『天然知能』という別書籍もある著者ならではの科学に対する視座も興味深かった。AIを中心とした科学への過度な信頼に対して疑問を投げかけつつ、安易にアンチ科学となるわけではなく「芸術ベースの科学」を提案していた。つまり試行錯誤と証拠の積み重ねを前提とする現代科学に対し、思いつきを含めてAIが到達できない「外部」へアクセスすることで、人間の当事者性や尊厳を取り戻せるのではないか?という主張が刺激的だった。

 本著を読んで「ペギオ的思考回路」が身についた気がするので、OGRE YOU ASS HOLEも影響を公言している『やってくる』を次に読みたい。興味ある方は、本著のエッセンスが理解できるOGRE YOU ASS HOLEと著者による対談をおすすめしておく。

OGRE YOU ASSHOLE×郡司ペギオ幸夫 人工知能と対極の創造性を司る「天然知能」の話

2026年3月25日水曜日

一私小説書きの日乗 這進の章

一私小説書きの日乗 這進の章/西村賢太

 唯一単行本化されていなかった『這進の章』が過去作の文庫化に伴って収録されたと聞いて読んだ。『這進の章』では、亡くなる1ヶ月前までの日記が掲載されており、生活のあらゆる細部が「死の予兆」なのではないかと勘ぐってしまう自分がいて、何とも言えない読書体験であった。

 『堅忍の章』はコロナ初期だったのに対して、今回はコロナ禍真っ只中で著者がどのよう日々を過ごしていたのかが記録されている。もはや遠い昔のように感じるが、実際は数年前だということが信じられない。人はこうやって生きていくために忘却していくわけだが、そんな自然の摂理に抗うかのごとく細かく記録されている日記を読むと、当時の空気を思い出すのであった。

 日記スタイルにはなんら変わりなく、起床時間、食事の内容、飲酒量、入浴の有無など、定点観測が続いている。その中で原稿仕事、ライフワークである藤澤清造の活動記録の編纂にいかに身を捧げているかがわかる。

 基本的に出不精で、家で原稿を書き、晩酌を重ねる日々。しかし、月に一度、藤澤清造の墓のある石川県七尾市までかけていき法要を取り行っている。コロナ禍で移動制限があった中でも関係なく移動を繰り返しており、あれだけ自粛ムードで皆が抑圧されていた中、著者はその影響を受けていないことに芯の強さを感じた。そして「自粛とはなんだったのか?」と以下のラインで改めて考えさせられた。「感染拡大」という社会全体としての課題はあったわけだが、他人が自分の外出の必要性をジャッジする構図はやっぱりおかしい。

この一連の短き時間が、今の自分の生きる原動力。これが不要不急の要件であるわけがない。

 一応、関係者には配慮しており、飲み屋で食事していることは記録されているものの場所から人の名前まで「某」という形で基本的には伏せてあった。その中で「ソーシャル」という言葉の使い方がオモシロく、著者の皮肉屋としての側面が発揮されていて笑った。

 日記を読む限りでは、眼科や通風での通院はあるものの、死の気配は日記から漂っていないからこそ怖い。会社員だと年一回の健康診断があるので、何か病気があれば見つかりやすいが、フリーランスだとそうもいかないから、自己管理に委ねられる。著者は自分が直接感じない不調については無頓着であり、爆食爆飲道を歩み続けた結果、亡くなってしまった。そんな爆食爆飲がエンタメになっている点が、この日記の醍醐味なので、なんとも言えない気持ちである。(大食い選手権を見ているときと似たような感情を読むたびに抱く。)日記はもう更新されることはないので、残された小説たちをこれから読んでいきたい。

2026年3月23日月曜日

羆嵐

羆嵐/吉村昭

 令和の熊騒動が記憶に新しい中で、かつて人々が熊とどう対峙していたのかを知りたくなり、積んであった本著を読んだ。大正時代、北海道に入植したばかりの村で実際に起きた、熊による最大規模の被害ということでかなりスリリングな内容だった。

 昭和57年初版で手元にあるのは、令和6年59刷…!歴史に名を刻むクラシックだということがよくわかる。文体としてはやや硬派で、慣れるまで若干読みにくさはあるものの、事態が凄惨さを増していくにつれて、リーダビリティを上回る「先を知りたい」という欲求が勝り、いつのまにか読み終わっていた。

 舞台は、農業や漁業で生計を立てる開拓期の北海道。そこに現れる羆が、住民を次々と襲い、捕食していく。「熊が人間を襲い、食べる」という事実の原初的な恐怖は、現代と何ひとつ変わらない。ただし、人間側の装備と環境は大きく異なっている。猟銃は一部の人間しか持っていないし、その銃で定期的に猟活動をしているわけではないので、宝の持ち腐れと化している。さらに電気もないので、ひたすら薪で火を炊いて、闇夜の中で羆を警戒し続けるしかない。そんな脆弱な環境を見透かすように、羆が果敢に襲いかかってくるシーンが怖かった。

 本著の白眉はスプラッター描写であろう。今の時代に同じような被害が起こった場合、どこまで書けるだろうか?と思わされるほど、羆が人間を餌として食べてしまった結果の残忍さが克明に記録されていた。ひとたび襲われれば、人間はもはや「個人」ではなく「餌」へと変化してしまう。結果として、遺体を扱う側の人間もまた、同様の視点を引き受けざるを得ない。その過程で、人間の尊厳が揺らいでいく感覚が生々しく伝わってきた。読み手ですらそう感じるのだから、遺された家族の心情は想像に余りある。

 襲われた村の者たちだけでは到底対処できないので、外部に助けを求めることになるのだが、対照的な助け船が登場する。かたや国家権力である警察を中心とした大量動員で羆を数で制圧するようなアプローチなのだが、いくらたくさんの銃があったとしても、それを扱う胆力や技術がなければ意味がないし、いざ羆と対峙した際の覚悟がなければ烏合の衆にすぎない。巨大な組織では機動力に欠け、フットワークの軽やかな羆の前では無力である。ここには単なる熊被害対応を超えた官僚的システムを否定する眼差しがある。

 ジリ貧の状況で羆に相対するのは、銀四郎という名の1人の猟師である。酒癖は最悪だけども、狩りの腕は一級品という男の登場で事態が大きく進展していく。銀四郎と羆のやり取りの緊張感は相当なもので、ページをめくりながらヒヤヒヤしつつも、どんなエンディングが待っているのか続きが気になってしょうがなかった。

 警察をふくめ集団では熊を退治することはできず、猟師個人と熊によるタイマンでしか退治できない。つまり、100年以上経過した今でも、熊との戦いが「個」の技量に依存している側面は大きく変わっていない。AIやテクノロジーの進化が叫ばれる時代にあっても、自然との関係において人間が依然として従属的な存在であることを容赦なく突きつけてくる話である。まごうことなきクラシック。

2026年3月22日日曜日

PAPER DIARY VOL.01

PAPER DIARY VOL.01

 タラウマラのポストで知って読んだ。(タラウマラでは、すぐに売り切れてしまったよう。1003では買えるようなので、そちらのリンクを貼っておきます。)印象的な表紙はさることながら「ラップコラム」の文字を見て即購入したのだった。どのページも読み応えバッチリで、古本の世界の理解の端緒に立つには格好の一冊である。

 梁山泊、マヤルカ古書店という古書店を経営されている二人の雑談と各自のコラムで構成されている。文字のフォントが何種類も使われていたり、紙の色も複数使っていたりと見た目にも面白い仕掛けがたくさんあり、まさにZINEという作り。肝心の中身は、古本屋当事者による、良い意味で外向けに成形されていない、ざっくばらんな話が貴重である。特に印象に残ったのは、「本屋経営が慈善事業のように見えることへの違和感」という指摘だ。近年の本屋をめぐる言説では、苦境や理想が強調されがちだが、「本を売り、買い取り、それで生活している」という当たり前の事実に立ち返る。斜陽産業とはいえ、たくさんの人が本を読んでいる現実があり、それを買い取って稼いで生活している人がいるのだ!という古書店としてのプライドを感じる数々の議論は読んでいて刺激的だった。また、インターネットで調べれば、なんでもわかる時代にあっても、古本屋ジャーゴンの数々はこういったテキストを読まないと一生遭遇しない日本語なので興味深かった。

 レビューを中心とした承認欲求のくだりは、新しい本を読んではレビューしている身からするとドキッとする内容だった。色んな人間の戯言が世に蔓延る中で、他者の評価を気にしながらやっていかないといけない今の商売の難しさ、というのは言われてみて初めて気づかされた。

 コラムも面白く、マヨルカ古書店の店主の「ペーパーチェイサーは古本屋の夢を見るか?」では、読書遍歴と共に語られる過去への眼差しが印象的だった。昔のことがたくさんレミニスされ、特に漫画の貸し借りが生んでいたコミュニケーションは思い当たることがたくさんあった。

 そして、一番楽しみにしていたのはラップコラムである。梁山泊のソウタさんは大阪時代に何度かお話しさせていただいた近い関係の人だと買ってから気づいたのだった…すごい偶然!当時、ヒップホップの話をした記憶もいくらかよみがえり、20代前半だった私が無礼なことを言っていたかもしれないと読みながら肝を冷やした。なぜなら、ソウタさんがゴールデンエラである90’sヒップホップ愛好者だからだ。自分自身もその時代をルーツの一つとしているが、同時に流行や変化に応じて好みを更新してきた。一方、ソウタさんはブレずに自らの好きな基準を貫いていることがコラムを通じて伝わってきた。今の時代、こういうブレなさを文字できちんと表現している人は少ないので、このコラムは今後も楽しみだ。そして、このブレないマインドはおそらく仕事にも発揮されているのだろうことが雑談パートからも伝わってきたのであった。

 ZINEの中にシリアル番号が付されており、限定100冊のようなので気になっている人はマストチェック。