2026年6月29日月曜日

Campanella Oneman live "Optimistic"


 昨日のDaichi Yamamotoの熱が冷めやらぬ中、Campanellaのワンマンを見てきた。そのラップスキルは音源から明らかだが、そのスキルはライブでも同様で圧倒的なラップ力を堪能したライブだった。

 「Mi Yama」からライブはスタートし。JJJによる<ステージは崖みたく尖り そこから言葉が殺し合う>というラインが、ライブの幕開けを宣言しているようだった。続く「Friendskill」でフロアはいきなり爆発。今回のライブは最新作『Cerosia』を中心しながらも、キャリア全体を振り返るような構成となっていた。

 会場はWWWXで、とにかく出音が最高だった。Ramza、shobbieconzを中心としたビートの重低音が鳴り響き、クラブミュージックとしてのヒップホップを体現していた。 坂本龍一サンプリングの「Douglas Fir」がその最たる例で、ストリーミングでは伝わらない音の迫力を感じた。そんな「Douglas Fir」の前にぬるっとステージに現れたのはKID FRESINO。ここでまさかの「Douglas Fir」のKID FRESINOバースによるREMIX!今回初めて聞いたREMIXだったが、Campanellaに負けないラップ巧者っぷりを発揮。そのまま「Puedo」まで続き、序盤から贅沢な展開となった。

 クラブ的アプローチという観点では、レゲエパートも最高だった。Max Romeo「Chase The Devil」をサンプリングしつつ、そのフレーズをまんま日本語に置き換えてる曲(「NANKAIDEMONELL」のREMIX?)から、ダンスホールチューンの「Bell」という流れは抜群だった。

 先のKID FRESINOに限らず、客演陣を迎えたパートはどれも盛り上がっていた。
仙人掌は最新アルバムの「SOFT」で参加。Campanellaの抑制の効いたバースと対照的に、バイブス高いラップでかっこよかった。彼のバースはキャッチーな韻のおかげか、他の曲に比べてシンガロング率が高かった。<さながらプッシャーとマリス>で私も叫びました。

 盟友C.O.S.A.も登場。「Monarch」で破壊力抜群のバースをキックし、身体の大きさそのままにラップがデカいというか、声のアタック力、安定感がケタ違いだった。昨年リリースされたDJ Scratch Niceのアルバム収録曲「Spent Time」も披露。ここで初めて王道のヒップホップビートが鳴ったことで、Campanellaの楽曲のオリジナリティが逆説的に顕著になっていた。

 客演MVPを挙げるなら、鎮座DOPENESSだろう。彼の登場で空気が一変して、一気にお祭りモードへ。「Raga」「concent」の2曲で参加。「concent」の前にビールをCampanellaから促されると「飲むとこの曲はラップできない」と固辞するプロフェッショナルな姿勢を見せつつ、実際にステージを見ると、その言葉を証明するような圧倒的なバースをキックしていた。

 そこへSTUTSが加わり、お祭りムードはさらに加速。始まったのは、なんと「Sticky Step」。今となってはCampanellaと鎮座DOPENESSの組み合わせは鉄板だが、最初に提示したのはSTUTSだった。そして同曲収録の「EUTOPIA」のリリパが同じくWWWXだった、というエピソードがSTUTSから披露されて時の流れを感じた。

 続いて、Daichi Yamamotoが登場し2日連続で「YAMAMOTO」。昨日の彼のライブも圧倒的だったが、WWWXのスケールで見る彼のライブは迫力が倍増。昨日とまったく同じ流れでSTUTS「Expressions」へ。しかし、この日は鎮座DOPENESS、仙人掌まで追加された超豪華バージョン。「Let's get ready to rumble!」と言いたくなるようなマイクリレーの口火を切ったのは、まさかのSTUTS!彼の弾ける笑顔と高いバイブスに呼応するような、各ラッパーのテンションも一気に上がっていた。これだけBPMの速いマイクリレーは最近なかなかないし、このメンツで見れたのはアツかった。最後は最新アルバムから「Bollard」をSTUTSとしっとりと披露していた。

 KID FRESINOは冒頭だけではなく再度登場。「supaflat」が始まる前に、Campanellaは「難しいんだよなぁ」と本音を漏らしながらスタートして、実際に曲の一部をフロウし切れていなかった。KID FRESINOはその様子を見てステージ上で爆笑しながら、自身のバースを見事に蹴り上げていた。ラップ魔神のCampanellaでも苦戦する曲があるのか、と彼の人間性を垣間見た。

 冒頭でもJJJにフォーカスしていたが、再びのJJJパートは「Eye Splice」のRemixが投下されてフロアは大爆発。このテイストのドリルの曲がこんなに神格化されるなんてリリース当時は思ってもみなかった。さらに「Something」、「Filter」も聞くことができた。この日披露されたJJJ関連曲を最後に聞いたのは、JJJ JULY TOURだったので、やり切れない思いが去来しつつも、こうやって曲は歌い継がれることで、JJJは曲の中で生き続けるのだろう。

 そして、個人的に一番感動したのはラストで、まさかの『PEASTA』パート。聞き慣れた「Indigo」のサンプリングネタが流れ、そこから「Indigo」へ。事前インタビューで「ワンマンだからこそできる構成を」と語っていたので、少し期待はしていたものの、まさかやってくれるとは。さらに「YUME no NAKA」、「PEASTA」まで披露されて感無量…Tシャツが震えるような低音にもグッときた。帰り道に久しぶりに聞き直したが、このアルバムのマスターピースとしての佇まいは唯一無二。今年でリリースからちょうど10年のようで、それを記念して披露してくれたのかもしれない。客電がついてライブは終了したものの、あまりにもしっとりしたエンディングだったからか、観客からアンコールの拍手が鳴り止まず、最後にもう1曲だけ「ウワッツラ」を披露していた。

 ラップが上手いラッパーはいくらでもいる。しかし、Campanellaは、その唯一無二のラップが、インダストリアルで実験的なサウンドと結びついた瞬間にしか生まれないオリジナリティを持っている。キャッチーさに頼ることなく、重低音が鳴り響く空間で飄々とラップし、観客を熱狂させる姿はどこか仙人のようだった。次の作品がリリースされるまで時間がかかるかもしれないが、その際にはまたライブに遊びに行きたい。

2026年6月28日日曜日

Kudos:Daichi Yamamoto Live 2026


 昨年の5lackのワンマンで、GAPPERパートの客演として現れたDaichi Yamamoto。そのわずかなパフォーマンスに心を奪われ、「いつかワンマンを見たい」と思っていた。その機会がようやく訪れて、やっと今回見ることができた。

 日本語ラップのライブでここまでのクオリティのショウが見られる時代になったのかと感慨深くなった。ラップが圧倒的に上手いことは当然として、ブラックミュージックであるヒップホップのレガシーを現代的な形で体現するショウケース。グローバルに見ても、ここまで完成度の高いライブを成立させられるラッパーは決して多くないだろう。日本語ラップを好きで良かったと心から思えるライブだった。

 1曲目は最新アルバム『Secure+』の「Central Line」。まず驚いたのは圧倒的なシンガロング率だった。生音ベースが躍動するドラムンベースの曲で、どちらかと言えば渋めの印象を持っていたが、会場は爆発していた。続く「Orange Juice」でもシンガロング率は圧倒的で、MVになったり、バズった曲だけではなく、アーティストに対する愛に溢れた観客のロイヤリティの高さと熱量に胸を打たれた。

 とにかくラップ力がハンパではない。これまで見てきたラッパーの中でも間違いなく五本の指に入るレベルだ。自身の技巧を見せつけるのではなく、キャッチーなバースも複雑なフロウも軽々と駆け抜けていく。その自然体なスタイルは唯一無二だ。個人的には、2026年のベストバース候補であるWatson「スーパーレア」のバースを開始早々に聞くことができて十分満足だった…が、それはこの日の序章に過ぎなかった。

 ライブは、キーボード、トークボックスにKzyboost、DJ、マニピュレーターにPhennel Koriander、コーラスとしてMika Arisaka、Bobby Bellwood(ことsauce81)という編成。ヒップホップのライブとしてはかなりトリッキーな編成だが、この布陣こそがDaichi Yamamotoのライブの何倍も魅力的なものにするキーファクターである。

 まずは、Kzyboost。トークボックスによる絶妙なアレンジが既存曲に新たな表情を与えていた。特にSTUTS & ZOT on the WAVE「Perfect Blue」はメロウネスが際立っていたし、この日のハイライトの一つである「Wanna Ride」ではトークボクサーとしての力量を存分に発揮していた。オートチューン全盛の時代に、ここまでトークボックスをライブの核として機能させるラッパーは世界的にも珍しい。

 そして、コーラス部隊も素晴らしかった。この2人がコーラスを務めていることの贅沢さは、往年のJazzy Sportヘッズであれば共感してくれるだろう。ラッパーのライブにおけるコーラス部隊は不思議な組み合わせに映るが、歌の力は楽曲に奥行きを与えていた。ラッパーが歌うようにラップするようになった結果、シンガーとラッパーが共演するケースは昔に比べて減っているものの、餅は餅屋という言葉のとおり、シンガーだからこその迫力がある。

 それが最も顕著だったのは「Brown Paper Bag」である。1stアルバムの曲で、すっかり記憶から抜け落ちてたいのだが、D’Angelo「Brown Sugar」を下敷きにした楽曲の魅力をコーラスが最大限に引き出し、鳥肌が立つほどのグルーヴを生み出していた。

 原曲でもMika Arisakaが参加している「なんとかなるさ」では、音源では抑えめだったコーラスがが全開。ダイナミックな歌声が会場に鳴り響き、この曲の持つエモーショナルなバイブスを一層高めていた。他にもgroovemanspot「Power」、STUTS & Julia Wu「With U 」といった曲でも存在感は抜群で、このライブの裏MVPと言っても過言ではないだろう。

 客演陣も豪華だった。前半では最近の多岐にわたるコネクションの中で、Kianna、Benjazzyが登場。特にKiannaをこのタイミングで見ることができたことは嬉しかった。後半にかけてはCampanella、STUTS、KID FRESINOといったお馴染みのメンツが登場。Campanellaも含めたSTUTS「Expression」やKID FRESINOとの「Let It Be」など、この日ならではの共演を楽しめた。KID FRESINOとは新曲も披露されており、今後の展開が楽しみである。

 客演ではないが、Daichi Yamamotoといえば、JJJとの曲が切っても切り離せない。2人が共作した名盤「Radiant」からは「ガラスの京都」、「OTO」が披露された。特に「ガラスの京都」は批評家・中村拓哉氏のポッドキャスト番組「ひとりりある」でアウトロのスクラッチの元ネタが紹介されており、それもあいまってエモーショナルな気持ちになった。そのスクラッチを担当した、DJ Scratch Niceにシャウトを送るDaichi Yamamotoの律儀さにもグッときた。

 DJ Scratch Niceといえば、彼の最新アルバムに収録された「Phase」も披露。JJJの2バース目は彼の死後、より意義深いものになったことを踏まえるかのように、ラップをかぶせることなく、JJJの声が会場に鳴り響いていた。一方で「Taxi」ではJJJのバースまでしっかり蹴っていて、こういった細かな押し引きが、彼のJJJへのリスペクトと、ライブに対する意識の高さが伝わってきた。

 キャリアを振り返るようなセットリストを聞いて感じたのは、KMとJJJという日本語ラップを代表するプロデューサーがこれだけコミットしているラッパーは他にはいないということだ。JJJの声によるKMのサウンドタグがDaichi Yamamotoのライブで鳴る瞬間、その三者によるトライアングルほど特別なものはない。それは、この日の会場の熱狂が何より証明していた。

 Daichi Yamamotoの最大の魅力は、ブラックミュージックに対する温故知新の姿勢にある。リリックで本人が言及しているとおり、過去や先人に対するリスペクトが多いに持ちながら、自身がミックスという立場も含めて、ブラックミュージックを経由しながら日本語ラップを更新していく力強い意志を作品から感じる。前述のD'Angeloオマージュ然り、「Orange Juice」のフックにおけるOutkast「Ms.Jackson」の引用などは象徴的なものである。ライブの編成も、ラッパーという枠を超え、一人の音楽家として表現を追求するためのものであろう。

 アンコールはSTUTSとの「Cage Birds」で大団円。繰り返された<Higher>というフレーズはDaichi Yamamoto自身の尽きることのない向上心そのもののようだった。年明けには武道館が決定したらしく、このスタイルでどこまでも突き抜けてほしい。

2026年6月26日金曜日

ディアンジェロ: ヒップホップ世代が生み落とした未来のソウル

ディアンジェロ: ヒップホップ世代が生み落とした未来のソウル

 ディアンジェロが亡くなったときの喪失感は、海外のアーティストではこれまで味わったことのない類のものだった。そんな落ち込んだ状態の中で、SNS上の雑な言説にバッティングしたことでさらに気持ちが沈んだ。その気持ちをなんとか整理したく読んだのが、『ディアンジェロ《ヴードゥー》がかけたグルーヴの呪文』だった。本著は、そんな気持ちをさらに癒してくれるかと思って読んだところ、圧倒的な内容で感動した。

 ディアンジェロの来歴、関係者へのインタビュー、国内ミュージシャンのインタビューと対談、ディスクガイド、批評まで網羅的にまとめられた1冊。ここまで充実した内容でこの値段は正直破格だと思う。

 本著が体現しているのは、ディアンジェロがいかに豊かなコンテキストに溢れたアーティストであるかということだ。「ブラックミュージック」と一口に言っても、さまざまな要素を含むわけだが、彼はその膨大な歴史を吸収し、自らの表現へと昇華した稀有なアーティストである。そんな歩みを時間という縦軸と、周辺人物という横軸の両面から深掘りしている。

 個人的には冒頭のインタビュー2連発で心を掴まれた。まずは久保田利伸である。ディアンジェロの歌にフォーカスして語れる人間として、これ以上ない人選である。実際、久保田利伸はディアンジェロ含むソウルクエリアンズと同時代に生きて、一緒に音楽を作っていた張本人であり、その証言の数々のどれもが目から鱗だった。(ディラビートに心酔した話がアツい。)他にもディアンジェロと直接関係ないものの、アメリカでアジア人がR&Bシンガーとして活動することへの周囲の反応や、ミュージック・ソウルチャイルドに対する評価なども興味深かった。

 そして、もう1人がRHYMSTERのDJ JINである。今の私の音楽の嗜好性は、彼によって構築されたと言っても過言ではない。RHYMESTERがレギュラーを務めていたTOKYO FM『WANTED!』の番組内で毎週30分弱くらいDJ JINによるミックスが放送されていた。当時、日本語ラップは聞いていたものの、海外のヒップホップをほとんど知らない私が、ディアンジェロやソウルクエリアンズと出会ったのは彼がきっかけだからである。だからこそ、DJ JINによるDJ、ビートメイカー視点で語られるディアンジェロの話は至極だった。ディアンジェロはジャンルに縛られず、古い音楽を咀嚼しながら新しい表現へと更新していたわけだが、DJ JINもbreakthroughを筆頭に音楽のクロスオーバーを率先して体現してきたキャリアがある。それゆえの共鳴具合がインタビュー全体から伝わってきた。ディアンジェロ特集で、この2名を抜擢する編集センスには脱帽するしかない。

 押野素子氏による関係者インタビュー群が、本著のハイライトだ。本人が多くを語らないアーティストだったからこそ、周囲の証言から浮かび上がる人物像はどれも貴重で、ページをめくる手が止まらなかった。ネット上ではまず得られない情報が、日本語でこれほどまとまって読めること自体が奇跡のように思える。さらに、押野氏自身がディアンジェロ初来日時のアテンドを務めていたこともあり、その経験を語る本人インタビューまで収録されている。まさに歴史的証言と言っていい内容だった。

 ディスクガイドも充実しており、ソウルクエリアンズ周辺作品まで幅広く網羅している。個人的にありがたかったのは、参加曲や提供曲のリストである。3枚のオリジナルアルバムはそれこそ穴が空くほど聞いてきた一方で、参加曲や提供曲は点在していて追いきれていなかった。今回まとめてくれているおかげでプレイリストにして楽しんでいる。

 ディアンジェロが好きな人にとっては買って損なし、一家に一冊必携レベルの決定版なので、読んでいない人は一刻も早く読んでみてほしい。

2026年6月23日火曜日

レコード店の文化史

レコード店の文化史

 ディスクユニオンに立ち寄った際に見かけて気になったので読んだ。ストリーミングサービスのおかげで月額1000円程度で膨大なカタログにアクセスできる時代において、レコードを含めてフィジカルなものを買う場所の意味を改めて考えさせてくれる一冊だった。

 本著には、学者やジャーナリストを中心に、レコード店という場所をめぐるさまざまな論考が掲載されている。対象は欧米諸国だけではなく、日本を含む世界各国に及んでおり、たとえばルーマニアやナイジェリアは、社会情勢に応じてレコード販売の形態が変化しており、政治と生活が直結している様がありありと描かれていた。

 レコード店とコミュニティについて非常にたくさんの事例が載っている。それらを読んでいると、大阪に住んでいた頃、アメリカ村のレコード屋に足繁く通っていたことを思い出した。当時はSERATO登場前夜で、レコードでDJしていた。お店にはクールな大人たちがたくさんいて、そこに置いてある未知の音楽を持ち帰り、家で針を落として聞く瞬間は独特の高揚感があった。

 SNSで知った音楽をストリーミングで聴く現在のスタイルも、本質的には同じようなプロセスである。しかし、両者の違いがあるとすれば、コミュニケーションの濃度だろう。こういうことを言っていると老害扱いされそうな上に、ストリーミングサービスの恩恵を受けまくっているので、今の状況を否定するつもりはない。それでも、音楽にまつわるフィジカルな体験は失われて欲しくない文化だと本著を通じて再認識した。

 全体としてロックミュージックについて書かれている論考が多いものの、ニューオリンズのヒップホップレコード店やロンドンのレゲエレコード店など、ブラックミュージックに関する章は個人的な興味の範囲なので特にオモシロかった。

 ニューオリンズの章では、ヒップホップのローカルなスタイル(バウンス)を下支えしているショップの役割やハリケーン・カトリーナが地域文化に与えたインパクトの大きさなどが多角的に描かれていた。一方、ロンドンのレゲエレコード店を扱った章は、移民と音楽をめぐる論考となっている。社会的に抑圧される人々にとって、レコード店や音楽がコミュニティを支える装置として機能していたことが示されており、音楽が連帯を生み出す力をあらためて感じた。

 レコードの製造についても知らないことが多かった。日本やニュージーランドがそれぞれの事情で国内プレスを行っていた背景は興味深い。日本では海外アーティストの国内プレス盤はオリジナルではないから価値が低いとされてきたようだが、今や日本のレコード帯カルチャーは海外に逆輸入されていて価値の転換が起こっている。また、ニュージーランドについては過去に関税の影響から自国プレスが発展した歴史が興味深く、最近の関税をめぐる混乱を想起した。このように歴史を踏まえると現在の状況も解像度高く理解できるので、本著のような視点は貴重である。

 学術的な論考が多い中でも、いくつか収録されているエッセイも興味深い。特に印象的だったのは、イランで西洋音楽を聞く方法について書かれたエッセイだった。イラン革命後の抑圧的な状況が音楽を通じて語られており、政治や社会の変化を肌感覚で理解できる。現在はある程度状況が改善しているようだが、ヒップホップだけは依然として警戒されているという。その事実は、逆説的にヒップホップの持つ影響力の大きさを示しているように思えた。

 レコード店を巡る物語といえば『ハイ・フィデリティ』は外せない。映画ではレコード屋の店員が特定の音楽の趣味に応じた立ち振る舞いを繰り広げていたことが記憶に残っている。(『ブラスト公論』で知ったのも懐かしい話だ。)そんな『ハイ・フィデリティ』が2020年にドラマ版としてリメイクされており、小説、映画、ドラマと時代を通じて変遷したきた内容を考察していた。ドラマ版が現在はストリーミングで配信されていないようだが、どこかで見れたらいいな…また、『ハイ・フィデリティ』に象徴されるレコード店のボーイズクラブ的なノリに対して女性店員から提示されている視点は、男性として理解が及んでいないことだった。

 最近は子どもの習い事の待ち時間にディスクユニオンでサクッと見るレベルのディグしかできていない。そんな短い時間の中でも思わぬ出会いがあり、アドレナリンが出まくるからレコード蒐集はやめられない。せっかく東京に出やすい環境にいるので、インディペンデントなレコード店にも足を運びたいと思わせられた。

2026年6月9日火曜日

トピーカ・スクール

トピーカ・スクール/ベン・ラーナー 

 前作『10:04』も読んだベン・ラーナーの最新作。何を読んでいるか、途中までなかなか掴めないにも関わらず、ある地点から急に視界が開け、その世界に没入させられてしまう。そんな特別な読書体験だった。

 主人公アダムを中心に、家族や友人たちの人生が交錯する群像劇。舞台はアメリカ中西部の田舎町で、精神科医の両親を持つアダムがどのように大人になっていくのかが語られる。家族というものは、それぞれの年齢や立場の変化に応じて形を変えていく。本著では時間軸や視点を大胆にシャッフルすることで、その変化の過程を立体的に描き出していた。また、メタ的な視点を含むさまざまな仕掛けも特徴的で、読者を楽しませてくれる。

 登場人物の多さに対して説明描写は最小限で、前半は正直読みにくい。大きな事件が起こるわけでもなく、鮮明な情景描写と何かの気配だけが漂い続ける。しかし、読み進めるにつれてテーマが徐々に浮かび上がり、気づけば夢中にさせられる構成が見事だった。作品全体は安易に要約できないよう設計されており、パズルのピースのように最後に合わさっていくカタルシスが本著の魅力と言える。

 個人的には母ジェーンのパート「男たち」で一気にギアが上がった印象だった。現在から過去を振り返る語りでありながら、かつ二人称なのでインタビューを読んでいるようだった。ここで家族関係や過去の出来事が整理され、舞台背景がクリアになる。この章以降、各描写の意図が理解しやすくなったので、読みづらくて苦労している人は、何はともあれここまで読み進めてみてほしい。

 巻末で白岩英樹氏が熱く、熱く、語り倒しているとおり、本著は現代の言葉、特に「話し言葉」をめぐる物語だ。他者と会話することの意味について、ディベートを通じて考えさせてくれる。ディベートでは相手を論破することを目的とするが、その技術や価値観が、私たちの生活に侵食していることを浮き彫りにしているのだ。たとえば冒頭で、アダムが両親から注意された際にディベートのスタイルで反論するくだりは象徴的だ。それはアメリカや日本の政治的リーダーが、言葉を軽視し、はったり上等で息をするように嘘を吐き出す振る舞いとも重なる。彼らのスタイルがディベートと地続きであることが、小説を通じて浮かび上がってくるのが興味深い。

 また、大量の情報を一方的に投げつけ、反論がなければ同意とみなすようなコミュニケーションも登場する。ウェブ上で規約に同意する場面なんて最たるものだが、これもディベートの技法の一つらしい。本著ではディベートに限らず、今の社会に対する違和感を登場人物や設定を通じて見せていく展開が多く、著者の視点の鋭さに何度も舌を巻いた。

 ヒップホップが大きくフィーチャーされている点も印象的だった。著者はもともと詩人でもあるので、親和性は高いのだろう。なんと「サイファー」という章まであり、ディベートとMCバトルをオーバーラップさせていく語り口は「話し言葉」をテーマにした本著にぴったりだ。2 Pac、Bone Thugs-N-Harmony が印象的なシーンで登場していたり、ディベートにおいて速度と内容の激しさではない韻律の重要性について表現していたり。90年代の米国中西部における白人たちのヒップホップの受け止め方という観点でも興味深い描写が多かった。

 子を持つ身としては終盤の展開にも強く惹かれた。子どもが「よくないこと」をしたとき、大人はどこまで介入すべきなのか。本作は二つの対照的なシチュエーションを通じて、その難しさを描いている。大人が介入して解決すべき問題と、子どもたち自身に委ねるべき問題。その境界線の曖昧さを寓話的に表現する手腕は、まさに小説家ならではだ。

 さらに、ここで鮮やかなのは「介入」というテーマを家族の問題に留めず、重層的にアメリカ社会を描いていることだ。共和党は限りなく小さい政府を掲げ、市場原理を重視する一方、外交や移民政策では必要以上の介入を行っている。「介入」の是非が、社会全体の要請や利益ではなく、各人の立場や利害によって判断されている。そんな社会の硬直性をこんなふうに描くことができるなんて脱帽した。

 現代に関する直接的表現はミニマルであるにも関わらず、ここまで今の問題を鮮やかに描き出す筆力。そして、説教臭く感じさせない物語的ギミックの数々とポエジー。これらが組み合わさり、唯一無二の小説となっていた。次の作品が今から楽しみ。

2026年6月3日水曜日

そして誰もゆとらなくなった

そして誰もゆとらなくなった/朝井リョウ

 著者のエッセイシリーズである「ゆとり三部作」の最終作が文庫になったので読んだ。これまでの二作ともおおいに笑わせてもらったが、本著も間違いない仕上がりで何度も笑った。

 直近の作品であり、過去の作品よりも自分と執筆時の著者の年齢が近く、年をとることに伴う変化について書かれているエッセイが多いので、過去作の中ではもっとも親近感をもって読むことができた。

 とにかく文字で笑わせるスキルがハンパじゃない。SNSのくだらないミームは足元にも及ばない「これぞプロ!」というスキルをこれでもかと見せてくれる。テンポ、ボキャブラリー、文体など、文字で自身が経験した状況と感情を描くスキルは他の追随を許さない。世はエッセイブームであり、箸にも棒にもかからないエッセイが山ほどある中で、こんなに人の心を動かせるエッセイは他にないかもしれない。

 著者の「おもしろい」に対するシンプルな考えが本著であきらかにされており、まさに著者のエッセイの真髄である。「おかしみ」を抽出するスキルが高い。

おもしろいというのは私にとって、様々な邪念が一切入ってこないくらい、素直に、そして真剣に生きているときに滲み出る〝おかしみ〟のことなのだ。そのおかしみは、隙、と表現することもできる。

 「お腹がゆるい」という著者の特性に関するエピソードが今回は特に多く、その内容に勇気づけられる。自分もどちらかといえばゆるい方だが著者ほどではないので、こういった 経験談をてらいもなく開示してくれていると「自分なんてまだマシだ」というポジティブな気持ちになれるので感謝である。「腹と修羅」における「現代のシザーハンズ誕生の瞬間である。」というパンチラインは笑いすぎて死ぬかと思った。

いろんな人に『イン・ザ・メガチャーチ』をおすすめされているので、早く読みたい。

2026年5月26日火曜日

昔の会社員はどうやって仕事をしていたのか vol.1&2

昔の会社員はどうやって仕事をしていたのか vol.1

昔の会社員はどうやって仕事をしていたのか vol.2

 blackbird booksのインスタで見かけてジャンピング購入。AIが本格的に仕事へ導入されつつあり、大きなパラダイムシフトが起こりそうな今、過去の仕事のあり方を見つめ直す試みがとても興味深かった。

 著者は80年代生まれで、自身より上の世代である70年代、80年代に入社した方々へ仕事の進め方をヒアリングし、その内容と現状を比較しながら論考が展開されている。生活史の仕事版のような一冊で、各人がどのようなキャリアを歩んできたか。今でこそ個人のキャリアパスに関する情報はネット上に溢れているが、インターネット以前の「普通のサラリーマン」のキャリアはなかなかアクセスできない情報であり、そういう意味でもZINEという媒体の強みを感じる。

 vol.1では著者の伯父への聞き取りが中心なのだが、PCによって当たり前になった業務が、手作業だった当時の現実の数々に驚くしかなかった。特に製品台帳が大きな模造紙だったという話は衝撃的だった。とはいえ、現在、PC上で行っている作業内容を逆算して考えると、模造紙くらいしかないか…と勝手に頭の中でリバースエンジニアリングしていた。他にもFAXが登場した際に「紙が物理的に飛んで届く」と思っていた女性部下のエピソードなど、時代感覚の違いがオモシロい。

 vol.2では広告業界とメーカー営業の2人に話を聞いている。vol.1でそろばん→電卓→PCという流れを通じて、「計算」が仕事の中心を担っていたことにフォーカスしていたが、vol.2では歴史を深掘りしながら、「仕事は読み書き、そろばん」をキーワードとして、計算機からPCまでの発展を解説してくれていて勉強になった。現在の当たり前が当時は革新的だった技術だと知ると、AIもいずれ社会へ溶け込んでいくのかもしれない。私が働き始めた2010年代には、すでにPCも基本的なソフトも存在しており、ここまで大きな変化の波をリアルタイムで経験するのは初めて。だからこそ柔軟に受け止められる人間でありたいと思う。

 70〜80年代は「モーレツ社員」と呼ばれる働き方が当たり前で、日本の経済成長は過重労働によって支えられていたとも言われる。しかし、当時の仕事における「計算」にかかるコストを知ると「そらそうやろ」という感想しか浮かばなかった。テクノロジーの進歩によってコストを圧縮できるようになった分、他のコストが上乗せされている状況ではあるが、「たくさん働いたら、それだけ成長する」という盲目的な神話を復活させようとする現政権の労働観はやっぱり理解不能だなという思いを新たにした。