2026年7月7日火曜日

あの風景に会いに行く


 植本一子さんが東京都渋谷公演通りギャラリーで展示をされるとのことで見てきた。会場では植本さんを含めて4名の展示が行われており、しかも無料。場所はパルコの真裏という渋谷の超一等地なので、渋谷に用事のある際には立ち寄りやすい場所だった。
(私はCampanellaのライブ@WWWXの前に伺いました。)

 この展示は『ここは安心安全な場所』でフォーカスしていた遠野の馬の写真と、新しい試みであるドキュメンタリー映像の2本立てとなっている。後者は、10年ぶりの帰省を記録したドキュメンタリーとのことで、長年日記を読んできた自称「一子ウォッチャー」としては、ご実家との関係も頭をよぎり、少し緊張しながら見たところ、それは杞憂で映像には終始穏やかな時間が流れていた。

 実家に帰るのは10年ぶりとのこと。日記で読んだことがある家が実際に映し出され、そこには昔ながらの日本の家があった。帰省の様子に合わせてモノローグが流れる構成なのだが、見始めてすぐに感じたのは料理の豊かさである。

 実家に帰ると親がたくさん料理を作ってくれる、というのはよくある話かもしれない。しかし、この映像から伝わってきたのは、そうした「あるある」を超えた、料理そのものへの熱量だった。そして、その源流がお母様にあることが自然と理解できる。日記やSNSでこれまで何度も手料理を目にし「美味しそうだな〜」と毎度思っていたが、その背景には母から受け継いだものがあったのだと腑に落ちた。これまでは料理以上に様々な出来事が起こり続けていたため、料理そのものに焦点が当たることは少なかったように思う。映像というメディアだからこそ、その豊かさがよりダイレクトに伝わってきた。

 料理だけでなく、この10年間の出来事を一本の線で結び直していくような内容にも驚かされた。当日、会場にご本人がいらしたので、どこまで意図的な構成なのか尋ねたところ、「ノープラン」とのことだった。しかし、お母様がここぞとばかりに明かす新事実が、どれも植本さんの人生に関わるものばかりだ。放射線と甲状腺、苗字の変遷と帰属性など、これまで日記で読んできたテーマに対して、お母様が新たな情報をもたらし、次々と見方が更新されていく。長年の読者ほど受け取るものは多いだろう。作品にするために、お母様が親心で撮れ高を用意してくれたのではないかと邪推したくなるほどだった。

 両親の暮らしぶり、たまにインサートされる猫の映像、孫のために植えた木の話など、終始穏やかな時間が流れ続けている。しかし、この帰省に至るまで10年という歳月があった。「10年会わないというのは、なかなかだよな」と思い、最後に帰省した際の様子が書かれている『家族最後の日』をあらためて読んでみた。そこでは植本さんの筆力もあいまって壮絶な出来事が繰り広げられていて言葉を失った。一度読んでいるはずなのに、自分が親になった今読むと、祖母、母、自分、子どもという4者の関係性が全く違って見える。ここまで胸が締め付けられる出来事はフィクションでもなかなか遭遇しない。この経験を経て10年後に再会し、その時間をドキュメンタリーとして作品に落とし込めるだなんて。ここに植本さんらしい気骨を感じるし、時間が解決してくれることもあるのだなと思えた。

 そして、実家から移動後は戦争の話題へとシフトしていく。戦争との距離感は、以前に読んだウェブのエッセイを読んだ際にも印象に残っていたが、今回の映像でさらに立体的に伝わってきた。広島で育った人だからこそ抱く戦争への切実な忌避感は、社会全体が少しずつ右傾化している今、かえって新鮮に映ってしまう。その自分の感覚の変化が怖かった。

 単なる広島の記憶を振り返る作品ではなく、現在、そして未来に対する視線があるからこそ、このドキュメンタリーは今見る意味がある。今年の衆議院選挙の結果を見て以来、個人的には政治に対する無力感ばかりが募っていた。それでも、「嫌なことは嫌だ」と言い続けることをやめてしまえば、本当に何かが起きるところまで社会は進んでしまうかもしれない。ECDのツイートを基にした「ONE PERSON. ONE POWER.」のパッチムーブメントを思い返しながら、この無力感に抗い続けなければならないと、あらためて感じた。

2026年7月6日月曜日

ミルク・ブラッド・ヒート

ミルク・ブラッド・ヒート/ダンティール・W・モニーズ

 リリース当時に見た表紙が印象的でいつか読もうと思っていたら、気づけば時が経ち、ブックオフで見かけてサルベージした。アメリカで暮らす女性の観点を中心にした短編の数々に魅了された。

 フロリダ出身の作家によるデビュー作の短編集となる。11編を収録しており、それぞれ独立しているので、どこから読んでも楽しめる仕様となっている。

 とにかくストーリーテリングが見事だ。短編ながらも「この先どうなるの?」とグイグイ引き込まれつつ、その背景にあるテーマについても描かれている。エンターテイメント性とメッセージが高いレベルで両立しているので、新世代として期待される理由がよくわかる。

 表題作をはじめ、シスターフッドを扱った短編が印象的だった。ただ連帯を描くのではなく、その中にある複雑な関係性や感情の機微まで余すことなく描いているからこそリアリティがある。その背景には、黒人であり、女性であり、フロリダで育った著者自身の経験が色濃く反映された登場人物の存在があるのだろう。

 個別の話をすれば、表題作では色を通じた語り口が素晴らしかった。冒頭で乳と血に関する強烈な展開があるのだが、単に物語の起伏を作るためのショッキングな演出ではなく、終盤でしっかりと物語に帰結していく構成力の巧みさに唸らされた。

 中年男性として最も刺さったのは「天国を失って」だ。妻の癌が再発し、拠り所を失った男が、バーテンダーの女性や若い男性客との関係を通じて自分の立場を保とうとする。加齢に伴ってメタ認知が鈍っていく様子を、ここまで容赦なく描かれると精神的に堪えた。最近話題の俳優間によるパワハラ問題を彷彿としたし、自分も「おじさん」と呼ばれる年齢なので、その危うさを自覚していかなければならないと感じた。

 「欠かせない体」は妊娠初期に出産を逡巡する女性が主人公。ネット、SNSの発展に伴い、妊娠、出産、育児に関して情報が溢れる時代だからこそ、必要以上の不安に苛まれる姿が現代的だった。情報過多で身動きが取れなくなる状況は出産に限らず、あらゆる場面に通じる普遍性がある。そして、主人公の妹のセリフは何かと重たくなる足取りを軽くしてくれる効果があった。

うん、そうしてみなよ?自分のやってること、みんながみんな、きちんと分かってると思う?

 「骨の暦」では、放浪する母親と専業主婦という対極的存在を配置し、女性の主体性を問う挑戦的な内容だった。子どもを祖母に預け、世界を旅する母親が、専業主婦に対して「家で飼いならされるのは動物だけだよ。動物だって本当は嫌なはず。」と言い放つのは極論すぎる。しかし、その極端さゆえに、バランスが大事であることが伝わってきた。また、周囲と異なることで向けられる視線について、子ども目線の瑞々しい感性で描いており、自分の子どもの頃を思い出した。最後にも乳、血、熱というタイトルに挙がっているワードを回収する語り口が鮮やかだった。

2026年7月1日水曜日

ディス・イズ・アメリカ 「トランプ時代」のポップミュージック

ディス・イズ・アメリカ 「トランプ時代」のポップミュージック/高橋芳朗

 いつもの古本屋でサルベージした。2010年代後半〜2020年初頭という近過去の音楽は最近なかなか接する機会がないので、こうやって書籍を通じて振り返ることができたのは有意義だった。

 副題に「「トランプ時代」のポップミュージック」とあるように、本著は第一次トランプ政権直前〜コロナ禍初期までに登場したアメリカのポップミュージックについて多角的に読み解く1冊となっている。著者がラジオ出演した際に紹介をもとに構成されているので、論点が整理されていて、リーダビリティが高い。アメリカのポップミュージックのメインがヒップホップ、R&Bへ転換していく時代を扱っており、自分の好きなジャンルを深掘りしてくれていてありがたかった。ストリーミングサービスの登場で膨大な量のカタログに簡単にアクセスできるようになった一方で、各作品をじっくり堪能する機会は減ってしまった。しかし、本著のように作品の時代背景を含めて丁寧に紹介してもらえると、改めて聞き直してみたくなるアルバムがいくつもあった。

 その筆頭株がアリアナ・グランデだ。マック・ミラーとのデュエット「The Way」にノックアウトされ、デビューアルバムのCDを買ったことを覚えている。その後は世界的なスターとなり、「ポップシンガー」というイメージを勝手に抱き、新作が出ても何となく流し聞きしているだけだった。しかし、彼女のコンサートで起こったテロ事件や、LGBTQやフェミニズムをめぐる活動など、彼女の背景を知ることで音楽の聞こえ方が大きく変わった。また、彼女のルーツの一つにインディア・アリーがあることを知って、自分が彼女の歌声に惹かれた理由の答え合わせができた気がした。

 もちろん扱われるのはヒップホップやR&Bだけではない。ポップミュージック全体を対象としているからこそ、当時のアメリカ社会を理解する上でも非常に参考になった。なかでも印象的だったのは、テイラー・スウィフトが政治的発言へ踏み込んでいく過程の解説だ。あれほどの国民的アーティストが、自身の政治的スタンスや支持する候補者をSNSで公表するようになった背景には、アメリカ社会の切迫した状況があったことを、本書を読んで初めて実感した。

 日本では少し前に松尾潔のインタビューをめぐり、菊地成孔が怪気炎をあげていたことが記憶に新しい。松尾潔が訴えている内容自体は支持できるものの、まずは自分が関わってきた近しいアーティスト(LDH周りなど)に直接働きかけるところから始めてほしいと感じた。一方でこういった「言わないからダメだ」という踏絵の応酬になってしまうからこそ、インタビューを問題視する菊地成孔の応答も理解できるところがあった。

 第二次トランプ政権はイランとの戦争然り、世界的に大きな悪影響を与えており、対岸の火事ではなくなってしまった。先日見たNetflixのリアリティショー『Queer Eye』のファイナルシーズンもかなりシリアスムードで、今のアメリカのモードが表現されていた。本著を読んでいると、グラミー賞が内紛劇も含めて、時代の空気を表現していることが伝わってきた。今年のBad Bunnyの受賞はトランプ政権の移民政策に対するカウンターだと受け止めることが可能だろう。

 何か問題が起きたとき、沈黙を選ぶことももちろん個人の自由だ。しかし、声を上げた人々の言葉は記録され、記憶され、後の時代へ受け継がれていく。今の社会もまた、そうした先人たちのストラグルの積み重ねの上に成り立っている。本著は、音楽を通してそのことを改めて思い出させてくれたし、自分がおかしいと思ったことには、一市民として声を上げ続けることの大切さを後押ししてくれる1冊だった。

2026年6月29日月曜日

Campanella Oneman live "Optimistic"


 昨日のDaichi Yamamotoの熱が冷めやらぬ中、Campanellaのワンマンを見てきた。そのラップスキルは音源から明らかだが、そのスキルはライブでも同様で圧倒的なラップ力を堪能したライブだった。

 「Mi Yama」からライブはスタートし。JJJによる<ステージは崖みたく尖り そこから言葉が殺し合う>というラインが、ライブの幕開けを宣言しているようだった。続く「Friendskill」でフロアはいきなり爆発。今回のライブは最新作『Cerosia』を中心しながらも、キャリア全体を振り返るような構成となっていた。

 会場はWWWXで、とにかく出音が最高だった。Ramza、shobbieconzを中心としたビートの重低音が鳴り響き、クラブミュージックとしてのヒップホップを体現していた。 坂本龍一サンプリングの「Douglas Fir」がその最たる例で、ストリーミングでは伝わらない音の迫力を感じた。そんな「Douglas Fir」の前にぬるっとステージに現れたのはKID FRESINO。ここでまさかの「Douglas Fir」のKID FRESINOバースによるREMIX!今回初めて聞いたREMIXだったが、Campanellaに負けないラップ巧者っぷりを発揮。そのまま「Puedo」まで続き、序盤から贅沢な展開となった。

 クラブ的アプローチという観点では、レゲエパートも最高だった。Max Romeo「Chase The Devil」のフレーズをまんま日本語に置き換えてる「NANKAIDEMONELL」からの、ダンスホールチューンの「Bell」という流れは抜群だった。

 先のKID FRESINOに限らず、客演陣を迎えたパートはどれも盛り上がっていた。
仙人掌は最新アルバムの「SOFT」で参加。Campanellaの抑制の効いたバースと対照的に、バイブス高いラップでかっこよかった。彼のバースはキャッチーな韻のおかげか、他の曲に比べてシンガロング率が高かった。<さながらプッシャーとマリス>で私も叫びました。

 盟友C.O.S.A.も登場。「Monarch」で破壊力抜群のバースをキックし、身体の大きさそのままにラップがデカいというか、声のアタック力、安定感がケタ違いだった。昨年リリースされたDJ Scratch Niceのアルバム収録曲「Spent Time」も披露。ここで初めて王道のヒップホップビートが鳴ったことで、Campanellaの楽曲のオリジナリティが逆説的に顕著になっていた。

 客演MVPを挙げるなら、鎮座DOPENESSだろう。彼の登場で空気が一変して、一気にお祭りモードへ。「Raga」「concent」の2曲で参加。「concent」の前にビールをCampanellaから促されると「飲むとこの曲はラップできない」と固辞するプロフェッショナルな姿勢を見せつつ、実際にステージを見ると、その言葉を証明するような圧倒的なバースをキックしていた。

 そこへSTUTSが加わり、お祭りムードはさらに加速。始まったのは、なんと「Sticky Step」。今となってはCampanellaと鎮座DOPENESSの組み合わせは鉄板だが、最初に提示したのはSTUTSだった。そして同曲収録の「EUTOPIA」のリリパが同じくWWWXだった、というエピソードがSTUTSから披露されて時の流れを感じた。

 続いて、Daichi Yamamotoが登場し2日連続で「YAMAMOTO」。昨日の彼のライブも圧倒的だったが、WWWXのスケールで見る彼のライブは迫力が倍増。昨日とまったく同じ流れでSTUTS「Expressions」へ。しかし、この日は鎮座DOPENESS、仙人掌まで追加された超豪華バージョン。「Let's get ready to rumble!」と言いたくなるようなマイクリレーの口火を切ったのは、まさかのSTUTS!彼の弾ける笑顔と高いバイブスに呼応するような、各ラッパーのテンションも一気に上がっていた。これだけBPMの速いマイクリレーは最近なかなかないし、このメンツで見れたのはアツかった。最後は最新アルバムから「Bollard」をSTUTSとしっとりと披露していた。

 KID FRESINOは冒頭だけではなく再度登場。「supaflat」が始まる前に、Campanellaは「難しいんだよなぁ」と本音を漏らしながらスタートして、実際に曲の一部をフロウし切れていなかった。KID FRESINOはその様子を見てステージ上で爆笑しながら、自身のバースを見事に蹴り上げていた。ラップ魔神のCampanellaでも苦戦する曲があるのか、と彼の人間性を垣間見た。

 冒頭でもJJJにフォーカスしていたが、再びのJJJパートは「Eye Splice」のRemixが投下されてフロアは大爆発。このテイストのドリルの曲がこんなに神格化されるなんてリリース当時は思ってもみなかった。さらに「Something」、「Filter」も聞くことができた。この日披露されたJJJ関連曲を最後に聞いたのは、JJJ JULY TOURだったので、やり切れない思いが去来しつつも、こうやって曲は歌い継がれることで、JJJは曲の中で生き続けるのだろう。

 そして、個人的に一番感動したのはラストで、まさかの『PEASTA』パート。聞き慣れた「Indigo」のサンプリングネタが流れ、そこから「Indigo」へ。事前インタビューで「ワンマンだからこそできる構成を」と語っていたので、少し期待はしていたものの、まさかやってくれるとは。さらに「YUME no NAKA」、「PEASTA」まで披露されて感無量…Tシャツが震えるような低音にもグッときた。帰り道に久しぶりに聞き直したが、このアルバムのマスターピースとしての佇まいは唯一無二。今年でリリースからちょうど10年のようで、それを記念して披露してくれたのかもしれない。客電がついてライブは終了したものの、あまりにもしっとりしたエンディングだったからか、観客からアンコールの拍手が鳴り止まず、最後にもう1曲だけ「ウワッツラ」を披露していた。

 ラップが上手いラッパーはいくらでもいる。しかし、Campanellaは、その唯一無二のラップが、インダストリアルで実験的なサウンドと結びついた瞬間にしか生まれないオリジナリティを持っている。キャッチーさに頼ることなく、重低音が鳴り響く空間で飄々とラップし、観客を熱狂させる姿はどこか仙人のようだった。次の作品がリリースされるまで時間がかかるかもしれないが、その際にはまたライブに遊びに行きたい。

2026年6月28日日曜日

Kudos:Daichi Yamamoto Live 2026


 昨年の5lackのワンマンで、GAPPERパートの客演として現れたDaichi Yamamoto。そのわずかなパフォーマンスに心を奪われ、「いつかワンマンを見たい」と思っていた。その機会がようやく訪れて、やっと今回見ることができた。

 日本語ラップのライブでここまでのクオリティのショウが見られる時代になったのかと感慨深くなった。ラップが圧倒的に上手いことは当然として、ブラックミュージックであるヒップホップのレガシーを現代的な形で体現するショウケース。グローバルに見ても、ここまで完成度の高いライブを成立させられるラッパーは決して多くないだろう。日本語ラップを好きで良かったと心から思えるライブだった。

 1曲目は最新アルバム『Secure+』の「Central Line」。まず驚いたのは圧倒的なシンガロング率だった。生音ベースが躍動するドラムンベースの曲で、どちらかと言えば渋めの印象を持っていたが、会場は爆発していた。続く「Orange Juice」でもシンガロング率は圧倒的で、MVになったり、バズった曲だけではなく、アーティストに対する愛に溢れた観客のロイヤリティの高さと熱量に胸を打たれた。

 とにかくラップ力がハンパではない。これまで見てきたラッパーの中でも間違いなく五本の指に入るレベルだ。自身の技巧を見せつけるのではなく、キャッチーなバースも複雑なフロウも軽々と駆け抜けていく。その自然体なスタイルは唯一無二だ。個人的には、2026年のベストバース候補であるWatson「スーパーレア」のバースを開始早々に聞くことができて十分満足だった…が、それはこの日の序章に過ぎなかった。

 ライブは、キーボード、トークボックスにKzyboost、DJ、マニピュレーターにPhennel Koriander、コーラスとしてMika Arisaka、Bobby Bellwood(ことsauce81)という編成。ヒップホップのライブとしてはかなりトリッキーな編成だが、この布陣こそがDaichi Yamamotoのライブの何倍も魅力的なものにするキーファクターである。

 まずは、Kzyboost。トークボックスによる絶妙なアレンジが既存曲に新たな表情を与えていた。特にSTUTS & ZOT on the WAVE「Perfect Blue」はメロウネスが際立っていたし、この日のハイライトの一つである「Wanna Ride」ではトークボクサーとしての力量を存分に発揮していた。オートチューン全盛の時代に、ここまでトークボックスをライブの核として機能させるラッパーは世界的にも珍しい。

 そして、コーラス部隊も素晴らしかった。この2人がコーラスを務めていることの贅沢さは、往年のJazzy Sportヘッズであれば共感してくれるだろう。ラッパーのライブにおけるコーラス部隊は不思議な組み合わせに映るが、歌の力は楽曲に奥行きを与えていた。ラッパーが歌うようにラップするようになった結果、シンガーとラッパーが共演するケースは昔に比べて減っているものの、餅は餅屋という言葉のとおり、シンガーだからこその迫力がある。

 それが最も顕著だったのは「Brown Paper Bag」である。1stアルバムの曲で、すっかり記憶から抜け落ちてたいのだが、D’Angelo「Brown Sugar」を下敷きにした楽曲の魅力をコーラスが最大限に引き出し、鳥肌が立つほどのグルーヴを生み出していた。

 原曲でもMika Arisakaが参加している「なんとかなるさ」では、音源では抑えめだったコーラスがが全開。ダイナミックな歌声が会場に鳴り響き、この曲の持つエモーショナルなバイブスを一層高めていた。他にもgroovemanspot「Power」、STUTS & Julia Wu「With U 」といった曲でも存在感は抜群で、このライブの裏MVPと言っても過言ではないだろう。

 客演陣も豪華だった。前半では最近の多岐にわたるコネクションの中で、Kianna、Benjazzyが登場。特にKiannaをこのタイミングで見ることができたことは嬉しかった。後半にかけてはCampanella、STUTS、KID FRESINOといったお馴染みのメンツが登場。Campanellaも含めたSTUTS「Expression」やKID FRESINOとの「Let It Be」など、この日ならではの共演を楽しめた。KID FRESINOとは新曲も披露されており、今後の展開が楽しみである。

 客演ではないが、Daichi Yamamotoといえば、JJJとの曲が切っても切り離せない。2人が共作した名盤「Radiant」からは「ガラスの京都」、「OTO」が披露された。特に「ガラスの京都」は批評家・中村拓哉氏のポッドキャスト番組「ひとりりある」でアウトロのスクラッチの元ネタが紹介されており、それもあいまってエモーショナルな気持ちになった。そのスクラッチを担当した、DJ Scratch Niceにシャウトを送るDaichi Yamamotoの律儀さにもグッときた。

 DJ Scratch Niceといえば、彼の最新アルバムに収録された「Phase」も披露。JJJの2バース目は彼の死後、より意義深いものになったことを踏まえるかのように、ラップをかぶせることなく、JJJの声が会場に鳴り響いていた。一方で「Taxi」ではJJJのバースまでしっかり蹴っていて、こういった細かな押し引きが、彼のJJJへのリスペクトと、ライブに対する意識の高さが伝わってきた。

 キャリアを振り返るようなセットリストを聞いて感じたのは、KMとJJJという日本語ラップを代表するプロデューサーがこれだけコミットしているラッパーは他にはいないということだ。JJJの声によるKMのサウンドタグがDaichi Yamamotoのライブで鳴る瞬間、その三者によるトライアングルほど特別なものはない。それは、この日の会場の熱狂が何より証明していた。

 Daichi Yamamotoの最大の魅力は、ブラックミュージックに対する温故知新の姿勢にある。リリックで本人が言及しているとおり、過去や先人に対するリスペクトが多いに持ちながら、自身がミックスという立場も含めて、ブラックミュージックを経由しながら日本語ラップを更新していく力強い意志を作品から感じる。前述のD'Angeloオマージュ然り、「Orange Juice」のフックにおけるOutkast「Ms.Jackson」の引用などは象徴的なものである。ライブの編成も、ラッパーという枠を超え、一人の音楽家として表現を追求するためのものであろう。

 アンコールはSTUTSとの「Cage Birds」で大団円。繰り返された<Higher>というフレーズはDaichi Yamamoto自身の尽きることのない向上心そのもののようだった。年明けには武道館が決定したらしく、このスタイルでどこまでも突き抜けてほしい。

2026年6月26日金曜日

ディアンジェロ: ヒップホップ世代が生み落とした未来のソウル

ディアンジェロ: ヒップホップ世代が生み落とした未来のソウル

 ディアンジェロが亡くなったときの喪失感は、海外のアーティストではこれまで味わったことのない類のものだった。そんな落ち込んだ状態の中で、SNS上の雑な言説にバッティングしたことでさらに気持ちが沈んだ。その気持ちをなんとか整理したく読んだのが、『ディアンジェロ《ヴードゥー》がかけたグルーヴの呪文』だった。本著は、そんな気持ちをさらに癒してくれるかと思って読んだところ、圧倒的な内容で感動した。

 ディアンジェロの来歴、関係者へのインタビュー、国内ミュージシャンのインタビューと対談、ディスクガイド、批評まで網羅的にまとめられた1冊。ここまで充実した内容でこの値段は正直破格だと思う。

 本著が体現しているのは、ディアンジェロがいかに豊かなコンテキストに溢れたアーティストであるかということだ。「ブラックミュージック」と一口に言っても、さまざまな要素を含むわけだが、彼はその膨大な歴史を吸収し、自らの表現へと昇華した稀有なアーティストである。そんな歩みを時間という縦軸と、周辺人物という横軸の両面から深掘りしている。

 個人的には冒頭のインタビュー2連発で心を掴まれた。まずは久保田利伸である。ディアンジェロの歌にフォーカスして語れる人間として、これ以上ない人選である。実際、久保田利伸はディアンジェロ含むソウルクエリアンズと同時代に生きて、一緒に音楽を作っていた張本人であり、その証言の数々のどれもが目から鱗だった。(ディラビートに心酔した話がアツい。)他にもディアンジェロと直接関係ないものの、アメリカでアジア人がR&Bシンガーとして活動することへの周囲の反応や、ミュージック・ソウルチャイルドに対する評価なども興味深かった。

 そして、もう1人がRHYMSTERのDJ JINである。今の私の音楽の嗜好性は、彼によって構築されたと言っても過言ではない。RHYMESTERがレギュラーを務めていたTOKYO FM『WANTED!』の番組内で毎週30分弱くらいDJ JINによるミックスが放送されていた。当時、日本語ラップは聞いていたものの、海外のヒップホップをほとんど知らない私が、ディアンジェロやソウルクエリアンズと出会ったのは彼がきっかけだからである。だからこそ、DJ JINによるDJ、ビートメイカー視点で語られるディアンジェロの話は至極だった。ディアンジェロはジャンルに縛られず、古い音楽を咀嚼しながら新しい表現へと更新していたわけだが、DJ JINもbreakthroughを筆頭に音楽のクロスオーバーを率先して体現してきたキャリアがある。それゆえの共鳴具合がインタビュー全体から伝わってきた。ディアンジェロ特集で、この2名を抜擢する編集センスには脱帽するしかない。

 押野素子氏による関係者インタビュー群が、本著のハイライトだ。本人が多くを語らないアーティストだったからこそ、周囲の証言から浮かび上がる人物像はどれも貴重で、ページをめくる手が止まらなかった。ネット上ではまず得られない情報が、日本語でこれほどまとまって読めること自体が奇跡のように思える。さらに、押野氏自身がディアンジェロ初来日時のアテンドを務めていたこともあり、その経験を語る本人インタビューまで収録されている。まさに歴史的証言と言っていい内容だった。

 ディスクガイドも充実しており、ソウルクエリアンズ周辺作品まで幅広く網羅している。個人的にありがたかったのは、参加曲や提供曲のリストである。3枚のオリジナルアルバムはそれこそ穴が空くほど聞いてきた一方で、参加曲や提供曲は点在していて追いきれていなかった。今回まとめてくれているおかげでプレイリストにして楽しんでいる。

 ディアンジェロが好きな人にとっては買って損なし、一家に一冊必携レベルの決定版なので、読んでいない人は一刻も早く読んでみてほしい。

2026年6月23日火曜日

レコード店の文化史

レコード店の文化史

 ディスクユニオンに立ち寄った際に見かけて気になったので読んだ。ストリーミングサービスのおかげで月額1000円程度で膨大なカタログにアクセスできる時代において、レコードを含めてフィジカルなものを買う場所の意味を改めて考えさせてくれる一冊だった。

 本著には、学者やジャーナリストを中心に、レコード店という場所をめぐるさまざまな論考が掲載されている。対象は欧米諸国だけではなく、日本を含む世界各国に及んでおり、たとえばルーマニアやナイジェリアは、社会情勢に応じてレコード販売の形態が変化しており、政治と生活が直結している様がありありと描かれていた。

 レコード店とコミュニティについて非常にたくさんの事例が載っている。それらを読んでいると、大阪に住んでいた頃、アメリカ村のレコード屋に足繁く通っていたことを思い出した。当時はSERATO登場前夜で、レコードでDJしていた。お店にはクールな大人たちがたくさんいて、そこに置いてある未知の音楽を持ち帰り、家で針を落として聞く瞬間は独特の高揚感があった。

 SNSで知った音楽をストリーミングで聴く現在のスタイルも、本質的には同じようなプロセスである。しかし、両者の違いがあるとすれば、コミュニケーションの濃度だろう。こういうことを言っていると老害扱いされそうな上に、ストリーミングサービスの恩恵を受けまくっているので、今の状況を否定するつもりはない。それでも、音楽にまつわるフィジカルな体験は失われて欲しくない文化だと本著を通じて再認識した。

 全体としてロックミュージックについて書かれている論考が多いものの、ニューオリンズのヒップホップレコード店やロンドンのレゲエレコード店など、ブラックミュージックに関する章は個人的な興味の範囲なので特にオモシロかった。

 ニューオリンズの章では、ヒップホップのローカルなスタイル(バウンス)を下支えしているショップの役割やハリケーン・カトリーナが地域文化に与えたインパクトの大きさなどが多角的に描かれていた。一方、ロンドンのレゲエレコード店を扱った章は、移民と音楽をめぐる論考となっている。社会的に抑圧される人々にとって、レコード店や音楽がコミュニティを支える装置として機能していたことが示されており、音楽が連帯を生み出す力をあらためて感じた。

 レコードの製造についても知らないことが多かった。日本やニュージーランドがそれぞれの事情で国内プレスを行っていた背景は興味深い。日本では海外アーティストの国内プレス盤はオリジナルではないから価値が低いとされてきたようだが、今や日本のレコード帯カルチャーは海外に逆輸入されていて価値の転換が起こっている。また、ニュージーランドについては過去に関税の影響から自国プレスが発展した歴史が興味深く、最近の関税をめぐる混乱を想起した。このように歴史を踏まえると現在の状況も解像度高く理解できるので、本著のような視点は貴重である。

 学術的な論考が多い中でも、いくつか収録されているエッセイも興味深い。特に印象的だったのは、イランで西洋音楽を聞く方法について書かれたエッセイだった。イラン革命後の抑圧的な状況が音楽を通じて語られており、政治や社会の変化を肌感覚で理解できる。現在はある程度状況が改善しているようだが、ヒップホップだけは依然として警戒されているという。その事実は、逆説的にヒップホップの持つ影響力の大きさを示しているように思えた。

 レコード店を巡る物語といえば『ハイ・フィデリティ』は外せない。映画ではレコード屋の店員が特定の音楽の趣味に応じた立ち振る舞いを繰り広げていたことが記憶に残っている。(『ブラスト公論』で知ったのも懐かしい話だ。)そんな『ハイ・フィデリティ』が2020年にドラマ版としてリメイクされており、小説、映画、ドラマと時代を通じて変遷したきた内容を考察していた。ドラマ版が現在はストリーミングで配信されていないようだが、どこかで見れたらいいな…また、『ハイ・フィデリティ』に象徴されるレコード店のボーイズクラブ的なノリに対して女性店員から提示されている視点は、男性として理解が及んでいないことだった。

 最近は子どもの習い事の待ち時間にディスクユニオンでサクッと見るレベルのディグしかできていない。そんな短い時間の中でも思わぬ出会いがあり、アドレナリンが出まくるからレコード蒐集はやめられない。せっかく東京に出やすい環境にいるので、インディペンデントなレコード店にも足を運びたいと思わせられた。