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| 2011年の棚橋弘至と中邑真輔/柳澤健 |
いくつかKindleで積んでいる柳澤健による『〇〇年の〜』シリーズ。先月、コンビニでプロレス雑誌を見かけたのだが、そこに踊っていたのは「棚橋、引退」の文字だった。それをきっかけに本著を読んだ。著者の作品を読むのは5冊目になるが、これが一番好きだった。なぜなら、自分が子どもの頃にど真ん中で見ていた新日本プロレスの物語だったから。当時は理解できていなかった背景、新日本プロレス再生の道程を知り打ち震えた。
本著は、棚橋弘至と中邑真輔という二人のレスラーを軸に、2000年代から2010年代の新日本プロレスを描くドキュメンタリーである。当時の新日本は総合格闘技(MMA)隆盛のあおりを受け、その棲み分けの過渡期にあり、厳しい状況が続いていた。そんな中で二人の若者が文字どおり地べたを這いつくばって、自らの愛する団体を再び輝かせるために試行錯誤する。その歩みが、個別の章から徐々に交差し、やがて結実していく構成は見事というほかない。
黒いショートタイツと黒いリングシューズに象徴されるストロングスタイル。そのストイックに強さを誇示していく姿勢に惹かれ、カール・ゴッチを始祖としたストロングスタイルを継承する西村、柴田、後藤らがマイフェイバリットレスラーだった。ゆえに当時の棚橋はアウトオブ眼中で、彼が新日本の中心に来たころ、ちょうどMMAが隆盛するタイミングでプロレスから離れてしまったが、その後にこんなにアツい展開があったなんて…やはり冬の時代だとしても、自分が好きなら変わらず見続けることが大事だと痛感した。底辺から頂点までかけ上がっていくのを一緒に伴走することは、お金で買えない時間がもたらす最高の醍醐味だからだ。
太陽と月のような二人だからこそ、プロレス観の陰影がくっきりと浮かび上がり、その対照性に魅了される。そして、その中心にどう転んでも存在するのがアントニオ猪木だ。棚橋は一貫して反猪木でエンタメとしてのプロレスを追求していた。一方、中邑は猪木の掲げる「プロレスラーが最強」という思想を体現する舎弟として登場した、しかし、総合格闘技をマージしたスタイルでは結果を出し切れない。しかし、そこから自分のプロレスラーとしての自我をか獲得していき、最終的にエンタメプロレス最高峰であるWWEまで到達するのだから人生どうなるかわからないものである。しかも、必殺技の名前が「ボマイェ(今はキンシャサ)」という猪木へのオマージュという逆説も素晴らしい。つまり、「King of Strong style」という中邑オリジナルのスタイルで、猪木の象徴であるストロングスタイルを再定義、更新しているのだ。
棚橋パートで最も興味深かったのは、本人の卓越した言語化能力である。現役レスラーとして連載を持ち、そこで現状のプロレスを高い解像度で自ら分析、言語化していたことには驚いた。本著では、彼の思考を思う存分、堪能できる。ビジネス論であり、アート論でもあり、プロレスをあらゆる角度から検証し、「自分に何ができるか?」を考え続ける姿勢から深いプロレス愛をひしひしと感じた。引退後、新日本プロレスの代表取締役に就任したというのも、レスラーよりも天職かもしれないと思わされた。
様々な第三者の視点も二人の物語を肉付けする重要なファクターだ。不遇の世代である永田や真壁の客観的評価や、観客代表であるユリオカ超特Q、ハチミツ二郎まで取り入れる大胆さ。特に中邑のチャプターへ突入する直前のユリオカ超特Q(と著者)による刃牙オマージュが最高。
さらにと当人たちのインタビューをふんだんに取り入れていることも、私がこれまで読んできた柳澤作品になかった特徴である。たとえば『1984年のUWF』では当人取材なしのアプローチが議論を呼んだわけだが、本著はプロレスファンの多くが納得するであろう圧巻の情報量と整理力で目から鱗だった。試合描写はもちろんこれまでの作品と同じく素晴らしい。前半は試合描写を抑えめにして、ここぞという場面で細かく描いていくあたりの緩急も抜群で、著者の作品を読んでいると、試合を見ていないにも関わらず、毎回見たような気持ちになるのだから不思議である。
今回は評伝的要素ももちろんあるが、新日本プロレス史でもある。特に子どもの頃に理解できていなかったプロレスにおける表向き人事の裏でうごめく政治的力学が興味深かった。橋本小川の件、猪木の横暴っぷり、坂口から藤浪への権限移行、武藤と小島の全日移籍など、すべてに意味があり、そこには泥臭い人間ドラマが背景にある。
大人になった今その背景を知ると会社人事そのものだ。プロレスは「勝ち負け決まっているヤラセでしょ?」と揶揄されるが、会社の人事も一事が万事、「根回し」という名のヤラセが事前に行われた上で決裁される。MMAが等身大の人間ドラマだとすれば、プロレスには「政治」という別ベクトルの人間ドラマがあることに今さらながら気づかされた。
ラストの西加奈子の解説も素晴らしい。プロレスファンが抱えてきたアンビバレントな感情を見事に言語化している。彼女がかつて同じタイミングでプロレスから離れていたこと、そして再び魅了された理由が、棚橋と中邑の切り拓いた「開かれた世界」にあったこと。プロレスを改めて見てみようかなと、プロレス熱に再びを火を灯してくれる最高にアツい一冊だった。





