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| 名前のないカフェ/ローベルト・ゼータラー |
すっかり新潮クレストでお馴染みの作家となったローベルト・ゼータラーの最新作ということで読んだ。過去作と同様、市井の人々を見つめた素朴な作品で「いい本を読んだな」というしみじみとした余韻が残った。
主人公は天涯孤独な男性で、日雇い労働からカフェ経営へジョブチェンジ。物語は、カフェ店主となった主人公を中心に、周辺の人物たちを三人称で描いていく。これまでの作品でも、なんでもない人生にフォーカスし、その情緒を細やかに描き出していくというスタイルが印象的だったが、本著でもその持ち味は健在だ。1960年代のオーストリアで営まれる人々の生活がみずみずしく伝わってきて、場所と時間の両方を超えて、その世界にトリップさせられる。
松浦弥太郎が背表紙にコメントを寄せていることから「丁寧な暮らし」的な作品を想起する人もいるかもしれない。確かにそういった側面はありつつも、人生に影を差すような出来事が何度か差し込まれる。しかも、その内容が「カフェにおける群像劇」という主題からするとハードな内容で驚いた。戦後まもないという時代設定が影響しているのだろうが、こうしたところに日本の作家と異なり、海外文学を読む醍醐味があると言えるだろう。
前作『野原』に近いアプローチで、カフェを訪れるさまざまな人物を描きながら、そのカフェがある市場全体へと視野を広げていく筆致が見事。プロレスラー、飲んだくれ、カフェのバイト、向かいの肉屋さんなど、本当にいろんな人がいて、それぞれの人生を生きている。当たり前の事実なのだが、それを物語として立体的に見せてくれるからこそ読んでて楽しい。
ギミックとして興味深かったのは、音楽のアルバムにおけるインタールードよろしく合間に挟まれるマダム同士の井戸端会議だ。、未改行ベタうち、鉤括弧もなく、2人の会話がつらつらと書かれているのだが、これが物語に対していいスパイスとなっている。ともすれば平坦になりがちな「カフェでの日常」の描写に対して、文体のユニークさで起伏をつけている。
さらにそんな何気ない日常から著者は人生の本質と思えることを抽出し、鋭くクリティカルな言葉として小説にねじ込んでいる。特に人生を俯瞰したような格言めいた言葉の数々にくらった。ビジネス書の格言等は忌避しているが、こうして小説の中で生きている登場人物、つまり親近感を抱ける存在の口から語られるからこそ響くものがある。主人公がアラフォーであり、自分のビジネスにストラグルしている姿に自分を重ねたことも大きいのだが。部分的に読んでも刺さらないかもしれないが、いくつか引用しておく。
父がいつも言ってたのを憶えてる。振り返るな、人生はお前の前にあるんだって。でもいまとなっては未来より過去のほうがずっと長いじゃない。もうなんにもないのに、前を見てどうするのよ?
ときどき遅くまでベッドから出ずにほかの部屋からの物音を聞いていると、気づかないうちに人生は自分の脇を通り過ぎてしまったのではないかという疑念に囚われた。自分に残されたものはこの世にもうなにひとつないのでは、と。






