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| valknee issue vol.1 |
ラッパー自らが紙でZINEをリリースする時代に突入している。ということで読んだのは、先日アルバム『GEAR』をリリースしたvalkneeによるZINE第一弾。全ページフルカラーとはいえ、若干お高め…と思っていたものの、今の時代に音楽を聞くことの多層性を拡張する、お値段以上の素晴らしい試みだと読み終わってから感じた。
新しいアルバム『GEAR』について多角的に深堀りした一冊となっている。「今、音楽をアルバム単位で聞いている人はどれだけいるのか?」と、音楽好きな友人たちとよく話す。アルバム単位でどうのこうの言っているのはコアなリスナーだけであり、プラットフォームの構造上もいかに曲単位でヒットを作れるか?という競争が促進されている。毎週のように新譜がリリースされ、リスナーはプレイリストで供給される新譜を聞いて、半年も経てば曲の鮮度は落ちてしまう。
そんな流行り廃りの早い時代において、アーティストたちはさまざまな方法で、リスナーが聞くきっかけを作ろうとプロモーションを繰り返すわけだが、valkneeが今回提示しているのは紙媒体のZINEというフォーマットである。インタビュー、セルフライナーノーツ、クロスレビュー、エッセイ、ルックなど、さまざまな角度で『GEAR』という作品に迫っている。アーティストとしてのvalkneeをどう表現すればいいか、その試行錯誤の様子が伺える。メタ視点で見たvalkneeと、主観的に譲れないポイントでせめぎ合った結果として作品が生まれており、インディペンデントでやっていく上での矜持が随所から伝わってきた。
ライターのつやちゃんが企画・監修で併走していることもあり、雑誌としてのクオリティが高い。ビジュアルブックとしての面白さと、読み物としての面白さの両方を抑えており、そのバランスの良さから昔の雑誌を思い出して懐かしい気持ちにもなった。本人が最後のエッセイで触れているとおりショート動画を筆頭にインスタントな消費が繰り返される中で、すべてが真逆のアプローチではあるものの、活字中毒者としてはたまらないものがあった。
ラジオやさんごっこのエピソードで、このZINEが紹介されていた際、星野源『YELLOW MAGAZINE』がモデルの一つにあるとのことだった。アーティストたちは「言いたいことは曲にすべて込めています」と言って自己開示しないケースも増えているが、本当にそうなのか?と問うているようなZINEである。伝えたいことがない、もしくはあったとしても、ちょうどよく届く媒体がないから、そう言っているだけなのではないか?と思わされるほど、ZINEとアーティストの相性の良さを今回読んで感じた。他のラッパーもこうしたZINEを作ってみて欲しい。
一番興味深かったのはクロスレビューである。これを読む前に自分でもレビューを書いていたので、掲載されたレビューと読み比べて楽しんだ。参加している書き手の顔ぶれもユニークで、valkneeの音楽との距離感に応じた様々なスタイルのレビューが並んでおり、読んでいると同じ音楽を聞いても感じ方はまるで異なる、という当たり前の事実に気付かされる。SNS時代では影響力の大きい人の短い言葉が「正解」として一人歩きすることも多い中、こうやって各人がアルバムに向き合って長い文章を書くことの尊さよ。雑誌のクロスレビューとは異なり、各人に必然性があるからこそ、23分と短いアルバムながらも、そこにある深さが理解できる仕様となっている。
なかでも中條千春によるレビューがかっこよく惚れ惚れした。冒頭でGEAR=社会における歯車(ピース)というアナロジーを提示し、終盤にギアとエンジンを対比させながら、ギアの重要性を主張していく鮮やかさに唸った。
日本語ラップは一人称の音楽であるゆえに、それを解釈し、言語化することが野暮だという意見が根強くある。なぜなら一人称である以上、「本人の意図したことが正解だ」という主張が成立するからだ。果たして、本当にそうなのだろうか?アーティストが作品に残した意味を汲み取り、解釈する行為によって、本当の意味で作品が完成するのではないか?最近そうした主張の本をいくつか読んでいることもあり、valkneeの試みに連帯を示したくなった。
ラストにある本人のエッセイも気合いを感じる素晴らしいステートメントのようだ。アーティストとして活動することのリアルが詰まっていた。特に自身の環境分析が興味深く、周囲に対してこれだけ客観的な視点を持つことができる、その鋭い眼差しこそがvalkneeをvalknee たらしめている気がした。活字中毒の日本語ラップファンはマストで読むべきZINE。






