2022年10月28日金曜日

日本語ラップ名盤100

 

日本語ラップ名盤100/韻踏み夫

 日本語ラップのディスクガイドが出たということで読んでみた。20年近くある程度まんべんなく、ときに深く日本語ラップを聞いてきた人生なので90年代-2020年代までを一気に振り返ることができて楽しかった。と同時にこの手のセレクションについては個人的思い入れと反比例する部分が少なからず発生する。そこで「はぁ?」と思うのではなく「なるほど、そういう史観なんですね」とある程度冷静に見れるようになった点は少し大人になったと思う。

 本著の前に100作品を直近で選んだのはミュージックマガジン2016年7月号で冒頭にもあるように、その時のセレクションに偏りを感じた著者が筆を取ったのがことの経緯。そのミュージックマガジン内でそのガス抜きを担ったのはCreepy NutsとDOTAMAなのは隔世の感…それはともかく彼らと著者の方向性としては近く、音楽としての「JAPANESE HIPHOP」よりも「日本語ラップ」という史観で選ばれていると思われる。つまりはリリック重視。個人的にはどんだけリリックがおもしろかろうが、ビートがダサいと音楽として楽しめず好きになれないので、その点は著者と意見が違う点が多々あった。また1ラッパー1枚ルールが設けているとしても、それは選ばないなと思うことも何度かあった。とはいえ著者が繰り返し本著内で言及している通りこの音楽は一人称が全てであり、それはプレイヤーに限らずリスナーにも同じことが言える。なので意見の相違は当然であり、この違いこそが細分化したがゆえの楽しさだと思う。

 本著の優れている点は間口を広げたところにあると思う。各アーティストの概要、略歴をタイトな文章で過不足なく書かれており入門書として最適。また100となっているものの実際には1枚ごとに関連作2枚がついているので計300枚収録されており、すべて聞けば一つの日本語ラップの歴史が組み上がる点ではここ最近の盛り上がりで好きになった人には大いに役立つはず。しかも今はストリーミングでほとんどがサクッと検索できて聞ける。著者のブログや他の記事ではさまざまな観点から日本語ラップに関する批評を行なっており、その片鱗を最後の段落で見せるのはユニークな仕掛けだと思う。急にギアが変わる感じで歴戦の玄人たちもこの視点を受けてもう一度聞いてみたくなるように仕掛けられている。自分で100枚選ぶのも楽しそうなので時間を見つけて挑戦したい。

2022年10月24日月曜日

THE MARATHON DON’T STOP THE LIFE AND TIMES OF NIPSEY HUSSLE

 

THE MARATHON DON’T STOP THE LIFE AND TIMES OF NIPSEY HUSSLE

 英語の勉強の一環として、英語で本を読むということ自分に課して読み始めて読了…内容どうこうより読了できたことが素直に嬉しい。Kindleの辞書機能があってこそなので電子書籍に感謝。そして読了できたのは何よりもNipsey Hussleというラッパーの魅力が存分に発揮されているから。これは邦訳したら絶対に当たる、と自信を持って言えるほどにめちゃくちゃオモシロかった。

 いわゆる自伝もので幼少期から亡くなるそのときまでを膨大な本人素材、関係者の証言を基に描き出している。個人的なNipsey Hussleの思い出といえば、やはりmixtape。まだストリーミングサービスが始まる前、USのヒップホップシーンではmixtapeという形で無料のアルバムをリリースしてて名前を上げていくカルチャーがあった。その中でNipsey Hussleはクオリティの高い部類にあり自分としてもよく聞いていた。その後、他のラッパーに比べて熱心に追いかけないままVictory Lapを聞き、かっこいいなと思う程度の思い入れだったけど、本著を読んでめちゃくちゃ好きになった。普段USのヒップホップを聞くとき、ビートの質感やラップのフロウを楽しみ、次にリリックという感じだけど、さらにアーティストのバックグラウンド、周辺情報を踏まえて聞くだけでこんだけ響きが変わるのかと思うと最近の音楽に関する「消費」速度の速さは勿体ないことをしているのかもしれない。

 本著では表面的なキャリアを追いかけるのではなく、なぜNipesy Hussleが他のラッパーと比べても偉大な存在なのか?を丁寧に解きほぐしているところが最大の特徴。たとえば彼はギャングカルチャーの中で育ったので、LAにおけるギャングカルチャーの成り立ちを解説していたりする。そこには丹念な取材の成果があり、読み進めれば進めるほど読者がより身近に彼を感じられるようになっている。

 タイトルにもあるように彼には人生におけるコンセプトがあり、それがTHE MARATHON CONTINUES、略してTMC。とにかく続けていく、そしてパッションを失わないことが何よりも大事だと繰り返し伝えている。それを自分の人生、キャリアで証明していくのがカッコ良すぎる。よく聞くHIPHOPの成り上がりストーリーかと思いきや彼が特異なのはその時間。自分のやりたくないことや、自分のコントロール下におけないことについて一切妥協せず、ひたすらDIY、仲間およびHoodへの還元を求めて走りつづけて最後にはしっかり成功する。しかも最初のスタジオアルバム(ミックス、マスタリングを施したアルバムの意)のタイトルがVICTORY LAPなんて粋すぎる!

 「仲間、Hoodに還元する」ことはヒップホップカルチャーのベースにある考えだと思うけど、Nipseyのスタイルは規格外でビルを買ったりHoodの子どもたちがSTEM(Science, technology, engineering, and mathematics)へアクセスしやすくなる環境を用意してギャングのカルマから抜け出せる仕掛けを用意したり。ラッパーというよりアントレプレナーに近いものがあり、キャリア初期でJay-Zがfeelして彼のCDを10,000ドルで買ったのも納得できる。そして彼が示したヒップホップにおけるビジネススタイルはここ日本でもBADHOP、ZORNなどに大きく影響を与えていると思われる。

 ヒップホップの自伝ものといえば、とにかくサイドストーリーが最高に楽しい。XXLのフレッシュマンのカバー撮影で黒の衣装を着用するようお願いされるものの青を貫き通す話、Curren$y が保釈中のNipseyをステージに上げてラップさせた話、リリース前の”Rap Niggaz”を聞いたDiddyからお前のサウンドには鳴りが足りないよと”Natural Born Killaz”を聞かされる話、Straight Outta ComptonでSnoop役をオファーされるも自分は音楽で何者にもなれていないから断った話など挙げればキリない。ヒップホップを愛しヒップホップに愛された男なんだなということがビシバシ伝わってきた。実際、JAY-ZとSnoop Dogという東西両巨頭にこれだけ愛されたラッパーはいないと思う。

彼は自分の店の前で射殺されてしまうのだけど当時の状況について目撃者の証言、裁判での展開などを交えてかなりスリリングに描いていて、ここは一種のサスペンスのような迫力があったし既に亡くなっていることは分かっているものの強烈な喪失感に襲われた。全く当事者性の無い日本の読者でこの気持ちになるのだったらHoodのみんなは一体どれほどの悲しみに包まれたのだろう。曲の中で自分の葬式のときの話をしたりしているのを聞くと、そういうところでもvisionaryだったのかと。。。最後にプロデューサー・エンジニアのRalo Stylezの言葉を引用する。

It’s not even a Marathon no more. It’s a relay. Nipsey definitely passed the baton to a lot of people. He empowered a lot of people.

2022年10月17日月曜日

哲学の門前

哲学の門前/吉川 浩満

 購読しているブログやcero高城氏のインスタのポストで知って読んだ。タイトルどおり哲学の手前での議論がオモシロかった。めちゃくちゃ読みやすい文章なんだけど内容は骨太なタイプで読んでいて楽しかった。

 哲学の本なのか?と言われると難しく、取り止めのない話をきっかけとして思考を展開していくという意味で哲学的なアプローチのエッセイと言えるかと思う。(構成としてもエピソード+論考の二段構えで口語と丁寧語でスイッチしている)このスタイルだからこそ普段私たちが暮らしている中に哲学がある、という話に納得できた。普段は意識せずに色んなことが脳内をフロウしていて整理できないまま流れていくことが多いけど、こうやって立ち止まって「どういうこと?」といろんな角度から眺めてみる作業が重要だと感じた。SNS含めて他人のことばかり気にしている時間が多く、自分の人生、好きなことにコミットしていきたいと思う。

 いろんなトピックがあって就活におけるコミュニケーション能力の欺瞞、政治スタンスの右左の分け方に対する考察など興味深い話のつるべ打ちなんだけど、一番うおっと思ったのは以下二つのライン。

私が忘れていたのは、まず、議論は生活(おおげさに人生と言ってもいい)の一部であり、その逆ではないという単純な事実である。議論のテーブルについた者どうしのあいだでは、当然ナガエア議論が成り立ちうる。だが、相手にはそのテーブル自体を拒否する自由があるのだ。相手がつきたくないようなテーブルをわざわざ用意しておいて、どうしてテーブルについてくれないのかと文句を言うのは筋違いであろう。

素人にとって大事なのはむしろ、どんな時に、どんな場合に、どんな仕事を専門家に頼めばよいか知ることではないでしょうか。つまり、専門家と親しい素人になること。

 前者は身につまされる話で仕事でもプライベートでもこういう過ちを繰り返して生きているのだけど全然治らない…今回このように言語化されたことで眼前に迫ってきたのでなるべく避けていきたいと思う。後者については、専門家と素人の距離感の話で特に仕事で活用できそうな考え方だと思う。餅は餅屋だなとつくづく思いつつ、自分も何かの餅は持っておきたい。何か答えが用意されているわけではなく思考が広がっていく貴重な読書体験だった。

2022年10月6日木曜日

偶然の散歩

偶然の散歩/森田真生

 最近本屋で全然本を買っていないなと思いたち本屋へ行った際に見つけて、この自分の行動にマッチしていると感じてタイトル買いした。著者の「数学する〜」シリーズはいくつか読んでいたが、本作はエッセイで他作よりも軽やかで読みやすかった。

 お子さんとの日々の生活を軸にして、数学ひいては科学の観点から思考を展開していくところがオモシロい。特に視点とスケールの移動が楽しくて、宇宙に思いを馳せることもあれば、庭の生物を見ていたり、さらには人間の身体が幾千もの細菌で構成されていることを考えたり。硬い内容を解きほぐして行間たっぷりの朴訥な語り口で書かれているので心が浄化されるような気持ちになった。自分が生き急いでいるとは思わないものの、日々のあれこれに気を取られて何か大切なことを見失っているのかもしれないと子どもが生まれてからは特に考えるようになり、そういった雑念との付き合い方について改めて考えさせられた。

 著者が稀有な点は科学的なことをいわゆる文系の語り口に収めることができる点だと思う。この安易な二項対立はもはや機能していないとは思うものの、自分自身が理系出身で文系チックなものに惹かれがち。ゆえに著者の言葉がパンチラインとして心に響くことが多い。いくつか引用。

あっちへ走り、こっちへと駆け、ズデンところんではぎゃあと泣きながら、子どもは身体の知性を鍛える。それに比べ、ちっとも転ばなくなってしまった自分は、どこか停滞しているのかもしれないと思う。

自分が主体的に変わらなくても、便利なサービスのほうがこちらに寄り添ってきてくれる時代に、それでもあえて時間とコストを割いて主体的に自己を変容させていくこと。その意味と喜びをいつかはきちんと伝えたいと思いながら、今日も息子の手の届かない場所に、スマホをしまっておく。

知性は身体や、それを囲む社会や文脈の中で初めて生きる。個人としての知識を蓄えるだけなら、いまより効率のいい方法はいくらでもある。

自分の存在が何に依存しているかを精緻に描写していくことは、いまあることの「ありがたさ」に目覚めていくことでもある。

 あとがきにある偶然と必然、一瞬と永遠を巡る論考もとても興味深く、とにかく必然と永遠を求めるようになった社会において、偶然と一瞬を大切にするように生きていきたいと思えた。