2022年1月28日金曜日

女生徒

女生徒/太宰治

 九段理江「School girl」を読もうとしたら、令和版「女生徒」というキャッチコピーになっていたので予習的に読んだ。太宰治は教科書で「走れメロス」、青空文庫で「人間失格」くらいしか読んだことないビギナーだったのだけど、とてもオモシロかった。こんなに自意識を煮詰めた小説を戦前・戦後の頃に書きまくっていたことに驚いたし、これは俺の話!!となることも多かったので他の作品も読んでみたくなった。

 本作は短編集ですべて女性一人称のモノローグスタイルで書かれているのが最大の特徴。自分が登場人物に話しかけられるような感覚になるので昔の話とはいえ親密さを感じやすかった。著者は男性であり、男性側から見た当時の女性が感じているだろう生きにくさを細かく描写している点がオモシロかった。自意識を拗らせるのは多くのことが可視化された現代ゆえの悩みかと思いきや、昔の人も自意識との付き合い方に苦労していたことが分かった。

 冒頭の「燈籠」という話からグッと引き込まれて不意の出来心で万引きした女性の回顧録なんだけど、まるで警察24時を見ているような感じ。それが最後文学的表現に回収されていくのだからたまらない。表題作の「女生徒」は冷めた悟り系女子のパンチラインが多くて好きだった。以下引用。

本なんか読むの止めてしまえ。観念だけの生活で、無意味な、高慢ちきの知ったかぶりなんて軽蔑、軽蔑。やれ生活の目標が無いの、もっと生活に、人生に、積極的になればいいの、自分には矛盾があるのどうのって、しきりに考えたり、悩んだりしているようだが、おまえのは感傷だけさ。

美しさに、内容なんてあってたまるものか。純粋の美しさは、いつも無意味で、無道徳だ。きまっている。

一生、自分と同じくらいやさしい温かい人たちの中でだけ生活して行ける身分の人は、うらやましい。

 著者の太宰治自身は男性だけど、社会的に抑圧されている女性の生きにくさは格好の小説のネタだったろう。繊細な彼だからこそ感じ取れた女性の立場での感情の機微が多分にあったのだろうなと想像する。クラシックはクラシックたる所以があることを再認識した。 

2022年1月26日水曜日

「ぴえん」という病 SNS世代の消費と承認

「ぴえん」という病 SNS世代の消費と承認/佐々木チワワ

 強烈なタイトルに惹かれて読んだ。30歳半ばで自分はもう若くなくて完全におじさんになったのだなと実感させてくれる1冊でかなり興味深かった。それほどに知らない世界の連続で今の若者の生きにくさの一端を垣間見た気がする。そして、それは彼ら彼女らの世代の性質ではなく、今の社会が生み出していて自分も無縁ではないと感じた。

 タイトルにある「ぴえん」は絵文字が起源であり元々は「Pleading face(懇願する顔)」だが、ぴえんの意味が曖昧になり汎用的に使われているらしい。(あの絵文字は2018年から登場したものらしい…もっと前からあるように思っていた)「ぴえん」に限らず知らない日本語のスラングがてんこ盛りでそれだけでも読んだ価値あるなと思うくらいに楽しい。その「ぴえん」から滲み出る若者たちのgood die youngな価値観は興味深くもありつつ、その希死願望を抱くような社会を構成する大人側としては胸が苦しくなること多かった。

 歌舞伎町が新宿東宝ビルを中心にジェントリフィケーションされたにもかかわらず、想像もしていない角度でアンダーグラウンド化して未成年の溜まり場としての「トー横キッズ」が誕生する流れは全く知らないことで驚いた。自分が知っている(もしくは知りたい)ことだけで世界が構成される蛸壺化は進んでいると思っているので、こういうときに読書のありがたみを感じる。

 ホストカルチャーにかなりのページが割かれている。ザ・ノンフィクションで見ていたホスト社会で印象が止まっていたけど、著者の丹念な取材成果から見える世界は全く別物になっていて勉強になった。さまざまな取材ルポのあとの最終章で若者だけの話ではない論点(「まなざし」と「SNS洗脳」)が提示される。自分とは関係ない世界だとラインを引くのは簡単だけど、SNSをはじめとしてすべてが数値化されていくグローバル社会において人間が数字に加速度的に依存する、その最先端がホストなのだという論考はめちゃくちゃオモシロかった。著者が現役大学生でホストに通った経験を持つ方である点も本著の「ガチっぷり」に寄与していると思う。おじさんライターが入り込めないところまで入り込んで言語化してくれるのは代弁者としてこれ以上相応しい人はいないはず。本著は新書であり入門編だと思うので、より専門的な定量調査なども含めた書籍を読みたい。 

2022年1月25日火曜日

百年の散歩

百年の散歩/多和田葉子

 去年初めて著者の小説(犬婿入り)を読んで衝撃を受けて他も読もう!となったものの目先の積読にうつつを抜かしていたので今年こそという思いで読んだ。本作もめちゃくちゃオモシロかった。ドイツ在住の著者による都市論がふんだんに展開されていて小説とエッセイの境目のような展開も好きだった。

 実際に存在するドイツの通りや広場を訪れたときの話が延々と会話なしのモノローグで語られていてさながら著者の日記のような構成。誰かといる時間はなく常に1人で行動し、その風景とそれにちなんだ頭で夢想したことをミックスする語り口がオモシロかった。フリースタイルラッパーよろしく、1つのワードを起点にしてワードプレイを展開して想像の世界へと跳躍していく小説の楽しさがふんだんに詰まっているのも魅力の1つで言葉に生きる人の語彙力や発想の豊かさに驚くことが多かったし、この言語感覚が直で分かる日本語話者で良かったなと思えた。パンチラインも山ほどあるのもかっこいい。日本人の作家でこんなにストレートに撃ち抜かれることもなかなかない。一部引用。

携帯は、古い家の壁にあいた穴のようなものだ。その穴から雨や風のように用件が吹き込んでくる。車窓ならば、長いこと田園風景を眺めていても、緑の中から手が伸びてきて、わたしの生活に入り込んでくることはない。

よくテレビに顔を出して自信ありげに自説を振り回すおかかえ経済学者は駄目。誰がおかかえているのか知らないけど、もしかしたらおかかが抱えている鰹節なら、経済発展節を唸り続けて、希望の味噌汁の出汁にもならない薄い栄養素と引き替えにたっぷり出演料をせしめているんだろう。

君も死から逆算し、詩を二乗しながら生きているんだろう、と同意を求めるような目が浮かんだ。

二つの色は擦り合わされるが、決して水彩絵の具のようにみずっぽく混ざることはない。人の思いはぶつかることはあってもすっかり溶け合うことはない。水彩画でも色が滲んで混ざっている部分は美しいが、いろいろな色が自分を失ってお互い相手に溶け込んでしまうとウンコ色になる。

 最後のラインに代表されるように自立を謳う内容が多い。ただ1人行動なんだけども常に「あの人」と呼ばれる存在を気にしていて、孤独に生きること、他者を考慮して生きることの論考を繰り返している点がほとんどエッセイで興味深かった。その論考をしながら街を移動している際には余裕で時間を超越していてドイツの過去の歴史がクロスオーバーする、その軽やかさは唯一無二だと思う。膨大なカタログがあるので厳選して色々読んでいきたい今年こそ。 

2022年1月21日金曜日

酒寄さんのぼる塾日記

酒寄さんのぼる塾日記/酒寄希望

 又吉氏のツイートで知り、前から気になっていた芸人だったので読んだ。新しいスタイルの芸人エッセイでめちゃくちゃオモシロかった。ぼる塾というユニット自体がこれまでの女性芸人の枠では語りきれなくて何故これだけ人気があるのか、その片鱗を少し理解できた気がする。

 このエッセイが画期的なのは当事者語りではない点。現在育休中で第4のぼる塾のメンバーである著者が見たり聞いたりした残り3人のエピソードがほとんど。(著者のエピソードも後半に収録されているが)これだけSNS含めた自分語りの時代において身近な人のオモシロい様子をつぶさに観察して表現している。そこにお笑い芸人のエピソード特有の打算性がないところが好きだった。すべらない話が産んだエピソードトークのフリオチカルチャーに対して鮮やかにカウンターを決めていて、その点ではハライチ岩井氏のエッセイと同じ方向だと思う。つまり派手なことはなくても日常生活にオモシロいことが多分にあるということを教えてくれる。

 とは言ったものの、やはり、ぼる塾のメンバーは皆それぞれの着眼点があって、それが最大の魅力だと思う。本著では各メンバーごとにチャプター分けされていて、それが読みやすいしキャラクター把握しやすくて良かった。なんてことないエピソードを読者に報告する文体で書かれているので、カフェで友人から話を聞いているような感覚になる。特に田辺さんのご飯に関するエピソードはどれもオモシロくて、本当に食べることが大好きで食事に対する惜しみない愛が伝わってきた。こんなに本を読んでいて癒されることもなかなかない。

 終盤は著者の自分語りになり、ぼる塾の結成秘話や育休にまつわるエピソード、自らが不在の状況で売れてしまった現在の葛藤など、赤裸々に語っている点も興味深かった。今でも十分オモシロいけど4人になった完全形態を見れる日を心待ちにしている。 

2022年1月18日火曜日

村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝

村に火をつけ,白痴になれ 伊藤野枝伝/栗原康

 はたらかないでたらふく食べたいがオモシロかったし、伊藤野枝が朝ドラになるらしいので予習として読んだ。こんな人が明治、大正の時代にいたのか!という驚きの連続と著者の軽快な語り口調で一気に読めてオモシロかった。

 生い立ちから最後陸軍に殺されてしまうまでの生涯を当時の資料に基づいて説明してくれている。表紙とかタイトルから重たそうな内容に見えるけど、実際読んでみるとかなり軽妙。いわゆる伝記と異なるのは語り手である著者の気持ちが乗ってきている点。評伝の場合、なるべく客観性を出すために著者が前に出ないと思うけど、本著では著者が独特の文体で「いやーマジで伊藤野枝やべえっす」とひたすら言い続けていてそこが最高にオモシロい。

 女性の権利を明治、大正の時代に声高に唱えるだけで相当弾圧されていたという話は怖いなと思う一方で、この時代の延長線上に我々は生きている。彼女やこれまでたくさんの人々がストラグルした結果、社会が一歩でも男女平等に近づいているのか?と頭の中で問いが駆け巡った。方向としては平等実現に進んでいると思うし性差別をよくないよね、という社会的コンサセンサスも昔に比べたら取れてると思うけど、たまにギョッとするようなニュースがあるのも事実。(医学部入試の件とかマジでキモ過ぎてゲロ吐くレベル)得られつつあるコンセンサスを社会に具現化していくためには伊藤野枝のような強い意思と行動力が必要だと感じた。

 なにかを我慢する必要はなくて自分の思うままに生きるべし、というのを生涯通じてやり抜いた、その生き様がめちゃくちゃかっこよくて今で言えば完全にヒップホップだと思う。繰り返し出てくる「生を拡充する」ことは人生で大事な指標だと感じた。 

2022年1月16日日曜日

そんなふう

そんなふう/川内倫子

 写真家の著者が子ども誕生に伴って綴ったエッセイ。友人にレコメンドしてもらったので読んだ。最近子どもが生まれた新米の親の立場で読むと1つの予習であり、そういう気持ちになるのか、という気づきが多い読書体験だった。当たり前だけど親になって読むのと親になる前では感じ方が色々変わってくるなと気付かされる。

 基本的には日記形式で子どもがグイグイ成長していく中で感じたことが書かれている。子どもの成長と著者の老いや家族の死が並行で書かれていて生のバトンリレー感が印象的だった。命の受け渡しの尊さと残酷さ。過ぎていく時間に対して敏感で同意する点も多かった。これまでなんとなく過ごしてきた数年とは違い、子どもとの生活は時間の経過が明確に可視化される話が特に納得した。写真家という観点で言えば切り取る瞬間のオモシロさが間違いなくあり、子どものエッセイだとどうしてもウェットになりがちだと思うのだけど文章が乾いてて好きだった。

 当然本業である写真はどれもめちゃくちゃかっこいい。日常を撮影したという意味ではスナップなんだけど、写真ド素人からみてもバキバキに決まった構図でエッセイを何倍も楽しませてくれる重要なファクターになっている。

 写真は両親や祖母に送るために撮っているけど、なんらか文字で記録に残しておかないと日々はただ過ぎていくだけだなと強く思ったので少しでも育児日記は手元に残しておくようにしたい。

2022年1月15日土曜日

ブラック・ノイズ

ブラック・ノイズ/トリーシャ・ローズ

 ケンドリックのムック本で引用されていて気になったので読んだ。(絶版で入手できないけど図書館で借りた)原著は94年出版で09年に翻訳されたものだけど全然古びていなくてオモシロい。ヒップホップを学術的に記述するとこうなるのかという学びがたくさんあった。

 序盤はヒップホップの成り立ちから丁寧にさらっていく流れになっており、レッドアラートが、クールハークが…という大まかな流れは知っていたものの、こういった歴史書のような体裁で読むのが新鮮な体験で楽しい。特に個人的に抜け落ちていた都市論からみたヒップホップの話、つまり産業構造の変化に伴い都市部が空洞化してスラム化したことがヒップホップ誕生の1つのきっかけという話は興味深かった。

 今やUSだけではなく多くの国でメインストリームの音楽となったヒップホップだけど、そのルーツの部分を改めて整理された書物で読むとヒップホップの持つある種の野蛮さと世間に叛逆する姿勢に惹かれたんだよなーということを再認識した。(まさにブラック・ノイズ!)楽譜で再現できることを前提にした西洋音楽と何が違って新しくてオモシロいのか、かなり丁寧に書かれているのが良い。社会や政治にコミットするリリックの革新性に注目が集まりがちな中、サンプラーによる音楽製作の衝撃をこんなに理論立てて書いている本はないと思う。テクノロジーがルールを塗り替えたという意味ではインターネット級の衝撃だったのかも。またループする威力が強いドラムやベースをベースにしたループサウンド音楽として認識せず、理解できないので一方的に危険なものと見做していたという話も隔世の感があってオモシロかった。

 また著者が女性だからなのか、ヒップホップにおけるミソジニーに対して94年時点でかなり意識的。最後の「悪女たち」という章をまるまる1つ使って女性ラッパーたちがどうやってヒップホップのシーンにおいて自らの立場を獲得していっているのか、歌詞を丁寧に紐解きながら説明してくれている。25年経って変わっていないところもあるし、時代が変わったなと思うところもある。アフリカ系アメリカンかつ女性というダブルマイノリティな立場にある中では、人種差別があまりにも根深すぎてヒップホップのミソジニーな歌詞に対して安易に反対することはできない(=白人女性と安易には連帯できない)というのは目から鱗な話だった。今またBLMの動きがある中、最近はどんな流れなのか知りたいなと思ったら現代思想のBLM特集で訳者の新田氏が寄稿されているようなので読んでおきたい。そして、その訳者のあとがきタイトルが「KEEP IT REAL」なのが最高!座右の銘にした次第です。 

2022年1月9日日曜日

ケンドリック・ラマー 世界が熱狂する、ヒップホップの到達点

ケンドリック・ラマー: 世界が熱狂する、ヒップホップの到達点

 伝記本を読んでケンドリックのことを知りたいバイブスが高まったので読んだ。ケンドリック読本というよりもケンドリックを踏まえてラッパーや批評家の各人が何を考えているか?がまとまっている1冊で伝記とは別角度で勉強になってオモシロかった。特にヒップホップライターではない方の寄稿が全然別角度からの考察でかなり刺激的だった。長澤唯史氏は「内省」をテーマにアメリカ文学を引きながらケンドリックについて語っているし、山下壮起氏はキリスト教の観点からケンドリックのラップのあり方、ひいてはギャングスタとキリストの共通点という大胆な見立ては読み応えがあった。

 日本のヒップホップ好きとしてはラッパー8人がそれぞれケンドリックに関する所感を語りながら彼らのラッパーとしてのアティチュードを話している点がめちゃくちゃ興味深かった。ケンドリックのフッドを大事にする姿勢に共感するラッパーもいれば、ルーツの話は日本でほとんどされていないのでは?という指摘もあったり。自分の主張を織り交ぜた音楽は日本では受け入れられにくいという話もあったり。「ラップ」ではなく「ヒップホップ」を体現しようとしている姿勢を感じるラッパーの人選になっている。ただ一方で日本のヒップホップにおいてアルバムが出たときに賛否含めて議論できる土台がなさすぎるなと一方で感じた。ケンドリックの各アルバムはそれぞれがヒップホップの歴史における金字塔なので特別なのは当然だとしても、こういうナラティブを語る作品に対する受け身の取り方を自分含めてリスナー側が鍛えとく必要があるなーと感じた。ケンドリックのエナジーが日本でも伝播でして素晴らしいアルバムが出ることを願ってやまない。 

2022年1月6日木曜日

バタフライ・エフェクト ケンドリック・ラマー伝

バタフライ・エフェクト ケンドリック・ラマー伝/マーカス・J・ムーア

 ケンドリックの自伝とのことで読んだ。ここ4年ほどリリースがないのですっかり彼の音楽について考える機会がなくなっていたけど、本著のオモシロすぎる話の連発で過去作を順繰りに聞きまくる毎日である。一体彼がどれだけのインパクトをヒップホップに、アフリカ系アメリカンの社会/意識に、すべての持たざるものたちに与えたのか?それがよく分かる1冊だった。

 本著ではケンドリック本人に直接インタビューは取っていないものの、web上に残っている彼の発言のアーカイブと周辺アーティストの取材で構成されていて、それだけでも知らないことが山ほどあって勉強になる。全く方向性の異なる各アルバムをどのように作っていったか?その過程がかなり詳細に書かれていてそこが一番オモシロかった。特にTPAB製作時に起用されたミュージシャンたちやハウスプロデューサーであるサウンウェイブらの各証言がこれだけまとまっているのは本当にありがたい。ケンドリックが圧倒的なラップ力、リリシズム、そしてプロデュース力でヒップホップゲームのルールを書き換えたのは周知の事実だけども、サウンド面でもどれだけ新しいことに取り組んできたか?がよく分かる内容になっている。

 ヒップホップといえば、フレックスしている様をひたすら同じようなサウンドで表現し続けて人気が出れば同じスタイルで柳の下の二匹目のドジョウをいなくなるまで取り続けるカルチャーだけど、ケンドリックは各アルバムで全然違うことをしてくるのが本当にかっこいいと思う。スタイルやサウンドが変わっていく中でもコアにあるヒップホップの価値観を大事にしている点もかっこいい。コンプトン、アフリカ系アメリカン、アメリカ合衆国と自分をレップする要素について煮詰めまくってラップというフォーマットで上手いこと、かつかっこよく表現できるのは本当に最高のラッパーだなと思う。

 ストリーミングサービスの開始によってアルバムの価値観が理解されなくなりつつあるけど、やっぱりヒップホップはアルバムというフォーマットで表現できる価値観が多分にあるなと今回改めて感じた。他のケンドリック本を読んだりして次のアルバムを待ちたい。