百年の散歩/多和田葉子 |
去年初めて著者の小説(犬婿入り)を読んで衝撃を受けて他も読もう!となったものの目先の積読にうつつを抜かしていたので今年こそという思いで読んだ。本作もめちゃくちゃオモシロかった。ドイツ在住の著者による都市論がふんだんに展開されていて小説とエッセイの境目のような展開も好きだった。
実際に存在するドイツの通りや広場を訪れたときの話が延々と会話なしのモノローグで語られていてさながら著者の日記のような構成。誰かといる時間はなく常に1人で行動し、その風景とそれにちなんだ頭で夢想したことをミックスする語り口がオモシロかった。フリースタイルラッパーよろしく、1つのワードを起点にしてワードプレイを展開して想像の世界へと跳躍していく小説の楽しさがふんだんに詰まっているのも魅力の1つで言葉に生きる人の語彙力や発想の豊かさに驚くことが多かったし、この言語感覚が直で分かる日本語話者で良かったなと思えた。パンチラインも山ほどあるのもかっこいい。日本人の作家でこんなにストレートに撃ち抜かれることもなかなかない。一部引用。
携帯は、古い家の壁にあいた穴のようなものだ。その穴から雨や風のように用件が吹き込んでくる。車窓ならば、長いこと田園風景を眺めていても、緑の中から手が伸びてきて、わたしの生活に入り込んでくることはない。
よくテレビに顔を出して自信ありげに自説を振り回すおかかえ経済学者は駄目。誰がおかかえているのか知らないけど、もしかしたらおかかが抱えている鰹節なら、経済発展節を唸り続けて、希望の味噌汁の出汁にもならない薄い栄養素と引き替えにたっぷり出演料をせしめているんだろう。
君も死から逆算し、詩を二乗しながら生きているんだろう、と同意を求めるような目が浮かんだ。
二つの色は擦り合わされるが、決して水彩絵の具のようにみずっぽく混ざることはない。人の思いはぶつかることはあってもすっかり溶け合うことはない。水彩画でも色が滲んで混ざっている部分は美しいが、いろいろな色が自分を失ってお互い相手に溶け込んでしまうとウンコ色になる。
最後のラインに代表されるように自立を謳う内容が多い。ただ1人行動なんだけども常に「あの人」と呼ばれる存在を気にしていて、孤独に生きること、他者を考慮して生きることの論考を繰り返している点がほとんどエッセイで興味深かった。その論考をしながら街を移動している際には余裕で時間を超越していてドイツの過去の歴史がクロスオーバーする、その軽やかさは唯一無二だと思う。膨大なカタログがあるので厳選して色々読んでいきたい今年こそ。
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