2022年8月31日水曜日

水平線

 

水平線/滝口悠生

 滝口悠生さんの新作出たなら読むしかないでしょ!ってことで発売日に買ってすぐ読み始めてひと夏かけて読了。日本の夏の読書としてこれ以上ふさわしいものはないのでは?くらいにハマってどこへ行くでもない夏休みにゆっくり楽しむことができた。

 第二次世界大戦中に激しい戦闘地となった硫黄島をめぐる時間と場所をクロスオーバーした群像劇。戦時中、近過去、現在と悠然と行き来するし、登場人物も非常に多くて一体自分がどこにいるのかふわふわした気持ちになるのだけど、それは著者が得意とする人称を自由自在に行き来するスタイルであり、船に乗って海でふらふらしてるような感覚があった。人称の変化具合は時代の横断を伴っていることもあり過去作の比ではなくフリーキーになっている。映像作品でいうところのカメラスイッチが立て続けに起こっていくので読んでいて飽きないし楽しい。整合性という「正論」の話をすると、そのあたりは完全にビヨンドしており、それはアレだすべて海のせい、的な展開で回収されていくのも興味深かった。

 戦争に関する小説をそこまで読んだ経験がないものの、本作がスペシャルだなと思うのは膨大な量の生活描写だと思う。戦時中の生活について史料を読んだり、ドキュメンタリーを見たりすれば知識としては身につくのだろうけど、人が生きていた感覚を実感できるのはフィクションのいいところ。さらに映画ではなく小説だからこそ微細な描写、描き込みが可能となるのだなと500ページ超の本著を読んで感じた。その人がまるで生きているように感じるからこそ、戦争の理不尽さが浮き彫りになっていくのが良かった。戦争はクソだなと思う理由の一つが明確に書かれていたので引用。真剣に考えることの否定ではなく、ふざけられることの大切がよくわかる。ふざけて生きていきたい。

幻想だ。真剣さは毒だ。真剣になっているうちに、自分じゃなく誰かべつの者のよろこびが自分のよろこびであるかのように思ってしまう。他人のよろこびを俺がよろこぶのは俺の自由だが、他人から、そいつのよろこびが自分のよろこびであるかのように惑わされて騙くらかされるのは御免だ。だから俺はあれからずっと真剣さを疑っっている。なるべくふざけていたい。大事な話や、大事なものについて考えるときほど、真剣さに呑みこまわれてしまわないように。

 ポッドキャストにゲストで出演いただいた際に、エピソード後半で本著についても少し話を伺っているので興味のある方は聞いてみてください→リンク


2022年8月9日火曜日

資本主義リアリズム

 

資本主義リアリズム/マーク・フィッシャー

 高橋ヨシキ氏がインスタでポストしていたのを見て読んだ。2009年にリリースされた論考集なんだけど全く古びていなくて現在の社会の在り方について理解が進んだ。2022年の今でも事態が大筋では変わっていないことがとにかく辛い。2008年ごろに始まったことが悪い方向へさらにシフトしているのかとネガティブ思考に陥る一方で著者はカウンターの出し方を提示してくれていて少しは勇気ももらえた気がする。

 タイトルの「資本主義リアリズム」は資本主義が完全に世界をテイクオーバーし現実的には資本主義が最強でしょ?というネオリベ的世界観のことを言っている。本著では資本主義ひいては新自由主義が躍動する世界で何が起こっているのかを丁寧に紐解きながら、当たり前に受け入れている資本主義に対する懐疑的な姿勢を示すラディカルな本。こないだの参議院選しかり最近選挙に対するモチベーションが極端に落ちていて、それはあきらめの感情が渦巻いていることが原因だと思う。著者はそれを再帰的無能感と呼んでいてしっくりきた。

彼らは事態がよくないとわかっているが、それ以上に、この事態に対してなす術がないということを了解してしまっているのだ。けれども、この「了解」、この再帰性とは、既成の状況に対する受け身の認識ではない。それは、自己達成的な予言なのだ。

 著者の特徴としては語りの中にポップカルチャーを混ぜ込んでいる点だと思う。相当硬い話なんだけど、自分が知っているカルチャーが論考に混ぜ込まれていると理解が深まる。さらに著者のポップカルチャーへのそのまなざしの鋭さにうなりまくりだった。特に「ボーン」シリーズの記憶にまつわる取り扱いを引きながら、現在の社会における一種の記憶障害的事象(日本でいえば「記憶にございません」)を語っているパートは圧巻だった。

 個人的に一番辛かったのは冷笑主義に対する論考。著者は官僚主義の中で隷属している人間は冷笑主義を身につけてやり過ごしているのであると喝破していて、それがまさに自分だなと思ったから。冒頭で話したあきらめは冷笑主義に近づいている気がして、どこかで変えなきゃいけないと思っていたのだけど、そもそも人生の大半を過ごしている会社でそんな態度取ってたら政治や社会に対して建設的な対応なんてできるはずないよなと。冒頭の諦めの気持ちの由来がわかって勉強になった。

 本著で語られている内容を全部理解できたかといえばそれは難しい。けれど当たり前に受け入れているものが当たり前ではない可能性を信じる。オルタナティブがあるのでは?と模索し続ける姿勢を忘れないでいたい。

2022年8月3日水曜日

地球にちりばめられて

地球にちりばめられて/多和田葉子

 Kindleのセールで買って積んでおいたのを読んだ。著者なりのディアスポラ物語という感じでオモシロかった。毎回たくさん気づきを与えてくれる作家で、ドイツ在住だからなのか日本に対して客観的な視点をスイングしまくりの日本語で提供しているところが唯一無二だなと思う。

 物語内で明示されないものの日本が何らかの理由でなくなっておりヨーロッパ圏で難民として生きていく状況を描いている。その中で言語、出身国がバラバラの登場人物が奇妙な関係を形成していく過程がオモシロかった。日本だと移民が少ない状況なので、出身国が日本であれば十中八九、母語は日本語になるものの、移民の受け入れが進んでいるヨーロッパ圏では言語、出身国は必ずしも一致しない。事実としては知っているけど小説で読むと身近さがグッと上がった。

 登場人物が誰もが曲者で全員揃うまでは正直掴みどころがなかったけど、揃ったあたりからは会話劇としてのオモシロさが加速度的に増していき終盤はかなり読みやすくなった。あとがきにもあったけど演劇を見ているかのよう。

 毎回のごとく直喩/隠喩の使い手としてのセンスの良さが炸裂しまくり。一番好きだったのはインターネットにまつわる以下のライン。著者は世代が違えば、とんでもないラッパーになっていたかもしれないと読むたびに思う。

今日はディスプレイの放つ光を思い出しただけで嫌悪感を覚えた。人を無理矢理、明るい舞台に引き出すようなあの光。スポットライトがまぶしくて何も見えない華やかな舞台の上で僕は虚構のスターになる。