偶然の散歩/森田真生 |
最近本屋で全然本を買っていないなと思いたち本屋へ行った際に見つけて、この自分の行動にマッチしていると感じてタイトル買いした。著者の「数学する〜」シリーズはいくつか読んでいたが、本作はエッセイで他作よりも軽やかで読みやすかった。
お子さんとの日々の生活を軸にして、数学ひいては科学の観点から思考を展開していくところがオモシロい。特に視点とスケールの移動が楽しくて、宇宙に思いを馳せることもあれば、庭の生物を見ていたり、さらには人間の身体が幾千もの細菌で構成されていることを考えたり。硬い内容を解きほぐして行間たっぷりの朴訥な語り口で書かれているので心が浄化されるような気持ちになった。自分が生き急いでいるとは思わないものの、日々のあれこれに気を取られて何か大切なことを見失っているのかもしれないと子どもが生まれてからは特に考えるようになり、そういった雑念との付き合い方について改めて考えさせられた。
著者が稀有な点は科学的なことをいわゆる文系の語り口に収めることができる点だと思う。この安易な二項対立はもはや機能していないとは思うものの、自分自身が理系出身で文系チックなものに惹かれがち。ゆえに著者の言葉がパンチラインとして心に響くことが多い。いくつか引用。
あっちへ走り、こっちへと駆け、ズデンところんではぎゃあと泣きながら、子どもは身体の知性を鍛える。それに比べ、ちっとも転ばなくなってしまった自分は、どこか停滞しているのかもしれないと思う。
自分が主体的に変わらなくても、便利なサービスのほうがこちらに寄り添ってきてくれる時代に、それでもあえて時間とコストを割いて主体的に自己を変容させていくこと。その意味と喜びをいつかはきちんと伝えたいと思いながら、今日も息子の手の届かない場所に、スマホをしまっておく。
知性は身体や、それを囲む社会や文脈の中で初めて生きる。個人としての知識を蓄えるだけなら、いまより効率のいい方法はいくらでもある。
自分の存在が何に依存しているかを精緻に描写していくことは、いまあることの「ありがたさ」に目覚めていくことでもある。
あとがきにある偶然と必然、一瞬と永遠を巡る論考もとても興味深く、とにかく必然と永遠を求めるようになった社会において、偶然と一瞬を大切にするように生きていきたいと思えた。
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