2022年4月4日月曜日

十七八より

 

十七八より/乗代雄介

 favoriteな作家の1人である著者のデビュー作ということで読んだ。こんなにヒネりまくっているのがデビュー作だということに驚きつつ楽しく読んだ。この分かりそうで分からない要素こそが著者の大きな魅力なんだと気づくこともできた。

 三人称視点で高校生の少女が過ごした数日を描いていて単純な三人称視点ではなく語り手(著者なのか?)の考察も多分に含まれていてオモシロい。少女の身に起こることは日本のどこかでも今起こっているだろう他愛もないことなんだけども、それを文字を使って文学として再構築している、そんな印象だった。

 本著の最大の魅力は会話の描写。メインは亡くなった叔母との対話で叔母と少女のあー言えばこー言う、その掛け合いの中でバシバシ出てくるパンチラインがとにかく良い。この会話は日常というよりも先述のとおり文学における会話であり、引用を多く含んだ様式美が好きだったし、こういうの読みたくて本を読んでいるなと思った。本著には会話かどうか問わず本当に好きなラインがたくさんあるのだけど一番好きなやつを引用しておく。

注意深く、あまりに弱い光をもらって過ごすあまり、彼らの目は退化し、あるいは研ぎ澄まされ、ある時には心地よく視界に入れていたものすら、いつしか差異を失い、捉え難くなってしまう。こうしてますます卑小な生に、嬉々として閉じ込められていくのだ。

 並の作家であれば、1冊の中で1つのパターンに終始すると思うのだけど、本著ではまた別の会話の魅力も含まれている。それが家族4人で焼き肉を食べに行くシーン。それは小説、ドラマ、映画、もしくは実際の生活で何度も繰り返し見た風景でしかない。なんだけどもその風景における会話描写の圧倒的なリアリティに本当に驚嘆した…焼き肉を家族で食べに行く、これも文学なんだと気付かされる。このシーンを読むだけでも本著の価値があるだろう。(電車で読んでて「トレペ」のくだりでツボに入って笑い過ぎて不審者と化した)で異常なまでの高い粒度で描写したあとの締めの言葉がまた最高だったので引用。

家族の会話というものはどんなにでたらめに配列しようとも、さしあたり電球がつかいないということはないらしい。

 過去読んだ著者のどの作品にも叔父もしくは叔母が登場している。肉親ではないが他人でもない存在が子どもに与える影響について非常に意識的なのだろう。その一方でロクでもない大人は世の中に跋扈していることも描かれている。自分の子どもの頃を思い出しても確かに従兄弟や叔父の言動で強く覚えていること多いし、ロクでもなかった学校の先生のことをレミニスしたりした。

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