もう行かなくては/イーユン・リー |
最新作を常に読んでいる少ない作家の一人、イーユン・リー。前作が自死した長男との対話という衝撃作だったわけだけど、今作もなかなかのヘビーっぷりで圧倒された。人生がふんだんに詰まっているのはいつもどおりで「生きる」意味を考えさせる小説。
これまで著者は自身と同じ中国人もしくは中国系アメリカ人を登場人物として描いてきたが今回はアングロサクソン系のアメリカ人、イギリス人が登場人物になっている。この点からアメリカ文学のクラシカルなムードが漂っていた。構成がまた特殊で人称の使い分けはさることながら本著は主人公の女性が若い頃に関係を持った男性の日記に対して高齢者となった主人公がコメントを入れていくスタイルとなっている。この相手の男性の子どもを主人公は出産し育てるものの、その子どもが自殺してしまったという過去がある。たいていの読者が想像する子どもを自死で先に亡くした母親像を覆し、彼女はひたすらに強気で人生を肯定している。まるで自分の子どもが間違っていたことを証明したいと思わせるくらいに。辛いことがあった場合、いつまでも考えるタイプと吹っ切っていくタイプに分かれると思うけど、主人公は後者になろうとしている前者のような感じで、微妙な揺れ動きを感じるたびに胸が締め付けられた。たとえばこんなライン。
でも人が泣かずにいると不思議なことが起こるの。その涙を堤防で全部押しとどめておけそうにないから、それを監視する警備員みたいになって人生を送ることになるのよ。昼も夜も。ひびが入っていないか、漏れていないか、あふれ出す危険がないか確認しながらね。(中略)でもその堤防を何年も見守っていたら、ある日また水を見たいと心の中で思うの。でも、どの水のことですか、奥さん、なんて堤防に言われるものだから、てっぺんに上がってみるでしょ。すると本当に、どの水のこと?向こう側は砂漠なの。
「理由のない場所」は実際に著者が長男を自死で亡くしたあとに書かれた作品だけど、本作はその前から執筆されていたらしく自身の小説のテーマで自死を取り扱っている最中に自分の子どもを亡くすだなんて想像もできない…前作を読んだときにはまだ子どもがいなかったので、自分自身が子どもの視点しか持っていなかった。しかし今回は子どもが誕生し、親の立場となって読むことにもなったために全然違う辛さがあった。人生の終盤に死者へ思いを巡らす中に自分の娘がいること。そして彼女の決断に何があったか分からない謎に絡みとられていく辛さ。自死は本人が一番辛いのは当然かもしれないが、残された側の人生の過ごし方がまるっきり変わってしまうことを痛感させられる作品だった。
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