無人島のふたり: 120日以上生きなくちゃ日記/山本文緒 |
尾崎ニシダラジオで紹介されていたので読んだ。番組で紹介するため、収録までに読んでこないといけない場面で、尾崎氏が読んできておらず「本がアートになっちゃう」というエクスキューズで番組を沸かしていた。肝心の本自体はがん患者の闘病記なので、重たいものであった。がんの末期中の末期に綴られた文章であり、その研ぎ澄まされているムードに何度も心の奥がキュッとなったし、自分が死ぬまでの時間がある程度わかっている状況で、人は何を考え、行動するのか。周りはどうなるのか。作家の言葉による、一つ一つの朴訥な描写に自分にいつか訪れる死の間際を見るかのような気持ちになった。
本著は、2021年4月に膵臓がんと診断されて、そこから半年弱のあいだに書かれた日記となっている。著者は2021年10月に亡くなってしまっているので、病魔の進行の早さたるや。がんの恐ろしさを改めて思い知らされる。近年は有名人が罹患しても、がんから回復するケースを見かけるし、闘病しながら仕事するケースなども見聞きするので、人類の進歩でがんをある程度ハンドリングできるようになったのかと思っていたが、それはがんの種類にもよるのだろう。
人生が終わりに向かっていく、そんな想像の及ばない生活の中で感じたことを、著者は淡々と綴っている。体調の浮き沈みがあり、病状が進行するにつれて「しんどい」と感じることの種類が変わっていく様など、タイムラインが明確な日記だからこそ、ドキュメンタリー性がとても高い。闘病する中で、著者にとっての「死」が何なのか、その距離が物理的に近づくにつれ、徐々に「死」について気づいていくような書き方がリアルだった。たとえば、「自分は90歳まで生きて母、夫、友人などを看取って最後に死んでいく」とイメージしていたけれど、最初に介護される立場になるなんて想像もしていなかった、といったように。「死ぬ前に最後食べたいものは何?」というくだらない「たらればトーク」があるが、著者の意見は一つの真理のように思えた。単なる清貧ではなく、死の間際の言葉だからこそ響くのであった。
自分の残り時間のことを思い、何かやりたいこと、食べたいもの、会いたい人はいないかを考えてみたが、もうあまり思い当たらない。たとえば、毎日家で飲む、スーパーで売っているティーバッグのお茶が普通においしければそれで良いような気がする。
病院、緩和ケアのとやり取り、各種事務手続きなどが、病状の進行と共に変化していく様子も、目には見えない死へのカウントダウンが可視化されているようで辛かった。特に医師から「あと数週間」と告げられたとき、いくら調子がいい日があったとしても、現状からの逆転は一切期待できない。この不可逆性は読んでいるだけでも苦しいのだから、当人は相当辛かったと思う。タイトルのとおり、夫との二人暮らしなのだが、彼の病気に対するリアクションおよび献身的なサポートも描かれており、闘病生活のリアルを映し出していた。
そんな死の間際でも、本や出版に対する思いが消えない炎として燃え続けている点もシビれた。この日記を書いていることはもちろんのこと、がんが発覚してからも新作をリリースしたり、『自転しながら公転している』が中央公論文芸賞を受賞したり。自身ががんに罹患している現状と、作家としての自分の間にギャップが生じている。特に受賞を知ってからの感情の揺らぎは、本著の中で生への渇望を最も感じる瞬間で、まさに作家の人生だと感じた。(薬が原因だろうと書かれていたが、複合的なものではないかと思ってしまう。)
著者の小説を一つも読んだことがないので、モールの想像力でも紹介されていた『自転しながら公転している』を読む。
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