2024年12月2日月曜日

ぼくらの「アメリカ論」

ぼくらの「アメリカ論」/青木真兵、光嶋裕介、白岩英樹 

 先日のアメリカ大統領選でトランプが当選して、アメリカに対する興味が増す中で、日本人視点のものが読みたくて読んだ。思想家、建築家、文学者という、それぞれ異なる立場からのアメリカに対するパースペクティブがクロスしていく様が興味深かった。

 もともとはnoteで連載されていたものが書籍化された一冊。「アメリカ」という巨大なテーマ設定であるが、それゆえに色んな角度からの語りが可能となっていた。近視眼的な視点ではなく、歴史を踏まえた大局からの論考が多いのも特徴的だ。最近の状況を踏まえると、ついついトランプ以降のアメリカにフォーカスしてしまいがちだけども、現在に至るまでの背景をタイトルどおり各人の視点で紐解いている点が興味深かった。

 専門性がリレーエッセイという形でクロスしていく点が興味深い。フォーマット自体には馴染みがなかったが、ヒップホップのサンプリングを彷彿とさせるスタイルでオモシロかった。建築、文学、歴史といった各自の専門性の中で、各自が自身にない要素を踏まえて自分の語りを構築しているので、当人たちのゾーンが拡張され、新たな視点を生み出すきっかけになっていた。

 わかりやすいのは、文学者である白岩氏の文章におけるアナロジーの数々だろう。文学者ということもあり素敵な表現がたくさんあった。文学の懐の深さを感じたし、論考、エッセイ、文学のトリプルハイブリッドは読んだことがないスタイルだった。

 光嶋氏のチャプターが個人的に一番興味深かった。建築に関する論考や思想めいたものに触れる機会がない中で、本人を含めたさまざまな建築家たちのアプローチを知り、知的好奇心が大いに刺激された。たとえば、今では当たり前になったオフィスビルが街を覆い尽くす様について、資本主義だけではなく建築の歴史、技術から摩天楼を見つめ直す視点はかなり新鮮だった。建築関連の書籍ガイド本としても抜群で読みたい本がたくさんできた。

 青木氏は歴史を踏まえつつ「アメリカ的なもの」が社会や人々の生活の中でどこまで侵食しているかについて多く論考されている。日本が親米だからという背景もさることながら、21世紀になって加速したグローバリズムは米国化といっても過言ではないことから、「アメリカ的なもの」が想像以上に社会全体を覆っていることに気付かされる。日本でいえば沖縄が最たるもので、青木氏の語る沖縄観は自分が初めて沖縄を訪れたときの感情と似ておりシンパシーを抱いた。また、西欧諸国と比べた際のアメリカの歴史の短さを指摘しつつ、第二次大戦後の急速かつ膨大、すべてにおいて過剰である「アメリカ」の乱暴さを解きほぐしてくれており興味深かった。

 アメリカは二大政党制ということもあり、大きく見れば二極による押し合い引き合いが続いていた中、トランプの登場以降は、せめぎ合いが起こる接点そのものが失われた印象を持つ。そんな分断がデフォルトになった社会における、他者をリスペクトした上での対話の重要性に至極納得した。先日読んだ『社会はなぜ左と右にわかれるのか』で、人が意見を変える場面は対話する他ない、という指摘を想起した。今回の大統領選のタイミングで、タナハシ・コーツによるオバマ本が出ていることを知ったので、次はそれを読みたい。

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