化学の授業を始めます。/ボニー・ガルマス (著), 鈴木 美朋 (翻訳) |
全米で大ヒットした小説が化学を題材にしてると聞きつけ、なんちゃって化学専攻として読んだ。化学はあくまで物語の要素の一つでしかなく、女性に対する差別を軸とした勧善懲悪エンタメ小説でオモシロかった。社会問題について、たとえばその具体例を調べたり、制度について勉強したり、当然必要だと思うが、実際に生きていて、どこで、何が足を引っ張ってくるのか。それらに気づくことで、問題全体の理解が深まることは往々にしてあるので、こういう小説がたくさん売れているということは、社会が変わる機運が高まっているのだろう。
1950年代のアメリカが舞台で、女性の化学者エリザベスが主人公。女性が社会で働くことに対して懐疑的な眼差しが注がれる時代であり、働くことができたとしても、男性と同じような扱いを受けることはなく、常に男性の後塵を拝する立場にあった。エリザベスはそんな状況でも物怖じせず、自分の意見を主張する女性であり、それゆえにさまざまなトラブルに巻き込まれてしまう。また、職場で知り合った天才化学者キャルヴィンと恋に落ちるものの、キャルヴィンは不慮の事故で亡くなってしまい、未婚のまま彼の子を産む。このような幾多の逆境に晒されながらも、自分の信念を曲げずに社会でストラグルするエリザベスの姿は見ていてまぶしい。
そんな彼女を追い込んでいくのは、家父長制、性被害、ミソジニー、家族制度、夫婦同性、育児と仕事など、枚挙にいとまがない。女性が社会的に不利な立場に追い込まれる、さまざまなファクターを用意して、それらに物語を肉付けしているかのような構成になっていた。『82年生まれ、キム・ジヨン』も同じようなスタイルだったが、本著は問題を指摘するだけにとどまらず、主人公が屈することなく、自分が正しいと信じる道を切り開いていく。欧米のエンパワメントするマインドをひしひしと感じ取ったし、エリザベスの姿勢に読者は感化されるはずだ。
社会的な問題を取り込みながら、エンタメ小説としてのオモシロさを損なっていない点が、本著の白眉であろう。エリザベス、キャルヴィンを筆頭に、悪役を含めて登場人物たちの魅力が本当に素晴らしく、各人のキャラたちがあってこその物語となっていた。エリザベスが出産、育児を経ながら、自分の波乱万丈のキャリアと対峙していく中で、出てくる怒涛のパンチラインの数々が痛烈だった。舞台は1950年代のアメリカにも関わらず、今の日本では当時のアメリカと同様に女性差別は厳しい状況と言えるので、余計に刺さりやすいこともあるだろう。(人類史として半世紀前から進歩できていないことに遠い目になってしまう…)
化学の取り込み方も興味深く「料理=化学」の解釈から、エリザベスが料理番組の司会となり、料理を化学の理論と専門用語で解説していく。テレビ局側は「これでは視聴率が上がらない」と頭を抱えるが、爆発的な人気を獲得していく様は痛快だった。何でもわかりやすければいいというものではなく、わかりにくいものを自分でわかろうとする姿勢、そこに人生の本質が宿っているのではないか?と日々感じるからだ。そして、わかりやすくする姿勢は、女性を幼稚な存在として見下すことに繋がる可能性さえある、そんなことに気付かされた。
人は複雑な問題に単純な解決法を求める。目に見えないもの、手でさわれないもの、説明のつかないもの、変えられないものを信じるほうが、その逆よりずっと楽なのよ
化学を「変化の象徴」として捉えるアナロジーも新鮮である。化学反応は、常に特定の物質同士の反応で構成される。つまり、現状に甘んじるのではなく、常に変化を押し進め、さらには引き受ける必要もあるということだ。また、エリザベスの研究対象が「生命起源」である点も示唆的だ。彼女の研究者としての道を阻害する多くの要因は、社会制度の問題であり、人間が生み出したものである。つまり、「生命起源」のレベルでは、男女の能力に差はないことを証明することになるかもしれないからだ。
本著は、わかりやすい勧善懲悪の物語である。「現実はこんな風にうまくいかない」というシニシズムが立ちはだかるかもしれないが、理想は社会を変化させる上で必要だと気づかせてくれる、フィクションの大事な役目を果たしている一冊だった。
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