急に具合が悪くなる / 宮野真生子、磯野真穂 |
方々で話題になっている一冊をようやく読んだ。ショッキングなエンディングはさることながら、それに至るまでの対話の積み重ねがどれもかっこよく本当に眩しすぎる。1ページ、1ページめくるたびに祈るような気持ちになりつつ、同時に自分の人生を見つめ直す。そんな稀有な読書体験だった。
哲学者の宮野氏と文化人類学者の磯野氏による五回にわたる往復書簡が収録されている一冊。宮野氏がガンを患っており、その闘病の最中での対話となっている。まさにタイトルどおりに「急に具合が悪くなる」中でも絶えず思索を続ける宮野氏の姿勢に驚く。それは非ガン患者が想像するような一方的な患者ではない。自分の病気や人生、生と死を限りなく客体化して文字にしている様はまさしく学者そのもの。専門が哲学ということもあり、概念的な話が非常に興味深かった。また書簡という形式もあいまって、相手に語りかける口調の文体なので、哲学の難しい部分を丁寧に噛み砕いてくれている点は門外漢にはありがたかった。
特に興味深かったのは偶然や必然に対する解釈。現代社会では合理的に考えながら未来に備えてリスクを管理しながら生きていくことが正しい、素晴らしいというムードが蔓延しているが、果たしてそうだろうか?と問い直している。宮野氏による野球のアナロジーを駆使した偶然と必然の必要性を語る場面は鳥肌が立つほどにかっこいい。
自分の力ではどうしもないものがあるとわかっていながら、彼らはバットを振り、グラブを出す。必然性をお求め、この先の展開を予測し、自分をコントロールしようしている選手たちは、最後の最後で世界で生じることに身を委ねるしかない。それはどうなるかわからない世界を信じ、手を離してみる強さです。そんな強さをもつ選手たちに私は憧れ、「いま」が産み落とされる瞬間に立ち会って時々泣きそうになります。
多様性を筆頭にした関係構築のあり方についての議論も、たまに感じる違和感が言語化されていた。今の社会で喧伝されているのは、点と点を繋ぐ静止画的な関係性の構築だが、実際に多様性を支える関係性は動的で知覚の伴った運動であろうという指摘に納得した。
磯野氏も本著内で述べているが、そこまで深い付き合いではない二人が書簡で語りあっている点もポイントだ。あまりに近い存在であれば、ガンを患っていることに対して、ある意味過剰な心配(またの名をおせっかい)を善意で押し付けてしまうことも多い中で、二人は学者であることもあいまって言葉で今を解きほぐそうとする。安易な感情論に流れない。つまり、ガン患者と非ガン患者という硬直した関係性に陥らないということだ。当然、この書簡だけではなくLINEや対面でさまざまなやりとりがあったとは思うものの書簡内では基本的に崩さない。自分がガン患者だったら…と想像して、文章上とはいえ、最後の最後までここまで毅然に振る舞えるのだろうかと考え込んでしまった。ただ「死の話=ネガティヴ」という単純なムードでは決してなく、二人で向き合った結果の「信用」が言語化されているからこそ胸を打たれたのかもしれない。人生において大事な1冊となった。
あなたがいるからこそ、いつ死ぬかわからない私は、約束という賭けをおこない、そのわからない実現に向けて冒険をしてゆく。あなたがいるからこそ決めたのだという。「今」の決断こそ「約束」の要点なのだろうと。だとしたら、信頼とは未来に向けてのものである以上に、今の目の前のあなたへの信であると言えそうです。
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