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心臓を貫かれて/マイケル・ギルモア |
最近、読書ブログを更新できていなかった理由は600ページ超の本著を読んでいたからだ。犯罪実録もので、ページをめくってもめくっても終わらない、そんな読書体験はタイトルどおり「心臓を貫かれて」しまうような壮絶なものだった。
殺人罪で死刑判決を受けたゲイリー・ギルモアが、死刑廃止ムード漂う70年代アメリカで、みずから銃殺による死刑を要求し執行された。そのゲイリーの実弟であるマイケルが自身のファミリーヒストリーを丹念に追いかけながら、どうしてゲイリーが死ななければならなかったのかについて掘り下げていくドキュメンタリーである。
マイケルはローリングストーン誌でも活躍した音楽ライターであり、末っ子である自分自身の記憶や主観だけではなく、両親や兄弟の人生を丹念に取材し、まるで一本の映画を撮っているようなタッチで家族の歴史を描き出していく。特に序盤は両親の過去の話であり、当事者からはかなり距離のある登場人物かつ過去パートなので読み進めるのが本当に大変だった。そんな読みづらい物語が一気にドライブしていくのはマイケルの父の死であり、そこからまるで死神が順番に命を奪うかのような感覚に襲われる。
カルマという言葉を信じてしまいそうになるほど、家族が破滅ロードを爆進し、物理的にもメンタル的にも救済される様子が描かれておらず、負の連鎖のチェーンそのものを丁寧に描いていく筆致なので、読み進めることが苦しくなる瞬間は何度もあった。マイケルは作中で何度も「呪い」や「悪霊」について語るが、それは決してオカルト好きなわけではなく、むしろ現実から目を逸らすための手段であることを明らかにしている。そして、彼の語りを通じて、オカルトへの逃避という行為そのものが、現実を受け止めることのしんどさを物語っているように感じた。
「家庭こそ善である」という考え方の暴力性も印象的だった。過剰な束縛や従属によって鬱屈した気持ちが生まれていく様が克明に描かれており、父親からの体罰が日常的に繰り返される家庭で育った子どもが、グレない方が不自然だろう。育児における体罰なんてあってはならないと思いつつ、そんな描写のなかで思い出したのは川上未映子『きみは赤ちゃん』の次の一節だった。
生まれたわが子を犯罪者にしてやろうともくろんだ親はたぶんひとりもいないはずで、どの犯罪者も、どの大悪党も、最初はこのように人のおなかからでてくるだけの、ただのかたまりであったはずなのだ。
本著では犯罪者になってしまう過程を追いかけるわけだが、決定的な「きっかけ」は存在しないことがわかる。つまり、さまざまなファクターがかけ合わさり、時間をかけて本人もわからないレベルで何かが少しずつ侵蝕していき暴発してしまう。それはまるで癌のようで、気づいたときにはもう手遅れなのだ。
愛と憎しみは表裏一体であり、その対象によっては、愛はあっけなく憎しみに反転する。そして、その憎しみをきっかけとして、少しのミスで元に戻れないところまで落ちてしまう。その落ちた先で待つのは「信仰の皮をかぶった裁き」というのは言い得て妙だった。当時のアメリカではキリスト教かもしれないが、今の日本では「ジャスティス教」とでも呼びたくなるような正義の鉄槌が、ネット上で無数に振り下ろされている。その無邪気な行為がどれだけ人を壊してしまうか、そのリスクが軽視されている中で、本著を読むと人間性は昔と何も変わっておらず、表出する形が変化しているだけなのだと感じた。そして、絶え間のない審判を潜り抜けることが、生きることだ、という筆者の主張に激しく頷いたのであった。
日本でも死刑制度は存在し、被告人の意思に沿うかのように早期執行される例も少なくない。しかし、ゲイリーの姿を通して見えてくるのは、人が人を裁くときに「死」をもって何が解決されるのか、という問いだ。当然、彼が重大な加害者であることは間違いないわけだが、その凶行に至るまでに何があったのか、本著ほどのプロファイリングを行なってからでも遅くないのではないのかと思う。原因の一端でも掴むことができれば、それを次世代に生かすことで未来は少しでも良くなるのではないのか。こんなことを言うと「理想主義者が!」と鼻で笑われることを承知しつつ、そんなことでも言わないとやってられないほど、本著で描かれる地獄は容赦がない。
そして、分量的にも内容的にもかなりハードコアな本著を日本に紹介する上で、翻訳者としての村上春樹の活躍には舌を巻かざるをえない。訳者あとがきで、本著を翻訳する経緯や方法論について書かれていたが、その愛や思いは翻訳からも十分に伝わってきた。このリーダビリティの高さは特筆すべきもので、もし他の訳者だったら、完読できなかったかもしれない。いい意味でのポップさが効果的に機能するいい例だった。とにかく後にも先も前人未到な圧倒的ノンフィクション!
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