2016年7月31日日曜日

深い河

深い河 (講談社文庫)


沈黙で俄然気になり始めた遠藤周作の作品。
本作も又吉さんの著書で沈黙とセットで紹介されていて、
沈黙が超オモシロかったので読むしかないでしょ!
ということで読んでみました。
結果こちらも超オモシロイ作品でした。
深い河=ガンジス川でありながら、
ヒンドゥー教に閉じず幅広い宗教に関する話になっています。
メインの登場人物が5人いて、
彼らはインド旅行ツアーを共にする人で群像劇として描く。
それぞれ異なる背景があるものの、
自らの内なる喪失感を埋めるかのように、
インド、深い河へと誘われる姿がオモシロイんですよね。
喪失感のグラデーションとして、
登場人物が5人用意されていると。
1人は妻を亡くし彼女の輪廻転生を願い、
1人は飼っていたペットが自分の身代わりに
亡くなってしまったと感じ、
1人は第二次大戦時の記憶を引きずって、といった感じ。
これらがサブストーリーとして描かれ、
メインとなるのは大津という神父と
彼の大学の同窓である美津子。
大津というキャラクターが物語の象徴で、
彼はキリスト教の神父でありながら、
キリストが絶対的な存在だとは考えておらず、
神はそれぞれの人々の心の中に転生しているのである。
という考え方をしています。
作品中に「キリスト」の文字が一言もなく、
「あの人」や「玉ねぎ」といった言葉に置換されており、
物語の内容と文体の一致という点で興味深かったです。
(玉ねぎと書かれた理由は自分で読んで確かめてください。)
彼へのカウンターとして強烈な無神論者として、
美津子という人物が配置されている構成。
「宗教なんて信じちゃっておバカさんね!」
というスタンスだった彼女が人生を生きる中で、
自分がどこにいて何を欲しているのか分からない、
と思い始めたところで大津の存在が気になっていく、
その話運びがとにかく素晴らしかった!
宗教を信仰するとまではいかなくて、
何かを信じ始める …みたいなバランスが好きでした。
いきなり0が100になることなんてそうそうないんだから。
まるでキレのいい映画を見るようなエンディングも最高最高!

2016年7月30日土曜日

A2



ということでAから続けて見ました。
Aの撮影から数年後にオウム真理教へ
森達也監督が再度密着したドキュメンタリー。
これが撮影されたのは1999年で公開が2001年。
2010年代に入って顕著となった、
他人に対して不寛容な社会の萌芽がここにあると感じました。
前作のAでは教団内部にフォーカスを当てて、
どういった考えを持っているのか描いていました。
一方の本作は外側の人、オウムと対峙する
一般の人たちにフォーカスを当てています。
具体的には彼らが共同生活を営むアジトを構えたところへ、
自治体、地域住民が退去させようと押し掛けてくる。
Aでも見られたんですが善意、正義を掲げる暴力って、
ホント狂信的で怖いなーと思いました。
いつ自分にどんな理由で同じような暴力が
降りかかるか分からないのに、
他人に対して大義を胸に抱えて遠慮なく暴力性を発揮する。
この当時はオウムが絶対悪として
社会的に認知されていましたし、
彼らがアジトを構えたら何をするか分からない、
その前例がサリンだった訳ですから、
心情的に拒絶するのは当然理解できる話です。
ここから10年近くたった今、
その範囲が人種や性的嗜好まで拡張してしまって
ヘイトが溢れる社会になってしまっている現状を
まるで予言するかのような作品になっていました。
森監督は映画よりもたくさんの著書があるので、
少しずつ読みたいなーと思っています。
あと本作の完全版を劇場で見逃したので、
どこか機会があれば駆けつけたい所存です。

A



森達也監督作品。
FAKEで初めて見たんですが、
オウム真理教を扱った彼の代表作ということで見ました。
地下鉄サリン事件から約1年後に、
監督が教団に密着したドキュメンタリーなんですが、
事件から20年経った今でも
考えさせること山の如しでした。。。
確かにオウム真理教のメンバーは
取り返しのつかない犯罪を行ってしまった訳ですが、
ここまで社会から拒絶されて追い込まれるのかと。
宗教と社会の関係って難しいなと改めて思いました。
その宗教が反社会的行動を取った場合に、
宗教全体が悪とされる連帯責任システム。
最近のISISとイスラム教の関係もそれに近いでしょうか。
贖罪としてどこまですべきなのか、
信仰の自由は果たして存在するのか。
どんどん教団のアジトが破壊されていく様や、
とくに警察からの取り調べのシーンは
見せ方込みでマジかよ?!と思わされるくらい。
何度も言いますが、オウム真理教として、
あの事件のことは一部の人間がやったことですので、
私たちは関係ありませんというスタンスは
おかしいと思いますし、
社会的制裁は受けてしかるべきだと思います。
ただ、正義が振りかざされたときに見せる
異様なまでの暴力性が見るに堪えなかったです。
続編のA2も早く見たいと思います。

2016年7月29日金曜日

宇宙戦争



黒沢清監督の本で取り上げれていましたし、
某先輩に「宇宙戦争をこれから楽しめるのは幸せなこと」
とまで言わしめる作品。
スピルバーグ監督作品で主演トム・クルーズ、
地球外生命体の侵略という話の内容から、
予定調和の塊のように思われる方が多いかもしれません。
確かにその側面もあるんですが、
ただのSFじゃないのはスピルバーグ印というべきでしょうか。
黒沢監督が言及していたのは中盤と終盤の
いずれもワンショットのシーン。
中盤のシーンではトムの銃が奪われたあと、
その銃が他人同士の殺し合いに使われてしまう。
十分に陰惨さが伝わってきたんですが、
殺戮と難民というテーマが象徴されていて、
なおかつ暴力の連続性を示しているという論考を見ると、
映画を理解することは奥深いことだなーと思います。
終盤のシーンはより情的な的な見方で
ワンショットで見せることで
「当たった〜」という純粋な感動があると、
黒沢監督は主張していました。
あと本作の魅力はバイオレンス描写ですね。
とくに血を使った演出が秀逸で、
終盤の外へ出た時の文字通りの地獄絵図っぷりが圧巻でしたし、
これ戦争映画じゃん!な展開はスピルバーグならでは。
トムの娘のヒステリックっぷりも相当ハードで、
スクリームっぷりが最高最高でした。
地球外生命体側の文明のロジックの弱さは
気になったけれどそれはSFに付き物な話。
スピルバーグ監督作品は能動的にならないと、
なかなか見ないので意識して見たいと思います。

2016年7月26日火曜日

突然ノックの音が

突然ノックの音が (新潮クレスト・ブックス)


小説家であるエドガル・ケレットの
あの素晴らしき七年という
素晴らしいエッセイを先日読んだのですが、
改めて彼の小説を読んでみました。
彼の背景を知ってから読むことができたので、
とても楽しく読むことができました。
今年出会った作家で一番好きかもしれません。
本作は短編集で長いものから短いものまで、
38の物語が入っている作品。
基本的に時代や場所は日常的なんだけど、
その日常に「突然ノックをする」かのごとく、
フィクション性が急にインサートされてくる話が多くて、
このギャップがなんとも愛おしい。
あの素晴らしき七年のレビューにおいて西加奈子さんが、
「言葉の、そして物語の力を信じている人だけが
出来る勇気の書でもあるのだ」
と評していますが、物語の力を信じていることは
小説からビシビシ伝わってきます。
タイトルにもなった「突然ノックの音が」は
物語への強烈な要求を題材にしていて、
ファニーなんだけど物語への真剣さが伝わってきました。
起承転結で言うところの起承で
終わってしまうような話が多いので、
白黒はっきりつけたい人、
たとえばミステリーが好きな人などにとっては
肩透かしを食らったように感じるかもしれません。
あとがきに書いてあったんですが、
彼の創作方法としては、一旦長めに書いておいて、
そこから推敲し言葉を研ぎ澄ます作業を経ているとのこと。
ゆえに明快なオチはないにしても、
何とも言えない余韻が残り、余白を自分で想像してしまう、
そんな魅力が彼の作品にはあると思います。
男女の関係性にまつわる話が多く、
しかも浮気や愛する人を亡くしてしまうといった
アンハッピーな設定が多いのも特徴的。
そのアンハッピーをずしんと受け止める話もありますし、
突飛な展開で思わず微笑んでしまうような話まで。
絶望の中にも希望があるし、希望の中にも絶望はある。
といった価値観が好きでした。
現状、日本語で読めるのは2冊しかありませんが、
信頼と実績の新潮クレストブックスが
何とかしてくれると信じてる!

2016年7月25日月曜日

AMY エイミー

a

<あらすじ>
06年発売のセカンドアルバム「バック・トゥ・ブラック」は
全世界で1200万枚以上を売り上げ、
08年の第50回グラミー賞では5部門を受賞するなど、
世界で人気を集めたワインハウス。
しかし、歌手として成功する一方、
過激な発言などでプライベートも注目され、
スキャンダルも多く報道された。
そんなワインハウスの知られざる真実を、
未公開フィルムやプライベート映像も交えて映し出していく。
映画.comより)

2011年に亡くなったエイミー・ワインハウスの
ドキュメンタリーということで、
彼女の命日である7月23日に見てきました。
彼女の歌は以前から好きで亡くなったときは
結構ショックだったんですが、
本作は偉大な才能をくだらないことで、
世界が失ってしまったんだということを
直視させられる内容で見ていて辛かったです。
彼女の歌手としての歴史がダイジェストで分かりますし、
あの独特の歌声と圧倒的歌唱力が
改めて素晴らしいものであることを心底実感しました。
ただ、映画の構造の歪さが少し気にかかって、
結局これはエイミーにとってはどうなんだろうか?
という疑問を持ったりもしました。

※ここからは盛大にネタバレして書きます。


ホームビデオでまだ少女だった頃のエイミーが

友達のためにバースデイソングを歌うところから始まります。
この頃からすでに片鱗を見せる彼女の歌声の魅力。
粘っこいとでも言うべきか、
往年のソウル、ジャズシンガーのような声が、
僕が彼女を好きな理由です。
本作はニュースやTV番組と彼女の恋人、友人たちが
撮影していたプライベートなビデオ素材で構成されており、
そこに当時を振り返る友人・アーティストのインタビューを
音声のみインサートしていくので、
いわばコラージュのような作りになっています。
オリジナルの映像素材として特徴的なのは
ドローンを使ったショットでロンドンの街を優雅に映し出します。
まるでエイミーが空を飛びながら自らの街を眺めているかのよう。
彼女は2枚のアルバムをリリースしていますが、
そのリリースタイミングで前後半が分かれているような構成。
まず1枚目のアルバムのリリース、すなわちデビュー期ですが、
僕は全然知らなかったことばかりで、
とてもオモシロかったです。
若いA&Rがさらに若い才能を見出し、
彼女を売り込んでいき、彼女は驚くべきパフォーマンスを発揮する。
もっとおじさんが惚れ込んだのかと勝手に思っていました。
またサラーム・レミが彼女のデビュー曲をプロデュースし、
その後も良き理解者として彼女に寄り添っていたことは、
彼女の才能をいち早く察知していたからでしょう。
1枚目のアルバムが完成して、そこそこの成功を収めた後、
彼女の運命を大きく左右する元旦那のフィールダーと出会う。
エイミーはフィールダーのことを心底愛しているんですが、
結果的にフィールダーは元彼女のことが忘れられず、
エイミーの元を去ってしまったことで
彼女はアルコールに溺れてしまう。
この体験が彼女の代表曲であり人生を変えることになる、
「Rehab」を生み出すきっかけになるんだから、
人生何が起こるか分からないものです。
Back To Blackの製作においては、
フィールダーとの別れを音楽で吐き出す!
ということが良い方向に作用したように見えるし、
彼女自身もインタビューで語っていました。
また、このタイミングでデビューを支えた
マネージャーと別れ元プロモーターの人を
新たにマネージャーとして迎え入れます。
旧マネージャーが語る内容が
ショービズの残酷さを物語っていて、
彼が担当しているときに彼女を施設へ入れて、
アルコール中毒をきっちり治していれば、
死は避けられたかもしれないと。
その体験があったから「Rehab」という曲が
生まれているので、何とも言えないアンビバレントさがあります。
(歴史に「たられば」「かも」は
禁句とは重々承知していますが…)
Back To Blackはイギリスだけではなく、
アメリカを含め全世界でヒット、
ツアーにも精を出し順風満帆かと思いきや、
一度別れたフィールダーとよりを戻し、
ここからヘロイン、コカインといった
ドラッグに溺れていってしまいます。
本作内ではフィールダーがそそのかしたような
ニュアンスで編集されていました。
グラミー受賞によりセレブとなった彼女を
追い回すパパラッチの出現も
彼女をドラッグに走らせた大きな要因だと思います。
2000年代後半にあんだけ分かりやすい、
とんでもキャラクターがいたら、
そら食いつくわなーと思いました。
僕が本作の歪さを感じ始めたのはこの辺りから。
前述したとおり本作は過去の映像のコラージュ、
カットアップで映像が構成されているんですが、
観客が見ている映像はパパラッチの産物、
またはフィールダーや友人、家族が撮影したビデオが
非常に多くの割合を占める訳です。
パパラッチはエイミーを追い込んだ訳なので、
当然悪かったと思うんですが、
彼らの素材を使って悪党扱いするのってどうなん?と。
見ている観客も然りなのは分かっていますが、
エイミーはどう思うかな、なんておセンチな気持ちになりました。
少しネガティブなことを述べましたが、
それを補ってあまりある彼女の歌は
本当に素晴らしかったです。
本作最大の魅力であることに
異論がある人はいないと思います。
サラーム・レミやマークロンソンのスタジオで、

彼女が歌を披露する姿は超カッコいいし、
歌詞に字幕がきっちり付くので、
その歌の背景と内容の理解が深まりました。
終盤のトニー・ベネットとの共演なんて、
超シビれる内容で最高最高!
エイミーの歌の内容があまりに素晴らしいがゆえに、
もうこの世にいないことが残念で残念で…
亡くなる直前に検討されていた、
The Rootsの?uestloveやMos Defとのプロジェクトが
実現していれば、どうなっただろう?とか、
ロバート・グラスパーを筆頭とした、
2010年代のジャズとのケミストリーを想像したり。
映画を見終わった後の圧倒的な喪失感は
筆舌に尽くし難い部分がありました。
この世に残された僕達ができることは
彼女が残した素晴らしい音楽に耳を傾け、
エイミーのことを後世に語り継ぐことでしょう。
もしエイミーが生きていたら今の時代に
どんな曲を歌うかなーと考えましたが、
最後はこんな曲で締めたいと思います。(カバーですが、、)



Our day will come

And we'll have everything
We'll share the joy
Falling in love can bring

No one can tell me

That I'm too young to know
I love you so
And you love me

Our day will come

If we just wait a while
No tears for us
Think love and wear a smile

Our dreams have magic

Because we'll always stay
In love this way
Our day will come

2016年7月24日日曜日

ヤング・アダルト・ニューヨーク



<あらすじ>
8年間も新作が完成していない
ドキュメンタリー映画監督のジョシュと妻のコーネリア。
40代になり、人生にも夫婦にも何かが欠けている
と感じるようになったある日、
ジェイミーとダービーという20代のカップルと知り合う。
時代に乗り遅れたくないとSNSに縛られる日々を送る
自分たちに比べ、自由でクリエイティブに生き、
レトロなカルチャーを愛する若い2人に刺激を受けた
ジョシュとコーネリアは、再び活力を取り戻していくが…
映画.comより)

ノア・バームバック監督最新作ということで、
とても楽しみにしていた作品。
前作のフランシス・ハが大好きな作品で、
果たして今回は?!と思って見たら、
なかなかに厳しい姿勢の映画でした。
世代間ギャップの話とも言えるでしょうし、
大人がドタバタすることは身も蓋もないですよね、
というね〜僕は20代で本作の対立構造で言えば、
ヤングに該当するのかもしれませんが、
身につまされることもありました。

※ここから盛大にネタバレして書きます。

映画監督のジョシュを演じるのはベン・スティラーで
妻のコーネリアを演じるのはナオミ・ワッツ。
友人夫妻宅で彼らの子どもと戯れるシーンから始まります。
はじめ主人公2人の子どもかと思いきや、
コーネリアの子どもの抱き方の不器用さから、
彼女の子どもでないことが分かる。
本作では「子どもがいる/いない」が
「大人になる/ならない」の
境界線のごとく描かれているのが興味深かったです。
僕は「子どもいる/いない」なんて
その夫婦の自由じゃん!と思いますし、
それぞれの人生がありますよね。
子どもがいれば、その成長を見守る楽しさがあり、
子どもがいなければ、比較的自由が効くので
フットワーク軽く何でもできる。
主人公たちも過去に子どもを作ろうとしたけど、
2回流産してしまって断念。
子どもの代わりに手にした夫婦2人の自由を謳歌した生活の中で、
ジェイミーとダービーという、
今のアメリカでCoolとされる若者と出会います。
彼らは過去のカルチャーや先人へのリスペクトを示す。
40代の主人公たちが最先端のテクノロジー、カルチャーに
必至に活用している一方で、
若い夫婦がレコードに代表されるGood Thingsを
余裕を持って楽しんでいる姿の対比が超厳しかったです。
本作の好みが別れるのは、
「いい歳こいたおっさん、おばさんが
必至にトレンドに追いつこうとしてんじゃねえよ」
と思えてしまう作りだと思います。
確かに街中でiPadのマップで行き先を探すオジさんを見ると
手に持ってるのが石版に見えるときがあります。
最近の話で言えばポケモンGOですよね、
夢中になって街を徘徊する大人を見ると
そこそこ虚しい気持ちになります。
若い頃に背伸びして自分の知らないものに
触れようとする姿勢はカッコ良く映るけれど、
年取ってから同じことすると必死感がどうしても出てしまう。
この辺は難しいところですよね。
見てて辛かったのは幻覚剤を飲んで、
邪気を払いましょうというイベント。
そんなクソヒッピーみたいなこと、
40越えた大人が参加するってどういう了見なんだよ
と思ってしまうのは致し方ないと思います。
また前述した子どもの話も関わってきます。
子どものいる大人は子どもが最優先事項として存在し、
今何がトレンドで〜みたいなことと無縁になりがち。
友人間での会話の話題も自然と子どもの話になりますよね。
そこにフィットできない切なさとでも言いましょうか。
その象徴が子どもの歌教室に連れて行かれるシーン。
連れて行った友人は、子どもを持つことの素晴らしさを伝えたい!
という優しさのつもりなんでしょうけど、
余計なお世話だバカヤロウ!と言いたくなるのはよく分かります。
こういった断絶があって疎遠になるという話はよく聞く話ですし、
すでに僕はそのフェーズに入りつつあります。
皆が自分の人生に向き合っているときに、
アホみたいに映画見たり、本読んだりしている訳ですから。
ただ子どもがいないことが
人間として足りていないという見方をされてしまうのは
ホント気持ち悪いよなーと思います。
(岸政彦さんの断片的な社会学でも書かれていた話ですよね)
はじめは純粋な好青年と思われたアダム・ドライバー演じる、
ジェイミーが実は腹黒野郎と発覚していくのが後半。
すべてを計算した上でジョシュとコーネリアに
取り入っていたことが明らかになっていきます。
ここから想像されるのは経験を持つ
年長のジョシュがジェイミーに一泡吹かして、
大人は舐めたらあかんわ〜と反省させるという展開。
しかし、本作はそれも裏切って徹底的にジョシュを追い込む。
過程は重要なことではなく、重要なのは結果、全体像なのである、
というメッセージは十年近くかけて真面目に向き合って、
1本の映画を作ろうとしているジョシュにとっては辛い話。
2人ともドキュメンタリーを作っているので、
1つのドキュメンタリー映画論が
フィクションの中で展開されるメタな作りは
オモシロかったと思います。
ジョシュはジェイミーのヤラセの部分を糾弾するんですが、
彼自身もそれに近いインタビューの取り直し、
つまり時系列の入れ替えをやってる訳です。
ジェイミーはジョシュを騙したという
仁義なき撮影法になっている点が問題な訳で、
そこもっと言えよ!と思いました。
東京ポッド許可局で年を取るに連れて
自分が本当に必要なものが洗練されていくという話がありましたが、
本作のセリフにもある「足るを知る」ということは、
意識していきたいなーと思う映画でした。

2016年7月23日土曜日

LOFT ロフト


黒沢清監督作品。
本作はサスペンスホラーでとにかく超怖かったです。
主人公は中谷美紀演じる小説家。
作品が思うように書けない中で山奥へ引っ越すんですが、
その付近の沼からミイラが発見された曰くつきの場所で…という話。
前半はホラーな装いで、音楽のタイミングや
ショットの見せ方で怖さが増していきます。
各登場人物の実態が掴めないし、
夢と現実の境目が曖昧になっていく感じがたまんなかったです。
本作は西島秀俊が素晴らしくて絶妙な空虚感。
クリーピーでも心のない演技がありましたが、
この頃からそういう魅力があったんだなーと。
(最近CM出まくりで善良なイメージあるけど)
後半にかけてはサスペンス要素が高まりつつ、
そこにホラーな展開が合わさって
相乗効果で恐怖がさらに倍増していて怖かった。。
今回もロケーションが抜群で、
とくに家の前にある大学施設の佇まいが良かったです。
映画館でホラーが見たくなる2016夏。

2016年7月22日金曜日

アカルイミライ



黒沢清監督作品。
何者にもなりきれない若者が社会を彷徨うというお話。
タイトルに「アカルイ」と入っていますが、
息が詰まるようような鈍重さ、閉塞感と、
たまにみえる開放感のバランスがオモシロかったです。
若かりしオダギリ・ジョー、浅野忠信を中心とした青春もので、
浅野忠信の父役が藤竜也という布陣。
表面上はそこまで大きな事件が起こるわけじゃないんですが、
抽象的な内容で読み解き方次第で、様々な見方ができると思います。
本作ではクラゲがモチーフとして扱われており、
クラゲが見た目の美しさと裏腹に毒を持つこと、
クラゲが海水から真水に順応して東京の河川に紛れ込むことなど、
色々と見立てたくなる〜という映画好きの心をくすぐります。
浅野忠信が結果的に犯罪者となっていますが、
それはもしかしたらオダギリ・ジョーだったかもしれない、
という展開まで踏まえるとクラゲは彼の内面なのかなぁとか思いました。
浅野忠信の演技がとにかくカッコよくて、
スプリングぐるぐる巻きにする演出が最高最高!
(何言ってるか分からないと思うから見てください。)
本作は家族の物語でもあり、
藤竜也が失われた家族と過ごす時間を取り戻そうとする、
その姿勢が重た過ぎず、軽過ぎずのちょうど良いバランスでしたし、
彼の仕事がリサイクルというのも何をか言わんやって話。
また黒沢監督特有の映像の魅力は本作でも炸裂。
刑務所のセット(?)の禍々しさは好きでしたし、
なかでも僕はどうしても忘れられないショットがあって、
それは藤竜也とオダギリ・ジョーがゴミ捨て場で弁当を食べるシーン。


この色彩がたまんなくカッコ良い!部屋に飾りたいくらい。
本作はフィルムではなくビデオで撮影されたそうですが、
道具に応じてその魅力を最大限に発揮させることが
大事なんだなーとしみじみ思いました。
(あと車のスプリットスクリーンもフレッシュでした)
終盤の少年ギャングとの強盗シーンは開放感あってカッコ良かった!
そしてラストに練り歩きーのでタイトルどーん。
あの少年たちに待つミライは果たして…と思いをはせつつ、
大人になった僕はどうするんだ?と自問自答した。

黒沢清、21世紀の映画を語る

黒沢清、21世紀の映画を語る


クリーピーが滅法オモシロかったので、
改めて黒沢清監督の作品を本腰入れて見ていこう!
と思ったので、先に書籍を買って読みました。
タイトルは21世紀の〜となっていますが、
黒沢監督の映画論、撮影術といった内容で、
めちゃめちゃ興味深くてオモシロかったです。
2004年〜2009年の講演内容を
文字起こしした形式なので格式張ってなくて読みやすいです。
黒沢監督の映画は物語としてのオモシロさは当然のことながら、
映画内の1つ1つのショットに意図を感じるなー、
とぼんやり思っていた部分が本作を読むことで
なるほど!とクリアになっていきました。
そもそも映画とは何ぞや?という根源的な問いに対して、
彼は映画誕生初期のリュミエール「工場の出口」を
繰り返し引用し、映っていないものに思いを馳せる、
それが映画であると主張しています。
この主張を踏まえると彼が映画のショットに
こだわる理由がよく分かりました。
とくにワンショットで見せることの意義と、
カットを割ることによる世界(リアル)の断絶という話は、
これから映画を見るときに意識してしまうなーと。
また映画を撮影する場所に関する話も興味深かったです。
映像を映画最大の魅力と言う彼が作る映画において、
一体どこなんだ!というショットや
ロケーションそれ自体が意味を持っていること、
これらについて明確に言葉で語られると
より一層理解が深まりました。
目の前のリアルと脚本で語られる物語のバランスを上手く取って、
映画というメディアを形成するのが監督の仕事という話も、
脚本がオモシロければ映画はオモシロくなる
と思いがちな部分に対するカウンターとして
大事な話だよなーと思いました。
紹介されている映画はどれもオモシロそうだし、
すでに見たことのある映画でも
「そんな見方してるんですか?!」的な話もあって
映画レコメンド本としても良いと思います。
何より本作を読むことは黒沢作品を見る際に、
さらに豊かな映画体験を保証してくれること間違い無しなので、
彼の作品が好きな人は必読の1冊かと思います。

2016年7月19日火曜日

赤めだか

赤めだか (扶桑社文庫)


去年の暮れに二宮くん主演でドラマになった作品で、
それが滅法オモシロかったので読んでみました。
ドラマが本作の映像化として100点!
と確信を深めつつドラマに入っていなかった、
エピソードもあって、とても楽しかったです!
本作は高校を中退し立川談志に弟子入りした談春が、
二つ目になるまでをメインに描いたエッセイ。
落語の世界は師匠絶対社会であり、
ときには矛盾に耐えなければならない過酷な修行、
それが落語の前座というもの。
輪をかけて辛いのは談春の師匠が
立川談志であるということです。
本作には談志の気分屋としての残酷な一面と、
弟子への愛、もっと大きくいえば落語への愛の両面が
談春の目線から描かれています。
これが青春物語として抜群にオモシロいんですよねー
落語家になるという漠然とした目標はあるものの、
日々の生活ではどこにゴールがあるか分からない、
何者でもないことへの葛藤を抱えながらも、
日々の雑務と修行をこなしていくしかありません。
ただその日常のエピソードが超オモシロいし、
たまに放たれる談志の圧倒的な正論には溜飲が下がる。
自分はどうだろうか?と自問自答してしまいました。
現状を分析して足りていないことをあぶり出し、
やるべきことをやるという極めて論理的な思考を持ちながらも、
弟子を築地に修行に行かせたり、
談春が風邪を引き師匠に移すまいと思い、
稽古を断ったら彼を無礼者扱いしたり。
この矛盾が談志という人の魅力なんだろうなぁと思いました。
立川流は他の一門とは異なり、
完全に実力主義で談志が認めればそれで一人前になれる世界。
談志に認められるかどうかはありますが、
基本的に「やる/やらない」は自分次第なわけです。
結果的に立川流には素晴らしい落語の才能が生まれる一方で、
無数の犠牲が生まれたと本作に書かれていました。
それを象徴する談秋のエピソードは相当グッときましたねー
落語を知っていれば、より理解が深まるだろうな
というエピソードも多いので落語を始めてから、
もう1度読んでみたいと思います。
(くれぐれも言っておきますが、
落語知らなくても十二分にオモシロいんですよ!)
あと僕は文庫本で買ったんですけど、
今年買った本の中でベスト装丁!と言ってもいいくらい、
モノとして素晴らしいんですよねーとくにカバーの質感。
そういう意味でも購入するのがオススメです。

ファインディング・ドリー



<あらすじ>
カクレクマノミのマーリンが、ナンヨウハギのドリーと共に
愛する息子のニモを人間の世界から救出した冒険から1年。
3匹は平穏な日々を過ごしていたが、
ある晩、ドリーは忘れていた両親との思い出を夢に見る。
昔のことはおろか、ついさっき起きたことも忘れてしまう
忘れん坊のドリーだが、この夢をきっかけに、
忘れてしまったはずの両親を探すことを決意。
「カリフォルニア州モロ・ベイの宝石」という唯一の手がかりから、
人間たちが海の生物を保護している施設・海洋生物研究所に、
両親やドリーの出生の秘密があるとを突き止めるが…
映画.comより)

先日初めてニモを見たので、その勢いで見てきました。
ドリーというポンコツが主人公で大丈夫?
と思っていましたが、そんな心配は杞憂であり、
本当に素晴らしい作品でございました。
前作のドリーの立ち位置を逆手に活かした、
ハンディキャップを持つ人に向けた
賛歌とでも言うべきでしょうか。
ズートピアにおいて多様さを受け入れることを
鮮やかに描いていましたが、
本作もそれに並ぶものと言えるかもしれません。

※ここからは盛大にネタバレして書きます。

前作から1年後に忘れん坊のドリーが、
急に自分自身の両親のことを思い出して、
彼らを捜しに行くというお話なわけですが、
少し急なことのようにも思えるかもしれません。
ただ、そんなことを気にさせないくらいに、
ドリーの忘れん坊という特性による、
アイデンティティクライシスの残酷さが多く露呈します。
前作ではコメディリリーフの役割だった
忘れやすいことの裏面を描いていくところに
ディズニーの覚悟を感じました。
一体オレがどこの誰か?その根源である両親を
幼少時の断片的な記憶を基にニモ達とカルフォルニアへ。
両親がいたのは海洋生物研究所と呼ばれるところで、
水族館のような展示もしつつ、
傷ついた海洋生物を治して海に帰すことを行っています。
それゆえここに登場する海洋生物は
皆ハンディキャップを抱えています。
目の悪いジンベイザメ、エコーが使えないジュゴン、
足が7本しかないタコ。
ドリーと彼らと時々ニモ親子が協力しながら両親を探すのが
とてもオモシロかったです。
僕はアクション要素の部分が好きで、
たとえばイカに追いかけられるシーンは
とても迫力がありましたし、
研究所からドリーが排水溝を通じて流されていくのを
ドリーの主観ショットで見せたり。
タコのカメレオン的な特徴を活かした演出もオモシロかったなー
前作から13年経っていることもあり、
ヴィジュアルの圧倒的な進化も素晴らしかったです。
細かい質感が物語に説得力をもたらすのは言わずもがな。
ルックもしっかり派手でオモシロい上に
親子物語、成長物語としてのオモシロさも抜群。
本作が伝えるのは「自分が自分であることを誇る」
(K DUB SHINEにピース!)
前述した通り、ハンディキャップを抱える生物たちが、
自分の長所を活かしながら、
なんとかしようと懸命に頑張る姿はそれだけで感動的。
自分がやれることを精一杯やるしかない訳です。
とくに僕はドリーの言っていた偶然や直感の大切さが
心にとても響きました。
大人になればなるほど蓄積したメモリーに依存して
生活、行動することが多い中で、
彼女にはそれがありません。
経験にすがることができない彼女だからこそ
持つことのできる直感の鋭さ、豊かさ。
それを彼女自身が体現しているし、
窮地に陥ったニモ親子も見習って、
直感に基づいて行動を起こすシーンがあって良かったです。
(ニモの父親が固定観念の象徴となっているのは、
少しかわいそうに思えたけど。)
終盤の"What A Wonderful World"は
これを映画的カタルシスと言わずして何と言おう!
って感じで完全にサムアップ。
エンディング曲がNat King Coleの"Unforgettable"
というのも渋くて良かったです。
八代亜紀の日本版も素晴らしかったし、
SIAが歌う中で海底を見せてくれるエンドロールも
本当に素晴らしい仕事だったと思います。
同じ監督のWALL・E見ていないので、
早く見たいなーと思います。

2016年7月17日日曜日

二重生活



<あらすじ>
大学院の哲学科に通う珠は、担当教授のすすめから、
ひとりの対象を追いかけて生活や行動を記録する
「哲学的尾行」を実践することとなる。
最初は尾行という行為に戸惑いを感じる珠だったが、
たまたま近所に住む石坂の姿を目にし石坂の姿を追う。
一軒家に美しい妻と娘と暮らす石坂を珠が尾行する日々が始まった。
映画.comより)

予告編を見て「これは!」と思って見てきました。
理由のない尾行を通じて人間とは何か?を
考えるというテーマの設定がオモシロかったですし、
尾行というテーマは映画というメディアに
ぴったりな題材だなぁと思ったりしました。

※ここからは盛大にネタバレして書きます。

印象的な 手のショットから始まり、
世界と自分を繋ぐランケーブルで
自らと世界の関係を絶つという示唆的な導入。
このシーンに至るまでが映画内で語られます。
珠(タマ)は哲学を専攻しているわけですが、
彼女ははじめランダムで100人にアンケートを取って、
人間の実存について考察しようとしたところで、
リリー・フランキー演じる教授から、
アンケートはアプローチが哲学的ではないと言われ、
理由なき尾行を勧められて尾行を開始します。
(尾行も十分フィールドワークやんと思いましたが…)
前半は珠(タマ)がひたすら石坂を尾行し倒します。
尾行対象の石坂は出版社で部長として働き、
立派な家と車を持ち、美しい奥さん、可愛い娘がいる。
いわゆる恵まれた家庭なんですが、
尾行開始直後に彼には愛人がいることが判明し、
スリリングさが増していきます。
本作のMVPは間違いなく珠を演じた門脇麦。
彼女の目の演技というべきか、
おたおたしているようで見るところはしっかり見る、
というバランス感が絶妙だなーと思いました。
あと本心、底が見えない感じがたまらなかったです。
それが顕著に見えるのは菅田将暉演じる
恋人の卓也とのやり取り。
2人が初めて登場するのは雑なセックスからだし、
珠の尾行生活が始まってからのすれ違いが
徐々に修復不可能なのものになっていく。
僕は水族館での尾行から帰ってきたときの
クラゲのモノマネの所在なさが大好きでした。
尾行と映画の相性がよいと書きましたが、
それは映画が覗き見の構造を持ち、
尾行は覗き見そのものだからです。
それを意識した視点の移動がオモシロくて、
珠自身の視点、珠のことを見る誰かの視点、監視カメラまで。
ショットの置き方がとにかく興味をそそりました。
映画見終わったあと、人の視線が異常に気になったし、
誰かに尾行されてないかな?と思ったので、
この視点の演出は見事だったと思います。
(どうも。自意識過剰野郎です)
常に誰かに見られている監視社会であり、
その人について知りたければ、
断片的な情報が1つでも手に入れば
ネットで検索することで芋づる式に他の情報も手に入る。
こういった現代的な個人情報の広がりだけではなくて、
昔ながらの井戸端会議の情報の豊かさも
映画内に取り入れてきているのが興味深かったです。
(大家さんも目がいいんだよなぁ。。。)
東京が舞台というのも示唆的で、
たまたま尾行した人が不倫していたわけですが、
対象が誰であっても何かしら秘密があるだろう、
と感じさせてしまうストレンジャーの都、
東京がスクリーンに浮かび上がっていたと思います。
あとは音楽が本当に良くてピアノを中心とした
アンビエントな音が映画にぴったりハマっていました。
本作が少し物足りなかったのは尾行が
石坂にバレてからの展開ですかね。
石坂本人のセリフにもありましたが、陳腐な物語に見えてしまう。
それが人間だといえばそれまでなんですが、
論文に書いてもいいですか?ダメだ!みたいなやり取りで、
急に物語の奥行きがなくなってしまうなーと感じました。
サイドストーリーとして流れる教授の家族にまつわる話は、
覗き見する他人の生活という意味では、
一番興味深い内容ではありました。(紀子の食卓的な)
シェイクスピアのハムレットのセリフである、
"to be or not to be"をさりげなく引用しながら、
破滅へと向かっていくのも良かったと思います。
終盤にかけては「見る/見られる」が
実は逆転していたことが分かるんですが、
そこに大きなカタルシスを設けず、
比較的ドライな点も好きでした。
元ネタの哲学の本がオモシロそうだったので、
機会があれば読んでみたいなーと思います。

2016年7月13日水曜日

イースタン・プロミス



ロシアン・マフィアのクラシック!
ということで見ました。
近年見た映画ではイコライザー、96時間 レクイエム、
ジョン・ウィックなどなど、
様々な映画でロシアン・マフィアが
敵役として登場しているんですが、
本作は彼らを主人公にした物語。
ロシアン・マフィアといえばタトゥー!
タトゥーの入っている位置とその模様で、
そいつがどんな人間か分かるという
記号のような役割を持っているんですが、
体に忠誠をきざみつけるという
男のロマンを感じてしまいます。
主人公は見習いで運転手として働きつつ、
組織内で頭角を示し上り詰めていくんですが、
終盤にまさか!な展開からの
あのラストのもの悲しいワンショットが好きでした。
あとお風呂での全裸乱闘シーンは必見だと思います。
教養としてのロシアン・マフィア!

沈黙

沈黙 (新潮文庫)


前から読みたいなーと思っていたのと、
又吉さんの新書の中で現代文学が紹介されている章があり、
一番最初に紹介されていたので読んでみました。
めちゃめちゃオモシロかったです!
1981年に発表された作品で
江戸時代のキリシタンを描いた話にも関わらず、
宗教への普遍的な眼差しがとても興味深かったです。
読み終わった後に響く「沈黙」というタイトルの重み。
主人公はポルトガル人の宣教師ロドリゴ。
日本人作家であるにも関わらず、
外国人が主人公になっているところからして、
これは何かあるな?と思いましたし、
あとがきでも指摘されていたんですが、
はじめに客観的な視点で背景をざっと説明し、
次に故郷の人に宛てた主人公の手紙という構成が巧み。
ロドリゴは熱心なキリスト教信者で、
キリスト教が迫害されている日本へ、
信者のために理想を高く掲げて密航してきます。
この理想が時間をかけて徐々に崩壊していく様を
ジリジリと描いていくのが無類にオモシロいんですよねー
主人公の周りを囲む登場人物が超魅力的!
キリストにとってのユダのような存在であるキチジローは、
ロドリゴへの裏切りを繰り返しながらも
彼に懺悔を求める情緒不安定な人。
ロドリゴは初めキチジローを「不道徳なやつだ!」
と完全に舐めているわけですが、
自分の信仰が追い込まれていき、
自分自身がキチジローとなんら変わらない、
むしろもっとひどい人間かもしれないと思い悩んでいく姿が
読んでてあまりに不憫だなーと思いました。
また、キリシタンを弾圧する役人である
イノウエの狡猾さがたまんない!
自分の痛みと他人の痛みの程度を理解し、
そこを巧みにコントロールして
ロドリゴの心を砕く手際の恐ろしさに身震いしました。
そして、タイトルの「沈黙」は物語内で
繰り返し言及されるんですが、これは神の沈黙の意。
いくらひどい状況でも、神がいつか救ってくれる。
というのが宗教の根本にある中で、
ロドリゴを含めた多くの信者に残酷な事態が何度も訪れるんですが、
事態はいっこうに良くならないばかりかヒドくなってくる。
何を信じればよいのか、神は本当にいるのか?
信仰の土台がグラグラしちゃうところがスリリングでした。
ロドリゴの信仰の変化の象徴として、
キリストの顔を思い浮かべるシーンが何度も登場するんですが、
英雄としての凛々しいキリストから
踏み絵で踏まれ倒した醜いキリストへ。ここも残酷。。。
神に祈れば事態が解決するなんて甘いことはなく、
神はあくまで自分の心にいるもので、
支えてくれるに過ぎないのである。
というメッセージなのかと。
エキサイティングな側面もありつつ
宗教に対する思考を深めさせてくれる傑作でした。

2016年7月11日月曜日

シング・ストリート 未来へのうた



<あらすじ>
大不況にあえぐ85年のアイルランド、ダブリン。
14歳の少年コナーは、父親が失業したために
荒れた公立校に転校させられてしまう。
さらに家では両親のケンカが絶えず、
家庭は崩壊の危機に陥っていた。
最悪な日々を送るコナーにとって唯一の楽しみは、
音楽マニアの兄と一緒に隣国ロンドンのMVをテレビで見ること。
そんなある日、街で見かけた少女ラフィナの
大人びた魅力に心を奪われたコナーは、
自分のバンドのPVに出演しないかとラフィナを誘ってしまう。
慌ててバンドを結成したコナーは、
ロンドンの音楽シーンを驚かせるPVを作るべく
猛特訓を開始するが…
映画.comより)

Once ダブリンの街角ではじまりのうた
といった音楽にまつわる最高の映画を生み出してきた、
ジョン・カーニー監督最新作。
今回も最高すぎる仕上がりでした!
逆境を跳ね返すための音楽の力を
まざまざと見せつけられて泣きました。
僕たちの音楽は鳴り止まない!!

※ここからは盛大にネタバレして書きます。

彼の両親が激しい夫婦喧嘩をしている中、
アコギを奏で辛い現実からエスケープする
コナーの姿が哀愁を誘うオープニング。
公立の男子校に転校させられ馴染めない中で、
ラフィナと出会いバンドを組むことになります。
モテるために音楽を始めるという
至極真っ当な動機が良いなーと思いました。
(スクール・オブ・ロックよりも生徒が主体的)
そこからDIYでバンド立ち上げていく様子が
見ていて微笑ましいんですよねー
とくにキーマンとなるのがマルチプレイヤーのイーモン。
主に2人で楽曲を作っているんですが、
ギターを弾きながら歌詞、コード、コーラス合わせて、
曲を作っていく様がたまんないんですよねぇ。
自分たちで何かをクリエイトすること、
音楽の初期衝動が鮮やかにパッケージされてました。
あとバンドメンバーの顔面力が最高最高!
こましゃくれ感と可愛さのギリギリのバランス。
皆で初めてギグッたときに全員が
「俺たちイケてんじゃね?」という顔が好きでした。
彼らにはビデオを作るためとかギグをやるとか、
音楽を演奏する動機の風呂敷を広げすぎないところが好感大。
クソッタレな日常からのエスケープとしての
音楽の大切さを心底感じさせられました。
とくにDrive It Like You Stole ItとBrown Shoes
この2曲が余りに素晴らしすぎて、、、
曲が鳴るだけで強烈にエモーションを掻き立てられる。
強い自己の尊厳を宣言する歌と、
大人が決めたルールへの反逆の歌。
茶色の靴ダメ!とか化粧すんな!とか、
高校だから注意されてしまうのは
しょうがないかもしれないけど、
そこでハイハイと従う訳ではなくて、
音楽だと反撃できる力強さがとにかく眩しい!!
今の時代だとヒップホップがダイレクトに
担っている部分だったりする訳ですが、
80年代はそれがロックだったんだろうなーと。
年上の彼女に振り向いてもらいたくて、
兄貴に相談して必死に自分たちのイケてる音楽を探して、
未来派と名乗る姿にオジさんはグッときちゃう。
あと高橋芳朗氏のラジオを聞いていた身としては、
"happysad"というキーワードが出てきたのもグッときました。
コナーとラフィンの恋愛模様は甘酸が過ぎる!
ラフィンは当時の言葉でいえばマブいギャルであるのに対して、
コナーはスクールカースト下位のNERD。
ここも音楽の力が機能して2人の距離が縮まっていくんですなぁ。
恋愛関係ではバラードがフィーチャー。
テープをポストに投函するっていうアナログ具合や、
体育館ギグでの盛り上がらねーぜという意見を無視してでも
自分の思いを伝えようとする姿勢にグッときました。
そしてエンディングのイギリスへと向かう展開は
日常からのエスケープという青春映画の王道。
すでに大人となってしまった今では、
はじまりのうたの方が好みだと思う一方で、
彼らの状況を客観視しながら、
刹那性を感じられるのは大人の特権なのか、
とか考えたりしましたが、
そんなことはどうでもいいくらい最高の映画!

2016年7月7日木曜日

リベラル再起動のために


リベラル再起動のために


今週末に参議院選挙があり、
投票どうしようかなーと悩んでいたときに、
参考になりそうと思って読んでみました。
投票前に読むことで自分の思考が整理されたので、
とても良かったです。
第二次安倍政権になってからしばらく経ちますが、
これまでの状況をリベラル側から見たときに
どう見えて、どう考えるかが書かれています。
3人の学者が対談した内容を
会話形式でまとめたものなので、
非常に読みやすく2日で読み切ってしまいました。
少なくとも僕は現政権が良いとは思いません。
物事の進め方があまりに稚拙だからです。
つまり、国民のこと舐めているんだろうなと。
それに加えてモロに「オジさん」な価値観。
つまり「ダサい」ということ。
で、今回の参院選でどの野党に投票しましょうか?
となったときに明確にここ!っていうのが
どうしても決めきれていません。
「自民嫌だけど、他も頼りないしなー」
と思っている人も多いと思います。
そんな人にオススメなのが本作です。
そもそもリベラル(左翼)と言っても、
当然といえば当然ですが、グラデーションが存在します。
文中に記載されている通り、
本作での3人の立ち位置は以下の通りです。

北田:リベラル派、五野井:左翼、白井:極左

このグラデーションの中で、
経済から憲法まで様々な議論が進んでいき、
自分が対談の中にいる気がしてくる。
「そうやなー」とか「それはちゃうやろ」とか、
政策や政党に対する自らのスタンス、距離感を
掴むことができて役に立ちました。
とくに憲法、社会保障政策に関する議論は、
非常に納得する部分が多かったです。
僕が決めきれないのは、自分の思うバランスの、
社会民主主義的な政党がないからなんだなーと。
ただ無い物ねだりしてもしょうがないし、
今できる最良の選択をするしかありません。
僕が違和感を持っているのは、
選挙のときに与党も野党も
シングルイシューとして戦おうとする点です。
与党であればアベノミクスの是非。
野党であれば改憲阻止。
そもそも選挙は当選/落選のどちらかしかないので、
単純化した方が分かりやすくはなりますが、
世界はそんな単純ではありません。
好き嫌いに関わらず、
なるべくたくさんの情報を自分にインプットして、
そこから判断しなければならないと思います。
自分の支持する政党や候補者の情報を鵜呑みにして、
相手の良い情報は遮断、悪い情報は大声で吠える。
考えることを放棄せずに自分の意思を1票に託すこと。
「こんなはずじゃなかった…」と後で言っても、
そのときは手遅れなんですよ、奥さん。