2024年1月29日月曜日

サイボーグになる

サイボーグになる/キム・チョヨプ ・キム・ウォニョン

 キム・チョヨプの新作が出たと聞いてググっているときに本著の存在を知って読んだ。知らない領域のめちゃくちゃ興味深い内容で読書アドレナリン出まくりだった。障害を持つ当人たちの言葉は重く深いものであった。

 チョヨプ氏が聴覚障害、ウォニョン氏が足に障害を持つ当事者であり、そんな彼らが障害と社会、テクノロジーなどについて考察した論考が交互に登場、最後に2人が対談する構成となっている。チョヨプ氏は膨大な量の学術論文を引用しており比較的堅め文章であるのに対して、ウォニョン氏は具体例多め、エッセイのニュアンスも多分に含まれた柔らかめの文章になっており、それらが交互に登場することでいいバランスになっていた。障害に関する社会の受け止め方の現状を事実と情緒の両方から見ているとも言える。

 タイトルの「サイボーグ」は補聴器や車椅子といった補綴器をつけた人間のことを指しており基本的な論点は人間と補綴器の関係のバランスに関するものが多い。それは使用者からの捉え方や社会側の受け止め方まで角度はさまざま。一番わかりやすかったのはホーキング博士に対する視点。彼はALSを患っていて電動車椅子を使用していたけど「車椅子を使用する人」を超越するアイデンティティを持つため、車椅子は脇役でしかないと。一方でそういった強いアイデンティティを持たない障害者の場合、社会の受け止め方として障害が最初のラベリングになってしまう。こういった普段は考えないような微妙なグラデーションの差を一冊通して考察、深堀している。

 科学の進歩、テクノロジーの発展により障害が治療可能になったり以前よりも快適な状況を提供可能となった時代。しかし、それだけで障害に関する問題がすべて解決するという考え方に対して2人とも批判的である。本著を読むまではボトルネックになっているのは具体的な障害のみで、そこが解決すればクリアになると思っていたし、最近は義手、義足などもスタイリッシュとなり、それこそポストヒューマン的な語り口と共にかっこよさを滲ませる文脈さえある。そういった考えがいかに浅はかなのか痛感させられた。チョヨプ氏は本著内で「正常化の規範」と呼んでいたが、社会において凹んでいる部分が障害で、それを埋めれば良いという考えを批判している。その埋め方や埋めた後のことを考えている人が少ない。つまり現在の障害者にまつわる諸々は圧倒的に当事者性が低いという主張だった。そういった声を聞かずに挙句の果てには感動ポルノの材料にしてしまう場面もある中、いかに障害者自身の意見や考えを世の中に浸透させていく必要があるか、もしくはデザインや開発に直接携わる必要があるかを解説してくれている。なんとなくの認識のふわっとした議論ではなくリアリズムを見つめ愚直にひとつひとつ論考していく足腰の強さを文章の端々から感じた。

 社会が障害をスティグマとして取り扱ってしまうことで彼らの権利を暗黙の了解で侵食してしまっていることにも気づかされた。スティグマだからこそ隠したくなってしまう、卵が先か鶏が先かの議論ではなく明確に社会の認識から変わっていかなければならない。関係ないと思っていたとしても、人間誰しも突然の事故であったり老いや病気など、死ぬまでに「正常化の規範」から外れるときが必ず訪れる。他人ごとの人間はいない。そのためにできることの一つとして以下の一文が力強い。本著内で相当な頻度で引用されている伊藤亜紗の本を次は読んでみたい。

自分たちは未来に介入できるのだという認識から、そして迫りくる未来をただ受け入れるのではなく自分たちが未来の方向を変えることもできるのだという感覚からスタートしてみたい。

2024年1月24日水曜日

私の文学史: なぜ俺はこんな人間になったのか?

私の文学史: なぜ俺はこんな人間になったのか?/町田康

 ギケイキシリーズを読んで新たに盛り上がってきた個人的な町田康に対する熱。著者の背景を知れそうな1冊があったので読んでみた。自身を振り返りながら、手の内こんだけ明かすの?と読者が心配になるくらいに創作の秘話を語っており、めちゃくちゃ興味深かった。ブログ等で駄文を綴る私のような人間、ひいては文字で何か伝える人全員に刺さる内容だと思う。

 小説家の中ではかなりマルチな仕事が特徴的であり、そのスタイルに至るまでの流れを幼少期に読んだ本から影響を受けた作家など様々な要素を踏まえて語っている。対談やインタビュー形式ではないことで自分語りをせざるを得ないがゆえの情報量がふんだんに詰まっていた。また講義を書籍化しているのでかなり読みやすいし、著者の書き言葉ではない語り口を味わえてよかった。(本著内にもあるとおり話し言葉を文学へ積極的に取り込んだ1人ではあるが、それとはまた別のtalkという意味で)

 文章を書くことに対する著者の態度、考えが個人的には一番興味深かった。どちらかといえば破天荒な小説が多いので直感的かと思いきや想像以上に理詰めで何がオモシロいのか?に関する考えが解像度高く明らかにされている。それは長いキャリアを振り返って見出した解かもしれないが、それにせよこれだけ自己分析して語ることのできる作家はどれだけいるだろう。小説においては文体論がめちゃくちゃオモシロかった。音楽のミキシングをアナロジーとして文を書くときにどんな要素をどれだけ入れ込むかが大事だという話はかなり勉強になった。以下引用。

時折、ある一つのトーンで埋め尽くされて、本人は「カッコいいな」と思ってんやろうなという文章ってありますね。「恥ずっ!」みたいな。それは仕事でもあると思うんですけど、カッコよさだけで塗り固めていると、やっぱり、響きがない。

 随筆の書き方の話も納得することばかりで著者曰く、おもしろいことは「本当のこと」だと著者は主張していた。何気なく文章を書いていると、自意識に絡め取られたり、社会などを想定してどうしても少なからず建前の要素が入り込んでしまう。そこに引っ張られずにシンプルに本当に感じた気持ちを書くのが一番オモシロいと。著者は西村賢太をそこで引用しており、まさに!と思ったしベクトルは別だけども植本一子さんの日記がオモシロいのも同じ理由だろうなと感じた。

 作品語りもめちゃくちゃオモシロくて特に井伏鱒二の『掛持ち』という小説の紹介内容は完全な門外漢でも思わず読みたくなる内容だった。また終盤の古典論も興味深く流行りものに対する熱狂の嘘くささから身を置くために古典があるという話や、そうやって今の時代と距離を取ることで人間の本質を見つめることができる古典の良さなど、まさしくギケイキシリーズを読んで感じたことが言語化されていた。

 そしてラストにある「魂の形を自らの言葉で塗る」という章がマジでとんでもない。「文学の言葉の中で生きたい」というテーマで自分の魂と言葉の関係性を語っているんだけど、全文引用したくなるレベルでかっこよかった。大衆、社会の影響を受けて思考停止で使ってしまう言語をオートマチック言語と名付け、それに対して文学で抗っていく姿勢の表明が本当に痺れた。一番好きなところだけ引用。まだまだ読めていない作品だらけなので、ゆっくり楽しんでいきたい。

自分しかわからん魂を持っていることが、人間はたまらなく寂しいんです、孤独なんです。だから、この、自分しかわからん魂を一人一人が持っているということに対して形を与えたいんです。(中略)魂って形がないですから、言葉によって塗り固められるから、言葉がしょうもなかったら、魂がしょうもないということとイコールになってまうんです、文学化したときに。その魂に形を与えて、外側に出して、自分も他人も見るというふうにした場合、それが、しょうもない言葉で、一色の自動的な言葉で塗られたというのは、それはしょうもない話なんです。

2024年1月22日月曜日

第四間氷期

第四間氷期/安部公房

 ブックオフとか古本屋で安部公房の新潮文庫で銀の装丁のやつがあると買うようにしている。本著も以前に買って積んでいたので読んだ。どの作品もめっちゃ好きだけど、この作品も例に漏れず好きだった。これが1950年代に書かれていたことには驚くしかなかった。

 今流行りの人工知能がテーマ。マザーコンピュータ的な人工知能が未来を予測することに成功し、その未来に対して人類がどのように考え、アプローチするかというのが大筋。前半は推理小説仕立てになっていて、とにかく謎が膨らみまくるし、アクションシーンも多くシンプルにエンタメとしてオモシロかった。また会話劇が中心になっている点も意表を突かれる構成で堅めの内容の割に読みやすくはあった。

 未来をどう評価するかがテーマとなっており、著者自身のあとがき、文庫の解説でもかなり踏み込んで考察されている。現在を犠牲にして未来を優先するのか?といった、現在から未来を評価する意味を問うており、SFというジャンルに対して批評的であった。SFでは物語を通じて未来のことを肯定したり否定したりするけど、それって結局現在の価値観を尺度にしているよねという指摘。ゆえに堕胎であったり、その胎児を水棲動物にするといったように現在の価値観からするとエグめの設定を用意しているのが秀逸だった。挿絵として各シーンの版画が掲載されているのだけど、絵の内容もあいまって正直面食らった。未来の話をする上で子どもは最たる象徴であり、そこを躊躇なしに異形のものとして描いているのはかっこいいと思う。シンギュラリティの結果として第二の自分が発生し、それに自らの運命を翻弄される点も興味深かった。繰り返しになるが、このように未来的な描写のどれもが1950年代と思えないし著者の先見の明にただただ驚くばかり。(もしくは我々の未来に対するイメージが更新されていないだけかもしれないが)

 現在を大切にして未来の課題を先送りにしようとする主人公の姿勢が終盤には裁判のようなアプローチで断罪されるのだけど「これだから年寄りは」という一種の諦念じみた目線を部下から送られるシーンがたくさんある。これも今読むと胸が苦しくなる。どっちも間違っていないものの未来を大切にするエレガンスに対して現状維持する保守ってどうやっても今の時代は勝つの難しいよな〜と個人的には感じた。こういった古典を読む時間も今年は大切にしていきたい。

2024年1月19日金曜日

黄金比の縁

黄金比の縁/石田夏穂

 SNSでプロットをたまたま見かけたのだけど、それだけであまりにもオモシロそう過ぎて読んだ。そして期待を裏切らない完成度で最高の読書体験だった。じゃあそのプロットってなんやねん?という話だけども、こんな感じ。

「会社の不利益になる人間を採る」 不当な辞令に憤る人事部採用チームの小野は、会社への密かな復讐を始める――。 (株)Kエンジニアリングの人事部で働く小野は、不当な辞令への恨みから、会社の不利益になる人間の採用を心に誓う。彼女が導き出した選考方法は、顔の縦と横の黄金比を満たす者を選ぶというものだった。自身が辿り着いた評価軸をもとに業務に邁進していくが、黄金比の「縁」が手繰り寄せたのは、会社の思わぬ真実だった……。

 就活ものクラシックとして朝井リョウ『何者』があるが、本著は雇う側の視点で描いた新たな就活ものクラシックと呼んで差し支えないだろう。人事側の視点を描くだけで新鮮なのに、さらにもう一捻りして「会社の不利益」になる人間を選んでいくという最高の舞台が整っている。さらにその舞台の上で日本における就活の批評を進めていく構成が本当に見事だと思う。本著では取材の成果なのか、人を選ぶことに対する圧倒的なリアリティと胡散くささがパンパンに詰まっていた。たとえば「ここが変だよ日本の就活」という新書が仮にあったとしても、それは単なる「あるある」の塊に過ぎず、ここまでの共感を得ることは難しいと思う。また自分自身が似たような環境の会社に在籍しており小説で描かれる欺瞞性は日々感じている。それが相当な精度で言語化されていることに驚いた。最近の状況を端的にワンラインで表してるなと感じたのはこのライン。

とっとと辞める秀才とずるずる勤続年数を重ねる凡人。前者と後者なら、どちらがより会社に有害なのか。

 主人公が女性、かつ女性が圧倒的マイノリティにあるJTC(Japanese Traditional Company)という設定もあり言及できる要素が多い。一般的な正論を表向きは掲げざるを得ない人事業務だとしても、そんな正論だけでやっていけない現状のオンパレードなんですよという一種のネタバレのような展開が多いのも特徴的だった。就活において人事が社会的な正しさ(SDGs!)を主張したり、逆に就活の独特の風習を論破するといった光景はよく見るかもしれない。しかし本著がそれらと一線を画すのは正論と現実の狭間を描いているから。正論、社会的な正義を疑ってかかる姿勢は朝井リョウ『正欲』に類する姿勢であり、今の時代におけるフィクションの役目を果たしていると思う。

 タイトルにある「黄金比」は顔の物理的な尺度であり人の中身ではない。社会において見た目で判断してはいけないという割には『人は見た目が9割』という本が人気だったり、ことさら誰にどう見られるかを意識しないといけない場面が多い社会についてアイロニーを交えて描いている。そんな見た目の話で刺さったのはこのライン。

人を見た目で判断するのがダメなら、なぜ私たちはこうも表情にうるさいのか。人を表情で判断することは大いに推奨されている。私はこう言う。表情も同じ見た目だと。

学歴とか選考とか笑顔とか挨拶とか喋り方とか身なりとか、結局のところ自己申告でしかない。「ガクチカ」には過剰反応する癖に、何より如実に提示される顔の寸法には、なぜ皆サンこうも無関心なのだろう。

 さらにタイトルにある「縁」という言葉。就活において落とす際に使われる常套句「ご縁がありませんでした」の違和感をこれでもかと追い込んでいくラインもなかなかシビれた。よく考えてみると、仕事の中で何かを断ったり辞めたりする際に「縁」という言葉を使うことなんてありえないのだから著者の指摘は至極真っ当だと感じた。

「縁」と口にすることにより、誤魔化される生臭さがある。「縁」により蓋をされ、丸め込まれる罪深さがある。だってそれは「縁」などではないのだ。他でもない採用担当、お前自身が、ジャッジしているんじゃないか。

 読了後にインタビューを読むとさらに理解が深まって良かった。芥川賞候補になった『我が友、スミス』もオモシロそうなので読んでみようと思う。

『黄金比の縁』刊行記念インタビュー 石田夏穂「人間が人間を選ぶことの胡散臭さ」

2024年1月17日水曜日

一私小説書きの日乗 野性の章

一私小説書きの日乗 野性の章/西村賢太

 エッセイに続いて日記本の3冊目を読了。本業の小説を読んでないことに気が引けるが、とりあえず日記を全部読んでみようと思う。内容としては通常運転。日常のありがたみを感じた。

 2013年段階ではまだまだ芥川賞バブルが続いており作家業だけではなくタレントとしても活発に活動している。当時TOKYO MXの番組は少し見たりしてたので、その頃をレミニスした。あとは浅草キッドの2人との関係性が深まったのもこの頃で特に玉袋筋太郎氏との悪友録的な展開の数々はオモシロかった。仲良すぎて殴り合いの喧嘩した挙句、お互いお菓子持参で手打ちしてるのは笑った。また新潮社の面々との関係はあいかわらず特別で愛憎入り乱れる感じがとても好きだった。

 今の時代、手書きの作家がどれだけいるのか分からないけど、一旦ノートにあらすじを書いて、それを手書きで原稿に清書するという超ローテクの作家は今後生まれないだろうから貴重な存在だったのかもしれない。終盤、身体を痛めるシーンがあり、そこで手書きの弊害がモロに出ていた。ただ本人が師匠と崇めている藤澤清造然り、往年の作家たちの手書き原稿が高値で取引されている背景を踏まえると彼の原稿もこれから他の著名な作家と同じく取り扱われるだろうと思うと本人は天国で感慨深く思っているだろうか。

 食べ過ぎの日々は相変わらず続いており、痛風をコントロールするためにビールを飲んでいるところに酒飲みの執念を感じた。この日記を読むと暴飲暴食モード高まるので自戒しつつ彼に見習ってアグレッシブな飲酒ライフも楽しみたい。

2024年1月15日月曜日

一私小説書きの独語

一私小説書きの独語/西村賢太

 個人的な西村賢太ブームが続いておりエッセイを読んでみた。自分語りと雑誌に掲載されたエッセイ、文庫あとがきなど色んな形態の文章がまとまった幕の内弁当みたいな1冊だった。日記の方が好きかも。

 読みどころとしては前半の自分語りだと思う。私小説を書いているので、ほぼ全作品で自分語りしているといえば間違いではないが、冒頭でそのラインは明確にしている。つまり、私小説はすべて真実なわけではなく脚色していると。その前提を置いた上で自分がどういう人生だったか語り始めるのだけど、まぁ当然オモシロい。我々が小説で読んでいる主人公の北町貫多を地でいっているのだから。端的に言えば「クズ」なんだけど著者のチャーミングな文体でいい感じにごまかされている。中学卒業してすぐに独立しているからとはいえ結構目に余る言動が多い。特に家族への暴力のくだりは辛いものがあった。

 自分語りをしてしまうことで小説のネタが切れることに気づき途中から過去のエッセイや文庫に寄せたあとがきなどが続く。政治的内容も披露されており、橋下徹には懐疑的で納得したが、石原慎太郎を尊敬していることもあり右曲がりのダンディっぷりが見て取れた。自分の政治的な態度の違いと本のオモシロさは直接関係ないと思える数少ない作家かもしれない。

 あと愉快だったのは映画版『苦役列車』に対する論評。ひたすらこき下ろしまくっていて、特に主人公の対人関係のあり方に対する懐疑的な見解が興味深かった。具体的には中卒で社会に出て人足の仕事をこなす日々において、映画ではコミュ障のようにおどおどした表現になっているが実際は逆で人一倍他人の顔色を窺い人懐こく振る舞う必要があったらしい。現代の感覚だと映画監督のアプローチが正しい気がするものの、それがどうしても許せないのか散々書きまくっている。好きな映画の一つなのでビックリしたけど、酷評がプロモーションになっているような気もした。実際再見したい。解説の木内昇氏のコメントが彼の優れた点を言語化していると思えたので引用。今は日記の3冊目を読んでいます。

「感覚を表す」という文章において至極難解なことを、さらりとやってのけているところに、氏の小説の凄みと妙味があるのだ。

2024年1月13日土曜日

帰りたい

帰りたい/カミーラ・シャムジー

 ポッドキャストで友人が2023年読んだ中のベストとして紹介してくれたので読んだ。確かにこれはベスト級!と唸らざるを得ないエンタメとしてのオモシロさがあった。さらにイギリスのムスリム社会に関する群像劇から見えてくる現実が単純なエンタメではなく物語を分厚くしている。つまり勉強にもなるしエンタメとしても抜群なので読み手を選ばず薦めたくなる作品だった。

 合計5人のムスリム系イギリス人の視点で語られる構成になっており、読ませる展開の連続でページをめくる手がとにかく止まらない。訳者あとがきにもあったが冒頭が物語の根幹をなす大きなインパクトを持っていると感じた。具体的には博士号取得のために US へ渡米しようとすると、空港で厳しい取り調べを受けて予定していた飛行機に乗れないという展開。彼女を待つことなく飛行機が飛び立ってしまう現実はにただただ驚くしかないし社会から取り残されている状況の隠喩であるとも言える。これを筆頭にムスリムに対する社会的な圧力が厳しい状況が物語内にちりばめられている。

 一番大きな事件としては若い男の子がIS に入隊し悲劇を迎えるというプロットがある。これを軸にイギリスにおけるムスリム社会の在り方をグイグイと問うていく流れが圧巻だった。もっと広く解釈すれば「過ちをおかしたもの」に対する態度のあり方とも言える。人の懲罰願望がSNSで可視化される社会において、どうやって罪と対峙していくのか考えさせられた。もっとも短絡的な解決を求めるのが政治家だというのはキツいアイロニーだし、家族をスケープゴートにした報いとして残酷すぎるエンディングを迎えるのも示唆的に感じた。

このように複数の視点で描き分けていくことで思想の差異が浮き彫りになり、そのすれ違いを 物語に落とし込む筆致が素晴らしい。十把一絡げに「ムスリム」と言ってもグラデーションがあることがよく分かるし、生身の人間を感じさせられながら物語は映画のようにドライブする。だからこそ馴染みのないイスラム教という概念が説教臭さゼロで頭に入ってきた。

 家族も大きなテーマになっていて、親の行いに影響される子どもたちという観点がある。政治家とジハード戦士という相反する親を設定し各自の抱える困難を描いている点が秀逸だった。どっちが良いかではなく、どっちも辛いという話になっているので、現状維持よりも互いに歩み寄る必要性を暗に伝えたいのだと思う。

 イギリスでは二重国籍が認められているが、それでも移民がイギリス国籍を持つことに良く思っていない層が一定数いて、その排外主義なムードはどこの世界でも共通なムードだろう。それは日本も例外ではなく他人事ではない。だからこそ、こういった本を読み多角的な視点で物事を捉える力が必要な時代だと思う。

2024年1月11日木曜日

「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済

その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済/小川さやか

 同著者の『チョンキンマンションのボスは知っている』が以前から気になっている中で先に新書を読んでみた。日本という枠組みで生きていると絶対に気づくことができない視座の連続。これぞ読書の醍醐味という感じで興味深かった。我々の当たり前が当たり前ではない世界から学ぶことがたくさんあるなぁと感じた。

 文化人類学者である著者がフィールドワークを含め研究してきたタンザニアの商売の状況を中心に「その日暮らし」=Living for todayをキーワードにして様々な論点を解説してくれている。具体的な仕事の中身もさることながら、仕事をする上での価値観や仕事の在り方が現状の資本主義社会と大きく異なり、そこがもっとも興味深い。たとえば時間の感覚。私たちは来たるべき未来に向けて備えるために現在を犠牲にすること(ローン、貯金など)が往々にしてあるが、彼らは1日をどう生きていくかに焦点をおく。つまり未来のことはほとんど考えないし、不安定であることを不安に思わず、場当たり的な対応を繰り返す。あらかじめ計画し生産性や効率性を追い求める社会に生きているので違和感しかないのだけども、社会全体が暗黙のうちにコンセンサスが取れているのであれば、弾力性のある社会が形成されることを知れた。と同時に社会が硬直していることが日本の今の息苦しさの要因だとも感じた。もっと思いつきとかノリでやれることを増やしていきたい。(隣の芝生が青く見えているだけかもしれないが…)

 また近年話題の負債論についてもタンザニアの事例から、負債を負債として取り扱わずに誰もがお互いに「借り」があると感じながら支え合う話に納得した。日本で金銭の貸し借りについて、タンザニアほどラディカルな考え方を持つことは難しいと思う一方、電車や公園などの公共空間ではお互いに「借り」があるという認識を持てれば少しは生きやすくなるのでは?と思う。信頼の概念は従来の資本主義社会の中でも変えていけるのではないかという希望を持ちたい。この言葉とかかっけぇっす。

「俺たちが困難なときに頼りにするのは、仲間の人間性( utu)だ。なぜなら、困ったときに『貸してくれ』と頼ることができる友とは、同じく困ったときに頼ることができる仲間がたくさんいる人だ。たくさんの仲間に助けてもらえる人間がいい友であることは、昔から変わらぬ事実だ」

コピー商品を中国から輸入してアフリカで販売するというビジネスの流れについて細かく解説されており、その話題の中心にあるのが香港にあるチョンキンマンション。その有象無象っぷりが未知のこと過ぎてめちゃくちゃオモシロかった。なので『チョンキンマンションのボスは知っている』も早々に読みたい。

2024年1月5日金曜日

怪物に出会った日

怪物に出会った日/森合正範

 こないだの井上尚弥の試合の日に大阪の先輩がインスタでポストしていたのを見て読んだ。子どもの頃からプロレス、総合格闘技に慣れ親しんでいたこともあり、スポーツとしてのボクシングに対してどうも引け目を感じてしまうのだが、リング上で対峙するという意味では同じ格闘技だなと本著を読んで思い知った。なんならボクシングの方がロジカル性が高くボクシングの方が好きかも思わされるくらい。そして本著が目標としている井上尚弥の強さを多角的に理解できる素晴らしい本だった。

 ここ5年くらいで井上尚弥という存在は自分のようなニワカボクシングファンにまで轟くようになったと思う。それを成し遂げたのはメディアへの露出や流行りのSNS上での煽りなどではなく「めちゃくちゃ強い」という現代では型破りな存在だ。著者はボクシングの記者として井上尚弥の強さを本当に表現できているのか?という自問自答にぶち当たる。そこで井上の来歴を評伝形式で追いかけるのではなく井上と戦った敗者から話を聞くと言う手法を選んだ。この視点がとてもユニークでオモシロさに拍車をかけていると感じた。音楽やアートなどの場合、各人の来歴が表現にどのような影響を与えたかが大きなファクターだろう。しかしボクシングの試合は1人ではできない。対戦相手との2人で「試合」という表現を行う。こういった観点で考えれば、敗者にインタビューするというのは自然な流れにも思えるが、ボクサーたちに負けた試合の話を聞く難しさがある。著者はボクシングに対する真摯な姿勢で、そのハードルを一生懸命乗り越えているんだろうなと感じさせるほどに皆が口々に井上の強さを語っている点が印象的だった。

 ボクシングにおいて強い選手に何が備わっているのかと言われれば、天性のパワーとスピードなのかな?とボンヤリ思っていたけど、海外の選手たちが一様に規律と節制の重要性を説いていることが意外だった。ボクシングは試合自体は派手に見えるけども、そこにたどり着くまでには反復練習、減量といった地味で辛い作業を経ていることに改めて気付かされた。

 敗者から見た井上のパワー、スピード、ボクシングIQに関するエピソードが特に多い。すべてがトップクラスであることは間違いないが、各試合で出力あげていただろう彼の能力について敗者の視点から詳しく説明されている点が興味深かった。個人的には最も井上と拳を交わした黒田雅之選手の章が一番グッときた。スポットライトの当たらないところで強さを追い求める姿勢はアンダードッグ的な物語で最高。すべては以下のラインに凝縮されており、まだまだ井上が勝ち続ける時代は続くはずなので、なるべく自分の眼に焼き付けていきたい。

敗者は勝者に夢を託し、勝者は何も語らず敗者の人生を背負って闘う。

2024年1月4日木曜日

ダーリンはネトウヨ

ダーリンはネトウヨ/クー・ジャイン

 MOMENT JOONが解説を書いていると知ったこと、最近聞いている海外漫画のポッドキャストでプッシュされていたので読んだ。女性の韓国人留学生が日本の大学で過ごした様子を漫画にしたもので、タイトルのとおり当時の彼氏の言動の数々を中心にした悲喜交々な話だった。マイクロアグレッションのエピソードがたくさん入っていてマジョリティな日本人としては胸が痛かった。

 こういった差別に言及する本の場合、ゴリゴリの排外主義者を主題にして彼らの異常な言動を取り上げたものはよく見かける。本著はそれと真逆で、著者と付き合っている彼氏が著者に対して差別的な言動を繰り返していたという話。つまり敵意丸出しというよりも愛情に包まれた哀情といえばいいのか、複雑な構造の感情が描かれている。正直、彼氏に対してはそこらの排外主義者よりもタチの悪さを感じた。(排外主義うんぬんよりも彼氏自身のクリーピーさもあると思うが)排外主義者は自身の攻撃性に自覚的だが、マイクロアグレッションしている側はこんなに無自覚なのかと。こうやって他人を責めるのは簡単なのだが、それは読者に対してブーメランのように迫ってくる。一番顕著な例は「日本語が上手ですね」というフレーズ。日本語を話せる海外からきた旅行者や留学生に言ったことがない日本人の方が少ないと思う。実際、MOMENTも同様の主張を随分昔からしていたけど当時は何が問題なのか理解できていなかった。本著ではそれについて明快に解説されている。このエピソードに象徴されるように、そして「外」国人という言葉が示すように日本人とその他というライン引きが色んな場面で行われていることに気づかされた。加えて留学生に限らない日本社会に蔓延る「普通」との戦いが大学、就活などのエピソードからビシバシ伝わってきた。社会制度や共通認識を今すぐ変えるのが難しいとしても個人の態度や考えは今すぐにでも改めることができる。それはMOMENTが解説しているとおりの「成長」なくしてあり得ない。自身の認識に対するリトマス紙のような働きをする漫画だと思うので、たくさん読まれてほしい。

2023年12月 第4週

Only Built 4 Human Links by MOMENT JOON & Fisong

 次のアルバムを最後に引退宣言していたMOMENTが新たにレーベルを立ち上げ若手のFisongというラッパーとコラボしたアルバムがリリース。『Passport & Galson』は彼がどこからきてどこへ向かうのか、それがハイコンテキストなアルバムという形でリリースされたのとは対照的で、本作はミックステープ量産時代を彷彿とさせるラップマシーンとしての魅力がふんだんに詰まっていて感動した。イケてるビートを選んでいかにかっこよくラップできるか?このコンペティションに再エントリーしてきた感じといえば伝わりやすいか…Watsonのリリシズムがもてはやされるのであれば、MOMENTのリリシズムの偏差値の高さも同じく評価されるべきだと思う。そして、MOMENTを再びこのモードへ引き摺り込んだFisongというラッパーが本当にかっこいい。彼は在日韓国人らしく、日本語、英語、韓国語の三言語を巧みに駆使してラップを構築している。音としての韓国ヒップホップに魅了されている身からすると、彼のリリックのバランスがめちゃくちゃハマった。韓国語のパーカッシブ性を活用してフローで魅せていきつつ日本語では意味を求めていく。1曲目でKhundi Panda & JUSTHISの”뿌리からリリックを引用してきたところでガンフィンガー立てまくり。(そして、この曲はMOMENTもビートジャックしている)前半はハードモード、ボースティングで攻めまくりつつ後半はメロウな展開になっていくのがジャケからすると意外。そしてラストの”Light”で大団円を迎える形はやはりアルバムというフォーマットでしか味わえない感動があった。(ここにちゃんとスクラッチを入れている点に彼らのヒップホップへの愛を強く感じた。)韓国を別のベクトルでルーツとして持ちながら日本でヒップホップをかますこと、2人だからこそできるアルバムになっていたので最高だった。タイトルはRakewonの1stアルバムからもじっているけど、その背景とか知りたいところ。好きな曲は複雑な気持ちになるけど、やっぱり”Robbin’ Time”

Hall & Nash 2 by Westside Gunn, Conway the Machine & The Alchemist

 もともと2017年にリリースするつもりだったアルバムが時を経て年の瀬にリリース。最近来日したことも記憶に新しいアルケミストの2023年のハードワーキングっぷりはえげつない。彼のソロアルバムを聞いてたわけでもないのに今年よく聞いたアーティストのトップ10にランクインしてた。つまりラッパーとの共同名義でたくさんリリースしたことがよくわかる。本作もここ数年のドラムレスもしくは鳴りの弱いスタイルのビートの上でGunn氏、Conway氏がハードにスピットし倒すというヒップホップ好きにはたまらない仕上がりだった。なかでも異質だったのはSchoolboy Qが参加した”Fork In The Pot” 今の時代に東も西ももはや関係ないとはいえ、Schoolboy Qの参加は意外だしビートのネタも皆目見当つかないけどかっけぇ!というヒップホップ純度めちゃ高い曲だった。

Knlls by Maalib & WRKMS

 Wooのインスタで知って聞いてみたら、特大ヒットだった。インディロック的なアプローチによるR&Bは最近のトレンドである中、もろにそのアプローチでめっちゃかっこいい仕上がりになっている。2人は韓国のプロデューサーのようで、クレジットによると本作は全編バンドサウンドで構成されている。バンドではあるものの抑制されていて引き算で作られている。最低限の音数でグルーヴ作られている感じが上品で好き。JOONIEという女性ボーカリストが半分ほど参加していて英詞多めなのも特徴的。当然グローバル視野に入っているだろうなと思うし全然通用すると思う。Wooはラップで参加、SUMINは6曲目にコーラスで参加しており彼らがフィールするのもよく分かる。インスト2曲が本当にいいアクセントになっていて、好きな曲はKim Okiのかっこよすぎるサックスが雄弁に語るラストの”Mounds, Knulls”

Naive by Ourealgoat

 前作のEPがかなりポップで「どうした?」という方向転換を始めているOurealgoat。今回のEPもその路線を踏襲しつつ若干ヒップホップに戻してきた、という塩梅。韓国ヒップホップのポップさというよりKポップ的なアプローチなのでそこまで好きになれず…ルックスもいいから人気の獲得という観点では間違いではないと思う。ただラッパーとしての素質めちゃ高いので、アルバムではドープさを期待したい。ポップな中でもヒップホップさを感じた”Can’t stop”が好きな曲。