2023年3月11日土曜日

それで君の声はどこにあるんだ?黒人神学から学んだこと

それで君の声はどこにあるんだ?黒人神学から学んだこと/榎本空

 翻訳家の押野素子さんのツイートや最近聞いている代官山蔦屋書店のポッドキャストで知って読んだ。いわゆるブラックミュージックが好きで、そこには大なり小なりキリスト教の存在がある。それらが全部本著にあるような内容を背景に持つとは言い切れないかもしれないが、音楽における強力なエンパワメント性に対する影響が大いにあるのでは?と思うほど刺激を受けた。そして何よりも著者の読ませる文章の素晴らしさもあいまって自分にとって大切な1冊となった。

 著者がNYにあるユニオン神学校へ留学し、ジャイムズ・H・コーンという神学者から教えを乞うというのが大筋で、エッセイ兼黒人進学の入門書のような構成になっている。黒人神学に対して外様である著者が悪戦苦闘しながら何とか少しでも本質に近づこうとする様が生活の状況含めて描かれておりとても読みやすい。宗教となると身構えてしまうこちらの姿勢を解きほぐしてくれる構成だと思う。キングとマルコムの比較がたくさん出てきたり、キリスト教における土曜日の議論が出てきたり本格的なキリスト教の話ももちろん書かれているのだが学問としてのキリスト教なので少し距離がある。それによって門外漢でもキリスト教の考えについて理解しやすくなっていると思う。そして著者がユニオン神学校で勉強する中で学んだことを通じて吐き出される論考の数々が本当にエンパワメントに溢れていて個人的にはそこに一番やられた。文字通り着の身着のままでNYにきて藁にもすがるような気持ちで勉強に打ち込んでいく、その真摯な姿勢にも胸を打たれた。以下刺さったラインを引用。

私たちは様々な境界線を同時に持ち得るし、何よりも刻一刻と変えていくそれらがどのように作用するかは、多分に、私たちと他者との関係性に依存している。そんな関わりあいを通して、私たちは自分が誰であり、誰でないのかを、問われつつ学び、学び捨て、そして学び直していく

スタイル、声とは、自分を追い、自分を待つ歴史との絶え間ない対話から生まれる。それは自分の声でありながら、自分の所有物ではあり得ず、常に関係性の中に存在する。そこにあって真摯に問われなければならないのは、自分は何の後を生きているのか、ということだろう。自分の存在は過去のいかなる連環によって規定されているのか。

 外様ゆえの苦労も描かれており、コーンから「黒人以外の人間が、黒人の苦労を理解するのは難しい」という自分だったら心折れそうな強烈なことを言われながらも、それを受け止めて自身のルーツへと回帰していく流れも好きだった。足元が大事というのは言われれば分かるけど、やっぱり一度外に意識を向けた後に足元の重要さを認識する方がより気づきが多いと思うから。

 「宗教を信仰する」となると、何かを「信じる」わけだけど、日本ではこの「信じる」ことに対する心理的安全性が極端に低く感じる。なんでもかんでも相対化(悪くいえば冷笑)して距離をおくことは役立つ場面も当然あるが、最近はそれがSNS含め加速しすぎていると思う。それらを押し退けて理想や希望はもっと大きな声で語られるべきだと読んで感じた。そしてそれが「私の声」でありたい。

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