2023年2月27日月曜日

父ではありませんが 第三者として考える

父ではありませんが 第三者として考える/武田砂鉄


 タイトルと著者を見ただけで即買いした。去年犬のかたちをしているものを読んだときに感じた居心地の悪さやモヤモヤが本著でほとんどすべて言語化されており打ち震えた。何の前提もなく子どもの話をするときの圧倒的無防備さとその危うさについては生まれる前から感じていたが、実際に父になったことで余計にその危うさが頭をもたげる場面に遭遇する。そこには性格差、性差別の問題が横たわっているのだけど、著者が繰り返し主張する「普通」や社会全体の慣習がそれらを霧散させることを改めて認識した。しかも父ではない第三者の男性が書いているという点でかなり革命的な一冊だった。

 本著では子どもがいることを前提とする考え方、社会の仕組み、家族制度などについてひたすら考察している。これまでの著者の作品同様、目の前の現実を愚直なまでに真っ直ぐに見つめ理路整然とおかしいと思う点を述べており、いつものスタイルは健在している。しかし今回は子どもがいないという社会における最大レベルの「普通」が跋扈するテーマかつ著者自身に子どもがいない第三者の立場という二つのチャレンジングな要素が含まれている。いずれも乗り越えるには相当なエネルギーが要すると思うのだけど、著者の持ち前のロジカルさですぱーっと視界を切り開いていく文章の数々に何回も唸りまくった。枚挙にいとまがないパンチラインの数々に悶絶死したので一部引用。

「おーい、どうしてまだそんなところにいるの?」と声をかけられる。早くこっちに来なよ、と。でも、そもそも、その山は、皆が登らなければならない山なのだろうか。そんなはずはない。自分が登るべき山を、誰かから指定されたくはない。

私こそ世間の総意、みたいな顔をしている。善意の総意、これを浴びずに避けるという選択肢が用意されない。親子や夫婦で作ったオリジナルブレンドよりも、大量生産の総意を優先するように言われてしまう。

 子どもの話をするときにその喜び、苦労などを含めてどうしたって当事者の声が大きくなるし、その声の大きさに当事者以外の声は消されてしまう。実際父になった今、消えるのも分かるくらいに子育ては大変だと当事者としては思う。しかし本著で書かれているように当事者ではない人も含めて社会は構成されており、その第三者の意見を軽視することは社会設計において適切ではないと読後には思い直した。「子どもがいる/いない」について外からジャッジされたり監視する空気を変える必要があるし。子どもの不在だけが特別視され常に好奇の目にさらされるのは理不尽だと思う。コロナ禍も明けつつある中、久しぶりに会う人の中で子どもの有無を確認する人が想像以上に多いのもなんだかなと思っていた。家族にはそれぞれの事情があるのに「子どもを持って当然」という印籠を振り翳して土足で踏み込んでいる感じがするから。とここで1人でもやもやしても社会のムードは変わっていかないので本著がたくさんの人に読まれてほしい。

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