言葉を離れる/横尾忠則 |
Riverside Reading Clubが「SOME RAPs, SOME BOOKs ラッパーと本に関するいくつかの話」というテーマで代官山蔦屋書店でブックフェアを開催しており先日行ってきた。そこでISSUGIがレコメンドする1冊として紹介されていたので読んだ。彼がこんなふうに具体的なインプットを提示する場面をほとんど見たことないので楽しみにしていたのだけど、現場主義のBボーイマインド溢れるさすがの選書だと読んで感じた。
著者である横尾忠則は日本のアート界の第一人者であり、そんな彼がどのようなキャリアを歩んできたか、読書と本について交えながら語る内容となっている。タイトルどおりひたすら「本を読んでいない」「本を読むのが苦手だ」という話が繰り返され、その代わりに大切にしているのは自分のアウトプットだったり、行動した結果手に入れたものであると繰り返し主張している。彼の周辺人物である寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」と主張としては近い。確かに読書でわかった気になっても実際には見てみないと分からないところも多いと思う。またコロナも明けようとしている今、現場の重要性や価値は以前よりも高まっていると読んでいて感じた。そしてこれはBボーイイズムでもあると思う。
偉大な芸術家として順風満帆かと思っていたが、実際には多くの葛藤を経ていることを知れた。特にデザイナーから画家へのキャリアチェンジに関して相当苦労していた模様。周囲は彼のスタイルを絵画になっても評価していた。しかし、デザインと絵画の違いが彼自身には重くのしかかり深みにハマる中、彼にとっては「描く」ことしか解決する方法はなかった。つまり本の中に答えはないjust do it的な考え方。これには同意するが、そのjust do itに至る補助線としての本や読書を否定する必要はないと思う。実際本著はクリエイティビティに関する金言がたくさん収録されており、何か作っている人にとって悩んだりするときに支えになると思う。刺さったラインを引用しておく。アート系の本は読むとクリエイティビティが刺激されるので積極的に読んでいきたい。
時代が未来を展望する時、ぼくは本能的に過去に遡りたくなるのです。というのはぼくにとっての未来は過去に存在するからです。
何を描いているかじゃなくて、いかに描くか。何を描くかは昔で、いかに描くかは今日的で、でもでそれもダメで、いかに生きるかだと思うんですよ。
役に立つことを一生懸命、これをやることで社会に還元するとかいうことは人生じゃなくて、実に役に立たないことを一生懸命やるということが人生なのかなということです。
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