2015年4月30日木曜日

寄生獣 完結編


山崎貴監督作品。前編が結構良くて好きだったので、
期待して見てきました。
しかし、この期待を華麗に裏切ってくれた!
相当オモシロくないブツに仕上がってました…
たくさんの大人が集まって、
これでOK出す神経が本当に信じられない!
前編の良かった部分をかなぐり捨てて、
悪かった部分を大幅に増強したような作品でした。
寄生された母親を殺してから、
本作はビジランテ活動に精を出す新一と
組織化していく寄生獣の戦いを描いています。
前述した前編の好きだった部分は、
新一と寄生獣のバトルだった訳です。
容赦なく人は死ぬし、バトル自体も躍動感あって良かったし、
東出君の怪演が静かに狂っていて最高でした。
本作ではまともなバトルシーンは、
ピエール瀧演じる三木と浅野忠信演じる後藤と戦うぐらいで、
しかも、そのバトルさえも味気ない…
ピエール瀧のキャラクターは確かに良いんだけど、
道化のように見えてなんだかなぁと。
殺され方もあっさりだし、後藤との関係も雑でつまんない。
バトルが減った代わりに何が増えたか?
抽象的な「哲学っぽい」人間に対する論考。
それ自体を描くことがダメだっていう話ではなくて、
ダラダラセリフでひたすら説明してるだけなので、
めちゃくちゃテンポが悪いんですよね。
しかも、その抽象的な話を補強する
映像的なオモシロさとかストーリー展開がないから、
「てめえ何言ってんの?」という部分があまりに多い。
前半は寄生獣および新一の写真を押さえた
記者周辺を軸に話が展開していきます。
この写真を公開するかどうかとか、
寄生獣の存在が世間に知られるとか。
その事実が引き起こす問題が見えにくいし、
それにかこつけてゴタクを並べてくるから
余計にイライラしてくる。。
警察が市役所を手入れするシーンは
ナチスのホロコーストばりで最悪で最高で
確かに選民思想の危うさ描いていると言える。
でも市長が実は…っていう展開どうやねん!
と思わざるをえない。
終盤は後藤と新一の戦いへとフォーカスしていくんですが、
カーチェイスは良かったのに、
ミギーと別れてからのバトルのヌルさよ。
戦闘能力の差についてロジック用意されてないから
全然乗れないし、最終的な結果もうん…って感じ。
安易な3.11インスパイアがもたらすツマラナイ展開に萎える。
SEXシーンも孤独を包む愛の尊さっていう話なんだろうけど、
取って付けた感じが否めなくて…
やっと終わったと思ったら、新井博文演じる異常者を絡めた
完全蛇足シークエンスが始まる。
もうなんやねん!とブチキレそうになったところで、
BUMP OF CHIKENのエンディングソングでTHE END.
こんな映画イヤだ!という久々の体験でシビれました。

2015年4月26日日曜日

インヒアレント・ヴァイス



トマス・ピンチョン作品の初映画化ということで見てきました。
読書好きとしてピンチョンは知ってたんですが、
どれを読もうか悩んだときに本作の原作を読みました。
難解と言われている彼の小説の中でも
読みやすい部類に入るらしいんですが、
それでも結構苦労したことをよく覚えています。
本作なんですが、かなり原作に近い仕上がりで、
本から滲み出てるバイブスを漏らさず、
真空パックされてるなと思いました。
一方で原作がそうだったように
サスペンス部分のいきあたりばったりさもそのまま。
映像なのでだいぶ咀嚼しやすくはあるんですが、
何となく事件が解決していく感じ。
それにしても160分は長過ぎる…
ただダラダラ感も「Groovy」と呼ぶべきなのかもですが…
私立探偵ドックの元に、かつての恋人である
シャスタが相談にやってくる。
その内容は財産目当ての事件に巻き込まれていること。
ドックは調査を始めるものの、
自らが殺人犯と仕立てられてたりしながらも、
ふらふらと捜査を進めていく。
本作のキーワードとして「Groovy」というものがあります。
これは主人公の口癖でもあり、本作を物語る言葉。
Groovyを何で表現しているかといえば、
ビビッドな色使いと音楽だと思います。
舞台がLAってこともあり、
起こっていることはシリアスなんですが、
画面からご機嫌さが終始伝わってくる。
(エンドロールやポスターのグラフィックデザインも最高!)
それは音楽も同様で60〜70年代のRockやAORが
ゆるーく流れいて心地いい。
主人公のドックをホアキン・フェニックスが演じているんですが、
フーテン具合が良くてヒゲとか超汚くて最高。
昨年エヴァの告白やherといった作品と
全く異なる表情ばかりで素晴らしかったです。
(彼が終始「巻いて吸っている」ことも
Groovyの一つの要因でしょう)
ルパンと銭形警部のように、
本作でもビッグフットという刑事がいて、
それを演じているのはジョシュ・ブローリン
彼の弾け具合を見るためだけに見て欲しい!
というぐらい飛ばしまくっています。
ドッグとビッグフットの掛け合いは
アホだな〜と思わず言いたくなる。
(謎の日本語のくだりとかも最高でした。)
ただ話の進め方、サスペンス構造としては、
あんまり上手くないk等か、それによるカタルシスはない。
一応バラバラだと思っていたものが
1つには繋がってはいくんだけれど。
監督は巨匠ポール・トーマス・アンダーソンですので、
このショットが…というオモシロさが
おそらくあるとは思うんですが、
160分という長さで集中できず、
そこまで読み取ることはできませんでした。。
Groovyさは映画館でしか体感できないので是非劇場で!

ジヌよさらば かむろば村へ



松尾スズキ監督作品ということで見てきました。

大人計画の舞台は何回か見たことあるんですが、
映画を劇場で見るのは初めてだったので楽しみにしていました。
(僕のfavoriteはクワイエットルームへようこそ)
本当に独特のテンポとコメディセンスだなーと改めて。
舞台だともっと笑えたのかもだけど、
映画となると乗り切れない笑いが多く、
つくづく難しいバランスなんだなーと思いました。
メインテーマである「他者のために生きる」ことの大切さが
ぬるっと伝わってくるのが素晴らしかったです。

主人公は松田龍平演じるタケという男で、

一切お金を使わない生活をするために
かむろば村に家を買い自給自足の生活を試みる。
そんな生活が上手くいかない中で
阿部サダヲ演じる村長に助けられながら、
無銭生活を続けるものの…という話。
冒頭、荒川良々と二階堂ふみのやり取りから、
松尾スズキが作った映画!という刻印がはっきりと。
それはセリフの内容、テンポ、間によるもので、
まともな神経してたら、いきなり「猫になりてー」とか言う
893出さないでしょ。(褒め言葉です)
全編に渡ってこの調子なんですが、
ドヤが強い部分もあって、素直に笑えない部分も多かったです。
映画はフレームで区切られるがゆえに見方が一義的で、
松尾さんのオモシロい部分が押し付けがましく見えるのかなと。
舞台だとそのボケを受けている人の様子も含めて、
大人計画の器があるから成立していると思うんです。
とごちゃごちゃ書きましたが、
僕が一番好きだったシーンはネーミングライツ売って、
バスを買う/買わないを話し合うところ。
「えっ?」からの二段落ちが最高でした。
限界集落が笑えない現実として近づいている中で、
本作から見えるのは「それでも生きていく」ということ。
確かに年配者が多くなり、病院等の生活基盤が失われていくことは、
「問題」だし、あった方がいいに決まっている。
けれど一方的に相対的な視点で不便でダメだと
決め付けるのも考えものだなーと。
神様っていうキャラも登場するから
全体的なリアリティーライン低めの中で、
ここまで考えさせるのはバイプレイヤーである
大人計画の面々の実在感によるものかと。
顔は濃いんだけど「本当にいそう!」というバランス。
Only Oneとしての自分を探す論調が強い時代の中で、
他者のために生きることで世界は回るじゃん!
普段は完全に己のためだけに生きているから、
色々考えさせられました…
みうらじゅん氏が提唱する「自分なくし」の概念と
通じる部分が非常に大きいところです。
(興味ある方はマイ仏教をご参照ください。)
あと松たか子と二階堂ふみが5億点にエロいので、
ラストのタケのセリフに深く頷きました。
ユルい中でも見所はあると思いますので是非。

2015年4月23日木曜日

海にかかる霧



ポン・ジュノが製作を務め、殺人の追憶の脚本を担当した
シム・ソンボの監督デビュー作品。
名作スノーピアサーでポン・ジュノを初体験し、
その後DVDで色々見た結果、大好きな監督の1人です。
そして本作も哀しき獣やチェイサーおよび
ポンジュノ作品に連なる不穏でやり切れない気持ちになる、
僕の好きなタイプの韓国映画でした。
綺麗事は一切ないし、それこそ中村文則氏が小説で
描いている世界観に近くて、
どういった形で悪が形成されていくかを
見せつけられるような映画体験でした。
このタイプの作品がコンスタントに生まれる
韓国映画の土壌はやはり豊かだな〜と思います。

漁船が舞台となっていて、テチャン号事件という
実在の事件をベースにしたバイオレンスサスペンス。
舞台は1998年。漁船の老朽化が進み、
それを売らなければならないぐらい漁でも儲からない。
そこで船長は中国からの朝鮮族の密入国を手伝うことに。
裏稼業にうかつに手を出してしまったことにより…という話。
前半では漁船の乗組員が陽気で平凡な漁師であることを
何気ない描写の積み重ねで描いていきます。
冒頭、漁のシーンから始まるんですが、
主人公のドンシクが網に足をからませてしまい、
仲間全員で救出するくらい結束している。
この前半のフリが後半に待つ地獄を
より際立たせることになります。
いざ密航の手伝いや〜ということで、
密航船から漁船へと人を引き取っていきます。
漁と同じで「取って帰ってくる」だけでいいかと思いきや、
数々のトラブルが待ち受けていて、
乗組員たちも徐々に狂ってくる。
密航者の存在はバレたらダメだから、
知らない船や警備隊が来たら船底の魚倉に格納するんですが、
それが悲劇の始まりで、魚倉内でフロンガスが漏れて、
1人残らず死んでしまう。
この死体映像と死体処理映像がハードで、
まるで魚を処理するかのごとくバラバラにしていく。
ここがターニングポイントで乗組員たちの
倫理観が崩壊し善悪の区別があいまいになっていく。
まるで沈んでいく船のように綻びが出てきて、
それを埋めるために行う悪の所業の無限ループで、
悪がどんどん大きくなってきます。
何が辛いかって自分が同じ立場に置かれたとき、
この悪に染まらないでいられるのか?
と見ているあいだ常に問いかけられている気がするからです。
限定空間の中でヒエラルキーが存在するという点では、
名作スノピアサーと類似していますが、
リアリティーラインが桁違いなのでより生々しい。。
そんな中で今回もキム・ヨンシクは最高最高!
今回は鬼畜船長役なんですが、
中盤で逆らう密航者を容赦なく、
ボコボコにするシーンでサムアップ!
基本的に悪として描かれているけれど、
そもそも彼が密航を手伝うことにしたのは
船を手放したくない気持ちゆえの行動だったことを
思いながら見るラストはグッとくるものがありました。
あとボイラー室での殺人とSEXが、
愛と悪の対比シーンとして好きでした。
信じた愛に裏切られても生きていかねばならない、
この不条理さも韓国映画らしくてよかったです。
確実にアベレージ以上を叩き出す韓国映画。

2015年4月21日火曜日

セッション



公開前から超話題になっていて、
予告編の時点でこれは間違いないでしょ!
と思っていたのでオープンしたての
TOHOシネマズ新宿にて鑑賞してきました。
満員のお客さんの中、
アドレナリン出まくりの最高の映画体験でした。
ジャズドラムという身体性の高い音楽が
スクリーン上にもたらすむせ返るほどの熱気。
そして、ラストのカタルシスは
劇場で見てこそ味わえない類いのものだと思います。
仕事の関係で英会話に通っているんですが、
バードマンを見た話を先生にしたところ、
「Whiplashもマジ最高だから絶対見なよ!
Deshi-Systemが興味深いからさ!」と言われました。
見終わった後に、その言葉の意味がよく分かりました…

原題はWHIPLASH。 主人公は音楽大学に入学したばかりのニーマンが、
ジャズドラマーとして成長してく過程で、
JKシモンズ演じるフレッチャー鬼教師に
しごかれまくって…というお話。
映画冒頭で2人の邂逅シーンから始まり、
フレッチャーの登場から捌けるまで、
その場が支配される様子が伝わってきます。
ニーマンは2軍バンドのようなところに所属しているんですが、
フレッチャーに見初められて、
彼の率いるビッグバンドに加入するのが地獄の始まり。
最初のフレッチャー無双シーンから超最高で、
褒めておいてどん底までたたき落とす。
彼が気に食わないのはテンポっていうところがポイントで、
僕を含め多くの観客にとって、
速い/遅いの違いが全く分からない。
ゆえにフレッチャーの理不尽さを肌で感じることになり、
ニーマン側に感情移入していくことができる。
一切容赦のない暴力とボキャブラ豊富な悪口。
(同じ悪口クソ野郎としてはマキシマムリスペクト!)
本作を見てて思い出したのは高校の部活。
前述したとおりDeshi-Systemがまかり通っていて、
ロクでもない大人がかわいがるシステム。
大人になってみて思うけどホント最悪だよ!
強烈な暴力 a.k.a かわいがりを受けつつも、
ひょんなきっかけでfirstのポジションをゲット。
上手いこと行くかと思えばフレッチャーから降格を命じられる。
この辺りから描かれる、
One of them→Only Oneへの渇望描写が抜群!
超かわいい彼女を躊躇なく捨てて、友達も一切作らず、
ひたすらに自らのドラム道を追い続ける。
追い込むシーンの何が素晴らしいかって、
文字通り血と汗の結晶ですね。
シンバルやバスドラが血と汗で染まっていけばいくほど、
彼の狂気がそこに顔を覗かせる。
本作の監督であるデミアン・チャゼルが
脚本を務めたグランドピアノのときも使っていた、
楽器パーツを演奏中のカットに入れてくるのも健在。
これで映画全体にグルーブが産まれるし、
ドラムがリズム楽器なのでピアノよりも
この手法との相性が良いように思いました。
ただ音楽自体がイイか?と言われると微妙なところです。
好みはあるので何とも言えませんが、
同じジャズドラムならバードマンの方が圧倒的にかっこいいし、
こんだけドラムにフォーカスしてて、
ドラムの音楽的なかっこよさが伝わってこないのは残念かなーと。
(本作がもともとそこは狙っていないことは承知の上です)
終盤にかけては2人の関係によりフォーカスしていき、
互いに譲らないプライドのぶつかり合いがたまらない。
そしてバーでのシーンは2人が似た者同士で、
完璧を追求することに手段を選ばないことがよく分かります。
そのぶつかり稽古が頂点に達するのがラスト。
ニーマンの圧倒的なドラミングは
フレッチャーがいなければ決して産まれていない。
それは2人が話していた
チャーリー・パーカーのストーリーへと帰結していく。
2人の顔締めも最高だったと思います。
圧倒的なライド感を是非劇場で体感して欲しいです!

ザ・トライブ



全編セリフ無しで演者が聾唖者という予告編を見て、
これは!と思い公開初日に見てきました。
今劇場ではたくさん素晴らしい映画がかかっていますが、
僕は断然これをプッシュしたい!とんでもない傑作キタで!
見ている間、見終わった後と映画を見ることで
こんなに興奮したのは久々でした。
仰々しい話になるんですが、
映画が誕生してから100年くらい経っています。
その原点にある無声映画の意味や、
それがもたらす独特の感動を21世紀に入った今、
改めて定義し直したと言ってもいいんじゃないでしょうか。
主人公は聾唖学校の生徒で、その寄宿学校へ転入してきます。
何の変哲もない全寮制の学校かと思いきや、
年長者を中心とした不良集団(the tiribe)が存在し、
主人公もその集団への参加することになり…という話です。
冒頭この映画にはセリフも字幕もなく手話のみだという
高らかな宣言とともに映画が開幕。
バス停の引きのワンショットから始まるんですが、
本作の何が素晴らしいかって撮影、ショットの
美しさ、かっこよさなんですよねー
場面が変わるところでしかわカットは割らなくて基本ワンショット。
ステディカムで追いかけるスタイルは、
バードマンのそれと引けを取らない仕上がりです。
僕が一番好きで、本作を特徴づけているのがサイドショット。
ワンショットで横スクロールしていく形で主に2つ。
1つ目は主人公が不良集団からの手荒い祝福a.k.aかわいがりを
受けるシーンの手前の部分。
建物にところ狭しと描かれたグラフィティの数々をバックに、
tribeの幹部が主人公を連行していき、喧嘩が始まる。
完全に猿山にしか見えないんですが、
これがめっちゃかっこいいんですよねー
さらに2つ目の強盗後に tribeの皆で成果を山分けするシーン。
(強盗シーンも結構な衝撃なんですが…)
初めはメインのメンバーだけが映るんですが、
暗闇に隠れていたメンバーたちがスクロールしていくにつれ、
どんどん顔が出てきて合流するのが最高最高!
これだけでも見る価値は十二分にあると思います。
本作では一切セリフが無く手話で意思疎通が行われるんですが、
めちゃくちゃ激しいといいますか。
登場人物たちの身体性の高さが本当に素晴らしくて、
身振り手振りで感情が痛いほどに伝わってくる。
さらに音楽も一切かからないから、
劇中で発生する音は声にならない声と生活音のみ。
特にSEXシーンが生々しかったですねー
そして何気ないシーンでも、
どことなく不穏な空気が常に漂っている。
さらに驚くべきなのは本作に登場する人物が
役者でもない聾唖の若者たちということ。
これでワンショット構成で映画を作るんだから凄まじい…
劇中で展開される内容もバイオレントで、
セクシュアルなのも良くて、
極めてPrimitiveな形で男は強盗、女は売春という
「狩り」をする「tribe」なんですね。
タイトルが「tribe」である必然性が映像、内容から
ビシバシと伝わってきます。
本作を誰もが忘れられないのが中絶のシーンですよね。。
あのヒモ…怖過ぎるやろ!なんやあれ!
街の闇医者のこなれた感じもイヤでしたねー(褒め言葉)
本作に出てくる人達は皆どこか満たされてなくて、
その最たる例が主人公で金で愛を買うのが切ない。
彼が取る行動によってtribe内のruleが乱れ、
破滅への階段を着実に上っていくんですなー
終盤のエゲつないバイオレンス展開は
耳が聞こえないことを生かした演出で、
痛い音が虚空へと放たれたるのが好きでした。
映画からこんなに作り手のエネルギーを感じる作品は
なかなか無いし、これがウクライナ映画という衝撃…
世界はまだまだ広くて最高最高だ!

2015年4月20日月曜日

マジック・イン・ムーンライト



ウディ・アレン最新作ということで見ました。
前作のブルージャスミンで権威主義のクズが
行き着く末路としてエゲツない結論を提示した彼が、
一体どんな新作を…と期待していたんですが、
めちゃくちゃオモシロかったです。
予告の見た目よりも毒がてんこ盛りだけど、
HAPPYな側面もあってちょうどいいバランスだと思います。
舞台が南仏でLOOKは抜群にCUTEなんだけど、
EYE OF THE TIGERを失っていなくて、
容赦ないときは本当に厳しいスタンス。
(特にスピッてる人をドスで刺すような感じ)
けれどコメディとして十分楽しめる
娯楽作品にまとまっているあたりが
ウディ・アレン節なのかもしれません。
ネタバレするとオモシロさ激減なので、
これから見る人は見てから読んでね。

主人公はコリン・ファース演じるスンリーというマジシャンで、
中国人の扮装をして活躍しています。
そんな彼にマジシャンの友人から謎の霊能者について、
そのトリックを見破って欲しいとお願いされ快諾。
意気揚々と種明かしに挑むものの、
逆にエマ・ストーン演じる霊能者ソフィに
彼しか知り得ないことをズバリ言い当てられて…という話。
まずマジシャンが強烈なニヒリストであり、
科学しか信じていない人というとことで
異常なまでに感情移入してしまいました…
天の邪鬼全開で初対面の人にも笑えない皮肉を
ガンガンぶち込んでいく彼が、
ぐうの音も出ない霊能力に翻弄されていく。
マジックを生業とし、世の中のすべての事象には
起こるべき理論(タネ)が存在すると信じるスタンリーが、
結果的にソフィの非科学的な能力を肯定するようになる。
その結果、彼が持っていた厭世観は無くなり、
楽観的となり、人生を主体的に謳歌し始める訳です。
これが僕のような天の邪鬼にとっては
パンドラの箱を開けたような気持ちといいますか。
意外に転んだ方が楽なのかな〜とか考えましたね。
特に花の臭いのくだりが好きで、
そういう幸せを噛み締めれるような感受性欲しい!
と心から思いました。この時点では…
また、エマ・ストーンがぐっさカワイイんですよねー
2人でドライブデートに行くシークエンスがあって、
雨に降られて天文台で雨宿りするシーンは
今年最高峰の甘酸だと思います!
ソフィはスタンリーに惹かれていき、
舞踏会でそれを匂わせるような発言をするんですが、
スタンリーのプライドは高く、
「いやお前の能力は認めるけど、
女として見る訳がないやん。フィアンセおるし。」
とマジ超カワイイドレスを着た
ソフィの気持ちを踏みつぶしてしまう。
その後、彼のおばさんが交通事故で重体となってしまい、
彼は神におばさんの無事を祈るんですが、
そこで急に「あかんあかんあかん!」と我に返るんですね。
このシーンが超好きでめっちゃ笑ってしまいました。
理性を取り戻した彼がソフィのタネを明かし、
ほれ見たことか!と宣言し全てが元通り!と思いきや、
スタンリーにこびりついて離れないのがソフィへの恋心。
rationalに考えれば100点のフィアンセがいるのに、
ソフィの笑顔が頭から離れず、
まさか自分がアメリカの田舎育ちの詐欺師のことを
好きになる訳がないと悶々とする姿がオモシロい。
理性を超越するのが愛だということを
論理的に映画内で説明するというメタ構造が
落語のようによくできていて素晴らしい。
あと会話シーンが多いんですが、
リチャード・リンクレイターとは
また異なるwitに富んだ会話の名手だなーとも思いました。
あとは細かい伏線の回収も見事で
ラストの粋さにサムアップ!
ウディ・アレンの意地の悪さと優しさが
同居する楽しい作品でした。

2015年4月16日木曜日

ライブテープ


松江哲明監督作品。
こちらも5つ数えれば君の夢と同様、
九龍ジョー氏のメモリースティックで知りました。
主人公はシンガーソングライターの前野健太で、
彼が正月の吉祥寺の街中を歌いながら、
徘徊する姿をワンショットで撮った作品。
現実と虚構、日常と非日常の狭間で
前野健太の声が鳴り響く。
ゲリラ撮影でドキュメントタッチなんだけど、
ポイントポイントにバンドメンバーがいて、
吉祥寺の街を歌で彩っていく姿はめちゃかっこいい!
直前の監督と前野健太の対話の効果もあり、
終盤の公園での歌は一番グッときましたね。
(ここにceroの高城氏がいたっていう奇跡)
誰か大切な人を亡くしたとき、
どういう風に受け止めるのか。
特にものを作る人たちが死を受け止め、
それを作品へと昇華していく姿が、
ナマナマしく刻まれていると思いました。
次はトーキョードリフターを見たいと思います〜

2015年4月14日火曜日

ソロモンの偽証 後篇・裁判



前篇見たので当然後篇もということで見てきました。
前篇では謎解きを完全に超越する映像、俳優陣の演技が
最高に素晴らしかったです。
本作は粛々と裁判が進んでいく中で、
隠されていた真実や裁判に対する思いが
明らかになるのもオモシロイんですが、
ラストのドライブのかかり方が本当に圧巻で
涙なしに見ることができない。
今年は邦画をそんなにたくさん見ていませんが、
邦画のぶっちぎりNo.1!と言っていいと思います。
松竹映画でスポンサー入りまくっているけど、
作り手の気持ち次第だなーと改めて思ったし、
こんな邦画をたくさん見れれば、
そんな幸せなことはないでしょう。
物語のあらすじは前篇を参考にしてもらえればと思いますが、
学内裁判およびその前後を描いた話となります。
前篇のタイトルバックはダサかったんですが、
本作は渋めの仕上がりで冒頭からツカミはOK
永作博美が自らの娘を守ろうとするところから始まり、
はじめにフォーカスされるテーマは親子関係です。
主人公の家族と永作家を対照的に置くことで、
大人の子どもへのスタンスの違いを描いていきます。
主人公の家族は娘を1人の大人として扱い、
彼女の悩みを聞き入れてきちんと向き合おうとする。
一方の永作家は子どもを守りたいという気持ちは
主人公の家族と同じなんですが、
子どもを圧倒的な弱者として扱い、
「私がいなければこの子は!」と過保護に扱う。
本題の裁判が始まる前ですが、ここに本作のテーマが
凝縮されているように思いました。
要するに「子どもだからってなめんなよ!」ってこと。
子どもってときに残酷なまでの正論を叩きつける
瞬間が往々にあると思います。
相手の気持ちを考えないで、それを突きつけるだけなのは
良いことではないと思うけれど、
じゃあ大人のように本音をひた隠し、
欺瞞の関係を構築していくことでいいのか?
その欺瞞を押し付けてくるんじゃねーよ!
という子どもたちの叫びが本作に凝縮されている。
ゆえに裁判という嘘偽りが許されない舞台を設定する訳です。
そして裁判へと突入するんですが、
息を呑む攻防戦の数々が繰り広げられ目が離せない。
上映時間は160分で長いんですが、
前篇で蒔いた種の回収なので飽きない作りになっています。
裁判内の見所としては校長と永作博美の娘の尋問シーン。
結果的に学校に混乱もたらしたけど、
精一杯子どものことを考えてくれた校長に対する、
生徒たちのスタンスの真摯さに号泣メーン!
一方の娘のくだりは「ぶっとばすぞテメー!」
と思わず言いたくなる展開があるんですが、
後半でこれがボディブローのように効いてきます。
基本シリアスなんですが笑っちゃう場面も結構あって、
黒木華がどつかれるシーンでの異常な血液量とか、
永作博美の娘のニキビフラグが回収されてたりが好きでした。
そして裁判の最終段階で思わぬ展開へ。
ここがちょっと嘘くさい感じというか、
キャラを考えると分からんでもないけど、
飲み込み辛いな〜と思いました。
しかし!そのすべてを吹き飛ばす
藤野涼子さんのセリフ、演技がマジで最高最高だと思うよ!
彼女が主人公を担ったことで
前篇も含め本作はそれだけで見る価値がある、
否、見なければならないと言っていいと思います。
しかも彼女は本作のオーディションで選ばれた子で、
これがデビュー作っていう…末恐ろしいで!
あまちゃんで能年玲奈を見たときに感じた圧倒的な無垢さとは、
ベクトルが別なんですが同じくらいの衝撃がありました。
あんなに雄弁な涙はこれまで見たことがない。
大人になると面倒なことや嫌なことから逃げがちですが、
それに伴う責任を自ら背負わなければならない。
「それでも生きていく」っていうセリフは
人生の肯定でもありながら贖罪の意識でもある。
話だけ聞くと「中学生がそんなこと…」みたいに思うかもですが、
前後篇で長い時間かけたことで圧倒的な説得力があります。
邦画はオモシロくないと嘆くあなたに大推薦の1本!

2015年4月13日月曜日

JIMI:栄光への軌跡



ジミヘンの自伝映画をアンドレ3000主演で!

っていうことで見てきました。
ISSUGI & DJ SCRATCH NICEのmixtapeでも
サンプリングされてましたね、
ヘンドリックスもwake up!!
アンドレ3000はOUTCASTという
HIPHOPデュオの片割れの人で
ラップが好きなので楽しみにしていました。
(最近だとFrank Oceanとの曲→リンク)
ジミヘンはギターを燃やした人ぐらいの
浅〜い知識で見たんですが、十分に楽しめたし、
ロック、ブルースかっこいい〜ってなったから、
それだけで満足でございました。
ジミヘンのすべてのキャリアを振り返った訳じゃなく、
彼がデビューしイギリスに渡って、
有名になったあとアメリカに凱旋するところを
Based on a true story形式で描いた作品。
なんといってもアンドレ3000のハマり具合が凄まじい!
顔とかまんまやん!と思いましたし、
ギターもきっちり引いていて練習したんやろなー
と感心しながら見ていました。
ガラガラのレストランの箱付きギタリストとして、
演奏しているところへリンダ・キースが来て
彼の才能に惚れ込むシーンから始まります。
2人でLSDキメて仲良くしているのがイイ!
編集が独特でトリップ表現なのか、
カットとセリフがバラバラだったりでFRESH!
リンダ・キースはキース・リチャーズの彼女で、
彼女が色んなコネを駆使して業界人を
レストランへ連れてきたり、
キースのギターを彼にあげたりするんだけど、
なかなか上手くいかない。
そこへマネージャー業を始めるアニマルズのチャスが来て、
ジミヘンの才能に惚れ込み契約することに。
そしてアメリカで芽が出ない彼をイギリスへ連れて行きます。
これがまさしく転機で、圧倒的なギタースキルを引っさげて、
彼の名は徐々に広まっていきます。
特に顕著なのはエリック・クラプトンとのセッションシーン。
渋々了承し、ジミヘンの名前さえもうろ覚えで
いざ演奏が始まるとクラプトンがステージを離れ、
楽屋でチャスに「アイツ誰やねん、めっちゃ上手いやん」
とジェラスを抱くシーンが好きでしたねー
しかも、その演奏がまたかっこよくて、
ジェラる彼の気持ちがよく理解できる作りになっていました。
あと帰ってから調べて知ったんですが、
ジミヘンはエレクトリックギターの可能性を
掘り起こしたとパイオニアと言われています。
劇中でアンプの存在を大きくフォーカスしたり、
ギターと弦が擦れる音だけを抜きで使っているのは
彼のそういった功績を描くためなのかなーと思いました。
1960年代のアメリカ、イギリスということで
黒人差別問題も本作内で触れられているんですが、
ジミヘンのスタンスが興味深かったです。
昨年のファーガソンでの事件も含め、
黒人に対する差別が未だに残っていて
怒りの気持ちはまだまだ燻っている。
しかし、彼は音楽、人種すべてにおいて
ジャンル分けすること自体がナンセンスだと言い切る。
安易な二項対立だったりとか、
十把一絡げな物言いが蔓延る2015年現在だからこそ
彼の言葉には考えさせられました。
(愛がすべてを解決するという楽観論は飲み込めないですが、
都市と星は読んでみようと思います)
そして本作で一番フォーカスされているのが、
ジミヘンの周りにいた女性にまつわる話。
彼のビジネスを支えたリンダ、
彼女として彼の生活を支えたヘイリー、
悪の道へと引き込むイダ。
彼が女性に支えられていたことがよく分かるし、
繊細がゆえに傷つけてしまう瞬間もある。
ラストのビートルズのリリパでの演奏が
サージェント〜カバーも含め一番好きでした。
おそらくジミヘンフリークの人からすると
生温いかもですが、ビギナーの僕は大変楽しめました。
これからアルバム聞き込むんやで〜

2015年4月12日日曜日

皆殺しのバラッド メキシコ麻薬戦争の光と闇



メキシコ麻薬戦争のドキュメンタリー。
タマフルで元になった本も紹介されてましたが、
早く読みたくなるくらい言葉を失ってしまう映像でした。
もっと麻薬カルテルよりの映像、
それこそ潜入ものかな〜と勝手に思ってたんですが、
ギャング達のことを歌った
ナルコ・コリードの歌手たちと警察に密着し、
メキシコ麻薬戦争の光と闇が映し出される。
悪の法則でも描かれていた、
誰が悪いかさえ分からないシステムの中で、
それに乗り切れず粛々と毎日を生きる人達と、
そのシステムに乗っかり調子良く生きる人達。
麻薬カルテルが作った無政府状態というシステムが
本作では描かれる訳ですが、どこの国にもシステムがあり、
それに乗って生きる人とこぼれ落ちてしまう人がいる
という意味では普遍的なことなのか…と考えさせられました。

2006年頃から始まった麻薬戦争について、
犯罪調査官(鑑識)の視点と、
LAに住むナルコ・コリードの歌手の視点によって
語っていくドキュメンタリーとなります。
映画がはじまってすぐに犯行現場のシーンとなり、
3人並んだ子どもたちが銃について語る。
ここから分かるのは、いかに犯罪や銃器が
この社会において身近なものかということ。
警官たちが覆面しているんですが、
それはギャング達に顔がバレて狙われないようにするためで、
完全に立場が逆転してしまっています。
本作で特異なのは死体が容赦なく映るところです。
道ばたに転がってるものや鑑識に回されたもの、
果ては首だけが映ったりもする。
数字で「毎日〜人死んでいます」というだけでは
伝わらない圧倒的な現実を突きつけられる。
しかも、麻薬とは一切関係ない一般の人や、
警察で働いているだけの人までも犠牲になっている。
さらに警察は粛々と死体を片付けるだけで、
捜査を一切行っていないんですよね。
そもそも犯罪が起き過ぎで人が足りないのもあるし、
捜査した人は間違いなく殺されてしまう。
これが21世紀の社会なのか…と頭がクラクラする。
それと対照的なのがナルコ・コリードシーン。
彼らはそういったギャングたちの日常を歌にし、
それで金を荒稼ぎし、子どもたちからも憧れの存在となっている。
大衆を苦しめるギャングのことを歌った曲で
大衆が享楽に浸るという決定的な矛盾。
見ていて「これでいいのか?」と考えまくりでした。
ギャングスタラップと同様のことなのかもだけど、
現実を突きつけられると何も言えなくなりました…
HIPHOPが果たした不良の救済という意味では、
同じ役割を果たしているんだけどさーというね。
あと印象的だったのが国境警備隊のインタビューで、
悲劇と喜劇は紙一重で思わず笑ってしまいました。
国レベルでどうにもならないなら、
もはやこの暴力の連鎖に終わりは無いのでは?
という絶望に打ちひしがれましたが、
世界の現実を直視したい方にはオススメです。

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)



アカデミー賞総なめにしたことで話題の本作。
予告編だけでなるべく前情報を入れずに見てきました。
これがアカデミー賞を取るんか…と思うくらい、
アヴァンギャルドな作品で、とてもオモシロかったです。
監督はアレハンドロ・G・イリャニトゥという人で、
以前から好きで結構見てるんですが本作が一番好きかも。
何といっても全編ワンショットの映像にやられちゃうし、
負け犬のOnce Againものでありつつ、
クリエイターと批評の関係について
SNS全盛の現況を踏まえて描きつつ、
自らが「何者」なのか?という問いへの答えを導きだす。
それでいてコメディとして楽しい作り。
こんなの見たことない!と興奮しまくりでした。
90年代にバードマンという
ヒーローアクションでスターとなったリーガンが主人公で、
落ちぶれてしまった彼は何とか再起しようと
NYの劇場で舞台を行うことにするんですが、
決して演技派ではない彼が演劇の世界に飛び込み、
紆余曲折しながら上映まで漕ぎ着ける舞台裏を描いた作品。
はじまってすぐに超かっこいいフォントで、
作中の舞台の原作として使われている、
Raymond Corverのラインを引用して話がスタート。

And did you get what you wanted from this life, even so?
I did. And what did you want?
To call myself beloved, to feel myself beloved on the earth

そしてリーガンが宙に浮いているところから映画は始まります。
えっどういうこと?と考えるのも束の間、
ここからワンショットで映画が終わるまで
舞台製作の裏側を描き続けていきます。
画面上および話の内容を含め前半は情報量がとても多く、
それに付いていくので精一杯でしたが、
話が分かるとぐいぐい引き込まれました。
(2回見るともっと楽しめる気がしている)
ワンショットのように見えますが、
IMDbによると16カットで構成とのこと。
ヒッチコックのロープと同様、
背中とか暗闇にフォーカスし一旦画面を真っ暗にして、
カットを割っているのかなーと思います。
ワンショットっていうだけでも十分なんだけど、
こんなに滑らかに撮影されていることも驚異!
まるで自分が幽霊になって、
劇場を徘徊しているような感覚に陥ります。
基本的には実時間どおりに物語が進むんだけど、
日にちが変わるタイミングのシームレスさも素晴らしく、
「昼と夜の境目が溶けていく」という表現がピッタリ。
(宇野維正がパンフレットに書いていました)
この撮影を務めたのがゼロ・グラビティも撮った、
エマニュエル・ルベツキという撮影監督で、
予告編で彼の名前が出ているのも納得の仕上がり。
あと音楽も特徴的で全編に渡って、
即興的なドラムが重く鳴り響続ける。
Jazz Drum Breaks!がひたすらかかっているんだから、
HIPHOP好きとしてはテンション上がりまくり。
題材が演劇、improvisationを彷彿とさせる音楽、
そしてワンショットの映像から導き出されるのは、
人生が一度切りで一方通行であることに他ならない。
まさにYou Live Only Once(YOLO)な訳です。
作り手と批評の関係はSNSを絡めている点も含めて、
CHEFに近いものがあります。
前半にあるリーガンの付き人をしている娘が喝破する
承認欲求にまつわる話はなるほどなーと。
昔はfameが生業の人だけが気にしていたことだけど、
今や皆がインターネットを通じて、
自らが何者かを発信しfameを追い求める。
これがダメ!っていう描き方ではなく、
一長一短ですよねというバランスが好きでした。
そして、リーガンが「これしかない!」と演技にかける姿、
すなわち、それこそがタイトルにあるignorance(無知)であり、
そんな彼にしかできないことがある。
東京ポッド許可局の言葉で言えば大ボケのスタンス。
俳優陣が本当に素晴らしくて、
主演を務めるのはマイケル・キートンしかり、
エマ・ストーンはジャンキーな姿でもカワイイし、
何と言ってもエドワード・ノートンが最高最高!
スキルはピカイチだけど、
超自分勝手な姿は何度も笑わせていただきました。
(パンツはいてないくだりが好きです。)
終盤の幻想展開は開放感あって好きだし、
オレがオレの世界を支配する!という決意が
かっこいいなーと思いました。
親子物語でもあるんですが、
ラストの収め方がワビサビ効いているというか、
3人で仲良くってことではないのが良いなと。
エマの顔ですべてを物語る演出もナイス!
映画館で見ないと損するよ!

追記:
KREVAの最終回という曲が
この映画にドンピシャだったのでサビの歌詞を転載します。

終わりだなんて言わないで欲しい
まだこれからさ
最終回の中身は自分で決める
いいだろ?
どんなに笑われても譲れないセリフ
吐き出してやるさ
最終か回の予定は立てない
今のところ

2015年4月8日水曜日

ゴーン・ガール


映画がとても好きだったので小説も読みました。
最近ブルーレイも我が家に届いたし、
サントラも買ってしまったし、
完全に「Where is Amy?」状態です。
原作と映画の関係性は皆さん、
色々意見を持っていることでしょう。
そのまま映像化して欲しいときもあるし、
フレッシュなアレンジを映画で見ると、
それはそれで楽しいですし。
あと見る/読むの順番もありますよね。
読書が完全に想像の世界で無敵と考えているので、
見る→読むの順番を基本にしています。
本作は限りなく映画まんまで、
異なるのはニックとエイミー以外の
キャラクター配置ぐらいかな?
読んで分かる鮮やかなフィンチャーの手際!
そして結末が分かっているミステリー読書は退屈…
(僕はこの現象を予定調和読書と呼ぶことにしました)
この作品は「初めて見る/読む」ときがもっとも大切。
まだ本を読んでない、映画を見てない人は幸せです。
なぜなら「初めてゴーン・ガールに触れる」
という唯一無二の機会を未だ持っているのだから。

2015年4月5日日曜日

カフェ・ド・フロール



ダラス・バイヤーズ・クラブで有名となった、
ジャン=マルク・バレ監督作品。
2011年製作なのでダラスの前作にあたるんですが、
このタイミングで上映とのことで鑑賞。
社会的弱者を扱っている点は、ダラスと共通しているものの、
作品構成が凄まじかったな〜
1969年のパリと2011年のモントリオールの
2つの時代を描きながらシンクロしていき、
ラストの展開があまりに怒濤過ぎて魂抜かれました。
輪廻転生は信じてないし、スピってる系苦手だけど、
本作のような形だとイイかな〜とは思いました。
2011年のモントリオールのストーリーでは、
有名DJが主人公。美しい彼女とカワイイ娘がいて、
幸せそうに見えるんだけど、この娘は前妻との子どもで、
彼が今の彼女に惚れ込んで別れてしまった。
捨てられた前妻はそのショックからか、
薬を多用し、夢遊病に取り憑かれ悪夢を見るようになり、
その悪夢が何を示すのか探ろうとする。
一方1969年のパリではダウン症の子を持つ、
シングルマザーが主人公。
ダウン症に対する偏見がまだまだ健在で、
平均寿命が25歳と言われる時代に、
彼女は息子に愛情を注ぎ倒す。
これら2つのストーリーを並行して描くことで、
「愛」とはなんでしょうということを考察する映画です。

DJの彼が海外に仕事へ行くシーンから始まるんですが、
空港での彼の後ろ姿を追っていたカメラのピントが
ボケ始めて、すれ違う人達にピントが合う。
その人達が皆ダウン症で意味深やなーと思ってたら、
1969年の話へシフトしていく。
分かりやすい形のシンクロはこの冒頭ぐらいで、
説明はかなり省略されていて、時代も異なっているので、
前半は話の中身を終始追っていました。
(時間、時代、場所をかなりシャッフルしている作り)
特徴的なのが音楽で、タイトルのカフェ・ド・フロールは、
マシュー・ハーバートという人の曲。
DJとダウン症の息子が好きな曲で、
2つの時代のブリッジとなる。
DJが主人公っていうのもあるんですが、
色んな音楽が劇中で流れる上にレコードが
フォーカスされてるのが上がる!
仕事でDJしてるシーンがあるんですが、
ヘッドホンのモニター音(頭出しの音ね)を
聞かせるって言う演出はフレッシュだったなー
クラブでたくさん人が踊っているけれど、
彼は孤独に音楽と向き合っているのがよく分かる。
あともう1曲、劇中で印象的なのが、
Sigur Rós の Svefn-G-Englar
イイ曲だなーと思って帰って調べてたら、
この曲のPVもダウン症の子どもたちを起用していて、
ラストは男女がキスする形でPVが終わる。
映画見てからみると、あーなるほど!となりました。
こうやって多層的に繋がっているのは楽しいと思います。
音楽自体の効能にもフォーカスしていて、
良い悪い含めて人の思い出と音楽がセットになっている。
つまり、忘れていたこと、忘れたいことも、
音楽の力で強制的に喚起させられるということ。
この事象を使って離婚前後を描いてくのが
見ていて辛かったなー奥さんはボロ雑巾の如くなってるし。。
あと長女が復縁して欲しさに、
母親のfavorite numberを流しまくる行動も
間接的であるがゆえに倍辛いんやで。
一方、1969年のシークエンスは初め愛に溢れている。
ダウン症の息子を何とか健常者同等に生きられるよう、
習い事をさせたり、施設ではなく普通の学校に通わせたり。
無償の愛をひたすら注ぎ続けるんだけど、
息子の学校にダウン症の女の子が入学し、
息子と女の子が異常に仲良くなってしまう。
母がいなければ生きることのできなかった
息子に自我が芽生えていく。
本来であれば喜ばしいことなのに、
母は嫉妬に焦がれていきます。
毎日の「いないいないばぁ」のくだりで、
息子がいなかったときの切なさと、
それを振り切る母の顔が怖かったです。
本作を見て考えたことは、「愛」はgive&takeってことです。
どちらが欠けてもダメで、互いにそれぞれgiveとtakeを
担わなければならない。
「無償の愛」は気持ちがいいけれど、
それは対象を相対的に弱者とみなした場合に限られるのかなーと。
前述のとおりラストにかけて
2つのストーリーがシンクロしていくんですが、
「うわぁ…」と声にならない声が出てしまいました。
前妻が不憫過ぎるし、あのままじゃただの夢狂いやん…
(輪廻転生を信じてる人には納得の形かもだけど)
業を乗り越えた先にある究極の愛の形なんでしょうか。
変な映画だけど考えさせられること山の如しなので、
興味のある人は見てみてね!

2015年4月2日木曜日

ジュピター



ウォシャウスキー姉弟監督最新作。
こんなもんDVDで見るほど意味ないことはないので、
IMAX3Dという100点の環境で見ました。
前作のクラウドアトラスが好きだったので、
割と楽しみにしてたんですが、
良い意味でも悪い意味でも普通…
大筋は既視感のあるスペースオペラで、
特にオモシロくもないんだけど、
アクションは素晴らしいし、ポイントポイントで、
ブラックユーモアとも言うべき部分があり、
そこは楽しむことができました。

主人公はミラ・クニス演じるジュピターという女子。
ロシアとイギリスのハーフとして生を受けるも、
生前に父を亡くし、母親とシカゴで暮らしている。
毎日家政婦として働く退屈な毎日を送る中、
彼女を3つの宇宙人の勢力が争奪戦を繰り広げます。
なぜなら彼女は宇宙の大きな勢力を持つ一族の
死んだ母親の生まれ変わりで地球の所有者だから。
この女王ジュピターを巡る、
壮大なスペースオペラとなります。
ジュピターの生誕の経緯と彼女の背景から、
物語が始まるんですが、
この時点でウォシャウスキー作品っぽくないというか。
全編に渡ってライトでポジティブな印象です。
前作でも描かれていた、
広義の生まれ変わりの話なんですが、
クラウドアトラスで見られたディトピア要素は
限りなく押さえられています。
僕は映画でディトピアを見たい派なので、
正直もの足りなかったです。。
ただ消費社会への道を邁進する地球自体が、
実は消費対象でしかないっていう流れや、
未来世紀ブラジルオマージュの、
官僚ペーパーワークのシーンなどは好きでしたねー
(テリー・ギリアム監督御大のカメオ出演!)
常にジュピターの見方であるヒーロー役を演じるのは、
チャニング・テイタム。
彼が出てる映画はオモシロいという法則も成立しつつある、
間違いなく今一番ホットな俳優でしょう。
彼は狼と人のハーフで贖罪のため、
ジュピターを宇宙へ連れて行くミッションを担う。
彼の持つ空を飛ぶためのガジェットがかっこいい!
スケートのような形で、空を滑空していく姿が燃えました。
とくに前半のシカゴの街中でのチェイスシーンは、
IMAXで見たこともあり迫力グンバツで最高!
(このシーンだけで撮影に6ヶ月…)
武器や宇宙船を含めたガジェット類が
スタイリッシュでかっこいいのとは対照的に、
一族の趣味の悪さがバカっぽくて好きでした。
とくに三男のルネッサンス趣味がアホっぽくて、
自身の住む宇宙基地にミロのヴィーナスを
彷彿させる超巨大像がアホでテンション上がった!
実は地球の支配者でしたというシンデレラストーリー、
身分の違いを越えた恋という美女と野獣ストーリーを
ドッキングしたような話なんですが、
なんかつまらないんですよね〜
話のベクトルが一体どこに向いているのか、
掴みにくいので全体に散漫な印象を抱かせる。
あと宇宙人が出てくるSFで
「地球人の下等さワロタ」っていう話が苦手です。
終盤も分かりやすい勧善懲悪物語で、
「ふーん」という印象しか持てなかったです。
特筆すべきとすればラストシーンですね。
敵を倒してそこで終わりかと思いきや、
ジュピターは地球に戻り、家政婦として再度働き始める。
しかし、その姿は以前と異なり、
非常に活き活きしている。
「じぶん、宇宙レベルの女王やのになんで働いてんの?!」
と言いたくなるんだけど、
彼女が大切にしているのは自分だけではなく、
周りの人のことを思いやる優しい女子なのです。
ヒューマンドラマなら分かるけど、
それまであんだけスケール大きかったのに、
急にスケールダウンして身近な話へ
フォーカスするのが興味深かったなー
テイタムとのデートはクロニクルを彷彿。
見る気がある人は是非映画館で。