2015年4月5日日曜日

カフェ・ド・フロール



ダラス・バイヤーズ・クラブで有名となった、
ジャン=マルク・バレ監督作品。
2011年製作なのでダラスの前作にあたるんですが、
このタイミングで上映とのことで鑑賞。
社会的弱者を扱っている点は、ダラスと共通しているものの、
作品構成が凄まじかったな〜
1969年のパリと2011年のモントリオールの
2つの時代を描きながらシンクロしていき、
ラストの展開があまりに怒濤過ぎて魂抜かれました。
輪廻転生は信じてないし、スピってる系苦手だけど、
本作のような形だとイイかな〜とは思いました。
2011年のモントリオールのストーリーでは、
有名DJが主人公。美しい彼女とカワイイ娘がいて、
幸せそうに見えるんだけど、この娘は前妻との子どもで、
彼が今の彼女に惚れ込んで別れてしまった。
捨てられた前妻はそのショックからか、
薬を多用し、夢遊病に取り憑かれ悪夢を見るようになり、
その悪夢が何を示すのか探ろうとする。
一方1969年のパリではダウン症の子を持つ、
シングルマザーが主人公。
ダウン症に対する偏見がまだまだ健在で、
平均寿命が25歳と言われる時代に、
彼女は息子に愛情を注ぎ倒す。
これら2つのストーリーを並行して描くことで、
「愛」とはなんでしょうということを考察する映画です。

DJの彼が海外に仕事へ行くシーンから始まるんですが、
空港での彼の後ろ姿を追っていたカメラのピントが
ボケ始めて、すれ違う人達にピントが合う。
その人達が皆ダウン症で意味深やなーと思ってたら、
1969年の話へシフトしていく。
分かりやすい形のシンクロはこの冒頭ぐらいで、
説明はかなり省略されていて、時代も異なっているので、
前半は話の中身を終始追っていました。
(時間、時代、場所をかなりシャッフルしている作り)
特徴的なのが音楽で、タイトルのカフェ・ド・フロールは、
マシュー・ハーバートという人の曲。
DJとダウン症の息子が好きな曲で、
2つの時代のブリッジとなる。
DJが主人公っていうのもあるんですが、
色んな音楽が劇中で流れる上にレコードが
フォーカスされてるのが上がる!
仕事でDJしてるシーンがあるんですが、
ヘッドホンのモニター音(頭出しの音ね)を
聞かせるって言う演出はフレッシュだったなー
クラブでたくさん人が踊っているけれど、
彼は孤独に音楽と向き合っているのがよく分かる。
あともう1曲、劇中で印象的なのが、
Sigur Rós の Svefn-G-Englar
イイ曲だなーと思って帰って調べてたら、
この曲のPVもダウン症の子どもたちを起用していて、
ラストは男女がキスする形でPVが終わる。
映画見てからみると、あーなるほど!となりました。
こうやって多層的に繋がっているのは楽しいと思います。
音楽自体の効能にもフォーカスしていて、
良い悪い含めて人の思い出と音楽がセットになっている。
つまり、忘れていたこと、忘れたいことも、
音楽の力で強制的に喚起させられるということ。
この事象を使って離婚前後を描いてくのが
見ていて辛かったなー奥さんはボロ雑巾の如くなってるし。。
あと長女が復縁して欲しさに、
母親のfavorite numberを流しまくる行動も
間接的であるがゆえに倍辛いんやで。
一方、1969年のシークエンスは初め愛に溢れている。
ダウン症の息子を何とか健常者同等に生きられるよう、
習い事をさせたり、施設ではなく普通の学校に通わせたり。
無償の愛をひたすら注ぎ続けるんだけど、
息子の学校にダウン症の女の子が入学し、
息子と女の子が異常に仲良くなってしまう。
母がいなければ生きることのできなかった
息子に自我が芽生えていく。
本来であれば喜ばしいことなのに、
母は嫉妬に焦がれていきます。
毎日の「いないいないばぁ」のくだりで、
息子がいなかったときの切なさと、
それを振り切る母の顔が怖かったです。
本作を見て考えたことは、「愛」はgive&takeってことです。
どちらが欠けてもダメで、互いにそれぞれgiveとtakeを
担わなければならない。
「無償の愛」は気持ちがいいけれど、
それは対象を相対的に弱者とみなした場合に限られるのかなーと。
前述のとおりラストにかけて
2つのストーリーがシンクロしていくんですが、
「うわぁ…」と声にならない声が出てしまいました。
前妻が不憫過ぎるし、あのままじゃただの夢狂いやん…
(輪廻転生を信じてる人には納得の形かもだけど)
業を乗り越えた先にある究極の愛の形なんでしょうか。
変な映画だけど考えさせられること山の如しなので、
興味のある人は見てみてね!

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