2017年6月29日木曜日

勝手に生きろ!

勝手に生きろ! (河出文庫)

昨年読んだパルプで小説って自由なんだよなー
と実感したチャールズ・ブコウスキー。
古本市で見かけてサルベージしました。
読み終わるまで自伝なのかと思う内容で、
パルプとはまた違う感じでオモシロかったです。
お話としては、大学を中退した主人公チナスキーが、
ひたすら色んな仕事については辞めを繰り返す、
ただそれだけの話です。
いわゆる私小説なんですが、その日に起こった出来事を
かなり細かく描写しているので
日記を読んでいるような感覚。
ひたすら酒を飲み、女を抱き、仕事を転々としていて、
生活に余裕はないのだけれど、
何にも縛られずに自由に生きている様は羨ましくも見える。
なおかつ描かれている時代が第二次大戦前後なのも、
日本人としては哀しくなるところがあります。
つまり、日本が徹底的に追いつめられてたときに
アメリカでは何の変哲もない日常が流れていたと。
到底勝てる訳がなかったことを
戦争がテーマでもないところから伺い知れるところが、
オモシロいなーと思いました。
この点はあとがきでも言及されているんですが、
本作のあとがきはブコウスキーを体系的に理解できる、
素晴らしいあとがきでした。
パルプが実は例外的な作品で、
残りの小説は本作と同じチナスキーが主人公で、
描かれている時代が青年期、壮年期等になっているとのことでした。
そうなると全部読むしかないやん!
今年中に全部読みたい気持ちです。

2017年6月28日水曜日

ブロウ



NETFLIXのナルコス全部見て、
メキシコ麻薬戦争の本を読んだりと、
先日まで個人的なドラッグブームだったんですが、
ジョニー・デップ主演の本作を見て再び盛り上がりました。
実在した伝説の白人ディーラーを描いていて、
スカーフェイスを筆頭に、
ドラッグでHustle Hard!した人の
栄枯盛衰物語はいつの時代もオモシロい。
はじめは大麻で儲け始めて一度捕まるんですが、
そこであきらめることなく次はコカイン!
とアグレッシブに金儲けしまくる。
彼はディーラーであり、
コロンビアから如何にしてアメリカに輸出して、
それをさばくかが課題。
見た目はパッとしないし、
本人自体もバイオレンスさはなく、
かなりビジネスライクなドラッグ映画だと思います。
(ゆえにスカーフェイスのように神格化されにくいのかも)
ジョニー・デップってティム・バートン作品を中心に、
ファンシーな作品が代表作になっていますが、
こういったマッドな役を定期的に引き受けているのが
かっこいいなーと思います。
本作で印象に残っているのは彼の目つき。
常に死んでいる感じというか、
稼ぎまくって栄光を手にしているはずなのに、
目はどこかうつろで虚無感が漂っているんですよねー
終盤に色んな人に裏切られ続けるところは辛いし、
ラストは娘の期待を自分が裏切ってしまう切なさ。
隠れたドラッグ映画クラシックかと思います。

2017年6月27日火曜日

武曲 MUKOKU



<あらすじ>
剣道の達人だった父に幼少時から鍛えられ、
剣道5段の腕を持つ矢田部研吾。
しかし父をめぐるある事件をきっかけに剣を捨て、
自堕落な日々を送っていた。研吾のもう1人の師匠である
僧侶・光邑は、研吾を立ち直らせるため、
ラップのリリック作りに夢中な高校生・羽田融を送り込む。
融は剣道初心者だったが、
本人も気づかない恐るべき剣の才能を秘めていた。
映画.comより)

熊切和嘉監督で脚本が高田亮、
なおかつ綾野剛主演ということで見てきました。
予告編で見ていた決闘シーンが圧巻だったし、
剣にしか生きることができない、
現代の男たちの生き様がオモシロかったです。

※ここから盛大にネタバレして書きます。

ラップブームが始まって以来、
色んな媒体で見るようになりましたが、
こういったノリの作品にまで登場することを
とても嬉しく思いました。
なんと本作は主演の1人である羽田を演じる村上虹郎の
ライブーシーンから始まるんです!
2タンテとギターのミクスチャー風なんだけど、
村上虹郎が激しいラップを披露してくれる。
その出来の云々はどうでも良くて、
主人公が思春期で音楽やってる設定の場合、
ほぼ100%ロックバンドだと思うんですけど、
そこを覆してくれているのが嬉しい。
ラップが広まっていくのは
こういった些細なところが
実は重要な気がするんですよね。最近。
本作では羽田がラップから剣道の虜になっていく姿と、
矢田部が自堕落な生活に苦闘する姿を
並行して描いていきます。
実際に剣道をやっている人が見ると
「いかがなものか!」というクレームがつきそうなくらい、
ラフな剣道のシーンがとても多いです。
あくまで競技としての剣道ではなく、
「剣の道」に魅了され、毒された人達の話であり、
僕はそこが好きなところでした。
そもそも中高生とおっさんが
最終的に剣で果たし合うという設定に
かなり無理があるわけですが、
その説得力を持たせるために用意するのが、
どっちが強いのか?というシンプルなテーマ。
とくに羽田はもともと才能があったこともあって、
強くなることにどんどん惹かれていく。
一方で矢田部は自分の剣で
父を植物状態にしてしまったことを
受け入れることができず酒に溺れる日々。
幼い頃から父にしごかれ、
ひたすら強さを追い求めた人間にとって、
その超えるべき壁を失ったときに陥る喪失感が
スクリーン全体を覆うようでした。
(ドリフかよ!とツッコミたくなるくらい
千鳥足のシーンが多かったけど。)
そして、強さを巡る人生が交差することで
決闘へと加速していきます。
僕が物足りないなーと思ったのは、
その決闘がエンディングになっていないところ。
あくまで剣に生きる男たちの人生の話であり、
アクション映画ではないことを
重々理解しているんですが、
豪雨の中で殺気ギンギンで向かい合う
2人の姿がラストだと良かったなーと。
(エンディングと同じ曲が
ドヤでかかる演出も過剰だった気が…)
ただ、この決闘後が矢田部にとって、
人生の再生が始まると言えるし、
あくまで決闘はキッカケの一つに過ぎず、
剣に生きる男の人生は続くのである。
という結論なので良いのかなと。
鳴り響く床を打つ足の音が
戦いの始まり=人生の始まりを告げる武曲なのかな?
なんて思いながら劇場を後にしました。

2017年6月25日日曜日

ハクソー・リッジ



<あらすじ>
人を殺してはならないという
宗教的信念を持つデズモンドは、
軍隊でもその意志を貫こうとして
上官や同僚たちから疎まれ、
ついには軍法会議にかけられることに。
妻や父に助けられ、武器を持たずに戦場へ行くことを
許可された彼は、激戦地・沖縄の断崖絶壁
(ハクソー・リッジ)での戦闘に衛生兵として参加。
敵兵たちの捨て身の攻撃に味方は一時撤退を余儀なくされるが、
負傷した仲間たちが取り残されるのを見たデズモンドは、
たったひとりで戦場に留まり、
味方の分け隔てなく治療を施していく。
映画.comより)

メル・ギブソン監督の戦争映画ということで
楽しみにしていたさので公開初日に見てきました。
第二次大戦時の沖縄が舞台なので
複雑な気持ちになる部分もありましたが、
戦闘シーンの壮絶さから戦争する意味を
考えさせられる作品になっていたので、
とてもオモシロかったです。

※ここから盛大にネタバレして書きます。

映画の前半は主人公ドクの幼少期から
戦地へ行くまでの過程を丁寧に描いていました。
彼は敬虔なキリスト教信者で、
暴力に対して明確に拒否のスタンスを取る人。
宗教的理由で盲目的に暴力を拒否している訳ではなく、
自分を含めた身近で起こった暴力体験によって、
彼の人格が形成されていく過程をキッチリ描いているため、
感情移入しやすい作りになっていました。
父親は第一次大戦の過酷な戦場を生き抜いた人なので、
ドクが志願することに反対するものの、
彼は国のために尽くしたい気持ちが強く入隊することに。
彼は暴力をふるわないで済む衛生兵を志願したものの、
ライフル隊へと配属され銃の訓練が必要な状況となります。
ここでドクが取るスタンス、信念の強さに驚きました。
訓練なので誰かを殺すわけでもないのに、
決して銃に触れようとしない。
仲間、上官からの強烈な同調圧力があるにも関わらず、
信じていることを決して曲げない。
もし自分が同じような立場に置かれたときに、
こんな態度が取れるだろうか?と感服するしかありませんでした。
とくにキツかったのは連帯責任の罰の恨みによる、
仲間から受ける暴行。上官に問いただされても犯人を言わない。
そこまでして戦地へ行く意味って…と思わずにいられなかったです。
(主演がアンドリュー・ガーフィールドで、
自分の信念を曲げる/曲げないという点で、
今年公開された沈黙とかなり重なるところがありました)
ドクが銃も握れないタマナシの軟弱野郎だと
皆がせせら笑っていることが、
後半の地獄の戦闘シーンへのフリとして抜群。
つまり、本当の「強さ」を持つのは誰なのか?ということ。
後半から沖縄へ上陸しタイトルにもなっている、
ハクソーリッジでの戦闘へと突入していきます。
現場へ向かっている最中に先攻部隊の帰還と遭遇するんですが、
死体が荷物みたいに積み上がったトラックの絶望感が
見ていて辛かった…これから同じようにトラックに
積まれる可能性があるところへ出向くことを痛感させされる。
ハクソーリッジの断崖絶壁を登り、煙(モヤ?)で周りが見えない中、
少しずつ足を進めていると突然1人の兵士の頭がふっ飛ぶ。
そこから阿鼻叫喚の地獄絵図の戦闘シーンが始まります。
「プライベート・ライアン超え!」
という宣伝文句があって、一概に比べるのは難しいだけど、
本作の戦闘シーンも相当な迫力がありました。
僕が驚いたのは戦闘のスピード感です。
カメラの上手さなのか、編集の上手さなのか、
矢継ぎ早に同時多発的に色んなことが
異常なスピード感で起こり続ける。
勿論ゴア描写にも一切の手抜きがない。音の迫力も凄い。
異常な情報量が放り込まれることで、
自分がその場に立ち会っているかのような錯覚に陥る。
そして、一体何のためにここまでして殺し合う必要があるのか?
という強烈な無力感に苛まれて涙腺決壊でした。
さらに、こんな殺し合いの局面において丸腰で、
兵士を救出し続けるってどんな精神してんねん!と。
しかも日本側の反撃に遭って部隊が撤退した後も
1人でひたすら生きている人を捜して救出し続ける。
バレる/バレないサスペンスとしても手に汗握る展開でした。
予告編でも出ていた土から覗く、
あの兵士の目は忘れることはないと思います。
本作は沖縄が舞台で日本は悪役扱いなので、
センシティブなところもありますが、
戦争ってお互いの言い分を暴力で解決するものだと思うので、
この描写は当たり前だと思うし、
そんなことは承知して見てくださいと思います。
子どもじゃないんだし。
1作品内で両論併記できればいいけど、
戦争映画の場合は特に難しいところがあるし、
どっちかに重きを置かないと中途半端になってしまう。
なおかつ本作では日本兵の救出にも言及されていて、
バランス取っている方だと思います。
沖縄での戦闘の悲惨さを知るツールはたくさんあるので、
そちらも合わせて見ておくと理解がより深まるのではと。
ひめゆりの塔をめぐる人々の手記はオススメ)
DVDで見ても響かない部分が多分にある映画なので、
絶対映画館で見た方が良いと思います。

2017年6月20日火曜日

オルフェオ

オルフェオ

ceroの荒内 佑の連載が好きで
毎月楽しみにしているんですが、
そこで取り上げられていたので読んでみました→リンク
表紙が鬼カワイイわりに結構ヘビー級で、
音楽と生物化学をクロスさせた語り口が
恐ろしくフレッシュで楽しかったです。
主人公は1人暮らしの老人で、
音楽を生業にして来た人なんだけど
大学で化学を専攻していたこともあり、
自宅での遺伝子組み換えを趣味としている。
ある日飼っていた犬がなくなったときに
自宅に警官を呼んでしまい、
遺伝子組み換えの道具を見られたことで
テロリストの容疑者となってしまう。
そんな追われ身となった彼の現在と、
これまでの生い立ちを交互に描いていきます。
まず、本作がタイムリーなところがオモシロくて、
テロ容疑がもろに共謀罪で冤罪になるケース。
計画の段階で捕まえることができるようになるので、
自宅で生物化学キットを持っているだけでも、
捜査当局が怪しいと踏めば家宅捜索可能な訳です。
来月からそんな国になる日本。ディストピア。
(共謀罪に関しては中身、成立までの過程、
全部含めて最悪。これでいいと思っている人間は
よっぽどのバカとしかいいようがない。)
それはさておき、盆百の作家であれば、
テロ容疑者となってしまってからの逃亡劇を
メインにすえたサスペンスとして
描くと思いますが、著者のリチャード・パワーは
そんな安易なレールに乗っかることはしない。
なんなら自分という存在を見つめ直す、
一つの旅、ロードムービーのような語り口で
物語を進めていくところがフレッシュ!
同時に音楽家としての人生を振り返り、
2つの物語が終盤に向けてリンクしていくところが
とてもオモシロかったです。
クラシックを中心とした膨大な量の音楽の引用があり、
しかも、その音楽の背景にある音楽理論まで
リーチしているので音楽好きで詳しい人だと、
さらに楽しめるのかなと思います。
先に紹介した連載でも言及されていた、
スティーブ・ライヒの「プロヴァーブ」のシーンは
めちゃくちゃカッコ良かったです。
カフェでかかる音楽から、
ここまで世界広げることができるだなんて!
究極の音楽とは何か?を求道する音楽家としての人生は、
残酷で切ないところがありました。
そのために安定な就職口としての化学専攻を捨て、
さらに妻子まで捨てた人生は
果たして幸せだったのか?と考えさせられる。
娘との再会からのエンディングは
ページを捲る手が止まりませんでした。
また、2つの物語の場面転換の合間合間に
短い文章が配置されていて、
終盤にそれが何なのか分かるのですが、
知ったあとにもう一度読みたくなる作りになっています。
青年期と晩年を交互に描くことで、
青年期独特の強がり、背伸びしたい気持ちが
色々こじらせてしまっていることを明快にしているし、
晩年の悟りの境地が生物と音楽という、
驚天動地の結論に至っているところが超絶過ぎた。
リチャード・パワーは他の作品もオモシロそうなので、
読んでみたいと思います。だいぶ重たそうだけど。

2017年6月18日日曜日

ウォーマシーン:戦争は話術だ



NETFLIXオリジナルコンテンツに、
ブラッド・ピットが登場ということで見ました。
アフガニスタンの泥沼化している戦争を
終結させようとするアメリカ軍の大将が主人公で、
その主人公をブラピが演じています。
戦争映画としては特殊で終盤以外は
戦闘シーンが存在せず、政治と戦争をテーマとした、
パワーゲームを描いている作品。
露骨に反戦という訳でもなく、
アイロニーを込めて描いている点がオモシロかったです。
過去の戦争は国同士の争いであり、
その国に攻め込み敵軍を倒して制圧という
単純な仕組みであったんだけど、
アフガン/イラク戦争はそんな単純なものではない。
つまり、一般市民と過激派組織の区別がつかないということ。
(最近よく聞く話ですよね、「一般」との区別って)
だから誰を攻撃していいか分からない。
一般市民を巻き添えにしてしまえば、
当然米軍に反抗する人達は増えていく。
将軍はその点は理解しているんだけど、
現場で敵と直接対面する兵士たちにとっては死活問題で、
前述した唯一の戦闘シーンは
想定していた悪い結果を具現化させたものでした。
そもそも、いきなり装甲車で侵攻してきて、
「あなたたちを救いにきました!」という論法が無茶苦茶で、
さらにアメリカが作ったシステムを
彼らの事情を踏まえずに導入させる。
911以降、アフガン/イラクに侵攻したことで
テロがなくったわけでもないし、
ISISも出てきて世界はさらに混沌としていることを考えると
頭がクラクラしてきますよね。。
勝つ/負けるという従来の戦争のロジックは捨てて、
なにか別の解決方法を考えないと
テロと戦争は未来永劫続くのだな、と思ったりしました。
戦争描写がだいぶソフトなので、
そこがちょっと不満なんですが、
冬の兵士というイラク、アフガンの帰還兵達の
語りおろしの本を合わせて読むと
アフガン/イラク戦争が立体的に見えてくると思います。

光をくれた人




<あらすじ>
第1次世界大戦後のオーストラリア。
孤島ヤヌス・ロックに灯台守として赴任した帰還兵トムは、
明るく美しい妻イザベルと幸せな日々を送りはじめる。
やがてイザベルはトムの子を身ごもるが、
立て続けに流産と死産に見舞われてしまう。
そんな矢先、男性の死体と生後間もない
赤ん坊を乗せたボートが島に流れ着く。
赤ん坊に心を奪われたイザベルは
本土に報告しようとするトムを説得し、
赤ん坊にルーシーと名付けて我が子として育てはじめるが…
映画.comより)

ブルー・バレンタイン、プレイス・ビヨンド・ザ・パイン
と傑作を手掛けてきたデレク・シアンフランス監督最新作。
ポスタービジュアルを見て
甘ったるそうな恋愛映画だなーと偏見丸出しで
スルーしてたんですが、あの監督なら…
ということで遅ればせながら見ました。
期待を裏切らないと言うべきか、とても苦しい話でした。
見終わっても自分の中でなかなか消化できず、
無意味に深夜の街中をチャリで徘徊してた。。
赦すことは本当に苦しいことなんだけど、
その必要性をこれでもかと体感させられる傑作。

※ここから盛大にネタバレして書きます。

前半はあらすじにあるようにトムとイザベルの
出会い、結婚までを描いてきます。
トムは多くの屍を超えて生き延びた帰還兵。
生きることの意味を失った彼は、
孤島の灯台守として働き始めます。
本作は映像美が白眉なんですが、
文字通りの大自然を使った孤独演出が
たまらなくかっこいい。
人生に対して絶望していることを
とにかく巨大で圧倒的な自然のショットを
つるべ打ちすることで見事に表現しきってました。
言わずもがなトムを演じるマイケル・ファスベンダーの
死の香りが匂い立つような演技も抜群。
結果的に結婚するし、子どもも育てることになり、
幸せを手にするんだけど、諦念の気配が
物語内を通底して流れているんですよね。
(その気配が終盤に露骨に溢れ出てしまう訳ですが)
前半は普通の恋愛映画なんだけど、
子どもというファクターが登場するところから、
一気にドライブがかかってきます。
あらすじにもあるように、イザベルは死産、流産に
見舞われてしまうんですが、いずれのシーンも壮絶…
とくに最初の死産がめちゃくちゃキツかったです。
灯台下暗しということわざを最悪の形で具現化したようなもの。
その死産をピアノの調律で乗り越えるという
粋な演出もあるものの今度は流産。
逃げずにきちんと壮絶な様子を描いているからこそ、
ボートで流れ着いた子どもを
自分たちの子どもとして育てることも
致し方ないと思わされる訳で。
ここで主人公たちの罪を黙認する観客側は
彼らの共犯のような感覚に陥り、
後半の展開で心をこれでもかと締め付けられる。
孤島の生活でも家族3人で仲睦まじく生活する中、
街の教会へ行った際に、
トムは自分の子どもの実の母親の存在を知ることになります。
さらにここから一段ギアが上がって、
忘れかけていた自分たちが育てた子どもは
他人の子どもであるということが
再び親子に突きつけられることになります。
監督の周到さはここでも発揮され、
実の母親がいかにして自分の子どもと夫を
失ったかの過程もしっかり描いているんですよね。
夫はドイツ人で第一次大戦の敵国だったために
迫害を受けてそれに堪えきれず
舟で逃げて亡くなってしまうっていうね。。
トムが間接的に自首することがトリガーとなり、
すべてが崩壊していく終盤。
本作が見ていてとても苦しいのは、
全員間違っているし正しいということです。
善悪という基準で簡単に判断できない、
一生考えても答えが出そうにないことを
延々見せられるんだからたまりません。。
とくに子どもが可哀想で、
アイデンティティを形成し始めた段階で、
全然知らんところに放り込まれて、
知らない名前で自分のことを呼ぶ大人たち。
でも、その大人が実の親っていう。。
さらにイザベルがトムを恨んで取る行動も哀しくて。。
観客の感情をぐらんぐらん動かしてくる
畳み掛け方に脱帽でした。
冒頭に書いたように、この終わらないループを
終焉させる唯一の方法が、一度だけ赦すということ。
赦すことは本当に難しいんだけど、
一度だけ赦せば世界は広がっていく。
(赦しがなければ世界は憎しみで溢れ返る訳ですから)
僕はかなり根に持つタイプで、
赦しの気持ちになれないことが多いので、
登場人物たちのラストの寛大さに胸打たれました。
2017年のとんでもない傑作!

2017年6月14日水曜日

20センチュリー・ウーマン



<あらすじ>
思春期の息子ジェイミーの教育に悩む
シングルマザーのドロシアは、
ルームシェアで暮らす写真家アビーと、
近所に暮らすジェイミーの幼なじみのジュリーに、
ジェイミーを助けてやってほしいと頼む。
映画.comより)

グレタ・ガーウィグがメインで出てる!
ということだけで見てみました。
思春期の子どもと母親の距離感の取り方について、
スタイリッシュかつ心がほっこりするような
描き方をしていて楽しかったです。

※ここから盛大にネタバレして書きます。

オープニングを飾るのは海の鳥瞰ショット。
ドローン登場以降、空撮しなくて
済むようになったこともあり、
この画角は近年多く見るようになりました。
しかし!本作では特段意味が込められたショットで、
それはラストですべて明らかになる仕掛け。
誰のどこからの視点なのか?
主人公はドロシアという女性で
40才で息子ジェイミーを授かるものの、
夫と離婚して1人でジェイミーを育てています。
父が居ない中、思春期の男の子と
どう接すべきか分からなくなり、
2人の若い女の子たちに息子の力になって欲しい
と頼み込み彼女たちはそれぞれのやり方で、
ジェイミーとの関係を築いていきます。
メンターとなるのが女性であり、
フェミニズム志向なところが特徴的。
まるで男の死を宣言するように
前の夫の車が駐車場で冒頭で燃え盛るし、
唯一出てくる男は自分の話しかしないし
女性に対して節操がない男のダメな部分を背負ったキャラ。
ゆえに本作を見るとかっこいい男になるには
女性の助言に従ったほうがいいように思えるんですよね。
男尊女卑への明確なカウンター
また、物語の進め方が大胆でジェイミーの周りにいる人達の
人物像を簡単に明らかにはしませn。
具体的には中盤手前までは説明されないので、
観客は能動的に彼らがどういった立場なのか、
理解しようとしなければならなくて、
物語へ入り込む仕掛けとして機能していたと思います。
グレタが演じていたのは写真家のアビー。
写真家として自分自身の表現を模索する姿が
オモシロいんですが、彼女には子宮頸癌の疑いがあります。
その診断結果を病院へ聞きにいくシークエンスが
とても素晴らしかったです。
ジェイミーはアビーに同行するんですが、
身近な人間の死の瀬戸際、
病気によってもたらされる事態の辛さを
肌を持って感じることになります。
まさしく他人の痛みを知ることそのもので、
ジェイミーとアビーはこれをきっかけに仲良くなる。
(アビーがジェイミーに渡すミックステープ聞いてみたい!)
ジュリーを演じるのはエル・ファニング。
傑作ネオン・デーモンでの素晴らしい演技も記憶に新しいですが、
本作でもエンジン全開で最高最高!
見た目が清楚なのでb*tchキャラを演じると
GAPがあってオモシロいんですよねー
ジェイミーとアビーの関係は甘酸…
友人以上恋愛未満で、ここまで男を追い込むのかと。。
辛い!辛過ぎる!でも嫌いじゃない!
その辛い経験を引き受けるジェイミーを演じる
ルーカス・ジェイド・ズマンが素晴らしくて、
ナヨナヨなところと強いところの押し引き、
子どもはバカではないことを体現しまくっていました。
ジュリーもまた親との関係が上手くいっていない。
ジェイミーとアビーが対照的で、
親の過干渉と非干渉のどちらがいいのか?
と考えさせられる作りになっていました。
安易にどちらがいいか、結論を出すものではないと思いますが、
僕は非干渉派かなーと思いました。
必要なときに側にいればいいじゃん!と思うから。
ドロシアも同じようなスタンスなんだけど、
やはり母親は母親でありっていうところもあって、
この辺の機微の描き方が抜群でした。
終盤、親子水入らずの関係になってからは
心にグッとくるシーンのつるべ打ちで最高最高!
家族の世界が閉じて濃密になることは
良いこともあるかもしれないけど、
近所の人も含めた共生がもたらす
風通しの良さも必要だということを感じた映画でした。

2017年6月3日土曜日

美しい星



<あらすじ>
予報が当たらないことで有名なお天気キャスター大杉重一郎は、
妻や2人の子どもたちとそれなりの暮らしを送っていた。
そんなある日、重一郎は空飛ぶ円盤に遭遇したことをきっかけに、
自分は地球を救うためにやって来た火星人であることを確信。
さらに息子の一雄が水星人、娘の暁子が金星人として次々と覚醒し、
それぞれの方法で世界を救うべく奔走するが……
(映画.comより)

三島由紀夫原作SFを吉田大八監督が映画化!
という宣伝で知って見てきました。
桐島、部活辞めるってよ、紙の月と
好きな作品が多い監督なので楽しみにしていました。
原作未読なので何ともいえないのですが、
相当アレンジが加えられていることが
容易に想像できるアバンギャルドっぷりに
とても驚きながらも「信じる力(思い込み)」の効力や怖さを
描いていてオモシロかったです。

※ここから盛大にネタバレして書きます。

あらすじにもあるように、ある家族が宇宙人として
それぞれが覚醒していく姿を並行して描いていきます。
重一郎を演じるのはリリーフランキー。
昨年のSCOOP!での怪演も記憶に新しいですが、
本作でもそのキレは健在!
序盤はただのおじさんお天気キャスターなんですが、
物語が進むに従って宇宙人としての
自我に取り憑かれていく姿がとてもスリリング。
すげー真面目なこと言っているんだけど、
最後に取るポーズがあまりにくだらなくて最高最高!
それを天丼形式でかぶせてくるんだから抗えません。
重一郎の娘の暁子を演じるのは橋本愛。
彼女は自分を金星人と信じて疑わない。
家族の中で自分が宇宙人であることを
一番強く信じているように見える。
大学内で孤立している中で、
ふと路上で耳にしたストリートミュージシャンに心惹かれ、
彼が歌う曲の名前は金星。
彼と意気投合し金星人としての使命、
「美しい」の再定義を試みようとします。
橋本愛をスクリーンで見るのは、
寄生獣以来だと記憶していますが、
美しさへの磨きのかかり方が指数関数的で、
ちょっとどうかしてるレベルで美人でした。。。
そんな彼女に美しさの定義が間違っている!
と言われれば「ですよね〜」と思わず言いたくなりました。
とくにUFO降臨シーンは圧巻で、
高速カット割りと音楽が絶妙!
ミュージックビデオやん!と言われれば
それまでかもしれませんが、
日本の映画ではなかなか見られない演出で良かったです。
そして、重一郎の息子の一雄を演じるのは亀梨くん。
目下話題のギリギリでいつも生きていたい
グループのメンバーの1人。
入江悠監督のジョーカーゲームで見たとき以来ですが、
彼の特性を生かしたキャラ設定で良かったです。
(プラネタリウムでのイケメン批評は笑った)
メッセンジャーとしてあくせく働く中で、
あるきっかけで政治家の事務所で働くようになります。
エレベーターでの体験や佐々木蔵之介演じる秘書との
会話から自らが水星人ではないのかと信じ始める。
僕はこのシークエンスが一番好きで
とくに劇中で佐々木蔵之介が唱える自然と人間の関係性は
確かになーと頷いていました。
物語内に余白が多いので実際に彼ら家族が
本当に宇宙人だったのか?という点ははっきりしません。
僕は彼らは宇宙人であると思い込んでいるだけだと感じました。
天気予報が当たらない、大学で友達ができない、
社会でまともに働けない、
それぞれが生きていく中でコンプレックスに感じる部分が
宇宙人という人格を用意することで
社会とのバッファーにしていたように思います。
1人で勝手に信じ込むのは思想の自由だし、
それで楽しく生きていけるならOKなんですが、
人に押しつけするのはいただけないところではあります。
まさしくこの部分を象徴するのが、
唯一の地球人である妻の伊予子。
彼女は友人から薦められた「美しい水」という商品の
マルチ商法へと染まっていきます。
他人が自身を宇宙人と信じることはおかしいと思うくせに、
自分自身は特定の水を飲んだら料理が美味しくなる、
美しくなると信じてしまう矛盾。
この痛烈すぎる批評性がオモシロかったです。
マルチなんてオカルトと変わらねーぞと。
伊予子を演じるのが中嶋朋子なんですが、
彼女は養命酒のCMに出演していて、
マルチ商法にしか見えなくなるっていう…笑
あとは「美しい」という言葉への批評性。
「美しい」というのは相対的なものであり、
人間が決めた評価でしかなく、自然の中では曖昧なもの。
「美しい水」という言葉で大勢の人が巻き込まれていく様は
明らかに「美しい国」へのカウンターだと思います。
今の総理大臣に本作を見てもらったあと、
さぁ美しい国とは?と聞いてみたいものです。
全体に散らかっている感は否めないものの、
この批評性は好きなところだし、
今のままで将来良くなるとは到底思えないので、
太陽系連合の一員として未来について真剣に考えて
生きていきたい所存でございます。

ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス

ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス


滝口悠生作品。
寝相、死んでいないものと読んできましたが、
一番タイトルが気になっていた作品で楽しみにしていました。
バンドものかな〜と勝手に想像していたんですが、
そんな甘っちょろい想像の遥か先にリーチするのが
滝口悠生という作家だなと読み終わってから痛感。
小説をたくさん読むわけではないので
相対的にどうなのかは分かりませんが、
これだけ作家性の強い人って最近いない気がします。
お話としては、ある30過ぎの家庭をもつ男が
高校から大学入学すぐくらいの記憶を振り返る話。
何がオモロいねんと言われそうですが、
過去作に見られる時制と主観を自由に行き来する構成が
クセになるんですなぁ。
大したことない話でもフォーカスの合わせ方、
カットの切り方でビビッドになる。
(逆に死んでいないものはワンカットへのこだわりがある)
本作では主観は同じ人なんですが
時制がガンガン入れ替わりながら、
記憶の曖昧さに思いを馳せるところがオモシロかったです。
強烈な出来事は記憶しているけど、
その背景までは覚えていないとか、
「こうである」という言い切りを避けた、
ファジーな状態が続くので
トリップしているような感覚に陥る。
(最近痩せたとよく言われますがNO DRUGです)
とくに終盤の怒濤のクエッションマークの乱打は
読んでいて鳥肌が立ちました。
文体としてかっこ良過ぎる!
主人公が学生時代に原付で東北へツーリングするシーンがあり、
そこで原発にまつわる諸々を描いています。
6年経った今では多くの人が「忘れてはならない」
と唱える中で、本作ではそういったこともあったなぁ
ぐらいの温度感、つまり他の思い出と明快な区別を付けずに
並列に描いているところがフレッシュだなーと思いました。
軽く扱っている訳ではなく、
震災前には一地方都市として他の街と
何ら変わらない日常が流れていたんだよな、
ということを改めて感じると同時に、
読者に逆に「今どうなっているのか?」を考えさせる。
引き算の美学とでもいうべきか、
そこにないものを想像する、思い出す
習性を上手く活かした内容だと思います。
タイトルにもなっているジミヘンは
作品内で断片的にしか言及されないのですが、
中盤のある強烈なシーンが忘れられない。
ジミヘンのギターを燃やしている写真がありますが、
それにインスパイアされたギター炎上×切ない恋物語。
ストリートミュージシャンが叩く太鼓のエピソードも含めて、
「楽器」という小説に近いところがあります。
ラストも炎と楽器に回収されていく鮮やかさ。
それに加えて恐ろしいほどのキレで物語を閉じる。
6月末に短編集が出るらしいので、そちらが今から楽しみ!

2017年6月1日木曜日

マイ・ロスト・シティー

マイ・ロスト・シティー (村上春樹翻訳ライブラリー)


ceroのアルバムタイトルにもなっている、
スコット・フィッツジェラルドのエッセイ。
本作は村上春樹翻訳ライブラリーの1つとして、
いくつかの短編小説とともに
同エッセイが収録されている作品です。
久々の海外文学でしたが、
サクサク読めてオモシロかったです。
実は村上春樹なるものを遠ざけて生きてきまして、
なんとなくの偏見で彼の作品は1冊も読んだことなくて。。
なので、これが初めての春樹体験!
冒頭に彼のフィッツジェラルド評が書いてあって、
時代背景や彼の作家性を頭にインプットして
読ませる構成ということと
翻訳の流暢さが素晴らしく読みやすかったです。
(偏見ダメだなーと読み終わって痛感)
僕が思ったのは情景描写の素晴らしさ。
たとえば「氷の宮殿」の始まりはこんな風。

絵壺を彩る金色の絵の具のように、

太陽の光が家屋の上にしたたり落ちていた。
ところどころに揺らめく影も、
降り注ぐ光の強烈さをかえって際立たせているだけだ。

このリリシズムよ…

話の中身も厭世観を強烈に感じる内容で好きなんですが、
こういった繊細な描写があいまに挟まれていて、
そのギャップも好きなところでした。
僕が一番好きだったのは「哀しみの孔雀」
突如貧乏となった一家の慣れの果てみたいな話で、
バッドエンドとハッピーエンドの2つ用意されていました。
両方とも異なる趣があり、エンディングが異なるだけで、
こんなに読了後の気持ちって変わるのか
という小説ではなかなかできない体験が楽しかったです。
言わずもがな表題作のマイ・ロスト・シティーも秀逸。
彼がここで取り上げているのはNYで、
自分と都市の距離感について語っています。
僕にとっては大阪だなぁと。
転職してからはほとんど大阪に行くこともなくなり、
年数回の帰省のみ。
梅田や心斎橋を歩いているときに
自分が全く見知らぬ都市に来たような
ストレンジャー感覚に急に陥ることもあって、
フィッツが本作で述べていることに共感したりしました。
こんなこと言うとすぐに
「東京に魂売ったんか!」と言う人はいますが、
別にそう言う話ではないのでご了承ください。

思いやりのススメ



NETFLIXオリジナル作品。
なんとなく夜中に見始めたんですが、
めちゃめちゃオモシロくて平日深夜に夜更かししてしまった…
そのくらいオモシロかったです!
原題はThe fundamentals of caring
主人公は元作家の介護士。
彼が筋ジストロフィーを患う青年の介護を通じて、
自分の人生と向き合うようになるお話です。
この青年というのが超ヒネクレ者で、
介護士を困らせるような言動を取り、
自分の障害に対してかなり自虐的。
ルーティン化された生活を送り、
今まで外にほとんど出たことがないんですが、
主人公の介護士との出会いにより、
旅に出ることになります。
主人公を演じるのはポール・ラッド。
近年でいえばアントマンでの名演が光りましたが、
本作も素晴らしい演技を見せてくれています。
青年に対して大人として、介護士として、
彼に前を向くように促すんですが、
自分自身も子どもを亡くし、
さらに奥さんから離婚を突きつけらている。
「たりないふたり」が人生を前に進めるために
旅に出るんだからオモシロいに決まっている!
見所は色々あるんですが、
途中で同乗するヒッチハイカーの女の子と
青年の恋模様は屈指の甘酸案件!
(2人でダイナーで食事へ行くシーンの多幸感よ!)
あとは伏線の張り方と回収の仕方が見事で、
とくにラストの立ちションシーンは笑い泣きでした。
誰がために生きるのか?について考えさせられましたし、
それを探すのが人生だよなーと思いました。
NETFLIX最高だな、ホント。