2016年8月28日日曜日

A

A

中村文則作品。
新作も超気になっていますが、
先に過去作をと思い読んでみました。
これまで長編しか読んでいなかったんですが、
本作は僕にとって初めて読む彼の短編集。
中村文則さんの作品は話自体のオモシロさに
プラスアルファで主人公を通じた論考の深さが加わって
体に染み渡るような読書体験となる。
短編になるとその部分が薄まっていたんですが、
その分、お話のヴィヴィッドさが際立っていました。
私小説テイストな話、SFのような話もあったり、
ギャグやん!と思わず言いたくなる話など、
バラエティに富んだラインナップ。
そりゃあんだけ重厚なものを書き続けていたら、
精神的なバランスが取れないよなぁと。
人間、中村文則を目撃したような気がしました。
作品感の温度が違う中で緩やかな繋がりがある点も、
あまり読んだことがないタイプで楽しかったです。
終盤の戦争をテーマとした、
タイトル作品の「A」が短いながらもドスンとくる話でしたし、
ラストの「二年前のこと」という話からは
彼の小説家としての覚悟を見ました。
新作の「私の消滅」を早く読みたいと思います。

平成ガメラ三部作

シン・ゴジラの話題が冷めやらぬ昨今ですが、
作品を語る中でよく言及されていたガメラが気になり、
これを機会に平成ガメラ三部作を見ました。
何回かガメラを映画館で見ていて、
子どもの頃はかなり好きだったんですが、
改めて大人になって見ると童心をくすぐられつつも、
大人だから楽しめる部分もあって満足しました。

1. ガメラ 大怪獣空中決戦



平成シリーズとしてガメラが初めて地上に現れる。
敵はギャオスという鳥の怪獣で、
ガメラが味方なのか、敵なのか、
曖昧な中でガメラがギャオスと必死に戦って
人類を守ってくれるという話。
福岡ドームでのギャオス捕獲作戦のアナログ感が
たまらなく好きでしたし、
昼間の東京における最終決戦も胸が高まりました。

2. ガメラ2 レギオン襲来



最高傑作との呼び声高い作品。
この3作だと自衛隊の登場率がもっとも高い作品で、
確かにシン・ゴジラと似た部分がありました。
半導体の材料であるシリコンをエネルギーとする怪獣
というデバイス時代を予見し、
その依存社会に警鐘を鳴らすような内容。
大量発生したスモールレギオンがとても気持ち悪かった…
特撮による怪獣同士の戦闘シーンが派手でかっこいいし、
自衛隊の戦闘シーンのバランスが良かったです。
人類も捨てたもんじゃない!やればできる!
インターネットを守ってくれてありがとう、ガメラ。

3. ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒



ガメラの怖さを強調する前半が抜群でした。
阿鼻叫喚の絵図となるのが渋谷というのがグッとくるし、
現在の渋谷と異なる街の風景も見所の一つ。
中盤がモロにCG黎明期な感じで残念な気持ちになるんですが、
ラストの京都での戦いはバッチリな仕上がり。
応仁の乱以来の京都炎上っぷりで、
あれだけ京都駅を壊された安藤忠雄の感想が知りたいところです。

2016年8月24日水曜日

七帝柔道記

七帝柔道記


木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか
VTJ前夜の中井祐樹と続けて読み、
柔三部作の締めとして本作を読みました。
こちらも血がたぎる本当に素晴らしい作品でした。
しかも、この三作が文で繋がり有機的に絡み合うことで
柔の魂が共鳴していく様がめちゃくちゃカッコイイ!
これらの作品を読むまで
「柔道は暑苦しくてちょっと苦手〜」
とか思っていた自分がとても恥ずかしく思います。
また、この柔道熱が高まっているタイミングで、
リオオリンピックが行われていて、
初めて楽しんで見ることができました。
とくに100kg超級の決勝、
原沢vsリネールは歯がゆさを感じたものの、
柔道のこれまでの流れを知っていると、
今のルールの欠点と可能性が分かって勉強になりました。
余談はさておき、本作は著者である増田俊明 さんの
半自伝的小説となっていて、彼が北海道大学に入学し、
寝技に特化した七帝柔道に捧げた青春が描かれています。
ゴリゴリの体育会系物語で、
漢たちが強くなる過程が克明に刻まれており、
理不尽さを含めてスポーツに一生懸命に
取り組んだ経験を持っている人は
誰しも自らの体験を思い出すことでしょう。
直接関係がない読者の個人的な体験を思い出させるほどに
練習や試合の描写が生々しくて読んでるだけで汗をかくレベル。
七帝柔道はオリンピックや通常の学生柔道と異なり、
技ありで勝つことはできず1本取らないと勝てない。
また寝技膠着によるブレイクがなく寝技中心の試合。
こういった背景から大学で白帯から始めた人でも、
強くなることができるという特別な柔道です。
ゆえに「練習量に正比例して強くなる」という考えが強くあります。
この考え方は諸刃の刃で、ときに自分を鼓舞することができますが、
弱いとされれば練習量が足りてないことになり追い込まれる。
本作の中でも大部分は練習の場面で、
現代であれば非科学的だ!と断罪されてしまう、
あまりにも過酷な練習の数々は息が詰まります。
本作で象徴的に扱われているのは練習最後に皆で行う腕立て。
もっとも非科学的練習なんだけど、
「効果がある/ない」ですべてが測られる世界ではないんだと
主人公が七帝柔道の世界へのめり込んでいく、
その瞬間を捉えていて素晴らしかったです。
また柔道部員のキャラがしっかり立っていて、
それぞれが異なるオモシロさを持っているがゆえに、
物語が豊かな世界になっています。
無類に強い人もいれば、どうしたって弱い人もいる。
その弱肉強食の世界の中でも、
人間くさい情の部分がそこかしこに見られ、
読んでいる人の心を揺さぶってくる。
僕が号泣したのは主将の金澤さんが、
主人公に対して試合直前にかける
「おまえ、俺たちのために死ねるか」という言葉。
これだけ読むとクサいと思われるかもしれませんが、
それまでの2人の関係性を踏まえると
泣くに決まってんだろうが!
自分のためには頑張れないけど他人のためなら頑張れるという、
強烈な仲間意識に共鳴しない人はいないと思います。
また、最後に分かりやすいカタルシスを用意しない、
「強さ」への真摯な姿勢には驚きました。
事実がどうだったのかは分からないですが、
小説なのでOnce Again!の大団円でも良かったのに…
悲しくて悔しくてここでも泣いてしまったよ!
自分の弱さと向き合い、強くなることの尊さを
感じさせてくれる名著だと思います。

2016年8月23日火曜日

コンビニ人間

コンビニ人間



第155回芥川賞受賞作品。
著者の村田沙耶香さんがSession 22にゲスト出演していて、
オモシロそうだったので読みました→リンク
書かれている内容は現代社会を批評する視点を持ち、
皮肉も大いに含まれているんですが、
主人公の素直さとそれに起因する文体の柔らかさゆえに
底が見えない。だからオモシロい!
という不思議な気持ちになる作品でした。
世間の「普通」「当たり前」に真っ向から切り込む鋭さが
天邪鬼の僕にはたまらなく楽しかった!
本作を読んで真っ先に思い出したのは、
SIMI LABの「Uncommon」ですね。



普通って何?常識って何?
んなもんガソリンぶっかけて火つけちまえ

と思わず言いたくなりましたし、
世間にうまく溶け込めない主人公を応援したくなりました。
主人公が如何に変わった人間かというエピソードで、
子どもの頃に亡くなった小鳥を見つけたときのリアクションが
めちゃめちゃパンチ効いてて好きでした。
このシーンは本作に関するほとんどのレビューで
言及されていたんですが、
それは彼女の性格、考え方がここに凝縮されているからだと思います。
要するに彼女は恐ろしいまでに合理的なんですよね。
小鳥の「小」の部分や、小鳥という言葉に含まれる文脈を
感じ取ることなく、
"鳥" or "not 鳥" という0/1でしか見ていない。
したがって、この"鳥" には焼き鳥の素材である鶏も等価に扱う。
世間から見ると変わった彼女が煩わしいことを考えることなく、
社会の一部になっていると心底実感するのが
コンビニで働いているときという点が本作の白眉でしょう。
言ってしまえば工場の単純労働でも良いわけですが、
もはや無いことなんて考えられないコンビニという、
毎日のように訪れる場所を持ってくることで、
とんでもないと思える彼女の言動に親近感を感じることができる。
また、「世間」から見て突っ込みどころ満載な
36歳/独身/バイト/未婚という属性もポイントで、
彼女の友達とのやりとりはヒリヒリしましたねー
あと、「本当の自分」幻想へのカウンターとして、
主人公が登場人物の口調を細かく見ている点が
興味深いなーと思いました。
僕はすぐ影響受けるタイプなので、
オモシロかった言い回し、フレーズを自分の中に
取り入れがちなんですが、
その点をズバッと突かれてドキッとしました。
(今、一番言いたいのは真剣勝負(読み方はセメント))
言い回しを「!」や「ー」といった感嘆符で表現していて、
主人公の語尾がやたらと「!」が多く、
バイト先のコンビニの同僚たちの語尾は「ー」が多い。
これで人格を表現していくのは
メールにおける文体と近いものを感じて、
メール登場以降の文学だなーなんて思いました。
個性を尊重した社会!と喧伝されているシーンを
実社会で見かけることもありますが、
やっぱり日本は村社会属性が強く、
「〜は〜であるべき」という同調圧力が残っているし、
そこからはみ出した人に冷ややかな目を向けてしまう。
自分自身もそういう瞬間があります。
どちらが良い/悪いではなく、
他人の普通と自分の普通の違いを認識することが、
他者を少しでも理解することのはじめの一歩ということを
読んでて強く感じました。
ラストの彼女の選択は心が晴れやかになりました。
普通に縛られずに自由に生きたい、今日この頃です。

2016年8月17日水曜日

芸能人寛容論 テレビの中のわだかまり

芸能人寛容論: テレビの中のわだかまり


2016年は一連の不倫騒動から始まり、
清原選手がシャブでパクられたり、
挙句の果てはSMAP解散。
2016年が芸能史において激動の年の1つであることは
皆様が認識している通りでございます。
TV、ネット等で日々芸能ニュース及び芸能人について、
様々なものを見たり読んだりしますが、
右から左へ受け流す(©ムーディー勝山)ことが大半でしょう。
本作はそこにメスを入れて
真剣かつユーモアを交えて論考しているコラム集です。
著者の名前は武田砂鉄さん。
昨年読んだ本で僕がベストだった紋切型社会の著者です。
紋切型社会では社会に蔓延する言葉の用法、意味について、
2億%の皮肉と徹底した理論武装で、
「現代社会を解きほぐし」ていたんですが、
本作はその対象が芸能人となっています。
芸能人自身を深く考察したり、
相対的な立ち位置について考察してみたり。
前作が社会問題にタッチする内容が多く
どうしてもシニカルな視点となっていたのに対して、
本作では完全にそこがオモシロに転化していました。
なんせタイトルからしてパンチラインのつるべ打ち。
僕が好きなタイトルをいくつかピックアップします。

・ファシズム化する石原さとみの唇
・ファンキー加藤とニッポンの労働
・高橋ジョージのリーゼントハラスメント
・吹石一恵をブラトップだけで語るな

どうですか?あなたの胸がざわついているのが目に浮かびます。

ネット上では芸能ニュースを見ては、
上手いこと言ったろう!という気概に満ちた人を
多く散見しますが、本作を読むと
そんなチンケで浅い了見で語ることの恥ずかしさが
身に沁みて分かると思います。
アクロバティックながらも明確な論理がビシッとあることで、
なるほど!と納得したり、クスリと笑ったり。
僕が爆笑したのは言葉のリフレイン。
EXILEとAKB48の話で使われる、
「エアロバイクを漕いでいる」
「坊主にして地方へ飛ばしたくなる」は最高最高!
また普段あまりフォーカスされにくい芸能人について、
僕たちが知らず知らずにアップデートしているはず、
という見立てもオモシロかったです。
同じ現象、事態を目にしたときに、
何を考えるかということが個性になるんだなーと思えたし、
悪口には愛という名のウィットがなければ。。
と自戒の念を込めて楽しく読了いたしました!

2016年8月16日火曜日

VTJ前夜の中井祐樹

VTJ前夜の中井祐樹


木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのかを読んで、
興奮がまったく収まらなかったため続けて読みました。
「木村〜」において非常に重要な役目を
担っている格闘家である中井祐樹の話と、
いくつかの話をまとめたノンフィクション集です。
読み応えという観点で考えると、
「木村〜」に比べると物足りなく感じてしまいますが、
各エピソードが「木村〜」と共鳴していることがたまらない。
明らかに著者が仕掛けてきていて、
各エピソードの強度だけではない オモシロさが、
本作の特徴かと思います。
タイトルにもなっている中井祐樹の話から始まるんですが、
総合格闘技が爆発的な人気が出た2000年代。
その少し前の1995年に開催された
バリトゥードジャパン(VTJ)に中井祐樹が出場したことの意義を、
著者と彼の出会いから最後の試合までを描いています。
著者の大学の直属の後輩にあたり、
実際に試合を見ていることもあってか、
試合シーンの迫力、エピソードの数々が胸を打つ。
プロレスと総合格闘技の違いが
今のように認識されていない中で、
自分の命を懸けて、戦友の命を背負って、
リングで自分の存在と格闘技の強さを証明しようとする、
その姿勢に漢ならブチ上がるに決まってるでしょう!
僕たちが今当たり前のように享受していることには、
必ずそうなったきっかけ/背景が存在する。
ノンフィクションの醍醐味は、
そこに煌々とスポットライトを当てて、
読者、観客に気づかせてくれることにあると思います。
前述の中井祐樹のエピソードと並びで入っている、
「超二流と呼ばれた柔道家」はそれの最たるもの。
誰が何と言おうとやり抜くことの難しさと大切さが
ビシビシと伝わってくる内容で、
飽き性の僕にとっては身につまされました…
柔三部作と呼ばれる作品のうち、
まだ読んでいない七帝柔道記をこれから読みます。フォー!

2016年8月15日月曜日

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(上) (新潮文庫)
木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(下) (新潮文庫)

友人が昨年の1位に挙げていましたし、
水道橋博士、伊賀大介さんも再三プッシュしており、
TV番組でも紹介されていたので意を決して読みました。
本作と出会えて良かった!本が好きで良かった!
と心の底から叫びたくなるほどの圧倒的な読書体験!
力道山のことは皆が知っているのに、
木村政彦は知名度で遥かに劣る。
15年間無敗で史上最強の柔道王者であるにも関わらず。
それは彼ら2人がプロレスで戦った伝説の試合が
発端になっていて、もしセメント(真剣勝負)ならば、
必ず木村が勝っていたと信じる著者が、
木村政彦の評伝と、その試合までの流れをまとめた作品です。
僕達の世代が本作を読んで思い出すのは
グラップラー刃牙シリーズで描かれた世界でしょう。
冗談でしょ?と思いながら格闘技のロマンチシズムに
思いを馳せていた訳ですが、灯台下暗しとはよく言ったもので
日本の柔道界にいた!最強の男が!
と感じさせてくれる異常な熱量は血湧き肉踊る。
孫引きをなるべく避け、一次資料にあたる愚直かつ冷静な分析と
自分が見たかのような迫力を持った語り口。
その「冷静と情熱のあいだ」で、
ともすれば退屈な自伝になってしまいそうなところを、
ぐいぐい進めていく筆の力はヤミツキになってしまいました。
文庫上下で1000ページ強のボリュームがありますが、
退屈になるところが全くありません。
とくに上巻は最強木村伝説!状態で、
異常なまでの勝利への執念、それに基づいた異常な練習量。
その過程と結果として誕生する柔道最強王者の勇姿が
あまりにも眩しくてカッコいい!
師匠牛島の思いを背負った天覧試合や、
グレイシー柔術の創始者エリオ・グレイシーとの戦いは、
読んでて思わず「ウォー!!」と叫びたくなる。
木村政彦の評伝という形ですが、
彼を語っていく上で戦前、戦後の日本柔道の歴史、
ひいては表、裏社会を含めた昭和史にまでリーチしてしまう、
取材量は畏怖の念を抱くレベルでした。
下巻からは凋落してしまう木村の強さと、
なりふり構わず成り上がろうとする力道山の対比が秀逸。
上巻で「この木村に勝てる人間なんているわけねーだろっ!」
と完全に木村側に感情移入している読者からすると、
力道山との試合での敗北に大きなショックを受けてしまう。
これは木村を尊敬している著者自身や柔道界の人が
過去に受けた傷つきを追体験するような構造になっているんですよね。
今でこそプロレスはブックがあって、
あくまでショーの1つであるという認識が広まっていますが、
当時はあくまでセメントという世間の認識があった訳ですから、
本作内でも書かれている通り、
敗戦後の木村が体感した地獄は想像すると胸が苦しくなりました。
ただ指導者として再び返り咲き、
岩釣という柔道家と二人三脚を歩む姿が、
これまたかっこ良くて最強は受け継がれ、
石井 慧までに連なる系譜はグッときました。
終盤、著者の葛藤がダイレクトに書かれている点も興味深かったです。
なんとか自分の結論に寄せて書きたいんだけど、
現実はそうもいかない…文の力を信じている漢だからこそ。
そして最後に響くタイトルの重み。
史上最強のノンフィクションここに極まれり!

2016年8月14日日曜日

あなた、その川を渡らないで



最近、ある程度情報を持った状態で
映画を見に行くことが多くなってしまい、
未知の作品を劇場で見ることが少なくなりました。
そんな中でマイメンのオススメ作品を見てきました。
サラの状態でこれほどふさわしい作品はなくて、
最後の最後まで目が離せなかったですし、
家族とか死ぬことについて
向き合わざるをえませんでした。

※ここからは盛大にネタバレして書きます。

土山を右手に、泣いているお婆さんが収まった
印象的な引きのワンショットから始まり、
映画はこのシーンに至るまでを描いていきます。
舞台は韓国の田舎で主人公は老夫婦。
老夫婦といってもお爺さんが95歳で、
お婆さんが78歳という超老夫婦です。
前半は田舎町での2人の暮らしぶりが中心で、
非常に牧歌的なシーンが続きます。
初めに目を引くのはお爺さんのいたずらで、
2人で庭の枯葉を掃き掃除していると、
お爺さんが突如お婆さんに枯葉を投げつける。
2人はまるで子供のようにじゃれあうんですが、
高齢者の茶目っ気なんて普段の生活で目にしないから、
とてもビビッドに見えて微笑ましい気持ちになりました。
この後、雪かき中に雪合戦したり、
お婆さんが川で洗濯しているところに
石を投げ込んだりと茶目っ気が随所で炸裂。
結婚して70年近く経っているにも関わらず、
まるで付き合いたての恋人かのように振る舞う2人は
甘酸っぱいとしか言いようがなく、
観客が感情移入する導入として秀逸だと思いました。
また2人の身なりも特徴的で
街に出かけたり、家に客が来るときには
お揃いの色のチマチョゴリで必ず着飾ります。
家の様子を見る限りお金持ちとは言えない中で、
身なりだけでも…という姿勢は
サプールみたいでかっこいいなと思いました。
チマチョゴリの色がビビッドなカラーであることも
殺風景な街中で彼らが生きていることを示すサインでしょう。
お爺さんは何の病気かは分かりませんが、
重い咳をしていていて徐々に体調を崩していくのが後半。
お婆さんの誕生会が開かれるんですが、
このシーンが一番辛くて泣いてしまいました。
死を間際にして老夫婦がまるで重荷のように扱われ、
息子、娘たちが目の前でいがみ合う。
この手前に、何度か老夫婦が街を訪れるときに、
家からヨボヨボ歩くシーンが配置されているため、
余計に息子、娘たちがぞんざいに扱っているかが
際立つ見せ方になっているのが巧み。
しかも、その歩くシーンで横をタクシーが走り抜けるという、
おそらく金銭的に息子、娘は援助していないことが伝わってくる、
少し残酷さを感じさせるものでした。
また、2人のこれまでの経緯も作品内で語られていくんですが、
子どもを6人も亡くしているという悲しい過去が明らかに。
そこからのパジャマ購入のくだりと
飼っている犬のうち1匹が死に、
もう1匹が6匹の子どもを産むという、生と死の対比の濃厚さは圧巻。
人は死んでいくし、新たに誕生もする諸行無常を感じました。
また本作を語る上で避けられないのはリアリティラインだと思います。
エンドロールでドキュメンタリーであることが
明らかになるんですが、僕はかなり恣意性を感じました。
ドキュメンタリーは嘘をつくじゃないですが、
100%の客観性を持ったドキュメンタリーなんて存在しなくて、
編集、撮影といった様々な段階で作者の意図が
必ず含まれることは重々承知しています。
ただ本作は現場を撮影して繋ぎ合わせたというより、
いくつか指示があって作者が欲しい
アングルを作っている気がしました。
それが悪いと糾弾するつもりは当然ありませんし、
僕がそう思ったシーンはグッとくるものばかりでした。
ただ、そこまで分かりやすさを付加しなくても
という気持ちも捨てがたく。
タイトルにもあるように川を渡る/渡らない、
つまり生死の世界が曖昧で
その刹那を描くというテーマを考えれば、
然るべき演出と捉えることもできるかなーと思います。
終盤は死に行くお爺さんを思うお婆さんの
健気さがとにかく切ない…
服を順番に燃やすシーンで再び涙腺が決壊しました。
人生で誰もが迎える瞬間の数々を
克明に描き出しているので節目節目で思い出しそうな作品です。

2016年8月9日火曜日

いつかギラギラする日



深作欣二監督作品。
なんたってタイトルがいいですよね。
口に出して言いたくなる日本語とはこのこと。
3人のベテラン強盗と1人の若いチンピラ、
ヤクザを巻き込みお金を巡った抗争を描いた作品です。
今やCGを使って迫力を持った
映像をいくらでも作ることが可能ですが、
本作が公開されたのは1992年。
アクションはすべて実写なんですが、
超ド派手でそれだけで最高最高!ギラギラ!
冒頭の建物爆破シーン、カーチェイス、
どれを取っても眼福としか言いようがない。
登場する俳優が濃ゆいメンツなのも良くて、
萩原健一、木村一八、石橋蓮司、
千葉真一、八名信夫、原田芳雄などなど。
とくに原田芳雄の殺し屋役の
ぶっ飛び具合がたまんなくて、
コカインを豪快に鼻からキメてたし、
銃を撃つ姿がかっこ良かったです。
過剰なまでのバイオレンスに身を浸すのに最適!

サイモン・バーチ



マイメンのレコメンドにも関わらず、
しばらく放置してましたが、やっと見ました。
なんで放置してたかというと見た目が、
なんとなく「The 感動系」に見えたからです。
実際、その要素が強い部分もあるんですが、
最近興味を持っている「信仰」の話と、
見た目、肩書きと中身は必ずしも一致しない話に
終盤シフトしていくところがオモシロかったです。
タイトルのサイモン・バーチは人の名前で、
体が生まれつき小さいという障害を持った少年です。
この少年の描き方と境遇の設定がフレッシュ。
サイモンを排除するのが両親で、
受け入れるのは友人とその家族となっていて、
障害を持った人が描かれる定石とは逆になっているんですね。
ゆえにジョーとの絆がより深いものに見える作り。
肉親から邪魔者扱いされる人生の地獄っぷりは
察するに余りありますが、
彼は敬虔なキリスト教信者として
信仰の力で自らの存在を肯定し精一杯生きている。
God’s Planを信じ自分が小さく生まれたのは神の意思であると。
この考え方で救われる人生があるなら、
宗教は存在する意味あるよなと思う一方で、
その考えを押し付けてくるのが嫌なんだよなーと思ってたら、
ジョーの母親の死という形で、
その点も抜け目なく描いていましたね。
(ただ母親の死に方は納得しづらいものでした…)
あとはサイモンの描き方がかなりフラットな点も好感大。
障害を持つ人をまるで聖人君子として描かれることが多く、
それは逆差別なんじゃねーの?と思うこともあったりします。
本作で描かれるサイモンはどちらかといえば悪童であり、
とくに演劇での性欲爆発シーンは
本当の意味でフラットな描き方だなと思いました。
終盤はジョーの物語にフォーカスが当たるんですが、
ろくでもない神父のクズっぷりが
「Don’t Trust 大人!」な話でオモシロかったですし、
サイモンの命を賭した救出劇にホロリ。
思春期に見るとさらにグッときそうな作品でした。

2016年8月7日日曜日

「まっすぐ」

「まっすぐ」 (ele-king books)



「ぐるりのこと」、恋人たちでおなじみの
橋口亮輔監督のエッセイということで読みました。
2013〜2015年に書かれたもので、
監督の周辺人物にまつわる話が多く、
楽しんで読むことができました。
平易な言葉でストレートに語る文体から、
監督自身の実直さが伝わってきます。
以前にSession 22にゲスト出演された際に
紹介されていたワークショップの話が
とても好きだったんですが、
それも収録されていて嬉しかったです。
リリー・フランキーを俳優として
「ぐるりのこと」で初めて起用し、
浜崎あゆみを女優として起用したり、
俳優の魅力を引き出すことに長けてる、
監督独特の着眼点が興味深いものでした。
あと買ってから気づいたんですが、
本作の掲載内容はWEBで無料で読むことができます。
→ 橋口亮輔「まっすぐ」
ただ、本作書き下ろしのあとがきの内容が、
恋人たちのエンディングにまつわるもので、
僕は非常に驚きを持って読みました。
あとがきを読んだあと、もう一度本作を読むと
全然見え方が変わってきたのも味わい深かったです。

ケンとカズ



<あらすじ>
悪友であるケンとカズは自動車修理工場を隠れみのに
覚せい剤の密売で金を稼いでいたが、
ケンは恋人が妊娠したこと、カズは認知症である母親を
施設に入れるため金を必要なことを言い出せずにいた。
2人は密売ルートを増やすために敵対グループと手を組むが、
元締めのヤクザに目をつけられ、次第に追いつめられていく。
映画.comより)

今年のバイオレンス系の邦画は豊作だと
様々な作品を見てヒシヒシと実感する中、
本作を見たところで、さらにその気持ちが強まりました。
身も蓋もない切ない話なんですが、
映像、音がめちゃめちゃカッコ良かったです。

※ここからは盛大にネタバレして書きます。

タイトルにあるケンとカズの2人はシャブの売人。
冒頭、自分たちの縄張りを侵食するヤツらを
ボコボコにするシーンから始まり緊迫感満点。
容赦のない暴力の雨あられが降り注ぐ。
表向きは2人とも車の整備工場で働いているんですが、
その整備工場でシャブのお金を洗浄しています。
本作の魅力が主演2人にあることは間違いありません。
温和なケンと武闘派のカズ。
正反対に見えるけれど、それぞれが家族を支えるために、
シャブを売りさばいているという点では共通しています。
ケンには妊娠している奥さんと生まれてくる子供のために、
カズはボケた母親を施設にいれるために。
彼らはギャンブルや性欲といった私利私欲を満たしたくて
シャブの売人をやっているわけではなく、
あくまで金を稼ぐ1つの手段としてしか、
考えていないというのがフレッシュ。
逆を返せばシャブを売らないと
生活が成り立たない状況にあるということ。
そのリアリティが2人の立ち振る舞いから
ヒシヒシと伝わってきました。
辞めたいけれど辞められない、
なんならもっと儲かる方法へと流れていく。
止まらない負のループを見ていると心が痛みました。
主演2人に限らず 登場人物の顔が皆いいんですよね。
ケツ持ちのヤクザ2人はたまんないものがあり、
とくに若頭の方の木偶の坊のそのものの佇まいが最高!
彼らの演技を支えるのが素晴らしい映像と音楽。
この2つが最高潮になったと感じたのはカーチェイスのシーン。
まるでハンズ・ジマーかのごとく、
豪勢なドラムソロが鳴り響く中、カットが怒涛に変わっていき、
人と車のカーチェイスにもかかわらず、
とてつもない迫力が生まれていました。
本作はインディー映画と呼ばれる部類に入るかもしれませんが、
ちょっとした工夫で何とでもなるし、
下手な監督のCGよりも100倍オモシロくなってました!
あと前半に2人が一緒にフラフラしているシーンがあって、
そのときの夜のシーンの美しさは素晴らしかったです。
全体としてショットの1つ1つが
とても丁寧という印象を持ちました。
(クローズショットの多用については、
長谷川和彦氏のコメントに100%同意)
後半からは二重スパイのような展開となり、
サスペンス性が大きく増していきます。
明らかに上手くいかない気配がプンプン漂っているにも関わらず、
突っ込んでいってしまうカズの姿は自暴自棄に見えて、
緩やかに死のうとしているでは、、とさえ思えてくる。
一方のケンは自分がカズをシャブ売りに誘ったこともあるし、
生まれてくる子どものことを考えると、
どうしても金が欲しくて裏切りに加担してしまう。
ラストはその清算としての殺し合いが勃発。
破滅の中で壊れかけていた2人の関係が、
死の間際で取り戻されるという切なさは泣いちゃうし、
ラストショットのキレが素晴らしかったです。
ゴジラもいいけど日本の新世代の息吹を目撃せよ!

2016年8月6日土曜日

DOPE ドープ!!



<あらすじ>
自身のバンドと90年代ヒップホップをこよなく愛する
オタク高校生のマルコムは、恋するナキアを追いかけ、
友人のディギー、ジブともに
ドラッグディーラー・ドムの誕生日パーティに参加するが、
パーティの裏で行われていた取引に警察が突入し、
ドムはドラックをマルコムのリュックに隠してしまう。
そして、名門大学への進学を夢見ている
マルコムと仲間たちを取り巻く状況は一変する。
映画.comより)


結構前から楽しみにしていたヒップホップ映画。
ファレル・ウィリアムスが監修を務めていて、
様々なUSのラッパーの出演していて楽しかったです。
ただ、映画として見ると若干食い足りない部分が、、
同じようなテーマを描いた、
シング・ストリートと比べてしまうとね…
パーティーとしては楽しかったです。

※ここからは盛大にネタバレして書きます。

Naughty By Natureのウルトラクラシック、
HIPHOP Hoorayが高らかに鳴り響き映画はスタート。
本作の主人公は90's HIPHOPに傾倒するナード高校生3人組。
ゆえに劇中ではATCQのScanarioや、
NasのThe World is Yoursなどがかかりまくりで、
舞台となっているのはカルフォルニアだけど、
ウエストサイドはあまりかかってなかったです。
ただ、ヒップホップが爆音で聞けるだけで楽しい!
この3人組のキャラ立ちが抜群で、
フラットトップのマルコム、同性愛者のディギー、
グランド・ブタペストホテルのベルボーイで有名となったジブ。
僕がオモシロイと思ったのは影響を受けた結果のアウトプット。
彼らのアティチュードであればターンテーブル買って
激しくラップしそうなものですが、
彼らが傾倒していくのはバンドなんですね。
サウンドとしてはオルタナ系で、
ディギーのドラムしながらのラップと、
スラップのベースがカッコよかったです!
ただシング・ストリートと異なるのは、
彼らのサウンドにそこまで意味を付与しなかった点です。
あくまで物語を推進する材料でしかなくて、
ここをもっと突っ込んでいれば良かったかと思います。
彼らナードはアメリカの高校カーストの最下層であり、
ギャングやドラッグディーラーに囲まれ、
どこにも居場所を見つけられない彼が、
ある女の子に惹かれたことをきっかけに、
トラブルへと巻き込まれていきます。
ドラッグディーラーを演じるのがA$AP ROCKYで、
取り巻きにいたのはVince Staples。
ドラッグの取引相手はTYGAという、
ここもヒップホップ好きとしては上がる場面。
しかもそのドラッグはMollyなんだから!
(Molly→Lilyが2 Chainzの影響か?ってくだりも最高)



マルコムはインテリでハーバード大学へ入学しようと
なんとか頑張っているんだけれど、
ドラッグを譲り受けてしまった結果、
それをさばかないと大学に入れないという
とんでも展開へと流れていき、
ブレイキング・バッドのようにハスリングし始めます。
そのハスリングがインテリならではで、
ビットコインが登場するのもオモシロかったです。
終盤にかけては見た目と中身のギャップの話に
大きくシフトしていきマルコムがカメラ目線で観客に語りかけてくる。
先生に身の程をわきまえろと言われたり、
見た目と出自どおりにドラッグをディールしたけど、
結局は自分のやりたいことをやるんや!
という宣言は力強いなーと感じました。
ヒップホップ好きは楽しめる作品だと思います。

あなたを選んでくれるもの

あなたを選んでくれるもの (新潮クレスト・ブックス)


安定の新潮クレストブックス。
昨年にリリースされて気になっていたまま、
すっかり読むのを忘れていて、
書店の新潮クレストコーナーで
先日見かけて即買いしました。
(裏表紙コメントは津村記久子!)
「いちばんここに似合う人」で小説家として
有名となっていますが、映画の脚本家でもあるミランダ。
彼女が脚本のアイデアに煮詰まったところで、
アイデア出しとしてフリーペーパーで
広告を出している人たちにインタビューを敢行。
脚本の作成過程を描いたドキュメンタリー作品です。
12人の市井の人にインタビューをするという、
社会学の聞き取りのようなアプローチなんですが、
ヤラセか!と思わず疑っちゃうくらい、
登場人物のキャラクターが超強烈。
インターネットありきの社会になって久しく、
大抵のことは検索すれば分かるようになりました。
ゆえに何もかも分かった気になってしまうことが多い中で、
本作がリーチしているのはインターネットの外側であり、
登場する人物は皆PCを持っておらず、
インターネットを使っていない人ばかり。
目の前の現実に対して精一杯生きる彼らの姿が
かっこよく見えるんですよね。
これまでに読んだ作品だと
岸政彦さんの街の人生という作品に近いんですが、
脚本を書くという大きな筋が1つ入り、
筆者の心情変化が克明に刻まれているため、
単純なインタビュー集にとどまっていません。
とにかくミランダはウルトラヘビー級のパンチライナー。
繊細さと大胆さを兼ね備えたパンチラインの数々は、
他者を理解することの難しさと、
自分の人生との向き合い方について
深く考えさせられました。
最後に出会ったジョーというおじいさんの話は、
まるで小説のようなお話で、
そこからの本作のドライブのかかり方が抜群で、
涙なしには読めなかったです。
物語の力を信じる作者だからこそ生まれた傑作。

2016年8月5日金曜日

シン・ゴジラ




2年前にアメリカでゴジラが再度映画化され、
それがなかなかのクオリティだったため、
果たして日本でもう一度作られるとしたら、
どこまでできるのだろうか?と当時思っていました。
そんな浅はかな自分に激怒したいくらい、
素晴らしい作品で大満足でした。

※ここからは盛大にネタバレして書きます。


古めかしい東宝のロゴが出て、

あの独特のカタカナフォントで
「シン・ゴジラ」の文字を見ると
平成ゴジラのギリギリリアルタイム世代で、
にわかファンな僕でも胸が高まる形で映画がスタート。
序盤からいきなり海上において未確認生物が確認され、
街を破壊していくシーンが描かれることにビックリ。
これをそこら辺の職業監督に撮らせたら、
くだらない前置きが用意されて、
それを散々見せられたあげくにゴジラが登場する
という流れになる可能性が高いと思います。
しかし、本作はそこを鮮やかに裏切り、
異常なまでのテンポの速さで物語を紡いでいきます。
CGでの撮影が大きく話題になっていますが、
本作がさらにネクストレベルにあるのは、
カメラの使い方と編集のキレに尽きると感じました。
冒頭から空撮、手持ちカメラ、固定のカチッとしたショットと、
バラエティに富んだ画面設計がこれでもかと打ち込まれてきて、
映像の豊かさで心が掴まれてしまう。
物語をドライブさせる仕掛けとして
細かくカットを割るのではなく、
ゴジラのシーン以外ほぼ全編で続くのがフレッシュ!
まるで物語の濁流に飲み込まれているかのよう。
それに拍車をかけるのがひたすら続く、
ゴジラ対策会議とそこで交わされる言葉の雨あられが、
本作最大の魅力だと思います。
会話自体のテンポも非常に早く、
自衛隊関連の専門用語とか山ほど出てくるけれど、
役者陣が的確にその言葉を放っていく姿は
見てて気持ちが良くなってくる。
この感覚は原田眞人監督の
駆け出し女と駆け出し男に近いな〜と思いました。
原田眞人監督つながりで言えば、
今年彼がリメイクした日本のいちばん長い日
オマージュとなっている点もオモシロイと思いました。
(詳しくはリンク先のレビューをご参照→リンク
日本で〜は戦争映画なんだけど、
意思決定をする人たちにフォーカスしていて、
本作においてもゴジラが街中で暴れるシーンよりも
会議をしているシーンの方が魅力的に感じてしまう 。
その会議にもグラデーションが存在して、
政治家、官僚の会議においては無味無臭というか、
起こっている事態に対して
極めてドライに接しているのに対して、
民間も参加したゴジラ対策会議では、
コメディ要素も含めたウェットな展開が多い。
ゆえに中だるみせずに楽しむことができたと思います。
(僕は市川実日子のキャラクターが好きでした)
肝心のゴジラはどうったかといえば、
それはもう楽しいに決まってるじゃないですか!
本作ではゴジラは人類にとって明確な悪、
災害として描かれており、平成シリーズや
2年前のアメリカ版とは一線を画しています。
ゴジラの引き起こす災厄とその対処が、
311以降に日本に大きくのしかかる社会問題の
数々を象徴している点も興味深いところ。
市街地の放射線量が上がることが
夢物語ではなく現在進行形の問題であることを
嫌が応にも考えさせられます。
また、昨年大きく話題になった自衛隊の武力行使も
1つのテーマとして存在し、
フィクションと現実を混同するなと怒られそうですが、
本作を見ると「自衛のための武力だけでいいじゃん」
と思ってしまいました。
またゴジラから逃げる人々の姿は、
「もし東京で災害が起こったら …」という
近い将来を想起させる見せ方になっていて、
非現実的な存在のゴジラが想起させる、
現実問題という意味では通常のパニック映画よりも
さらに踏み込んだ作りだと感じました。
とくに東京駅付近で活動休止するまでの
強烈な暴れっぷりと東京が焼け野原になるシーンは、
ディトピア感満載で最高最高でした。
(年寄りに将来は任せられないという意思を強く感じる、
ヘリ撃墜は心底納得しました。)
終盤のゴジラvs人類の対決における、
ギミックの数々と映像の魅力は
映画館で見てこそ味わえる醍醐味。
音楽を含めてまんまエヴァな作戦の準備から、
実際に遂行するまでの流れは胸がときめきますよねー
「何も終わっていない、これからだ」
という締め方は今の日本の状況を風刺した、
本作のこれ以上ない幕引きだと思いました。
石原さとみのAEON効果とか諸々語りたいことはあるけれど、
今年の夏は本作を絶対見た方がいいと思います。
ゴッツッズィーラァ!!

2016年8月2日火曜日

C.O.S.A. × Kid Fresino 「Somewhere」 Release Live in Tokyo


代官山UNITで開催されたDIAGONALにて、
圧倒的なパフォーマンスを見せた、
C.O.S.A. × Kid Fresino
彼らがダブルネームのアルバムをリリースし、
新代田FEVERでリリースパーティーが
開催されるということで見てきました。
まず大前提としてアルバムが超素晴らしかった訳ですが、
ライブもこれまた最高最高でした!
アルバムの最初を飾る 「deal」の
危ないギターリフが鳴り響き、
両名がスピットしながら登場。
Kid FresinoがR&BシンガーGallantの
Tシャツを着ているのがニクいなーと思いました。
(詳しいことは松尾潔氏の解説をどうぞ→リンク
2人ともとにかくラップのアタックの強さというべきか、
腹の底からspitしているのが
ステージングからビシビシ伝わってくる。
MCを挟むことなくアルバム収録曲を矢継ぎ早に披露。
アルバムと聞いたのと印象が変わったのは「Route」
カントリーネタというのもあって、
アルバム内ではとっつきにくいなーと思ってたんですが、
ライブで爆音で聞くと超ハードコアでカッコ良かった!
この曲をProduceしているのがRamza。
シーンで最注目のビートメーカーであり、
この日のフロントアクトとして登場した
Campanellaの次にリリースされるアルバムも
多くの楽曲を手がけているようなので、
とても楽しみなところです。(スネアのパキパキ感が好きです)
途中でソロパートが展開され先攻はC.O.S.A.
僕は計3回ライブを見ているんですが、
この日は本当に凄まじかったです、とくにこのソロパートが。
「GZA1987」から始まり、「6号公園」
「知立Babylon Child(Original ver)」「Wassup」と
アルバムを代表する曲をこれでもかと入れ込む気合の入れっぷり。
そして、何よりもアルバム最後に収録された、
「Word for C-City」が圧巻でした …
アカペラでひたすらラップしまくる曲なんですが、
今このシーンでアカペラでここまで聞かせられる、
ラップをできるラッパーがいるだろうか?
と考えざるをえないくらいの完成度。
また歌詞が現状のシーンを喝破する内容なのも、
グッとくるあたりでしょう。
しかも後攻のKid Fresinoにバトンを渡す際の演出も
気が利いていて、彼が呼び込んだのはjjj
そして、jjjの1stアルバムに収録され、
Kid Fresinoが参加した「vaquero!」が炸裂!
このトラックは本当にキラーチューンで
どうしたって盛り上がる。
jjjは2ndアルバムからKid FresinoをFeatした
新曲も聞かせてくれました。
そのあとKid Fresinoは2曲を披露。
オケを変えた「Peace」と
Soundcloudで公開されている、
TOKYO HEALTH CLUB「City Girl」のビートジャック。



「Turn」の方はオープンでDJしていた
DJ CH.Oのプレイを思わせるトラックチョイスで、
ブギーチューンがフレッシュでしたし、
「City Girl」のジャックは「そこなんだ!」
という驚きと非常に叙情的なリリックが良かったです。
最後はCampanellaが登場し「Import」
再び2人のターンへと戻っていく。
「Hey Poobs」の2人のセルフボーストの
独特のカッコよさもありますが、
アルバム内でも一際輝きを放っていた、
「Swing at somewhere」がやっぱり最高でした。
2人が楽しそうに歌っている姿が眩しかったです。
からのPUNPEE登場しての「Close To You」
そして最後は「LOVE」で大団円。



日本語と英語を交えた散文的なリリックのKid Fresino、
ストレートな物語を語るC.O.S.A.
対照的に見える2人ですが、
共通していてなおかつ大事にしているのは
Lyricism(叙情性)かと思います。
駄菓子みたいに味が濃いものの良いけれど、
僕が好きなのはLyricismを大切にしているラッパーだと
このライブを見てその思いを強くしました。





2016/9/10 追記

その後、いろいろ展開があったので追記しておきます。
まず、このライブの映像がYoutubeにアップされています。



さらに「Swing at somewhere」のMVもアップロード。


安定のスタジオ石ワークス。
京都、恵比寿というロケーション、
撮影、カットの割り方、衣装すべてに隙が無さすぎる!
ヒップホップではラフな作りのMVも多く、
その軽いノリも好きなんですが、
計算されたカッコ良さが最高最高!
さらにC.O.S.AのSoundcloudに
「Close to you」のインストがアップロード。



この曲のジャケットがライブのセットリスト!
書き起こしておきます。(見えない部分はおぼろげな記憶…)

1. Route
2. KDFS×COSA
3. Callin'
4. Time Lost

C.O.S.A side
GZA 1987
知立Babylon Child
6号公園
Wassup

Kid Fresino side
Vaquero Feat. jjj
??? feat.jjj (jjjの新曲だったと思います)
City Girl REMIX
Peace (だった気がする …)

6. Hey Poobs
7. Swing at somewhere
8. We on
9. Close to you
10. LOVE

C.O.S.AのTwitterアカウントが消えていましたが、
Tumblrは残っていて更新されてました。
(NY滞在記は日記文学として最高すぎる …リンク
最後に極めて個人的な話ですが、今日diskunionを訪れた際に、
LOVEの元ネタと遭遇しました。Todd Rundgrenだったのね〜



2018/1/28 追記
バンドセットのことを書きました。
http://afro108.blogspot.com/2018/01/kid-fresino-band-set-oneman-live.html