2021年9月26日日曜日

猫のゆりかご

 

猫のゆりかご/カート・ヴォネガット・ジュニア

 古本屋で 「ヴォネガット、大いに語る」をゲトったはいいものの、本著を読んでいる前提だったので読んだ。世界が終末する過程をいつもの厭世観とウィット、パンチラインでのらりくらり描いている小説でオモシロかった。原子爆弾の発明者の家族について取材するところから始まり、その周辺にいる人たちのトンチキっぷりに身を任せていると、いつのまにかカリブ海の謎の島へ行って…と目まぐるしく展開していく。その中でもオモシロいのは登場人物たちの会話だった。今でも十分に通じるパンチラインがそこかしこにあり、物語がはちゃめちゃな展開でSFらしさがありつつも会話で現実にグッと引き戻される。そんな感覚だった。以下引用。

真実は民衆の敵だ。真実ほど見るにたえぬものはないんだから。

成熟とは苦い失望だ。治す薬はない。治せるものを強いてあげるとすれば、笑いだろう。

人はだれでも休憩がとれる。だが、それがどれくらい長くなるかはだれにもわからない。

 ボコノン教なる新興宗教を軸に話が進んでいくのだけど、キリスト教へのアンチテーゼなのは間違いないだろう。ただベースのキリスト教に明るくないので、どこまで皮肉たっぷりなのかは分からなかった。世界が終わるときのあっけなさとしょうもなさがヴォネガットっぽいなと思う。アイス・ナインという物質が世界を終わらせるトリガーなんだけど、それは水の分子配列を変えることで一気にすべてを凍結してしまう。とんでもない威力の核爆弾ではなくて、身の回りにある水が兵器となって人々を殲滅する。些細なことで世界の価値観はガラリと変わっていく、つまり今あることも絶対ではないというメッセージなのか。「ヴォネガット、大いに語る」はもちろん時間をかけて他の著作も読んでいきたい作家。

2021年9月22日水曜日

サカナとヤクザ ~暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う~

サカナとヤクザ ~暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う~/鈴木智彦

 Session22の特集回を随分前に聞いてからいつか読もうと思って早数年。最近文庫化されたらしく読んだ。今や暴力団やヤクザは社会的に抹殺されたも同然の時代の中で「君が美味しい美味しいゆうて食べてるその海産物は暴力団の資金源でっせ?」ということを懇切丁寧に教えてくれている1冊でめちゃくちゃオモシロかった。見かけ上、イリーガルなものをキレイにしたつもりでも、バリバリ社会に食い込んでいるというのは日本でよくあるダブルスタンダードだと思うけど、それが自分の食べている海産物だなんて…

 単価の高い海産物が密猟の対象であり本著ではアワビ、ナマコ、シラス(うなぎの稚魚)の密猟が取り上げられている。それぞれ場所も密猟の仕組みも異なっていて、それらの解説だけでも相当興味深い。実際に海で密猟する人だけではお金に変えることはできないので、そこに仲買人、卸、市場の小売業の人など一般人も巻き込んでいる。海産物にラベルはついておらず、正規品と密猟品がそこでミックスされた結果、我々が密猟品を食べている可能性があるという仕組み。そこに著者が果敢に突入していって実態を明らかにしようと四苦八苦格闘しており、超絶オモシロいノンフィクションのドキュメンタリーを見ている感覚でひたすらページをめくる手が止まらなかった。(築地に四ヶ月潜入取材するだなんて!)密猟が第一次産業の中でも特に苦しい漁業を生業にしている人たちの蜘蛛の糸になっているように感じた。

 後半は歴史を紐解きながら海産物の密猟とヤクザ、暴力団がどのような関係を構築してきたか、またどれだけ近い存在だったか、丁寧に資料にあたりながら解説してくれている。前述の取材も然り、文献調査も相当徹底されていて前半のページターナーっぷりをいい意味でクールダウンさせてくれながら歴史をじっくりと知ることができて勉強になった。特にオモシロかったのはカニの密猟。冷戦下においてソ連のスパイをする代わりにロシア海域のカニを捕らせてもらうディールを結んでいたらしく、もはやこれは映画にすべき!というレベル。根室はいつの日か行ってみたい街になった。

 本著で取り上げられている中で一番身近なのはウナギ。ニホンウナギが絶滅危惧種に指定されて一時ウナギが食べられなくなるかも?みたいな話題もあったけど、今やそんな話を聞くこともなく普通に土曜の丑の日はやっぱりウナギだよね!という社会のコンセンサスはまだまだ根強い。その需要を支える台湾、中国経由の闇ルートがあるという衝撃。暴力団は良くない!とキレイごとを言っていても、実はウナギ経由で支えているかもしれないのが本著の核の部分だろう。文庫版では映画監督の大根仁が後書きを務めておりズバリで締めていた。That's right.

魚に限らず、飽食・拝金・快楽・利便・マーケット至上の世界にどっぷり浸かって生きてきた我々は、生活をしているだけで何かの犯罪に加担している共犯者なのだ。何を食べても、何を着ても、何を買っても、世界のどこかで誰かが苦しんでいる。

2021年9月20日月曜日

世界SF作家会議

世界SF作家会議

 フジテレビで放送された番組の書籍化。国内外問わずSF作家が参加していて、コロナ禍をふまえつつ未来について話していて興味深かった。コロナ自体もSFチックな事態でいつ終わるか先も見通せない中で、SF作家だからこそ持っている時間スケールの相対的な長さを知ると、目の前のコロナも小さく思えてきて精神的に楽になる作用があった。

 司会はいとうせいこうと翻訳家の大森望。お題が出てそれに対して各作家が持ち寄った考えを広げつつ、いい意味で茶茶を入れていくスタイルなのがオモシロい。単純に作家だけが集められて話すよりも交通整理されることで議論がまとまっていく。あとは大森望のSF読んでいる力の偉大さ。0→1を生み出す作家ももちろん偉大なのだけど、膨大な量を読んでいる翻訳家、批評家はやっぱすごいなと改めて感じた。

 合計3回分が収められていていずれもアフターコロナで世界がどうなっていくのか?という議論がメインになっている。第2回の最後の晩餐トーク(米か麺か?)の各人の答えの変化球っぷりがめちゃくちゃオモシロかった。最後の晩餐トークは誰もが話したことある内容だと思うけどSF作家にかかると、ここまで複雑怪奇になるのかという驚き。何か対象を設定して深く考えるときの作家の底力を感じた。第1回と第3回は真面目な話でコロナがもたらした価値観の変化、そこから予見される人類の未来という話で、こちらも同様に作家たちのエッジの効いた見立ての数々になるほどなーと思ったり、そんなことあるか?などと自分も参加している様な気持ちで読むことができて楽しかった。

 国内外問わずZOOMで会議に参加しているのも時代を象徴している。海外からは今話題の「三体」の作者である劉慈欣、中華SFを世に広めたケン・リュウ、中華SFの新星チェン・チウファン、韓国SFの新星キム・チョヨプ。日本の作家陣は同じ社会に生きているので、なんとなく言いたいことが感覚的に理解できるのだけど、海外の作家はその前提条件が違うのでやっぱり刺激的でオモシロかった。特に劉慈欣のメーターの振り切り具合は、こういう人でないと「三体」は書けないよなぁと感じた。逆に国内SFはほとんど読んだことがないので、本著をきっかけにチビチビ読み進めたい。 

2021年9月17日金曜日

「日韓」のモヤモヤと大学生のわたし

「日韓」のモヤモヤと大学生のわたし

 友人のツイートで見かけてこれは?!と思って読んでみた。なぜならまさにモヤモヤしていたから。具体的には「DNA REMIX」 という曲がきっかけだった。元々は高等ラッパー4という韓国のヒップホップオーディション番組でYLN ForeginとJAY PARKが披露した曲で、めちゃくちゃかっこよくて好きな曲。

その曲で色んなラッパーを召喚したREMIX verのMVが公開されたのだけど、USからカルチュラル・アプロプリエーション(文化的盗用)だと叩かれてしまい公開中止に追い込まれてしまった。(JAY PARKの発言も問題視された模様)で普通ならこれで終わりなんだけど、ビデオ内容を変更して再アップロードするというあまり例のない展開に。そして韓国を思いっきりレップするMVに生まれ変わり8月15日に公開された。Liberation dayを祈念して…私がモヤモヤしてしまったのはLiberation dayという言葉だった。

 日本で歴史教育を受ける中で、8月15日は戦争被害について思いを馳せる日であり、自分たちの加害性など1㎜も顧みていないのが現状だと思う。それを自分の好きなヒップホップから思いっきり全力でぶつけられたからモヤモヤというか動揺してしまった。自分自身、歴史修正主義者でもないし、慰安婦をはじめとする戦争時の加害性について「良くないよね」と思っているつもりだったのに、内なる自分の無知さというか、首根っこをつかまれた気がしたのである。

 本著は学生たちが日韓の歴史と向き合った内容がまとまっていて、各学生の思う疑問をそれぞれが調べて説明したり、座談会で話したりしている。興味深いのは専門家ではなく学生たちが歴史とどう向き合ったか?その過程を収めているところ。慰安婦、マリーモンド、在日朝鮮人、少女像、軍艦島など日韓関係でわだかまりが存在していると思われるところを平易な文体で説明してくれている。これによって日韓関係についてオーバービューできるのが助かった。(がっつり説明して欲しい人は専門書を読めばよい。)数々の問題の土台にあるのが「朝鮮半島を植民地支配していた」ということ。この認識は社会的に全然共有されていないと思う。なので、どの問題でもすれ違いが発生してしまうのだろう。なるほどと思えたラインを引用する。

日本が朝鮮を植民地支配したこと自体知られているのか疑問です。学校で絶対習うはずなんだけど,「ただ領土が拡大した」みたいな感覚しかなくて,植民地支配したという切実な感覚がないんじゃないかなと感じます。

「そういう時代だった」と言うときの「そういう時代」って,だれの時代感覚なんだろうって疑問に思います。(中略)だから,「そういう時代だった」と言っているときは,自分たちもまさにマジョリティ側,支配する側の時代感覚で言っているんだって思います。

 過去に先人が犯した罪と現代に生きる我々がどのように考えるべきか?という点については「連累」という概念が興味深かった。それは以下のとおり。

現代人は過去の過ちを直接犯してはいないから直接的な責任はないけれど,その過ちが生んだ社会に生き,歴史の風化のプロセスには直接関わっている。そのため過去と無関係ではいられない

 同じ過ちを繰り返さないための伝達責務があり、そのためには知る努力とか勉強が不可欠だなと感じた。学生の頃は理系だったし、歴史とか学んでなんの意味があるのか、全く理解できていなかった。しかし自分のアイデンティティや生活と密接に関係あるのだなと今回やっと肌感覚で理解できたかもしれない。ネット上に転がっているような上辺の情報ではなく質の高い情報で学んでいきたい。



2021年9月15日水曜日

ジェネレーション・レフト

ジェネレーション・レフト/キア・ミルバーン
 狙いすまして読みたい本を読むのもいいのだけど、セレンディピティを期待してブクログ徘徊してたときにジャケとタイトルにピンときて読んでみた。世界の若者が「左傾化」している背景と経緯を丁寧に説明してくれていて興味深かった。年齢で区切るのはそれは多様性の否定なのか?という疑問もあるけども、現状やはり世代間格差は1つの大きなイシューであり、どうしてこうなった?という点がクリアになった。きちんと文献に基づいた議論がされているので大丈夫だとは思うものの、納得できたのは自分が比較的左寄り志向だからなのかもしれない。タイトルを見たときには世代のデモグラを分析しているような内容なのかなと思っていたけれど、それよりも今の社会が歴史を踏まえてどういう状態なのか、解きほぐしたのちに見えてくる世代の議論という話が多くて何よりもそれが勉強になった。世界全体の潮流に日本も巻き込まれていて、自分が日々感じている政治や社会に対する違和感をズバリ言い当てられたような感覚。

 資産を持っている老人たちはその収益率を最大化したいが、若者たちは手元のお金がないのでまず目の前の所得の向上させたい。こうした物質的利害の相違からして世代で物事を考える妥当性を著者は主張している。そして2008年の金融危機をきっかけとして2011年に各地で若者によるデモが発生、それが左傾化の波であった。なぜ左傾化するのか?その原因としては新自由主義が社会の隅々までに浸透したことに対するカウンターだという見立てだった。この新自由主義への論考が目から鱗の連発だった。以下引用。

単なる経済体制ではなく、社会的および政治的な可能性を収縮させることによって人々の生き方を支配する統治モデルなのである。

 自己責任論によってすべては各人の責任とされることで、意識がデフレ化されて社会的な連帯がうまれにくい、つまり政治家たちにとってはコントロールしやすく都合がよい状況が続いているというのはドンズバで今の日本だなと思った。(さらにその各人が右傾化しているのだが。)

 2011年に起こった左寄りのデモの数々が、実際に選挙結果にも影響を与えた例が紹介されていて勉強になった。USだとAOCの台頭はNETFLIXでドキュメンタリーを見て知っていたけどギリシャやスペインでの左派躍進は全然知らなくて希望を持てた。日本でもSEALDSなどの活動が同様に社会を変える結果を出せれば、もう少し事態はマシになっていたのかと思うと切ない気持ちにはなるけど…

 またアセンブリーの概念が興味深かった。効率的な意思決定を目指してコンセンサスを取るというよりも1人1人が現状を持ち寄り体験を語ることで社会の課題を浮き彫りにしていくスタイル。USの映画とかで見る互助会に近い感覚だろうか。全員が同じ方向をむくのは難しい時代なのは間違いないからこの概念には納得できたし、「アヴェンジャーズ エンドゲーム」の決定的なシーンでも使われていたので時代を象徴する言葉なのかも。

 最終章は若者と大人のギャップに関する全体的な考察でかなりオモシロかった。歳をとると保守的になるのは自分自身の意識と社会全体の意識との相対的なものであり、何も気にしないでそのままいると置いてかれてしまう。これは最近骨身に沁みてきたので気をつけたいところ。またインターネット、デジタルテクノロジーがデフォルトの若者にとっては所有の概念が低いし、そもそも所有できるだけの所得がない。それに対して大人たちが培ってきた、私有財産を持つことが成人の証という古い価値観を打破していかねばならないというラディカルな主張も興味深かった。(会社で人に情報をまったく出さないタイプの人いるけど、シェアの概念が受け入れられないのは資産保有してきた世代だから当たり前なのか?)

 点と点が線でつながり脳内でスパークする感じはブルシット・ジョブを読んだときの感覚と近い。忙しいと抽象的なことを考えるのを後回しにしてしまいがちだけども、こういう本を読んで刺激を受けつつ自分の考えや意見を持ち、思考し続けたい。

2021年9月5日日曜日

失われた賃金を求めて

失われた賃金を求めて/イ・ミンギョン

 友人のレコメンドで読んでみた。いわゆるフェミニズム関連の書籍を読んだことがなく、今回初めて読んでみて知らないことが多く勉強になった。と同時に自分が既得権側なので責め立てられているような気持ちになり終盤しんどい部分もあった。「テメエのしんどいレベルじゃないレベルで、女性は虐げられているのだ」と言われればそれまでなんだけども…
 著者は韓国の方で本著で取り扱っている話も韓国の女性差別の状況について解説されている。しかし、あとがきにもあるように日本と韓国はほぼ同じ状況なので既視感のあることばかり。テーマはズバリ賃金で「韓国でもっと女性が受け取れるはずだった賃金の金額を求めよ」をベースに据えて色んな切り口でいかに女性の賃金が男性に比べて失われているか?データ、文献を駆使して想定される男性側からの反論を1つ1つ論破していく。前述のとおりしんどい気持ちになるのは「男の考えは間違っている」という話の連続だから。自分自身が女性差別的ではないと思っていても、心の中に巣食っている無意識の差別意識をグリグリほじくり返されている感じがした。つまり「それは思い込みなのでは?」とか「被害妄想なのでは?」と思ってしまう瞬間があったということ。実際、本著の中でも男性の無意識のバイアスにまつわる実験結果も紹介されており、相当気にしていないと自分がセクシズムな振る舞いを取りかねないなと思う。そもそも歴史的に男性偏重社会が続いてきたので、どこかで相当程度思い切り舵をふらないと本当の意味での平等を達成し、性差別が無くなることはないと痛感した。
 また生きていく上で必須である家事を含むケア労働を女性が負担することへの対価について、社会全体が安く見積もり過ぎているという話はまさしくその通りだと思う。つまり制度だけ変更したとしても解決するのは表面上のことだけで、やはり男性を含む社会全体で共通の課題だと認識しないと前に進まない。今もたくさんの女性が何かをあきらめているかもしれないけれど、その瞬間を減らしていく、ゼロにしていくことをあきらめないために少しでも自分の意識を更新することに気をつけたい。最後に特にグサっときたこと、Little Simzのめちゃくちゃかっこいい曲を引用しておく。

特定のポジションをめざした女性がせざるをえなかった努力、身につけざるをえなかった能力は、女性でなくても必要だったろうか?それだけの力量やガッツのある女性がセクシズムに対抗するためにエネルギーをさかなくてすんだら、他になにか別なこと、あるいはもっと多くのことを実現できなかっただろうか?そして、そのポジションにつく女性の数はどれほど多かっただろうか?

進入路が遮断されているのを見てそれ以上進むのをあきらめた女性の決断を、完璧に個人の選択だとする態度には相当な欺瞞がある。

2021年9月1日水曜日

わたしたちが光の速さで進めないなら

わたしたちが光の速さで進めないなら/キム・チョヨプ

 前から気になっていた1冊で早川のセールで半額でゲトって積んでいたのを読了。韓国SFという個人的には完全な新しいジャンルの小説だったけど新鮮でめちゃくちゃオモシロかった。USのケン・リュウ、テッド・チャンの系譜にありながら、今の社会に存在する構造的問題を大胆に取り込んでいるところが良かった。物語としてのオモシロさは担保しつつ読者に思考を促していくスタイル。
 短編集でどれもオモシロいのだけど1つめの「巡礼者たちはなぜ帰らない」からしてぶっ飛ばされた。欠陥のない完璧な社会では愛が生まれないのでは?という問題提起の話。すべてを肯定し、愛する力強さをこんな形で感じさせてくれることに驚いた。データに基づいて多様性の重要さを伝えるのもいいけど、小説にしかできない役割もあるなと思える。
 「スペクトラム」はエイリアンミーツな定番の話もあるのだけど、同じようなテーマから一捻りした「共生仮説」が好きだった。赤ちゃんの記憶とエイリアンをかけあわせつつ、人間の懐かしいと感じる感覚はエイリアン由来なのでは?エイリアンはそこにいるし、ずっといたみたいな。SFは基本未来の話が多いけど、現在をSFで捉え直す視点がフレッシュ。そしてタイトル作は会いたくても会えない切ない話で、その中で好きだったラインを引用。

「わたしたちは宇宙に存在する孤独の総量をどんどん増やしていくだけなんじゃないか。」

 そして本作を特徴づける「わたしのスペースヒーローについて」「館内紛失」これらは女性のキャリアに関する社会の構造的問題とSFをかけあわせた短編。「82年生まれ、キム・ジヨン」ほどダイレクトではないのだけども、女性であること、母親であることが産む苦しみやプレッシャーに想像を巡らして、それをSFへと昇華させていく。女性の視点だからこそ描ける小説だと思う。個人的には「館内紛失」の方が近い未来な気がして好きだった。ここ数年で韓国文学が大量に輸入されているけれど、その中でもおすすめしたい1冊。(確かラッパーのC.O.S.Aもおすすめしてた)