2016年7月17日日曜日

二重生活



<あらすじ>
大学院の哲学科に通う珠は、担当教授のすすめから、
ひとりの対象を追いかけて生活や行動を記録する
「哲学的尾行」を実践することとなる。
最初は尾行という行為に戸惑いを感じる珠だったが、
たまたま近所に住む石坂の姿を目にし石坂の姿を追う。
一軒家に美しい妻と娘と暮らす石坂を珠が尾行する日々が始まった。
映画.comより)

予告編を見て「これは!」と思って見てきました。
理由のない尾行を通じて人間とは何か?を
考えるというテーマの設定がオモシロかったですし、
尾行というテーマは映画というメディアに
ぴったりな題材だなぁと思ったりしました。

※ここからは盛大にネタバレして書きます。

印象的な 手のショットから始まり、
世界と自分を繋ぐランケーブルで
自らと世界の関係を絶つという示唆的な導入。
このシーンに至るまでが映画内で語られます。
珠(タマ)は哲学を専攻しているわけですが、
彼女ははじめランダムで100人にアンケートを取って、
人間の実存について考察しようとしたところで、
リリー・フランキー演じる教授から、
アンケートはアプローチが哲学的ではないと言われ、
理由なき尾行を勧められて尾行を開始します。
(尾行も十分フィールドワークやんと思いましたが…)
前半は珠(タマ)がひたすら石坂を尾行し倒します。
尾行対象の石坂は出版社で部長として働き、
立派な家と車を持ち、美しい奥さん、可愛い娘がいる。
いわゆる恵まれた家庭なんですが、
尾行開始直後に彼には愛人がいることが判明し、
スリリングさが増していきます。
本作のMVPは間違いなく珠を演じた門脇麦。
彼女の目の演技というべきか、
おたおたしているようで見るところはしっかり見る、
というバランス感が絶妙だなーと思いました。
あと本心、底が見えない感じがたまらなかったです。
それが顕著に見えるのは菅田将暉演じる
恋人の卓也とのやり取り。
2人が初めて登場するのは雑なセックスからだし、
珠の尾行生活が始まってからのすれ違いが
徐々に修復不可能なのものになっていく。
僕は水族館での尾行から帰ってきたときの
クラゲのモノマネの所在なさが大好きでした。
尾行と映画の相性がよいと書きましたが、
それは映画が覗き見の構造を持ち、
尾行は覗き見そのものだからです。
それを意識した視点の移動がオモシロくて、
珠自身の視点、珠のことを見る誰かの視点、監視カメラまで。
ショットの置き方がとにかく興味をそそりました。
映画見終わったあと、人の視線が異常に気になったし、
誰かに尾行されてないかな?と思ったので、
この視点の演出は見事だったと思います。
(どうも。自意識過剰野郎です)
常に誰かに見られている監視社会であり、
その人について知りたければ、
断片的な情報が1つでも手に入れば
ネットで検索することで芋づる式に他の情報も手に入る。
こういった現代的な個人情報の広がりだけではなくて、
昔ながらの井戸端会議の情報の豊かさも
映画内に取り入れてきているのが興味深かったです。
(大家さんも目がいいんだよなぁ。。。)
東京が舞台というのも示唆的で、
たまたま尾行した人が不倫していたわけですが、
対象が誰であっても何かしら秘密があるだろう、
と感じさせてしまうストレンジャーの都、
東京がスクリーンに浮かび上がっていたと思います。
あとは音楽が本当に良くてピアノを中心とした
アンビエントな音が映画にぴったりハマっていました。
本作が少し物足りなかったのは尾行が
石坂にバレてからの展開ですかね。
石坂本人のセリフにもありましたが、陳腐な物語に見えてしまう。
それが人間だといえばそれまでなんですが、
論文に書いてもいいですか?ダメだ!みたいなやり取りで、
急に物語の奥行きがなくなってしまうなーと感じました。
サイドストーリーとして流れる教授の家族にまつわる話は、
覗き見する他人の生活という意味では、
一番興味深い内容ではありました。(紀子の食卓的な)
シェイクスピアのハムレットのセリフである、
"to be or not to be"をさりげなく引用しながら、
破滅へと向かっていくのも良かったと思います。
終盤にかけては「見る/見られる」が
実は逆転していたことが分かるんですが、
そこに大きなカタルシスを設けず、
比較的ドライな点も好きでした。
元ネタの哲学の本がオモシロそうだったので、
機会があれば読んでみたいなーと思います。

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