2016年7月3日日曜日

ふきげんな過去



北品川の食堂で暮らす女子高生・果子の前に、

18年前に死んだはずの伯母・未来子が突然やって来た。
ある事件を起こし、前科持ちとなってしまった未来子の登場に、
慌てふためく家族。そして、果子は自分の部屋に
図々しく居候する未来子にいら立ちを隠せなかった。
退屈に思われた果子の夏が、
自分が本当の母親だという未来子の出現によって、
特別な夏へと変わっていく。

二階堂ふみ×小泉今日子という
組み合わせに惹かれて見ました。
ルックは日常系なんだけど、
内容はファンタジックな部分があるので、
好みがはっきり別れる作品だと思います。
シュールなコントを2時間に引き延ばした
という印象が拭いきれず余り乗れなかったんですけど、
キャスティングと東京ベイサイドの雰囲気の良さで、
何とか見れたかなーと言った感じでした。
二階堂ふみ主演で青春モラトリアムものなら、
ほとりの朔子の方が好みです。

※ここからは盛大にネタバレして書きます。

二階堂ふみ演じる果子が地面で傘を叩きながら、
ペシミスティックな様子で運河沿いに佇み、
そこで彼女が説くのは多数派が絶対ではなく、
たった1人が合っているかもしれない可能性や、
繰り返される日常には何の面白みもないと言い切る。
彼女に近いものの見方をしている僕にとっては、
とても感情しやすいキャラクターでした。
前半は矢継ぎ早に登場人物が特に説明のないまま
山ほど放り込まれてくるので、
家系図を想像するのが楽しくて
ある家族の日常を覗き見している感覚があります。
(導入がヘタクソと呼ぶのかどうかは好みの問題)
気になったのは板尾創路演じる父親、
船着き場のオジさんに連なる身体的欠損のフィーチャーっぷり。
映画全体のテーマに通じる、
もともとあったものが無くなるということを
象徴しているのかなーと思いました。
僕がこの映画で一番好きなのは、
家族皆で豆の皮むきをしているところ。
縁側のある家の居間で家族が集まり、
しょーもない話を延々しながら、
ひたすら豆の皮を剥いているだけなんですが、
この皮むきシーンは繰り返しあるため、
何気ない日常から家族の関係が透けて見えるわけです。
とくに未来子が家に来てから、
その関係性が微妙なバランスで保たれているのか、
それとも少しずつ壊れていくのか、
といったところは見応えがありました。
あらすじにもあるように、
果子は初め未来子のことが嫌なんだけど、
実際は嬉しかったはずなんですね。
なぜなら未来子の登場は退屈していた
日常にもたらされた爆弾そのものだから。
一度取っ組み合いの喧嘩をしてから
仲良くなるんですけど、
その取っ組み合いが「本気か?!」
と思うくらいの迫力だったし、
喧嘩のきっかけになった未来子の言動は、
果子にとって自分自身を見るかのように感じたからでしょう。
この喧嘩の後に品川あたりの東京ベイサイドを
木舟でナイトクルージングするシーンがあるんですが、
このシーンは最高最高でした!東京アーバン。
その後、急にファンタジックな森が登場するんだけど、
この辺のラインで脱落してしまう人はいるかもしれません。
とくに迷子の子どもを放置するシーンはコンプラ的に
納得できないかもしれないですけど、
唯一の親子水入らずの瞬間を未来子が
耽溺していると考えれば、
それはそれで理解できると思います。
果子の実の母が未来子で、
母を演じているのが小泉今日子っていう。。。
過去を捨てて奔放に生きてきた未来子が、
果子と向き合うという意味では、
やや露骨すぎるけれど名前を使った仕掛けも
オモシロいものと言えるかな?
(演じているのは小泉「今日」子)
森で見つけた硝石を使って爆弾を作って、
公園で試しに爆破させるシーンで、
ある事故が起こるんですが、
そこでの果子の笑いの意味も理解できるんだけど、
フリが弱いからちょっと受け付けない感じでした…
他にも笑わせにかかっているコントのような
セリフのオモシロさは映画と食い合わせが
悪いなぁと思いました。難しい話。
キャスティングが最高なだけにもったいない。
(居間での漢字、数学の話はオモシロかった!)
最後は未来子が家を出て行き、果子の学校が始まる。
すべてが終わり、日常が戻ってくるかと思いきや、
未来子とワニで非日常が再び戻ってきます。
どちらも皆が「いない」と思っていたけれど、
実際は「いた」もの。
あまりにワニのサイズがデカ過ぎるやろ!
と思いましたが、それはそれでオモシロかったです。
もっとイケる!可能性を感じたので、
少しもったいない気がした作品でした。

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