2016年6月2日木曜日

山河ノスタルジア



<あらすじ>
99年、山西省・汾陽(フェンヤン)の小学校教師タオは
炭鉱で働くリャンと恋愛関係にあった。
しかし、タオはリャンの友人で実業家のジンシェンから
プロポーズを受け、ジンシェンと結婚。
リャンは故郷の街を離れることとなる。
タオとジンシェンの間には男の子が誕生し、
子どもはダラーと名づけられた。
14年、タオはジンシェンと離婚し汾陽で暮らしていた。
タオの父親の葬儀に出席するため、
数年ぶりに戻ってきたダラーからジンシェンとともに
オーストラリアに移住することを知らされる。
25年、オーストラリアの地で中国語を
ほとんど話さない生活を送っていたダラーは、
母親と同世代の中国語教師ミアと出会う。
映画.comより)

ジョー・ジャンクー最新作。
先輩に罪の手ざわりを猛プッシュされて、
その世界観が好きだったので見てきました。
画の力という意味では今年見た中で最高峰だし、
お話も後半にかけて、まさか!の連続でオモシロかったです。
中国という国を捉える切り口は色々あると思うんですけど、
市井の生活の眼差しで過去から未来まで描き出した快作。

※ここからは盛大にネタバレして書きます。

PET SHOP BOYSの"Go West"で軽快に踊る、
最高にいなたいおばさんのショットから始まります。
このおばさんが主人公であらすじにもあるように、
本作は3つの時代に分かれています。
1999年から始まるんですが、
すべての始まりとなる三角関係が描かれます。
おばさんはもともと仲の良かった男を選ばず、
お金を持ったリッチな男性に振り向く。
石炭工場が舞台でだだっ広い場面が多いんですが、
フィックスのショットが非常に多くて、
とにかく画がキマっているというか。
中国映画にどういうイメージを持つかは
人それぞれだと思いますが、
ジャッキー・チェンで止まっている人は
驚くに違いないハイセンスっぷり。
あとジョー・ジャンクーの映画に登場する、
エキストラも含めた俳優の顔面力はハンパじゃなく濃ゆい。
これは監督自身も意識的であることは、
是枝監督との対談で本人も語っていたところで、
今回もそれは抜群に発揮されていました。
またスクリーンサイズも工夫されていて、
時代ごとに異なるサイズで、
時間の経過に合わせて画面サイズが大きくなっていく。
それは中国の成長とリンクしていて、
世界は豊かになっていくんだけど、
登場する人物たちは虚しさが加速していく、
そのギャップがオモシロイな〜と思いました。
1999年が幸せの絶頂だとすれば、
25年の2014年は登場人物達に不幸が訪れる時代。
恋に破れた男は石炭工場で働いていたことも影響し、
お金がない中で肺がんになってしまう。
一方で主人公のおばさんは旦那と離婚し、
親権も旦那が持っているため1人で生きている。
こんなはずじゃなかったという思いを
2人が抱いているに違いないというのを
言葉ではなく古びた結婚式の招待状で見せるっていうのが
婉曲的で味わい深かったです。
2014年時点でのそれぞれの職業も
中国の時代性を色濃く反映していて、
おばさんは地元のガソリンスタンドの社長、
別れた旦那は1999年時点は石炭工場のオーナーだったけれど、
上海で投資家として働き、
息子をインターナショナルスクールに通わせています。
格差社会の表現として子どもを持ってくるというのが
興味深いと思っていて、子どもが贅沢品のように見えるんですね。
それは名前がダラー($が由来ね)であることや、
小学生の男の子なのに自ら首に
スカーフを巻くという行為からも明らかだと思います。
そして演じている子役が、まーいい感じの坊ちゃん具合。
インターナショナル・スクール通いの
合間合間に挟まれる英語のフレーズが
いい感じに観客の神経を逆なでてくる。
とくに母親の作った餃子を食べたときに放つ、
Very good!は笑ってしまいました。
息子が彼女のことを母親として
意識しなくなっているシーンが多い中で、
帰路の電車で音楽を聴くシーンが救い。
その曲が2人を繋ぐ唯一無二の存在となるという点が好きでした。
そして最後のパートである2025年。
僕はこのパートが一番好きで、
軽くSFめいたところもあるんですが、
近い未来に起こるかもしれない
アイデンティティークライシスを描いています。
舞台はオーストラリアに移り、
ここでの主人公は2014年当時コマしゃくれていた息子。
彼は中国から移住したために
中国語を話すことができず、英語しか話せない。
一方で父親は中国しか話せない。
自分の漠然とした未来に対する、
青年期特有の不安に苛まれているんですが、
言葉の壁があるために話ができません。
そこで、彼が取る手段がオモシロくて、
父親と息子が2人とも家にいるにも関わらず、
彼は父親にその不安をメールします。
すると父親はメールを開いて中国語に翻訳して読む。
けれど、その翻訳が息子の意図を汲んだ翻訳になっていなくて、
余計に2人の仲が悪くなるっていうね〜
こんなオモシロい演出見たことない!
でも近い将来にありそう!っていうバランスが良かったです。
(というか現在進行形で有り得るのか、、)
すべてが合理化されていく社会、
本作で言えば全員が同じ言葉(英語)を話すと、
効率は良くなるかもしれないけれど、
何かを失ってしまうという危機感の表れなのかなと思います。
また、 彼に欠如してしまったものは
中国という出自の意味での故郷だけではなくて
身体的故郷である母親が不在であることもここで描いています。
母親と同年齢ぐらいの女性中国語教師と息子が
仲良くなっていくんですが、
この教師も離婚していて子どもがいません。
そんな2人がお互いの足りない部分を埋め合い、
母性と恋を混同していく姿が妙に艶かしくて、
ベッドでの2人を捉えたクローズショットは秀逸でした。
そしてラストはオーストラリアの水平線からの〜
雪が舞い散る中国でのおばさんのダンスがコマゲン。
オーストラリアと中国の色彩の対比、
ダンスからにじみ出るそこはかとない切なさ、
それらが何とも言えない感動を呼ぶんですなぁ。
過去の作品を見ていないので、
これから見進めるのが楽しみです。

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