2021年12月12日日曜日

武器としてのヒップホップ

武器としてのヒップホップ/ダースレイダー

 ヒップホップ関連の本はなるべく読むようにしているのと帯コメの豪華さもあいまって読んでみた。ヒップホップを見立てとして人生を、社会を因数分解して著者なりの解釈をいろんな角度から提示してくれていてオモシロかった。

 ヒップホップの楽曲やアーティストを題材にしながら、言葉遊びをふんだんに含みながら朗朗と語っていくスタイルは新鮮でグイグイ読めた。(特に社会をレコードのA面とB面で例えていくくだりはめちゃくちゃ分かりやすかった)ゆえに強調したいところを太字にするのは本当にもったいないと思った。この太字が編集者の意思なのか、著者の意思なのかも分からないし、それこそ著者がいうところの「フロウ」が読んでいる中で失われしまうように感じた。ヒップホップをベースにした自己啓発の要素も高いので流し読みする人向けに太字にしたくなる気持ちも分かるのだけど…

 僕が一番好きだったのは「Feel」 という章。ヒップホップとは何か?というのはヒップホップファンのあいだで、事あるごとに議題になる。そして、人それぞれ答えが違う。言葉の定義としてはラップ、DJ、ダンス、グラフィティの4要素のカルチャーをまとめて呼ぶが、今はラップミュージックが大きく台頭しているのでラップ=ヒップホップになっているように思う。ただ個人的にラップミュージックが好きという逃げはしたくなくて、すべてを包含するヒップホップというカルチャーが好きなので今年はモヤモヤ案件が山ほどあった。著者の提示しているヒップホップの価値観は自分と比較的近いのですんなり腹落ちした。またこういったヒップホップ論議に対する著者の大人な態度も参考にしたい…以下引用。

「これこそヒップホップだ!」という称賛も「お前はヒップホップを知らない!」といったマウンティングもあちこちで発生する。全体を知らないにもかかわらず、みんながその話が出来る。それが言葉の面白さでもある。これは果たして空虚なのか?と言えば、それも違う。それぞれにヒップホップの話をするときにはその人なりの実感は存在するだろう。なんなら初めてヒップホップを体験した人がこの感じが好きだ!と言ったときにも、そこに実感としてのヒップホップは存在していると思う。

あの一瞬、たしかに全体としてのヒップホップを感じたのでは?と思える感性を持つこと、それがヒップホップ(カルチャー)に属しているということだと思う。

 また著者が他のラッパーと大きく異なるのは大病をしていること。本著全体を通底する著者の死生観とヒップホップの価値観のマリアージュに何度も首を振った。「病人」というイメージをヒップホップ使ってフリップしていこうとするのはかっこいい。刹那的な考えで生活できるかどうか分からないけど少しでも意識して生活したい。 

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