アメリカの〈周縁〉をあるく: 旅する人類学/中村 寛, 松尾 眞 |
旅行に行けない世界線になって久しい中、旅行欲を満たしてくれるかと思って読んだ。結果、かなり満たされてオモシロかった。アメリカの中でもメジャーではないところ(つまりは周縁)をロードトリップして、その際に感じたことが綴られている。エッセイ的な要素が強いのだけど、著者は文化人類学者であり、それぞれの旅がネイティブアメリカンという軸でアメリカを見ており、知らないことが多くて人文書としても興味深かった。
読んでいて一番強く感じたのは、野村訓市がJ-Waveで毎週放送している「Traveling without moving」というラジオ番組との近似性。リスナーから届く旅行にまつわる思い出メールが番組内で読まれるのだけど、バックパッカー談が読まれることが多い。本著もアメリカの周縁で当てもなくふらふらと流れに任せて旅行する、というのはバックパッカーっぽいし、観光地ではない場所で立ち上がる思いが率直に書かれている点が似ていると思う。(ときににじみ出るポエジーも含めて)また街で出会った初対面の人との様々な会話が収録されており、これが旅の醍醐味だよなーとコロナ禍の今だととても贅沢に見える。すぐに会議したがったり、出社を要求する人を「大事なことはface to faceでしか伝わらないよな」と言って揶揄したりするけど、face to faceのオモシロさが存分に詰まっていた。
アメリカは自由と民主主義の国であり、思い通り生きることができるというのは事実なんだけども、それを達成できているのは既に住んでいたネイティブアメリカン(インディアン)を排除した結果であることを改めて認識した。特にドラッグやアルコール、貧困の問題を抱えているリザベーションを訪れた際の何とも言えない、略奪された後の残滓のような虚無感が印象的だった。またトランプが大統領へ立候補した選挙の頃に、いわゆる「真っ赤」なエリアを旅していて、そこでの風景や人物描写、それにまつわる論考もかなり興味深かった。印象的なライン。何か解決したり、断定しているわけではないが、この逡巡こそが今必要な時間な気がる。
「分断」と報じられ受け容れられた現象をそのまま分断として語ることに、どれほどの意味があるのだろうか。そう語ることで得をするのは誰なのだろうか。しかしその逆に、二分化した両極は、結局のところ相互補完的であると哲学者を気取ってみても、なにかうすら寒いものが残るのだった。
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