2021年10月16日土曜日

ラップは何を映しているのか ――「日本語ラップ」から「トランプ後の世界」まで

 

ラップは何を映しているのか――「日本語ラップ」から「トランプ後の世界」まで

 ヒップホップ好きとして大変遅ればせながら読んだ。3章構成になっており前半2章はUSのヒップホップ、後半1章は「日本語ラップ」に関する論考がふんだんに盛り込まれていて刺激的でオモシロかった。延々とヒップホップの話を横滑りしながら展開しているので、読んだあと誰かとヒップホップ、ラップの話をしたくなった。

 政治や社会との関係性がこれだけトピックになる音楽はヒップホップだけだろう。主体制の強い音楽で1人称で主張しやすいから90年代にポリティカル、コンシャスなヒップホップが流行ったと思ってたけど、政治・社会について歌うのが売れ線だったからという話は驚いた。要するに商業主義がポリティカルやコンシャスを駆動していたという視点。近年、音楽的な強度と政治や社会に関する強いメッセージを両立させた成功したのはKendrick Lamarであり、それが2010年代の1つの指標となったのは間違いないと思う。僕自身もKendrick Lamarは大好きだけど、ヒップホップにおいて彼だけを特別視してるメディアなどをみるとげんなりすることには共感した。多くのUSのヒップホップは基本享楽的なものだとしても、そこからでさえ政治性が滲み出てくる。それがヒップホップのオモシロいところだなと思うし本著でも言及されていた。

 日本のヒップホップにおける歴史的な成り立ちのところ、特に1998年頃の話がめちゃくちゃオモシロかった。いとうせいこう・近田春夫を祖とするか、もっとオーセンティシティを確保してきたB-FRESH、DJ KRUSH、クレイジーAなどを祖とするか、その歴史観形成にかなり積極的にコミットしてきた佐々木士郎(宇多丸)の話などは知らなかったことが多く勉強になった。日本のハードコアラップの右傾化の話も言及されており今では牧歌的とも思える。なぜなら現在はさらに荒廃しているから。例えば鬼のレイシズム丸出しっぷりやKダブのQアノンっぷりなど、右とか左とか関係ない差別的言動が目立っていて辛い。(一方でLEXのような若い世代が自分を正せる感覚を持っているのは希望の光。)

 人のことをどうこう言うときに自分の態度を棚にあげるのは批評の観点ではしょうがないのだけど、こういう雑談形式だとファクトよりもどう思っているのかを知りたいなと感じた。(実質は雑談みたいに書いているので厳密には雑談ではないとはいえ)こんなふうに無い物ねだりしたくなるくらいオモシロかったので、ヒップホップ論考したい人にオススメ。

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