2016年4月29日金曜日

太陽



<あらすじ>
21世紀初頭、ウイルスによる人口激減から、
なんとか生き残った人類は、
心身ともに進化しながらも太陽の光に弱くなり
夜しか生きられなくなった新人類「ノクス」と、
ノクスに管理されながら貧しく生きる旧人類「キュリオ」
という2つの階層に分かれて生活していた。
ある日、村でノクスの駐在員をキュリオの男が
惨殺する事件が起こった。この事件により、
ノクスから経済制裁を受け、
キュリオはますます貧しくなっていった。

サイタマノラッパーシリーズで
おなじみの入江悠監督最新作。
去年の映画秘宝のベスト10企画で、
宇多丸師匠がベスト10に入れていた時に知り、
そのときから楽しみにしていました。
しかし、入江悠監督については
前作のジョーカーゲームが
はっきり言ってウルトラ駄作だったいうこともあり、
不安なところもありました。
しかし!本作は入江監督の新たな代表作となる!
と言い切ってしまえるぐらい、とてもオモシロかったです。
ディストピアSFなんですが、
それぞれの要素を様々なメタファーとして捉えることができて、
都市論、文明論、家族論、世代論とリーチしている領域が非常に広範。
見終わったあとの諸行無常感が最高最高でした。

※ここから完全にネタバレして書きます。

物語は暗い街に夜明けが訪れる遠景のショットから始まります。
テロップでざっくりあらすじの説明があるんですが、
この時点では全体像は見えません。
主人公たちの村が困窮に陥る原因となる
キュリオの村上淳によるノクスへの拷問が描かれます。
ここでノクスが太陽の光に弱い存在であり、
太陽に当たるとどうなるかということが分かる。
さらに主人公の1人である結の父は教師で、
彼が子どもたちにノクスとキュリオを教える形で、
物語の背景を説明するなど、
手際がとても良いなーと思いました。
本作はノクスとキュリオという非常に対照的な存在を配置し、
観客の価値観を揺さぶってくるのがとにかくオモシロいです。
太陽を浴びることなく完全に管理、合理化され、
テクノロジーの発達した社会に生きるノクス、
太陽を浴び自由に生活できるけれど、
テクノロジーの恩恵は全く受けることができないキュリオ。
もろに都市と田舎ですよね。
都市で働く人間が太陽の光を浴びることがないっていうのは、
とても見事な戯画化だと思っていて、
営業で外出が頻繁にある方は別にして、
PCでの業務がほとんどの今の世の中では、
日の光を直接浴びる時間って少ないよなぁと。
また、自分の育った街で太陽のもとに生きれば、
感染(被曝)するリスクが常にあるキュリオは、
放射能を意識してるとも思います。
(原作が2011年の震災以降の作品ですし)
社会の頂点と底辺で交わることがないと思われる、
ノクスとキュリオの境界線を巡って、
主人公2人が翻弄される作りになっています。
その2人というのが、
神木隆之介演じる鉄朗と、門脇麦演じる結。
鉄朗はバカなんだけど向上心が強く、ノクスに転換し、
ものづくりを学びたい男の子。
転換前にノクスの友達を作ろうと、
ノクス側の門番の青年と交流を図っていきます。
このシークエンスでは、差別の話として、
とても興味深かったです。
僕らがn*ggaと言うことは憚るべきである、
その理由がここにあると思います。
あくまで同胞内での呼称であり、
外部の人間が単純に区別するために存在してるんじゃねえ!と。
ただお互いが理解を深め、リスペクトの姿勢が見れれば、
それは単純な性質を表す言葉になる。
というところまで描いているのが、
かなり踏み込んでいると感じました。
鉄朗と青年の関係は前半微笑ましく思えるんですが、
終盤にかけての究極の選択、
奇しくも、おじと同じ道を歩みかねない状況、母親の 死など、
彼が物語内でもっとも追い込まれるキャラクターです。
故になのか、とにかく叫んでいるシーンが多くて、
やり過ぎ感は否めなかったかな、、、
一方、 結はノクスに憧れるのではなく、
同じキュリオの独立して豊かに生活しているとされる、
四国の人々に憧れている女の子。
父親と2人暮らしで、
母親は彼女が小さいころにノクスに転換済み。
その母との十数年ぶりの再会や、
村の状況変化から彼女はノクスに転換することになるんですが、
そこからの地獄っぷりが強烈、、、
とくにレイプのワンカットは覗き見としての
映画の構造を生かしたショットで凄まじかったです。
また父親の古舘寛治が素晴らしくて、
頑固というか一途というか自分の信念を持ち、
生きることを真剣に考えている人で、
物語内で一番正気を保っているように見えました。
それと対比されるノクスの母親とその旦那、義弟は、
「すべてを理解した高次元な存在」という自己認識で、
見てると反吐が出るような気持ちになる。
(とくに高橋和也の無味感が凄まじすぎる!)
でも、自分を含めて手元のスマートフォンで
世の中の現象の大半を検索することができて、
自分が万物の理解者であると錯覚してしまう瞬間は、
間違いなくあるわけです。
その彼らが手に入れることのできないものが、
太陽の光と子どもという設定から、
この2つが人間を人間たらしめているものであり、
とても大切と考えていることが伝わってきました。
ただ、一方的にノクスが悪の存在というわけではなく、
キュリオ内は旧態然として日本社会が
濃縮されているのが嫌な感じなんだよなー村社会。
ノクスになりたい鉄朗、なりたくない結、
この2人をあざ笑うかのように、
運命の歯車が残酷に動いていった結果の、
終盤のワンショットは本当に強烈!
サイタマノラッパーシリーズでも
印象的なワンショットはたびたび披露されてましたが、
原作が舞台ということもあり、相性バッチリ!
阿鼻叫喚がむき出しで迫ってくる!
本作は全体に映像の説得力が強くて、
キュリオ側ではワンショットを多用し、
人と生活の全体像が分かるようになっていて、
土地に根を下ろして生きていることが伝わってきます。
逆にキュリオは最先端の技術を持ち、
優雅な生活なんだけど、その全体像は見えず、
実体が伴わない印象が強くなっていました。
あと、本作で僕がもっとも辛かったのは、
結がノクス転換の手術を受けたあとに父と再会するシーン。
生きることに真剣に向き合い苦悩していた結が、
くだらないことで悩みすぎてたと言い放ち、
父のことを気遣うんですが、その思考停止感というか。
自分が当事者でなくなった瞬間に、
一気に他人事となってしまう人間の残酷さが
あまりにも強烈でした 。
(そうでもしないと生きていけないくらい、
世界が残酷とも言えるかもしれませんが…)
ラストは橋で出逢った2人が、
ノクスとキュリオの架け橋になるかもしれない、
という希望的な終わり方だった点は救われました。
GWで超大作目白押しですが、
世界に誇れる最高の国産映画だと思います。

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