2016年4月24日日曜日

スポットライト 世紀のスクープ



アカデミーで作品賞と脚本賞を
受賞したということで見てきました。
多分重たい話だろうなぁとは思っていましたが、
内容がショッキングで終始釘付けでした。
アメリカはファジーな状態をあまり好まない文化で、
基本的にYES/NOで物事が決まっていくんだ、
と勝手に思っていました。
しかし、本作を見ると日本人がよくやりそうな、
事なかれ主義な場面が多く見られ、
一概に物事は判断できないよな〜と
改めて考えさせられました。

※ここからは盛大にネタバレして書きます。

神父が留置所にいるところから物語が始まって、
弁護士らしき人がやってきて、
すべてが良からぬ形で片付いているように見えて、
警察官もあきらめの表情。
そして、悠々と神父と司教が出てきて、
タイトルが静かに現れて映画がスタート。
前半はタイトルにもなっている、
ボストン・グローブ社のスポットライトチームと、
彼らが神父の児童虐待にフォーカスを当てる
経緯が描かれていきます。
スポットライトはタイムリーなニュースではなく、
腰を据えた長い取材をベースにした新聞内の記事のこと。
マイケル・キートンをボスとして、
マーク・ラファロ、レイチェル・マクアダムスらが
部下としているチーム編成。
時代が2001年から2002年で、
インターネットを含めIT革命前夜ということもあり、
彼らの仕事の進め方にアガりました。
とにかく足で稼いで自分の目と耳で
1つ1つの事実を丁寧に確認し積み上げていく。
その気の遠くなる作業を徹底して進める姿、
図書館や自社で調べ物をしたり、
インタビューで手書きのメモを取ったり。
アナログな作業によって核心に迫っていく印象が
より強くなっているように感じました。
神父の児童虐待を特集するきっかけとなるのは
転勤でやってきた新しい編集長です。
ボストンを初めて訪れる彼から客観的に見て、
「ツッコミ足りなくね?」と言って、
スポットライトチームが取材することになります。
この一言がなければ、すべてが始まっていないことが、
本作を見終わったあとに痛感させられる作りになっています。
つまり、外部からの視点の欠如によって、
目の前で起こっていることの重大性、危険性、
または起こっていること自体が認識できなくなるということ。
マイケル・キートンがそれを体現していて、
記者として当然果敢に取材するんだけど、
終盤にある展開がキツイんですよねー
弁護士や被害者の人たちのセリフが
ボディブローのように効きました。
「お前はそのとき何してたんだ?」
スポットライトチームが取材し始めて、
徐々に実態が明らかになってくるのが後半。
過去にグローブで取り上げた
2人の神父を中心に取材を続けていると、
どうやら実態はそれ以上なのかも…
ということが分かってきます。
この取材のスリリングさがたまんない。
教会はもちろんのこと、教会に通う街の人も
知っていたけれど、神の名の下に伏せてしまう。
多数の利益のために少数の被害者は
黙って然るべきという論理の気持ち悪さよ!
さらに神の存在をチラつかせるだなんて、、
そのあまりの悪態ぶりに一部を摘発しただけでは
何も現状が変わらないと判断し、
教会が持つシステムを打倒するべきだと。
そして驚くべきはそのシステムが
ワールドワイドであるという恐ろしい現実を
突きつけるラストですよね。
何もなかったことにして、
なぁなぁにしてることって、
日本でもたくさんあると思うと、
全く他人事ではないよなぁと
SALUの新しいアルバムを聞きながら思いました。

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