2016年12月2日金曜日

ブルーに生まれついて


前にBunkamuraル・シネマでポスターアートを見た時に
それがあまりにかっこ良くて楽しみにしていた作品。



チェット・ベイカーの自伝映画だったんですが、
知らないことだらけで勉強になりましたし、
ラストの余韻がとにかくたまらなかったです。

※ここから盛大にネタバレして書きます。

僕のチェット・ベイカーの印象はこの写真に尽きます。
これは写真家のウィリアム・クラクストンが撮ったもの。
(彼の写真が好きで写真集も持っています)




じゃあ音楽家の彼の印象は?といえば、
お洒落なカフェでかかっている軟弱なジャズという
偏見に満ちたものでした …
しかし、本作を見ることでそんな印象は吹き飛んで、
ジャズを愛する最高に最低なジャズミュージシャンなんだ
ということを知れてよかったです。(行間読み取ってね)
本作を見た後にチェット・ベイカー聞きながら、
渋谷の街を歩いたときの余韻がたまらなかったです。
映画としての作りは自伝映画としては
結構大胆な作りになっていました。
大きく分けて2点あって、
1つ目は特定の時代のみを描いている点です。
具体的には196 6年と1955年の2つを描いていて、
2つの時代が良い時代/悪い時代という
合わせ鏡のようになっているのが巧み。
無理して彼の全体の歴史を圧縮して
映画に詰め込むという形ではなく
無理していないところに好感を持ちました。
2つ目は映画の導入の部分。
映画内で映画を撮っているというシーンがあり、
しかも、その映画内の映画も
チェット・ベイカーの自伝という、
複雑なメタ構造を取り入れています。
はじめは回想シーンだと思っていたことが
実は映画内の演技だったということなんですが、
終盤への伏線となっていて、
じわじわ後になって効いてくるのがこれまた巧みだし、
ここでのNYのBIRDMANでの演奏シーンが
モノクロで超かっこ良くて心が掴まれてしまいました。
チェット・ベイカーは薬物中毒でヘロインの静脈注射に依存。
ヘロイン買ったお金を踏み倒したために、
プッシャーにボコボコにされてしまい、
歯を折られて頬も骨折してしまいます。
彼はトランペッターなので生きて行く上で致命傷だし、
しかも薬物に手を出してからは周りの信用もなく、
孤立無援の中、映画で共演した女性に恋に落ちる。
彼女はチェットのことを見捨てることなく、
薬物を断たせて何とかトランペッターとして
再起させようと懸命に彼のことを支え続けます。
一番辛かったのはピザ屋でBGMとして演奏し始めた時。
チェットが演奏しているにも関わらず、
一向に見向きせず喋りまくる学生集団はいるし、
「君、日曜日にいつも来てるの?もっと練習してね」
と他のメンバーに言われる始末。
栄枯盛衰を意地悪く見せられると辛いけど好きなところ。
ひたすら練習を繰り返して彼は自分の音色を
取り戻していき何とか生活を組み立てていきます。
ただ、 多くの観客は彼のトランペットの音が
今どのレベルにあるのか、回復した?下手なまま?
というのが分からないのが難しいところ。
下手な時はもっと露骨にミスったりしたほうが
分かりやすかったかもなーと思いました。
(音の違いが分からないあくまで個人的な話)
あと、本作では彼の本物の音源は使われていなくて、
David Braidという人が劇伴を担当しています。
曲は同じでもアップデートされていて、
古めかしい感じがなかったの僕は好きでした。
本当のファンの人はけしからん!と思うのかもですが…
主演のイーサン・ホークはしっかり歌うし、
トランペットも吹いているところに役者魂を見ました。
(男の僕から見ても惚れ惚れするかっこ良さ)
長々書いてきましたが本作はラスト、
ヘロインを断ちクリーンになった彼が
憧れの地であるNYへback againするシーンが最高最高!
そもそも彼はLAのジャズプレイヤーかつ白人で、
ジャズの世界において彼はマイノリティな立場。
ゆえにマイルスを筆頭にしたNYで活躍する、
黒人Jazzプレイヤーへの憧憬が強いんですね。
なんとか彼らに認められたい、
彼らと同じフィールドに再び戻りたい、
そんな気持ちが呼び起こす究極の選択が待ち受けている。
すべてを失ったとしても力を得たいという欲望は
まるでロバート・ジョンソンが
十字路で魂を売り渡すかのごとく。
愛する彼女へ自分の選択を伝えるのが
歌というのがこれまた痺れる展開でたまりませんでした。
次の曲であるBorn to be blueを紹介、
曲が流れ始めてタイトルどーん!で完全にサムアップ!
またクレジットのフォントの青が綺麗な色なんだよなー
音楽とドラッグは21世紀の今でも
切っても切り離せない関係にあると思うし、
僕はASKAに本作を見て欲しいと思います。

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