2016年11月16日水曜日

夜と霧

夜と霧 新版

今年見た映画でサウルの息子という作品があって、
強制収容所の被収容者であるユダヤ人が主人公で、
ゾンダーコマンダーとして収容者を管理する立場にあった、
という事態を描いたものです。
直接その話という訳ではないですが、
ナチスによるユダヤ人の強制収容および虐殺の話をする上で、
避けられない名著中の名著ということで読みました。
陰惨な被害体験だろうなーと思っていたんですが、
当然そういった話もありながら、
死ぬことよりも、生きることを真正面から書いていて、
後半なんて全文付箋したくなるような金言だらけでした…
本作は実際に強制収容所に収監されていた
心理学者が書いた作品であり、
彼が被収容者としての体験を交えつつ、
心理学の見地からも強制収容について考察しています。
残忍な手口を1人称の目撃談として語られると、
当たり前ですけどドシンと心に響いてくる。
さらに収容者の精神の揺らぎについて、
極めて主観的なものもあれば、
心理学者として客観的な考察もあるため、
読んでてグラグラしました。
「解説しているけど、この人も中にいたのよね…?」と。
近現代史上、最恐のDead or Aliveな状況において、
人間が動物化する1歩手前のところで、
いかにして踏みとどまったのか?という話が心に刺さりました。
本作が名著とされているのは、
収容所での体験からのフィードバックが
限りなく普遍的な生、死の話へと流れていく点でしょう。
少し引用しておきます。
このパラグラフはシビれまくりました。

行動的に生きることや安逸に生きることだけに
意味があるのではない。そうではない。
およそ生きることそのものに意味があるとすれば、
苦しむこともまた生きることの一部なら、
運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。
(中略)
収容所を生きしのぐことに意味などない。
抜け出せるかどうかに意味がある生など、
その意味は偶然の僥倖に左右されるわけで、
そんな生はもともと生きるに値しないのだから。

収容所から解放された後に書かれているので、
後付けのロジックと思う人もいるかもしれないですが、
肉体が追い込まれている描写がハードであるがゆえに
肉体が極限まで追い込まれたとき、
生死を分けるのは精神かも…と思わざるを得ない。
当たり前に享受している幸せが当たり前でなくなる、
ということを直近で言えば311で痛感した訳ですが、
こうやって文章できっちり残しておくことは
重要だなと思いました。
最近、欅坂ハロウィン事変などもあった中で、
何が問題なのか分からない人は本作を読めばいいと思います。

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