2016年2月3日水曜日

サウルの息子



1944年10月、アウシュビッツ=ビルケナウ収容所。
ナチスにより、同胞であるユダヤ人の死体処理を行う
特殊部隊ゾンダーコマンドに選抜された
ハンガリー系ユダヤ人のサウル。
ある日、ガス室で生き残った息子と思しき少年を発見したものの、
少年はすぐにナチスによって処刑されてしまう。
サウルは少年の遺体をなんとかして手厚く葬ろうとするが……
映画.comより)


予告編を1回見ただけで、
「これはキッツイやろなー」と思いつつ見ました。
その予想を遥かに超えまくりで、
今まで見たナチスを題材にした映画は見てきましたが、
本作はこれまで見た作品で一番堪えました…
見終わった後、体調が軽く悪くなるレベル。
それは本作が悪い作品ということではなく、
あまりに真に迫りすぎているからです。
現状今年1位のイット・フォローズと同じで、
ショットとストーリーが有機的に結びつき、
映画が芸術として機能している最高の瞬間が
目撃できるという意味では必見です。

※ここから盛大にネタバレして書きます。

本作はファーストショットですべてが
決まっていると言っても過言ではないと思います。
そもそも本作は通常のスクリーンサイズではなく、
1: 1.33というスタンダードサイズでの上映です。
(最近だとグサヴィエ・ドランが
Mommyで効果的な使い方をしていましたね)
フォーカスがボケたワンショットから始まり、
そこへやってきたサウルにフォーカスが合い、
その時点から文字通り映画が躍動し始めます。
手持ちカメラでサウルを
ひたすらワンショットで追い続けて、
ゾンザーコマンダーとして役割を果たす
彼の姿を描いていく作りでした。
ツカミのための一連のショットかな〜
と思いきや全編にわたって同じ構成。
基本的にクローズでサウルの顔のアップが多くて、
会話するときは引きで会話している人間のみを映し出すため、
実際のホロコーストの露骨な現場に
フォーカスが合うことはありません。
ただ主人公の視線の先、背後のフォーカスが
合っていないところで、
何かとんでもなく恐ろしい事態が起こっていると、
映画を見ていくうちに気づくことになります。
僕はこの構造がもたらす2つの意味があると考えています。
1つ目は具体的なシーンを見せず観客に想像を促す作用です。
ホロコーストを含むアウシュビッツ収容所で行われた
残酷な所業の数々を脳内補填させて、
ダイレクトに見るよりも観客にこの事実を
脳内に焼き付けることに成功しているのでは?と。
2つ目は簡単に分かるようなことではないというメッセージ。
1つ目と矛盾しているかもしれませんが、
現実は映画内で再現できるほど甘いものではないと
監督は考えているのではないかと思います。
では、観客が映画で追体験できるのは何かといえば、
その場の「空気」や「人間関係」でしょう。
僕は閉所恐怖症ではないんですが、
その気持ちが初めて分かった気がしました。
どういうことかといえば、
普段慣れたサイズでたくさんの映画を見ている僕にとっては、
このスタンダードサイズがひどく窮屈に思ってしまうし、
ひたすらクローズなのがあいまって、
息が詰まってしょうがなかったです。
これが前述した「空気」の演出法の1つだとは思います。
ストーリーの骨格となるのは
サウルが自分の息子を何とかユダヤ教に則り、
埋葬してやりたいという動機の部分。
(本当の息子かどうか問題はありますが、、)
反乱を企てようとする周囲との対比もあって、
ハラハラ見ることができました。
とくに仏教のお坊さん的な立ち位置であるラビを探すくだり、
およびラビ自身の言動は「ヒューマニティ」という
安易な言葉では説明のつかない人間臭さが良かったです。
シンドラーのリストを筆頭に、
ホロコーストは多くの映画で題材になっていますが、
本作は間違いなく今後語り継がれていくだろう傑作だと思います。
また監督であるネメシュ・ラースローは
これがデビュー作っていうんだから今後が楽しみです。

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