2025年1月30日木曜日

長電話

長電話/高橋悠治、坂本龍一

 坂本龍一氏が亡くなってから、その偉大さ、興味深いパーソナリティに気づき、著作を読んでいるのだが、その中でも昨年リリースされた本著はポッドキャストを運営している身からすると、かなり気になっていた。というのもポッドキャストは長電話を録音してウェブ上で配信したようなものだから。実際、私が収録するときはウェブカメラはオフで収録しているので、形式は電話そのものだ。本著は今のポッドキャスト時代を先駆けるように「会話」がいかにオモシロいかを具現化した一冊だった。

 本著は、1983年の12月15〜17日にわたり石垣島に滞在した二人によって、合計4回行われた長電話が文字起こしされたものとなっている。よくある対談本、ラジオ本と決定的に異なるのは文字起こしの粒度である。会話を文字化するのであれば、相槌や間を取るための言葉など、不要なものは排除し、文の構成なども徹底的に編集し読みやすくすることが常だろう。しかし、本著では不要であろう言葉まで余すことなく音を文字で残している。それは何かを咀嚼している音や、何かが落ちたような音まで、電話に乗ってきた音すべてを拾い上げる勢いだ。実際に音声を聞いたわけではないが、おそらくほとんど手直ししていないはずであり、そういった編集によって立ち上がる生々しい会話の数々には包み隠されていない本音が見え隠れする。

 生な会話であるがゆえに読みにくさはあり、本当にただの長電話なので、あっちこっちへ話は寄り道しまくる。ゆえに読み終わったあと「あれ、結局何の話だっけ?」という手応えのなさが残ることは否めない。本を読むことで、結論をすぐに求めるような考え方に気をつけているつもりだったが、それでも本著を読むと自分も時代の病に侵されていることに気づいた。80年代のゆるい空気がそのまま残っており、情報の量や速度が今と異なっているからとはいえ、自分が時代の中に生きていることを突きつけられたのであった。

 音楽に関する二人の考えがとにかく興味深く、先見性の高さに驚く場面も多い。また、バリバリ前に出て、フェイムを得たいという気持ちがあまりなく、音楽が好きで、それを表現したいというスタンスが伝わってきた。特に人の前で音楽を演奏することについて、ここまで考えているアーティストが今いるだろうか。デジタルとアナログの過渡期ということもあり、音楽をどのように作り、演奏し、聞くかなど、ポップスのフィールドでも活躍する坂本氏と、現代音楽サイドの高橋氏の見解のぶつけ合いは非常に興味深かった。

 SNS時代においては、ある意味では活字至上主義であり、その確実性、情報の圧縮率はときに有用ではあるものの、それゆえの息苦しさは付きまとう。ゆえに音声メディアの情報圧縮率の低さ、そして「会話」におけるいい意味での無駄や矛盾を私たちは欲しているがゆえに、ポッドキャストがここまで隆盛してきているのかもしれない。そんなことまで考えさせられる温故知新な読書体験だった。

だいたいそうなんだよね。首尾一貫していないところで、ゴリ押しをしてるってとこがあるからね。ウン。だからやっぱり、こうやって、なんてバカなやつだろうとかさ、いうような感じになることを半ば期待しつつ、電話をして本を作ろうと思ってるわけだよね。

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