![]() |
「僕ら」の「女の子写真」からわたしたちのガーリーフォトへ/長島有里枝 |
こんな大人になりましたというエッセイ集を読み、著者の視点がどれも興味深かったので、本業である写真に関する本を読んだ。フェミニズムに関する本は少なからず読んできているが、このスタイル、密度で書かれたものは読んだことがなく、めちゃくちゃオモシロかった。言うなれば「OK余裕、未来は「わたし等」の手の中。」
90年代に写真史にその名を刻むほど隆盛した「女の子写真」という潮流について、改めて考察したものが本著である。大学院での修士論文として提出された内容を加筆修正したらしく、最大の特徴は、考察している著者がそのムーブメントど真ん中にいた当人であるということだ。つまり、90年代に男性の写真家、評論家に好き勝手に言われたことについて、当人自ら論文スタイルでアンサーしているのだ。今でこそ一億総批評家時代であり、さまざまなベクトルで作品が評価される時代になったが、ネットやSNSがない90年代は、一部の評論家の言説が決定的な評価になってしまい、それを覆すような機会も限られていた。そして約30年後に本や雑誌に書かれていることを丹念に拾い上げて、当事者がすべてに応答していく。こんな本は読んだことがない。しかも、拾い上げ方の粒度が相当細かく、当時の雑誌に掲載されていた発言やちょっとした言い回しまで、事実確認を行うのは当然のこと、その言説が誘導してしまう偏った考えや視点まで逐一指摘していく。批評と印象論は紙一重であり、90年代は論拠に基づかない印象論が今以上に大手を振って歩き、それが正史となってしまった状況がよく理解できる構成となっている。
男性の写真家や評論家が、女性の写真家たちの作品を「女の子写真」という枠に押し込めて矮小化していた歴史が詳らかに解説されている。「女の子写真」が隆盛したのは、「機材がコンパクトになったり、扱いやすくなったから」という大前提からして間違っていることを丁寧に確認していく姿勢にシビれた。ムーブメントの当事者で好き勝手言われてきた著者の立場からすれば「てめーふざけんな!」とシンプルにブチキレてもおかしくない中で、自分自身さえも客体化し「長島」扱いするスタイルで丁寧にキレている。ゆえに読んでいて、ガンフィンガーを立てる場面がいくつもあった。男性と女性のあいだにある権力勾配、女性に対する特有の年齢の枠など、アンバランスな関係性への鋭い指摘を読み、無意識な発言がまるでバタフライエフェクトのように知らないうちに女性を抑圧することになる可能性に気付かされたのであった。
作品を評価する際に「女性らしい柔らかい表現」などといった言葉は今でも平気で使われているが、性差を作品の評価へ反映することの妥当性について繰り返し疑問視している。自分が男性なので意識できていなかったが、男性の作品であれば「男性らしい荒々しい表現」とは言わず、単純に「荒々しい表現」と評価するケースが多いのはそのとおりだろう。「女性」という枕詞で別の枠組みを用意するのは、男性が女性を別物扱いしている証左であると著者は喝破していた。
本著が好きな理由は「権威に奪い取られた自分の主体性を取り戻す」という、どこまでもヒップホップ的なマインドに溢れているからだ。前述のエッセイを読んだ際にも感じたが、著者の世代にとってのパンクは、私にとってヒップホップに代替可能だ。そして、批評に対して、音楽もしくは言葉で明確に応答することは今のヒップホップでも「ビーフ」を筆頭として盛んに行われている。日本では語るよりも、背中で見せる美学を重んじる風潮があるが、今の時代は間違っていることに対して、明確に意思表示していくことが重要であり、そこで歴史を残していく必要がある。なぜなら放置していると「女の子写真」のように誤った形で正史として固定化してしまうからである。本著のように過去を分析、考察し、語り直すことで間違った認識の再生産を防いでいく志の高さには頭が上がらない。
また、著者の場合「「女の子写真」はすべて間違っている」と論破するわけではない点も重要である。90年代に自分が明確に応答できなかった悔恨を胸に抱きつつ、改めて当時の批評、言論の認識の違いを指摘、「女の子写真」を第三波フェミニズムの文脈で捉え直し、価値や意味をフリップする。これまたヒップホップ的であり「ガーリーフォト」として、女性の手の中に取り戻していく過程がとにかく興味深かった。特にヌードがムーブメントの要素に含まれていたことで、如実に性的搾取の側面があったわけだが、セルフポートレートだったことも踏まえた男女における性役割の転倒を狙っていたという主張は写真論としても興味深かった。
当時に比べると現在は批評が勢いを失い、民意としてのSNSがその代わりを担っていると言えるだろう。SNSはフローする情報であり、スタックしにくいので、その時代のムードを振り返って分析することが困難である。本著では、書籍で残っているからこそ検証し直すことが可能になっており、ネット上の情報ではない別媒体で残る情報の重要性が明らかになっていたことも本論ではないが書き添えておく。他の本も早く読んでみたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿